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一つの価値基準、一つの文脈から見れば優秀であるが、一方で柔軟性を欠くことになる。
結果として、日本の国内市場の中では通用するけれども、グローバル化した世界では
意味を持たない制度やシステムが温存されることになってしまう。これが、今の日本の
危機の象徴である。
それを象徴するのが、「ガラパゴス化」という言葉。ある視点から見てすぐれた「部分最適」
にはなっても、全体から見た「全体最適」にはならない。つまりは、グローバルな地球社会
に貢献するような価値に結実しない。そのことが、急速に「ソフト化」し、「ネットワーク化」
する世界の中で、日本の変調、凋落をもたらしている。
「ガラパゴス化」という言葉は、2009年くらいからメディアの中で見られるようになった
と記憶する。他の「流行語」とは異なり、「ガラパゴス化」という言葉が指し示している
日本の病理は、そう簡単に解消されそうもない。むしろ事態は慢性化、膠着しており、その
実態から目を背けては、日本の未来はない。
たとえば、大学。日本の大学は、明治期において、ヨーロッパの技術や文化を輸入して、
日本の隅々まで行き渡らせる「文明の配電盤」として役割を果たした。最初は「御雇い外国人」
が外国語で直接講義していたが、そのうちに日本人が講義をするようになり、学問は急速に
「日本語化」して行った。
ある文化圏の中にもともとない概念を移入するのは難しいとされる。明治期の日本人は、
乃木希典さんの漢詩に見られるような、深い漢文の素養を持っていた。文明開化の前の
「概念宇宙」がもともと十分に広く深いものであったことが、学問を日本語化する上で
大きな意味を持った。
「科学」、「自由」、「経済」、「時間」、「空間」などといったいわゆる「和製漢語」は、
明治期の日本人がその漢文の素養を駆使して生み出した偉大なる遺産である。私たちは、
明治期に作られたこれらの言葉を、今日まるで空気のように使いこなして日本語の学問を
展開している。また、これらの言葉が漢字の母国である中国にも「逆輸入」されて、使われる
ことにもなった。西洋列強が圧倒的な力を示していた当時の世界で、祖先が成し遂げた学問の
日本語化は、私たちの誇りである。
日本語で一通りの学問ができるようになった結果、今日に至る日本の大学の「かたち」が
出来上がった。それは、一つの偉大な革命であった。「文明の配電盤」として、欧米の
先進的な文化、技術を日本に紹介し、広める役割を果たしていた頃の大学は輝いていた。
東京大学をピラミッドの「頂点」とする大学の「序列」も、そんな時代の中でつくられて
いったのである。
時代は流れ、その日本の大学が、「ガラパゴス化」の危機に瀕している。日本語で学問が
できるようになったのは、一つの偉大な成果だった。しかし、それゆえに、日本の学問、
とりわけいわゆる「文系」の学問は、世界と切り離される結果となってしまった。
自然科学の研究者たちは、英語で論文を書くということを基本としている分、まだしも良い。
それでも、日本人研究者には多くの人が指摘する弱点がある。体系的な「レビュー論文」を
書いたり、まとまった思想、世界観を一冊の本として提示するような仕事は、きわめて
少ないのである。(※続く)
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