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ジャシンス・マーティンさんは昨年3月、地震と津波に続き、日本の原子力発電所の
危機が深刻化した際、「パニック」状態に陥るまで数日かかったと振り返る。だが、
ぴりぴりした報道や友人たちからの取り乱した電子メールが続いたため、東京に暮らす
外国人の多くがそうしたように、マーティンさんは住み慣れた街を捨て、国外に避難した。
故郷の街、カナダのモントリオールで10日間「安心して眠った」ことで、マーティンさんと
日本人の夫、2人の子供は日本に戻っても大丈夫だと判断し帰国した。
■外国人が減った東京
ところが、あれから1年たっても、普段なら多くの外国人がいるマーティンさんが暮らす地域でも、
以前の国際色が薄れたままだという。「スーパーマーケットで会う外国人の数が少なくなった」と
マーティンさんは言う。「近所に住むある家族は、家を閉める時さえ日本に戻って来ることはなく、
引っ越し業者だけを送ってよこした」
ほかに行くあてのある人々が日本から大量に脱出したことで、「フライ」(飛び去る)と日本語の
「ガイジン」を掛け合わせた「フライジン」という造語が生まれた。出入国に関する統計によれば、
2011年3月、外国人の出国者数は入国者数を27万人上回った。
フライジンの多くは故郷に帰るか、香港やシンガポールなどに避難し、不安に満ちた災害後の
最初の数週間をやり過ごした後、かなり前の時点で日本に戻ってきている。
ただし、すべての人が戻ってきたわけではない。外国の食材を売るスーパーに来る人が減っただけ
でなく、インターナショナルスクールの入学数も減り、外国人向け賃貸住宅の家賃も下落している。
一方、日本に戻ってきた人たちの中には、家庭だけでなく仕事でも平常に戻るのに苦労している
ケースがある。何しろ企業は、外国人スタッフの避難に伴うトレードオフに関して苦い教訓を
味わった。
■日本人の同僚との間に亀裂も
日本の金融機関で通貨のスワップ取引を担当する英国人、スティーブン・ブライアリーさんは
「日本に戻ってきた時、妙な発言などで難しい場面に出合うことがあった」と振り返る。
ブライアリーさんによれば、同じフロアで働くトレーダーの約30%が外国人で、日本人の同僚が
職場にとどまる一方、外国人は1週間ほど香港に避難したという。
スイスに本社を置くある企業の管理職社員は、職場の士気に影響が出ることを防ぐため、日本人の
同僚には日本を離れることを伝えないようくぎを刺されたという。
しかしそんな小細工に日本の同僚たちはだまされなかったろう。米国に本拠を置くコンサル
ティング企業に務め、IT部門を担当するある日本人は「外人が残らず日本を出たことは
皆が知っている」と言う。
■被災地のボランティア活動で関係改善
日本に戻ってきた外国人の多くは、同僚との亀裂を修復する目的で設けられた、チーム意識を
強化するための企業内の行事に参加させられた。さらに踏み込んで、津波の被害を受けた
東北地方でのボランティア活動と職場の団結心を結びつけた企業もある。
週末にスコップで泥を取り除いたり、がれきを片付けたりしたある外国人管理職社員は、
「あれをきっかけにすべてが変わった」と振り返る。「日本のチームと私の関係や、日本人
従業員の私たち外国人を見る目が良い方向へと劇的に変化した」(※続く)
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