14/05/21 23:27:04.21 BnWvgCuv
>>408
まだ「1960年代のほうが放射線は多かった」説を唱えるバカがいるのか。
1960年代の放射線濃度は今の1万倍?
URLリンク(www.asks.jp)
以前から気になっていた「1960年代の空中放射線濃度は現在の1万倍」の話。
週刊誌とかに載っていた気がするが、有名所ではたとえば東北大学の中村尚司名誉教授が言っているらしい。
原発業界御用学者リスト @ ウィキ - 中村尚司
URLリンク(www47.atwiki.jp)
この「空中放射線濃度」ってなんじゃらほい?と。たとえば空中にガイガーカウンターを掲げて測定すると、現在の1万倍の値を示したのだろうか?
現在の自然放射線量を年間1ミリシーベルトだとすると、1960年代の頃は10シーベルト(ミリじゃなく)だったのだろうか?さすがにそんなことはないだろう。死ぬってば(苦笑)。
もとの話はこれだろう。
「あなたが子供だった時東京の放射能は1万倍!」週刊新潮記事を読む - Ddogのプログレッシブな日々 - Yahoo!ブログ
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
月あたりの放射性降下物の量なのだ。グラフを見ると、たしかにここ10年ぐらいと比べて1965年頃は1万倍だ。
ただしあくまでこれはひと月あたり降ってくる放射性物質の量。言い方を変えれば毎月増えていく放射性物質の量だ。
で、シーベルトに換算すると、1960~1970年代の被曝量は数十マイクロシーベルトだという。この意味が不明確で、1年あたりの被曝量が数十マイクロシーベルトなのか、1960~1970年代の20年間の累積被曝量が数十マイクロシーベルトなのか、文章からはわからない。
とはいえ1年あたりであっても20年分に積算しても1ミリシーベルト前後だろうから、たいした量でない。
ここまではいいのだが、ここから雲行きが怪しくなる。茨城県ひたちなか市で原発事故の直後の2011年3月20日の9時から翌日の9時までの1日でセシウム137が1万3000ベクレル/平方メートルも降ったという。
1960年代の年間降下量が1000ベクレル/平方メートルだから、1年分の量の10倍が1日で降ったわけだ。ただし翌々日にはかなり減ったらしい。
セシウム137の半減期は長いからすぐにはなくならない。別に月当たりの降下量などどうでもよく、重要なのは降り積もった結果だ。地表にあり放射線を出すセシウムの総量が重要なのだ。
ひたちなか市の3月19日から31日までのセシウムにより累積被曝を計算すると0.43ミリシーベルトになるという。記事が4月だから3月31日までしか計算してないのだろうが、セシウムの被曝はこの先も続く。
同じペースで被曝すれば1年で12ミリシーベルトになるはず。通常の約10倍だ。ちなみに東京は3ミリシーベルトになる。