09/01/10 21:45:58 6pQqc+J4
ソース 正論の最新号 54~55ページ URLリンク(www.sankei.co.jp)
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田母神論文に対するマスコミの反応は常軌を逸していた。
自衛官は村山談話と異なる考えを一切持ってはならない、とする論調まであった。
自民党が野党に転落するまでは、どの首相も侵略という言葉を使っていない。
竹下さんも踏みとどまっていた。
ところが村山談話以降、政権が代わるたびにその継承を迫られるようになった、まさに踏み絵だ。
だから私は村山談話に換わる安倍談話を出そうとしていた。
村山さんの個人的な歴史観に日本がいつまでも縛られることはない。
その時々の首相が必要に応じて独自の談話をだせるようにすればいいと考えていた。
むろん、村山談話があまりにも一方的なので、もう少しバランスのとれたものにしたいという思いがあった。
ところが、とんでもない落とし穴が待っていた。
平成十年、中国の江沢民国家主席が訪日した際の日中共同宣言に
「(日本側は)1995年8月15日の内閣総理大臣談話(村山談話)を遵守し、
過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し・・・」
という文言が盛り込まれていたのです。この共同宣言、53年の日中平和友好条約についで
中国が重視していますから、日本が一方的に反古にすることは国際信義上出来なかったのです。
しかし、「政治が歴史認識を確定させてはならない。歴史の分析は歴史家の役割だ」と国会で答弁した。
野党からは「それでは村山談話の継承とはいえない」と批判されましたが、
戦後レジームからの脱却がいかに困難であるか、改めて実感しました。