24/05/03 17:08:52.00 Q4V2+5j2.net
>>527
続)
これもいみじくもこたつぬこ先生による指摘なんだけども、脱原発運動の参加者は有象無象だったと。それが今に至るまでに逆方向の排他性に向かうようになり、限界左様と呼べる所まで来てしまっていると。
…そう言われればそうだし、腑に落ちるね。なぜそうなったかも察せられるし、当事者の大半が「それでええがな」と疑問も持てないでいるのも肌身でわかる。
しかしそのもう片方の手では野党共闘をやりたがり、人民戦線の夢も見る。深いところで考えてみると、それは3.11の頃と同じ構成要素のままなんだろうかという疑問も出てくるね。
自然発生的な脱原発運動がうまくトレースされ言語化されているのか?なぜその経緯において、限界系と呼べるような排他思想が必要だったのか。
そこからのアウトプットとして「投票率低い方が野党に有利」という能動的な策謀も出てくるようになぅた。共産党の野党共闘のぶち上げを当時下支えしていたのは「死票で政権交代可能ではないか」という論理だったんだけどね。これが繋がってると言えるのかどうかだよね。