24/11/13 22:33:54.00 cbaFtsc5.net
境港市にはもともと昭和11年に建設された市営火葬場があり、美保関町も火葬を希望する人は境水道を渡ってきて利用していた
この火葬場が老朽化するとともに周囲の市街地化もあって移転を迫られた
美保関町も土葬から火葬への推進を目論み両市町の思惑が一致したため美保関町内に土地を求めて昭和39年に今の玉井斎場の裏手に旧玉井斎場が建設された
この頃には境水道大橋の建設に係る調査が進んでおり、境港市民は完成まで7年ほど渡船の利用を余儀なくされたが、大橋の建設は両市町の物理的、心理的な距離を縮めることにも大いに役立ち、玉井斎場組合の設立もスムーズにいった要因の一つである
なお、米子市にある桜の苑へは境港市中心部から20キロ余りあり、玉井斎場の倍ほどあるためこちらの利用は当初から検討されなかったと思われる