昭和特撮で昭和文化を語るスレ 2代目at RSFX
昭和特撮で昭和文化を語るスレ 2代目 - 暇つぶし2ch200:どこの誰かは知らないけれど
15/06/17 13:05:37.66 4cWY6cVc.net
何歳か教えてくれんのかいな?

201:どこの誰かは知らないけれど
15/06/17 13:09:02.76 PnbcpZ6V.net
マグマ大使の生理的な不気味さ
ウルトラマンが明るい近未来の科学的な時代の雰囲気を持ってるのに対し、
マグマ大使は当時の日常の一般家庭が描かれている。それはいいのだが、
マグマにはしばしば生理的に不気味な描写が出てくる。まずはあの人間モドキ。
容貌からして不気味やし、何よりもあの熱線でドロッと溶ける描写が気色わるい。
実際の撮影では寒天を使ってたそうやけど、不気味なイメーヂは大きかった。
続く。

202:どこの誰かは知らないけれど
15/06/17 17:25:15.08 IvrONQ3P.net
兄貴がいる女の子は割りとオープンに怪獣の話をしてたな
その子はマグマ大使は赤いほうがかっこいい!!と言い張っていた。
今では妻です

203:どこの誰かは知らないけれど
15/06/17 19:16:45.79 H96y4tPq.net
マグマ大使の生理的な不気味さ、それはけっこう多い。劇中で「青血病」とか
「ツチラ菌」など不気味なものがいっぱい出てくる。とくに青血病は、当時
学校で特定の子に対して「あいつは青血病だ~!!」とか「青血病が来た~!」
「青血病がうつる~!」とか叫んで逃げ回る。今の時代なら完全ないじめ、差別
事象になるだろうが、あの頃は平気でそういうことをやってたのだ。社会通念
がそういう時代であったということだろう。
マグマ大使では他に、キンドラの回に赤い宇宙カビをさわったおっちゃんの手が
ガイコツになったり、バルザスの有刺花粉映像がやたら怖かったり様々な怖い
場面が出てきた。いちばん怖かったのはまもるのママがルゴス2号に変わってゆく
場面。あれは怖かった。以来、ルゴス2号は見るたびに恐怖を覚える。あんだけ
怖い敵キャラはそうはいるまい。
>>202
 マグマ大使が全身真っ赤だったら、それもまたかなり怖い。(笑)

204:どこの誰かは知らないけれど
15/06/17 20:09:18.32 6FSiuYLh.net
前にもマグマスレに書いたかな?
列車が怪獣に襲われて、乗車してた村上パパが命からがら脱出する場面。
小学校低学年だったけどあの映像が怖くてしばらくマグマ見なかったことがある。
今思えばグロでもなんでもない、怪獣ものなら普通の場面なんだけど、
ピープロの作る画ってなんか生々しい空気感があるんだね。
円谷だと良い意味で生々しさを脱色してる印象がある。

205:どこの誰かは知らないけれど
15/06/17 23:46:29.18 H96y4tPq.net
>>204
 その怪獣はモグネスでしたっけ? あの作品は村上さん一家がしょっちゅう
怪獣や人間モドキなどに襲われるんですよね。一般家庭の市民なのに。まあ
まもる君はマグマ大使を呼べる特別な存在ではありますが。この一般家庭がゴア
に襲われるという身近な怖さがありました。
ピープロ作品はスペクトルマンもそうですが、生活感があるというか生々しい
というか、一種独特の雰囲気があります。その生々しい部分が強烈なイメーヂ
となって我々の心に、記憶に残ったんだと思います。先に書いたマグマ大使の
生理的な怖さもピープロならではのものですね。円谷のウルトラマンはあえて
日常空間から離れた世界観を描いてるから、近未来的でスマートな印象です。
ウルトラマンとマグマ大使はその内容的に、対極の世界を描いてると感じます。
ピープロ作品は第一次怪獣ブームの時は「ウルトラマン」よりちょっとだけ早く
「マグマ大使」を、第二次怪獣ブームの時には「帰ってきたウルトラマン」や
「仮面ライダー」よりちょっと早く「宇宙猿人ゴリ」を放送していて、いつも
怪獣ブームを巻き起こすきっかけを作ってるのがすごいとこだと感じますね。
ピープロは特撮作品のみならず、アニメ作品にも名作を多く生み出しています。

206:どこの誰かは知らないけれど
15/06/18 00:11:17.56 AlOYj72c.net
そのピープロが生み出した、マグマ大使に匹敵するヒーローが「スペクトルマン」
であった。1971年(昭和46年)1月から1972年(昭和47年)3月まで放送された。
マグマ大使と同じく金色のヒーローであるが、最初は「宇宙猿人ゴリ」という
題名で悪役が主人公という異色の作品。その後題名がコロコロ変わり、ようやく
「スペクトルマン」という題名に落ち着く。(悪玉が主人公なのはおかしいと
いう指摘がスポンサー側からあったと聞く)
スペクトルマンの戦いはとにかく「泥くさい」「弱い」「苦しい」イメージが
あった。怪獣にすごく苦戦して引き分けるか、あるいは何度か敗北するケースも
多く、数回にわたって1体の怪獣と対戦してやっとこさ倒せることが多かった。
また勝ってもエネルギーを消耗してぶっ倒れることもしばしば。そういう、
ウルトラマンにはない泥くさい戦いこそがスペクトルマンの魅力であると言える。

207:どこの誰かは知らないけれど
15/06/18 00:34:46.82 AlOYj72c.net
スペクトルマンは第二次怪獣ブームの先駆け的作品であるが、第二次怪獣
ブームは「変身ブーム」と呼ばれたことが特徴的である。それは71年の4月
から始まった伝説的作品「仮面ライダー」の変身という概念が大きかった。
仮面ライダーの特徴はやはり「等身大」のヒーローであったことだろうか。
その影響か、スペクトルマンでは等身大で敵と戦うことも多かったね。
観てる子どもたちは「なんで巨大化しないの?そしたら簡単に倒せるのに」
と思ったものだ。同年の4月からは円谷プロが「帰ってきたウルトラマン」を
放送。ここに、巨大ヒーローと等身大ヒーローの一大バトルが繰り広げられる
ことになったわけである。
当時のマスコミはこの社会現象を「怪獣ブーム」とする一方でこの仮面ライダー
起源の「変身ブーム」であるとも捉えていた。前回のブーム時と異なるのは今回
のブームでの子供たちの嗜好が「等身大変身アクション」に傾いていったことが
特徴だった。一世を風靡した「変身」であるが、仮面ライダー当初の旧1号編
では明確な変身ポーズはまだなかったことは周知のとおり。

208:どこの誰かは知らないけれど
15/06/18 08:40:59.13 RHa8B8MH.net
スペクトルマンは他の特撮作品に比べて残酷描写が際立っていた。
怪奇大作戦もかなり残酷描写があるが、あれよりも生々しく恐ろしい残酷描写が頻出。
ラーの暴力シーンにしても容赦がない。
70年代前半当時のテレビは暴力描写、性的描写、社会的弱者に対する描写等に対して
今より全然規制が緩かったから自由にやっていたのだろう。
ゴールデンタイムのお笑い番組でヌードが出てきたりする場合もあったぐらい。
当時のPTA等からはスペクトルマンにそれほど苦情や批判はなかったのだろうか?

209:どこの誰かは知らないけれど
15/06/18 13:02:23.98 AlOYj72c.net
>>208
 あの当時は特撮番組やアニメ、雑誌の漫画にもかなりの残酷描写がありま
したね。人間を切り刻んだり身体障害者をことさらに晒し者にするようなもの、
そんなのが身近にいっぱいあふれていました。しかし当時の社会通念では
そんなものは当たり前だとして、規制されたり批判されたりすることは
ほとんどなかったように思います。(漫画「アシュラ」などがあまりにも残酷
すぎるという話題になったのは覚えてますが)
スペクトルマンの場合も、当時苦情や批判があったことは覚えがありません。
あの当時の時代がそれを許してたんでしょうね。今の時代なら絶対に放送
できないような場面がいっぱいあります。ただ特撮作品の場合は「しょせん
作りものじゃないか」という風潮があったのも事実。まあ昔あったちょっと
過激なお化け屋敷的な感覚ではないかと思います。「見せ物じゃん」という
感じですね。
まあ考えようによっては、そういう残酷な場面を観た子どもたちが悪に対する
憤りの強い心を持ってくれたのだと思えば、少しは救われるでしょうか。悪は
こんなに酷いんだ、残酷なんだということをこれでもかというくらいに見せつけ
て、最後はそれを倒すんだというメッセージ的には今の特撮作品よりもはるか
に強いインパクトがあったかも知れません。個人的には当時の残酷描写、けっこう
冷静な眼で観てたと思います。そういうものから世の中の醜い部分を知った
とも言えます。今の時代は何でもかんでも規制規制で、ちょっと過保護すぎる
一面もないとは言えませんね。

210:どこの誰かは知らないけれど
15/06/18 13:32:10.52 AlOYj72c.net
>>208
「怪奇大作戦」は、このトピ内ではまだ語られていない1968年(昭和43年)
9月~1969年(昭和44年)3月までの放送でした。ウルトラマンを作ってきた
円谷プロが新路線を模索して制作した作品でしたね。ちょうどこの頃は妖怪
ブームで怪奇路線が人気でした。作品内では近未来的な科学技術による殺人
事件が描かれて、陰惨でグロテスクな描写もけっこうありました。しかし
円谷プロのそういうシーンはどこかしらカラッとしてて、ドロドロした残酷
なものではなかったように思います。やはり円谷プロの作品はどれも「科学」
という世界観を前面に出しているので、その点が明るい作風になるのではと
推測します。怪奇大作戦はけっこう印象的なお話も多く、「京都買います」や
「白い顔」などはいいですね。唯一、人権問題の視点から「狂鬼人間」だけが
現在欠番になってますが。予算的にも恵まれたこの怪奇大作戦ですが、視聴率
は20%超えてたが当時の合格ラインは厳しくて1クールで終了となってしまい
ました。2007年と2013年にリメイクされていますね。

211:どこの誰かは知らないけれど
15/06/18 14:51:32.87 AlOYj72c.net
話は昭和42年の10月1日に戻る。
この日は記念すべき「ウルトラセブン」の第1話が放送された日。学校では
新しいウルトラマンが(まだウルトラセブンという呼び名は定着していない)
始まるということでみんなワクワクしてたなー。姿と形は雑誌の記事で見て
いたが、動く映像で観るのは初めてである。
いよいよスタート。最初はウルトラ警備隊の隊員紹介から始まる。おお、なか
なかカッコいいではないか。女性隊員も可愛いな。人間蒸発事件が起こり謎の
黄色い服を着た風来坊が現れる。もしかしてこの人が主人公なのか?
「ものほし・だん」? ヘンな名前やな。(そう聞こえた) コンビナートが
爆破されキュルキュル言う宇宙人が出てくる。「地球人なんて昆虫のようなもの
だ」 いやいや、お前の方がよっぽど昆虫みたいやぞ。そしたら黄色いおにい
さんが白い怪獣を出す。しかし強そうな怪獣ではないな。案の定すぐやられる。
空中に飛び上がったおにいさんの眼に赤いサングラスのようなものが飛んでくる。
出た~~ これがウルトラセブンなのか? そのセブンらしき者、巨大化せず
円盤に入ってゆく。キュラキュラ宇宙人が出た! 赤いセブン、頭から何かを
ちょん切って投げつける。宇宙人スパッと・・・ え?これで戦い終わり? いや
たぶん巨大化して光線吐いて出てくるんだ。赤いヒーロー、巨大化して飛んで
ゆく。「あ、あれは何ですか~、あれは」おまわりさんが叫ぶ。名前はないん
かい? 戦いは終わった。え?え?これで終わり? なんともあっけない勝負。
ラスト、さっきの風来坊がウルトラ警備隊に入ることが語られる。
正直な話、ウルトラマンの後番組として大いに期待してた僕らにとっては、
大変つまんない第1話であった。後年のウルトラシリーズ最高傑作という評価
なぞ、この時は知るよしもない。ヒーローが活躍してくれないと子どもは不満
なのである。欲求不満でスタートしたウルトラセブンであった。
円谷英二氏がセブンの第1話を観て「面白くないなあ」と言ったというエピソード
を聞いたことがあるが、さすがわかっていらっしゃった。

212:どこの誰かは知らないけれど
15/06/18 15:40:19.10 AlOYj72c.net
ウルトラセブンの欲求不満はしばらく続く。とくに初期。
・ワイアール星人=巨大怪獣っぽくて少しは健闘したな。アンヌ隊員が初めて
 赤いヒーローを「ウルトラセブン」と呼んだ。アンヌさんえらい!
・エレキング=朝日ソノラマのソノシートでは京浜コンビナートの大破壊がある
 のだが、TVでは湖にまったりと住んでるだけ。セブンがちょっとだけピンチ。
・ゴドラ星人=巨大化したのに敵前逃亡するとは何ごとだ! 卑怯者め~
・ビラ星人=エイのお化けみたい。どこからどうみても弱そう。
・ペガッサ星人=戦いはアイスラッガー、カッキーンだけで終わり・・・か。
・キュラソ星人=セブンが飛んだ数秒だけ。戦いはなーし。なんじゃこりゃ。
以上、巨大宇宙人との大都会での大激闘を期待してた当時の少年にとっては
肩すかしのようなお話ばっかし。当時は高尚なストーリーに注目するような
ことはなく、ヒーローや怪獣の出番がちょこっとなのは大いに不満だったの
よねえ。

213:どこの誰かは知らないけれど
15/06/18 15:45:19.44 uepPhsQm.net
私は、対ゴドラ星人、ペガッサ星人、キュラソ星人などセブンが等身大で活躍する話が新鮮で好きだな。
メトロン星人とも等身大のままで決着して欲しかったよ。

214:どこの誰かは知らないけれど
15/06/19 02:59:37.82 N0mTwELz.net
>>213
 等身大で宇宙人と戦うことが多いウルトラセブンですが、あの頃はまだ
「新しいウルトラマン」という感覚で観てましたね。だから巨大怪獣(巨大
宇宙人)が出てきて巨大ウルトラセブンと戦うのが当然だと思い込んでました。
だから等身大で戦うセブンにはもの足りないという感覚があったのだと思い
ます。実際の作品コンセプトはウルトラマンとは大きく異なっているのですが、
当時の子どもたちはウルトラマンと同じなんだと思い込んでた子が多かった
ように思います。なのでセブンの世界観に慣れるのには少し時間がかかった。
巨大怪獣のブームはこの年の終わり頃あたりからだんだん去ってゆくわけですが、
セブンはそれを見越していたともとれますね。このウルトラセブンという作品
はウルトラシリーズの中ではけっこう異色作だと感じます。単に巨大ヒーロー
が敵を倒す物語ではない。当時の子どもたちにとって、セブンの真の魅力を
知るのはずっと大きくなってからだった、リアルタイムでセブンを観てた
僕らにはそんな気がします。

215:どこの誰かは知らないけれど
15/06/19 12:18:39.92 x2jsZwAc.net
セブン初期の等身大宇宙人は味わいがあって好きですよ。後半になるともう
名前も分からないような宇宙人が出てくるので、個人的には初期の宇宙人が
いいです。ペガッサ星人とセブンの痛切な会話シーンなど、バックにかかる
音楽も相まって名シーンやと思います。
ただそれは大人になってセブンを観直してみた結果の感想であって、放送
当時に僕ら子どもたちがリアルタイムで観ていた感覚とはまた違うんですよね。
小学校低学年だった僕らには、「あんましヒーローが活躍してくれないなあ。
巨大化してもっとバンバン怪獣を倒してほしいなあ。」と感じたわけでして。
これ、当時セブンを観てた小学校高学年~中学生くらいのお兄さんだったら
また違った感想を持ったかもしれません。昭和30年以前生まれの人ならセブン
を観てた人も多いのではと思いますね。その人に感想を聞いてみたいです。

216:どこの誰かは知らないけれど
15/06/19 12:47:25.19 x2jsZwAc.net
円谷プロが「子どもだけでなく大人のファンにも納得してもらえるような」
作品づくりを目指していたのは確かだろうね。それはすでに「ウルトラセブン」
や後の「怪奇大作戦」「マイティジャック」などを観ても感じる。ただ、それが
うまく成功したと言えないところがつらいね。あの当時って、特撮番組は子ども
のものだろうっていう風潮が大きかったと思う。

217:どこの誰かは知らないけれど
15/06/19 12:57:22.60 x2jsZwAc.net
さて、時代は進み昭和43年に。この年になるとさすがに怪獣ブームにもかげり
が見える。ウルトラセブンは放送中だったが、1月に始まった「ゲゲゲの鬼太郎」
3月にスタートした「巨人の星」の影響もあって世の中はスポコンブーム、妖怪
ブームへと移ってゆく。そんな中で新機軸の特撮作品も誕生する。

218:どこの誰かは知らないけれど
15/06/19 13:48:24.06 rSgtM/5Y.net
このスレは誰かが連載してるのかい?おっちゃん

219:どこの誰かは知らないけれど
15/06/19 17:15:55.12 vuSCFwGW.net
>>216
大人向け作品作りに変更して、うまくいかなかったのは日本だけじゃなかったね。
「サンダーバード」は大好きだったが、ドラマ部分にやや不満があった。
「人形部分を俳優でやればもっとリアルでゴージャスになるじゃん」と考えてた。
だから「謎の円盤UFO」が始まったときは「待ってました!」と大いに期待したさ。
メカも特撮も、1980年の近未来の時代設定やコスチュームも斬新で良かった。
「クリアファイル」なんてそれまで見たことなく、これがやたらカッよくて、
後年、文房具で出回った時購入し、「おお、『謎の円盤UFO』みたいじゃん!」
ただ、ドラマ部分が盛り上がらないんだな、テーマが暗めで、私的なトラブル
「家庭のもめごと」「愛人問題」…そういうのが大人向けってことなのかなあ?
「サンダーバード」や「スティングレイ」の、からっとした楽しさがなくなった。
大人になって「サンダーバード」を観ると、逆に人形の部分、キャラクターの魅力が
面白く感じて、「こっちの方がかえって『大人向け』じゃないかW」と思った。

220:どこの誰かは知らないけれど
15/06/20 03:19:36.15 POh3FDyn.net
>>219
 「謎の円盤UFO」(1970年)はドラマ的に出来のいい話とそうでない話
の差が極端でしたね。発狂石のお話などは撮影スタジオのセットがそのまま
劇中に出てきて興味深かった。登場メカもスカイダイバーとかカッコよくて
当時バンダイのプラモも買いました。
 これむずかしい問題なのだけど、サンダーバードの人形劇部分を実際の人間
でやったら素晴らしいものになると思いがちですが実際はそうではないようです。
サンダーバードはあのスコットやバージルが乗ってるからこそメカも引き立つ
のであって、人形が演じるからこそ人間臭い暗い部分が全く出なかったことが
逆に魅力的。スーパーマリオネーションは素晴らしい特撮であると思いますね。
あの人形は人間以上に個性的でキャラクターが強烈。あの作品、もしも人間が
演じてたらあれほど個性的なキャラクターは描けなかったと思います。

221:どこの誰かは知らないけれど
15/06/20 03:20:56.68 POh3FDyn.net
>>218
 そうなのら。遠大な昭和特撮回顧録になってるざんすよ。

222:どこの誰かは知らないけれど
15/06/20 03:52:02.36 POh3FDyn.net
「サンダーバード」の話題が出たところで、当時のサンダーバード・ブームを
振り返ってみよう。日本での発放送はNHKで1966年の4月スタート。この時は
まだ日本語版の主題歌は付いてなかったんじゃないかな。その後1967年7月から
TBSで放送。
あの頃すごかったのは、イマイのサンダーバード・プラモの一大ブーム。男の子
は必ずサンダーバードメカのどれかのプラモを持ってたように思う。いちばん早く
発売されたのは2号で、最初の箱絵は小松崎茂氏ではない。いちばん人気があった
のも2号で、あのコンテナ着脱のギミックはプラモ向きの素晴らしいものだった。
価格的にいちばん高価だったのは5号で、ドームランプを点灯させながらアンテナ
回転させ、地球のスタンドの上をゆっくり回転する姿にはしびれた。このモーター
板は長らく再販がなかったが、近年アオシマから復刻発売されて当時のギミックを
再現できる。1~5号以外のメカで人気だったのがジェットモグラタンク。
これもモーター版はドリル2段回転、モグラ部とキャタピラ部を連結させて走行
できるという素晴らしいギミックの模型。当時のイマイの技術はすごかったが、
資料が乏しかったため社員はサンダーバードの放送が始まるとテレビの映像を
写真に写したりして模型の原型制作の資料にしたと聞く。なので最初に発売
された2号はエアインテイクの形状が実際のプロップとは異なっている。まあ
当時の僕らにはそんな細かいことはどうでもよく、サンダーバードプラモを
持って行って友だちの家で遊んだものである。

223:どこの誰かは知らないけれど
15/06/20 04:16:22.32 POh3FDyn.net
サンダーバードと並んで話題になる、スーパーメカが活躍する作品が
「海底大戦争 スティングレイ」である。放送はサンダーバードよりも早く
1964年9月~1965年3月の放送。第10話からタイトルが「トニー谷の海底大戦争」
になり、当時人気のコメディアン、トニー谷によるオリジナルにはないナレー
ションが加えられた。このナレーションがもう大笑いもので、爆笑作品となって
いた。拙者はこの初回放送は観てなくて再放送で観たのだが、原子力潜水艦
スティングレイのカッコよさにはしびれた。ライバルの敵メカにメカニカル・
フイッシュというのもおったが、これらは当時ミドリというメーカーからプラモ
が出ていた。この頃は海洋SFものも流行っており、当時は船や潜水艦のオモチャ、
プラモが多く出てた。それらの多くは川や池で走らせていた時にそのまま沈没して
しまったものも多かったなあ。

224:どこの誰かは知らないけれど
15/06/21 00:24:05.74 IxSRk4bX.net
ウルトラセブンは当時、ヒーロー的にはもの足りない面もあったが、スーパー
メカはカッコよかった。とくに3機に分離合体できるウルトラホーク1号、宇宙
ロケット・ホーク2号、そしてユニークなデザインのホーク3号、スーパーカー
のポインター、潜水艦ハイドランジャーと充実していた。いずれもマルサンから
プラモが発売、全部買ったものだ。ただしホーク1号のモーター版はβ号、γ号
を乗っけると重くてなかなか走らなかった。ホーク3号はミステリーアクション
機構のモデルで、走行がランダムで不思議な走り方をした。
マルサンからはキャプテンウルトラのシュピーゲル号やシルバースタア、キャプ
テンやハック、ジョーなども出ていた。
これに対抗してイマイのサンダーバードシリーズ、そしてミドリのスティングレイ
やシービュー号のプラモなど、昭和42年はスーパーメカのプラモが店にあふれて
いたのである。近所の駄菓子屋にも所狭しとプラモが並べられ、よく買いに行った
ものだ。

225:どこの誰かは知らないけれど
15/06/21 10:13:36.05 2mmwTYyG.net
「ま、マルサン倉庫・・・・爆発・・・炎上・・・・」
「マルサン倉庫、爆破?炎上!?」

これ、スポンサーへの皮肉だったのか、今考えると・・・・・

226:どこの誰かは知らないけれど
15/06/21 12:48:54.56 IxSRk4bX.net
>>225
 ああ、ウルトラセブンの「明日を捜せ」の中のセリフですね。これは皮肉
というよりも宣伝では?(笑) しかし昭和43年にマルサンは倒産してしまい
ます。その未来を予見してのセリフだったとしたらすごいことですが。

227:どこの誰かは知らないけれど
15/06/21 17:43:34.45 IxSRk4bX.net
昭和43年4月6日からスタートした一大番組があった。
その名は「マイティジャック」 (Mighty Jack、通称=MJ) 万能戦艦マイティ号
に乗り込み、科学時代の悪、Qの野望を打ち砕く秘密組織MJ( マイティ
ジャック)の隊員たちの活躍を描いた物語。
東宝映画「海底軍艦」から発展し同じ円谷英二特技監督で企画されるも未製作
に終わった「空飛ぶ戦艦」(1966年)が元になっていて、円谷英二氏は本作に
並々ならぬ熱意を傾けた。しかし内容に関しては主演の二谷英明氏と円谷プロ
との意見の相違や平板な脚本などの影響で視聴率はふるわず13話で打ち切り。
しかし全13話の放送終了後「戦え! マイティジャック」に改題され同年7月6日
から全26話が放映された。
まあ視聴率的には大敗したこの作品だが、その魅力は万能戦艦MJ号の特撮
シーンに凝縮されていた。ストーリーそのものよりも、空を飛び海に潜る巨大
未来戦艦が大きな魅力であった。冨田勲氏の勇壮な音楽は特撮作品史上ベスト
ではないかと思われるほどの最高傑作。艦が浮上する場面で水が飴のように
うねり、そして空に舞い上がってゆくMJ号の勇姿は、当時の僕らの心に強烈
な印象を残したのだ。

228:どこの誰かは知らないけれど
15/06/21 19:00:38.92 IxSRk4bX.net
マイティジャックは基本的にスパイもので、それにスーパーメカものが合体
した異色作であり、この両者は水と油のような感じでうまく融合しなかった。
そのため前半部が退屈であり、MJ号が出てくるまでにチャンネルを変える
子が多かったのではと思う。
怪獣もいいのだが、スーパーメカ大好きの拙者としてはこのマイティジャック
は素晴らしい作品であった。ス-パー戦艦が空を飛んだり海に潜ったりするの
を見るだけで幸せであった。このMJ号(呼称は「エムジェイごう」と「マイ
ティごう」の2とおりあるが、個人的にはエムジェイ号の方が好き)だが、
メタリックブルーシルバーグレーの船体色に鮮やかなイエローの帯が美しい。
デザインは成田亨氏の手によるスマートでシャープなイメージ。どの角度から
見ても見栄えがする。例によってイマイからプラモが何種も出たので買いまく
った。ただし車輪をつけて地上を走り回る姿だけは許せないのでデェスプレイ
タイプに改造した。
2012年に開催された「館長 庵野秀明特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」
では原口智生氏による3メートルサイズの復元ミニチュアが展示された。これは
観に行ったが、MJ号のミニチュアは圧倒的な迫力と美しさで、しばらくはその場
から動くことができず30分以上眺めていたものだ。

229:どこの誰かは知らないけれど
15/06/21 19:14:01.04 IxSRk4bX.net
昨年MJ号の模型がEX合金などでいくつか発売されたが、プロポーション
的に最もよくできていたのは特撮リボルテックのもの。イマイのプラモデルの
プロポーション上の欠点は艦橋から先端部までの長さが短いこと。これだと
どうしても寸詰まりに見えてしまう。実際のプロップはこの部分がけっこう
長くスマートな印象。この点を見事に再現してたのが特撮リボルテックの製品。
またカラーリングが美しくきれいにできている。MJファンの方、ぜひ買ってね。
個人的にはもっとでっかいMJ号もほしいのだが、プロップの忠実な再現で有名
な某工房で1mサイヅの製品が企画中とのこと。ぜしとも早く見てみたいものだ。
なおMJ号にラジコンを搭載して水上を走らせてるマニヤの方の映像を観たこと
がある。形状的には無理だろうけど、ラジコンで空を飛ばせてみたいものである。

230:どこの誰かは知らないけれど
15/06/21 19:20:51.35 aw8QL5LW.net
乏しい小遣いの中から、マイティジャックのプラモをいくつか買ったさ、
当時、自宅の風呂で目の前に浮かべて、妄想を膨らませて楽しんでた。
音楽もかっこいい…ところが、毎週観ててもなかなか「はじまらない」
結局「はじまらないまま終わった感」が今だに残ってる作品。
最近、二谷さんのせいとする風潮もあるが、そんなもんじゃないだろ!

231:どこの誰かは知らないけれど
15/06/21 20:54:12.62 Gs8BaJoc.net
強い思い入れがあるのはわかった
だが、全体的には、子供に支持されなかった作品という事実は受けいけなければならん
おれだって、自分的にはツボだったけど、
世間一般には受け入れなかった作品はある

232:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 01:27:55.95 0eF+5jMo.net
リボルテックのMJ号は中に敵艦を収納する謎仕様

233:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 01:43:30.73 e3po60jh.net
この作品はターゲットが子どもだけでなく年齢層の高い子ども世代、あるいは
大人をも含めてたと思うね。特撮作品は怪獣やウルトラマンだけじゃないんだ
ということを示したかったんだと思う。だけど作品のできばえが今ひとつで、
結局子どもにも大人にも支持されなかったという不運はある。けれど、新しい
ものを生み出そうという気概は感じられた。世間一般にはヒットしなかったが
自分だけは夢中になった作品ってあるよね。そういう作品があるということは
新しい見方をしてた自分がいたということで、誇りに思っていいんじゃないの。
マイティジャックは現在ではけっこう評価されている一面もあるし、放送当時
はまだ時代が作品に合わなかった、追いついていなかったという考え方もある。
個人的には、世間でヒットしたかどうかなんてあまり気にしない。自分が素晴ら
しいと思う作品にめぐり逢えたならば、それは幸せなことだと思うよ。

234:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 02:00:51.38 e3po60jh.net
>>230
 当時、そういう子どもたちも多かったことでしょう。自分もその一人かも。
しかしMJ号は今も私の机の上で鎮座してるし、いまだに私の心の中で飛翔
している。作品の出来不出来はいろいろ原因があると思うけど、今さらそれを
追求しても仕方ない。それよりも当時自分が夢中になったあの気持ちを、自分
の生きる希望にしていけばいいと思いますよ。それこそが特撮作品の持ってる
大きな夢だと思うので。
>>232
 リボルテックは可動部分が売りのシリーズなので、どこかにギミックを入れ
たかったんでしょね。まあしかし艦橋内に敵潜水艦シャークスが入ってると
いうのはご愛敬ですな。制作者の遊び心。

235:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 13:13:27.90 XFpa92jY.net
マイティジャックは「戦え!マイティジャック」に変わってからの方が円谷
プロらしくて面白いという意見が多いね。まあこっちは怪獣は出るわミイラ
や大ワニは出るわで、もう開き直った感がするぶっ飛んだ内容になっている。
個人的に好きなのは「マイティ号を取り返せ!」の前後編。ゲストに森次さん
を招いての一大娯楽巨編。森次さんの役名が弾超七で、MJ号の修理に胸から
赤いペンチをさっと取り出すなど、セブンのオマージュになっている。30分
番組になったのでテンポの良さが出て展開もスピーディになった。最初から
こういう内容で放送してたら視聴率も好かったかも知れないが、この路線変更
はやはり円谷プロとしては不本意だったかもね。

236:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 18:22:20.17 XFpa92jY.net
マイティジャックは「防衛」「建設」「救助」を目的として民間企業の出資で
設立された組織であるから、Qと戦うだけでなくサンダーバードのような救助
メインのお話があってもよかったと思う。スーパーメカは単にドンパチ敵と
戦うだけでなく困ってる人々を救うというのも立派な仕事。サンダーバードは
その点を実に細かくリアルに描いていた。潜水艦の戦いでは原潜シービュー号
の特撮が素晴らしい。SF戦艦メカはどれもいいね。

237:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 20:14:54.02 8zQcNnu0.net
原潜シービュー号 は好きだったなあ。
とくにおおきな事件がなくとも、ピッコーン、ピッコーンと
海中を潜行してる感じだけで楽しい海中の旅が感じられて心が癒された。
マイティジャックもあんなふうなゆったりした演出が出来たらよかった。

238:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 23:34:09.55 e3po60jh.net
「原潜シービュー号 海底科学作戦」(昭和42年より第2シーズンが放映)
「これは、科学の粋を凝らして作られた原子力潜水艦シービュー号の、21世紀
の世界を探る海底科学作戦である!」
わくわくするオープニングナレーションで始まるこの海洋特撮ドラマ、原子力
潜水艦シービュー号の特撮は素晴らしかった。それもそのはず、巨大なミニチュ
アを実際の水に沈めて水中撮影されていたのだ。手間ひまかかるこの手法は珍し
いものである。まあこの作品は近未来的なカッコいいシービュー号とリアルな
水中特撮のみが売りであると言えよう。お話の方は初期はまあまともな話が多いが
だんだん怪獣や巨人や亡霊や人造人間など何でもかんでも出てくるようになり、
奇想天外荒唐無稽なストーリーが続出した。
シービュー号はデザインがけっこうカッコよかったし、映像がリアルで本当に水中
にいるような気分になった。何よりもあの「カコーン」という水中ソナー音は
すごく臨場感があっていまだに耳に残っている。このシービュー号、ミドリから
何種類もプラモが発売され人気だった。しかし参考にしたプロップが映画版の
ものだったため、2段窓のものしか出なかった。モーター版は防水部分が水漏れ
しまくり、お世辞にもうまく水中走行したとは言えなかったものである。

239:どこの誰かは知らないけれど
15/06/22 23:46:58.76 e3po60jh.net
このシービュー号、放送当時はコグレ、ミドリのプラモしか手に入らなかった
のだが、近年メビウスモデルから素晴らしいできばえのプラモが発売されて
いる。TV版、映画版の2種あり、その大きさは何~と1メートル!
今わが家の玄関に飾ってあるが、何といっても大きいので大迫力。しかもディ
テールやプロポーションはプロップそっくり。素晴らしい。同じシリーズで
飛行艇フライングサブも出ている。このシービュー号のプラモを抱えてプール
に入れば、劇中に登場する海底の巨人になった気分。(笑)
ほんまにいい時代になったものだ。

240:どこの誰かは知らないけれど
15/06/23 00:41:46.94 oauCnoPY.net
昭和43年は大映の2つの有名な妖怪映画が公開されている。
「妖怪百物語」と「妖怪大戦争」である。妖怪百物語は3月の公開で同時上映
は「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」。油すましや大首、からかさやのっぺらぼう
などの妖怪が画面狭しと活躍する。人間、とくに悪人を驚かすがその心は
正義の心を持っている。ラストの百鬼夜行シ-ンは素晴らしい名場面だった。
個人的にはからかさがお気に入りで、紙で模型を作った。
妖怪大戦争は12月の公開で同時上映が「蛇娘と白髪魔」(こっちも怖い)
西洋の大妖怪ダイモンと日本妖怪連合軍との一大決戦。こちらの作品は百物語
のようなおどろおどろさはなく、勧善懲悪の怪獣対決作品のようになっており、
実に楽しく面白い作品であった。しかし妖怪ダイモンは実に怖く、その眼は
大魔神にも入っていた橋本力氏のおっそろしい目玉であった。
この年はアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の第1シーズンが放送され、妖怪ブームの
年と言われた。その世相を反映してか、この年には「怪奇大作戦」「バンパイヤ」
「河童の三平 妖怪大作戦」などの怪奇ものが放送されている。

241:どこの誰かは知らないけれど
15/06/23 13:42:24.93 1a/rwaZD.net
>>238
 シービュー号は怪獣や敵に襲われてよくやられてたね。艦内がグラグラっと
揺れて乗組員がよろめいたり転がったり。その時に必ず計器類からバチバチッ
と火花が出る。このピンチシーン、何度見たことか。リアルではあったけど。
で、よく航行不能になって海底に沈んだりしてた。ほとんどは修理されて動く
ようになるのらが、一度だけ全く動かなくなって海底に横たわったまんまで
終わるという悲惨な話があったと思う。
このシービュー号、ミドリのプラモでは濃いブルーだったのでそういう色だと
思いこんでいる人も多いが、実際の色はグレーである。

242:どこの誰かは知らないけれど
15/06/23 14:07:13.84 1a/rwaZD.net
>>240
 妖怪百物語は全体の雰囲気が怖かった。おいてけえ堀で釣った鯉の血が
洗っても落ちない娘がろくろっ首に化けるのは気色悪かった。怖い作品の
一つである。ガメラ対バイラスは予算が減ったので怪獣対決の舞台がひとつ
だけになってしまった。バイラスにお腹を刺されるガメラが可哀そうでならぬ。
今の時代だったらNGになるであらう場面。この映画から有名な「ガメラマーチ」
が流れるようになった。バイラスの円盤は美しくグッドなデザイン。
 妖怪大戦争はダイモンは怖いが、日本妖怪はみなコミカルに描かれている。
作品的にはなかなかよくでけている。当時、駄菓子屋で油すましやからかさの
プラモを買ったものだ。5円ブロロマイドもいっぱい集めてたね。
特撮ではないがこの年にはあの有名アニメ「妖怪人間ベム」もスタートして
いる。昭和43年はまさに妖怪が子どもの心を奪った年であった。

243:どこの誰かは知らないけれど
15/06/23 17:57:59.45 1a/rwaZD.net
>>240
 「河童の三平 妖怪大作戦」と「バンパイヤ」はいずれも1968年10月の放映
スタート。河童の三平の方は金子吉延氏と牧冬吉氏の青影、白影コンビが再び
コンビを組む。ほんわかムードの二人ではあったが、お話の方は母親が記憶喪失
にされて人力車に乗せられてさまようシーンが妙に怖かった。出てくる妖怪も
怖いのがいた。
 「バンパイヤ」は水谷豊氏の事実上のデヴュー作。原作者の手塚治虫氏も
出演している。実写とアニメの合成作品で、トッペイがバンパイヤに変身する
場面がリアルである。その時に使った金色のコンタクトを水谷氏は今も持って
いるらしい。主題歌はカラオケに入ってるので歌いたい人は歌ってみて下さい
ませ。ワォ~~~~~~~ン!!

244:どこの誰かは知らないけれど
15/06/24 18:15:45.69 1mlcvsXi.net
話はいったん昭和32年に戻る。
個人的に、長いこと月光仮面(昭和33年)が日本初の特撮ヒーローだと思い
込んでいた。しかしながら、その前年に劇場版で「スーパージャイアンツ」が
制作されていたのだ。演じるは先年亡くなった宇津井健氏。全身を白いタイツに
まとい、地球に原水爆実験を直ちにやめるよう説得に来たエメラルド彗星の偉大
な人である。チラッと映像を観たことがあるが、宇津井さんはなかなかよく
アクションをがんばっていた。股間のモッコリを強調させながら(笑)敵を倒して
ゆくその姿はものすごくカッコよかった。映画は人気シリーズになり何作も続いた。
そのモッコリは翌年の月光仮面に引き継がれた。(笑)

245:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 09:30:27.84 /hn9FV+E.net
タイムマシンで昭和43年に帰還。
この年の特撮映画は妖怪ものの他に「怪獣総進撃」「吸血鬼ゴゲミドロ」
「昆虫大戦争」「吸血髑髏船」、外国作品では「2001年宇宙の旅」
「猿の惑星」などがある。
中でも怪獣総進撃は面白かったね。なんでも東宝がゴジラシリーズを終わりに
しようとしてたがゴジラの息子がヒットしたためシリーズが継続されたのがこの
作品。これまでの東宝映画登場怪獣が一同に集結している。ストーリーもテンポ
よく、登場スーパーメカのムーンライトSY-3号も実にカッコええのだが、唯一
許せない点が。「地底怪獣が凱旋門を破壊しております!」というアナウンスが
あるのに、なんで出てくるのがゴロザウルスやねん。あんなん地底怪獣でも何でも
ないじゃん。地底怪獣ならバラゴンでしょ。まあれは特技監督の有川さんが
ゴロザウルスがお気に入りだったためらしいけど、拙者はゴロ好きじゃないねん。
平成ゴジラもそうやけどどうもあの安丸さんの造型は好きになれない。あのシーン
で凱旋門を壊すのはやっぱしバラゴンであってほしかった。これだけが残念。
映画の出来は最高によい。

246:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 13:44:20.18 5P/2i3NL.net
当時は吸血鬼ゴケミドロって、どの層が見に行ってたの?
ギララの次に制作つー事で、普通は怪獣映画と思うんじゃないのかな
見に行った子供は相当のトラウマを負ったんじゃなかろうか

247:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 14:07:16.32 ZZ9DAsRM.net
ゴケミドロは深夜に見たことがあるな

248:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 17:42:35.58 /hn9FV+E.net
「吸血鬼ゴケミドロ」ねえ。昭和43年8月の公開。名前からして怖そうですねえ。
拙者は当時、観ていません。存在も知らなかった。後年TVで観たら、まあ
なんと気色の悪いこと。あの額の割れる「雪の降る町を」を歌ってるおっちゃんが
狂気じみてて怖いのよ。こんなん当時劇場で観たらションベンちびるで~
特撮はピープロが担当してるのね。ゴケミドロの円盤が宇宙猿人ゴリの円盤
に流用されたのは有名な話。
同じく松竹で制作された「昆虫大戦争」は11月の公開。こっちは観に行ったけど
巨大怪獣が出るわけでもなくよく分からない作品だった。高度に知能を持った
昆虫が人間を襲うというお話のようだが出てきたのは普通のスズメバチのような
虫で、怪獣が出ないともの足りなかった。

249:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 18:41:02.09 /hn9FV+E.net
68年7月の東映まんがパレードは「太陽の王子ホルスの大冒険」がメイン作品。
当時これ観に行ったけど、高尚な内容だったためほとんど覚えていない。よく
覚えてるのは同時上映のウルトラセブンとゲゲゲの鬼太郎だった。セブンの方は
「空間X脱出」ベル星人の回をそのまま上映したもので、カラーでウルトラセブン
を観たのは初めてだったと思う。この回に出てくるグモンガと東宝のクモンガが
ごっちゃになってよく間違えた。鬼太郎は有名エピソード「大海獣」の巻。
前年の67年7月の時はキャプテンウルトラの「バンデル巨人あらわる」が上映され
た。大画面で観るカラーのキャプテンウルトラは美しかった。あの頃、カラーテレビ
がだいぶ普及してきてたとはいえ、わが家にカラーテレビが来るのはもう数年あと
のことである。

250:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 19:36:11.75 ikM3PHBG.net
>>248 ゴケミドロの併映は「黒蜥蜴」完全に大人をターゲットにしたもの。
昔の新聞の縮刷版に、広告載ってました。
 自分は1977年ごろ、朝日テレビ(現ABC)の朝十時に視ました。
 誰に言っても信用してもらえないのだが、放送から1週間もたたないうちに
また放送したので、怖くて視なかったのですが後で友達に聞いたら
「話、違ったよ。」と言われた。
宇宙船でビデオ発売当時の記事に「~版とは別物。」という記事は見つけたが
雑誌ではない他の文献で、このことに触れたものは全く発見できなかった。
パイロット版を放送したという説が有力だが確認には至っていない。
 どなたか関西で当時視聴した方はいらっしゃらないでしょうか?

251:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 20:12:25.17 VMFJYYxh.net
スゲー濃い話だな
知らないけどこういう談義は好き

252:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 23:01:55.84 /hn9FV+E.net
>>250
パイロット版では毛むくじゃらで三本の腕があるゴケミドロらしいですね。
写真は昔の宇宙船に載ってるそうですが、そのパイロット版が放送されたの
でしょうか? 拙者はゴケミドロはその頃たしかに朝の放送で観ましたがそれ
は映画版と同じものでした。友人の方にどの部分がどう話が違ってたのか詳細に
もう一度聞いてみたらいかがでしょうか。パイロット版はおそらく時間的にも
短いものでしょうし、ふつうはTVで放送される可能性は低いと思うのですが。

253:どこの誰かは知らないけれど
15/06/25 23:33:44.00 /hn9FV+E.net
ゴケミドロは当時の子どもたちにとってもけっこうインパクトのある作品
だったようだね。映画公開当時、多くの小学生が「額が割れて変なものが
入っていくところが怖い」とか「何かが乗り移って吸血鬼になって襲われる」
とか話をしていたそうだ。真っ赤な空を飛ぶジェット機とそこに現れる謎の光。
冒頭のシーンが何ともシュールな映像で不気味である。当初は海藻でできた
怪物をゴケミドロにしていたが体を乗っ取られる系にしたという裏話がDVDの
特典映像に入ってるらしい。
不時着した場所が不明でまるで孤島に不時着したみたいに思わせておいて、実は
街中であったというラストが唐突でびっくり。お話は救いのないラストで終わるが、
個人的には大変怖い映画であり劇場で観る勇気はない。ほんま怖いでっせ~~

254:どこの誰かは知らないけれど
15/06/26 09:18:47.14 rydNc0gF.net
>>250
黒蜥蜴と併映してたの知らなかった
それで美輪明宏と高英男のエピソードにつながるのか
大人向けだったのね

255:どこの誰かは知らないけれど
15/06/26 13:08:51.29 UkmzjtLM.net
昔の特撮映画の併映は普通の映画が多かった。特撮作品オンリーの2本立て
などは珍しかった。(アニメ作品と2本立ては時々あった)
なので普通の映画の時は子どもが退屈して騒いだり走り回ってた。普通の映画
は付添いの大人向けだったのかも知れないが、大人もゆっくり映画を観る
雰囲気ではなかったね。

256:どこの誰かは知らないけれど
15/06/26 17:52:45.84 UkmzjtLM.net
時は流れ昭和44年(1969年)になった。この年は何といっても世界的な一大
プロジェィクト、アメリカのアポロ11号が人類初の月面着陸を成し遂げた。
7月20日、僕らは学校の先生が「みなさん、ちょっとテレビを観て下さい」と
言って観音開きの扉を開け、アームストロング船長が月に降り立つ世紀の瞬間
をこの目でしかと見た。新しい未来がやって来たのだとこの時われは思った。
それからしばらくはまさにアポロブーム。TVで特集番組はいっぱいあったし、
プラモでもいろんなメーカーからサターンロケットやアポロ司令船、月着陸船
などの模型が発売された。タミヤから出た司令船のプラモは後ろにプロペラが
付いててモーターで回転、天井からテグスで吊るしぐるぐる回るものだった。
動かしてたら天井に留めてた部分がポロっと外れ、アポロは壁に激突、大破した。キャ~!
このアポロブームは翌年の日本万国博覧会で最高潮となる。みんなが月の石を
見ようとアメリカ館に殺到することとなる。昭和44年は万博を翌年に控えて国民
が燃えていた時代であった。特撮作品も燃えていた。

257:どこの誰かは知らないけれど
15/06/27 05:21:54.78 QOvhOSoM.net
プラモデルといえばバンダイもキャプテンスカーレットのプラモを発売してた。
確認してるのは100円売りのゼンマイ走行の追跡戦闘車とパトロール車。
同じバンダイのジョー90のマックスカー、サムズカーと同じフォーマット。
100円プラモはバンダイに版権許諾されていて、今井がシルバーセット、レインボーセットになったのはその為。
もしかするとマイティジャックも100円プラモはバンダイに許諾されていたのかも。
こっちは現物は確認できていない。
子供の小遣いで買いやすい価格帯で出せなかったのも昭和43年度今井の不振と無関係ではないと思う。

258:どこの誰かは知らないけれど
15/06/27 10:06:21.02 oO8NFnfv.net
「キャプテンスカーレット」日本では1968年1月同年8月が放送された作品ですね。
森永製菓の一社提供でした。サンダーバードに続くスーパーマリオネーション
ですが、人形の等身がより人間に近くリアルな人形になっています。ミステロン
という姿なき宇宙人との攻防を描きますが、スパイものの要素が強くスーパー
メカの印象はやや薄いです。それでも当時、イマイからパトロール車、追跡戦闘
車、強力装甲車、エンゼル機、クラウドベースなどのプラモが発売されました。
しかしサンダーバードほどの人気は出ず、マイティジャックのプラモとともに
販売不振でのちにイマイ倒産の要因になってしまいました。拙者は当時どちらの
作品もせっせとプラモを買ってた派で、けっこう好きな作品、メカでした。
いちばん傑作だと思ったのは「秘密トレーラー」で、トレーラーの上部のボタン
を押すとトレーラー自体がパタパタッと展開して開き、中から追跡戦闘車が
現れるもの。あれはTVと全く同じギミックで面白かったね。クラウドベース
は壮大な空中基地というイメージで未来感あふれてた。プラモは横幅が小さい。
バンダイの追跡戦闘車とパトロール車は記憶にありませんが、この頃から少し
ずつイマイと共通の作品のメカを発売するようになりますね。バンダイといえば
個人的には「謎の円盤UFO」(1970年)のメカが思い出深いです。スカイダイ
バーやインターセプターなど、SID以外のメカは全部出てました。UFOは
テグスで天井から吊らくっていた思い出が。クルクル回して眺めてましたね。

259:どこの誰かは知らないけれど
15/06/27 11:19:36.46 oO8NFnfv.net
>>258
 そういえば思い出しましたが、当時のプラモで、明らかにキャプテンスカーレット
登場のメカなのになぜか「サンダーバード」と書いてありました。あれはやはり
サンダーバード人気にあやかって売ろうというもくろみだったのでしょうかね。
個人的には追跡戦闘車が好きでした。美しいエメラルドブルーの車体に窓が一切
付いてないちょっと不可思議な車。(操縦者は後ろ向きに座ってモニターを見なが
ら運転)トレーラーとか廃屋とかいろんな所に隠されてて、それを突き破って出て
来るのが爽快。クラウドベースはよくお風呂に浮かべてたね。空中浮遊メカなのに
なぜか水上走行。エンゼル機はなんか女の子の乗り物という印象があって当時は
買わなかったですねえ。
キャプテンスカーレットは日本語の主題歌でなく当初流れてた英語の歌が印象深い。
英語なので歌えないんらけど、メロディはよかった。日本語主題歌はゲーリー・
アンダーソン氏がその出来の悪さに憤慨したという。拙者もこの歌覚えていない。

260:どこの誰かは知らないけれど
15/06/27 11:47:19.53 oO8NFnfv.net
特撮ヒーローの原点といえばやはりこの作品。それは「スーパーマン」
日本では1956年11月から放映開始。主演はジョージ・リーヴス氏でちょっと
おじさん風のスーパーマンであったが、吹き替えの大平透氏のイメージも
ピッタリで大人気。最高視聴率はなんと74.2%! ビックリ。
当時のスーパーマンは劇場作品のスーパーマンのようにふわっと飛び上がる
のではなくて、ダダダダッと反動をつけて窓から飛び出してた。僕らは布団
に向かって両手を広げて飛び込む「スーパーマンごっこ」をよくやったものだ。
このスーパマンであるが、人気が出たジョージ・リーヴス氏が自殺したことに
始まりその後のスーパーマン作品でも出演者やスタッフにいろんな不幸な出来事
が起こったという。これは「スーパーマンの呪い」と呼ばれている。
このスーパーマンがなければ日本の月光仮面やウルトラマンも登場しなかった
かもしれない。偉大な作品である。

261:どこの誰かは知らないけれど
15/06/27 20:46:22.33 oO8NFnfv.net
69年は映画では3月に「ガメラ対大悪獣ギロン」7月に「緯度0大作戦」、8月
に「日本海大海戦」12月に「オール怪獣大進撃」が公開された。ギロンは同時
上映が「東海道お化け道中」。この作品、従兄弟は観に行ってたが拙者は行か
なかった。何となくギロンのデザインが好きになれなかったのかも。観た従兄弟
が「主人公の子が頭を丸坊主にされたのが面白かった」と見当違いな感想を
言っていた。お化け道中は今ひとつだったらしい。
「緯度0大作戦」は後年TVで観た。撮影でゴタゴタがあったらしいが個人的に
好きなスーパーメカ、空飛ぶ戦艦α号が出てたのでよかった。日本海大作戦は
翌年に円谷英二監督が死去されたため、特技監督としては最後の作品となった。
露のバルチック艦隊を迎え撃つ、三船敏郎演じる東郷平八郎元帥がカッコいい。
出演は小泉博氏や田崎潤氏、久保明氏など東宝特撮でおなじみの俳優が総出演。
オール怪獣は低予算作品だが、子どもの夢を描いたジュブナイル作品として観れ
ば傑作かと。怪獣映画として観たら寂しいけどね。これは当時観に行っていない。
この年、サザエさんにタイガーマスク、水戸黄門、NHK大河の天と地となど
が放送スタートしている。どれも面白かった。

262:どこの誰かは知らないけれど
15/06/28 13:43:14.54 R59qhqFo.net
>>259
それは今井が再興した71年~74年頃の商品。追跡戦闘車やエンゼル機など。
71年に今井は「謎の円盤UFO」商品をバンダイとは被らないアイテムで発売しているけど、
これも後にサンダーバードの名を冠することに。
因みにUFOは71年初夏~晩秋に日テレとよみうりテレビで土曜午後3時半より再放送があった
バンダイ模型のインターセプターとUFOはこれに合わせて発売されたと思われる。
玩具の方でもプラモと同サイズのインターセプター、スカイダイバー(フリクション走行)が8月に発売。
やはり一連の21世紀プロ作品こそ後のポピー誕生を促したのではないか?
仮面ライダーのヒットで霞みがちだけどね。

263:どこの誰かは知らないけれど
15/06/28 18:17:38.62 0VaHyico.net
>>262
 プラモにお詳しいですね。イマイのキャプテンスカーレットシリーズは
だいぶ買ったんですが、サンダーバードの名で出た時はさすがに買わなかった
ですね。バンダイの「謎の円盤UFO」シリーズはUFO、スカイダイバー
あたりを買いましたがよくでけてました。箱の中にスチール写真を使った
パンフレット的なものが入っていて資料的に充実していました。バンダイは
当時人気が出始めた仮面ライダーのプラモも出していて、ライダーが乗った
サイクロン号は買いましたがいい出来でした。ゼンマイで走らせる時には
下部にゼンマイボックスを装着させるが飾る時にはそれを外せることが可能。
見事な配慮でした。ボックスアートは小松崎茂氏の旧1号ライダーが描かれて
いましたね。カッコいい絵でしたがサイクロン号の前部がNG版タイプに
なってたのがご愛敬。

264:どこの誰かは知らないけれど
15/06/28 22:27:16.49 VInLY2mb.net
>>261「主人公の子が頭を丸坊主にされたのが面白かった」
先日、84歳の母親と一緒にこのdvdを観たが、このシーンはふたりで受けてた。
40数年前、少年時代初見のときは、子供が出るシーンには興味が持てなかったが、
今観ると、ドラマ部分でも工夫して作ってる制作者の心意気をほほえましく感じる。
この頃、東宝のゴジラシリーズが子供心にも迷走してる感じを受けて失望した分、
逆にそれまで二流と認識のあったガメラシリーズに、変わらぬ素朴さを感じて
なんとなく愛着がでてきて、「がんばれガメラ!」と応援したい気になっていた。

265:どこの誰かは知らないけれど
15/06/29 16:14:45.57 ev4gqRX2.net
バンダイが今井からキャプテン・スカーレットやマイティジャックの金型を買わなかったのは、
バンダイが発売してた玩具の売れ行きも芳しくなかったからだろうね。
マイティ号の設計した人がバンダイのゼンマイ走行宇宙戦艦ヤマトと同じ人と聞いたときは膝を打ったわ。
村松さんという有名な人で今井時代はTB1号、5号、FAB1等を設計したそうだ。
エンジェル機やスペクトラムヘリの松本さんはバンダイでムーントランスポーター、インターセプターを設計。

266:どこの誰かは知らないけれど
15/06/29 18:05:41.40 OvlfTME9.net
>>264
 あの頃の東宝はゴジラシリーズを終了しようと思ってたらしいですね。
それが怪獣総進撃がヒットしたためシリーズが続くことになった。怪獣映画
らしくないオール怪獣大進撃は、東宝には珍しい子どもを主人公にしたジュブ
ナイル的な作品でした。ゴジラシリーズはこのように路線が少し揺らいでいた
のに対し、ガメラの方は一貫して「子どもの味方。つよいぞガメラ」でしたね。
個人的にはガメラは好きで、ギロン以外は全部劇場で観ました。ガメラは子ども
には愛された怪獣でした。
>>265
 バンダイとイマイとの関係は微妙なんですね。ゼンマイ走行の宇宙戦艦ヤマト
ですか。当時買いましたよ。あの第3艦橋がゼンマイボックスになってジーコ
ジーコとタイヤで地上を走るのは許せなくって、改造しちゃいました。(笑)
全体の造型はいい出来だったんですけどね。そうですか、マイティ号の造型と
同じ人なんですか。この頃のイマイやバンダイの模型は造型的によくできていた
と思います。プロポーションを崩さずに楽しいギミックを盛り込んでいたのは
すごかったですね。

267:どこの誰かは知らないけれど
15/06/29 20:23:58.39 8O3lKHms.net
原潜シュービュー号はデザインが美しかったし今も大好き。
反面、マイティジャックのデザインも単純明快でカッコいいと感じてたが、、、
数ヶ月前、50代にしてやっとジュール・ベルヌの「海底2万リュー」を読んだが
今思うと、デイズニー版「の海底2万里」は原作をうまくアレンジし、
よく出来てると実感する。
悔しいが、この当時の日本の映画人のデザインセンスは10年遅れてたね。

268:どこの誰かは知らないけれど
15/06/30 00:41:54.86 Kjq7ny0v.net
>>267
 カッコいいですねえ、シービュー号。(高校の時の友人が間違えて
シュービー号と言ってたので、それは違うよと言ったらけげんな顔してたの
を思い出す) 現存するリアルな潜水艦っぽい部分もあるのですが、先端部
を見ると未来的なフォルムで美しいし、後部の羽根のような部分もいい。
現実感と未来感が実にうまく融合した素晴らしいデザインです。
 MJ号は日本特撮TV作品の中ではベストのメカだと思いますよ。日本の
スーパーメカはピカピカなものが多く汚しとかがあまりありません。これは
これでいいと思います。リアルさを追求するのではなくて、あくまでも美しい
未来的イメージを構築してるメカだと思いますので。
最近発売の完成品模型ではやたらと汚しを入れたりプロップにはない筋彫りを
加えたりするものがありますが、あれは個人的には好きではないですね。
ディズニーの「海底二万哩」は日本では1955年に公開されてますが、万能潜水艦
ノーチラス号のデザインはカッコいいです。ノーチラス号のデザインはハーパー・
ゴフによるもので東京ディズニーシーに停泊しているノーチラス号はその再現
なんですね。あのデザインは、何となくですが東宝の「海底軍艦」に影響を
及ぼしている気がしないでもありません。個人的には海底軍艦対MJ号対
シービュー号対ノーチラス号の海底大決戦を見てみたいものです。
日本のデザインセンスはいい意味で手作り感があふれていていいんじゃない
かと。職人の気概を感じます。

269:どこの誰かは知らないけれど
15/06/30 01:26:14.48 Kjq7ny0v.net
>>267
 シービュー号もいいが忘れてはならないのがフライング・サブ。飛行能力
を備えた潜航艇で艦首下部の格納庫から発進する。黄色いエイのような可愛い
形をしててこいつがけっこう活躍する。空も飛ぶスグレモノ。個人的にはけっこう
好きやねんこのサブちゃん。海外では単独のプラモが出ているが日本では出て
いない。シービュー号の小さい付属品のみ。大きなメインメカからちっこいサブ
メカが出てくるのはマイティジャックでも見られたね。

270:どこの誰かは知らないけれど
15/06/30 17:48:35.21 7RsD7Qs5.net
原潜シービュー号は、日本ではコグレとミドリからプラモが出ていた。コグレ
のものは見たことないが、ミドリのシービュー号はどこの模型店でも売ってた
と思う。大・中・小と様々なサイズがあった。小さいのはゴム動力で大きいのは
モーター動力。モーター版はいちおう自動浮沈機構になっていて浮いたり沈んだり
する…はずなのだが、お風呂で走らせた時は底に沈みっぱなし。モーター部の
防水も、しっかり接着剤を着けていても水漏れした。当時無事にうまく走行させた
人はいるのだろうか。ミドリはSFプラモを数多く出していたメーカーで、原潜
スティングレイ、ゲストメカのメカニカルフイッシュ、オリヂナルメカのキング
モグラスなどのモグラスシリーズ、ワンダーロボなどのSFロボットシリーズ
USSエンタープライズ号など夢あふれるプラモがたくさんあった。当時の僕らは
ミドリのプラモと聞けば、あこがれの気持ちで見ていたものだった。

271:どこの誰かは知らないけれど
15/06/30 18:01:24.56 aA3lENEF.net
シービュー号がLD化されるくらいまで人気が出たのは、90年代。
それ以前は、確かサンテレビの11:00に放送してました、あの時間帯は昔の作品の発掘時間。
深夜知名度のある昔の作品が放送されていた際に突然シービュー号が始まりました。
これだけ知名度がないのになぜ?と思って視たら、傑作と駄作の落差が激しいんですな。
ジョン・カサベテス出演「恐怖のプロトン爆弾」
ジョージ・タケイ出演「破壊された宇宙船」は是非、未見の方々には視てほしいが他は、とてもお勧めできません。

272:どこの誰かは知らないけれど
15/06/30 19:28:55.60 AS+qtIAE.net
フライングサブは当時、ものすごく愛着があって、
高価なシービュー号をがんばって(親に買ってもらった?)かして手に入れたのだが、
オプショナル的についてた、直径数センチの「フライングサブ」がいとおしくて、
精魂込めてプラカラーで色付けしたのは今でも好い思い出。

273:どこの誰かは知らないけれど
15/06/30 23:46:22.79 Kjq7ny0v.net
>>271
 まあ制作がかのアーウィン・アレン氏ですからね。傑作、駄作何でもあり
の方です。ここはひとつ駄作のお話には目をつぶって、ソナー音を響かせて
海中をゆったりと進むシービュー号を眺めて癒やされましょう。潜水艦は
見てるとなんか心がなごみます。
>>272
 フライングサブは愛着が湧きますね。プラモですが、手頃なサイズなら
モノグラム(ツクダホビー)版、そして最も大きくて超リアルなものでした
ら最近出たメビウスモデルのがお勧めです。小生はメビウスのはシービュー
号TV版だけ買ったんですが、結局作れなくって完成品を購入しました。
フライングサブはモノグラム版の完成品のみでメビウスのはまだ買ってません。
最近はもう細かいプラモを自分で作る根性とパワーが無くなってしまいました。
完成品を買ってリペイントだけは自分でやってます。もう歳ですかな。

274:どこの誰かは知らないけれど
15/07/01 00:08:32.74 mjCsaMHS.net
60年代~70年代の外国TV特撮作品はどれも味わいがありますよね。
ITCは「スーパーカー」「宇宙船XL-5」「サンダーバード」
「キャプテンスカーレット」「海底大戦争スティングレイ」「ジョー90」
「謎の円盤UFO」「スペース1999」など人形劇が多い。
マニアックなものでは「チック・タックのフライマン」「キャプテンナイス」
など。「バットマン」「グリーンホーネット」も楽しい。
超有名な作品は「スタートレック・宇宙大作戦」。USSエンタープライズ号、
素晴らしいデザインですね。「宇宙家族ロビンソン」「巨人の惑星」など宇宙
を舞台にしたものも多かった。海洋ものの王者は「原潜シービュー号 海底科学
作戦」。歴史の勉強になった「タイムトンネル」。秀逸な短編の多い
「ミステリーゾーン」(トワイライトゾーン) 「アウターリミッツ」や
「超人ハルク」もよかった。
あの頃の海外特撮SFの特徴は印象的なスーパーメカが出ていたこと。とくに
サンダーバードは子どもたちに大人気だった。いい時代だったなあ。

275:どこの誰かは知らないけれど
15/07/01 01:16:39.36 mjCsaMHS.net
「スター・トレック 宇宙大作戦」のUSSエンタープライズ号、あれは日本人
の発想では考えつかない秀逸なデザインだと思う。円盤状の「第1船体」
(円盤部)と紡錘状の「第2船体」(機関部)をつなぎ、第2船体後部から左右
に広がる2本の「パイロン」の先端にそれぞれ円筒状の「ワープナセル」
(推進部)がついた航空機を思わせるデザイン。どの角度から見ても美しい。
スター・トレックはいくつかのTVシリーズや劇場版が作られ、さまざまな
エンタープライズ号が登場しているが、やっぱり最初のTVシリーズ
に出てきたエンタープライズ号がいちばん好きだな。わが家にはこれの
90センチの「マスターレプリカ・エンタープライズ号」が飾ってあるのだが、
それはもう最高のできばえである。電飾もできて美しい。買う時は価格的に
ちょっと勇気がいった製品だったが、買ってよかったと思う。エンター
プライズ号の隣には1mのメビウスのシービュー号が並んでいて勇壮だ。
TV作品で使用されたエンタープライズ号の撮影用模型は米スミソニアン
博物館に展示されているらしいが、一度見てみたいものだ。
宇宙大作戦はメカだけでなくカーク船長や宇宙人のスポック副船長、ドクター
マッコイなど個性的な登場人物が魅力だった。今年の2月、スポック役の
レナード・ニモイ氏が亡くなられた。寂しいかぎりである。

276:どこの誰かは知らないけれど
15/07/01 23:25:14.98 mjCsaMHS.net
個人的に「宇宙大作戦」の好きなエピソードは「危険な過去への旅」
「宇宙からの使者Mrセブン」「宇宙暦元年7.21」あたりかな。
いずれも20世紀へタイムトラベルする物語。とくに「危険な過去への旅」は
未来を変えないように非情な決断をする哀しい物語。でも古き良きアメリカ
を描いた素晴らしいお話。傑作である。
TV版「バットマン」のバットモービルは60年代センスあふれるカッコいい車。
「グリーンホーネット」のブラックビューティ号は少し地味だけど作品には合って
いる。「タイムトンネル」の実物大セットは圧巻。あれは筒状になってると思って
いる人が多いが実際はそうではなく、巨大なリングをいくつも間隔を開けて並べた
もの。リングの間は空洞。フジミのプラモでは筒状に成型されてたためその
イメージが大きい。「謎の円盤UFO」の模型は新世紀合金からリアルなもの
が出ている。個人的にお気に入りはスカイダイバーである。「スペース1999」の
イーグル宇宙船はコンテナの入れ替えによっていろんなスタイルとなる。
コーニッグ指揮官のマーチン・ランドーさんは個人的にファンだが、スパイ
大作戦のローラン役の方が魅力を感じる。
先の記事で書き忘れたSF作品に「インベーダー」、カルト的な不可思議作品
「プリズナーNO.6」などがある。

277:どこの誰かは知らないけれど
15/07/02 02:04:03.34 TzKT2/Xq.net
オッサン自費出版で本にまとめたらええんちゃう

278:どこの誰かは知らないけれど
15/07/02 02:20:58.37 +vNHsQmA.net
1969年7月20日公開の東映まんがまつりは「空飛ぶゆうれい船」「飛び出す
冒険映画 赤影」「もーれつア太郎」「ひみつのアッコちゃん」であった。
このゆうれい船は実に面白い作品で、巨大ロボットゴーレムや深海の怪物と
最新鋭の武器を搭載した空飛ぶゆうれい船が戦うお話。スーパーメカ満載の
ゆうれい船が実にカッコいい。ゴーレムとの戦いはまさに特撮作品を彷彿さ
せ、血湧き肉躍る名シーン。東映まんがまつりの中では最高傑作のお話だと
思う。(ゴーレムはデンボクより最高のできばえの完成品模型が出てる)
それと匹敵して面白かったのが同時上映の「飛び出す冒険映画 赤影」で
あった。これは仮面の忍者赤影・金目教編に新撮場面を加え、赤と青のセロ
ファンを貼った立体メガネで観ると画面が飛び出して見えるというもの。
全編が立体なのではなく、新規撮影部分が立体映像になっていた。映画館で
の立体効果はなかなかの大迫力で、本当に赤影たちが飛び出して来るように
見えた。この新撮部分は「アナグリフ方式」と呼ばれる立体映像になっており、
赤・青のセロハンを両目それぞれに貼った赤影の仮面風の「立体メガネ」が
配られ、劇中で立体パートになると赤影や白影がこの「立体メガネ」をかける
よう観客に呼びかける趣向になっていた。赤影の「早くメガネをつけて!」と
切羽詰まった場面で呼びかけたり、白影がのんびりと「みなさん、そろそろ
メガネをつけた方がいいじゃろう」と呼びかけたり楽しいものであった。
新撮部分はTV版とは異なる内容で、ラスト幻妖斎が倒される場面も描いて
あった。この立体メガネ、長いことかけてると目がチカチカして頭痛がした。
この年の夏の東映まんがまつりはいちばん思い出に残っている。

279:どこの誰かは知らないけれど
15/07/02 02:23:43.03 +vNHsQmA.net
>>277
「赤影どの、そんな予算はござらんよ。わっはっはっ!」(白影)

280:どこの誰かは知らないけれど
15/07/02 02:35:43.92 +vNHsQmA.net
>>278
 補足:この「飛び出す冒険映画 赤影」は当時と同じ立体メガネ付きの
DVDが発売されていますが、TVの画面では残念ながら劇場のような立体
効果は得られないようです。劇場ではほんまに飛び出してくるような大迫力
でしたからね。

281:どこの誰かは知らないけれど
15/07/03 04:22:28.72 iOff7kH1.net
1969年7月公開の東宝映画「緯度0大作戦」
この作品は当時は観ていない。74年に東宝チャンピオンまつり版の「海底
大戦争」の方はモスラが同時上映だったこともあり観に行った。こちらの
方は短縮版なのでカットが多い。米国との合作作品だが制作会社のゴタゴタ
があって日本側の費用負担が大きかったと聞く。外国人俳優が多く出演して
いるが、やはりマッケンジー艦長(ジョゼフ・コットン)とマリク(シーザー
ロメロ)の2人の存在感はすごい。スーパー万能潜水艦アルファー号と黒鮫号
の対決シーンはスーパーシップの魅力があふれる。アルファー号は原作では
オメガ号だったらしいが、そういうヘンな名前にならなくてよかった。
人間の脳を移植するグリホンという合成怪獣が登場するが、手術シーンが
ちょっと不気味であった。緯度0基地はユートピアっぽく描かれ、この世の
理想郷という雰囲気が出ていた。コウモリ人間や大ネズミなどの怪物は出るが
有名巨大怪獣は出ない。スーパーメカものとしては少しもの足りない感じで、
当時「巨人の星」と同時上映になり子ども向け作品的イメージがあった。興行
的にも不調だったらしく、以後東宝は日米合作映画は作らないという結論に。
夢あふれる佳作だとは思うが、怪獣ものにもメカものにも徹していない中途半端
なイメージは感じる。その点が惜しい。しかしスーパー万能潜水艦アルファー号
はカッコよくてとてもいい。(プラモは出ていない) 伊福部氏の音楽も美しい。

282:どこの誰かは知らないけれど
15/07/03 17:46:56.00 iGOctWaH.net
>>281
 α号と黒鮫号の戦いのシーンにかかる緯度0マーチが最高にカッコええ

283:どこの誰かは知らないけれど
15/07/04 19:47:23.70 iyacO6Zx.net
アルファー号がいいという人もいるけど、デザイン的には黒鮫号のほうがよりかっこ好いな。
デザインは井上泰幸の助手、豊島睦氏、彼がいなかったら、あのメーサー殺獣車もなかった。

284:どこの誰かは知らないけれど
15/07/04 20:44:48.01 NClhb7j3.net
なんだか変な空気になってきましたねここ

285:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 11:22:38.46 fAZaSNNN.net
>>283
アルファー号は平和世界ユートピアの潜水艦だから攻撃兵器は装備して
いない。黒鮫号の方が戦闘潜水艦という感じはしますね。アルファー号は
デザイン的にスラーッとしててスマート。ラストに可変翼で空を飛ぶ場面
があるのは見せ場でした。まあ戦闘する潜水艦というイメージでないので
印象が弱い一面はあると思います。黒鮫号が好きという人も多いでしょう。

286:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 12:07:24.09 fAZaSNNN.net
>>283
 忘れてました、この有名作品。
「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」東宝と米国の合作映画で
1966年(昭和41年)7月公開。同時上映が「ジャングル大帝」と「つるの
おんがえし(人形劇)」 学校の硬筆検定を休んでまで観に行ったこの作品、
とにかく怖かったで~! 怖いのはやっぱしガイラ。人間をボリボリ喰っちゃ
うし、攻撃を受けて体に血がいっぱい付いてるしほんまに怖かった。映画の
大スクリーンで観たからよけいに怖かった。メーサー車はカッコいいと思う
けど、当時はただただ怖いガイラしか記憶にあらへん。こんなコワイ映画
よく観に行ったもんだと今は思うよ。

287:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 12:51:40.13 fAZaSNNN.net
>>286
 大人の目で観たらすごい作品。サンダとガイラも大迫力だがメーサー殺獣
光線車も大迫力。(この兵器、当初は「メーザー殺人光線車」だったそうで
何とも名称コワイ) ガイラに光線が命中し、逃げ惑うガイラを光線が追うと
木々がバリバリッと火を吹いて切断される。そのタイミングが絶妙ですごい。
動きがすごくスピーディーな2匹なので、逃げてもすぐ追っかけられて捕まり
そうな恐怖を感じる。特撮の出来も最高。伊福部さんのサンダ対ガイラマーチ
は血湧き肉躍る名曲。いろんな意味ですごい作品である。
メーサー車は新世紀合金から電動で走行、砲身上下、回転、光る機能がある
最高傑作の完成品模型が出ている。

288:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 14:45:31.90 bCPtVMsY.net
メーサー車は自走式じゃなくて牽引されるところが実在兵器っぽくてリアル
使われている一番大きなプロップに使われてるタイヤはノベルティとして作られた灰皿を使ってるとのこと
つい最近までその灰皿使っていたんだけど、引っ越しで捨ててしまったのは凄く後悔している

289:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 15:09:56.39 g1190qGN.net
メーサー車は実在すると信じた。いや、テレビやニュースではまだ言ってないが、
たぶん、近い将来、自衛隊に配備予定なのだろうと当時、信じて疑わなかった。
だって、車体に自衛隊の文字やマークも入ってるし、そういう圧倒的な実在感、、、
今から思うと、いくら子供でも映画のウソとホントぐらい見抜けなかったかなあ、
とも思うが、
「そういう時期が自分にもあったんだ」と、この作品を観るたびに癒されるよ。

290:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 16:19:48.30 fAZaSNNN.net
>>288
>>289
 サンダ対ガイラ登場のものは後に66式メーサー殺獣光線車と呼ばれてますね。
所属は陸上自衛隊で車体にもそう書いてありいかにも実在感があります。
パラボラ型の照射装置を搭載する装輪式のメーサー装置車と、装軌式の牽引車
で構成されます。内蔵する小型原子炉により10万ボルトの出力でメーサー光線
を照射。パラボラ型照射器は、砲身部が可動して鎌首をもたげるような動きを
するのがカッコよかったですね。新世紀合金の電動版はこの動きが再現されてて
感動ものです。「モスラ」でのロリシカ陸軍の原子熱線砲を研究し開発したと
いう設定もありますね。
光線発射シーンは砲身がリレー発光回路で光が波のように見えて美しいです。
この兵器、非常にリアルに設定されているので実際に自衛隊に存在してるよう
に思いますよね。東宝特撮作品でおなじみのポンポンロケット砲も実際には
ないそうです。このような虚構の世界をいかにもリアルに見せるのも特撮映像の
醍醐味でしょう。

291:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 19:48:37.64 4Vv+Kwz6.net
>>1で書かれた趣旨と無関係な私的雑談を書くスレになってるな

292:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 19:52:47.65 bCPtVMsY.net
メーサー車の見所は先に書かれておりますので割愛しますけど、放射時に横一線に走るハレーションがまたカッコイイ!
鎌首持ち上げて川に仕掛けられた放電と相まってガイラを執拗に攻める所が何回観ても素晴らしい!
サンダの横槍さえ無ければ…と思ってしまいますw

293:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 20:09:28.93 S6WoSCLh.net
What Was Brad Pitt Talking About? The War of the Gargantuas
URLリンク(www.slate.com)
URLリンク(www.youtube.com)

294:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 23:09:11.03 fAZaSNNN.net
>>291
 「昭和特撮で昭和文化を語る」という趣旨やからね。私的内容でも当時の
昭和特撮に関係があればそれでいいんじゃないか。むしろ当時の時代を生きて
リアルタイムで観てきた人の証言は貴重だ。

295:どこの誰かは知らないけれど
15/07/05 23:17:28.46 fAZaSNNN.net
>>292
 メーサー車お好きなようですね。東宝特撮作品のベストメカを挙げれば
必ず上位にランクインするメカでしょう。ゴジラ作品では「ゴジラ対ガイガン」
に登場しますが部品が減っちゃってスリムになってるし(笑)、サンダ対ガイラ
の時のインパクトはありません。サンガイが、メーサー車がいちばんカッコよく
美しく魅力的に活躍してる作品であると言えるでしょう。

296:どこの誰かは知らないけれど
15/07/06 02:01:58.49 QVqdYW0A.net
>>278
「飛び出す冒険映画 赤影」は映画館で見ましたが、白影が「勇気のある人はメガネをかけて!」と言ったのを覚えています。
僕は当時勇気がなくて、もじもじした目立たない子供でした。
だから「自分のような者にメガネを装着する資格があるのだろうか?いや、ない」(反語)のような自問自答をして、
結局付けなかった記憶があります。
ただ、今の3Dもそうですが、「飛び出す」という暗示にかかって本当に飛び出したような錯覚に陥っていたのでは、という気もしています。
ブルーレイは買いましたが、opの画質はDVDとあんま変わらなくてガッカリです。

297:どこの誰かは知らないけれど
15/07/06 02:17:11.62 V5sGAyin.net
>>296
 おお、それは懐かしい思い出ですね。「メガネをかけて」と言ったのは
赤影さんと白影さんで、青影は言わなかったと記憶しますが定かではあり
ません。映像は実際にかなり飛び出して見えましたよ。劇場の大スクリーン
であったので大迫力でした。ただ立体映像場面以外でもかけまくって観てたら
目がチカチカして頭が痛くなりました。あの時代の特撮映画は本当に夢が
あって楽しいものでしたね。
このアナグリフ方式の立体効果ですが、当時の学校の社会科ワークなどでも
使われていました。山などが立体的に見えるというものでした。

298:どこの誰かは知らないけれど
15/07/06 23:34:06.74 V5sGAyin.net
さて、時代も流れ1970年(昭和45年)がやってきた。この年は大阪で万国
博覧会が開かれ、日本中が燃えた年だったと思う。拙者は修学旅行で行った
が会場は熱気であふれていた。まさに「人類の進歩と調和」のテーマのごとく
中央にそそり立つ岡本太郎(「宇宙人東京に現わる」のパイラ星人のデザイン
担当者)制作の太陽の塔が圧巻であった。
映画「ガメラ対大魔獣ジャイガー」(3月公開)では万博会場にジャイガーが
迫る場面があるが、ソ連館を角でつついただけで破壊することはなかった。
さすがに万博会場の破壊は特撮映画といえどもできなかったのである。
この年、偉大なる特撮の神様が亡くなられている・・・

299:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 01:04:11.58 XtT9vXCb.net
♪こんにちはこんにちは世界の国から という歌が世の中を席巻しておりましたな
私もアメリカ館で長いこと並んで月の石を見ましたが、ちっとも感動しませんでした(疲れ果てていた)
見知らぬ外人さんに「サイン、サイン」と言い寄ってノートにサインしてもらって喜んでました
前年の飛び出す赤影の続編で今年は卍党が見られると楽しみにしていたのに、大好きな幻妖斉殿は岩の下敷きで亡くなられたようで
烏賊と蟹と亀の決戦映画で辛抱するはめに・・・でも学校では怪獣よりタイガーマスク!女子は鮎原こずえが人気の的

300:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 01:52:16.45 suSQpTzv.net
>>299
 1970年にお詳しいですね。当時の社会情勢をよくご存知でいらっしゃる。
アメリカ館で月の石を見られましたか。それだけでもう世紀の大事業ですよ。
さぞお疲れだったことでしょう。パチパチ(拍手) 月の石って、ほんまに
ふつうの石と変わらないんですよね。でも月のというだけですごい。
ああ、飛び出す赤影の続編ねえ。なかったですね。金目教編のラストが新撮で
変わってて、岩の下敷きで最期だなんて信じられない。幻妖斎は生きてる、
きっと生きてるんだ、遠い宇宙から俺たちの地球を見守ってくれるさ・・・と
当時は思ってました。(笑)
この年はなぜかゴジラ映画が作られていません。かわりに公開されたのがこれ、
イカ対カニ対カメの怪獣映画「決戦!南海の大怪獣」(8月公開)でありました。
ゲゾラは「ゲソ」から名付けられたという・・・ この怪獣、劇中ではガニメや
カメーバと戦う場面はありません。スチールでは3匹仲良く戦ってますが。
この年、プロレスブームでしたね。馬場や猪木、坂口に吉村。サンダー杉山
というレスラーもいましたっっけ。アニメのタイガーマスクに熱中しました
が(放送開始は69年10月)あの作品はみなし児の哀しみや社会情勢などを
描き奥が深い作品でした。

301:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 11:20:30.33 J/A80Sdi.net
昭和45年は特撮不作の年でした。
この年の夏休みはチャンピオンまつりには行かず、
東映まんがまつりで石森章太郎の「海底3万マイル」を観ました。
怪獣映画より面白かったです。
この頃既に石森章太郎は大御所でしたが、
まだ特撮の原作はやってませんでした。
万博にも2回行きましたが、
パビリオンの中を観るより外で並んでる時間の方がずっと長くて、
行ったのが2回とも夏休み中で、猛暑の中、夜の9時頃まで行列に並んでて
死にそうになりました。
行った後、2回とも扁桃腺を腫らして寝込みました。
でもアメリカ館で焼け焦げたアポロ司令船を見られたのはいい思い出です。
あんな小さな宇宙船で月まで行って帰ってきたアメリカ人はすごいと思います。
未だに自力で有人宇宙飛行ができない日本人には絶対真似できないと思います。

302:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 13:02:09.23 JrXxu1sn.net
>>301
 おお~、万博に根性で行かれましたか。しかもアメリカ館でアポロ司令船
をご覧になったとはすごいですな。さぞお疲れになったことでしょう。あの
時は人気パビリオンはすごい行列でしたね。小生はさすがに並ぶ元気はなく
日本館にちょこっと入っただけでした。でも太陽の塔の内部は観ましたよ。
生命の進化の展示がけっこう感動的でした。
 この年は特撮ものは今ひとつでしたが、それでも海外作品の「謎の円盤
UFO」などは放送していましたね。サンダーバードの制作会社が作った
人間が演じる特撮作品で、登場メカがカッコよかったです。

303:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 18:09:46.54 JrXxu1sn.net
>>301
 世紀の一大イベント、万国博覧会に2度も行かれたとはすごいですね。
万博関係の特撮作品といえば、ウルトラマンのゴモラは大阪万博に展示予定
(こんな大怪獣、生きたまま展示なんてムリ!)でしたし、仮面ライダーの
死神カメレオンの話は71年に会期が終わった万博跡エキスポランドで撮影され
ています。
 アメリカ館やソ連館は大人気で何時間も長蛇の列だったそうです。本当に
お疲れさまでございました。万博会場が壊されそうになった映画は「ガメラ対
ジャイガー」だけでしたね。東映まんがまつりの「海底3万マイル」はSF
ものアニメでした。火炎竜というメカ怪獣が出てきました。個人的には前年の
「空飛ぶゆうれい船」が思い出に残っています。石森氏は翌年の「仮面ライダー」
で一大ブームを巻き起こします。

304:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 22:11:22.94 vc9seQ1C.net
私は万博へは母親、父親、叔父に連れられて都合三回行きました。
特に母親と行った時は待ち時間もそれぞれ数十分くらいでアメリカ館、三菱未来館、太陽の塔など人気の高いパビリオンに沢山入れました。
特撮がらみで書くと太陽の塔内部の生命の樹のデザインは成田享さん、生命のミニチュアは東宝特美。三菱未来館の映像も東宝だった筈ですよね?
今一つ不確かなので正確なことをご存じの方が居たらご教示下さい。

305:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 22:15:03.28 suSQpTzv.net
さて、本日7月7日は特撮の神様、円谷英二氏の誕生日です。七夕の日のお生まれ
なんですね。福島県須賀川市出身。氏の業績はゴジラやウルトラマンを生み出す
など、日本特撮界においては本当に神様のような人でした。
そしてお亡くなりになったのが1970年の1月25日でした。奇しくも最後に手がけ
られた仕事が、万博の三菱未来館のサークロマ撮影でした。このサークロマ撮影
のため徳島鳴門の渦潮をロケしさらに特撮プールに自ら入り演出。これがたたっ
て体調を崩されたそうです。最後まで特撮映像にかける執念を感じます。
残念ながら小生はこの三菱未来館のサークロマ映像は観ていません。「日本の
自然と夢」をテーマに火山活動や未来の海底牧場など、迫力ある映像を360度
視界に映し出すのが「サークロマ映像方式」というものでした。当時大変な
話題となり、三菱未来館は最も人気のある企業パビリオンであったそうです。
音楽は伊福部昭氏。円谷英二氏最後の作品、観たかったですねえ・・・

306:どこの誰かは知らないけれど
15/07/07 22:37:01.70 suSQpTzv.net
>>304
万博に複数回行かれたそうでうらやましいかぎりです。
>待ち時間もそれぞれ数十分くらいで人気の高いパビリオンに沢山入れました
 それはラッキーでしたね。3月から9月までの開催でしたが、6月頃は比較的
空いていたそうです。
>太陽の塔内部の生命の樹のデザインは成田享さん、生命のミニチュアは東宝
特美。三菱未来館の映像も東宝
 生命の樹のデザインは成田亨氏で間違いないようです。生命の樹の枝に
取り付けられた300体の模型製作は円谷プロという表記(「太陽の塔」のwiki)
がありますね。三菱未来館の映像は田中友幸製作、円谷英二特技監督、中野昭慶
助監督、伊福部昭音楽、坂野義光監督の東宝特撮スタッフ製作でした。
当時会場でご覧になったのでしょうか?

307:どこの誰かは知らないけれど
15/07/08 00:47:17.09 you431ZD.net
>>305
三菱未来館のアトラクション映像の音楽はゴジラ対ガイガンのメインテーマとして
流用されているのも有名な話だね。
この映像は、、後にエキスポランドの天変地異やカタストロフを体験できる
アトラクションに流用されていたように思う。
残念ながらアトラクションの名前を忘れたが
このアトラクションは記憶では1970年代後半まであったもので、360度全周がスクリーンになっており
10人程度が座れる円形の大きなソファがバンクのついた回転する床に数基ついており
映像が始まると床とソファが動き・振動して風が館内を吹き荒れるといった臨場感のあるアトラクションだった。
記憶はおぼろだけど、三菱未来館の映像以外にも日本沈没の映像が流用されていたうように思う。

308:どこの誰かは知らないけれど
15/07/08 02:52:26.48 qeXqUAIP.net
>>307
 色々情報ありがとうございます。エキスポランドのアトラクションにまで
お詳しいとはすごいです。よく行かれてたのでしょうか。万博後がんばって
営業していましたが、事故などの影響で2009年に閉園しました。小生も1980
年代に行ったことがあるのですが、ダイダラザウルスがギシギシガタガタ
音を立ててたのが別の意味で怖かったです。アトラクションは覚えてない
ですね。
「ゴジラ対ガイガン」(72年公開)の音楽はそれまでの伊福部音楽があれも
これも詰め込まれていますね。三菱未来館の曲は「火山」か何かが流用され
てるとか。壮大な曲だったイメージがあります。

309:どこの誰かは知らないけれど
15/07/08 03:09:24.37 qeXqUAIP.net
いや~、みなさん、やはり万国博覧会の思い出は強烈なものがあるようですね。
あの行事って、東京オリンピックの次に日本が国の威信をかけて取り組んだ
一大イベントであった気がします。東京オリンピックの時は、戦後まだ日本が
外国に完全に認められていなかったのを、オリンピックを成功させたことにより
世界中に日本の国の力を示したというちょっぴり悲壮感のようなものがあった
のですが、万博の場合はもう世界的なお祭りという感じで、日本の文化的な
パワーを発揮しました。東宝や円谷プロの参加もさすがだと思います。
そんな中、円谷監督が現世から去って行かれ、我々特撮ファンにもショック
であった1970年でした。今から思えば、この頃の日本がいちばん輝いてたように
感じますね。

310:どこの誰かは知らないけれど
15/07/08 16:45:56.32 dUP9a89e.net
あの時代の輝きの正体はいったいなんだったのでしょうかね。
月には有人ロケットを次から次へと飛ばし、テクノロジーは
年々進化して行くのがだれでも目に見えて実感出来てたから、
1980年代は月にムーンベースなるものが出来ると言われたら、
「もちろん、そりゃあ出来るさ」と単純に信じられた時代。
勿論、近いうちに日本製の月基地なるものがきっと出来ると、
いまでも考えてるが、その際は工事前に熊谷組だか大林組が
古式に乗っ取った正式なる地鎮祭を行なうものと確信する。

311:どこの誰かは知らないけれど
15/07/08 22:49:41.16 you431ZD.net
1970年前の初めってのは万国博で「夢の21世紀」が疑似体験できた時代。
高度経済成長がまだ続いていて、日本の人々がまだ夢を見ることができた時代でもある。
これは1974年のオイルショックで突然終焉を迎えるわけだけれども。
そういう中で、世紀末も近くなって科学や経済が発達した夢の世界に対する負の現実
も特撮でも描かれるようになった。
それが公害問題を扱った1971年のゴジラ対ヘドラ、スペクトルマン。
そして、繁栄しきった日本が壊滅するという日本沈没。
1973年の日本沈没の映画公開(これは1974年のお正月映画でもある)の前の月には、
ノストラダムス大予言が発売されてこれもベストセラーに。
世紀末に向けての世界終末思想がここから広がって安直に「夢の21世紀」を信じられない
ようになったのも1974年からぐらいだろうね。

312:どこの誰かは知らないけれど
15/07/08 23:59:04.83 iUo4yt+n.net
ディストピア的未来の萌芽は、60年代のニューウェーブSFにも見られたし、ペシミスティックな週末イメージのハシリとしては、ロメロのナイトオブザリビングデッド(地球最後の男でもいいけど)もあったな
それらがオカルトブームに結びついてひとつの完成されたイメージを持つに至ったのが1974年て感じ?

313:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 00:06:45.92 L0rs8rWA.net
>>310
「1980年、すでに人類は地球防衛組織SHADO(シャドー)を結成していた。」
のオープニングナレーションで始まるのは「謎の円盤UFO」(70年放送)
でしたね。ドラマ内では月にムーンベースが建造されていました。放送年
からたった10年後のことなのに、あの頃の僕らは明るい未来に対する夢と
希望を持って信じていました。それが最高に結実したのが70年の万博でした。
今から思えば本当にすごい時代だったんだと感じます。あの時代を経験した
僕らは今でも、あの頃を思い出すと胸が熱くなりますね。
>>311
 万博以降の日本の情勢を簡潔にうまくまとめて下さってありがとうございます。
まさにそのとおりですよね。日本繁栄の影に公害問題などが出てきたのが71年頃
でした。これ以降、未来は明るいものではなくだんだん暗いものになっていきま
した。そして世紀末に向かって世界終焉的な雰囲気が世の中にも出てきます。
特撮作品もそのような世界観が描かれるようになっていきました。

314:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 00:22:07.13 SYYYH1df.net
>>312
1970年代の始めというのは色々な意味で
時代や世界を冷静に見つめ直すという気運が世界的にあったんじゃないかな?
アメリカではベトナム戦争の長期化で厭戦ムードが高まり、体制批判のニューシネマが台頭。
ベトナム戦争は米ソの代理戦争でもあるわけで東西緊張も相変わらず背景にあり
日本にとっても対岸の火事という感覚ではなくなってきたと思う。
それはメディアの発達による世界情勢のリアルタイム化とか1970年のよど号事件、1972年のあさま山荘事件
等、暗い影を落とす事件が相次ぎ、日本人も意識改革を迫られた時代でもある。
日本でも一大イベントである万博をピークに、ポストエキスポの時代は未来に対してシニカルな感覚が
意識せずとも醸成されていった。
そこにノストラダムスの大予言や、日本沈没といった終末思想的世界観が日本人にもリアルに感じられたんだろう。
ゴジラシリーズで言っても、ヘドラに始まり、ガイガン、メガロ、メカゴジラの逆襲等はいずれにしたって
行きすぎた文明批判的なトーンがどこかにあるよね。

315:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 00:26:03.38 L0rs8rWA.net
万博以降に進む前に、1970年にちょっと記憶に残る特撮番組が。それは9月に
放送スタートした「ウルトラファイト」である。これを観たことがない人は
ほとんどいないのではなかろうか。前期はウルトラマンおよびウルトラセブン
の戦闘シーンを抜き出してプロレス風の実況を加えていたが、後期は同作の
登場キャラクター(セブンや怪獣など)を使って野外での着ぐるみによる
格闘を展開するというバラエティ色の強い番組となった。
とくに印象が強烈なのは後期の方で、くたびれた着ぐるみの怪獣がそこらの
野原に現れて対決するという、過去の特撮ファンが観たら「何じゃこれは?」
というような番組であった。放送開始当初こそマスコミから「円谷プロは
出がらしのお茶で商売をしている」とボロクソ言われたらしいが、怪獣作品
を観慣れていない児童にとっては人気番組となった。その結果、第2次怪獣
ブームを生み出す原動力となっていった番組だったのである。

316:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 00:36:44.76 SYYYH1df.net
>>315
1969年~1970年にかけての2年間は、新マンが1971年に始まるまで
子供達は、新作の特撮作品に飢えていた時代だったと思う。
しつこくウルトラQ~セブンはリピート放送されていたという事実はある
けど、あの頃は怪獣が出てくれば何でも良かったという感覚もあった。
自分もウルトラファイトは、むさぼるように飽きずに見ていたですw
特にアトラクのバルタンやイカルスは、1969年ぐらいにあったデパートの
怪獣ショーで見たのと同じものだったので、凄く親近感が沸いたのを覚えてますね。

317:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 00:54:37.58 L0rs8rWA.net
>>316
 ウルトラファイト、これはある意味すごい番組でしたねえ。オープニング
画面が2種類あって、白バックに赤と青のひび割れた文字ならマンとセブンの
本編戦闘場面の編集、炎バックの映像なら着ぐるみ同士の野外決闘でした。
あの脳天気なウエスタン調の音楽と山田二郎アナウンサーの軽快な実況が
忘れられません。アトラク用のくたびれた着ぐるみが何とも言えない味わい
を出しておりました。新撮部にはウルトラセブンは出てきますがウルトラマ
ンは出ません。これはナゼなんでしょう。サブタイトルがまた斬新で「やらず
のウー」とか「怪獣餓鬼道」とかすごいものばっかし。

318:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 01:00:15.39 +5pbaPRj.net
「ウルトラマンは僕たちに愛と正義を教えてくれた」
「地球の平和は俺たちの力で守って行かなければならない」
などという雰囲気から、70年代に入った頃からなんだか
世間の風潮が変わって行ったようです。
勧善懲悪、単純明快な映画やドラマが姿を消して、
ATG映画みたいな虚無的な思想が特撮ものの中まで入って来た。
この頃「あっしには関わりござんせん」みたいな流行言葉が出て、
体制に迎合しない個人主義や、アナーキストが幅を利かしてきた。

319:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 10:10:07.33 wm3HzdI6.net
1970年、それは「自分たちの価値観に合わないモノへは抗議!抗議!抗議!抗議!抗議!抗議!抗議!抗議あるのみ!」という時代の幕開を告げる年でした。
1970年10月に発行された小学館の『小学二年生』11月号の付録にあった「かいじゅうけっせんカード」に、「スペル星人」の説明として「ひばくせい人」という記述があり
このカードを見た女子中学生が、東京都原爆被害者団体協議会の専門委員であった父・中島龍興(在韓被爆者問題市民会議代表)に相談し、父親は『小学二年生』編集部に抗議文を送付。
円谷プロ側の正式回答を待たずに朝日新聞が「被爆者を怪獣扱い」と一方的に報道したため、抗議運動は短期間のうちに広島・長崎の被団協などにも拡大。
他の新聞社なども同様に抗議団体の主張のみを大きく取り上げた追従記事を記載したので全国的な行動になって、円谷プロは1970年10月21日付けで謝罪の意を表し、スペル星人に関する資料を封印。
ブルーレィで復活の淡い期待も失望へと化しました。
どんどんテレビがつまらなくなっていくエポックの年でした。

320:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 16:53:46.57 C8TL2I79.net
なんか物いスレッドですねここ

321:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 20:13:28.00 L0rs8rWA.net
>>318
 そうですねー、世の中全体がなんか万博で頂点に達して燃え尽きちゃった
感じはありましたね。その後は公害とかそれまでの負の側面が一気に出て
来た感じで、TVや映画、文化的なものまで変わっていった気がします。
>>319
 おお、あのスペル星人事件はこの年でしたか。あれはネーミングの呼称の
問題であって映像の内容には無関係だったのにね。これはけっこう大きな
社会問題として取り上げられた記憶があります。

322:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 23:30:40.59 L0rs8rWA.net
みなさんの1970年、および70年代についての熱い思いが伝わりました。
やはりこの70年という年は特別な思い入れがある方が多いようですね。さて
万博終了後の70年代はどのような時代だったのか、どんな特撮作品が生まれ
ていったのかこれから振り返ってみましょう。
まずは1971年(昭和46年)ですが、いよいよ第2次怪獣ブームが起こります。
この年の有名な特撮作品は、やはり何と言っても「仮面ライダー」(4月放映
開始)ですね。もはや歴史的な番組です。そして円谷プロの「帰ってきたウル
トラマン」(4月)「宇宙猿人ゴリ」(1月)「シルバー仮面」(11月)
「ミラーマン」(12月)などが続々とスタートします。
わが家では昭和45年か46年頃にカラーテレビをやっとこさ買いました。最初は
その映像の美しさに感激していた覚えがあります。白黒からカラーに変わった
時、科学時代の進歩を実感しましたね。新しい時代がやってきたという感じ
でした。

323:どこの誰かは知らないけれど
15/07/09 23:47:28.54 SYYYH1df.net
>>322
我が家にカラーテレビがやって来たのは、忘れもしない1972年の2月の初めだった。
なぜそこまで憶えているかといえば、家で初めて見たカラーの特撮が
帰ってきたウルトラマンのコダイゴンの回だったから。
いやとにかく感動した。
ウルトラマンのシルバーと赤が眼にまぶしかった。
当時はだいぶカラーテレビは普及していたから、我が家は導入が比較的遅かったかもしれない。
たぶん72年にもなると 【カラー】 なんていうテロップはもうテレビの右下には出てなかったと思う。
いまの感覚で考えると、そのカラーテレビは18インチ程度のもので画面は小さいのだが
ブラウン管なので筐体はずいぶんとデカかった。
テレビの天板の上に、レースの敷物を敷いて、その上に置物とか時計を置いていたのも憶えてる。
リモコンなんてものも勿論なくてチャンネルでガチャチャやってましたな。
でUHFの方はぐるぐると回す感じ。
NHKだけはVHFとUHFの両波でそれぞれ異なる放送をやっていて、刑事コロンボなんかは
UFH波でよく見た印象が残ってます。

324:どこの誰かは知らないけれど
15/07/10 00:17:01.30 0azeo2JI.net
>>323
 おお、カラーテレビの思い出ですな。詳細に覚えておられますね。たしかに
当時のテレビはスリムじゃなく、奥の方がけっこう大きかったです。チャンネル
ガチャガチャでしたねえ。最初のリモコンはテレビのチャンネル部分が勝手に
ガチャガチャ回るという不気味なものだったらしいです。もちろんそんなもの
はまだなくて手動でした。
 そういえば「カラー」テロップありましたね。たしか新聞の番組欄にも最初は
「カラー」って書いてありましたが、昭和40年代後半にはカラー番組がふえて
記載しなくなったはず。カラーテレビで最初に観た番組は何だったか覚えてない
ですが「細うで繁盛記」などはカラーで観ましたね。特撮番組はあの頃何を観て
たのかよく思い出せません。仮面ライダーは旧1号編から観てました。今でも
旧1号がいちばん好きです。

325:どこの誰かは知らないけれど
15/07/10 01:02:21.96 fwzK0wsk.net
タイガーマスクvsゴールデンマスク戦をカラーテレビで観戦してたちびっ子ハウスの子供たち。
ゴールデンマスクが発光しだして、みんな目をやられ、若月先生が
「カラーをしぼって白黒にしなさいっ」とルリ子さんに言うシーン
当時白黒テレビで見ていて、カラーで見たら本当にまぶしくて見ていられないんだろうか? と思った記憶あり。

326:どこの誰かは知らないけれど
15/07/10 03:58:02.15 0azeo2JI.net
>>325
 「虎だ!虎だ! お前は虎になるのだ!」「タァ~~ッ!!」
あの当時、現在のような「伊達直人現象(タイガーマスク運動)」が起こる
ようになろうとは想像もしませんでしたね。

327:どこの誰かは知らないけれど
15/07/10 09:40:19.64 0azeo2JI.net
昭和46年頃のカラーテレビの普及率はおおよそ50%前後で、国民の約半分の
家庭はカラーだったがまだまだ白黒テレビで見ている人も多かった。
昭和46年頃はカラー放送に完全移行し始める時期で、ゴールデンタイムの番組
はほとんどがカラーになっていた。しかし当時のカラーテレビはまだまだ値段
が高くすぐに手を出せる物ではなかったようで、月賦や貯金をして意を決して
カラーテレビを購入していたのが現実だった。わが家もそうだったかも知れない。
テレビが来てしばらくはみんなで「きれいな色やなあ」と言いながら観ていた
のが思い出される。わが家のカラーテレビはソニー製の物で、とくに青色が
きれいという定評があった。しかし下宿先の伯母さんの家はずっと白黒テレビ
で、宇宙戦艦ヤマトも初回放映は白黒で観た。

328:どこの誰かは知らないけれど
15/07/10 23:17:28.78 0azeo2JI.net
4月から始まった「仮面ライダー」を観ていた。全身が黒っぽくて昆虫のよう
な顔をしたちょっと異色のヒーローだった。改造人間という設定。お話も怪奇
調でちと不気味。しかしながらゾクゾクする妙な爽快感はあった・・・
この作品の基本線は等身大のヒーローと怪人が対決する「痛快SF怪奇アクション
ドラマ」であった。怪奇ドラマ的な演出ではあるが、颯爽とオートバイに乗って
「ライダーキック」などのダイナミックなアクションによる格闘シーンや
グロテスクな怪人の登場が特徴である。ショッカーという敵が妙にリアルだ。
最初は変わったヒーローだなと思って観ていたが、しばらくしたら急に眉の
濃いお兄さんが出なくなって新しい別のお兄さんが。そして腕を回すポーズ
をしてベルトの風車を出し、飛び上がるとそこにはマスクの色や模様が違う
仮面ライダーが出てきた。あの時、観ていた僕らは????であった。この
お兄さんはだれ? 最初の黒い仮面ライダーはどこへ行ったの?
当時の僕らは、藤岡氏のオートバイ事故の事情など全く知らなかった・・・

329:どこの誰かは知らないけれど
15/07/10 23:42:46.82 0azeo2JI.net
「変身!」のかけ声と腕を回す変身ポーズで出現するのが新しい仮面ライダー
2号であった。こちらは大変明るくて変身するお兄さんもさわやか。全体の
雰囲気も明るくなった。作品の視聴率もアップして日本中に「変身」ブームが
やって来たのだ・・・
だがしかし、しかしだ、僕らは忘れていなかった。あの黒い旧1号仮面ライダー
を。あのライダーはどこへ行ったのか? 2号のお兄さんの話では外国に行った
とのこと。ではまたいつか出てくるのか・・・? 黒い仮面ライダーへの思いを
残しながら、仮面ライダーは怒濤の勢いで日本を席巻していったのである。

330:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 00:36:21.38 30G2Svkz.net
どこを目指してるの?

331:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 00:42:44.96 L7xFnx+s.net
まだ人の胸に ぬくもりがあって
まだ海の色が コバルトの時代   を目指してるんだよ、明智くん。

332:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 09:17:08.05 lKcKqP9/.net
怪獣が表紙になっていた高額な特集本は
夢とあこがれだった。

333:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 10:11:06.91 cEgKyrni.net
僕が初めて仮面ライダーを見たのはヤモゲラスの回からだった
スノーマンの時「諸君はこの青年を覚えているだろうか?」と聞かれても
「誰?」という感じだった
だから僕の1号ライダーは一文字隼人

334:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 10:12:31.15 dP0fc8KP.net
うちもカラーテレビが来たのは昭和46年7月だった。その日に仮面ライダーがあり、
ヒトデンジャーの回だった。カラー調整ツマミをいじって、ヒトデンジャーの体色をいろいろ変化させて楽しんだのを
覚えている。

335:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 10:19:37.54 t6P9Zawx.net
>>334
ああ、やった。やった。
今のハイテクなHDテレビだと映画見る時とかの総合的な調整をすることはたまにあるけど
まず触る事ないからな。設定が狂っても面倒だ。
だけど昔のアナログカラーテレビは色調整が簡単にできたな。
あとテレビの裏側は、たいてい木でできていて、放熱用に穴が空いていて中が除けるようになっていた。
さすがに白黒テレビと違ってもうトランジスター化されていたけれど。
ちなみに家の初カラーテレビはソニーのトリニトロン。 タコの赤ちゃんのCMが懐かしい。

336:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 12:00:45.53 ACwQrd6q.net
>>331
シーっ。
それは薄々感じていた。
ここだけの秘密にしておくんだワトソン君。

337:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 12:34:44.88 L7xFnx+s.net
>>333
 そうですね。あの当時は完全に藤岡弘、さんより佐々木剛さんの方が人気
でしたよね。2号ライダーになってから仮面ライダーの人気が急上昇したため、
当時旧1号ライダーは観てなかった人も多いだろうと思います。旧1号に思い
入れがあるのは少数派かも知れません。しかし2号になってから、ほんまに
作品カラーが明るくなりました。ライダー自身も体にラインが入って明るく
なり、一文字隼人の性格も本郷猛よりずっと明るくちょっとコミカルに設定
された。主題歌も藤岡さんのシブい歌から子門さんのはっきり明瞭な歌に。
ライダーガールズも出てきて画面が華やかに。何よりもあの「変身ポーズ」
が出てきたことが最大のアピールポイントですね。変身ポーズは当時の子ども
誰もがマネしたものです。
しかしこれも全ては藤岡さんのバイク事故による降板から始まったできごとで
した。もし当時、あのまま藤岡さんが続けてライダーを演じていたならあそこ
まで有名作品にならなかったかも知れません。まさにケガの功名といいますか。
仮面ライダーはこのように奇跡的な主役交代によって人気がアップしました。
そして藤岡さんが再登場してダブルライダーが誕生した時、その人気が頂点
に達しました。

338:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 14:49:23.00 cEgKyrni.net
ゾル大佐と戦うライダーがCMに入った時、チャンネルをガチャガチャまわして1分間だけこれ見てました
URLリンク(www.youtube.com)
ヒロインは後のキャンディーズのスーちゃんです
舞台で見る特撮番組でしたが、怪獣の造形センスが素晴らしい
ソフト化できないのが悔やまれて成りません

339:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 15:32:18.31 L7xFnx+s.net
>>332
 怪獣図鑑の種類の書籍ですね。昭和40年代から数多く出てました。当時は
写真資料が少なかったため、梶田達二ほかの絵師によって迫力あるイラスト
が描かれたものが多かったです。その中にはテレビではなかった夢の対決も
描かれていました。またTVの俳優によるオリジナルドラマのソノシートも
付いているものがありました。あの頃は情報が少なく、それらの書籍は貴重
な情報源でしたが、時々「ほんまかいな」というような怪情報も書かれてい
ましたね。ふらんす書房、現代芸術社などの出版社が懐かしい。
あの頃は少年マガジンなどの巻頭グラビアでも怪獣やヒーローが登場し、子
ども向けの本はほとんど怪獣たちに占拠されていたものです。

340:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 16:12:40.02 lKcKqP9/.net
週刊漫画雑誌も、別冊の月刊・季刊を発売していたぐらい、当時は月刊漫画雑誌は
人気があったな。しばらくすると週刊に駆逐されてしまったが。
月刊の魅力は、ふろくの多さ。雑誌の厚みが3倍にふくれあがるほど、付録満載だった。
ふろくがこぼれ落ちるので、雑誌を紐で縛って売っていた。

341:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 16:54:13.31 I8hBaJ9C.net
冒険王は残ったけど、新たな月刊漫画誌コロコロコミックに駆逐されたな。

342:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 17:48:24.38 E5wZOa/P.net
仮面ライダーといえば山本リンダも出てたな。
当時は「♪困っちゃうな」のカワイ子ちゃん歌手のイメージが生きてた時代。
あんまり有名役者が出る番組じゃないのでやや意外だった。
その後リンダは「ウララ~ウララ~」のセクシー路線に移行する。

343:どこの誰かは知らないけれど
15/07/11 22:25:06.00 lKcKqP9/.net
昭和40年代の日本、
東京オリンピック、カラーテレビ、高速道路、東海道新幹線、
六本木ヒルズ、霞ヶ関ビル etc
まだトーキョーが若者を魅了していたあの頃。

344:どこの誰かは知らないけれど
15/07/12 00:11:26.17 XEns3J7U.net
>>342
ライダーガールはいろんな子が出てましたね。個人的には高見エミリーが
好きだった。一文字はいつもライダーガールがいない場面で変身してたが、
ライダーガールは一文字や本郷の正体を知っていたのかどうか気になる。
野原ひろみ役の島田陽子さんはけっこう有名な女優さんだね。
ところで旧1号編に出てた緑川ルリ子役の真樹千恵子さんだけは本郷が日本
に帰って来てもいっしょにいる姿はついに見られなかった。彼女は本郷を
追って外国に旅立ったあとどうなったのだろう。すんごく気になる。

345:どこの誰かは知らないけれど
15/07/12 02:47:08.24 XEns3J7U.net
>>340
 60年代の月刊漫画雑誌には「少年クラブ」「少女ブック」「少年ブック」
「ぼくら」「少年画報」「まんが王」「冒険王」などがありました。
附録はけっこう凝ったものが多く、少年画報の組み立てマグマ大使や
ジェットモグラタンクは紙製とは思えないほどよくできていました。また
別冊附録漫画という形で本誌の続きなどが別冊になっていました。「ガメラ
対大魔獣ジャイガー」の別冊附録が劇場でプログラム代わりに売られてたの
を買った記憶があります。(本誌は何の本だったのか忘却・・・)
週刊漫画雑誌の進出によってしだいにその姿を消し、最後まで残った冒険王
も83年4月に廃刊となりました。冒険王は74年に松本零士の宇宙戦艦ヤマトが
連載されており(月刊誌のため展開がTVについて行けず、異次元空間に
入ったと思ったら次号で最終回というムチャクチャな展開。後に単行本で
大量加筆)、その頃は買っていました。冒険王には仮面ライダーストロンガー
や、アストロミュー5など珍しい特撮ものも載ってました。月刊漫画雑誌は
当時の特撮作品をよく取り上げていたと思います。


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