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先日、ある中小食品メーカーの社長と話をしていて、この夏の電力不足に話がおよび、「関西電力は大丈夫ですかね」と聞かれた。「大丈夫とは?」と聞き返すと、「関電は本当に電力がないんでしょうか」という。
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やはり…と思った。同じように思っている人は、たぶん少なくないのだろう。
本当はあるのに、原発を再稼働させるために隠しているのではないか…。関電に対する“不信感”はけっこう根強い。
理由はこの冬の節電要請にある。あれほど危機感をあおって「節電、節電」といっておきながら、深刻な事態にはならなかった。
表面上はなくても、いざとなれば発電できる能力があるのではないか。どこかからもってこれるのではないか…。そう勘ぐりたくなる気持ちも分からないでもない。
いまや関電は“袋だだき”の状態である。想定した需給見通しより電力が余ったら、
胸をなでおろすどころか、「節電を要請しすぎだ」「不便を強いられた」とたたかれる。いや、それだけではすまない。「それなら原発はいらない」である。
かといって予想より需給状況が厳しくなり、それこそ大規模停電なんて事態にでもなれば、「見通しが甘かった」とたたかれるのは間違いない。
どっちにころんでもたたかれる。原発再稼働に慎重な自治体と賛成の経済界の両方から「もっと正確な情報を出せ」と迫られる。
関電は本当に電力を隠していないのか、あるいはそうでないのか…むろん、定かには分からない。
今夏、もし「停電」という事態になったら、いったいどんな言葉でたたかれるのだろう。
そのとき、「だから足りないといったのに」と反論したところで、納得してもらえるだろうか。
いや。電力会社が背負う「電力供給責任」の名のもとに、激しく責められるだろう。
そんな事態を回避するために原発を稼働させたい。しかし、容易に認めてもらえない。
それでも電力を供給しなければならず、頼みは火力発電になる。その結果、燃料費が急増して経営は大赤字。ならば電気料金を値上げしたいが、それはダメといわれる…。
どこに進もうとしても、待っているのは艱難(かんなん)辛苦。いまや八方ふさがりの関電に、未来はどうひらけるのだろう。(佐久間史信)
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