12/07/31 21:08:48.99 U0cz2bBC
>>317
>①内容
これは既にK-K氏が解説済みだな。
>②公文書?
当該原本は、藤沢藤一郎氏が所有していた。
藤沢氏によれば、同氏は南京戦の後、軍曹に昇進し大隊本部勤務となり、昭和14年8月に内地で部隊が解散したという。
この時、同じ戦闘詳報の写しが部隊には2通以上あり、それを記念としてもらったようだ。
≪戦闘詳報の保存経緯≫
正規の戦闘詳報は、直属上級指揮官と軍隊区部による上級指揮官に各1通づつ提出することになっている。(作戦要務令)
歩六六Ⅰに保管されていた物なのだから、それ以外の当該部隊用の写しと推測される。
藤沢氏が所有していたのは、この写しだったわけだ。
この経緯には何等不思議なことはない。
≪記憶について≫
それと当事者の記憶だが、「記憶にない」ということは事実を否定する理由にはなり得ない。
一方で、記憶に留めている者もある(水沼兼吉証言、田波希平証言)ことは、戦闘詳報を裏付けている。
戦闘記録に残しているように、捕虜殺害に対する法的・人道的な意味での禁忌感が欠如している点は注目すべきだろう。
日本軍にとって、捕虜殺害は特別な行為ではなく、記憶には残らない行為の一つだったことを意味する。