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加賀藩祖前田利家の正室まつゆかりの京都市大徳寺芳春院(ほうしゅんいん)は、本堂などのふすま絵の制作に取り組んでいる。
2017年に迎える、まつの没後400年の節目までに全てのふすま絵を描き終える予定。
作業には小松市の九谷焼作家北村隆さんが参加し、七尾生まれの絵師長谷川等伯の国宝「松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)」を参考に竹林を描き始めた。
まつの院号と同じ名前を持つ芳春院は、前田家の菩(ぼ)提寺(だいじ)で、臨済宗大徳寺派大徳寺の塔頭(たっちゅう)(寺院内の寺院)である。
利家の死後出家したまつが願主となって1608(慶長13)年に建立された。前田家の厚い庇護を受け、利家やまつ、3代藩主利常の肖像画を所蔵する。
絵を描くのは本堂と書院のふすま計100枚以上で、本堂は京都在住の日本画家竹内浩一さんが動物画を描く。
5部屋ある書院のうち3部屋は、すでに砺波市生まれの日本画家、下保昭さんが山水画を描き終え、残る2部屋を北村さんが担当することになった。
秋吉則州住職は、古くからの知人であり、加賀藩の地元に住み、竹を描くのを得意とする北村さんにふすま絵を依頼した。
北村さんは、等伯が描いた松林図屏風の空白の取り方を基に、知人の大阪在住の樫田竹明さんと共に、ふすま絵6枚に竹林を描いた。あと8枚にも竹林を描く。
2代藩主利長が芳春院の「客殿の絵」を等伯に描かせたことを示す古文書が、長谷川等伯ふるさと調査団団長の嶋崎丞(すすむ)県立美術館長の調査で確認されている。
ただ、文書には3代藩主利常が絵を狩野探幽(たんゆう)の作に替えたとも記されており、嶋崎館長は等伯の絵をイメージしてふすま絵を描くことについて
「現在の芳春院に等伯の作はなく、かつてあった姿を復元する一つの方法だ」と評価する。
秋吉住職は「前田家や等伯と関係のある石川の作家がふすま絵を描くことに縁を感じる」と語り、北村さんは「石川と京都の距離を縮めたい」と話した。
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