18/04/15 11:55:04.86 lr3q1cSW0.net
>>277
それを多数派として>>274 を「少数派」として分けられないかを探りたい。希望的観測という気はする
表現の自由にかかることを「政治案件」化して切り離すのはヘタレだと思うけど、
>刑法175条(性器修正)に反対してます。
から、自由戦士多数派のする表現の自由の財産権的側面と、少数派にはあるとわたしは思ってる「表現の自由の生活権的側面」への視点の差というか
URLリンク(twitter.com)
>海賊版サイトブロッキングの政府方針が出ました。(中村伊知哉) - Y!ニュース
>2018年4月14日
>URLリンク(news.yahoo.co.jp)
>>ブロッキングについて政府は法的リスクを負い、ゴーサインを出す。
>>ただし、民間に対しては要請も行政指導もしない。
>>ISP+コンテンツら民間側で対応を決める。その場を政府が用意する。
>>同時並行で法制度を整備する。
>>--これが決定です。いま政府の取り得るギリギリの措置でしょう。
>>ブロッキングを指示ないし行政指導すると見られていた地点からみれば自制的だと考えます。
著作権絡みでISPがトラブる →行政がこういうの用意してたのになんで使わなかったの?
「やましいことがないなら検閲されても問題ないだろ」
自由戦士多数派は(より踏み込んだ内容でも)ブロッキングをのむと思ってるのだけどそれは
①創作の自由
②発表・流通の自由
を分けたときに、創作物もしくは創作能力を財産として、
創作の自由はその行為が観測しえないこともあることと相まって、「好きにすればいい」
発表流通は表現の自由市場において市場に適応しているならば露出する「機会」があるし、
その財産が「真に優れた」適応をしているのならば「たとえ検閲があったとしても」その表現は流通するだろう、
表現の自由市場では本来はその前提条件である「検閲の排除」すら流通取り扱い者がする値踏み・ディスカウント要素に過ぎなくなる
検閲されるリスクがあるから取り扱わないということに過ぎず、それは表現の自由の問題ではない