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2012/08/26 10:01 朝鮮日報 池海範(チ・へボム)中国専門記者
【コラム】「桂・タフト協定」の影差す米国の動き
日露戦争開戦直後の1904年2月、金子堅太郎という日本人が米国に特使として派遣さ
れた。長身で美男子だった金子は福岡藩士出身で、青年時代に明治政府初の海外留
学生に選ばれ、ハーバード大学で法律学を学んだ。当時、同じ学科で学んだセオド
ア・ルーズベルトという学生がいたが、ルーズベルトはハーバード卒業から23年後、
米国の大統領になっていた。同窓生に会うために太平洋を渡った金子は、流ちょう
な英語と洗練された行動、白人好みの論理でたちまち米国世論を制した。
アジア人初の米国ロビイストとも呼べる金子は、日本を「米国文明の執行者」と宣
伝し、ルーズベルトの心をつかむことに成功した。その後、まるで自宅のようにホ
ワイトハウスに出入りした金子のロビー活動は、翌年7月に桂太郎首相と米国のウ
ィリアム・タフト陸軍長官の間で秘密協定を結ぶまでに至った。
世界を見事にだました桂・タフト協定は、後日の歴史家が示したように、米英日3国
同盟を基盤として米国はフィリピンを、日本は韓半島(朝鮮半島)を占領すること
を相互に認めたもので、韓国国民に苦難の歳月を強いた。
振り返ってみるとこの協定は、1世紀前に超大国として浮上した米国が「日本」をア
ジア戦略のパートナーに選んだ歴史的決定だった。両国の好戦主義者たちが作り出
したこの構図は、現在も変わっていない。
最近の韓日間の対立をめぐる米国の態度には、1世紀前の「桂・タフト協定」の影が
ちらついて見える。米国は、東海(日本海)表記問題で「慣行」を理由に日本の肩
を持った。米国は、サンフランシスコ講和条約の当事者として、独島(日本名:竹島)
をめぐる対立とは決して無関係ではないにもかかわらず「韓日が対話を通じてうま
く解決せよ」と身を引いている。