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「東京は新羅系移民の開墾地でした」ってことくらい知っといてちょうだいよ。
古代の武蔵国には「新羅郡」が設置されていた。『続日本記』(巻第36、天平宝字2年8月癸亥条)
によれば、奈良時代なかばの758年に「日本に帰化した新羅の僧32人、尼2人、男19人、女21人
を武蔵国の閑地に移し、はじめて新羅郡をおいた」という記述がある。
それ以前にも持統天皇治下の687年と690年にも、新羅人を武蔵国に移したと日本書紀にある。
(『日本書紀』巻第30、持統天皇元年4月癸卯条、4年2月壬申条)たぶんこの2つの移民の波は
のちの新羅郡にたどり着き、そこに天平宝字年間にさらに新羅系移民が追加され新羅郡がおこった
と考えられている。時期不詳だが新羅郡は新座郡と改称され、1896年まで続いたが、北足立郡と
統合され消滅した。
その消滅した新座郡のあった地帯とは、現在の埼玉県新座市、志木市、朝霞市、和光市と、東京都
練馬区の一部(大泉)、西東京市の一部(旧保谷市)でした。練馬区にもエリアがかぶさっているし、
『東京は新羅系移民が荒れ野を開墾して出来たところ』だと評価しても大ハズレしちゃいないだろう。
新羅郡から入間郡をはさんだ武蔵国中部には「高麗郡」もあります。これは716年に設置された郡。
高麗とは高句麗の略語。高麗郡を設置するとともに、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野7か国
から高麗人1779人を武蔵国へ移した、との記録がある。