12/05/30 00:43:37.68
ミスチルもAKBの曲も何一つ救いのない音楽だよ
実際には現実には絶対あり得ないことを、思いっきり細部までこだわった現実的日常として描くなんて、商業音楽的に反則以外の何物でもない
ファンタジーの世界、少女マンガの世界ならそこにはフィクションとしての前提があり、それにそくした側面があるから見る側にも救いがあるだろう
それは受け手が始めから嘘の世界だとして見ているからだよ
例えば鬼面組や彼氏彼女の事情など、初めからネタの世界でしょ?
ドラマや映画なら監督が居て役者が演じている裏部隊が前提としてある
ところがミスチルやAKBの音楽にはそれらが一切ない
聴く者は最初の導入から始まり、彼らの歌詞は日常の世界として知らずしらずのうちに現実世界に入り込んでしまう、そこから恐るべき浸食が始まっているんだよ
最後まで完璧な日常の世界として描かれている彼らの音楽は、最後まで聞いたものを恐ろしく洗脳させる、そして聞いたものは大いなる錯覚をする
「これが本来の現実の世界ではないのか?」
そこに描かれているものは何であろう?
勉強もせずに恋愛や夢に居ち込む女の子?
親や兄弟や同級生にも反対されずに壁にもぶつからずに彼女と向き合う彼氏?
その二人により描かれている当たり前のように存在する恋愛の世界?
「いいなぁ、こんな青春、これが本来あるべき青春だったんだ
するとオレの学生生活ってなんだったんだろう…」
そして聴いたものの中に、本来ならありえなかった世界が正当化され、従来の当たり前だった現実が否定される、本来持っていなかったものを持っていたかのように錯覚させ、それを否定する
こんな残酷な作品はない
現実を錯覚させることがそもそもの悪であり、現実を否定させることはもっと悪である、桜井和寿や秋元康は世の中の人間にとって悪である
音楽史上あんな罪作りな作品群は他に無いであろう
これがミスチルやAKBが売れる事のカラクリなんだよ
そして、まさに今、その風潮に反旗を翻して
「社会は矛盾に溢れている、生きることは辛いんだ、それでも世界は美しいんだ、人間はこんなにも優しいんだ」
と世界にメッセージを訴えているのが浜崎あゆみと言う“ジャンヌ・ダルク”なんだよ