12/01/14 11:00:09.77
>>266の続き
流れで見ていけば、自作曲をシングルで切り始めるタイミングが
対宇多田を強く意識したものであったことがよく分かるだろう。
【自作曲名義を軸とした浜崎のイメージ戦略の流れ】
・99年宇多田が10代にして作詞作曲をこなすと評判、社会現象に
・同年、林檎・aikoら新世代の女性シンガーソングライターが続々大ブレイク
・99年末~00年には更に倉木・小柳・鬼束・矢井田がブレイク…と若手女性シンガーは飽和状態に。
作詞はもはや当たり前、作曲も手掛けられることが若手女性歌手の新標準となっていく。
・00年末、浜崎が謎の新作曲家CREAの書いたシングルMをリリース
CREAが浜崎の飼っていたペットと同名だったことから発売前から既に一部ファンの間では浜崎自身なのでは?と憶測を呼ぶ
・発売後、CREAが浜崎の作曲家名義であり、Mが浜崎初の作曲に挑戦??した曲であることが大々的に公表される
・01年初頭、宇多田の2ndオリジナルALに対しなんと浜崎が初のベスト盤で対決を仕掛けることが明らかに
・同年1月浜崎は更に自作曲??Evollutionをシングルリリース
・同年2月末ついに直接対決。これを機に、女性アーティストシーンは二大歌姫体制と呼ばれる状況へ仕立て上げられていく
・02~04年の間にリリースされた浜崎の全シングルおよびオリジナルアルバム3枚における
収録曲は作曲CREA名義が多数を占める。
・04~05年にかけて宇多田が全米進出の失敗等の原因で売上を落とす。
・特に2005年9月時点でシングルのセールスパワーでは宇多田が浜崎を下回ることに。
・まるでこの情勢に呼応するかのように(笑)、浜崎側の宇多田への対抗姿勢が軟化したのか
2005年9月を最後に、突如CREA名義の新作が激減し、殆ど見かけなくなる。もはや笑うしかない。