12/02/06 04:10:35.15 jZlIQeZG
俺が80年代のフェラーリを『旧態依然』というのは、エンツォが本気で耄碌してたような節が製品からも見えるから
F40も本来は『そのままレースに出られる車』、とうコンセプトだったのはわかるが
前置詞に『(ただし)70年代レベル』『エンツォの(現実を見ない)妄想の』というのがつく。
70年代後期から80年代にかけてアルミ~カーボンモノコック化が進んでたのに
そのエンジン性能向上を上回るパフォーマンス効果がある事を、一切認めたくなかった。
というのが自らの決定権を行使できたF40からは非常によく出てくる。
現実を否応なく突きつけられるF1にかんしてはカーボンモノコック化をせざるを得なかったが
自らの理想(妄想)のなかでは、そうではなかった、ってことだ。
ちなみに『そのままレースに出られる』というコンセプトなら、
ジャガーXJR-9そのものの、ジャガーXJR-15(やR390)や、マクラーレンF1のほうが現実を直視してた