14/07/22 00:32:57.18 nnE+Ivsj0
ちょっとだけ検索して、思いついたこと。
あるブログで、大竹しのぶさんが「脳をイメージしてそこへいく」と表現されていたとあります。
現象としては、あらゆる表情、仕草が、役の人らしくなる。
アドリブを振られても、役の人らしい反応ができる。
このような状況を、「憑依」とした場合、あらゆる役者がそのゾーンに到達しようとして、でも、そこまで評価される人は限られる。
能年さんのインタビューを読んでいると、役柄の言動などから、その言動のもととなるキャラクターの考え方や性格を分析して理解しているように感じます。
多くの役者さんもされるのでしょうけど、大笑いと爆笑の違いにこだわるぐらいのアプローチで。
憑依したとは言っても、100mを10秒で走れるわけでなく、初見の数学の問題をすらすら解ける訳ではなく。
ガサツな人が、優雅な所作を突然できる訳でなく。修練として日舞とか何やらを鍛えていればこそ、優雅な役を演じられる。
このスレで言えば、表情筋を鍛え、表情のバリエーションをストックしてあるから、表現できる幅を広げることができる。
それと、ある程度同じ役を演じ続けて、なじむのも一要因かなと思いました。
自転車を初めて乗ったときは、うまく乗れなくて、一生懸命練習して、ナチュラルに乗りこなせるようになって。
能年さんも、台本を渡された瞬間にその役になりきれるわけでなくて。
キャラクターを分析し、そのキャラクターに合った表情、仕草を研究し、監督や共演者などと相談して役を作り上げて。
そして、画面で見るときには、その役が憑依しているように見えるような演技をしている。
かな、と勝手に思いました。
ただ、これだと、今回の話の発端の、紅白で堂々としていたことの分析(?)には足りない。