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【過労死の国・日本 若者に迫る危機】
「本人には悪いが、息子は就職戦線での“負け組”でした」。長男を「過労自殺」で
亡くした父親は、そう言葉を絞りだした。
平成20(2008)年8月2日朝、村井義郎(65)=仮名=は兵庫県尼崎市の自宅で
長男、智志=当時(27)、仮名=の変わり果てた姿を見つけた。スーツのズボンに
白い肌着という出勤時に着る服装のまま、首をつっていたという。
智志は、死のわずか4カ月前に「正社員」になったばかりだった。それまでの5年間を、
アルバイトなどの非正規労働者として働きながら就職活動に費やしていたのだ。
智志が大学を卒業したのは、就職氷河期まっただ中の15年3月。前年10月時点での
就職内定率は、64・1%だった。いまや24年3月の卒業予定者で59・9%という
さらに厳しい時代を迎えているが、当時でも智志は3年生から応募を始め、書類選考
だけで落とされ続けたという。
ようやく面接にこぎつけた会社からは、容姿をけなされる“圧迫面接”を受け、自信を
失ったこともあったが、希望は捨てなかった。義郎を安心させたいという思いが
強かったのだろう。回り道の末に採用が決まったとき、智志は「やっと正社員になれたよ」
と笑顔で報告している。
◆求人時は「朝7時15分~午後4時15分」
就職先は大手飲料メーカーの孫請けで、自動販売機に清涼飲料水を補充する会社。
コンピューター関係の仕事に就きたいという夢を持ち、資格取得に向け勉強もしていた
智志にとって、求人広告にあった午前7時15分~午後4時15分という勤務時間は
魅力だった。
だが、実態は違った。朝は6時台に出社し、清涼飲料水を運ぶトラックの洗車を済ませて
おかねばならない。トラックで自販機を回り、商品補充を終えて夕方帰社しても、翌日分
の積み込み作業とルート確認、在庫管理などに追われ、帰宅は深夜になった。
補充自体も過酷な肉体労働だ。1日のノルマに加え、自販機の故障や客からの苦情が
あれば、急行しなければならない。「倒れそうです」。自殺1週間前の7月26日の
日報にはこう記したが、智志だけでなくほかの従業員も「まじで無理!!」とつづっていた。
「耐えられないなら、辞めてもいいよ」。姉の寛子(34)=仮名=は何度もいたわったが、
智志の答えはいつも同じだった。
「せっかく正社員になれたんやから、もう少し頑張ってみるよ」(※続く)
●男性が自殺する直前の業務日報のコピー。「無理」などの記述がある
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
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