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【震災から1年】 「ほうしゃのう、こわいよ」 福島に残った子供、外遊びも不自由。土や花にも触れず…子供にがん保険ほかける動きも
スレリンク(newsplus板)
周囲の子を持つ世帯は次々と避難し、この春、優花ちゃんと一緒に近くの幼稚園に通い始める
子は13人から2人に減った。「避難すれば仕事を失う」。美雪さんは何カ月も迷った末に残ることを
決めた。外遊びは数日おきに玄関先で20分ほど。「原発事故からしばらく、美雪の顔つきは
変わっていた」と智子さんは振り返る。
均さんは「放射能という言葉を優花はすぐに覚えた」。外に出たがる孫のためにアニメを一日中
流す衛星放送に加入した。智子さんはやむを得ず外へ連れ出す時、背におぶう。地面に下ろすと
土や草花に触ろうとする。そのたびに「だめよ」と小さな手をつかむ。
事故後、炊飯器で2種類のコメを炊くようになった。以前は均さんが収穫するコメをみんなで
食べていた。新米から放射性セシウムは検出されなかったが、美雪さんは原発からより離れた
喜多方産のコメを娘に与えている。