09/04/18 12:12:20 +zJ+Nh/p
北の拉致やミサイル発射もいつかは忘れるというつもりか?>>1は。
22:日出づる処の名無し
09/04/18 12:30:38 ie6EhALq
>>21
既にその傾向はあるだろ。
23:日出づる処の名無し
09/04/19 12:16:53 Dwv9HYov
韓国のベトナム戦争への対応「償いは必要ないあれは戦争だった」
スレリンク(news2板)
24:日出づる処の名無し
09/04/19 12:28:48 QZraacaK
>>21
いつかはそうしないと戦争が終わらないでしょ。
だから国交正常化する時には、お互いに過去のことは忘れましょうと約束をするもんなんですけどね。
日韓基本条約でもそのようになっている。
25:核心 ◆F0BnXIzFsY
09/04/19 12:40:38 omdW1qK9
コピペ
>戦争賛美してるのはお前じゃねえか。
戦争を美化している、が正しいのかなあ。
別にあのころの戦争の現実って、こんなものだよ。
写真であのころを知っているので「東史郎日記」はとても面白かった。
「おくりびと」を見て「納棺夫日記」を読んだけど、それに近いものがある。
東日記に何回も出てくる蛆虫の話はアフリカの飢餓にも通じるリアリティ-がある。
(「東史郎日記」の感想です。)
26:核心 ◆F0BnXIzFsY
09/04/20 00:57:27 ESQXxMvq
コピペサービス
防衛研究所戦史部が南京を否定する理由(1)
私の予想したとおり防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ていました。
ネットからですが
「GSが片山・芦田両内閣を、G2が吉田内閣を支えており、政権交代や昭和電工事件の要因にはGSとG2の闘争があったといわれる。
逆コース以後は国務省の後押しもありG2の力が増した。」
以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。
この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(私はこれをネットで「アメリカは苦笑、中国は爆笑」、と揶揄しています。)
27:核心 ◆F0BnXIzFsY
09/04/20 00:58:09 ESQXxMvq
コピペサービス
防衛研究所戦史部が南京を否定する理由(2)
防衛研修所戦史室の源流
...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。
一方、「服部グループ」は、史料整理部を中心にして、「大東亜戦史」の編纂にも、大きな力を注いだ。
この点について、二代目の戦史室長をつとめた島貫武治は、次のように書いている。
史料整理部の陣容は俊秀をもって当てられ、服部卓四郎、...
28:核心 ◆F0BnXIzFsY
09/04/20 00:58:51 ESQXxMvq
コピペサービス
防衛研究所戦史部が南京を否定する理由(3)
...著者は服部卓四郎となっているが、「実際は各戦域の作戦参謀級の幕僚が、分担執筆し、稲葉正夫(四二期、
終戦時陸軍省軍務局軍事課員、中佐)がまとめたもの」であり、服部周辺の旧幕僚将校による合作だった。
そして、「後にこの整理部から多くの人が、貴重な史料とともに戦史室に転用され」、戦史室の中心を、これらの旧幕僚将校が占めるようになったのである。
...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
29:日出づる処の名無し
09/04/23 08:30:31 AGGutuQ+
大人になりたくない子供。
むしろ単なる乞食。品性下劣はDNA。
30:日出づる処の名無し
09/04/23 11:13:58 4sG26Hwn
>>1
まじかよ~
そのことはもっと宣伝しないとな
31:核心 ◆F0BnXIzFsY
09/04/25 23:02:28 YI5f1BRS
コピペサービス
2006年に栗原利一のスケッチブックに手を出して、失敗した森松俊夫氏、この方は東史郎裁判を計画した方でもあったのです。
損壊の跡だけを明白の残して、誰でもネットで確認できるほどの跡を残して。
以下は「加害と赦し、東史郎裁判と南京大虐殺」(2001年6月25日、㈱現代書館)から森松氏に関する文の抜粋です。
その時に「東さんを名誉毀損で裁判にかけると言っておりますよ」
「誰が言うてんのや」
「もと偕行社の森松少佐です」
「...森松は知らん。知らんけどかまへん。...
...この男が森松俊夫陸軍少佐。
こいつが私を告訴しようということで偕行社で相談しとったのが、昭和六十三(1988)年やな。
結局、平成五(1993)年になってから提訴した。
だから五年間告訴するネタを探しとったということや。
ついでに言うと笹川陽平氏が南京大学で講演、私が予想したとおり中国共産党は日本の右翼の親玉と手を結んだのです。
中国共産党に南京の真実なんか映画にできるハズはないんですよ。
『南京!南京!』には善玉役の日本人も出てくるなんて、これぞ中国共産党のプロパガンダじゃないですか。
32:核心 ◆F0BnXIzFsY
09/04/25 23:21:33 YI5f1BRS
コピペサービス(防衛研究所戦史部が意図的に軍事史を捏造したことを中国や日本の歴史学者が問題にしているのです。)
戦史叢書と南京大屠殺記念館の差
結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ています。
以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。
防衛研修所戦史室の源流
...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、
周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。
一方、「服部グループ」は、史料整理部を中心にして、「大東亜戦史」の編纂にも、大きな力を注いだ。
この点について、二代目の戦史室長をつとめた島貫武治は、次のように書いている。
史料整理部の陣容は俊秀をもって当てられ、服部卓四郎、...各大佐、...各中佐、...少佐等で、
わが国においても政府による正統の大東亜戦争史を編さんすべきであるとの願望を抱き、 史料の収集整理に努めるとともに、昭和二十八年には大東亜戦争全史四巻を世に発表した。
...著者は服部卓四郎となっているが、「実際は各戦域の作戦参謀級の幕僚が、分担執筆し、
稲葉正夫(四二期、終戦時陸軍省軍務局軍事課員、中佐)がまとめたもの」であり、服部周辺の旧幕僚将校による合作だった。
そして、「後にこの整理部から多くの人が、貴重な史料とともに戦史室に転用され」、戦史室の中心を、これらの旧幕僚将校が占めるようになったのである。
...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
(皮肉なことに父が65連隊だったものですから、服部氏が最後の連隊長を務めた65連隊の2万人の捕虜殺害が一番明確に事実が解明されています。)
33:核心 ◆F0BnXIzFsY
09/04/26 12:43:50 8YUNN0sJ
超鈍感力の持ち主、核心です。
東史郎裁判関係の本を読んで防衛研究所戦史部側と右翼メディアのつながりが決定的であることが判りました。
家に板倉由明氏の書簡が山ほどあるのですが、板倉氏戦史部側とのつながりを示すものは家にはあまりありません。
それが「加害と赦し」の中に、森松俊夫氏と板倉由明氏の裁判への関係が詳細に述べられていて、彼らが結びついていることが分かりました。
私は東氏は中国共産党のプロパガンダに利用された部分が多分にあるとは思いますが。
34:日出づる処の名無し
09/04/30 17:25:50 B5oaJQot
中国人女性のすばらしさを語ろう!
スレリンク(china板)l50
35:日出づる処の名無し
09/05/01 00:16:10 ITVsQ28x
反日は、日本ではなく中国・朝鮮を陥れるための罠だからなw
昔の日本人はアジアのために戦ったのに、それを味方に出来なくなった、
中国・朝鮮はみごとに策略にはまってしまった。
本当に馬鹿だよな。
中国と朝鮮は反日を選択した時点で、欧米の植民地への逆戻りが確定した。
36:日出づる処の名無し
09/05/01 09:15:33 CFgaUL3o
いいこというね
37:日出づる処の名無し
09/05/01 10:06:49 MiKelVfW
中国は日本の技術欲しさに反日を制御し始めているね。
嫌中が牽制して媚中派がやりすぎなければ良いんだから大丈夫だろ。
上下朝鮮が自滅路線を歩んでるね。
38:日出づる処の名無し
09/05/01 13:09:18 IgeiRn3/
特定アジアには時効という概念が存在しないんだよ。
39:日出づる処の名無し
09/05/01 15:06:41 1wKn4CGs
いや永久に恨んでもらってけっこうだが。
ていうか中国や韓国には嫌われたほうが嬉しいが。
40:日出づる処の名無し
09/05/01 15:41:59 6ls5yrNc
そもそも大人扱いのまえに
人扱いしてもらっちゃこまる
41:核心 ◆F0BnXIzFsY
09/05/05 08:15:45 D59qIvAS
コピペサービス
「南京大虐殺研究札記」の小俣行男氏の記事の元本の「侵掠」(1982年、現代史出版会、徳間書店)を読んだところです。
南京大虐殺
”上海支局に着いたその夜、二人の連絡員が南京から帰って来た。現地採用の武田と畦崎だった。側車をつけたオートバイを飛ばせてきたので...
「寒いの、なんのって-」。
頬がこわばって口がきけないほどだった。二人とも南京陥落(昭和12年12月13日)後はじめての帰還だった。ちょうど一ヶ月目である。...
捕虜も全部で10万人くらいいるらしい。最初に入城した部隊が、「この捕虜をどうするか」と軍司令部に聞いたら、「適当に処分しろ」という話だった。...
そこで、揚子江岸の下関へ、捕虜を連れていって首を切った。
最初の列の処刑が終わると、次の列を前進させて、死体を前に投げ込ませて、それから前と同じように一列にならべて処刑した。
こうして朝から晩まで、つぎつぎに首をはねたが、一日に二千人しか斬れなかったという。...
二日目には手が疲れてきたので、機関銃をかつぎ出した。
河岸に向って一列に並ばせて、ドドドドッと、重機関銃の引き金を引いた。
捕虜たちはいっせいに河に向って逃げ出したが、岸までたどりついたものは一人もいなかったという。...
揚子江には中国兵の死体がいっぱい浮き、河の水は真っ赤で正視できぬ惨状だった、という。...”
私が小学三年生の時に、父が話した身振りは以下のようなものでした。
父は坐ったままで刀を(実際の刀は持たずに)思いっきり上から振り下ろす動作を数回繰返した後で
「さすがの揚子江も真っ赤になった。」といって高笑いしていました。
父は首を斬ることをもっぱら担当していたのだと思います。
父は当時26歳で剣道三段でした。
「岸までたどりついたものは一人もいなかった」ので65連隊の一方の処分(=虐殺)現場の死体の山となったのです。
42:日出づる処の名無し
09/05/09 16:51:17 34PwQdrP
うい
43:日出づる処の名無し
09/05/10 00:03:30 Mr9+z7EW
中国は世界侵略、堂々続行中ですが!!
44:核心 ◆F0BnXIzFsY
09/05/10 04:51:21 18Epdmtq
コピペサービス (これは日本の民主主義の問題です。国民主権国家の国家機関である防衛研究所戦史部が歴史を捏造している。)
戦史叢書と南京大屠殺記念館の歴史認識の差
結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ていました。
この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)
以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。
防衛研修所戦史室の源流
...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。
一方、「服部グループ」は、史料整理部を中心にして、「大東亜戦史」の編纂にも、大きな力を注いだ。
この点について、二代目の戦史室長をつとめた島貫武治は、次のように書いている。
史料整理部の陣容は俊秀をもって当てられ、服部卓四郎、...各大佐、...各中佐、...少佐等で、わが国においても政府による正統の大東亜戦争史を編さんすべきであるとの願望を抱き、
史料の収集整理に努めるとともに、昭和二十八年には大東亜戦争全史四巻を世に発表した。
...著者は服部卓四郎となっているが、「実際は各戦域の作戦参謀級の幕僚が、分担執筆し、稲葉正夫(四二期、終戦時陸軍省軍務局軍事課員、中佐)がまとめたもの」であり、
服部周辺の旧幕僚将校による合作だった。
そして、「後にこの整理部から多くの人が、貴重な史料とともに戦史室に転用され」、戦史室の中心を、これらの旧幕僚将校が占めるようになったのである。
...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
(皮肉なことに親父が65連隊だったものですから、服部氏が最後の連隊長を務めた65連隊の2万人の捕虜殺害が一番明確に事実が解明されています。)
45:日出づる処の名無し
09/05/10 05:36:52 DHFWG33B
また異次元の人か
46:日出づる処の名無し
09/10/25 09:01:00 VXozyA9y
大人の合意っておもいっきり日本独自の考え方
47:日出づる処の名無し
09/10/25 22:12:55 fjbRDNtU
過去を妄想するのがバカチョン人のやり方。
48:日出づる処の名無し
10/05/14 21:06:19 j5nFuh7q
王大人の合意
49:日出づる処の名無し
10/09/21 08:26:07 wzBdgNeP
うむ
50:日出づる処の名無し
10/12/26 12:47:33 5rC1RsGd
【韓国ブログ】韓国人が語る、「中国人が騒がしい理由」
中国で留学したことがあると語る韓国人ブロガーのキスザドラゴン(ハンドルネーム)氏は、
自らのブログに「中国人はなぜ騒がしいのか」と題した文章を掲載し、中国人の「騒がしさ」に
ついて考察した。
キスザドラゴン氏は、「ほとんどの韓国人は中国人に対する印象が良くない」とつづった。
その理由については、「中国人は汚い、中国は共産主義国家などいろいろあるが、中国人が
話をすると騒がしいことも原因のひとつ」だと指摘する。
筆者は、中国人が騒がしいのは3つの理由があると語る。まずは、「中国人はバスや
地下鉄などの公共場所で、周りなんか気にせずに大声で通話する。数人の中国人が話して
いると、まるで喧嘩でもしているように見える。とにかく中国人は大声を出して話す」
とし、中国人のマナーの低さを挙げた。
また、「中国人は話をする際、事前に準備でもしたように歴史や政治など、さまざまな
話題を取り上げながら会話を続けていくため、会話はますます長くなる」と述べ、中国人の
話題の多さについても論じた。
最後に、「中国語は韓国語とは異なり、発音の高低によって意味が変わる音韻体系を
整えている。中国語の発音には4声があり、声が2倍になる効果もある」とし、このような
中国語特有の声調で話する中国人は騒がしいとの見方を示した。(編集担当:永井武)
URLリンク(news.searchina.ne.jp)
51:日出づる処の名無し
11/05/25 20:16:46.28 Tev5i1vQ
朝鮮人に指摘されたらおしまいだな。
52:日出づる処の名無し
11/05/25 20:33:24.23 LIntEY1Q
>>21
過去にあった事と現在進行形の事の区別がつかない
朝日新聞読者ww
53:日出づる処の名無し
11/05/26 03:28:23.70 cDpCKTnt
ちょっと違うと思うな
日本は再びアメリカに歯向かうってのは100年単位で考えないとありえないが
中国韓国は日本を許すとかいう感覚は一切育ってなくて、逆に侵略なり復習を
したくてしょうがないんだよね、だから中韓と日本が分かりあえる時は永遠にこない。
54:日出づる処の名無し
11/10/05 01:33:43.12 f1WItSWp
83年~2009年 最高期
87年~2003年 安定最高期
89年2001年 文化大成期
89年~93年 文化大成期 成長期
94年~98年 文化大成期 華期 96年~97年(97年)黄金期
99年~2001年 文化大成期 終盤期
55:日出づる処の名無し
11/10/05 09:10:11.73 BwjBUhkq
すべて、日本から金を引き出すための道具さ。
56:日出づる処の名無し
11/10/05 09:14:56.29 5tUCGQq3
日本には忘れなきゃならない過去なんてないぞ
恥ずかしい過去を隠してるのは中韓のほう
57:日出づる処の名無し
11/10/06 22:58:22.00 Aw3dasLn
>>55
まぁ江沢民もそう言ってるシナ。
58:日出づる処の名無し
11/10/07 12:49:28.75 sV81bnV6
日本が中国に勝てると本気で思いますか?4(中国板)
スレリンク(china板)
元中国人で現在は日本国籍の王偉が新スレが立てたぞ!
59:日出づる処の名無し
11/10/08 18:35:07.37 kn18Lhr/
移民政策やるならコーカソイドか黒人がいいと思うけどね。むしろ
彼らだったら歓迎してもいいんじゃない?
コーカソイド(インド系中東系南米系)だったら容姿が美しく頭がいい。
黒人だったら身体能力がすばらしく勤勉でやさしい。
おまけに黒人は韓国人が大嫌いだから日本の在日を成敗してくれそうだし。
今の日本人は特亜よりはましだけど容姿はお世辞にも美しいとはいえなく
頭もコーカソイドよりは悪い。身体能力にいたっては悲惨。
コーカソイドや黒人の血を入れることは日本人のだめな部分を改善してくれるし
結構いいことなんじゃね?
60:日出づる処の名無し
11/10/08 19:08:14.10 f7DxJZf5
過去を忘れないしか能力ないから仕方ないよ
61:日出づる処の名無し
11/10/08 19:17:33.02 JmbNdo1v
>>60
記憶力はないけどね、みんな忘れちゃって覚えてるのは自分に都合よく改変しちゃった過去もどき。
62:日出づる処の名無し
12/03/05 22:33:22.45 3OtiXN89
李明博「金よこせ」
63:日出づる処の名無し
12/09/25 10:03:45.56 hTiiIFVb
ん
64:日出づる処の名無し
12/09/25 10:21:27.86 TIDtU6lA
戦後補償は当時の中国政府、韓国政府の希望で長年にわたる
経済支援という形でちゃんとすんでるのに、
それを国民に知らせない中国と韓国
慰安婦は賠償請求するなら自分とこの政府に請求すればいい