昭和特撮で昭和文化を語るスレ 2代目at RSFX
昭和特撮で昭和文化を語るスレ 2代目 - 暇つぶし2ch232:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 01:27:55.95 0eF+5jMo.net
リボルテックのMJ号は中に敵艦を収納する謎仕様

233:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 01:43:30.73 e3po60jh.net
この作品はターゲットが子どもだけでなく年齢層の高い子ども世代、あるいは
大人をも含めてたと思うね。特撮作品は怪獣やウルトラマンだけじゃないんだ
ということを示したかったんだと思う。だけど作品のできばえが今ひとつで、
結局子どもにも大人にも支持されなかったという不運はある。けれど、新しい
ものを生み出そうという気概は感じられた。世間一般にはヒットしなかったが
自分だけは夢中になった作品ってあるよね。そういう作品があるということは
新しい見方をしてた自分がいたということで、誇りに思っていいんじゃないの。
マイティジャックは現在ではけっこう評価されている一面もあるし、放送当時
はまだ時代が作品に合わなかった、追いついていなかったという考え方もある。
個人的には、世間でヒットしたかどうかなんてあまり気にしない。自分が素晴ら
しいと思う作品にめぐり逢えたならば、それは幸せなことだと思うよ。

234:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 02:00:51.38 e3po60jh.net
>>230
 当時、そういう子どもたちも多かったことでしょう。自分もその一人かも。
しかしMJ号は今も私の机の上で鎮座してるし、いまだに私の心の中で飛翔
している。作品の出来不出来はいろいろ原因があると思うけど、今さらそれを
追求しても仕方ない。それよりも当時自分が夢中になったあの気持ちを、自分
の生きる希望にしていけばいいと思いますよ。それこそが特撮作品の持ってる
大きな夢だと思うので。
>>232
 リボルテックは可動部分が売りのシリーズなので、どこかにギミックを入れ
たかったんでしょね。まあしかし艦橋内に敵潜水艦シャークスが入ってると
いうのはご愛敬ですな。制作者の遊び心。

235:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 13:13:27.90 XFpa92jY.net
マイティジャックは「戦え!マイティジャック」に変わってからの方が円谷
プロらしくて面白いという意見が多いね。まあこっちは怪獣は出るわミイラ
や大ワニは出るわで、もう開き直った感がするぶっ飛んだ内容になっている。
個人的に好きなのは「マイティ号を取り返せ!」の前後編。ゲストに森次さん
を招いての一大娯楽巨編。森次さんの役名が弾超七で、MJ号の修理に胸から
赤いペンチをさっと取り出すなど、セブンのオマージュになっている。30分
番組になったのでテンポの良さが出て展開もスピーディになった。最初から
こういう内容で放送してたら視聴率も好かったかも知れないが、この路線変更
はやはり円谷プロとしては不本意だったかもね。

236:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 18:22:20.17 XFpa92jY.net
マイティジャックは「防衛」「建設」「救助」を目的として民間企業の出資で
設立された組織であるから、Qと戦うだけでなくサンダーバードのような救助
メインのお話があってもよかったと思う。スーパーメカは単にドンパチ敵と
戦うだけでなく困ってる人々を救うというのも立派な仕事。サンダーバードは
その点を実に細かくリアルに描いていた。潜水艦の戦いでは原潜シービュー号
の特撮が素晴らしい。SF戦艦メカはどれもいいね。

237:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 20:14:54.02 8zQcNnu0.net
原潜シービュー号 は好きだったなあ。
とくにおおきな事件がなくとも、ピッコーン、ピッコーンと
海中を潜行してる感じだけで楽しい海中の旅が感じられて心が癒された。
マイティジャックもあんなふうなゆったりした演出が出来たらよかった。

238:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 23:34:09.55 e3po60jh.net
「原潜シービュー号 海底科学作戦」(昭和42年より第2シーズンが放映)
「これは、科学の粋を凝らして作られた原子力潜水艦シービュー号の、21世紀
の世界を探る海底科学作戦である!」
わくわくするオープニングナレーションで始まるこの海洋特撮ドラマ、原子力
潜水艦シービュー号の特撮は素晴らしかった。それもそのはず、巨大なミニチュ
アを実際の水に沈めて水中撮影されていたのだ。手間ひまかかるこの手法は珍し
いものである。まあこの作品は近未来的なカッコいいシービュー号とリアルな
水中特撮のみが売りであると言えよう。お話の方は初期はまあまともな話が多いが
だんだん怪獣や巨人や亡霊や人造人間など何でもかんでも出てくるようになり、
奇想天外荒唐無稽なストーリーが続出した。
シービュー号はデザインがけっこうカッコよかったし、映像がリアルで本当に水中
にいるような気分になった。何よりもあの「カコーン」という水中ソナー音は
すごく臨場感があっていまだに耳に残っている。このシービュー号、ミドリから
何種類もプラモが発売され人気だった。しかし参考にしたプロップが映画版の
ものだったため、2段窓のものしか出なかった。モーター版は防水部分が水漏れ
しまくり、お世辞にもうまく水中走行したとは言えなかったものである。

239:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 23:46:58.76 e3po60jh.net
このシービュー号、放送当時はコグレ、ミドリのプラモしか手に入らなかった
のだが、近年メビウスモデルから素晴らしいできばえのプラモが発売されて
いる。TV版、映画版の2種あり、その大きさは何~と1メートル!
今わが家の玄関に飾ってあるが、何といっても大きいので大迫力。しかもディ
テールやプロポーションはプロップそっくり。素晴らしい。同じシリーズで
飛行艇フライングサブも出ている。このシービュー号のプラモを抱えてプール
に入れば、劇中に登場する海底の巨人になった気分。(笑)
ほんまにいい時代になったものだ。

240:どこの誰かは知らないけれど
15/06/23 00:41:46.94 oauCnoPY.net
昭和43年は大映の2つの有名な妖怪映画が公開されている。
「妖怪百物語」と「妖怪大戦争」である。妖怪百物語は3月の公開で同時上映
は「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」。油すましや大首、からかさやのっぺらぼう
などの妖怪が画面狭しと活躍する。人間、とくに悪人を驚かすがその心は
正義の心を持っている。ラストの百鬼夜行シ-ンは素晴らしい名場面だった。
個人的にはからかさがお気に入りで、紙で模型を作った。
妖怪大戦争は12月の公開で同時上映が「蛇娘と白髪魔」(こっちも怖い)
西洋の大妖怪ダイモンと日本妖怪連合軍との一大決戦。こちらの作品は百物語
のようなおどろおどろさはなく、勧善懲悪の怪獣対決作品のようになっており、
実に楽しく面白い作品であった。しかし妖怪ダイモンは実に怖く、その眼は
大魔神にも入っていた橋本力氏のおっそろしい目玉であった。
この年はアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の第1シーズンが放送され、妖怪ブームの
年と言われた。その世相を反映してか、この年には「怪奇大作戦」「バンパイヤ」
「河童の三平 妖怪大作戦」などの怪奇ものが放送されている。

241:どこの誰かは知らないけれど
15/06/23 13:42:24.93 1a/rwaZD.net
>>238
 シービュー号は怪獣や敵に襲われてよくやられてたね。艦内がグラグラっと
揺れて乗組員がよろめいたり転がったり。その時に必ず計器類からバチバチッ
と火花が出る。このピンチシーン、何度見たことか。リアルではあったけど。
で、よく航行不能になって海底に沈んだりしてた。ほとんどは修理されて動く
ようになるのらが、一度だけ全く動かなくなって海底に横たわったまんまで
終わるという悲惨な話があったと思う。
このシービュー号、ミドリのプラモでは濃いブルーだったのでそういう色だと
思いこんでいる人も多いが、実際の色はグレーである。

242:どこの誰かは知らないけれど
15/06/23 14:07:13.84 1a/rwaZD.net
>>240
 妖怪百物語は全体の雰囲気が怖かった。おいてけえ堀で釣った鯉の血が
洗っても落ちない娘がろくろっ首に化けるのは気色悪かった。怖い作品の
一つである。ガメラ対バイラスは予算が減ったので怪獣対決の舞台がひとつ
だけになってしまった。バイラスにお腹を刺されるガメラが可哀そうでならぬ。
今の時代だったらNGになるであらう場面。この映画から有名な「ガメラマーチ」
が流れるようになった。バイラスの円盤は美しくグッドなデザイン。
 妖怪大戦争はダイモンは怖いが、日本妖怪はみなコミカルに描かれている。
作品的にはなかなかよくでけている。当時、駄菓子屋で油すましやからかさの
プラモを買ったものだ。5円ブロロマイドもいっぱい集めてたね。
特撮ではないがこの年にはあの有名アニメ「妖怪人間ベム」もスタートして
いる。昭和43年はまさに妖怪が子どもの心を奪った年であった。

243:どこの誰かは知らないけれど
15/06/23 17:57:59.45 1a/rwaZD.net
>>240
 「河童の三平 妖怪大作戦」と「バンパイヤ」はいずれも1968年10月の放映
スタート。河童の三平の方は金子吉延氏と牧冬吉氏の青影、白影コンビが再び
コンビを組む。ほんわかムードの二人ではあったが、お話の方は母親が記憶喪失
にされて人力車に乗せられてさまようシーンが妙に怖かった。出てくる妖怪も
怖いのがいた。
 「バンパイヤ」は水谷豊氏の事実上のデヴュー作。原作者の手塚治虫氏も
出演している。実写とアニメの合成作品で、トッペイがバンパイヤに変身する
場面がリアルである。その時に使った金色のコンタクトを水谷氏は今も持って
いるらしい。主題歌はカラオケに入ってるので歌いたい人は歌ってみて下さい
ませ。ワォ~~~~~~~ン!!

244:どこの誰かは知らないけれど
15/06/24 18:15:45.69 1mlcvsXi.net
話はいったん昭和32年に戻る。
個人的に、長いこと月光仮面(昭和33年)が日本初の特撮ヒーローだと思い
込んでいた。しかしながら、その前年に劇場版で「スーパージャイアンツ」が
制作されていたのだ。演じるは先年亡くなった宇津井健氏。全身を白いタイツに
まとい、地球に原水爆実験を直ちにやめるよう説得に来たエメラルド彗星の偉大
な人である。チラッと映像を観たことがあるが、宇津井さんはなかなかよく
アクションをがんばっていた。股間のモッコリを強調させながら(笑)敵を倒して
ゆくその姿はものすごくカッコよかった。映画は人気シリーズになり何作も続いた。
そのモッコリは翌年の月光仮面に引き継がれた。(笑)

245:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 09:30:27.84 /hn9FV+E.net
タイムマシンで昭和43年に帰還。
この年の特撮映画は妖怪ものの他に「怪獣総進撃」「吸血鬼ゴゲミドロ」
「昆虫大戦争」「吸血髑髏船」、外国作品では「2001年宇宙の旅」
「猿の惑星」などがある。
中でも怪獣総進撃は面白かったね。なんでも東宝がゴジラシリーズを終わりに
しようとしてたがゴジラの息子がヒットしたためシリーズが継続されたのがこの
作品。これまでの東宝映画登場怪獣が一同に集結している。ストーリーもテンポ
よく、登場スーパーメカのムーンライトSY-3号も実にカッコええのだが、唯一
許せない点が。「地底怪獣が凱旋門を破壊しております!」というアナウンスが
あるのに、なんで出てくるのがゴロザウルスやねん。あんなん地底怪獣でも何でも
ないじゃん。地底怪獣ならバラゴンでしょ。まあれは特技監督の有川さんが
ゴロザウルスがお気に入りだったためらしいけど、拙者はゴロ好きじゃないねん。
平成ゴジラもそうやけどどうもあの安丸さんの造型は好きになれない。あのシーン
で凱旋門を壊すのはやっぱしバラゴンであってほしかった。これだけが残念。
映画の出来は最高によい。

246:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 13:44:20.18 5P/2i3NL.net
当時は吸血鬼ゴケミドロって、どの層が見に行ってたの?
ギララの次に制作つー事で、普通は怪獣映画と思うんじゃないのかな
見に行った子供は相当のトラウマを負ったんじゃなかろうか

247:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 14:07:16.32 ZZ9DAsRM.net
ゴケミドロは深夜に見たことがあるな

248:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 17:42:35.58 /hn9FV+E.net
「吸血鬼ゴケミドロ」ねえ。昭和43年8月の公開。名前からして怖そうですねえ。
拙者は当時、観ていません。存在も知らなかった。後年TVで観たら、まあ
なんと気色の悪いこと。あの額の割れる「雪の降る町を」を歌ってるおっちゃんが
狂気じみてて怖いのよ。こんなん当時劇場で観たらションベンちびるで~
特撮はピープロが担当してるのね。ゴケミドロの円盤が宇宙猿人ゴリの円盤
に流用されたのは有名な話。
同じく松竹で制作された「昆虫大戦争」は11月の公開。こっちは観に行ったけど
巨大怪獣が出るわけでもなくよく分からない作品だった。高度に知能を持った
昆虫が人間を襲うというお話のようだが出てきたのは普通のスズメバチのような
虫で、怪獣が出ないともの足りなかった。

249:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 18:41:02.09 /hn9FV+E.net
68年7月の東映まんがパレードは「太陽の王子ホルスの大冒険」がメイン作品。
当時これ観に行ったけど、高尚な内容だったためほとんど覚えていない。よく
覚えてるのは同時上映のウルトラセブンとゲゲゲの鬼太郎だった。セブンの方は
「空間X脱出」ベル星人の回をそのまま上映したもので、カラーでウルトラセブン
を観たのは初めてだったと思う。この回に出てくるグモンガと東宝のクモンガが
ごっちゃになってよく間違えた。鬼太郎は有名エピソード「大海獣」の巻。
前年の67年7月の時はキャプテンウルトラの「バンデル巨人あらわる」が上映され
た。大画面で観るカラーのキャプテンウルトラは美しかった。あの頃、カラーテレビ
がだいぶ普及してきてたとはいえ、わが家にカラーテレビが来るのはもう数年あと
のことである。

250:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 19:36:11.75 ikM3PHBG.net
>>248 ゴケミドロの併映は「黒蜥蜴」完全に大人をターゲットにしたもの。
昔の新聞の縮刷版に、広告載ってました。
 自分は1977年ごろ、朝日テレビ(現ABC)の朝十時に視ました。
 誰に言っても信用してもらえないのだが、放送から1週間もたたないうちに
また放送したので、怖くて視なかったのですが後で友達に聞いたら
「話、違ったよ。」と言われた。
宇宙船でビデオ発売当時の記事に「~版とは別物。」という記事は見つけたが
雑誌ではない他の文献で、このことに触れたものは全く発見できなかった。
パイロット版を放送したという説が有力だが確認には至っていない。
 どなたか関西で当時視聴した方はいらっしゃらないでしょうか?

251:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 20:12:25.17 VMFJYYxh.net
スゲー濃い話だな
知らないけどこういう談義は好き

252:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 23:01:55.84 /hn9FV+E.net
>>250
パイロット版では毛むくじゃらで三本の腕があるゴケミドロらしいですね。
写真は昔の宇宙船に載ってるそうですが、そのパイロット版が放送されたの
でしょうか? 拙者はゴケミドロはその頃たしかに朝の放送で観ましたがそれ
は映画版と同じものでした。友人の方にどの部分がどう話が違ってたのか詳細に
もう一度聞いてみたらいかがでしょうか。パイロット版はおそらく時間的にも
短いものでしょうし、ふつうはTVで放送される可能性は低いと思うのですが。

253:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 23:33:44.00 /hn9FV+E.net
ゴケミドロは当時の子どもたちにとってもけっこうインパクトのある作品
だったようだね。映画公開当時、多くの小学生が「額が割れて変なものが
入っていくところが怖い」とか「何かが乗り移って吸血鬼になって襲われる」
とか話をしていたそうだ。真っ赤な空を飛ぶジェット機とそこに現れる謎の光。
冒頭のシーンが何ともシュールな映像で不気味である。当初は海藻でできた
怪物をゴケミドロにしていたが体を乗っ取られる系にしたという裏話がDVDの
特典映像に入ってるらしい。
不時着した場所が不明でまるで孤島に不時着したみたいに思わせておいて、実は
街中であったというラストが唐突でびっくり。お話は救いのないラストで終わるが、
個人的には大変怖い映画であり劇場で観る勇気はない。ほんま怖いでっせ~~

254:どこの誰かは知らないけれど
15/06/26 09:18:47.14 rydNc0gF.net
>>250
黒蜥蜴と併映してたの知らなかった
それで美輪明宏と高英男のエピソードにつながるのか
大人向けだったのね

255:どこの誰かは知らないけれど
15/06/26 13:08:51.29 UkmzjtLM.net
昔の特撮映画の併映は普通の映画が多かった。特撮作品オンリーの2本立て
などは珍しかった。(アニメ作品と2本立ては時々あった)
なので普通の映画の時は子どもが退屈して騒いだり走り回ってた。普通の映画
は付添いの大人向けだったのかも知れないが、大人もゆっくり映画を観る
雰囲気ではなかったね。

256:どこの誰かは知らないけれど
15/06/26 17:52:45.84 UkmzjtLM.net
時は流れ昭和44年(1969年)になった。この年は何といっても世界的な一大
プロジェィクト、アメリカのアポロ11号が人類初の月面着陸を成し遂げた。
7月20日、僕らは学校の先生が「みなさん、ちょっとテレビを観て下さい」と
言って観音開きの扉を開け、アームストロング船長が月に降り立つ世紀の瞬間
をこの目でしかと見た。新しい未来がやって来たのだとこの時われは思った。
それからしばらくはまさにアポロブーム。TVで特集番組はいっぱいあったし、
プラモでもいろんなメーカーからサターンロケットやアポロ司令船、月着陸船
などの模型が発売された。タミヤから出た司令船のプラモは後ろにプロペラが
付いててモーターで回転、天井からテグスで吊るしぐるぐる回るものだった。
動かしてたら天井に留めてた部分がポロっと外れ、アポロは壁に激突、大破した。キャ~!
このアポロブームは翌年の日本万国博覧会で最高潮となる。みんなが月の石を
見ようとアメリカ館に殺到することとなる。昭和44年は万博を翌年に控えて国民
が燃えていた時代であった。特撮作品も燃えていた。

257:どこの誰かは知らないけれど
15/06/27 05:21:54.78 QOvhOSoM.net
プラモデルといえばバンダイもキャプテンスカーレットのプラモを発売してた。
確認してるのは100円売りのゼンマイ走行の追跡戦闘車とパトロール車。
同じバンダイのジョー90のマックスカー、サムズカーと同じフォーマット。
100円プラモはバンダイに版権許諾されていて、今井がシルバーセット、レインボーセットになったのはその為。
もしかするとマイティジャックも100円プラモはバンダイに許諾されていたのかも。
こっちは現物は確認できていない。
子供の小遣いで買いやすい価格帯で出せなかったのも昭和43年度今井の不振と無関係ではないと思う。

258:どこの誰かは知らないけれど
15/06/27 10:06:21.02 oO8NFnfv.net
「キャプテンスカーレット」日本では1968年1月同年8月が放送された作品ですね。
森永製菓の一社提供でした。サンダーバードに続くスーパーマリオネーション
ですが、人形の等身がより人間に近くリアルな人形になっています。ミステロン
という姿なき宇宙人との攻防を描きますが、スパイものの要素が強くスーパー
メカの印象はやや薄いです。それでも当時、イマイからパトロール車、追跡戦闘
車、強力装甲車、エンゼル機、クラウドベースなどのプラモが発売されました。
しかしサンダーバードほどの人気は出ず、マイティジャックのプラモとともに
販売不振でのちにイマイ倒産の要因になってしまいました。拙者は当時どちらの
作品もせっせとプラモを買ってた派で、けっこう好きな作品、メカでした。
いちばん傑作だと思ったのは「秘密トレーラー」で、トレーラーの上部のボタン
を押すとトレーラー自体がパタパタッと展開して開き、中から追跡戦闘車が
現れるもの。あれはTVと全く同じギミックで面白かったね。クラウドベース
は壮大な空中基地というイメージで未来感あふれてた。プラモは横幅が小さい。
バンダイの追跡戦闘車とパトロール車は記憶にありませんが、この頃から少し
ずつイマイと共通の作品のメカを発売するようになりますね。バンダイといえば
個人的には「謎の円盤UFO」(1970年)のメカが思い出深いです。スカイダイ
バーやインターセプターなど、SID以外のメカは全部出てました。UFOは
テグスで天井から吊らくっていた思い出が。クルクル回して眺めてましたね。

259:どこの誰かは知らないけれど
15/06/27 11:19:36.46 oO8NFnfv.net
>>258
 そういえば思い出しましたが、当時のプラモで、明らかにキャプテンスカーレット
登場のメカなのになぜか「サンダーバード」と書いてありました。あれはやはり
サンダーバード人気にあやかって売ろうというもくろみだったのでしょうかね。
個人的には追跡戦闘車が好きでした。美しいエメラルドブルーの車体に窓が一切
付いてないちょっと不可思議な車。(操縦者は後ろ向きに座ってモニターを見なが
ら運転)トレーラーとか廃屋とかいろんな所に隠されてて、それを突き破って出て
来るのが爽快。クラウドベースはよくお風呂に浮かべてたね。空中浮遊メカなのに
なぜか水上走行。エンゼル機はなんか女の子の乗り物という印象があって当時は
買わなかったですねえ。
キャプテンスカーレットは日本語の主題歌でなく当初流れてた英語の歌が印象深い。
英語なので歌えないんらけど、メロディはよかった。日本語主題歌はゲーリー・
アンダーソン氏がその出来の悪さに憤慨したという。拙者もこの歌覚えていない。

260:どこの誰かは知らないけれど
15/06/27 11:47:19.53 oO8NFnfv.net
特撮ヒーローの原点といえばやはりこの作品。それは「スーパーマン」
日本では1956年11月から放映開始。主演はジョージ・リーヴス氏でちょっと
おじさん風のスーパーマンであったが、吹き替えの大平透氏のイメージも
ピッタリで大人気。最高視聴率はなんと74.2%! ビックリ。
当時のスーパーマンは劇場作品のスーパーマンのようにふわっと飛び上がる
のではなくて、ダダダダッと反動をつけて窓から飛び出してた。僕らは布団
に向かって両手を広げて飛び込む「スーパーマンごっこ」をよくやったものだ。
このスーパマンであるが、人気が出たジョージ・リーヴス氏が自殺したことに
始まりその後のスーパーマン作品でも出演者やスタッフにいろんな不幸な出来事
が起こったという。これは「スーパーマンの呪い」と呼ばれている。
このスーパーマンがなければ日本の月光仮面やウルトラマンも登場しなかった
かもしれない。偉大な作品である。

261:どこの誰かは知らないけれど
15/06/27 20:46:22.33 oO8NFnfv.net
69年は映画では3月に「ガメラ対大悪獣ギロン」7月に「緯度0大作戦」、8月
に「日本海大海戦」12月に「オール怪獣大進撃」が公開された。ギロンは同時
上映が「東海道お化け道中」。この作品、従兄弟は観に行ってたが拙者は行か
なかった。何となくギロンのデザインが好きになれなかったのかも。観た従兄弟
が「主人公の子が頭を丸坊主にされたのが面白かった」と見当違いな感想を
言っていた。お化け道中は今ひとつだったらしい。
「緯度0大作戦」は後年TVで観た。撮影でゴタゴタがあったらしいが個人的に
好きなスーパーメカ、空飛ぶ戦艦α号が出てたのでよかった。日本海大作戦は
翌年に円谷英二監督が死去されたため、特技監督としては最後の作品となった。
露のバルチック艦隊を迎え撃つ、三船敏郎演じる東郷平八郎元帥がカッコいい。
出演は小泉博氏や田崎潤氏、久保明氏など東宝特撮でおなじみの俳優が総出演。
オール怪獣は低予算作品だが、子どもの夢を描いたジュブナイル作品として観れ
ば傑作かと。怪獣映画として観たら寂しいけどね。これは当時観に行っていない。
この年、サザエさんにタイガーマスク、水戸黄門、NHK大河の天と地となど
が放送スタートしている。どれも面白かった。

262:どこの誰かは知らないけれど
15/06/28 13:43:14.54 R59qhqFo.net
>>259
それは今井が再興した71年~74年頃の商品。追跡戦闘車やエンゼル機など。
71年に今井は「謎の円盤UFO」商品をバンダイとは被らないアイテムで発売しているけど、
これも後にサンダーバードの名を冠することに。
因みにUFOは71年初夏~晩秋に日テレとよみうりテレビで土曜午後3時半より再放送があった
バンダイ模型のインターセプターとUFOはこれに合わせて発売されたと思われる。
玩具の方でもプラモと同サイズのインターセプター、スカイダイバー(フリクション走行)が8月に発売。
やはり一連の21世紀プロ作品こそ後のポピー誕生を促したのではないか?
仮面ライダーのヒットで霞みがちだけどね。

263:どこの誰かは知らないけれど
15/06/28 18:17:38.62 0VaHyico.net
>>262
 プラモにお詳しいですね。イマイのキャプテンスカーレットシリーズは
だいぶ買ったんですが、サンダーバードの名で出た時はさすがに買わなかった
ですね。バンダイの「謎の円盤UFO」シリーズはUFO、スカイダイバー
あたりを買いましたがよくでけてました。箱の中にスチール写真を使った
パンフレット的なものが入っていて資料的に充実していました。バンダイは
当時人気が出始めた仮面ライダーのプラモも出していて、ライダーが乗った
サイクロン号は買いましたがいい出来でした。ゼンマイで走らせる時には
下部にゼンマイボックスを装着させるが飾る時にはそれを外せることが可能。
見事な配慮でした。ボックスアートは小松崎茂氏の旧1号ライダーが描かれて
いましたね。カッコいい絵でしたがサイクロン号の前部がNG版タイプに
なってたのがご愛敬。

264:どこの誰かは知らないけれど
15/06/28 22:27:16.49 VInLY2mb.net
>>261「主人公の子が頭を丸坊主にされたのが面白かった」
先日、84歳の母親と一緒にこのdvdを観たが、このシーンはふたりで受けてた。
40数年前、少年時代初見のときは、子供が出るシーンには興味が持てなかったが、
今観ると、ドラマ部分でも工夫して作ってる制作者の心意気をほほえましく感じる。
この頃、東宝のゴジラシリーズが子供心にも迷走してる感じを受けて失望した分、
逆にそれまで二流と認識のあったガメラシリーズに、変わらぬ素朴さを感じて
なんとなく愛着がでてきて、「がんばれガメラ!」と応援したい気になっていた。

265:どこの誰かは知らないけれど
15/06/29 16:14:45.57 ev4gqRX2.net
バンダイが今井からキャプテン・スカーレットやマイティジャックの金型を買わなかったのは、
バンダイが発売してた玩具の売れ行きも芳しくなかったからだろうね。
マイティ号の設計した人がバンダイのゼンマイ走行宇宙戦艦ヤマトと同じ人と聞いたときは膝を打ったわ。
村松さんという有名な人で今井時代はTB1号、5号、FAB1等を設計したそうだ。
エンジェル機やスペクトラムヘリの松本さんはバンダイでムーントランスポーター、インターセプターを設計。

266:どこの誰かは知らないけれど
15/06/29 18:05:41.40 OvlfTME9.net
>>264
 あの頃の東宝はゴジラシリーズを終了しようと思ってたらしいですね。
それが怪獣総進撃がヒットしたためシリーズが続くことになった。怪獣映画
らしくないオール怪獣大進撃は、東宝には珍しい子どもを主人公にしたジュブ
ナイル的な作品でした。ゴジラシリーズはこのように路線が少し揺らいでいた
のに対し、ガメラの方は一貫して「子どもの味方。つよいぞガメラ」でしたね。
個人的にはガメラは好きで、ギロン以外は全部劇場で観ました。ガメラは子ども
には愛された怪獣でした。
>>265
 バンダイとイマイとの関係は微妙なんですね。ゼンマイ走行の宇宙戦艦ヤマト
ですか。当時買いましたよ。あの第3艦橋がゼンマイボックスになってジーコ
ジーコとタイヤで地上を走るのは許せなくって、改造しちゃいました。(笑)
全体の造型はいい出来だったんですけどね。そうですか、マイティ号の造型と
同じ人なんですか。この頃のイマイやバンダイの模型は造型的によくできていた
と思います。プロポーションを崩さずに楽しいギミックを盛り込んでいたのは
すごかったですね。

267:どこの誰かは知らないけれど
15/06/29 20:23:58.39 8O3lKHms.net
原潜シュービュー号はデザインが美しかったし今も大好き。
反面、マイティジャックのデザインも単純明快でカッコいいと感じてたが、、、
数ヶ月前、50代にしてやっとジュール・ベルヌの「海底2万リュー」を読んだが
今思うと、デイズニー版「の海底2万里」は原作をうまくアレンジし、
よく出来てると実感する。
悔しいが、この当時の日本の映画人のデザインセンスは10年遅れてたね。

268:どこの誰かは知らないけれど
15/06/30 00:41:54.86 Kjq7ny0v.net
>>267
 カッコいいですねえ、シービュー号。(高校の時の友人が間違えて
シュービー号と言ってたので、それは違うよと言ったらけげんな顔してたの
を思い出す) 現存するリアルな潜水艦っぽい部分もあるのですが、先端部
を見ると未来的なフォルムで美しいし、後部の羽根のような部分もいい。
現実感と未来感が実にうまく融合した素晴らしいデザインです。
 MJ号は日本特撮TV作品の中ではベストのメカだと思いますよ。日本の
スーパーメカはピカピカなものが多く汚しとかがあまりありません。これは
これでいいと思います。リアルさを追求するのではなくて、あくまでも美しい
未来的イメージを構築してるメカだと思いますので。
最近発売の完成品模型ではやたらと汚しを入れたりプロップにはない筋彫りを
加えたりするものがありますが、あれは個人的には好きではないですね。
ディズニーの「海底二万哩」は日本では1955年に公開されてますが、万能潜水艦
ノーチラス号のデザインはカッコいいです。ノーチラス号のデザインはハーパー・
ゴフによるもので東京ディズニーシーに停泊しているノーチラス号はその再現
なんですね。あのデザインは、何となくですが東宝の「海底軍艦」に影響を
及ぼしている気がしないでもありません。個人的には海底軍艦対MJ号対
シービュー号対ノーチラス号の海底大決戦を見てみたいものです。
日本のデザインセンスはいい意味で手作り感があふれていていいんじゃない
かと。職人の気概を感じます。

269:どこの誰かは知らないけれど
15/06/30 01:26:14.48 Kjq7ny0v.net
>>267
 シービュー号もいいが忘れてはならないのがフライング・サブ。飛行能力
を備えた潜航艇で艦首下部の格納庫から発進する。黄色いエイのような可愛い
形をしててこいつがけっこう活躍する。空も飛ぶスグレモノ。個人的にはけっこう
好きやねんこのサブちゃん。海外では単独のプラモが出ているが日本では出て
いない。シービュー号の小さい付属品のみ。大きなメインメカからちっこいサブ
メカが出てくるのはマイティジャックでも見られたね。

270:どこの誰かは知らないけれど
15/06/30 17:48:35.21 7RsD7Qs5.net
原潜シービュー号は、日本ではコグレとミドリからプラモが出ていた。コグレ
のものは見たことないが、ミドリのシービュー号はどこの模型店でも売ってた
と思う。大・中・小と様々なサイズがあった。小さいのはゴム動力で大きいのは
モーター動力。モーター版はいちおう自動浮沈機構になっていて浮いたり沈んだり
する…はずなのだが、お風呂で走らせた時は底に沈みっぱなし。モーター部の
防水も、しっかり接着剤を着けていても水漏れした。当時無事にうまく走行させた
人はいるのだろうか。ミドリはSFプラモを数多く出していたメーカーで、原潜
スティングレイ、ゲストメカのメカニカルフイッシュ、オリヂナルメカのキング
モグラスなどのモグラスシリーズ、ワンダーロボなどのSFロボットシリーズ
USSエンタープライズ号など夢あふれるプラモがたくさんあった。当時の僕らは
ミドリのプラモと聞けば、あこがれの気持ちで見ていたものだった。

271:どこの誰かは知らないけれど
15/06/30 18:01:24.56 aA3lENEF.net
シービュー号がLD化されるくらいまで人気が出たのは、90年代。
それ以前は、確かサンテレビの11:00に放送してました、あの時間帯は昔の作品の発掘時間。
深夜知名度のある昔の作品が放送されていた際に突然シービュー号が始まりました。
これだけ知名度がないのになぜ?と思って視たら、傑作と駄作の落差が激しいんですな。
ジョン・カサベテス出演「恐怖のプロトン爆弾」
ジョージ・タケイ出演「破壊された宇宙船」は是非、未見の方々には視てほしいが他は、とてもお勧めできません。

272:どこの誰かは知らないけれど
15/06/30 19:28:55.60 AS+qtIAE.net
フライングサブは当時、ものすごく愛着があって、
高価なシービュー号をがんばって(親に買ってもらった?)かして手に入れたのだが、
オプショナル的についてた、直径数センチの「フライングサブ」がいとおしくて、
精魂込めてプラカラーで色付けしたのは今でも好い思い出。

273:どこの誰かは知らないけれど
15/06/30 23:46:22.79 Kjq7ny0v.net
>>271
 まあ制作がかのアーウィン・アレン氏ですからね。傑作、駄作何でもあり
の方です。ここはひとつ駄作のお話には目をつぶって、ソナー音を響かせて
海中をゆったりと進むシービュー号を眺めて癒やされましょう。潜水艦は
見てるとなんか心がなごみます。
>>272
 フライングサブは愛着が湧きますね。プラモですが、手頃なサイズなら
モノグラム(ツクダホビー)版、そして最も大きくて超リアルなものでした
ら最近出たメビウスモデルのがお勧めです。小生はメビウスのはシービュー
号TV版だけ買ったんですが、結局作れなくって完成品を購入しました。
フライングサブはモノグラム版の完成品のみでメビウスのはまだ買ってません。
最近はもう細かいプラモを自分で作る根性とパワーが無くなってしまいました。
完成品を買ってリペイントだけは自分でやってます。もう歳ですかな。

274:どこの誰かは知らないけれど
15/07/01 00:08:32.74 mjCsaMHS.net
60年代~70年代の外国TV特撮作品はどれも味わいがありますよね。
ITCは「スーパーカー」「宇宙船XL-5」「サンダーバード」
「キャプテンスカーレット」「海底大戦争スティングレイ」「ジョー90」
「謎の円盤UFO」「スペース1999」など人形劇が多い。
マニアックなものでは「チック・タックのフライマン」「キャプテンナイス」
など。「バットマン」「グリーンホーネット」も楽しい。
超有名な作品は「スタートレック・宇宙大作戦」。USSエンタープライズ号、
素晴らしいデザインですね。「宇宙家族ロビンソン」「巨人の惑星」など宇宙
を舞台にしたものも多かった。海洋ものの王者は「原潜シービュー号 海底科学
作戦」。歴史の勉強になった「タイムトンネル」。秀逸な短編の多い
「ミステリーゾーン」(トワイライトゾーン) 「アウターリミッツ」や
「超人ハルク」もよかった。
あの頃の海外特撮SFの特徴は印象的なスーパーメカが出ていたこと。とくに
サンダーバードは子どもたちに大人気だった。いい時代だったなあ。

275:どこの誰かは知らないけれど
15/07/01 01:16:39.36 mjCsaMHS.net
「スター・トレック 宇宙大作戦」のUSSエンタープライズ号、あれは日本人
の発想では考えつかない秀逸なデザインだと思う。円盤状の「第1船体」
(円盤部)と紡錘状の「第2船体」(機関部)をつなぎ、第2船体後部から左右
に広がる2本の「パイロン」の先端にそれぞれ円筒状の「ワープナセル」
(推進部)がついた航空機を思わせるデザイン。どの角度から見ても美しい。
スター・トレックはいくつかのTVシリーズや劇場版が作られ、さまざまな
エンタープライズ号が登場しているが、やっぱり最初のTVシリーズ
に出てきたエンタープライズ号がいちばん好きだな。わが家にはこれの
90センチの「マスターレプリカ・エンタープライズ号」が飾ってあるのだが、
それはもう最高のできばえである。電飾もできて美しい。買う時は価格的に
ちょっと勇気がいった製品だったが、買ってよかったと思う。エンター
プライズ号の隣には1mのメビウスのシービュー号が並んでいて勇壮だ。
TV作品で使用されたエンタープライズ号の撮影用模型は米スミソニアン
博物館に展示されているらしいが、一度見てみたいものだ。
宇宙大作戦はメカだけでなくカーク船長や宇宙人のスポック副船長、ドクター
マッコイなど個性的な登場人物が魅力だった。今年の2月、スポック役の
レナード・ニモイ氏が亡くなられた。寂しいかぎりである。

276:どこの誰かは知らないけれど
15/07/01 23:25:14.98 mjCsaMHS.net
個人的に「宇宙大作戦」の好きなエピソードは「危険な過去への旅」
「宇宙からの使者Mrセブン」「宇宙暦元年7.21」あたりかな。
いずれも20世紀へタイムトラベルする物語。とくに「危険な過去への旅」は
未来を変えないように非情な決断をする哀しい物語。でも古き良きアメリカ
を描いた素晴らしいお話。傑作である。
TV版「バットマン」のバットモービルは60年代センスあふれるカッコいい車。
「グリーンホーネット」のブラックビューティ号は少し地味だけど作品には合って
いる。「タイムトンネル」の実物大セットは圧巻。あれは筒状になってると思って
いる人が多いが実際はそうではなく、巨大なリングをいくつも間隔を開けて並べた
もの。リングの間は空洞。フジミのプラモでは筒状に成型されてたためその
イメージが大きい。「謎の円盤UFO」の模型は新世紀合金からリアルなもの
が出ている。個人的にお気に入りはスカイダイバーである。「スペース1999」の
イーグル宇宙船はコンテナの入れ替えによっていろんなスタイルとなる。
コーニッグ指揮官のマーチン・ランドーさんは個人的にファンだが、スパイ
大作戦のローラン役の方が魅力を感じる。
先の記事で書き忘れたSF作品に「インベーダー」、カルト的な不可思議作品
「プリズナーNO.6」などがある。

277:どこの誰かは知らないけれど
15/07/02 02:04:03.34 TzKT2/Xq.net
オッサン自費出版で本にまとめたらええんちゃう

278:どこの誰かは知らないけれど
15/07/02 02:20:58.37 +vNHsQmA.net
1969年7月20日公開の東映まんがまつりは「空飛ぶゆうれい船」「飛び出す
冒険映画 赤影」「もーれつア太郎」「ひみつのアッコちゃん」であった。
このゆうれい船は実に面白い作品で、巨大ロボットゴーレムや深海の怪物と
最新鋭の武器を搭載した空飛ぶゆうれい船が戦うお話。スーパーメカ満載の
ゆうれい船が実にカッコいい。ゴーレムとの戦いはまさに特撮作品を彷彿さ
せ、血湧き肉躍る名シーン。東映まんがまつりの中では最高傑作のお話だと
思う。(ゴーレムはデンボクより最高のできばえの完成品模型が出てる)
それと匹敵して面白かったのが同時上映の「飛び出す冒険映画 赤影」で
あった。これは仮面の忍者赤影・金目教編に新撮場面を加え、赤と青のセロ
ファンを貼った立体メガネで観ると画面が飛び出して見えるというもの。
全編が立体なのではなく、新規撮影部分が立体映像になっていた。映画館で
の立体効果はなかなかの大迫力で、本当に赤影たちが飛び出して来るように
見えた。この新撮部分は「アナグリフ方式」と呼ばれる立体映像になっており、
赤・青のセロハンを両目それぞれに貼った赤影の仮面風の「立体メガネ」が
配られ、劇中で立体パートになると赤影や白影がこの「立体メガネ」をかける
よう観客に呼びかける趣向になっていた。赤影の「早くメガネをつけて!」と
切羽詰まった場面で呼びかけたり、白影がのんびりと「みなさん、そろそろ
メガネをつけた方がいいじゃろう」と呼びかけたり楽しいものであった。
新撮部分はTV版とは異なる内容で、ラスト幻妖斎が倒される場面も描いて
あった。この立体メガネ、長いことかけてると目がチカチカして頭痛がした。
この年の夏の東映まんがまつりはいちばん思い出に残っている。

279:どこの誰かは知らないけれど
15/07/02 02:23:43.03 +vNHsQmA.net
>>277
「赤影どの、そんな予算はござらんよ。わっはっはっ!」(白影)

280:どこの誰かは知らないけれど
15/07/02 02:35:43.92 +vNHsQmA.net
>>278
 補足:この「飛び出す冒険映画 赤影」は当時と同じ立体メガネ付きの
DVDが発売されていますが、TVの画面では残念ながら劇場のような立体
効果は得られないようです。劇場ではほんまに飛び出してくるような大迫力
でしたからね。

281:どこの誰かは知らないけれど
15/07/03 04:22:28.72 iOff7kH1.net
1969年7月公開の東宝映画「緯度0大作戦」
この作品は当時は観ていない。74年に東宝チャンピオンまつり版の「海底
大戦争」の方はモスラが同時上映だったこともあり観に行った。こちらの
方は短縮版なのでカットが多い。米国との合作作品だが制作会社のゴタゴタ
があって日本側の費用負担が大きかったと聞く。外国人俳優が多く出演して
いるが、やはりマッケンジー艦長(ジョゼフ・コットン)とマリク(シーザー
ロメロ)の2人の存在感はすごい。スーパー万能潜水艦アルファー号と黒鮫号
の対決シーンはスーパーシップの魅力があふれる。アルファー号は原作では
オメガ号だったらしいが、そういうヘンな名前にならなくてよかった。
人間の脳を移植するグリホンという合成怪獣が登場するが、手術シーンが
ちょっと不気味であった。緯度0基地はユートピアっぽく描かれ、この世の
理想郷という雰囲気が出ていた。コウモリ人間や大ネズミなどの怪物は出るが
有名巨大怪獣は出ない。スーパーメカものとしては少しもの足りない感じで、
当時「巨人の星」と同時上映になり子ども向け作品的イメージがあった。興行
的にも不調だったらしく、以後東宝は日米合作映画は作らないという結論に。
夢あふれる佳作だとは思うが、怪獣ものにもメカものにも徹していない中途半端
なイメージは感じる。その点が惜しい。しかしスーパー万能潜水艦アルファー号
はカッコよくてとてもいい。(プラモは出ていない) 伊福部氏の音楽も美しい。

282:どこの誰かは知らないけれど
15/07/03 17:46:56.00 iGOctWaH.net
>>281
 α号と黒鮫号の戦いのシーンにかかる緯度0マーチが最高にカッコええ

283:どこの誰かは知らないけれど
15/07/04 19:47:23.70 iyacO6Zx.net
アルファー号がいいという人もいるけど、デザイン的には黒鮫号のほうがよりかっこ好いな。
デザインは井上泰幸の助手、豊島睦氏、彼がいなかったら、あのメーサー殺獣車もなかった。

284:どこの誰かは知らないけれど
15/07/04 20:44:48.01 NClhb7j3.net
なんだか変な空気になってきましたねここ

285:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 11:22:38.46 fAZaSNNN.net
>>283
アルファー号は平和世界ユートピアの潜水艦だから攻撃兵器は装備して
いない。黒鮫号の方が戦闘潜水艦という感じはしますね。アルファー号は
デザイン的にスラーッとしててスマート。ラストに可変翼で空を飛ぶ場面
があるのは見せ場でした。まあ戦闘する潜水艦というイメージでないので
印象が弱い一面はあると思います。黒鮫号が好きという人も多いでしょう。

286:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 12:07:24.09 fAZaSNNN.net
>>283
 忘れてました、この有名作品。
「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」東宝と米国の合作映画で
1966年(昭和41年)7月公開。同時上映が「ジャングル大帝」と「つるの
おんがえし(人形劇)」 学校の硬筆検定を休んでまで観に行ったこの作品、
とにかく怖かったで~! 怖いのはやっぱしガイラ。人間をボリボリ喰っちゃ
うし、攻撃を受けて体に血がいっぱい付いてるしほんまに怖かった。映画の
大スクリーンで観たからよけいに怖かった。メーサー車はカッコいいと思う
けど、当時はただただ怖いガイラしか記憶にあらへん。こんなコワイ映画
よく観に行ったもんだと今は思うよ。

287:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 12:51:40.13 fAZaSNNN.net
>>286
 大人の目で観たらすごい作品。サンダとガイラも大迫力だがメーサー殺獣
光線車も大迫力。(この兵器、当初は「メーザー殺人光線車」だったそうで
何とも名称コワイ) ガイラに光線が命中し、逃げ惑うガイラを光線が追うと
木々がバリバリッと火を吹いて切断される。そのタイミングが絶妙ですごい。
動きがすごくスピーディーな2匹なので、逃げてもすぐ追っかけられて捕まり
そうな恐怖を感じる。特撮の出来も最高。伊福部さんのサンダ対ガイラマーチ
は血湧き肉躍る名曲。いろんな意味ですごい作品である。
メーサー車は新世紀合金から電動で走行、砲身上下、回転、光る機能がある
最高傑作の完成品模型が出ている。

288:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 14:45:31.90 bCPtVMsY.net
メーサー車は自走式じゃなくて牽引されるところが実在兵器っぽくてリアル
使われている一番大きなプロップに使われてるタイヤはノベルティとして作られた灰皿を使ってるとのこと
つい最近までその灰皿使っていたんだけど、引っ越しで捨ててしまったのは凄く後悔している

289:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 15:09:56.39 g1190qGN.net
メーサー車は実在すると信じた。いや、テレビやニュースではまだ言ってないが、
たぶん、近い将来、自衛隊に配備予定なのだろうと当時、信じて疑わなかった。
だって、車体に自衛隊の文字やマークも入ってるし、そういう圧倒的な実在感、、、
今から思うと、いくら子供でも映画のウソとホントぐらい見抜けなかったかなあ、
とも思うが、
「そういう時期が自分にもあったんだ」と、この作品を観るたびに癒されるよ。

290:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 16:19:48.30 fAZaSNNN.net
>>288
>>289
 サンダ対ガイラ登場のものは後に66式メーサー殺獣光線車と呼ばれてますね。
所属は陸上自衛隊で車体にもそう書いてありいかにも実在感があります。
パラボラ型の照射装置を搭載する装輪式のメーサー装置車と、装軌式の牽引車
で構成されます。内蔵する小型原子炉により10万ボルトの出力でメーサー光線
を照射。パラボラ型照射器は、砲身部が可動して鎌首をもたげるような動きを
するのがカッコよかったですね。新世紀合金の電動版はこの動きが再現されてて
感動ものです。「モスラ」でのロリシカ陸軍の原子熱線砲を研究し開発したと
いう設定もありますね。
光線発射シーンは砲身がリレー発光回路で光が波のように見えて美しいです。
この兵器、非常にリアルに設定されているので実際に自衛隊に存在してるよう
に思いますよね。東宝特撮作品でおなじみのポンポンロケット砲も実際には
ないそうです。このような虚構の世界をいかにもリアルに見せるのも特撮映像の
醍醐味でしょう。

291:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 19:48:37.64 4Vv+Kwz6.net
>>1で書かれた趣旨と無関係な私的雑談を書くスレになってるな

292:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 19:52:47.65 bCPtVMsY.net
メーサー車の見所は先に書かれておりますので割愛しますけど、放射時に横一線に走るハレーションがまたカッコイイ!
鎌首持ち上げて川に仕掛けられた放電と相まってガイラを執拗に攻める所が何回観ても素晴らしい!
サンダの横槍さえ無ければ…と思ってしまいますw

293:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 20:09:28.93 S6WoSCLh.net
What Was Brad Pitt Talking About? The War of the Gargantuas
URLリンク(www.slate.com)
URLリンク(www.youtube.com)

294:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 23:09:11.03 fAZaSNNN.net
>>291
 「昭和特撮で昭和文化を語る」という趣旨やからね。私的内容でも当時の
昭和特撮に関係があればそれでいいんじゃないか。むしろ当時の時代を生きて
リアルタイムで観てきた人の証言は貴重だ。

295:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 23:17:28.46 fAZaSNNN.net
>>292
 メーサー車お好きなようですね。東宝特撮作品のベストメカを挙げれば
必ず上位にランクインするメカでしょう。ゴジラ作品では「ゴジラ対ガイガン」
に登場しますが部品が減っちゃってスリムになってるし(笑)、サンダ対ガイラ
の時のインパクトはありません。サンガイが、メーサー車がいちばんカッコよく
美しく魅力的に活躍してる作品であると言えるでしょう。

296:どこの誰かは知らないけれど
15/07/06 02:01:58.49 QVqdYW0A.net
>>278
「飛び出す冒険映画 赤影」は映画館で見ましたが、白影が「勇気のある人はメガネをかけて!」と言ったのを覚えています。
僕は当時勇気がなくて、もじもじした目立たない子供でした。
だから「自分のような者にメガネを装着する資格があるのだろうか?いや、ない」(反語)のような自問自答をして、
結局付けなかった記憶があります。
ただ、今の3Dもそうですが、「飛び出す」という暗示にかかって本当に飛び出したような錯覚に陥っていたのでは、という気もしています。
ブルーレイは買いましたが、opの画質はDVDとあんま変わらなくてガッカリです。

297:どこの誰かは知らないけれど
15/07/06 02:17:11.62 V5sGAyin.net
>>296
 おお、それは懐かしい思い出ですね。「メガネをかけて」と言ったのは
赤影さんと白影さんで、青影は言わなかったと記憶しますが定かではあり
ません。映像は実際にかなり飛び出して見えましたよ。劇場の大スクリーン
であったので大迫力でした。ただ立体映像場面以外でもかけまくって観てたら
目がチカチカして頭が痛くなりました。あの時代の特撮映画は本当に夢が
あって楽しいものでしたね。
このアナグリフ方式の立体効果ですが、当時の学校の社会科ワークなどでも
使われていました。山などが立体的に見えるというものでした。

298:どこの誰かは知らないけれど
15/07/06 23:34:06.74 V5sGAyin.net
さて、時代も流れ1970年(昭和45年)がやってきた。この年は大阪で万国
博覧会が開かれ、日本中が燃えた年だったと思う。拙者は修学旅行で行った
が会場は熱気であふれていた。まさに「人類の進歩と調和」のテーマのごとく
中央にそそり立つ岡本太郎(「宇宙人東京に現わる」のパイラ星人のデザイン
担当者)制作の太陽の塔が圧巻であった。
映画「ガメラ対大魔獣ジャイガー」(3月公開)では万博会場にジャイガーが
迫る場面があるが、ソ連館を角でつついただけで破壊することはなかった。
さすがに万博会場の破壊は特撮映画といえどもできなかったのである。
この年、偉大なる特撮の神様が亡くなられている・・・

299:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 01:04:11.58 XtT9vXCb.net
♪こんにちはこんにちは世界の国から という歌が世の中を席巻しておりましたな
私もアメリカ館で長いこと並んで月の石を見ましたが、ちっとも感動しませんでした(疲れ果てていた)
見知らぬ外人さんに「サイン、サイン」と言い寄ってノートにサインしてもらって喜んでました
前年の飛び出す赤影の続編で今年は卍党が見られると楽しみにしていたのに、大好きな幻妖斉殿は岩の下敷きで亡くなられたようで
烏賊と蟹と亀の決戦映画で辛抱するはめに・・・でも学校では怪獣よりタイガーマスク!女子は鮎原こずえが人気の的

300:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 01:52:16.45 suSQpTzv.net
>>299
 1970年にお詳しいですね。当時の社会情勢をよくご存知でいらっしゃる。
アメリカ館で月の石を見られましたか。それだけでもう世紀の大事業ですよ。
さぞお疲れだったことでしょう。パチパチ(拍手) 月の石って、ほんまに
ふつうの石と変わらないんですよね。でも月のというだけですごい。
ああ、飛び出す赤影の続編ねえ。なかったですね。金目教編のラストが新撮で
変わってて、岩の下敷きで最期だなんて信じられない。幻妖斎は生きてる、
きっと生きてるんだ、遠い宇宙から俺たちの地球を見守ってくれるさ・・・と
当時は思ってました。(笑)
この年はなぜかゴジラ映画が作られていません。かわりに公開されたのがこれ、
イカ対カニ対カメの怪獣映画「決戦!南海の大怪獣」(8月公開)でありました。
ゲゾラは「ゲソ」から名付けられたという・・・ この怪獣、劇中ではガニメや
カメーバと戦う場面はありません。スチールでは3匹仲良く戦ってますが。
この年、プロレスブームでしたね。馬場や猪木、坂口に吉村。サンダー杉山
というレスラーもいましたっっけ。アニメのタイガーマスクに熱中しました
が(放送開始は69年10月)あの作品はみなし児の哀しみや社会情勢などを
描き奥が深い作品でした。

301:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 11:20:30.33 J/A80Sdi.net
昭和45年は特撮不作の年でした。
この年の夏休みはチャンピオンまつりには行かず、
東映まんがまつりで石森章太郎の「海底3万マイル」を観ました。
怪獣映画より面白かったです。
この頃既に石森章太郎は大御所でしたが、
まだ特撮の原作はやってませんでした。
万博にも2回行きましたが、
パビリオンの中を観るより外で並んでる時間の方がずっと長くて、
行ったのが2回とも夏休み中で、猛暑の中、夜の9時頃まで行列に並んでて
死にそうになりました。
行った後、2回とも扁桃腺を腫らして寝込みました。
でもアメリカ館で焼け焦げたアポロ司令船を見られたのはいい思い出です。
あんな小さな宇宙船で月まで行って帰ってきたアメリカ人はすごいと思います。
未だに自力で有人宇宙飛行ができない日本人には絶対真似できないと思います。

302:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 13:02:09.23 JrXxu1sn.net
>>301
 おお~、万博に根性で行かれましたか。しかもアメリカ館でアポロ司令船
をご覧になったとはすごいですな。さぞお疲れになったことでしょう。あの
時は人気パビリオンはすごい行列でしたね。小生はさすがに並ぶ元気はなく
日本館にちょこっと入っただけでした。でも太陽の塔の内部は観ましたよ。
生命の進化の展示がけっこう感動的でした。
 この年は特撮ものは今ひとつでしたが、それでも海外作品の「謎の円盤
UFO」などは放送していましたね。サンダーバードの制作会社が作った
人間が演じる特撮作品で、登場メカがカッコよかったです。

303:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 18:09:46.54 JrXxu1sn.net
>>301
 世紀の一大イベント、万国博覧会に2度も行かれたとはすごいですね。
万博関係の特撮作品といえば、ウルトラマンのゴモラは大阪万博に展示予定
(こんな大怪獣、生きたまま展示なんてムリ!)でしたし、仮面ライダーの
死神カメレオンの話は71年に会期が終わった万博跡エキスポランドで撮影され
ています。
 アメリカ館やソ連館は大人気で何時間も長蛇の列だったそうです。本当に
お疲れさまでございました。万博会場が壊されそうになった映画は「ガメラ対
ジャイガー」だけでしたね。東映まんがまつりの「海底3万マイル」はSF
ものアニメでした。火炎竜というメカ怪獣が出てきました。個人的には前年の
「空飛ぶゆうれい船」が思い出に残っています。石森氏は翌年の「仮面ライダー」
で一大ブームを巻き起こします。

304:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 22:11:22.94 vc9seQ1C.net
私は万博へは母親、父親、叔父に連れられて都合三回行きました。
特に母親と行った時は待ち時間もそれぞれ数十分くらいでアメリカ館、三菱未来館、太陽の塔など人気の高いパビリオンに沢山入れました。
特撮がらみで書くと太陽の塔内部の生命の樹のデザインは成田享さん、生命のミニチュアは東宝特美。三菱未来館の映像も東宝だった筈ですよね?
今一つ不確かなので正確なことをご存じの方が居たらご教示下さい。

305:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 22:15:03.28 suSQpTzv.net
さて、本日7月7日は特撮の神様、円谷英二氏の誕生日です。七夕の日のお生まれ
なんですね。福島県須賀川市出身。氏の業績はゴジラやウルトラマンを生み出す
など、日本特撮界においては本当に神様のような人でした。
そしてお亡くなりになったのが1970年の1月25日でした。奇しくも最後に手がけ
られた仕事が、万博の三菱未来館のサークロマ撮影でした。このサークロマ撮影
のため徳島鳴門の渦潮をロケしさらに特撮プールに自ら入り演出。これがたたっ
て体調を崩されたそうです。最後まで特撮映像にかける執念を感じます。
残念ながら小生はこの三菱未来館のサークロマ映像は観ていません。「日本の
自然と夢」をテーマに火山活動や未来の海底牧場など、迫力ある映像を360度
視界に映し出すのが「サークロマ映像方式」というものでした。当時大変な
話題となり、三菱未来館は最も人気のある企業パビリオンであったそうです。
音楽は伊福部昭氏。円谷英二氏最後の作品、観たかったですねえ・・・

306:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 22:37:01.70 suSQpTzv.net
>>304
万博に複数回行かれたそうでうらやましいかぎりです。
>待ち時間もそれぞれ数十分くらいで人気の高いパビリオンに沢山入れました
 それはラッキーでしたね。3月から9月までの開催でしたが、6月頃は比較的
空いていたそうです。
>太陽の塔内部の生命の樹のデザインは成田享さん、生命のミニチュアは東宝
特美。三菱未来館の映像も東宝
 生命の樹のデザインは成田亨氏で間違いないようです。生命の樹の枝に
取り付けられた300体の模型製作は円谷プロという表記(「太陽の塔」のwiki)
がありますね。三菱未来館の映像は田中友幸製作、円谷英二特技監督、中野昭慶
助監督、伊福部昭音楽、坂野義光監督の東宝特撮スタッフ製作でした。
当時会場でご覧になったのでしょうか?

307:どこの誰かは知らないけれど
15/07/08 00:47:17.09 you431ZD.net
>>305
三菱未来館のアトラクション映像の音楽はゴジラ対ガイガンのメインテーマとして
流用されているのも有名な話だね。
この映像は、、後にエキスポランドの天変地異やカタストロフを体験できる
アトラクションに流用されていたように思う。
残念ながらアトラクションの名前を忘れたが
このアトラクションは記憶では1970年代後半まであったもので、360度全周がスクリーンになっており
10人程度が座れる円形の大きなソファがバンクのついた回転する床に数基ついており
映像が始まると床とソファが動き・振動して風が館内を吹き荒れるといった臨場感のあるアトラクションだった。
記憶はおぼろだけど、三菱未来館の映像以外にも日本沈没の映像が流用されていたうように思う。

308:どこの誰かは知らないけれど
15/07/08 02:52:26.48 qeXqUAIP.net
>>307
 色々情報ありがとうございます。エキスポランドのアトラクションにまで
お詳しいとはすごいです。よく行かれてたのでしょうか。万博後がんばって
営業していましたが、事故などの影響で2009年に閉園しました。小生も1980
年代に行ったことがあるのですが、ダイダラザウルスがギシギシガタガタ
音を立ててたのが別の意味で怖かったです。アトラクションは覚えてない
ですね。
「ゴジラ対ガイガン」(72年公開)の音楽はそれまでの伊福部音楽があれも
これも詰め込まれていますね。三菱未来館の曲は「火山」か何かが流用され
てるとか。壮大な曲だったイメージがあります。

309:どこの誰かは知らないけれど
15/07/08 03:09:24.37 qeXqUAIP.net
いや~、みなさん、やはり万国博覧会の思い出は強烈なものがあるようですね。
あの行事って、東京オリンピックの次に日本が国の威信をかけて取り組んだ
一大イベントであった気がします。東京オリンピックの時は、戦後まだ日本が
外国に完全に認められていなかったのを、オリンピックを成功させたことにより
世界中に日本の国の力を示したというちょっぴり悲壮感のようなものがあった
のですが、万博の場合はもう世界的なお祭りという感じで、日本の文化的な
パワーを発揮しました。東宝や円谷プロの参加もさすがだと思います。
そんな中、円谷監督が現世から去って行かれ、我々特撮ファンにもショック
であった1970年でした。今から思えば、この頃の日本がいちばん輝いてたように
感じますね。

310:どこの誰かは知らないけれど
15/07/08 16:45:56.32 dUP9a89e.net
あの時代の輝きの正体はいったいなんだったのでしょうかね。
月には有人ロケットを次から次へと飛ばし、テクノロジーは
年々進化して行くのがだれでも目に見えて実感出来てたから、
1980年代は月にムーンベースなるものが出来ると言われたら、
「もちろん、そりゃあ出来るさ」と単純に信じられた時代。
勿論、近いうちに日本製の月基地なるものがきっと出来ると、
いまでも考えてるが、その際は工事前に熊谷組だか大林組が
古式に乗っ取った正式なる地鎮祭を行なうものと確信する。

311:どこの誰かは知らないけれど
15/07/08 22:49:41.16 you431ZD.net
1970年前の初めってのは万国博で「夢の21世紀」が疑似体験できた時代。
高度経済成長がまだ続いていて、日本の人々がまだ夢を見ることができた時代でもある。
これは1974年のオイルショックで突然終焉を迎えるわけだけれども。
そういう中で、世紀末も近くなって科学や経済が発達した夢の世界に対する負の現実
も特撮でも描かれるようになった。
それが公害問題を扱った1971年のゴジラ対ヘドラ、スペクトルマン。
そして、繁栄しきった日本が壊滅するという日本沈没。
1973年の日本沈没の映画公開(これは1974年のお正月映画でもある)の前の月には、
ノストラダムス大予言が発売されてこれもベストセラーに。
世紀末に向けての世界終末思想がここから広がって安直に「夢の21世紀」を信じられない
ようになったのも1974年からぐらいだろうね。

312:どこの誰かは知らないけれど
15/07/08 23:59:04.83 iUo4yt+n.net
ディストピア的未来の萌芽は、60年代のニューウェーブSFにも見られたし、ペシミスティックな週末イメージのハシリとしては、ロメロのナイトオブザリビングデッド(地球最後の男でもいいけど)もあったな
それらがオカルトブームに結びついてひとつの完成されたイメージを持つに至ったのが1974年て感じ?

313:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 00:06:45.92 L0rs8rWA.net
>>310
「1980年、すでに人類は地球防衛組織SHADO(シャドー)を結成していた。」
のオープニングナレーションで始まるのは「謎の円盤UFO」(70年放送)
でしたね。ドラマ内では月にムーンベースが建造されていました。放送年
からたった10年後のことなのに、あの頃の僕らは明るい未来に対する夢と
希望を持って信じていました。それが最高に結実したのが70年の万博でした。
今から思えば本当にすごい時代だったんだと感じます。あの時代を経験した
僕らは今でも、あの頃を思い出すと胸が熱くなりますね。
>>311
 万博以降の日本の情勢を簡潔にうまくまとめて下さってありがとうございます。
まさにそのとおりですよね。日本繁栄の影に公害問題などが出てきたのが71年頃
でした。これ以降、未来は明るいものではなくだんだん暗いものになっていきま
した。そして世紀末に向かって世界終焉的な雰囲気が世の中にも出てきます。
特撮作品もそのような世界観が描かれるようになっていきました。

314:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 00:22:07.13 SYYYH1df.net
>>312
1970年代の始めというのは色々な意味で
時代や世界を冷静に見つめ直すという気運が世界的にあったんじゃないかな?
アメリカではベトナム戦争の長期化で厭戦ムードが高まり、体制批判のニューシネマが台頭。
ベトナム戦争は米ソの代理戦争でもあるわけで東西緊張も相変わらず背景にあり
日本にとっても対岸の火事という感覚ではなくなってきたと思う。
それはメディアの発達による世界情勢のリアルタイム化とか1970年のよど号事件、1972年のあさま山荘事件
等、暗い影を落とす事件が相次ぎ、日本人も意識改革を迫られた時代でもある。
日本でも一大イベントである万博をピークに、ポストエキスポの時代は未来に対してシニカルな感覚が
意識せずとも醸成されていった。
そこにノストラダムスの大予言や、日本沈没といった終末思想的世界観が日本人にもリアルに感じられたんだろう。
ゴジラシリーズで言っても、ヘドラに始まり、ガイガン、メガロ、メカゴジラの逆襲等はいずれにしたって
行きすぎた文明批判的なトーンがどこかにあるよね。

315:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 00:26:03.38 L0rs8rWA.net
万博以降に進む前に、1970年にちょっと記憶に残る特撮番組が。それは9月に
放送スタートした「ウルトラファイト」である。これを観たことがない人は
ほとんどいないのではなかろうか。前期はウルトラマンおよびウルトラセブン
の戦闘シーンを抜き出してプロレス風の実況を加えていたが、後期は同作の
登場キャラクター(セブンや怪獣など)を使って野外での着ぐるみによる
格闘を展開するというバラエティ色の強い番組となった。
とくに印象が強烈なのは後期の方で、くたびれた着ぐるみの怪獣がそこらの
野原に現れて対決するという、過去の特撮ファンが観たら「何じゃこれは?」
というような番組であった。放送開始当初こそマスコミから「円谷プロは
出がらしのお茶で商売をしている」とボロクソ言われたらしいが、怪獣作品
を観慣れていない児童にとっては人気番組となった。その結果、第2次怪獣
ブームを生み出す原動力となっていった番組だったのである。

316:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 00:36:44.76 SYYYH1df.net
>>315
1969年~1970年にかけての2年間は、新マンが1971年に始まるまで
子供達は、新作の特撮作品に飢えていた時代だったと思う。
しつこくウルトラQ~セブンはリピート放送されていたという事実はある
けど、あの頃は怪獣が出てくれば何でも良かったという感覚もあった。
自分もウルトラファイトは、むさぼるように飽きずに見ていたですw
特にアトラクのバルタンやイカルスは、1969年ぐらいにあったデパートの
怪獣ショーで見たのと同じものだったので、凄く親近感が沸いたのを覚えてますね。

317:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 00:54:37.58 L0rs8rWA.net
>>316
 ウルトラファイト、これはある意味すごい番組でしたねえ。オープニング
画面が2種類あって、白バックに赤と青のひび割れた文字ならマンとセブンの
本編戦闘場面の編集、炎バックの映像なら着ぐるみ同士の野外決闘でした。
あの脳天気なウエスタン調の音楽と山田二郎アナウンサーの軽快な実況が
忘れられません。アトラク用のくたびれた着ぐるみが何とも言えない味わい
を出しておりました。新撮部にはウルトラセブンは出てきますがウルトラマ
ンは出ません。これはナゼなんでしょう。サブタイトルがまた斬新で「やらず
のウー」とか「怪獣餓鬼道」とかすごいものばっかし。

318:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 01:00:15.39 +5pbaPRj.net
「ウルトラマンは僕たちに愛と正義を教えてくれた」
「地球の平和は俺たちの力で守って行かなければならない」
などという雰囲気から、70年代に入った頃からなんだか
世間の風潮が変わって行ったようです。
勧善懲悪、単純明快な映画やドラマが姿を消して、
ATG映画みたいな虚無的な思想が特撮ものの中まで入って来た。
この頃「あっしには関わりござんせん」みたいな流行言葉が出て、
体制に迎合しない個人主義や、アナーキストが幅を利かしてきた。

319:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 10:10:07.33 wm3HzdI6.net
1970年、それは「自分たちの価値観に合わないモノへは抗議!抗議!抗議!抗議!抗議!抗議!抗議!抗議あるのみ!」という時代の幕開を告げる年でした。
1970年10月に発行された小学館の『小学二年生』11月号の付録にあった「かいじゅうけっせんカード」に、「スペル星人」の説明として「ひばくせい人」という記述があり
このカードを見た女子中学生が、東京都原爆被害者団体協議会の専門委員であった父・中島龍興(在韓被爆者問題市民会議代表)に相談し、父親は『小学二年生』編集部に抗議文を送付。
円谷プロ側の正式回答を待たずに朝日新聞が「被爆者を怪獣扱い」と一方的に報道したため、抗議運動は短期間のうちに広島・長崎の被団協などにも拡大。
他の新聞社なども同様に抗議団体の主張のみを大きく取り上げた追従記事を記載したので全国的な行動になって、円谷プロは1970年10月21日付けで謝罪の意を表し、スペル星人に関する資料を封印。
ブルーレィで復活の淡い期待も失望へと化しました。
どんどんテレビがつまらなくなっていくエポックの年でした。

320:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 16:53:46.57 C8TL2I79.net
なんか物いスレッドですねここ

321:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 20:13:28.00 L0rs8rWA.net
>>318
 そうですねー、世の中全体がなんか万博で頂点に達して燃え尽きちゃった
感じはありましたね。その後は公害とかそれまでの負の側面が一気に出て
来た感じで、TVや映画、文化的なものまで変わっていった気がします。
>>319
 おお、あのスペル星人事件はこの年でしたか。あれはネーミングの呼称の
問題であって映像の内容には無関係だったのにね。これはけっこう大きな
社会問題として取り上げられた記憶があります。

322:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 23:30:40.59 L0rs8rWA.net
みなさんの1970年、および70年代についての熱い思いが伝わりました。
やはりこの70年という年は特別な思い入れがある方が多いようですね。さて
万博終了後の70年代はどのような時代だったのか、どんな特撮作品が生まれ
ていったのかこれから振り返ってみましょう。
まずは1971年(昭和46年)ですが、いよいよ第2次怪獣ブームが起こります。
この年の有名な特撮作品は、やはり何と言っても「仮面ライダー」(4月放映
開始)ですね。もはや歴史的な番組です。そして円谷プロの「帰ってきたウル
トラマン」(4月)「宇宙猿人ゴリ」(1月)「シルバー仮面」(11月)
「ミラーマン」(12月)などが続々とスタートします。
わが家では昭和45年か46年頃にカラーテレビをやっとこさ買いました。最初は
その映像の美しさに感激していた覚えがあります。白黒からカラーに変わった
時、科学時代の進歩を実感しましたね。新しい時代がやってきたという感じ
でした。

323:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 23:47:28.54 SYYYH1df.net
>>322
我が家にカラーテレビがやって来たのは、忘れもしない1972年の2月の初めだった。
なぜそこまで憶えているかといえば、家で初めて見たカラーの特撮が
帰ってきたウルトラマンのコダイゴンの回だったから。
いやとにかく感動した。
ウルトラマンのシルバーと赤が眼にまぶしかった。
当時はだいぶカラーテレビは普及していたから、我が家は導入が比較的遅かったかもしれない。
たぶん72年にもなると 【カラー】 なんていうテロップはもうテレビの右下には出てなかったと思う。
いまの感覚で考えると、そのカラーテレビは18インチ程度のもので画面は小さいのだが
ブラウン管なので筐体はずいぶんとデカかった。
テレビの天板の上に、レースの敷物を敷いて、その上に置物とか時計を置いていたのも憶えてる。
リモコンなんてものも勿論なくてチャンネルでガチャチャやってましたな。
でUHFの方はぐるぐると回す感じ。
NHKだけはVHFとUHFの両波でそれぞれ異なる放送をやっていて、刑事コロンボなんかは
UFH波でよく見た印象が残ってます。

324:どこの誰かは知らないけれど
15/07/10 00:17:01.30 0azeo2JI.net
>>323
 おお、カラーテレビの思い出ですな。詳細に覚えておられますね。たしかに
当時のテレビはスリムじゃなく、奥の方がけっこう大きかったです。チャンネル
ガチャガチャでしたねえ。最初のリモコンはテレビのチャンネル部分が勝手に
ガチャガチャ回るという不気味なものだったらしいです。もちろんそんなもの
はまだなくて手動でした。
 そういえば「カラー」テロップありましたね。たしか新聞の番組欄にも最初は
「カラー」って書いてありましたが、昭和40年代後半にはカラー番組がふえて
記載しなくなったはず。カラーテレビで最初に観た番組は何だったか覚えてない
ですが「細うで繁盛記」などはカラーで観ましたね。特撮番組はあの頃何を観て
たのかよく思い出せません。仮面ライダーは旧1号編から観てました。今でも
旧1号がいちばん好きです。

325:どこの誰かは知らないけれど
15/07/10 01:02:21.96 fwzK0wsk.net
タイガーマスクvsゴールデンマスク戦をカラーテレビで観戦してたちびっ子ハウスの子供たち。
ゴールデンマスクが発光しだして、みんな目をやられ、若月先生が
「カラーをしぼって白黒にしなさいっ」とルリ子さんに言うシーン
当時白黒テレビで見ていて、カラーで見たら本当にまぶしくて見ていられないんだろうか? と思った記憶あり。

326:どこの誰かは知らないけれど
15/07/10 03:58:02.15 0azeo2JI.net
>>325
 「虎だ!虎だ! お前は虎になるのだ!」「タァ~~ッ!!」
あの当時、現在のような「伊達直人現象(タイガーマスク運動)」が起こる
ようになろうとは想像もしませんでしたね。

327:どこの誰かは知らないけれど
15/07/10 09:40:19.64 0azeo2JI.net
昭和46年頃のカラーテレビの普及率はおおよそ50%前後で、国民の約半分の
家庭はカラーだったがまだまだ白黒テレビで見ている人も多かった。
昭和46年頃はカラー放送に完全移行し始める時期で、ゴールデンタイムの番組
はほとんどがカラーになっていた。しかし当時のカラーテレビはまだまだ値段
が高くすぐに手を出せる物ではなかったようで、月賦や貯金をして意を決して
カラーテレビを購入していたのが現実だった。わが家もそうだったかも知れない。
テレビが来てしばらくはみんなで「きれいな色やなあ」と言いながら観ていた
のが思い出される。わが家のカラーテレビはソニー製の物で、とくに青色が
きれいという定評があった。しかし下宿先の伯母さんの家はずっと白黒テレビ
で、宇宙戦艦ヤマトも初回放映は白黒で観た。

328:どこの誰かは知らないけれど
15/07/10 23:17:28.78 0azeo2JI.net
4月から始まった「仮面ライダー」を観ていた。全身が黒っぽくて昆虫のよう
な顔をしたちょっと異色のヒーローだった。改造人間という設定。お話も怪奇
調でちと不気味。しかしながらゾクゾクする妙な爽快感はあった・・・
この作品の基本線は等身大のヒーローと怪人が対決する「痛快SF怪奇アクション
ドラマ」であった。怪奇ドラマ的な演出ではあるが、颯爽とオートバイに乗って
「ライダーキック」などのダイナミックなアクションによる格闘シーンや
グロテスクな怪人の登場が特徴である。ショッカーという敵が妙にリアルだ。
最初は変わったヒーローだなと思って観ていたが、しばらくしたら急に眉の
濃いお兄さんが出なくなって新しい別のお兄さんが。そして腕を回すポーズ
をしてベルトの風車を出し、飛び上がるとそこにはマスクの色や模様が違う
仮面ライダーが出てきた。あの時、観ていた僕らは????であった。この
お兄さんはだれ? 最初の黒い仮面ライダーはどこへ行ったの?
当時の僕らは、藤岡氏のオートバイ事故の事情など全く知らなかった・・・

329:どこの誰かは知らないけれど
15/07/10 23:42:46.82 0azeo2JI.net
「変身!」のかけ声と腕を回す変身ポーズで出現するのが新しい仮面ライダー
2号であった。こちらは大変明るくて変身するお兄さんもさわやか。全体の
雰囲気も明るくなった。作品の視聴率もアップして日本中に「変身」ブームが
やって来たのだ・・・
だがしかし、しかしだ、僕らは忘れていなかった。あの黒い旧1号仮面ライダー
を。あのライダーはどこへ行ったのか? 2号のお兄さんの話では外国に行った
とのこと。ではまたいつか出てくるのか・・・? 黒い仮面ライダーへの思いを
残しながら、仮面ライダーは怒濤の勢いで日本を席巻していったのである。

330:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 00:36:21.38 30G2Svkz.net
どこを目指してるの?

331:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 00:42:44.96 L7xFnx+s.net
まだ人の胸に ぬくもりがあって
まだ海の色が コバルトの時代   を目指してるんだよ、明智くん。

332:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 09:17:08.05 lKcKqP9/.net
怪獣が表紙になっていた高額な特集本は
夢とあこがれだった。

333:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 10:11:06.91 cEgKyrni.net
僕が初めて仮面ライダーを見たのはヤモゲラスの回からだった
スノーマンの時「諸君はこの青年を覚えているだろうか?」と聞かれても
「誰?」という感じだった
だから僕の1号ライダーは一文字隼人

334:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 10:12:31.15 dP0fc8KP.net
うちもカラーテレビが来たのは昭和46年7月だった。その日に仮面ライダーがあり、
ヒトデンジャーの回だった。カラー調整ツマミをいじって、ヒトデンジャーの体色をいろいろ変化させて楽しんだのを
覚えている。

335:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 10:19:37.54 t6P9Zawx.net
>>334
ああ、やった。やった。
今のハイテクなHDテレビだと映画見る時とかの総合的な調整をすることはたまにあるけど
まず触る事ないからな。設定が狂っても面倒だ。
だけど昔のアナログカラーテレビは色調整が簡単にできたな。
あとテレビの裏側は、たいてい木でできていて、放熱用に穴が空いていて中が除けるようになっていた。
さすがに白黒テレビと違ってもうトランジスター化されていたけれど。
ちなみに家の初カラーテレビはソニーのトリニトロン。 タコの赤ちゃんのCMが懐かしい。

336:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 12:00:45.53 ACwQrd6q.net
>>331
シーっ。
それは薄々感じていた。
ここだけの秘密にしておくんだワトソン君。

337:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 12:34:44.88 L7xFnx+s.net
>>333
 そうですね。あの当時は完全に藤岡弘、さんより佐々木剛さんの方が人気
でしたよね。2号ライダーになってから仮面ライダーの人気が急上昇したため、
当時旧1号ライダーは観てなかった人も多いだろうと思います。旧1号に思い
入れがあるのは少数派かも知れません。しかし2号になってから、ほんまに
作品カラーが明るくなりました。ライダー自身も体にラインが入って明るく
なり、一文字隼人の性格も本郷猛よりずっと明るくちょっとコミカルに設定
された。主題歌も藤岡さんのシブい歌から子門さんのはっきり明瞭な歌に。
ライダーガールズも出てきて画面が華やかに。何よりもあの「変身ポーズ」
が出てきたことが最大のアピールポイントですね。変身ポーズは当時の子ども
誰もがマネしたものです。
しかしこれも全ては藤岡さんのバイク事故による降板から始まったできごとで
した。もし当時、あのまま藤岡さんが続けてライダーを演じていたならあそこ
まで有名作品にならなかったかも知れません。まさにケガの功名といいますか。
仮面ライダーはこのように奇跡的な主役交代によって人気がアップしました。
そして藤岡さんが再登場してダブルライダーが誕生した時、その人気が頂点
に達しました。

338:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 14:49:23.00 cEgKyrni.net
ゾル大佐と戦うライダーがCMに入った時、チャンネルをガチャガチャまわして1分間だけこれ見てました
URLリンク(www.youtube.com)
ヒロインは後のキャンディーズのスーちゃんです
舞台で見る特撮番組でしたが、怪獣の造形センスが素晴らしい
ソフト化できないのが悔やまれて成りません

339:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 15:32:18.31 L7xFnx+s.net
>>332
 怪獣図鑑の種類の書籍ですね。昭和40年代から数多く出てました。当時は
写真資料が少なかったため、梶田達二ほかの絵師によって迫力あるイラスト
が描かれたものが多かったです。その中にはテレビではなかった夢の対決も
描かれていました。またTVの俳優によるオリジナルドラマのソノシートも
付いているものがありました。あの頃は情報が少なく、それらの書籍は貴重
な情報源でしたが、時々「ほんまかいな」というような怪情報も書かれてい
ましたね。ふらんす書房、現代芸術社などの出版社が懐かしい。
あの頃は少年マガジンなどの巻頭グラビアでも怪獣やヒーローが登場し、子
ども向けの本はほとんど怪獣たちに占拠されていたものです。

340:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 16:12:40.02 lKcKqP9/.net
週刊漫画雑誌も、別冊の月刊・季刊を発売していたぐらい、当時は月刊漫画雑誌は
人気があったな。しばらくすると週刊に駆逐されてしまったが。
月刊の魅力は、ふろくの多さ。雑誌の厚みが3倍にふくれあがるほど、付録満載だった。
ふろくがこぼれ落ちるので、雑誌を紐で縛って売っていた。

341:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 16:54:13.31 I8hBaJ9C.net
冒険王は残ったけど、新たな月刊漫画誌コロコロコミックに駆逐されたな。

342:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 17:48:24.38 E5wZOa/P.net
仮面ライダーといえば山本リンダも出てたな。
当時は「♪困っちゃうな」のカワイ子ちゃん歌手のイメージが生きてた時代。
あんまり有名役者が出る番組じゃないのでやや意外だった。
その後リンダは「ウララ~ウララ~」のセクシー路線に移行する。

343:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 22:25:06.00 lKcKqP9/.net
昭和40年代の日本、
東京オリンピック、カラーテレビ、高速道路、東海道新幹線、
六本木ヒルズ、霞ヶ関ビル etc
まだトーキョーが若者を魅了していたあの頃。

344:どこの誰かは知らないけれど
15/07/12 00:11:26.17 XEns3J7U.net
>>342
ライダーガールはいろんな子が出てましたね。個人的には高見エミリーが
好きだった。一文字はいつもライダーガールがいない場面で変身してたが、
ライダーガールは一文字や本郷の正体を知っていたのかどうか気になる。
野原ひろみ役の島田陽子さんはけっこう有名な女優さんだね。
ところで旧1号編に出てた緑川ルリ子役の真樹千恵子さんだけは本郷が日本
に帰って来てもいっしょにいる姿はついに見られなかった。彼女は本郷を
追って外国に旅立ったあとどうなったのだろう。すんごく気になる。

345:どこの誰かは知らないけれど
15/07/12 02:47:08.24 XEns3J7U.net
>>340
 60年代の月刊漫画雑誌には「少年クラブ」「少女ブック」「少年ブック」
「ぼくら」「少年画報」「まんが王」「冒険王」などがありました。
附録はけっこう凝ったものが多く、少年画報の組み立てマグマ大使や
ジェットモグラタンクは紙製とは思えないほどよくできていました。また
別冊附録漫画という形で本誌の続きなどが別冊になっていました。「ガメラ
対大魔獣ジャイガー」の別冊附録が劇場でプログラム代わりに売られてたの
を買った記憶があります。(本誌は何の本だったのか忘却・・・)
週刊漫画雑誌の進出によってしだいにその姿を消し、最後まで残った冒険王
も83年4月に廃刊となりました。冒険王は74年に松本零士の宇宙戦艦ヤマトが
連載されており(月刊誌のため展開がTVについて行けず、異次元空間に
入ったと思ったら次号で最終回というムチャクチャな展開。後に単行本で
大量加筆)、その頃は買っていました。冒険王には仮面ライダーストロンガー
や、アストロミュー5など珍しい特撮ものも載ってました。月刊漫画雑誌は
当時の特撮作品をよく取り上げていたと思います。

346:どこの誰かは知らないけれど
15/07/12 11:53:55.07 XEns3J7U.net
>>339
 怪獣図鑑は朝日ソノラマのものが元祖かなと思いますが、たしか初版には
ぬえ、鎌倉大むかで、青銅大魔人などTVには出てこない怪獣が載ってたので
後に差し替えられたと聞いた。青銅大魔人は蒙古の軍船が運んできたという
設定だが、いったいどのような構造で動かしてたのか謎だ。設定は面白い。
たしかソノシートにはこの青銅大魔人が出てくるものがあった。ソノシート
のドラマはTVを離れた自由奔放なもので、バルタン星人がボスで集まった
宇宙怪獣と地球怪獣連合が対決するという壮大な話もあった。また、サンダ
とガイラが暴れるのをゴジラとラドンが諫めに行くという話も。これらはぜし
とも当時の着ぐるみで映像で観たかったものだ。
また書籍でなくソノシートを単品としてレコード店などでも売っていた。朝日
ソノラマのものが多かったと思う。だいたいは歌とドラマで構成されてるのが
多く、好き!すき!!魔女先生などは菊容子さんご本人が声の出演をされていて
貴重なものとなっている。

347:どこの誰かは知らないけれど
15/07/13 12:40:29.25 5KZr7tsx.net
当時、怪獣図鑑は書店、ソノシートはレコード店で売ってたね。
怪獣図鑑は男の子はたいがいの子が持っていなすった。怪獣の解剖図を考案
したのはかの大伴昌司御大らしいが、その件で円谷プロとひともんちゃく
あったと聞く。少年誌の怪獣グラビヤには必ず氏のイラストが載っていたもの
だ。
ソノシートは当時、朝日ソノラマの仮面ライダー旧1号が表紙になってるものを
手にしたのだが結局買わず、ライダーとスペクトラマンがいっしょに入ってる方を
買ってしまった。旧1号のファンだったのになぜ買わなかったのか不思議でならない。
ドラマの声優がオリジナルでない時はどうも違和感があったなあ。
仮面ライダーはダブルライダーから新1号まで全部観た。ダブルライダー編で旧1号
は帰って来たのだが、真黒なマスクに真っ赤な目玉の桜島1号は、なんとなく往年の
旧1号とはイメーヂが違ってた。「え?これ旧1号なん?」っていう感じ。その後
新1号に変わって旧1号は完全に姿を消したのだが、やっぱりあの初期の旧1号が
マスクの色や造型も味わい深いものがある。サイクロン号も初期の旧1号が乗ってた
ものがいちばん好きだった。新サイクロンが出た時はデザインのしょぼさにえらく
ガッカリしたのを覚えている。

348:どこの誰かは知らないけれど
15/07/14 04:26:56.83 R39ExbKf.net
♪荒野を渡る風 ひょうひょうと~♪
個人的にはこの「ロンリー仮面ライダー」という歌は最高によいですね。
短い歌詞の中に、改造人間の哀しみや孤独、たとえ独りでも最後まで戦う
という強い意志が内包された素晴らしい歌。
♪されどわが友 わがふるさと♪ ふつうの人間だった頃の友人や故郷に
心を偲ばせてる、現在のつらい境遇が哀しくて涙が出てくる。ライダーソング
の中で最高傑作やと思います。カラオケで歌うと泣けます。

349:どこの誰かは知らないけれど
15/07/14 12:53:36.05 oqa5I5oc.net
1971年7月に公開された久々の新作ゴジラ映画が「ゴジラ対ヘドラ」である。
時代背景として大きな社会問題であった公害問題を前面に打ち出し、特に
当時話題だった「四日市コンビナート工場煤煙」「田子の浦港ヘドロ公害」
を題材にしている。サイケデリック文化や若者のモラトリアムなど同時代の
様々な背景も色濃く盛り込まれている。
円谷英二も死去し当時の東宝特撮は壊滅的な状況だったが、田中友幸プロデュー
サーの「もう一度ゴジラを考えよう」という意気込みで企画がスタートした。
本作では飛行形態となって逃げるヘドラを追ってゴジラが後ろ向きに空を飛ぶ
というびっくり仰天のシーンが描かれ話題となった。監督である坂野義光と
中野昭慶の発案だが、これに対し田中友幸が猛反発。そのゴタゴタで撮影中止
寸前にまでなったとか。しかし本作はなんとか無事に公開されそこそこヒット
した。東宝チャンピオンまつり作で同時上映は帰ってきたウルトラマン他。
このゴジヘドはとにかく異色作である。公害が生んだ奇怪な怪獣ヘドラのキャラ
クターが圧倒的。ゴジラも目を潰され手は骨になるというこれまでにない一大ピンチ。
ゴジラが空を飛ぶシーンは当時の僕らはふつうに楽しく観た。館内は大爆笑であった。
公害という重いテーマの作品なのでこういう笑えるシーンも入れたんだろうと、
その時はそう思ってた。ラスト、ゴジラが公害を生み出した人間に向かってキッと
にらみつけるシーンが印象深い。ヘドラの描写はとにかく怖く、途中で出てくる
魚人間など人間ドラマも時代を強烈に反映している。傑作である。

350:どこの誰かは知らないけれど
15/07/14 21:07:40.19 UcvdG52n.net
次回は魔人バンダーについて語ります。乞うご期待!

351:どこの誰かは知らないけれど
15/07/14 21:41:30.42 R39ExbKf.net
>>350
 正確には「魔神バンダー」ですぞ、明智くん。
この作品は1966年に制作されるも1969年1月になってやっと放映されたのだ。
フィルムが現存してないのかDVD未発売。拙者、二十面相がTVで見た記憶
は、顔を引っ込めたまま無言で前進するのを警官隊が発砲してるシーン。
最終回は特攻隊のごとく散ってゆくらしい。そこで同期の桜が流れる。
マーミットからリアルな40cmクラスのフィギュアが出てるよ。買ってくれたまえ、
明智くん。さばらだ。

352:どこの誰かは知らないけれど
15/07/14 21:51:44.55 UcvdG52n.net
次回はワニゴンとガマロンをお送りします。

353:どこの誰かは知らないけれど
15/07/14 21:55:14.54 R39ExbKf.net
その話は昭和41年頃の話題で出たざんす。

354:どこの誰かは知らないけれど
15/07/14 22:02:38.56 qBDn/Td+.net
僕はワニゴンをバルゴンだと自分に言い聞かせながら作った記憶がある

355:どこの誰かは知らないけれど
15/07/14 22:15:30.20 R39ExbKf.net
ぱっと見は、角や四つ足歩行ポーズなど似てないと言えないこともないとは
言えるかも知れない。本来バルゴンは四足歩行の怪獣だからワニゴンのよう
に歩行させるのが妥当。しかし日東のバルゴンは二足歩行で立って歩く。
あれはガメラプラモと対決させるため無理やり立ちポーズにしたもの。四足
歩行じゃ立ち怪獣と戦わせられないから。ワニゴンの頭部をバルゴンに変え、
背中にトゲを付ければ四足歩行バルゴンのできあがり。当時そういう改造を
した子どもたちもきっといたことだらう。

356:どこの誰かは知らないけれど
15/07/14 22:29:05.55 R39ExbKf.net
そもそもワニゴンという怪獣は何かのTV作品か映画に出てた怪獣だと当時
は信じてた。箱絵が実にリアルだったからね。日東オリヂナル怪獣だったと
知ったのはずいぶん後になってから。四足歩行怪獣は戦いには不向きだけど
ジーコジーコとよく歩いた。製品は愛嬌のあるペットふうのイメージだ。
このオリヂナル怪獣で「大怪獣死闘 ワニゴン対ガマロン」という映画を
作ってほしかったなと思う。

357:どこの誰かは知らないけれど
15/07/15 01:04:19.23 DjSN9dr3.net
>>356
「海底怪獣ワニゴン対地底怪獣ガマロン」というタイトルで実際に今から
15年前に映像化されているよ。
アマプロの作品で短編特撮作品だけどね。
当時日東プラモの復刻版の出店ブースで売ってたVHSビデオを手に入れて今でも持っている。
残念ながらもうビデオテープのデッキが無いので再生できないけど。

358:どこの誰かは知らないけれど
15/07/15 02:33:28.81 lf6uBv2j.net
>>357
 その映像は見たことないですが、プラモを使った対決ものかと思われ
ます。 
ワニゴンとガマロンが出てる映像を探して観てみました。プラモの直接対決
はやはり組み合えないので戦いにならないようです。このワニゴンはソフビ
も出てたようで(これは最近の製品か?)、「ワニゴン対海底軍艦」という
作品もありました。日東オリジナル怪獣のワニゴンとガマロンはけっこう
有名な怪獣のようですね。ワニゴンあらためて見てみましたが、これをバル
ゴンに改造するのはちょっと無理ですねえ。(>_<)

359:どこの誰かは知らないけれど
15/07/15 07:59:20.11 CQCTgEhl.net

URLリンク(spectre-nebura.cocolog-nifty.com)

360:どこの誰かは知らないけれど
15/07/15 08:44:06.17 ISaW2LP8.net
ガマロンの箱を見て、小5の時学校に持っていったらクラスの女子で「がまぐちそ」と読んだ奴がいたことを思い出した
もちろんガチで

361:どこの誰かは知らないけれど
15/07/15 12:51:42.29 d43OCFv1.net
>>359
 画像どうも。これは再販時の箱ですね。初版の時はワニゴンの背景が
もう少し多く入っていて、対岸の街の灯も見えます。再販は絵がややアップ
になったということですね。この箱絵に忠実に着ぐるみが制作されれば、
けっこうリアルな怪獣になると思います。どこぞの会社で「大怪獣激闘
ワニゴンVSガマロン」という映画作ってくれないでしょうかねえ。

362:どこの誰かは知らないけれど
15/07/15 12:54:14.81 d43OCFv1.net
ワニゴンとガマロンの話題になってますが、日東のオリジナル怪獣にはもう
一匹、ゴーゴンとかいう恐竜っぽいヤツがいたと思うのですが、これは買った
ことがないのでよく覚えていません。

363:どこの誰かは知らないけれど
15/07/15 16:18:04.79 JLbZn5i5.net
バルゴンの後ろ足がタイヤになっててゼンマイで走るプラモ持ってたような気がする

364:どこの誰かは知らないけれど
15/07/15 17:57:55.77 YDbxGGXK.net
ドラゴンというのもいたな>日東のオリジナル怪獣

365:どこの誰かは知らないけれど
15/07/15 23:01:11.04 ISaW2LP8.net
印象深いのはやっぱり水素の怪獣だな
URLリンク(jumbow.main.jp)

366:どこの誰かは知らないけれど
15/07/16 01:27:22.82 cHKMthzA.net
二足歩行のガメラ持ってたけど、
何か他怪獣と対決させる際向きを調整するためのサスマタみたいな棒が入ってた記憶がある。

367:どこの誰かは知らないけれど
15/07/16 08:43:25.10 nH4hNZr+.net
次回は幻の大怪獣アゴンについての貴重なお話を伺います。

368:どこの誰かは知らないけれど
15/07/16 08:57:54.52 dfaWc/0p.net
アゴンはドグマに殺された

369:どこの誰かは知らないけれど
15/07/16 17:09:39.15 n8vpDCrl.net
日東のオリジナル怪獣はワニゴン、ガマロン、ゴーゴン、ドラゴンの
4匹のようですね。ゴーゴンとドラゴンはいかにも恐竜っぽい姿形のヤツ
でしたが小生はこの2匹は買った記憶がありませぬ。
>>366
 そのサスマタみたいなのはコントロール棒といって、初期の頃だけ入ってた
部品のようです。これで尻尾を動かしてうまく対決するように向けるものです。
>>365
 オリジナル怪獣ですね。個人的に印象深いオリジナル怪獣は森永トコちゃん
キャラメルのおまけ「ワンダービュー」という、角度によって動くように見える
立体カードの怪獣です。ウルドラゴン、ジャングラー、リモゴン、ラジゴン、
アンゴラス、エレキドンなどがいました。
>>367
 アゴンについては、着ぐるみの造型がアロンと同一人物であるということ、
アロンの着ぐるみはアゴンの改造ではないということしか知らないです。
映像は観たことがない。

370:どこの誰かは知らないけれど
15/07/16 23:14:45.92 2HOmm0yr.net
>>363
 昔のプラモは今と違って、ディスプレイものは少なくほとんどが動かして
遊ぶものでした。その動力はゴム動力、ゼンマイ、モーター、はずみ車といろ
いろ。怪獣プラモも飾るものではなく動かして遊ぶものという認識があって、
足がタイヤになろうと動けばいいというものでした。怪獣レーサーといって
怪獣がサイドカーみたいなのに乗ってるプラモ(怪獣レーサー・ペピラ)も
買った記憶があります。
あの頃のプラモで飾るものといえば刀とか兜、お城、楽器などのプラモがあり
ました。男の子が作ってたプラモで多かったのが戦車、飛行機、軍艦でしたね。
戦車や軍艦はモーターで動かすものが多く、さすがに飛行機はディスプレイの
が多かったですがプロペラにベビーモーターを仕込んだものも多く、中には
モーターでプロペラを回して風圧で滑走させるというものもありましたね。
あの頃はとにかくリアルさよりも「動く」ということに重点が置かれてたもの
が多かったと思います。今の時代はディテール重視のディスプレイものが多い
ですね。

371:どこの誰かは知らないけれど
15/07/17 22:40:13.85 kylMaXyJ.net
>>368
 そのアゴンは仮面の忍者赤影第3部・根来編に登場した怪獣ね。女忍者
虫寄せ風葉は忍法甲虫変化で笛(オカリナ)を使って大甲アゴンを操るくのいち
である。アゴンは角から金縛り光線を放つ。アゴンは後に赤影に操られ大百足
怪獣ドグマと戦って倒される。風葉はドグマを操る女忍者・矢尻に見捨てられ、
赤影にドグマの弱点を告げた後抜け忍となる…?というのがアゴンの経緯。
このアゴン、見た目的には巨大カブト虫の背中に大きな角が生えているような
感じ。昆虫モチーフの代表的なヤツ。リアルなフィギュアも出ている。買った。
赤影では第3部から毎回怪獣が数多く登場するようになる。個人的には第4部の
魔風編に登場した「うぃっうぃっ!」という独特の鳴き声で鳴く岩石怪獣ががら
が印象深い。アゴンと同じく、あとで赤影の味方となる。また鎧忍獣グロンも
いいデザインである。
このように個性的な怪獣が数多く登場した赤影であったが、これらの怪獣たちは
放送当時でさえほとんど怪獣図鑑等で取り上げられることがなかった。現在
フィギュア化されているのもごく一部である。デザイン的にもユニークなヤツが
多いのに誠に残念な限りである。

372:どこの誰かは知らないけれど
15/07/17 23:52:08.67 jbkou7Cn.net
鎧忍獣グロンを操っていた夜目蟲斎という忍者がユニークすぎる。
グロンを呼び戻し掌の中で小さくして「いいところへ行くんだ」と飲み込むシーン。
次にグロンを出す時はウンコと共にか?って疑問に思った。
影部落を襲撃した時、魔風忍群はなぜ6大怪獣で総攻撃しなかったのか?
里がピンチなのになぜ陽炎は黄金の仮面を巨大化させてグロンを秒殺しなかったのか?
赤影第四部の3大疑問である。
聞いてみたいが、伊上さんも倉田さんももうおられない。

373:どこの誰かは知らないけれど
15/07/18 03:13:11.29 BZ2lBRK2.net
>>372
 固い鎧に身を包みヘンテコリンな奇声をあげて鎧虫怪獣グロンを操るのは
夜目蟲斎(よいのめ ちゅうさい)でした。演じるは大城泰氏。
普段はグロンを縮小化して体内に隠しているがグロン同様顎にある三日月型
の痣が弱点。青影に簡単にやられてましたね。あのヘンテコな奇声がなんとも
可笑しい。鎧怪獣グロンは第一回に出てきて飛騨の影一族の里を全滅させます。
球状に丸まって空を飛ぶとても頑丈なヤツです。今見ると黒光りする身体が重厚
で秀逸なデザインだと思います。エキスプロの造形も素晴らしいです。
最初からなぜ6大怪獣で総攻撃しなかったのかということですが、初めから全部
見せちゃったら視聴者の興味が薄れちゃうからではないでしょうか。話数をかせぐ
ためにはやはり一体ずつ小出しにして、最後に6大怪獣勢揃いというパターンが
王道でしょうね。いきなり怪獣軍団で6匹出たらそれぞれの個性も描けませんし。
黄金の仮面の謎が第4部のいちばんの秘密ですからそれをいきなり見せちゃったら
そのあとの展開が描きにくいですね。第4部全体の構成を考えれば黄金の仮面の謎
は最後まで明かさないというのが常套でしょう。シリーズとしての演出上の措置
であると思います。

374:どこの誰かは知らないけれど
15/07/18 03:42:48.45 BZ2lBRK2.net
赤影で最も有名な怪獣といえば、やはり第1部金目教編の千年蝦蟇と金目像
であろうか。千年蝦蟇は前年の映画「怪竜大決戦」に登場する大蝦蟇から
角とトゲを抜いたもの。ただしオープニング場面で屋根を突き破って現れる
千年蝦蟇のシーンは怪竜大決戦の流用のため、チラッと角が映ってる。
当時「怪竜大決戦」を観て感動してたので「あの正義の味方の自雷也の蝦蟇
がなんでわるものになってるの?」と思ったものである。この赤影登場の
千年蝦蟇、赤影に刀で突かれたり崖から落とされたり徹底的にやられる。
観ていてちょっとかわいそう。前年は正義の怪獣だっただけによけいにそう
いう気持ちで観てた。
金目像、これはもう誰が見ても「悪の大魔神」だね。金目教のシンボル的
存在で初めて動き出すシーンは大魔神が動き出すシーンに似ている。機械
仕掛けで幻妖斉が操縦してるのがユニークではある。らんらんと光る目が
効果的だ。この2体は何度も登場し金目教編のイメージを固める役割をした。
千年蝦蟇と金目像はともにリアルフィギュアが出ている。買ってね。

375:どこの誰かは知らないけれど
15/07/18 19:52:14.30 Zh4yS2wp.net
怪獣ブームのさなかだったな、「快竜大決戦」を観に行ったよ。
東映お得意の時代劇ロマンに初めて触れてエキサイト!
しかし、同時上映の「黄金バット」のほうがモノクロながら、
子供心にも妖しすぎて、今でもあのえげつない魅力は私の宝物です。
何十年も再観していないが、今観たらどうなんでしょうかね?
dvdとかで出てる?

376:どこの誰かは知らないけれど
15/07/18 19:59:22.14 h9xpdT4d.net
tubedemita

377:どこの誰かは知らないけれど
15/07/18 23:14:38.54 BLfd8h44.net
映画の実写版「黄金バット」といえば、ケロイドという名前の悪人が主役を食っていて、すごい存在感。
私はDVDで見直して、「今ならスペル星人なみに封印されるな」と思いましたね。
名は体を表す、というか本当に顔にケロイドがあるメイクなんです。でも、どこかで見た顔だなぁと。
ケロイドを演じたのは沼田 曜一。
そう、ウルトラQ「逆襲のガラモン」の回で、人間体の蝉人間をトラックに乗せた運転手さんです。
最後は警官のピストルで蝉人間を撃ってチルソニア遊星人の正体を暴いてしまうすごい人なんです。
沼田 曜一さんはマイティジャックでもQのボスを演じていた記憶があります。
彼のケロイドを見るだけでも、黄金バットを見返す価値はじゅうぶんあるでしょう。

378:どこの誰かは知らないけれど
15/07/19 00:46:51.76 fmnk8FNY.net
沼田曜一と云ったら、先ずは「地獄」だな

379:どこの誰かは知らないけれど
15/07/19 00:47:33.18 OKfEcsF8.net
>>375
怪竜大決戦と黄金バット、なかなかすごい2本立てでしたね。東宝の怪獣
ものでは味わえない独特の世界観がありました。どっちもいまだに印象深い
作品であります。怪竜大決戦の雰囲気は翌年の赤影に、黄金バットは翌年の
アニメ版に引き継がれました。大蝦蟇は千年蝦蟇としてちょこっと姿を変え
て再登場。怪竜も途中のお話で出てきます。
両作品ともDVD、LDが出ています。とくにLDの方はBGMと台詞・効果
音がチャンネルで分離できるので、簡単にサントラ音楽集が作れます。どちら
もサントラCDは出てないので貴重ですよ。ぜひご覧になって下さい。
>>377
 ああ、ケロイドねえ。今の時代なればこのようなキャラクターは社会通念上
許されないものでしょう。昔はそういう時代であったのです。差別的な事象も
映画やTVで堂々と出していました。特撮作品はそういう時代の証言者である
とも言えますね。

380:どこの誰かは知らないけれど
15/07/19 04:12:13.58 OKfEcsF8.net
1971年10月、小生の心を揺さぶる特撮作品が放送された。(実際は72年に再
放送で初めて観た)それは「好き! すき!! 魔女先生」である。石森章太郎氏
の少女向け劇画「千の目先生」を原作とするが、作品内容は全くの別物。
遠い宇宙の彼方から地球にやってきたヒロイン・月ひかるが東京の小学校に
赴任して児童たちと触れ合う学園ファンタジーものだった。初めてこの作品
を観た時、何ともいえない素敵な作品という感じだった。美人で優しい理想
的な女の先生が主人公で、その先生は実は宇宙人で超能力も使える・・・
何ともワクワクする設定のお話であり、女性のヒロインが主人公である特撮
作品はそれまでなかったものであった。小生はたちまちこの月ひかる先生の
ファンになってしまった。
またもうひとつ、主題歌と副主題歌の素晴らしさにも心を打たれた。とくに
エンディングに流れた「月光の子守唄」はもう最高に素敵な歌だった。鈴を
転がすような美しい声のこの歌は誰が歌ってるの? 初めて聴く声の歌手だっ
たのでレコードを買ってみると、堀江美都子・・・この歌こそアニメ歌手ミッチ
と初めて出会った記念すべき歌であった。以来、ミッチの大ファンとなる。
石森氏の絵は何度も真似て描いてみた。この作品はそれまでの特撮作品にはない
素晴らしい魅力にあふれていた。

381:どこの誰かは知らないけれど
15/07/19 04:29:49.57 OKfEcsF8.net
この好き!すき!!魔女先生であるが、最初の3か月間は原作と同じ学園もの
だったが1972年の年頭に内容を一新し、月ひかる先生がアンドロ仮面に変身して
悪者との対決をするというアクションヒロインものにスタイルを変更した。
この展開には観ていた小生もビックリ。
第14話にて上級平和監視員への昇進を認められ、アンドロ仮面への変身コンパ
クトが渡される。コンパクトを掲げ「アンドロ仮面、ラーフ!」と叫ぶとコン
パクトが開き変身できる。その後、怪人クモンデスが登場してからはもう完全に
仮面ライダーなどと同じ、アクション特撮作品となってしまったのである。
この路線変更は当初から予定されてたらしいが、個人的には前半の超能力学園
ものの雰囲気が好きだったのでちょっとショックだった。スポンサー側も路線
変更はあまり歓迎しなかったとも聞く。
最終回もクモンデスを倒し校長先生のお祝いの会をするところで終わっている
が、願わくば満月の夜に子どもたちに見送られながら月に帰ってゆくという話
にしてほしかった。最後まで「かぐや姫先生」のイメージで通してほしかった
と思う。

382:どこの誰かは知らないけれど
15/07/19 07:03:49.59 hc3V0mfK.net
魔女先生の人が殺されたのにはびっくりしたね

383:どこの誰かは知らないけれど
15/07/19 10:31:43.05 OKfEcsF8.net
>>382
 まあその話題は当時世間を席巻しましたので、特撮ファンには悲しい有名な
出来事となりました。事件のことは先日の爆報フライデーでも取り上げてまし
たが、全て仮名なので知らない人にはわけが分からなかったと思います。
菊さんはまだお若くてこれからますますご活躍される期待の星だったのに残念
です。魔女先生が代表作品ということになってしまいました。

384:どこの誰かは知らないけれど
15/07/20 15:37:56.66 Mv+EhaDq.net
魔女先生は女の子向けの特撮作品を目指したようだが、男の子も結構ハマった。
ミニスカートでパンチラ見せたりセクシーな体操服などは明らかに男の子狙い。
ムーンライトリングで月の母船からエネルギーをチャージするシーンは実に
美しい。家では和服姿だったり、このように初期はかぐや姫のイメージを強く
出していた。アンドロ仮面への路線変更は、個人的には唐突すぎてなじめな
かったし、初期の持っていた清楚で優しい雰囲気が消えてしまったのは残念。
当時、様々なグッズが発売されている。おしゃれセットや変身セット、ノート
にジグソーパズル、絵本にソノシート、5円ブロマイドその他。この中で朝日
ソノラマのソノシートは石森先生直筆のイラスト(石森先生直接執筆の原作漫
画は存在しない)も貴重だが、ソノシートのドラマで菊容子さんご本人が出演
されている。貴重な資料である。このソノラマのソノシートは発行部数が少ない
のかあまり見かけない。当時「少女フレンド」と「なかよし」に連載されたが、
なかよしの方は別府ちづ子の作画。最終回が原作と全く違ってて感動的である。
少女フレンドの方は見たことがないので誰が描いてるのか謎である。作品単体
の資料本やサントラCD、リアルフィギュアなど全く発売されてないので出して
ほしいところですね。

385:どこの誰かは知らないけれど
15/07/20 15:45:35.40 Mv+EhaDq.net
>>384↑訂正
「最終回が原作と全く違ってて」→「最終回がTV版と全く違ってて」
ちなみに別府版の最終回は、愛する旗野先生のためにムーンライトリングも
超能力も故郷の星も全て捨てて、地球の一女性として生きていこうとする
ひかる先生が描かれている。そのけなげさが心を打つ。最後のシーンは旗野
先生との結婚式の場面。TV版の最終回もこうしてほしかった。もちろん
子どもたちに見送られて月に帰ってゆく終わり方でもいい。

386:どこの誰かは知らないけれど
15/07/21 23:13:47.46 wjEVeCTc.net
1971年の12月からスタートしたのが円谷プロ制作の「ミラーマン」である。
ミラーマンのイメージは「シャープで硬質なヒーロー」という印象であった。
体には赤い色がなく一見地味な感じであるが、御手洗博士を中心とする科学者
専門家チームのSGMの活躍を中心に、異次元人との混血児である主人公、
鏡京太郎の心の葛藤なども丁寧に描きヒーロー番組としてもリアルでダーク
なムードのドラマが展開されている。
変身ポーズ「ミラー・スパーク!」は当時の子どもたちはみな鏡の前でやった
のではなかろうか。鏡の表面に手をかざせばそのままスッと鏡の中に入って
行けるような、そんなイメージを僕らに与えてくれた。二次元の世界から来た
ヒーローというのはウルトラマンとは違って異色であった。
当時、裏番組の「シルバー仮面」との視聴率競争の影響か、後半になるとSGM
が戦闘集団化したりミラーマンがエネルギー爆弾を埋め込まれて時間制限が生ま
れたり、前半とは大きく変容していった。個人的には初期のアイアンやマルチな
どの未来っぽいデザインの怪獣が好きだった。最終回は、京太郎がみんなに別れ
を告げて夕方の光の中、二次元の世界に帰ってゆくシーンが美しい。


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