12/03/11 02:11:44.53
【検証】震災から1年:東京に戻った『フライジン』のその後--英フィナンシャル・タイムズ [03/06]
スレリンク(bizplus板:1-2番)
ジャシンス・マーティンさんは昨年3月、地震と津波に続き、日本の原子力発電所の
危機が深刻化した際、「パニック」状態に陥るまで数日かかったと振り返る。だが、
ぴりぴりした報道や友人たちからの取り乱した電子メールが続いたため、東京に暮らす
外国人の多くがそうしたように、マーティンさんは住み慣れた街を捨て、国外に避難した。
故郷の街、カナダのモントリオールで10日間「安心して眠った」ことで、マーティンさんと
日本人の夫、2人の子供は日本に戻っても大丈夫だと判断し帰国した。
ところが、あれから1年たっても、普段なら多くの外国人がいるマーティンさんが暮らす地域でも、
以前の国際色が薄れたままだという。「スーパーマーケットで会う外国人の数が少なくなった」と
マーティンさんは言う。「近所に住むある家族は、家を閉める時さえ日本に戻って来ることはなく、
引っ越し業者だけを送ってよこした」
フライジンの多くは故郷に帰るか、香港やシンガポールなどに避難し、不安に満ちた災害後の
最初の数週間をやり過ごした後、かなり前の時点で日本に戻ってきている。
ただし、すべての人が戻ってきたわけではない。外国の食材を売るスーパーに来る人が減っただけ
でなく、インターナショナルスクールの入学数も減り、外国人向け賃貸住宅の家賃も下落している。
外国人居住者の減少数に関しては、国籍によって不思議なほどのばらつきがある。最も避難する
傾向が高いのは欧州大陸の出身者で、これは恐らく放射線に関する考え方の違いを反映したもの
だろう。
それでも、こうした大きな流れの中で、多くの痛みを伴う決断が下されてきた。トレーダーの
ブライアリーさんは7年前、妻と3人の子供を連れて日本にやって来たが、「自分は正しいことを
しているかと、自問自答する日々だ」と話す。
専門家の大多数が避難区域外の放射線リスクは無視できる程度だとしているが、それでも家族を
放射線にさらしているとフェイスブック上でブライアリーさんを非難する人もおり、そのため
こうした相手との付き合いを断たざるを得なくなったという。