昭和特撮で昭和文化を語るスレ 2代目at RSFX
昭和特撮で昭和文化を語るスレ 2代目 - 暇つぶし2ch2:どこの誰かは知らないけれど
15/04/10 09:24:04.11 33NSnGht.net
昭和時代ももう27年前になるんだな。
あの頃、21世紀は夢の未来な感じがしていたが、なってしまうとそうでもない。
宇宙に住んだり行ったりはまだしてないが
でも科学的な部分や生活に関しては、もしかしたら想像以上のことになってる部分もあるな。

3:どこの誰かは知らないけれど
15/04/11 11:03:06.42 jxWc/2S6.net
21世紀にはチューブ内を車が走ると思ってた。

4:どこの誰かは知らないけれど
15/04/11 12:48:24.92 O13XdoEM.net
まだもう少し時間が掛かるようだw
URLリンク(blog-imgs-50.fc2.com)

5:どこの誰かは知らないけれど
15/04/14 22:15:53.28 yiCu4qs1.net
交通科学館で見た短編映画ではリニアモーターカーは20世紀内で実現される予想だったよ。
あと10年ぐらいでやっと実現されるみたいだが。

6:どこの誰かは知らないけれど
15/04/14 22:59:03.11 LfKcUR98.net
小学校に入学したとき買ってもらった学習机の正面パネル(?)にはしっかりリニアモーターカーが描かれていたが、進級するにつれ恥ずかしくなり裏返しにした。

7:どこの誰かは知らないけれど
15/04/16 21:07:55.46 gevGvRlr.net
昭和で思い出すのはゴールデンウィークの天皇誕生日。
いまはみどりの日。
それいったい何なんだ?てな感じ。
昭和天皇誕生日じゃいかんのか?

8:どこの誰かは知らないけれど
15/04/18 09:38:22.34 3SnIw/rB.net
11月3日は明治天皇の誕生日の祭日だったらしい。

9:どこの誰かは知らないけれど
15/04/18 12:46:58.30 vecDv2T9.net
考えると昭和時代から比べると休日が色々と増えたよな。
そもそも土曜日も昔は普通の平日だった。
うちの親父は某有名企業に勤めてたが昭和~50年代まで普通に出勤してたな。
小学校の授業も普通にあった。

10:どこの誰かは知らないけれど
15/04/18 12:52:21.05 ylchNXBV.net
うちの高校は4月の新学期が他校より1日早く始まり、その代わり5月4日を
休みにしていた(だから必ず3連休になる)。
けっこう羨ましがられたが、いまではもっと休めるんだな。

11:どこの誰かは知らないけれど
15/04/18 22:49:33.23 tVQS7GUz.net
うちの両親ともども、地方の製造業勤務だったが、祭日でもよく出勤してたな。
昭和40年代中盤から60年代ってほんとに大人がよく働いていた。

12:どこの誰かは知らないけれど
15/04/19 04:39:02.97 zUq3oGpF.net
>>11
高度経済成長時代のサラリーマンは凄い勤勉。
休みなく働いてるイメージがある。
東宝社長シリーズ、クレージーキャッツの映画とか見てると当時のサラリーマン事情が垣間見える。
とにかく大変そうに見える。
自分もいまサラリーマンだけど、昭和40年代にサラリーマンはできない気がする。
そろばん片手に書類は全部手書き。ネットやExcel無いと仕事できねえよw

13:どこの誰かは知らないけれど
15/04/19 12:26:27.02 jM5Pe3gP.net
>>12
根気のいる時代だったのは確かだろうな。
もうすぐ春闘だが、賃上げが何%になるかでシミュレーションの結果が
変わってくる。総務では予想されたいくつかの数字で表を作っておくが、
想定外の数字で決まると大慌てで作り直したとか。
もっとも、その分、精度とかは大雑把だったと思うが。

14:どこの誰かは知らないけれど
15/04/19 14:48:42.97 Vp0vcMrG.net
>>7
現在4月29日と5月4日がそれぞれ何の日と呼ばれているか、
今年のカレンダーで調べてみることを勧めるよ。
「国民の祝日」でぐぐってもいい。
もう制定されて8年にもなるんだが。

15:どこの誰かは知らないけれど
15/04/19 17:32:11.32 lVCI94+9.net
普通のサラリーマンは犠牲者役以外はあまり昭和特撮作品ではメインな役ではほとんど出て来ない。
ウルトラセブンのフック星人回くらいか。

16:どこの誰かは知らないけれど
15/04/19 19:12:58.59 dDaHUNGK.net
普通の事務員・営業マンというのなら少ないが。防衛隊員も一応、サラリーマンだろう。
スペクトルマンの公害Gメンなんて完全に公務員だし。
ウルトラQの江戸川ゆり子は新聞社。万城目とジャンボーグの直樹も
パイロットだがサラリーマンといえる。
ミラーマンの京太郎も新聞社員。

17:どこの誰かは知らないけれど
15/04/20 23:06:53.02 rTbBIWxR.net
80がもろ教員だ。

18:どこの誰かは知らないけれど
15/04/21 22:44:20.96 nw9CJjfD.net
つまり、第二種兼業隊員というやつか(教員の給料の方が高い)。

19:どこの誰かは知らないけれど
15/04/21 22:58:36.11 gbA6SBTv.net
昭和40~50年代は学校の陰湿なイジメ問題や過激な校内暴力などはあったのかな?
社会問題をカリチュア化して、割とビビッドに描いてたのは第2期ウルトラだと思うけど
ウルトラなんかでは、イジメを行うシーンはいくつかあった。
極めつけはムルチなんだろうけど。

20:どこの誰かは知らないけれど
15/04/21 23:04:28.09 2+x9rsXM.net
タックの山中、マットの岸田なんてもろに

21:どこの誰かは知らないけれど
15/04/24 10:59:03.48 qpMf83OH.net
URLリンク(web.archive.org)URLリンク(light.dotup.org)
編集・しもかわすすむ
編集連絡先 〒836 大牟田市大字手鎌8-1 下川進 方
緊急連絡!
『怪奇大作戦』の「死を呼ぶ電波」「24年目の復讐」「こうもり男」「殺人回路」
「ゆきおんな」収録のビデオテープを所有されている方、上記の連絡先にご一報くだ
さい(ちなみに当方、「狂鬼人間」と未公開版「人喰い蛾」を所有しております)!

URLリンク(web.archive.org)URLリンク(light.dotup.org)

本人了承の元で不特定多数に公開された下川進の住所情報
#出典元
#宇宙船Vol,91/通巻93 朝日ソノラマ 創刊20周年記念特大号
URLリンク(www.amazon.co.jp)
URLリンク(web.archive.org)URLリンク(www.dotup.org)
下川進責任編集の著書で不特定多数に公開された奥付&制作者連絡先
住所 836-0004 大牟田市手鎌8-1 下川進マデ
E-mail CQS02000@nifty.ne.jp

22:どこの誰かは知らないけれど
15/04/29 10:00:04.70 JhG9CdX3.net
昭和特撮っていまみたいに細かい世界観設定がなくて勢いだな。
まさに昭和の経済成長の勢いか。

23:どこの誰かは知らないけれど
15/04/29 17:11:24.91 OzX3yoTm.net
それなりにこだわってた思う。
そうでないのもあったとは思うが、数が多かったので玉石混淆だったのはたしか。

24:どこの誰かは知らないけれど
15/05/01 23:39:23.13 eMohcC9S.net
三丁目の夕日'64見てたら、昭和の時代はおおらかだったなと思えた。
もっとも1964年は自分がまだ生まれる前だけどね。
ウルトラマンも70年代後半のブームの時が初見。
あのウルトラマンブームよりリアルのブームの方がやっぱり凄かったのだろうか?

25:どこの誰かは知らないけれど
15/05/02 08:27:40.82 S6wgcCzc.net
自分は1964年生まれだが、新マン・エースが低学年で一次ブームはリアルタイムでは知らない。
77年~9年のはアンダーグランドな子供とマニアの話で、社会的にはそんなに話題になっていなかった。
2次のころは世の中も騒いでいたように思う。
一次のころはもっとすごかったのか?
けれど、結局特撮が華やかだったのはその2回だけで、あとは当時を知る人が大人になり盛り上げて、
細々と今に至っているという感じかな。アニメに比べたら進化してないなあ。
将来的には絶滅危惧種かもしれない。

26:どこの誰かは知らないけれど
15/05/14 00:52:53.32 6l22rC+x.net
自分は月光仮面年生まれだが、第一次ブームはリアルタイムで知っている。
あの頃はTVもそうだが、オモチャ店は怪獣のソフビやプラモで溢れてた。
男の子はみんな怪獣かサンダーバードのプラモ作ってたよ。とにかく、
ヒーローより怪獣の方にスポットが当たってたね。
世の中も怪獣ブームに騒いでいたように思う。熱気があったな。
今思えばあのころは本当にすごかったのだな。TVのみならず映画も怪獣だらけ
だったし。

27:どこの誰かは知らないけれど
15/05/14 12:43:10.45 aQrVeaRb.net
あと、昭和30~40年代の特撮作品は海外ものの影響が大きい
スーパーマンやサンダーバード、シュービー号やタイムトンネルなど、
日本作品を超えるようなすごい作品が実際にTVでいくつも放送されてた
40年代初めのサンダーバードブームはけっこうすごかったと記憶する
男の子は必ずサンダーバード2号持ってたし、イマイのプラモはものすごく
出回ってたと思う
あの頃は、怪獣とメカとヒーローで日常生活が埋め尽くされてたと言っても
過言ではない

28:どこの誰かは知らないけれど
15/05/15 03:14:04.64 GB1FytLZ.net
当時は「特撮作品」とか「特撮映画」なんて呼び方はなかった
「怪獣映画」とか「トリック映画」などと呼ばれていた
「アニメ」という言葉もなく「テレビまんが」「まんが映画」だった

29:どこの誰かは知らないけれど
15/05/15 07:21:46.00 mzeFKe3B.net
>>27
昭和40年頃の特撮関連の玩具展開は、ソフビ人形が中心で、それにメカのプラモ、リモコン玩具が
メインで、今の戦隊やライダーの玩具展開みたいにガジェット系玩具があんまり無かったんだよね。
だからサンスタースパイメモとか、そういうものの方で喜んでた。
特撮のガジェット系玩具で大ヒットしたのは、やはり仮面ライダーの光る!回る!変身ベルトだろうな。

30:どこの誰かは知らないけれど
15/05/15 08:12:46.83 N2yf+Rlb.net
>>28
昔「東映まんがまつり」
最近「東映アニメフェア」
ただし今は三本立以上の上映形態はほぼ無くなった。
当時はまんがまつりやチャンピオンまつりで、賑やかしとして
テレビシリーズのブローアップ版上映があったのも懐かしい。
帰ってきたウルトラマンのツインテール編やシーゴラス編を劇場の大スクリーンで再度見るといった
今では実現が難しい贅沢を味わえたものだ。

31:どこの誰かは知らないけれど
15/05/15 13:07:08.13 EEETUJSF.net
東映まんがまつり… 懐かしい言葉だね
メインの長編アニメに、TV特撮作品編集ものがくっついてた
キャプテンウルトラ、マグマ大使、ウルトラセブン、赤影などを観た記憶がある
当時はカラーテレビがまだ普及してなかったのれ、映画のスクリーンで
初めてカラーの映像を見て、「おお、こんな色だったのか!」と美しさに
感動した覚えがある
昔はカラーの映像や写真は貴重だった  その意味で、駄菓子屋で売ってた
5円ブロマイドなどもけっこう貴重なものだったと思う

32:どこの誰かは知らないけれど
15/05/15 14:14:24.22 SjG0k5bg.net
>>31
IDがなんかスゴイな。

33:どこの誰かは知らないけれど
15/05/16 03:36:10.77 kLFJNNhV.net
ウルトラQ、ウルトラマン、マグマ大使の頃は、家のTVが民放1局と
NHKしか映らなかったので残念ながらリアルタイムではほとんど観ていない
そういう我らにとって情報源は雑誌の特集ページだった
ウルトラマンを初めて見たのは少年マガジンの巻頭特集
何かちょっと怖そうなヒーローだなと思うた
ウルトラマンはマグマ大使と放送時期が重なっていたので、学校では
ウルトラマン派とマグマ大使派に分かれて、どっちが強いかという激論を
交わしていた

34:どこの誰かは知らないけれど
15/05/16 11:37:32.44 kLFJNNhV.net
昭和40年代初期はまさに怪獣ブームのど真ん中。TVも映画も、オモチャ店
も怪獣だらけ。ヒーローの影は薄かったように思う。
TVはウルトラシリーズやマグマ大使など、映画は東宝のゴジラと大映の
ガメラ、大魔神などがメインだった。
ガメラ怪獣は東宝のマルサン電動プラモと違い、日東からジェンマイの安い
ものが発売され、みんなよく買ってた。電動プラモ=お金持ちの子、
ジェンマイプラモ=庶民の子というイメーヂがあったのかな。
TVで放送局が映らなくて番組が見えない場合は、雑誌の特集ページや
朝日ソノラマのソノシートなどで情報不足をしのいでた。

35:どこの誰かは知らないけれど
15/05/16 11:50:53.71 kLFJNNhV.net
当時のテレビ
わが家のは当然白黒テレビ。友人には東京オリンピックをカラーテレビで
観たという金持ちもおったが、カラーテレビが一般家庭に普及するのは
昭和40年代の中期ごろから。わが家がカラーテレビ買ったのも昭和45年。
白黒TVは真空管だったので、スイッチョを入れてから画面が映るまで1分
以上かかる。気の長いテレビだった。時々映らなくなると、テレビをバンバン
ぶっ叩いて直してた。

36:どこの誰かは知らないけれど
15/05/16 12:22:22.16 r6nZG+RL.net
>>35
あの当時の白黒テレビは消した後にブラウン管のまん中に白い光の点がしばらく残るんだよな。
画面サイズも14や16インチが主流だった。

37:どこの誰かは知らないけれど
15/05/16 14:38:40.57 kzqlszRu.net
テレビもその後は予備電力使ってONにすればすぐ画面が出るようになったが、
パソコンを使い始めて起動に時間がかかるのを見ると、
まるで昔のテレビみたいで、時代が一巡した感があったな。

38:どこの誰かは知らないけれど
15/05/17 00:57:12.88 /+f3xdcA.net
個人的に、初めて劇場で観た怪獣映画は昭和39年の「モスラ対ゴジラ」
この映画のゴジラは怖かった そしてすごかった 
大スクリーンで初めて観たゴジラは子供心に強烈な印象を残した
幼稚園のスケッチブックにはまっ黒なゴジラとモスラ成虫が描かれていた
この頃は映画館は海外ものの怪獣映画も上映してて、「吸血原子蜘蛛」や
「タランチュラの襲撃」「原子怪獣と裸女」「魔法の剣」などを観た記憶が
ある 怪獣だったら日本だろうが海外だろうが何でもありの時代だった

39:どこの誰かは知らないけれど
15/05/17 01:00:27.76 v1bvhAlS.net
佐原健二がホテルで殴りあってるのが怖かった

40:どこの誰かは知らないけれど
15/05/17 01:13:54.38 /+f3xdcA.net
この頃のアニメはテレビまんがと呼ばれてて、鉄人やエイトマン、パピイ、
スーパージェッターなどSF作品が多かったのが特徴
アニメと特撮ものは一線を画してたが「宇宙人ピピ」のような実写とアニメの
合成作品もあった  マグマ大使ではアニメ技法を多く取り入れていた
怪獣メインの時代の中で異色のブームだったのは海外作品の「サンダーバード」
あの作品はカラフルな色のレスキューメカが人気になり、プラモブームと
相まって大きな話題になった スティングレイ、キャプテンスカーレット、
シービュー号などの海外ものメカも人気を博した ミドリというメーカーの
シービュー号は男の子は一度は作ったものである

41:どこの誰かは知らないけれど
15/05/17 01:25:26.82 /+f3xdcA.net
ゴジラはモスゴジ以降の作品は劇場でずっと観たが、昭和42年の初めに、
NHKで「ゴジラ」という作品が放送された。このゴジラであるが、自分が
これまで劇場で観てきたゴジラとは全く違ってた。衝撃的だった。
魚が骨になる場面が異様に怖かったが、全編を包んでいる不気味さ、戦争の
雰囲気などそれはすごい作品だった。子供心に鮮烈な印象を残した。
だんだん子どもたちのアイドルになりつつあった怪獣であったが、この
ゴジラ第一作だけは怪獣の本物の怖さが描かれていた。

42:どこの誰かは知らないけれど
15/05/17 10:47:32.83 /+f3xdcA.net
ウルトラマン放送の頃、ウルトラマンが放つ光線の名前を友人に聞いて
ノートに書いておいた。そしたらそのノートを落としてしまい、落とし物
を教室で先生が生徒に示した時に「ス・ペ・シ・ウ・ム」とごていねいに
読み上げた。先生は意味不明な顔をしてた。

43:昭和60年生まれ
15/05/17 11:14:53.24 HNJpOtU4.net
もっとそういう話聞かせて下さい!

44:どこの誰かは知らないけれど
15/05/17 19:14:17.71 uD+M84m3.net
>>42
ちびまる子(第1期)で、変質者(誘拐魔)に狙われたときの防御法を花輪君に教わったまる子が
それをノートに書いたら母親に見つかって怒鳴られたというエピソードを思い出したw
花輪君の説明→急所攻撃
まる子のメモ→おちんちんねらう

45:どこの誰かは知らないけれど
15/05/18 00:15:32.50 cQH0Ra9x.net
個人的には昭和40年代が自分の黄金時代(小~中学校時代)であった
なので昭和30年代の作品については観た記憶がない
大人になって見直してみると、昭和30年代ヒーローもなかなか味わい深い
中には稚拙なイメージの作品もあるが、何もかも試行錯誤の時代ゆえ、
寛大な心で観ていってほしい
やはりTVヒーローの原点は昭和33年の月光仮面であって、この作品から
全ての特撮作品は始まった 月光仮面はやはり偉大な作品であると思う

46:どこの誰かは知らないけれど
15/05/18 00:55:43.28 cQH0Ra9x.net
その月光仮面だけど、お手本になったのはやはりアメリカのスーパーマン
かなと思う 全てのヒーローものの原点であると言えよう 
ジョージ・リーブス主演で日本での声吹き替えは大平透さんが
やった 日本での放送は昭和31年からで最高視聴率は74パーセント
後年再放送で観たが、なかなか面白かった 最近の映画版スーパーマン
のようにふわっと空に舞い上がるのでなく、だだだっと反動をつけて
えいやっと窓から飛び出すのが印象深い
スーパーマンを初めとする海外ヒーローは素顔を出しているものが多いが、
日本のヒーローは仮面ものが多いのが特徴ね  日本は仮面の文化

47:どこの誰かは知らないけれど
15/05/18 01:33:45.37 wzLWWpcY.net
確か再放送で見たが、マンモスコングが家蹴っ飛ばすと、
ケーキの箱みたいに壁が四方に倒れてたような。
円谷とか見慣れた目にはチープに感じられたが、
あとあと予算がなくて安価なゼンマイ式のカメラで撮ってたとか知ると、
低予算でよくやってたとは思うね。

48:どこの誰かは知らないけれど
15/05/18 02:55:12.57 cQH0Ra9x.net
月光仮面の制作は初期は低予算で苦しい撮影だったらしい。
有名俳優はギャラが高いので当時無名の大瀬康一氏を起用、撮影スタジオも
なく制作会社社長の自宅をスタジオ代わりに使用など、涙ぐましい努力が
あった。人気が出てきてからは予算も増えて資材もいいものになっていったが、
当時の子どもたちが月光仮面を真似て高い所から飛び降り、ケガ人が続出した。
新聞や週刊誌が有害番組であると批判し、人気だったにもかかわらず制作は
終了となった。
これは人気ヒーロー作品の宿命。仮面ライダーなどでも同様のことがあった。
今でこそ特撮作品はその地位が確立されて有害番組などの批判は出ないが、
月光仮面当時は全てが初めてで試行錯誤の連続であり、このようなジャンル
の作品は他になかったため(前年にスーパージャイアンツがあるが、これは
劇場作品)当時の社会からの風当たりも強かったのだろう。そのことは
同時に、テレビというものの影響力の大きさを見せつけた実例であった。

49:どこの誰かは知らないけれど
15/05/18 12:27:00.35 AiEBf/ES.net
昭和33年は東京タワーができた年で、月光仮面の映像にも建設中のタワー
がちょこっと映ってるらしい
長いこと月光仮面が日本初の特撮ヒーローだと思っていたのだが、実は
前年に宇津井健さんのスーパージャイアンツが登場してる
こっちは劇場作品だったようだが、チラッと映像を見た感じでは宇津井さは
けっこうがんばって演じているなと思った  しかしあの真っ白なモッコリ
タイツは、何かと話題になったものである  そういえば月光仮面も純白
なモッコリタイツであるのは共通している  しかしモッコリ度では
スーパージャイアンツの方が勝っていた(笑)

50:どこの誰かは知らないけれど
15/05/18 14:01:22.53 8Y3bEscv.net
昭和30年代の子供向け作品を観ると
確かに稚拙というか、
野暮ったい印象はある。
でも、子供のために真剣に作ってる意気は感じるな。
とにかく、子供が観るものだからと
その規範になるよう造型されたヒーロー像には感服する。

51:どこの誰かは知らないけれど
15/05/18 17:54:07.47 AiEBf/ES.net
1960年放送の「快傑ハリマオ」は個人的に好きな作品だが、第1話~5話
のみ試験的にカラーで制作され、日本初のカラーテレビ映画となった。
第3部ではカンボジアのアンコールワットでロケを行い、日本のテレビ史上
初の海外ロケとなったのだが、現地の人に誤解され軍に拘束されかけたのを、
偶然に日本語を話す人がいて事なきをえたというエピソードが。
CGなんかあるわけもなく、当時の撮影はまさに命がけだったようだ。
また、当時のヒーローは人間的にも子どもたちのあこがれの的であり、撮影中
だったハリマオ役の勝木さんが見学の子どもたちに「君たち、ちゃんと勉強して
いるか?」と優しく語ってくれ、子どもたちが感激したという。
ヒーローというのは映像の中だけのものではないのである。

52:どこの誰かは知らないけれど
15/05/19 00:55:40.45 w8EFlcFP.net
昔の日本人は大人を「演じてた」ってのに最近気付いたな

53:どこの誰かは知らないけれど
15/05/19 03:25:18.91 2cE5naJ3.net
昭和30年代ヒーローは、月光仮面やハリマオ、遊星王などのように顔の
一部を露出したものも多い。スーパージャイアンツや海底人8823などは
素顔そのままである。
これはやはり、元祖スーパーマンが素顔だったためそれに習ったのかも知れない。
素顔の場合は表情を見せられるという利点がある。ハリマオの笑顔は印象が
強烈で、どんな苦難にも笑顔で立ち向かってゆくという気概が感じられた。
しかし七色仮面のように完全に仮面になっているヒーローもある。こちらの
場合、仮面に隠され素顔も表情も見ることはできない。だが一見無表情に見える
マスクも、見ようによっては様々な表情が感じられるから不思議なものだ。

54:どこの誰かは知らないけれど
15/05/19 11:52:32.46 2cE5naJ3.net
主題歌では「月光仮面のおじさん」「七色仮面のおじさん」と歌われており、
おにいさんではない。そう、昔のおじさんは強かったのである。今の時代では
実に弱々しいイメーヂになってしまった「おじさん」という言葉であるが、
昭和30年代のヒーローはみんなおじさんであり、強く正しくカッコよかった。
子どもたちに知恵と勇気を与えあこがれを抱かせた。
ただし番組を観てるのは子どもたちなので、子どもを主人公にする特撮作品
もあった。「少年ジェット」や「まぼろし探偵」など。少年ジェットは精悍な
シェーンという犬を連れていて事件を追ってバイクでさっそうと現れる。
ウー、ヤー、ターと叫ぶミラクルボイスが武器だが、画面上で敵の
ブラック・デビルがボイスで地面が揺れてふらふらになってるのに、向こう
を歩いてるオバサンは何事もなく平然と歩いてるのが可笑しかった。
まぼろし探偵はバイクに乗れなかったためか、まぼろし号という空飛ぶ乗り物
に乗ってやって来る。若き日の吉永小百合、藤田弓子が出演してることで
話題となった。しかし、まぼろし探偵が出てくると必ず事件がややこしくなり、
初めから警察に任せた方が解決が早いであろうという事件も多かった。(笑)

55:どこの誰かは知らないけれど
15/05/19 12:12:35.94 2cE5naJ3.net
<血湧き肉躍る主題歌>
昭和30年代ヒーロー番組の主題歌は印象深いものが多い。
月光仮面は誰でしょうのように子どもの視点で歌われている歌もあるが、
(月光仮面が現れる時に流れる「月光仮面の歌」がこれまたカッコいい)
文語調の勇壮な歌も多い。個人的に好きな「ジャガーの眼」の主題歌は
出だしが♪正義のために 決然立って もえる血潮を たぎらせる♪
という燃える歌である。小川寛興氏の曲はどれも素晴らしいと思う。
快傑ハリマオの歌は有名歌手、三橋美智也が歌っている。近藤圭子さんの
歌う副主題歌「南十字星の歌」がこれまた名曲。
他にも七色仮面の♪デンデントロリコ やっつけろ♪という意味不明の歌詞
もあれば、誰もが知ってる少年探偵団の歌も。
現在、これらの歌はほとんどがカラオケに収録されてて歌うことができる。
いい時代になったものだ。

56:どこの誰かは知らないけれど
15/05/19 18:37:29.43 EMQqfwfB.net
>>55
> 現在、これらの歌はほとんどがカラオケに収録されてて歌うことができる。
でも機種によっちゃ演奏がコレジャナイだったりするからなあ。
以前ハリマオ歌おうと入れたら、流れてきた演奏聴いて絶望した。

57:どこの誰かは知らないけれど
15/05/19 20:39:32.68 2cE5naJ3.net
>>56
 ハリマオの演奏はそんなに違和感なかったけどね。最近はなるべくオリヂナル
の演奏に近づけようとカラオケ会社も努力してると思う。
ハリマオの歌、DAMの方には作品映像が入ってて臨場感があるよ。この歌は
ほんまにいい歌だね。昭和30年代ヒーローソングの中ではベスト。
ハリマオだけど、フィギュアが超人ヒーロー伝説のシークレット(完成品)
と、ボクースのキャストキットでリアルなのが出てる。ボクースの方は自分
で彩色が必要だが、アロハシャツの模様が複雑なので苦労した。
DVDの最近出た方(第1部)が、カラー版が実にきれいになってる。
それと、マルベル堂のブロマイドにハリマオが10数種類ある。これは
けっこう貴重な写真だと思う。HPから購入できる。
ハリマオで残念なのは、主演の勝木敏之さん、ヒロインの近藤圭子さんが
インタビューなどで全く姿を見せてくれないこと。まだご存命だと思うので
当時子どもだった我々にもう一度姿を見せてほしいもの。ま、ご本人の
ご事情もあるかとは思うけど。

58:どこの誰かは知らないけれど
15/05/19 20:57:05.93 2cE5naJ3.net
カラオケの話題だけど、最近は昔に比べてアニメ・特撮ヒーローソングが
本当に充実してる。昔はレーザーカラオケで特撮ソングなんてちょびっと
しかなかったからね。
昭和30年代ヒーローの歌はDAMとジョイサウンドでほとんど出てるので
演奏さえ気にしなければそれなりに歌える。入ってないのは「遊星王子」
「海底人8823」「忍者部隊月光」あたりかな。月光はけっこう有名ソング
なのでぜしとも入れてほしいところ。
月光仮面の歌はJOYに入ってるが、この歌はキーが高いので難しい歌だが
うまく歌えば月光仮面になれた気分になる。月光仮面はアニメ版の歌も
なかなかよい。個人的にはやはり「ジャガーの眼」が最高の曲だけど、
この歌前奏がやたらと長いので歌い出すまで待ちくたびれる。
ハリマオを歌う時にはぜしとも、ターバンを頭に巻いてサングラスをかけ、
やーさんっぽいアロハシャツを着て口元に笑いを浮かべて歌おう。(笑)

59:どこの誰かは知らないけれど
15/05/19 21:13:03.10 hvtKWbFW.net
昭和63年当時、カラオケに入っていた特撮ヒーローは月光仮面だけだったわ(´・ω・`)

60:どこの誰かは知らないけれど
15/05/19 21:27:33.03 Y5okG80p.net
昭和54年ごろ、家庭用カラオケのテープに「海底人8823」があったのは覚えてる。
しかしそのころに存在を知った「快傑ハリマオ」は視聴するのに、30年近くかかった。

61:どこの誰かは知らないけれど
15/05/20 00:52:02.41 evI0HfpK.net
月光仮面は、「~だれでしょう」しか入ってるの知らない。
「♪月の光を~」の方、「月光仮面の歌」好きなんだけどな。
「正義を愛する者 月光仮面」が、OP(だれでしょう)はわかるが、EDも原曲のアレンジだと数年前に気付いた。
(そういえば!&そうだったのか!の目からウロコ状態)
>>57
リアル映像使ってるのもあるね。ああいうのは良いね。
他は裕次郎映画の歌くらいでしか知らないが、
例えば所謂“てれびまんが”の主題歌歌うと画面に出てくる、わけわからんへんてこアニメも何とかして欲しいw
「映画版あしたのジョー」の「美しき狼たち」なんか、ドラマ仕立ての映像になってたりするんだけどね。

62:どこの誰かは知らないけれど
15/05/20 01:31:49.30 5xSzSpVP.net
>>60
 海底人8823ね。1960年の作品で原作と脚本は空の大怪獣ラドンで
有名な黒沼健氏。たしか第1話の始まりが、ベルトを落として倒れてる
8823を少年が救うというシチュエーションで、他のヒーローものには
あまりない展開。歌はけっこう有名だが、現在のカラオケ機器には入って
いない。ぜし入れてほしいね。
>>61
 月光仮面の歌(三船浩)はジョイサウンドの方に入ってます。この歌は
キーが高くてサビが歌いづらいので、最初から低めのキーで歌うとちょうど
いい。歌う時はサングラスと白覆面で。(笑) 作品中では、最初は三船さん
ではなく別の人が歌ってる。アレンジもちょっと違う。
アニメ版のこの歌も、歌詞は全く同じで旋律だけが違う。作曲の三沢郷氏の
手腕で素晴らしい歌に仕上がってる。CDには収録されてるが、カラオケ
には未収録である。TVでは時間の都合で短縮バージョンしか流れない。

63:どこの誰かは知らないけれど
15/05/20 12:56:56.27 2JJQgB4/.net
だんだん昭和特撮ヒーロー・カラオケトピになってきましたが(笑)、昔は
歌えなかったヒーローソングが最近はほとんど入ってるのはいいことですね。
ただ、有名な歌なのになぜかどこにも入ってない歌とか、全く有名でないのに
「こんな歌が入ってるの~?」っていうのはあるよね。
こないだジョイサウンド歌ってたら、「妖星ゴラス」の「俺ら宇宙のパイロット」
や「大巨獣ガッパ」の歌が入ってたのはびっくりした。なんともマニヤック。
個人的に入れてほしい曲は、昭和30年代なら「忍者部隊月光」だね。あれは
名曲。あと、「ガメラの歌」「怪竜大決戦」「ワタリ」などの特撮映画の
歌を入れてほしい。「宇宙大怪獣ギララ」の「月と星のバラード」もいい。
TVものなら「魔神バンダー」とかレアかな。

64:どこの誰かは知らないけれど
15/05/21 04:14:47.83 ir64zO86.net
昭和30年代は東宝の怪獣映画でも、有名怪獣の多くが出そろった時代。
ゴジラ、モスラ、ラドン、キングギドラ、バラン、アンギラスなど。
怪獣映画以外にも「地球防衛軍」「妖星ゴラス」「海底軍艦」などのSFもの
や「マタンゴ」などの怪奇もの、「ガス人間㐧一号」などの変身人間シリーズ
など数多くの作品が作られた。
東宝の特撮作品は、昭和30年代に花開いたと言っていいだろう。ワタシは
昭和30年代の東宝映画はリアルタイムではモスゴジだけしか観てないが、
後年リバイバルやTV放送等で全部観た。どの作品もパワーに溢れた作品で
素晴らしい。作品の詳細はまた後日。

65:どこの誰かは知らないけれど
15/05/21 04:40:52.53 ir64zO86.net
東宝と肩を並べ特撮映画を制作してたのは大映。東宝のゴジラ以前に
「虹男」「透明人間現わる」という作品を発表してるし、その後
「宇宙人東京に現わる」「鯨神」「風速七十五米」「釈迦」などの特撮
映画を制作した。やがて、この流れは昭和40年代になってガメラという
ゴジラに匹敵する知名度を持つ大怪獣を生み出す。
昭和39年公開予定で撮影が進められてた作品に「大群獣ネズラ」という
のがあるが、これは撮影に生きたネズミを使ったため撮影がうまくいかず、
また衛生上の問題で近隣からの苦情等が発生しやむなく中止となった作品。
少しだけ撮影されて予告編も作られたそうだがそのフィルムは現存せず
幻の作品である。もしもこの作品が成功してたならば、大怪獣ガメラでなく
大怪獣ネズラが生まれてたかも知れないね。(それも観てみたいが)

66:どこの誰かは知らないけれど
15/05/21 04:47:04.37 ir64zO86.net
>>64
 変換不可能文字が入ってました。「ガス人間第一号」ですが、正式題名の
第という漢字は昔の省略した方の漢字になってます。

67:どこの誰かは知らないけれど
15/05/21 13:42:25.07 x/w40/KS.net
昭和30年代の特撮は映画とテレビでは明らかに隔差があった。
特に東宝特撮映画は映画だからできるスペシャルでゴージャスなものだった。
そういう差が無くなってきたのはやはりウルトラQ以降なんだろうね。

68:どこの誰かは知らないけれど
15/05/21 15:31:26.39 HooC22TI.net
>>67
 それは言えますね。いかに特撮映画の方が予算がかかってたかが分かる。
それは映像を見ても一目瞭然。とくに東宝特撮のち密さはすごい。
妖星ゴラスの、あのジェットパイプ建設場面のリアルで細かいミニチュア
ワークは見ていてため息が出るほど。しかも美しいカラー映像であるし。
個人的にはこの映画、昭和30年代特撮映画の中でも最も秀逸なできばえ
であると思う。地球を動かすという壮大なお話も含めて。
同じ時期、TVでは低予算でモノクロ映像のヒーローものを作ってたのだから
その格差にあ然とする。しかしながら、その低予算の中でも素晴らしい魅力的な
ヒーローを創り出していった制作会社もすごいと思う。

69:どこの誰かは知らないけれど
15/05/21 15:45:01.74 HooC22TI.net
「妖星ゴラス」(1962年)とともに、個人的に好きな東宝作品は「海底軍艦」
(1963年)かな。あの海に潜り、空を飛び、地中までも進んでゆく万能戦艦の
イメージは圧倒的なものがある。太平洋戦争の雰囲気がほのかに感じられ、当時の
時代感覚がよく分かる。当時日本人の心には、まだ戦争の傷跡が残っていた。
それが特撮映画にもにじみ出ている。
この作品もミニチュアワークが素晴らしいが、驚くほど短期間で撮影されている。
音楽がまた素晴らしく、東宝特撮にはなくてはならない伊福部昭氏。個人的に
いちばん好きな曲は、真琴が神宮寺大佐と再会する時に流れる「真琴のテーマ」
これは名曲。轟天号発進シーンの曲も素晴らしい。
この海底軍艦の万能戦艦というイメージは、後の円谷プロのマイティジャックに
世界観が引き継がれた。

70:どこの誰かは知らないけれど
15/05/21 18:35:12.27 7RtE1Qrg.net
キカイダー01の主題歌を歌いながらスカートめくりをしたのが思い出
「見える~go-go」

71:どこの誰かは知らないけれど
15/05/21 19:31:41.17 arqJqXMH.net
仮面舞踏会を作詞したちあき哲也さんが亡くなった

72:どこの誰かは知らないけれど
15/05/21 20:25:16.47 b5z14L2D.net
ここの平均年齢いくつだよ?(´・ω・`)

73:どこの誰かは知らないけれど
15/05/21 23:39:31.66 ir64zO86.net
「妖星ゴラス」は本当にすごい映画。円谷英二による東宝特撮映画50本目の
集大成であり構想3年、製作費3億8千万円、製作延日数300日、特撮パートが
全体の3分の1を占める超大作である。
何といっても地球を動かすという壮大なSFスペクタクル。実際にはあのような
ジェットパイプでは地球を動かすことはできないらしいが、映画では素直に
信じてしまう。
映像の中で明らかな嘘は、地球から夜空の月ゴラスに吸い込まれるのが見える場面。
月が吸い込まれるようになったら、もうその時点で地球はゴラスに引っ張られて
ダメだという。怪獣マグマはナゼかウルトラQのトドラに酷似。
ウルトラマンに登場するジェットビートル機の原型が登場する。宇宙船隼号の
乗組員が「万歳!」と叫びながらゴラスに呑み込まれるシーンは悲壮。
この作品の音楽は伊福部氏ではなく石井歓さん。「俺ら宇宙のパイロット」は
なかなかの名曲。この歌、なんとカラオケに入ってるのでみんなで歌おう。

74:どこの誰かは知らないけれど
15/05/22 00:10:38.28 XZZPqHf5.net
>>73
調べてみたけど、昭和37年当時の公務員初任給が17000円程度。
現在が約20万円程度だから、現在に換算すると約40億円程度の製作費になるんだな。
たしかに超大作で当時は映画会社も力があったんだなと思う。
ゴジラ54も公称製作費が約1億らしいが、昭和29年になると、公務員初任給が6000円程度。
ゴジラ54の製作費も30億円程度の換算になる。
ちなみにGFWが今のところ平成ゴジラ最大の製作費で20億円程度だから、いかに凄いかよくわかる。

75:どこの誰かは知らないけれど
15/05/22 08:25:12.17 bI6i45pi.net
何ですかこの自演書き込みの連続は?
本人は気付かれていないと思っているのでしょうか? (笑)

76:どこの誰かは知らないけれど
15/05/22 10:11:33.59 dcmcIyYg.net
>>74
予算的にも東宝特撮はすごかったということだね。初代ゴジラだって、一時は
上層部の反対で企画が没になりかけてたとか。それを実現にこぎつけた、
しかも外国のダイナメーション方式でなく着ぐるみ方式で新たな特撮を生み出した
円谷英二を初めとする東宝スタッフは偉いと思う。ゴジラ第一作にはその
思いが全て込められている。あれをしのぐ怪獣映画はない。ゴジラの大ヒットが
その後の多くの東宝怪獣を生み出すきっかけとなった。
考えてみれば、東宝がなければウルトラマンも生まれてなかった。東宝から
いろんなものを借りてできたものだから。
その偉大なる東宝が来年久々にゴジラを公開する。期待したい。

77:どこの誰かは知らないけれど
15/05/22 10:27:35.28 dcmcIyYg.net
ずっと昭和30年代の話題が続いてきたので、昭和40年代のことも考察
していきたいと思う。
第一次怪獣ブームは「ウルトラQ」「ウルトラマン」の影響で巨大な「怪獣」
が登場する特撮TV番組が相次いで制作され、子どもたちを主体として
爆発的に怪獣がブームとなった社会現象だった。時期としては1966年(昭和41年)
から1968年(昭和43年)頃である。前にも書いたが、この頃はTVも映画も
雑誌もオモチャ店も怪獣、怪獣、怪獣のオンパレード。まさに怪獣の時代だった。
この時期、東宝のゴジラに対抗して大映のガメラが誕生している。同時期に発表
された大魔神の3部作も強烈なインパクトがあった。
大映は「大群獣ネズラ」の企画が頓挫し、新しい怪獣を追求した結果生まれた
のがガメラ。ネズラも観てみたかったけど、怪獣はやはり哺乳類より爬虫類の
方がしっくりくる感じがする。このガメラは初めて劇場で観た時、ゴジラとは
また違った怪獣のイメージを感じた。

78:どこの誰かは知らないけれど
15/05/22 13:30:48.80 dcmcIyYg.net
「大怪獣ガメラ」は当時劇場で観た。モノクロ作品だったが、なかなかの
大迫力であった。北極の氷をかきわけて出てくるその巨体、車の急ブレーキ
にも似た鳴き声、巨大な亀を思わせる(劇中では亀の怪獣というセリフはない)
大怪獣であった。
北海道の灯台にその姿を見せた際、ピンチの子どもを受け止めて救う。この
場面でガメラは子ども好きであるという性質を見せるが、これはゴジラには
ない一面である。「ガメラが助けてくれたのよ」という劇中のお姉さんの
セリフに対して、近くに座ってた子が「そんなことあるか!」と大きな声で
言ってたのを思い出す。
そして中盤で子どもたちがびっくり仰天したのは、ひっくり返されたガメラが
手足を引っ込め、火を吹いて空中に舞い上がった場面。そう、ガメラは空を
飛べるのだ。そのグヮラグヮラという回転ジェットの効果音は、いつまでも
忘れられない素晴らしい音であった。この奇想天外な設定は、ゴジラにはない
大きな魅力であった。

79:どこの誰かは知らないけれど
15/05/22 17:26:13.36 dcmcIyYg.net
ガメラ映画はシリーズ化し、第2作は昭和41年4月公開の「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」
であった。同時上映は「大魔神」という豪華な組み合わせ。今作からカラーと
なり予算も増えたせいか、凝った特撮場面が多く見られた。
個人的に一押しの場面はバルゴンが大阪城で虹光線を出し、それを追うように
ガメラが回転ジェットで飛来するシーン。虹光線にガメラが触れるたびにバチッ
というスパーク音が響き、雄大で美しい場面であった。対決もすさまじいもので
お互い流血のすごさ。バルゴンは横に長い怪獣なのでシネスコ映画の横長の画面は
ピッタリであった。
この映画はガメラシリーズで唯一、子どもが出てこない作品。バルゴン登場までの
ドラマ部分がかなり長く、途中で退屈してしまった子もいたとか。湯浅憲明特撮監督
はそのあたりが不満だったそうだ。映画はヒットしたが、特撮に予算を使いすぎて
赤字だったらしい。
その反省を踏まえ、いよいよ次作でガメラシリーズの最高傑作が登場することになる。

80:どこの誰かは知らないけれど
15/05/22 18:09:15.81 EeDFCXAq.net
「ガメラ対バルゴン」の音楽は水戸黄門でおなじみの木下忠司氏。勇壮で
ドラマティックな音楽が生まれた。
この作品、徹底した悪人が登場して殴り合いをしたり、障害者を殴りつけたり
子どもに見せるにはちょっと酷い描写が多い。怪獣同士の戦いもお互いに血を
流してやや残酷とも見える演出。昭和41年当時の社会通念は、今の時代とは
かなり違ってたと思う。

81:どこの誰かは知らないけれど
15/05/23 00:47:59.69 G3J4EHTj.net
「いちばん面白い怪獣映画は?」と聞かれたら迷わずこの作品。
「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」昭和42年3月公開。
バルゴン映画の反省をふまえ、怪獣登場を早い時間にし、戦いの場を陸、海、空
と様々な所に設定し、テンポ良い物語に作り上げている。人間ドラマと特撮の
リズムもよく、怪獣が多く出てくるので観ていても面白い。
この作品からガメラは完全に人間の(とくに子どもの)味方、ギャオスは完全に
敵というキャラクターの明確さが出ている。子どもたちにとっての圧巻は、ガメラ
が英一少年を背に乗せて空を飛ぶシーン。これは日本全国の子どもたちの願望で
あったのを実現した世紀の名場面。この世界観はゴジラにはない。
この作品は、いちばん偉いのは子ども。子どもが怪獣の命名から作戦指揮まで
全てやってのける。子どもにとってはまさに夢の映画。東宝の怪獣ものは全て
大人が主役なのとは対極的である。これこそまさに大映特撮のポリシー。
ラスト、ギャオスを倒して去ってゆくガメラに手を振る英一少年。それは
まさに、日本中の子どもたちの代表であった。素晴らしい映画である。
余談だが、当時劇場でこの作品を観てた時のこと。近くの席に座ってた男の子
が「ガメラってすごいよな。手を切られてもまた生えてくるんだよ。」
と言った。ふーん、そうなのかと思って観ていたら・・・ ちゃうやん、足が
生えてくるのはギャオスやん、うそつき。人の言うことは信用できない。

82:どこの誰かは知らないけれど
15/05/23 00:51:39.73 uFAwSg39.net
何ですかこの自演書き込みの連続は?
本人は気付かれていないと思っているのでしょうか? (笑)

83:どこの誰かは知らないけれど
15/05/23 01:26:48.01 G3J4EHTj.net
この昭和42年こそ、第一次怪獣ブームが最も盛り上がった年。
映画の方は「ガメラ対ギャオス」「ゴジラの息子」「キングコングの逆襲」
そして日活と松竹が怪獣映画に参戦した「大巨獣ガッパ」と「宇宙大怪獣ギララ」
が公開。TVでは「キャプテンウルトラ」「仮面の忍者赤影」「忍者ハットリくん
+忍者怪獣ジッポウ」「怪獣王子」「ウルトラセブン」「ジャイアントロボ」
「光速エスパー」が放送されていた。どの作品にも怪獣が登場する。
また「タイムトンネル」「サンダーバード」「原潜シービュー号・海底科学作戦」
などの海外特撮番組も同年に放送され、とくにサンダーバードはイマイの
プラモデルブームを巻き起こし、怪獣に負けない熱気があった。怪獣とスーパー
メカ。思い起こせば本当にすごい年だった。
ウルトラセブンが始まる時、友だちに「ウルトラセブンって体の模様はどんな
感じなん?」と聞いたら「ウルトラマンとだいたい同じやで」と教えてくれた。
後日セブンを見たら「なんや、全然違うやん」 友だちの言うことはあてにならない。
セブンはリアルタイムで観ることができ、スペル星人の回も覚えている。

84:どこの誰かは知らないけれど
15/05/23 01:45:24.54 G3J4EHTj.net
ちなみにこの昭和42年、わが家ではレコードプレーヤーを購入。やっと
レコードが聴けるようになった。んで、やはりウルトラマンの歌が聴きた
かったので父親に「ウルトラマンのレコード買ってきて」と頼んだら、
買ってきたのがキャプテンウルトラのレコード。これちゃうねんともう一度
頼んだら、今度買ってきたのは東芝レコードの「科学特捜隊」。かなり
近くはなったけど、このレコードには科特隊の歌と科特隊宇宙へのドラマが
入ってるねん。肝心のウルトラマンの歌は入ってない。まあそのレコードは
見開きがネロンガとバルタンとウルトラマンの壮大な写真で、現在では
レアなことはレアなんだけど。で結局、ようやくやっとウルトラマンの歌
のレコードを買ってきてくれた。やれやれ。
しかしマニアックな話、多くのレコードで流通してたのはAタイプと呼ばれる
やや高年齢の子どもの合唱団が歌ってるバージョン。テレビではそのバージョン
は第1話とアントラーの回しか流れてなく、テレビでの多くはBタイプという
やや低年齢の子ども合唱団が歌ってるバージョンだったと・・・
そんなことはずっと後年になって初めて知ったのであった。

85:どこの誰かは知らないけれど
15/05/23 12:35:02.92 G3J4EHTj.net
昭和42年にはもう一つジャンルの異なる特撮番組がスタートしている。
7月から始まった「コメットさん」である。コメットさんといえば大場久美子
さんのを思い出す人が多いかも知れないが、大場さんのは第2期(昭和53年)
で初代は九重祐三子さんが演じた。原作は鉄人やジャイアントロボの横山光輝氏。
1話~19話はモノクロ、第20話からカラー制作になった。途中から住み込んでいる
家庭の両親役が交代。
内容は、ベータ星からやって来た宇宙人のコメットさんが魔法のバトンを使って
様々な事件を起こしたり冒険をしていくもの。2人の子どもたちがメインとなり
より子どもの心に添ったファンタジックな特撮作品である。特撮もコマ撮りの
人形アニメや合成、セルアニメ等様々な技法を駆使している。
個人的に好きなエピソードは78話の「いつか通った雪の街」 このお話は市川森一氏
脚本、山際永三監督の豪華スタッフ。不思議な雪の街に迷い込んだこうじ君の冒険
がファンタヂックに描かれる。
大場久美子版のコメットさんはファンタジーな雰囲気ではなく恋愛ものにテーマが
変更された。ウルトラマンタロウやレオ、刑事犬カールなどの客演もある。
九重版、大場版の両方とも主題歌がカラオケに入ってるので、ファンの人は
歌ってね。なお、九重版の主題歌は2種類あるが最初の歌はレコードの存在も
確認されてなく幻の主題歌となっている。

86:どこの誰かは知らないけれど
15/05/23 12:41:48.77 EwHFjUyz.net
ここに書きに来ることじゃない

87:どこの誰かは知らないけれど
15/05/23 12:50:53.89 G3J4EHTj.net
昭和42年の夏、町に貼ってあった映画のポスターを思い出した。それは
「長篇怪獣映画 ウルトラマン」であった。この作品は「キングコングの逆襲」
の同時上映であったが、なぜか観に行った記憶がない。大スクリーンで
ウルトラマンの活躍がカラーで観られたのに、なぜ行かなかったのだろう。
今となっては分からない。
この年の冬、小生は肺炎で入院し、ウルトラセブンは病院のテレビで観た記憶
がある。病室では少年画報で怪獣王子のグラビアを見ていた。駄菓子屋で赤影、
キャプテンウルトラなどの5円ブロマイドを買っていた。近所の駄菓子屋兼
プラモ屋でマルサンのシュピーゲル号、ウルトラホーク1~3号を買った。
またイマイの「サンダーバード・パノラマセットNO2」も置いてあり、
自転車の後ろにくくりつけて買って帰ってきた。この箱は小松崎茂氏作画の
素晴らしいもので、今でも捨てずに残してある。

88:どこの誰かは知らないけれど
15/05/23 13:00:29.63 UJuDVWUV.net
>>87
いつもレスを拝見してます。
自分は昭和50年代産まれなので、特撮ファン視点で昭和30~40年代をリアルに体験した証言はなかなかに興味深いです。
昭和60年代まで連載続けて下さい。

89:どこの誰かは知らないけれど
15/05/23 13:01:37.36 G3J4EHTj.net
話が昭和41年に戻るが、当時「ウルトラマン」は放送局が映らず見えなかった
が一度だけリアルタイムで観たことがある。それは昭和41年の8月7日、
「大爆発五秒前」のラゴンの回だった。ちょうど夏休みで親戚の伯母さんの
家に行っており、そこで視聴した。テレビは白黒テレビであったが、迫りくる
大迫力のラゴン、大波をかぶるホテルの場面などを覚えている。なぜかウルトラマン
との対決シーンは覚えてないのだけど。
この頃、読売テレビでは「バットマン」「快傑ゾロ」なども放送されていた。
バットマンは後年の劇場版のようなダークなものではなく、コミカルな内容で
あった。登場するバットモービルは60年代テイストで実にカッコいい。

90:どこの誰かは知らないけれど
15/05/23 13:14:12.97 G3J4EHTj.net
>>88
 読んで下さってありがとうございます。私の子どの時代の経験の中で特撮
に関することを思い起こして記述しています。昭和文化を語るというところ
までは及ばないかもですが、主に昭和40年代以降の覚えていることを記載
していきます。少しでも参考になれば幸いです。
残念ながら、さすがに昭和30年代は東京オリンピック前後の記憶しかなく、
それ以前は覚えていません。昭和30年代ヒーローについては映像や文献で
見るしかできないですね。個人的には昭和40年代が最も楽しい時代でした。

91:どこの誰かは知らないけれど
15/05/23 15:07:54.40 KyZbMVCa.net
「長篇怪獣映画 ウルトラマン」って新作じゃないけど、
時代が時代だけに別に不満は持たれなかったのかな?

92:どこの誰かは知らないけれど
15/05/23 17:45:49.11 WxDQy7Nk.net
なお脚本家の會川昇は、オークション等で必死こいてピープロ作品の台本を落札していったそうです
そういう趣味に対する貪欲さや熱意ある姿勢も見習うべきと思うのですが、いかがでしょうか?
URLリンク(web.archive.org)URLリンク(light.dotup.org)
編集・しもかわすすむ
編集連絡先 〒836 大牟田市大字手鎌8-1 下川進 方
緊急連絡!
『怪奇大作戦』の「死を呼ぶ電波」「24年目の復讐」「こうもり男」「殺人回路」
「ゆきおんな」収録のビデオテープを所有されている方、上記の連絡先にご一報くだ
さい(ちなみに当方、「狂鬼人間」と未公開版「人喰い蛾」を所有しております)!
*****************************************

URLリンク(web.archive.org)URLリンク(light.dotup.org)

〒836-0004 福岡県大牟田市手鎌8-1 下川進
本人了承の元で不特定多数に公開された下川進の住所情報
#出典元
#宇宙船Vol,91/通巻93 朝日ソノラマ 創刊20周年記念特大号
URLリンク(www.amazon.co.jp)
URLリンク(web.archive.org)URLリンク(www.dotup.org)
下川進責任編集の著書で不特定多数に公開された奥付&制作者連絡先
住所 836-0004 大牟田市手鎌8-1 下川進マデ
E-mail CQS02000@nifty.ne.jp
作品研究のために熱意ある行動をとる會川昇センセイや雑誌ライター達の姿勢を見習おう
ってテンプレを脚本スレに掲げようじゃ無いか
どうだ、素晴らしいだろう?

93:どこの誰かは知らないけれど
15/05/23 17:51:23.84 G3J4EHTj.net
>>91
 当時、私も含めてウルトラマンの本放送を視聴できなかった子どもたちは
けっこう多かったのではと推測します。なので本放送を観ていない子の
ためにアピールする意味もあったのかと。本放送が終わって数ヶ月という、
時期的にまだウルトラマンが忘れられないうちにもう一度という感じ
でしょうか。
また「作品自体はテレビ作品の再編集版であった。だが当時はまだカラー
テレビの普及率が低く、白黒で見ていた当時の多くの子供達の間では、
カラー映像で動くウルトラマンとウルトラ怪獣の対決を目にする事が
出来るという事で人気を博した」という記載がWikiにありますね。
ウルトラマンの本放送をカラーテレビで観たという人は、よっぽどの
お金持ちの家庭だけだったでしょう。当時の子どもたちはふだんは白黒
テレビを観ていたので、「カラー」というものに憧れがあったと思います。
なので映画館の大スクリーンで登場した、美しいカラーのウルトラマンや
大怪獣に大いなる感動を持って観ていたのでしょうね。

94:どこの誰かは知らないけれど
15/05/23 18:06:35.57 G3J4EHTj.net
昭和42年公開の特撮映画なんですが、小生が劇場に観に行ったのは
「ガメラ対ギャオス」「ゴジラの息子」「大巨獣ガッパ」「宇宙大怪獣ギララ」
でして、「キングコングの逆襲+長篇怪獣映画ウルトラマン」だけ観に行って
ないんですよね。学校への道にはウルトラマンのポスターも貼ってあったのに、
なんで行かなかったのか理由は不明です。一生の不覚ですな。
他の作品の感想ですが、ギャオスは前述のとおり最高傑作。息子ゴジラは
ちょっと顔がヘンだったかな。ゴジラがついにパパになり、かつての威厳は
どこへやら。ギララとガッパはけっこう面白かったですよ。当時は松竹とか
日活とかの映画会社がどうとかいうのは全く気にしてなく、単に怪獣が出て
活躍してくれればよかったみたいです。

95:どこの誰かは知らないけれど
15/05/23 18:23:55.37 G3J4EHTj.net
「大巨獣ガッパ」だが、この怪獣映画は他の作品とちょっと違う印象を受けた。
まず、ガッパはむやみに建物などを壊さない。進路にあるものを退けるのみ。
ストーリーはイギリスの怪獣映画「怪獣ゴルゴ」(1961年)を下敷きにし、
連れ去られた子どもを捜しに親怪獣が日本にやって来るというものである。
ラストの再会場面は涙なくしては見られない。こういう怪獣映画は他にない。
美樹克彦の歌うエレキサウンドの主題歌「大巨獣ガッパ」はなかなかの名曲。
当時レコード買ったね。カラオケにも入ってるので歌ってみよう!
副主題歌の「がんばれ仔ガッパ」はお涙ちょうだいソング。劇中でも流れたが
この歌を聴いてると涙が出てきます。ええ歌ですわ。

96:どこの誰かは知らないけれど
15/05/24 09:19:01.72 ER25GnUE.net
怪獣映画以外の特撮映画も思い出してみると・・・
劇場で観た作品でよく覚えているのは、昭和41年7月公開の東映作品、
「大忍術映画ワタリ」である。同時上映は漫画映画「サイボーグ009」であった。
どちらの作品も少年マガジンに連載していた。金子吉延氏演じるワタリと
牧冬吉氏演じる爺のコンビは、翌年の仮面の忍者赤影にそのまま受け継がれた。
内容的には、子どもが主役で忍術や特撮も素晴らしく、大変面白い作品であった
と記憶する。しかし原作者の白土三平は試写で「こんな映画を上映させるわけには
いかない」と激怒し席を蹴って帰ってしまったという。まあ個人的には原作は
知らんので、映画が面白ければそれでいい。
作品中には翌年の赤影に登場する悪役俳優がズラリ勢ぞろい。どの人もすごい
演技であったのだが、中でもその演技のすごさに驚いたのは悪忍者のボス的存在の
大友柳太朗氏。ワタリの忍術をことごとくはね返し、それはすごかった。
音楽は小生の好きな小川寛興氏。♪ワ~タ~リ~♪と歌う主題歌は印象深い。
この歌、残念ながらカラオケには入っていない。いい歌なのにな。
同時上映の「サイボーグ009」も実に面白かった。この時の009は赤い服
ではなく、純白の服に赤いマフラーであった。個人的には今でも009は
♪赤いマフラ~ な~び~かせて~♪なのである。

97:どこの誰かは知らないけれど
15/05/24 09:35:38.27 vKgXhV58.net
良スレ

98:どこの誰かは知らないけれど
15/05/24 22:32:52.32 UeVlw47H.net
自分は完全にウルトラ二期しか知らない世代ですが、この書き込みを見て
一期時代の熱気、こどもたちの気持ちがまるでそこにいるかの感じます。
完全に受けて目線の正直な気持ちが、書かれているのでものすごく興味深
いです。はっきり言って、作りて目線の文章水増しのプロの評論より読ん
でいて楽しくて価値があると思います。

99:どこの誰かは知らないけれど
15/05/25 00:30:01.52 cm5YJP42.net
>>98
 それはどうもありがとうデッス。
月光仮面と共に生まれてからずっと昭和の時代を、特撮作品やアニメと共に
見てきました。その体験を思い出して書き留めています。
ただし、昭和40年代以降はよく覚えてるんですが、さすがに昭和30年代
は東京オリンピックの頃ぐらいしか覚えてなくて、その当時の特撮作品に
ついては映像や文献で見るしかないです。
記憶が頼りなので間違いもあるかとは思いますが、今後もボチボチ書いて
いきますのでよろしくデッス。

100:どこの誰かは知らないけれど
15/05/25 00:32:40.40 cm5YJP42.net
あ、この内容、前の記事に書いてありましたねえ
だんだんボケてきましたな~(笑)

101:どこの誰かは知らないけれど
15/05/25 00:45:21.84 cm5YJP42.net
と、月光仮面が出てきたので月光仮面の話題。
こないだボークスの月光仮面フィギュアを塗装したのですが、そこで困った
のは「月光仮面のマント裏の色は何色?」ということでした。映画版月光仮面
のポスターでは赤色なのですが、これも映像はモノクロなのでよくわからず。
ちなみに宣弘社に置いてあった月光仮面フィギュアは黒で塗ってありました。
月光仮面のカラースチールはさすがに見たことがなく、赤なのか黒なのか
現在も謎です。昭和33年当時、月光仮面の撮影を見た方がおられましたら
そのマントの色を教えて下さいませ。

102:どこの誰かは知らないけれど
15/05/25 19:38:38.59 gpZ9bjCJ.net
昭和40年代前半以前の特撮番組はキャラクターグッズ版権で商品化展開する会社が
必ずしもスポンサーになっていないところが興味深い。
しかも一社提供が多かったようだ。
有名なのはウルトラの武田薬品、マグマ大使のロッテ、光速エスパーの東芝、ナショナルキッドの松下電器
といったところか。
昭和40年代前半は自分はまだ産まれてないのでわからないが、リアルタイムな放送中に
玩具以外でどれぐらいキャラクターグッズが出ていたのだろう?
マグマ大使のロッテについてはお菓子にキャラシールがついていたようだが
武田やその他はノベルティ等でグッズがあったのかどうか?
たしか光速エスパーについては東芝のマスコットキャラクター化していたように思う。
これは自分も昭和40年代後半でも、電気屋で見た記憶が実際にある。

103:どこの誰かは知らないけれど
15/05/25 23:58:46.50 cm5YJP42.net
マグマ大使については、ロッテからマグマ大使ガムが出てた。1個10円で
3枚入り。パッケージのイラストはけっこうリアルだった。この中のガムの
いくつかに「当たり」券が入っていて、これをロッテに送るとマグマ大使・
パンチ人形がもらえた。これは抽選ではなく全員に当たるもの。
たしか種類はストップゴン、ドロックス、アロンがあったように思う。
ちなみに当たり券のイラストはマグマ大使、はずれ券はゴアであった。
小生も応募しパンチ人形をもらったことがある。マグマの角が折れやすく、
現在では美品で残ってるものは少ない模様。
このガム以外、マグマ大使のお菓子は記憶にない。
ウルトラマンの武田薬品だが、タケダは武田食品と武田薬品とグループ内の
違いはあるものの、薬よりは子どもがほしがるジュース「プラッシー」の
宣伝に力を入れていたと思う。ウルトラマンやセブンもプラッシーの宣材に
起用している。販促物のシールがあった。このプラッシーは当時飲んだことが
あるがオレンジジュースに近い味だった。スーパーには置いてなく、米屋さん
が販売してたと思う。ケースで頼むとウルトラセブンなどのコップがもらえた
ようである。
ウルトラマンのお菓子は、シスコからチョコレートなどが出ていた。
光速エスパーは当時、東芝の企業キャラクターに使われており、番組が人気
放映を続けると同時に「光速エスパーの店頭人形」がナショナル坊やなどと
いっしょに電気屋さんの店先などに飾られていた。貯金箱などもあった。
当時、プラモはイマイと日東科学から出ていた。
マスコットの糸に通して空中を飛行?するもの、ゼンマイ動力で歩行する
もの、それとエスパーガン(エスパーの持ってる銃)の模型があった。
小生はどれも作った記憶がないが、近所の駄菓子屋に置いてあったのは
覚えている。
ナショナルキッドは、その名前からしてナショナルこと松下電器産業株式
会社が単独スポンサー。小生は見たことがないが、劇中でナショナルキッド
が使用するエロルヤ光線銃がナショナルの懐中電灯と同じ形だったそうで
ある。持ってる人は貴重品ですね。

104:どこの誰かは知らないけれど
15/05/26 00:30:03.82 KATV1C78.net
<ウルトラマンごっこ>
ウルトラマンが人気番組になると、子どもたちが集まればウルトラマンごっこ
が始まる。劇中の「怪獣殿下」のように、当時はお面は売ってたのでウルトラ
マン役、怪獣役、科特隊員役は相談ですぐ決まった。科特隊員役の子は、
駄菓子屋で売ってたチープな流星バッジを胸に付け、スーパーガンは銀玉鉄砲で
代用。問題なのは、ハヤタがウルトラマンに変身する際のベーターカプセルが
当時はまったく売ってなかったのである。プラモやソフビは怪獣とヒーロー
のみで、かろうじてマルサンからスパイダーショットは発売されてたが、
スーパーガンや変身アイテムのベーターカプセルはどこからも出なかった。
おそらく変身アイテムにまで気が回らなかったのだろうと推測される。なんせ
当時は怪獣、怪獣、怪獣の時代やったから。
仕方ないので当時の僕らはペンライトで代用してた。シュワッチ!
個人的にこのベーターカプセルはとても気になるアイテムであったが、当時の
怪獣図鑑や雑誌のグラビアには全く紹介されなかった。映像を見て模型を
作ってみたが、うまくできなくてくやしい思いをしたものだ。第一、ボタンが
付いててそれを押してるということさえ知らなかった。
時は流れ現在、ベーターカプセルは空想ラボさんからプロップそのままの音も
光も出る素晴らしいできばえのものが発売されている。本当にいい時代に
なったものだ。このベーターカプセル、あの頃の自分に届けてやりたい。

105:どこの誰かは知らないけれど
15/05/26 04:24:03.10 KATV1C78.net
<サンダーバード2号ごっこ>
これは当時、かなりの子どもたちがマネしてた。
サンダーバードでバージルが2号に搭乗する際、細い通路状の台に乗って
運ばれる。この時、頭を下にしてスーッと移動する場面がある。
これをまねて、すべり台の上で頭を下にして寝そべり、そのまますべり降りる
のだ。ちょっとしたスリルもあり、男の子はよくやってたなー。
あ、すべり降りる前には「はいパパ、行ってきます!」と言うのを忘れんこと。(笑)

106:どこの誰かは知らないけれど
15/05/26 12:32:37.40 UyOvMGmK.net
<月光仮面ごっこ>
月光仮面のお面をつけるか、あるひは風呂敷を頭に巻き覆面をし、駄菓子屋で
買ったサングラスをかけ、腰には銀玉鉄砲の二丁拳銃。風呂敷マントをなびかせ
ながらバイクならぬ自転車か三輪車に乗れば、それだけでみんな月光仮面になれた。
時代がちと古いので小生は月光仮面ごっこはやった記憶がないが、当時はみんな
ヒーローになれたものだ。

107:どこの誰かは知らないけれど
15/05/26 21:35:45.29 CZmVt9xt.net
その時代にガムシャラに働いた今80代のお年寄りに話聞いたけど、景気良すぎて残業は毎日深夜2時まで、休日は多くてもひと月3日
衣食住は会社持ちだが平日は寮から出られず、たまの休日に電車に乗って隣街に映画観に行って、うな丼食って帰るのが最高の贅沢だったらしい
どの会社もそんな感じなので特に疑問も持たず、ブラックなんて概念も無かったから、当時の経営者は楽だったろうな

108:どこの誰かは知らないけれど
15/05/26 23:34:10.97 KATV1C78.net
昭和は遠くなりにけり。
昔の楽しみはやはり映画だった。映画館の数も今とは比べものにならないくらい
多かった。当時の映画館は今のように入れ替え制でなかったから、一度入ったら
一日中観てることもできた。同じ映画を何回も観ても不思議と飽きなかった。
それほど当時の特撮映画は熱気があり面白かったのだ。

109:どこの誰かは知らないけれど
15/05/27 04:48:09.24 Z5VmObcN.net
昔の映画館。
今の小綺麗な映画館とは違い、ゴミがいっぱい落ちてたり(もちろんきれいな
映画館もある)酒の匂いをプンプンさせたおっちゃんが映画の台詞に合せて
意味不明のことを叫んだり、飽きてきた子どもが前を走り回ったりあげくの
はてには舞台に上がって遊び回り、前でラムネの瓶を割ったり豆怪獣無法地帯。
館内におしっこの匂いが充満してることがあったり、上映中やたらと「お呼び出し
で~す。○○さんいらっしゃいますか~?」とうるさい呼び出しがかかったり。
上映中にフィルムが止まって燃え出したり、切れたりすることは日常茶飯事。
子ども向け映画の時に、なぜか予告は成人向け映画の裸のお姉ちゃんが。
観てる時隣に座ってるヤツが、もう何度も観てるのか次の場面をペチャクチャ
全部しゃべっていたり、「ガメラは足切られても生えてくるんだよ」とかいう
わけの分からんデマ流したり。
まあこのように環境的には良いとはいえない映画館も多かったが、それでも
僕らはせっせと観に行っていた。シネスコ作品が上映される時、スクリーンが
ウイーンと横幅が広がるのはなんか感動的だった。
当時の映画館は、良くも悪くも熱気あふれる異次元空間であった。

110:どこの誰かは知らないけれど
15/05/27 13:06:28.91 sf99Srd/.net
プラモデルの話。第一次怪獣ブームで、怪獣たちのプラモがこぞって発売された。
その先駆的なものはやっぱりマルサンのゴジラである。発売時期忘れたが昭和40年
頃かなと。個人的には、唯一買えたマルサンの電動怪獣プラモだった。ほかの
マルサン電動怪獣はなぜか買えなかった。というより、ウルトラQやウルトラ
マンはほとんどリアルタイムで観れなかったから、その時はゴジラしか知ってる
怪獣がなかったのかもしれない。小生が買ってもらったのは茶色の成形色で、目が
くり抜かれてるタイプのものだった。コードはリード線でなくエナメル線だった
ような記憶が。
つづく。

111:どこの誰かは知らないけれど
15/05/27 17:56:57.51 sf99Srd/.net
マルサンのゴジラは、バラゴンと同時に昭和39年の発売。箱絵はキングコング
対ゴジラのスチールを裏焼きして人着したもので、バックが真っ赤で大迫力で
あった。時期によって茶色やグレーの成形色、目が抜けているものや抜けて
いないもの、歯の形状違いなどのバリエーションがある。
小生が買ってもらったものはけっこう初期のものだったのか、足のローラーに
逆転防止のストッパーが付いていなかった。そのため、一生懸命手足は動かす
もののほとんど前に進んでくれないというシロモノであった。
しかしながら、日本で初めての動く怪獣のプラモデルは大きなインパクトがあった。
まず何といってもカラー写真を使用した箱のすごさ。これは人目を引く。
ゴジラの体型はほどよくディフォルメされ、顔はキンゴジ似であった。子ども
にはモーター部分の組み立てがちょっと難しいが、そういう所は親に手伝って
もらう。当時は煙草を吸う父親が多く、金属部品をプラスチックに固定する際
には煙草の火で焼きつけてもらった。
このゴジラから、全ての怪獣プラモの時代が始まったのだ。

112:どこの誰かは知らないけれど
15/05/27 19:20:39.70 vxRTrKUg.net
>>マルサンのゴジラ
オレ、無理して’親に買ってもらって作ったけどうまく完成しなかった。
自分はこういうモノには向いてないのか?と、長い間落ち込んだけど、
今から考えると、アレはかなり完成度の低い不親切な商品だったと思う。
確かに、箱絵のインパクトは強烈だったな。

113:どこの誰かは知らないけれど
15/05/27 21:58:54.42 Z5VmObcN.net
>>112
 やっぱり動力のモーター部分が難しいね。モーターの組み込みというのは
意外と微妙なもので、はめ込みがちょっとでもずれるとモーターの動力が
ギアに伝わらなくなる。あのプラモは動力を足と手に伝える部分もけっこう
組み立てが難しい。かく言う私も父親に手伝ってもらってやっとこさ完成
した。やっぱし、日本でのモーター動力の怪獣プラモ第一号でしょ。改良
すべき部分はいっぱいあったと思うよ。うまくでけなくても落ち込むことなし。
だいたいやね、あの頃の動力プラモはかなり適当なものが多くて、うまく動か
なくて当たり前、うまく動いたらもうけものぐらいの気持ちで作ってた。
ところでこのマルサンゴジラですが、ノスタルジックヒーローズから復刻版が
出てます。こっちの方は動力部分がすんごく進歩してて、誰が作ってもうまく
動くようになってます。ぜしリベンジしてみて下さい。

114:どこの誰かは知らないけれど
15/05/27 22:15:59.90 Z5VmObcN.net
マルサンはゴジラとバラゴンを出したあと、ウルトラQとウルトラマンに出た
怪獣を模型化している。モーターライズで出てたのはゴメス、ペギラ、トドラ、
パゴス、カネゴン、ガラモン、ネロンガ、レッドキングなど。ウルトラマンや
ジェットビートル、潜航艇も出てた。
小生は模型店でパゴスの箱を手に取って中を見たのは覚えているのだが、これを
買うことはなかった。今思い出しても惜しいことをしたな~と思う。
結局、マルサン電動怪獣で買ってもらったのはゴジラだけ。残念至極である。
ちなみにこの金型であるが、一部を除き後に溶解処分されてしまったらしい。
それでは復刻発売のしようがなく、まことに残念としか言いようがない。
ところでマルサンゴジラ発売と同時期にミヤウチというメーカーから「コジラ」
というプラモもが出てた。ゴジラでなくコジラである。ミニラではない。
うす緑色の成型色で糸巻き車の原理で走るもの。このプラモが妙に懐かしい。

115:どこの誰かは知らないけれど
15/05/27 22:35:59.14 Z5VmObcN.net
マルサンは電動怪獣以外にもマスコットシリーズで前後貼り合わせの簡単な
怪獣プラモを出している。バルタン星人はこのシリーズで、そのプラモが
「科特隊宇宙へ」で実際の撮影に使われたことは有名ですね。このバルタン
星人は小生も買った。グレーの成型色でややずんぐりバルタンだったね。
その後キャプテンウルトラのシュピーゲル号などのメカや登場キャラクター、
ウルトラセブンのメカや登場キャラクターが発売された。ウルトラホーク1号
のモーター版は、アルファー号だけだとスイスイ走るがベータ号、ガンマ号を
乗っけると重くて走らなくなるのよね。シュピーゲル号モーター版はプロップと
見間違うほどの素晴らしいでけばえだったなあ。このプラモだけ今も家に残ってる。
当時サンダーバードの影響もあってか、特撮メカにもけっこう興味を覚えた。

116:どこの誰かは知らないけれど
15/05/28 15:57:39.63 BNwktutk.net
>>「長篇怪獣映画 ウルトラマン」
観た観た。
テレビの再編集版だったけど、大満足だったな。
金持ちのうちではなかったので「ウルトラマン」は白黒で観ていた。
だから、あの科特隊のオレンジ色の隊員服にはいたく感動した。
なにより大画面の迫力はすごい。怪獣映画は劇場で観るべし。
ただ16㎜のフィルムだもんだから、粒子が荒れているのがわかる。
同時上映の「キングコングの逆襲」と画質の違いが歴然。
しかし、あのざらざらの質感もなかなかリアルでよかったと感じた。
なんか、子供の頃は何でも受け入れて前向きな考えだったよな。
今はブルーレイだの4Kだのと高画質にこだわりすぎな気もする。
画質が良いことに超したことはないが、、、
「サンダ対ガイラ」の5分程度のダイジェストの8㎜フィルムを買ったとき、
嬉しくて、フィルムを持って明かりにすかして飽かずに眺めていたっけ、
そうか、フィルムはじかに手で扱えて見れるという存在感が魅力だった。

117:どこの誰かは知らないけれど
15/05/28 18:46:20.32 crNMCqaW.net
>>116
 おお、当時ご覧になった方がいらっしゃいましたか。ウルトラマンを大画面
でカラーで観られるというのがあの作品のウリでしたからね。しかもキン逆
との画質の違いまで覚えておられるとは、すごく冷静にしっかりと観ておられ
ますな。ウルトラマンはたしか本編は16mmで特撮場面は32mmだったと聞いたことが
ありますが、最終的には16mmに落として納品してたそうなので特撮シ-ンが
ちょこっとだけきれいのかも知れません。
それにしても、あの初代ウルトラマンのカラーは本当に鮮やかで美しいですね。
昔は昭和40年代後半まではほとんど白黒テレビで観ていたので、画質がどうとか
そんなことは言いっこなしでした。見えていれば十分満足でしたし。
家庭での撮影には8ミリフィルムがよく使われてたようですが、わが家では
とうとう買う機会はありませんでした。当時販売されてた特撮作品の8ミリ
フィルムには、時々本編にはない貴重な映像が入ってることがあるそうです。

118:どこの誰かは知らないけれど
15/05/28 19:39:11.72 BNwktutk.net
>>「長篇怪獣映画 ウルトラマン」
意外だったのはベムラーを倒したのがウルトラマンでなく、科学特捜隊だったこと
編集で上手く繋いだのか?新たに撮り足したのか?いまだによくわからない。
何しろ約50年前に観たきりだが、我ながら画質の感じまでよく覚えていると感心する。
現在とくらべ極端に情報量が少なかった時代だからこそ、当時の子供たちの集中力は
異常に高かったのだろうと推察する。
カラーテレビの置いてある歯医者の待合室で観た「ウルトラマン」のボデイカラー
銀色とレッドのその鮮やかな色に感動し、そのイメージ映像はいまでもよく覚えている。

119:どこの誰かは知らないけれど
15/05/28 21:10:54.62 MXzllTq4.net
まさに昭和黄金期の特撮ファンによる証言と言えるな。
熱心な書き込み御苦労様でございます。
興味深く読ませてもらってます。

120:どこの誰かは知らないけれど
15/05/28 23:39:21.67 crNMCqaW.net
>>118
 wiki解説によれば新規撮影部分はないとありますね。変更されたのは
ナレーションのみで、あとはうまく編集してストーリーを変えたそうです。
しかし強敵ベムラーを科特隊の力で倒すとは科特隊も強くなったものだね。
本編での新撮はないが予告編ではフジ・アキコ隊員役の桜井浩子が私服姿で
通行人たちにインタビューする模様が新撮されたとあるけど、その映像は
DVDに入ってるのかな・・・
科学特捜隊メンバーのスチール特写も撮り下ろされているのだけど、たしか
この時にはもう流星バッジがなくて流星タイピンで代用したと聞いた。
ネクタイ中央部の丸い危機感知ボタンも付いてないね。

121:どこの誰かは知らないけれど
15/05/29 08:18:47.72 RY5jduqP.net
70年代でも家庭用ビデオなんて普通の家には無い時代だから劇場でテレビシリーズの1エピソードを
そのまま上映するというのでも意義のある事だったんだよね。
特撮チャンピオンまつりの6本立てとかで、テレビ版もプログラムに組み込まれていたが
その中で子供の頃に凄く感動したのが、ゴジラ対ヘドラの併映だった
帰ってきたウルトラマンのグドン・ツインテール編の前後編を繋いで1本にして上映されたもの。
自分の家はまだ白黒だったし画面サイズも16インチ程度のものだったから
劇場の大画面で鮮やかなカラーで見るウルトラマンは、初見の如く凄く新鮮であり大迫力だった。
また作品自体がドラマも特撮も骨太な1時間弱のエピソードなので、テレビで見るのとは
まったく別次元のレベルで劇場空間の中で作品に没頭したのをよく覚えている。
ツインテール編では新マンの代名詞とも言える夕陽をバックにした戦闘シーンのカラーも鮮烈だった。
当時の白黒ブラウン管画面でしか見た事が無かったそのシーンを劇場で食い入るように見た記憶は
強烈な印象となって今でも残っている。

122:どこの誰かは知らないけれど
15/05/29 19:45:01.19 6XrDdlPC.net
昭和41年の「怪獣ブーム」というのは後年に後付けで命名されたワケで、
当時の子供達にはそんな感覚はモチロンないが、今振り返って考えると、
「怪獣」「特撮」など様々な要素がグッドタイミングで集中的に
濃縮されたあの時間は、奇跡のようなものだったということか。
そんな偶然のごとく訪れた奇跡などは長続きするはずもなく、
円谷英二の死と同時期のあっけないブームの終焉。
「もう怪獣映画も終りだな、、、」と寂しそうな顔で語った怪獣通の
友人の言葉が、今も印象深く心に残ってる。

123:どこの誰かは知らないけれど
15/05/30 04:56:08.92 HZO876P1.net
>>121
 「ゴジラ対ヘドラ」 すごい作品でしたね。劇場で観ました。個人的には
こっちの方があんまし強烈やったものですから、併映の帰ってきたウルトラマン
はあんまし覚えてないんです。スンマセン。
でも、ふだん白黒TVでしか見えなかった特撮作品がカラーの大画面で見えた
時の驚きと感動は大きいものでしょう。小生は「キャプテンウルトラ」の劇場
作品「バンデル巨人あらわる」のカラー大画面は印象的でした。

124:どこの誰かは知らないけれど
15/05/30 05:05:17.06 HZO876P1.net
>>122
 円谷英二氏の死去は大きな出来事であったと思いますが、それでも東宝の
ゴジラやウルトラマンはその後も新しい作品が作られていきました。
たとえ怪獣ブームは終わっても特撮作品が消え去ることはありません。
怪獣は永遠に不滅である・・・と思いますね。

125:どこの誰かは知らないけれど
15/05/30 09:26:59.01 wKeuQD5c.net
東宝チャンピオンまつりは、自分にとって至福の時間だったな。
昭和後期の低予算ゴジラ映画よりも、初めて見る東宝特撮黄金期の
リバイバルがメインになったプログラムの方が好きだった。
三大怪獣地球最大の決戦は東宝チャンピオンまつりで初めて見たんだけど
あのキングギドラの大暴れのカタルシスは最高だった。
考えるとチャンピオンまつりは、メインの東宝特撮+3~5本の併映作品が
ついていて4時間前後の回転率の悪い上映形態だったんだけど
特に併映作品のテレビ作品の上映ではOPソングを皆で歌うとか、長丁場なので
飽きてきた子供がスクリーンの前を走り回るとか、そういうのを含めて
その4時間前後が子供にはたまらなく楽しい時間だった。

126:どこの誰かは知らないけれど
15/05/30 11:05:10.99 WdgLujkt.net
東宝チャンピオンまつり。
パンフレットはビニール袋にパックになって入っていて、ポスターやステッカーが封入されてたな。
劇場のロビーには5円ブロマイドが束ね売りされていた。

127:どこの誰かは知らないけれど
15/05/30 20:09:51.69 3LHij5vn.net
いずれにしても、「東宝チャンピオンまつり」がなかったら
男の子だったオレが「エースをねらえ!」を観ることもなかったろう。
大画面で観た「エースをねらえ!」のあのオープニングのかっこよさ!
あれが初見だったということだが、なんか劇場全体が盛り上がってた。

128:どこの誰かは知らないけれど
15/05/30 22:51:24.59 HZO876P1.net
東宝チャンピオンまつりは、東映まんがまつりを参考にして東宝が企画した
特撮作品の上映形式でしたね。69年の「オール怪獣大進撃」「コント55号
宇宙大冒険」「巨人の星」が最初らしい。
企画的にはヒットしたらしいが、ゴジラ作品の新作は超低予算のものになって
しまったとか。その中でも71年の「ゴジラ対ヘドラ」のように一大傑作を
生み出したのは素晴らしい。いや~、ヘドラはすごい作品ですよ。あの時代を
生きた者にとっては公害の恐怖は忘れられませぬ。ゴジラも目をつぶされ手は
骨になり、もう壮絶な戦いに息を呑んだ。唯一笑えたのはゴジラが後ろ向きに
空を飛ぶところ。あのシーン、プロデューサーは大反対だったそうだけど
現場サイドが押し切ったとか。ま、全体に重い作品なのでああいうシーンが
ちょこっと入ってもいいでしょう。当時の劇場は大爆笑でしたが。

129:どこの誰かは知らないけれど
15/05/30 23:05:48.92 HZO876P1.net
東宝チャンピオンまつりはいくつか観に行ったが、過去の東宝黄金期の
特撮映画がきれいな大画面で観られるのがよかった。まあ短縮再編集版では
あったけど、あの頃はビデオなどなく家庭で手軽に特撮作品を観ることが
できなかったため、貴重な機会であった。時間は短く編集されてるが、単に
カットしただけではなくてBGMなども入れ替えている。
(このカットはオリジナルネガを裁断したため後に一騒動となるが)
ミラーマンや帰ってきたウルトラマン、レインボーマンなどのTV作品が
大スクリーンで見えたのも貴重なものだったね。

130:どこの誰かは知らないけれど
15/05/30 23:17:15.85 wKeuQD5c.net
ゴジラ電撃大作戦(怪獣総進撃)の時は、併映が新作2本で
円谷プロに発注した「ダイゴロウ対ゴリアス」、宮崎駿の「パンダコパンダ」と奇跡のような3本立てだった。

131:どこの誰かは知らないけれど
15/05/31 00:24:56.25 3sS+arSH.net
>>130
 「ゴジラ電撃大作戦」72年冬期の公開でしたね。時々オリジナル作品とは
題名を変えてるものがありますが、インパクトのある題名に変わっています。
怪獣総進撃は観てますが電撃の方は未見です。たぶんオリジナルよりもっと
スピィーデーな展開になってるのでしょう。個人的にムーンライトSY-3号
はお気に入りのメカです。可変翼がカッコいい。そのデザインは後のアニメ
「ふしぎの海のナディア」に登場する発掘戦艦、ニューノーチラス号のデザイン
に大きな影響を与えています。
「パンダ・コパンダ」はTVで観ましたが「ダイゴロウ対ゴリアス」は未見です。
面白かったんでしょうかね。謎の作品です。

132:どこの誰かは知らないけれど
15/05/31 09:59:12.63 WwYKDjnE.net
「パンダ・コパンダ」「ダイゴロウ対ゴリアス」
「パンダ」に「子連れ狼の大五郎」など、ブームに頼ったあざとい企画だと
半分バカにしてみたら、内容は両方とも力の入った作品だったので感心した。
「ダイゴロウ対ゴリアス」は演出がウルトラシリーズの飯島監督だったから、
初期の円谷プロの雰囲気が良く出ていて、退屈しなくて楽しかった。
ただ「おおざっぱ」な作りの怪獣のキャラクターには愛着が湧かなかったな。

133:どこの誰かは知らないけれど
15/05/31 11:50:33.17 ly+9zHRV.net
>>40
遅レス入れるが
宇宙少年とか不思議な少年の作品が今は皆無だな。今は作れないのか
思いつくだけでも、パピィ、ソランに宇宙エース、ピピ、ジェッターなど
手塚プロに石森、藤子もその手の作品を出してた。
バビル二世が、この手の少年ヒーローでは最後だったかなと。
それ以降はリメイクはあっても新キャラが出ない。
リメイクするなら特撮実写を望みたい。
今ならCGで簡単に作れるよな。

134:どこの誰かは知らないけれど
15/05/31 12:50:06.85 xJGwFLx0.net
広義ではDBとかワンピースとかもその中にくくられるかな
SF的近未来的なノリの話じゃないから反駁されると思うけど

135:どこの誰かは知らないけれど
15/05/31 13:43:13.39 eoY94RkN.net
>>133
日本テレビが実写ドラマ化するかもよw

136:どこの誰かは知らないけれど
15/05/31 15:55:59.61 7GJaYFI5.net
>>120
URLリンク(youtu.be)

137:どこの誰かは知らないけれど
15/05/31 17:41:01.88 NdGgTyIW.net
>>136
2番目のなんか60年代末あたりの上映かなと思ったら
「未知との遭遇・スターウォーズ」がどうたら言ってるから70年代末だな。
なんかテレビとは時間の流れが違う。
当時はビデオが普及してなかったから見たい客はそこそこいたろうけど。

138:どこの誰かは知らないけれど
15/05/31 22:54:23.28 3sS+arSH.net
>>133
 少年が主人公の特撮・アニメ作品は昔は多かったね。実写なら古くは
少年ジェットやまぼろし探偵、少年探偵団などがあった。
40年代ならば光速エスパー、悪魔くんとか。マグマ大使やジャイアントロボも
主人公ではないが少年が中心の物語だった。
やはり視聴対象の子どもをヒーローにすることでより親近感をもってもらおう
という措置だろう。
少年ではなく少女が主人公ならば、NHK少年ドラマシリーズの「タイム・トラベラー」
とかいくつか存在する。最近は特撮ファンタジー路線の作品もないし、ウルトラや
ライダー、戦隊もの以外の特撮作品も出してほしいね。

139:どこの誰かは知らないけれど
15/06/01 12:58:57.05 ck6MPSLH.net
東宝チャンピオンまつりで覚えてるのは74年の「モスラ」「緯度0大作戦
海底大戦争」やね。
モスラは短くなってたがオープニングのBGMなどを変えてあった。劇場で
音声だけをカセットテープに録音してたら、ピーナッツの歌のいいところで
「○○さぁ~ん、いらっしゃいますかぁ?」と呼び出しの声が。(笑)
緯度0は劇場で観たのは初めてやったが、海底ユートピアの風景が実にきれい
やった。アルファー号もカッコよかったな。ねずみ男はカットされてた。
ニュープリントの映像は色がきれいだったな。

140:どこの誰かは知らないけれど
15/06/01 13:08:50.76 cpGvBseY.net
私はキカイダー01のインクスミイカの話が印象に残ってるね。
万年筆を使うのがステータスシンボルだった時代。
あと着物に焦点が当たったキモノドクガの回とか、シャドウの買い占めでミカンがなくなる話とかも。
全部再放送というのが情けないけどね。

141:どこの誰かは知らないけれど
15/06/01 14:33:24.23 tTm4OSdW.net
キカイダーといえばNETの都市部の系列局では、午後8時に放送されていたが
当時としては子供番組なのに夜8時越えは画期的だった。
おそらくスペシャル番組以外でいわゆる子供番組がレギュラーで夜8時以降に放送されたのは
このNETのキカイダー、永井豪アニメぐらいのものだろう。
昨今は深夜アニメや特撮はあるけど子供向けではないし、8時のゴールデンタイムというのもないな。

142:どこの誰かは知らないけれど
15/06/01 18:16:09.36 Co5VeIzH.net
66年の「レインボー戦隊ロビン」が
途中まで夜8時台だったとか聞いた。
なんでも枠がとれなくて、
やっととれたのが8時台だったんだと。
「佐武と市捕物控」も途中まで夜9時台だったんだと。
もっともこれは大人を意識しての作品だから

143:どこの誰かは知らないけれど
15/06/01 20:13:33.60 eQR5Mx5G.net
当時の裏番組は覚えてないが、
8時台のキカイダーやデビルマンは、
割とよく見れたので有り難かった。
キツいのは5時半台で、じいちゃんばあちゃんの大相撲とバッティングする時期は、
家庭内の雰囲気相当ヤバかったw

144:どこの誰かは知らないけれど
15/06/01 20:23:15.09 pZHVj08m.net
>>139
64年の間違いでは?と突っ込もうと調べたら74年にリバイバル
やってるんですね。同時上映燃える男 長島茂雄 栄光の背番号3ですか。

145:どこの誰かは知らないけれど
15/06/02 00:05:46.29 HJtpbwwC.net
>>144
 そうそう、私の嫌いな長島茂雄の映画が同時上映やったんよ。どうもね、
昔から巨人や長島は好かんねん。長嶋の時間は寝てた。モスラ始まると
目を覚ました。録音のラジカセは当時買ったばかり。百恵ちゃんの歌を
録音してたな~
この映画74年の冬期の公開。上映後モスラの縦長ポスターもらってきた。

146:どこの誰かは知らないけれど
15/06/02 02:55:00.98 HJtpbwwC.net
URLリンク(www.47news.jp)
数々の東宝特撮映画に出演された俳優の小泉博(こいずみ・ひろし、
本名汪=ひろし)さんが5月31日午前2時20分、間質性肺炎のため東京都
港区の病院で死去しました。88歳。神奈川県出身でした。
「ゴジラの逆襲」「モスラ」「モスラ対ゴジラ」「地球最大の決戦」など多くの
作品に出演され、東宝特撮の歴史を作られた方でした。ソフトな語り口と
穏やかな雰囲気での博士役などが印象的でした。
また一人、昭和特撮に深い関わりを持つ方が旅立たれました。ご冥福をお祈り
します。

147:どこの誰かは知らないけれど
15/06/02 08:26:52.91 m65c9Jit.net
テレビ放送についての昭和の出来事でよく覚えているのが、いわゆる腸捻転解消事件。
関西キー局のテレビ局と資本が入っている新聞社との提携を本来の形に戻したもの。
関西では元はTBS→朝日放送、NET→毎日放送だったので東京キー局の関係と逆だったんだよね。
特撮ものだけで見ると、当時はウルトラはもう終了していたので関西では影響なし
ライダーも毎日放送製作だったので、そのまま毎日放送だった。
だけど東京キー局製作の他の番組は色々と大変だったな。
各番組やドラマで「次週より○×△は朝日放送でお楽しみに下さい。」とかテロップが出て
次週予告中も他局でやる、とテロップがでるのに続けて
新しくネット変更で移ってくる番組が新番組として紹介されるとか
もう自局でやらないから次週予告自体カットされる場合もあって、見てる方も混乱したな。

148:どこの誰かは知らないけれど
15/06/02 12:46:16.95 LA04n/1Q.net
>>146
 東宝特撮映画にはいつも出てる方だったね。ソフトな語り口で温厚そうな
人だった。モスラの中條博士役では、後のゴジラ東京SOSにも時を超えて
同じ役で出演された。
特撮映画には多く出演されたが特撮TV番組はウルトラQ、レインボーマン
ぐらいで少なかった。まさに「映画の人」であった。
科学者役とかが多いが、理知的だけど温かみのある人だった。悪役は最も
似合わない人。今頃はモスラに乗って天国に飛んで行かれてるかな…

149:どこの誰かは知らないけれど
15/06/03 03:30:33.41 fcbU3AB3.net
往年の特撮作品にゆかりの方が次々と旅立って行かれるな・・・
小泉さんは来年の復活ゴジラにぜしとも出てほしかったのに
宝田さんはお元気でがんばってほしい

150:どこの誰かは知らないけれど
15/06/05 23:21:40.84 MAmyWTb/.net
昭和42年頃に戻ります。
あの頃は怪獣ブームであったが、イマイのサンダーバードを中心とするSF
メカプラモブームでもあった。サンダーバードは1号から5号までがメイン
メカで、それぞれのカラーリングが美しく子どもには分かりやすく魅力的
であった。
いちばんの人気はグリーンのカラーの2号。丸っこいデジャインで、コンテナ
が分離できていろんなミニメカを搭載できるのが魅力的。ゼンマイやモーター、
コロ走行などいろんな種類のが出てた。当時の男の子はほとんど持ってたね。
近年発売されたタカラのフルアクション2号が、あの電動伸縮脚を再現してた
のには驚いたね。当時のプラモではあれは再現できなかった。

151:どこの誰かは知らないけれど
15/06/05 23:33:56.10 MAmyWTb/.net
サンダーバード1号は、あの可変翼がカッコよかった もちろんプラモも
可変翼が展開できるようになっていたが、車輪が付いて地面を走るという
姿はちと不満であった。
3号は当時は50円のちっこいのしか発売されずやや欲求不満。ポロポー
ションはよかったのだけど。4号はゼンマイで陸上を走ったが、水中航行は
できなかった。感動的だったのは5号。モーターライズでスタンドの上を
ゆっくり回転、ドームランプを点滅させながらアンテナを回転させてジージー
と動くその姿は魅力的。当時の価格で¥600という豪華なプラモであった。

152:どこの誰かは知らないけれど
15/06/06 00:26:40.02 AAL3ACsL.net
そして1号~5号を一つの大きな箱に詰め込んだのが「サンダーバード・
パノラマセット」 これは当時の子どもたちにとって夢のプラモであった。
これ一箱でサンダーバード主要メカが全部そろうのである。
その後、人気のメカだったジェットモグラタンク、電動2号にX(エックス)
カーの「パノラマセットNO.2」も発売。小生が当時買ったのはこれである。
自転車の後ろにくくりつけて持って帰ってきた。この箱は小松崎茂作画の
大迫力のもので、今も実家にある。
その後、トレーシー島をプラモ化した「サンダーバード秘密基地」が大人気と
なり、映画登場メカ「ゼロX号」の豪華なプラモも発売された。サンダーバード
プラモは一大ブームを巻き起こしたのである。

153:どこの誰かは知らないけれど
15/06/06 23:26:01.06 AAL3ACsL.net
サンダーバードというのは国際救助隊、すなわち国家を超えた壮大な人類愛
の物語である。困っている人がいれば海でも山でも、宇宙にでも助けにゆく。
そして困難な状況に陥っても最後まであきらめず任務を果たす。特撮作品で
これほど崇高な精神を表現した作品はほかにない。素晴らしい。
その熱い心は当時の子どもたちにも十分伝わっていたと思う。
こういう特撮作品が日本でも作られることを願う。

154:どこの誰かは知らないけれど
15/06/07 08:36:27.68 tBE3DlCb.net
>>152
当方1972年生まれですが
60年代的SFメカニックデザインには非常に魅かれます
金魚鉢ヘルメット+宇宙服のヒーローが光線銃で
宇宙モンスターに立ち向かうみたいな絵面もたまりません

155:どこの誰かは知らないけれど
15/06/07 23:42:22.74 jSUJT5RS.net
60年代のSFメカは実に味わいがありますね。シンプルでストレートな
デザインのものが多く、カラーリングも美しい。この頃のは日本のものも
外国のものも秀逸なデザインのメカが多いですね。
日本の特撮メカもよろしいが、海外ものも印象深い。先に書いたサンダー
バードのメカはどれも素晴らしい。また、タイムトンネルや宇宙大作戦の
USSエンタープライズ号、原潜シービュー号などは今見ても魅力的。
SFメカデザインのイメージが変わったのはスター・ウォーズあたりから
ではないでしょうか。

156:どこの誰かは知らないけれど
15/06/08 12:59:33.72 h2e13ml1.net
昭和42年放送の宇宙特撮シリーズ「キャプテンウルトラ」
当時の時代を反映して、明るい未来の展望を描いた宇宙の物語であった。
実際の映像の宇宙も暗っぽい色でなくて青っぽかった。当時、宇宙って
あんなに明るい青色なんだと思った少年少女も多かっただらう。ウルトラ
という名前の通り当時はウルトラシリーズに入ってたが今では除外されてる
やうだ。巨大化はせず等身大の人間が活躍する物語で、当初はバンデル星人、
後半は怪獣ぞくぞくシリーズになっていった。ウルトラマンの怪獣とはまた
違った魅力を持った怪獣だが(ガルバンのデザインなどは秀逸)、ウルトラマン
でものすごい特撮を観ていたため、東映の怪獣はなんかちょっとちゃっちく
見えた。
この作品は舞台が宇宙なのれ地球の日常空間は全く描かれていない。そうゆう
意味では特殊な特撮作品といえようか。登場メカは未来感あふれるもので、当時
の僕らの未来へのあこがれを描いた作品であった。

157:どこの誰かは知らないけれど
15/06/08 13:06:21.28 h2e13ml1.net
キャプテンウルトラの登場メカで印象的なのは宇宙船シュピーゲル号。
シュピーゲルはドイツ語で鏡を意味するが、その名の通り平面を基本とした
デザインだった。戦闘時、3機に分離して戦うD3作戦は見ごたえがあった。
当時、マルサンからプラモが出てていくつか買った。その中でもいちばん大きい
モーターライズのものは、プロップと見間違うほどの素晴らしい出来ばえだった。
現在ではステルス雷工房から最高に美しいシュピーゲル号が出ている。
また、宇宙ステーションのシルバースターも未来的なフォルムでカッコよかった。

158:どこの誰かは知らないけれど
15/06/09 03:01:49.61 gGGwUk/u.net
>>109
今となってはワンダーランドにも思えますな

159:どこの誰かは知らないけれど
15/06/09 03:25:35.66 JkDczpRD.net
そうね。あの頃の映画館は昭和ワンダーランドであった。今のような座席指定
なぞなく、入れ替え制もなかったから居たければ1日中居てもよかった。
同じ映画を何度も観ているとストーリーを覚えてしまった。また同時上映も
メイン興行以外ではいろんな作品と併映になってて、たしか「大怪獣ガメラ」
の併映が外国特撮作品の「魔法の剣」だったのを覚えている。たまに同時上映
が大人向けのつまんない作品の時があり、そういう時はヒマなのれ寝てた。
昭和41年の映画で大映の「大魔神」というのがあった。当時、この作品は
着ぐるみに人が入ってるとは信じられず、ほんまにこんな魔神がおるんだと
信じ込んでいたようである。それほどリアルな特撮だった。とくに大魔神の
眼のパワーが強烈で、当時はとにかく怖かった。3部作全てがこの年に制作、
公開されてるが、個人的には2作目の「大魔神怒る」が好きだった。あの
モーゼの十戒のように水を割って登場する魔神はカッコいい。当時の夏休みの
絵日記に大魔神の絵が描かれていた。よほどインパクトがあったのだらう。
劇場で観たのは1作目と2作目で、逆襲は観に行っていない。なんでかは今と
なっては分からない。

160:どこの誰かは知らないけれど
15/06/09 20:03:40.94 PrIKeMzi.net
>>138
70年代も結構ありましたね。少年探偵団BD7、バンキッド、ガンバロン・・・・何故かすべて長坂秀佳がメインライターです。

161:どこの誰かは知らないけれど
15/06/10 00:04:37.56 /aNhz03x.net
スンマセン、60年代の思いが強烈なのでなかなか70年代にたどり着けて
いません。
少年ものの元祖はやはり「少年探偵団」でしょか。♪ぼ、ぼ、ぼくらは
少年探偵団♪とゆう歌はあまりにも有名。
昔は男の子が何人か集まると必ず少年探偵団を結成していたものです。
団長を中心にして、学校のゆうれいを捕まえに行くとか色々やってました。
その世界観を拡大したのが映画「20世紀少年」シリーズでした。

162:どこの誰かは知らないけれど
15/06/10 12:32:36.99 TwoTPezD.net
昭和41年頃。
ゴジラ、東宝怪獣のプラモはマルサンが電動のものを発売していたが、ガメラ
映画がシリーズ化されると日東からゼンマイのプラモが発売された。たしか
ガメラとバルゴンが同時発売だったように思う。箱絵はマルサンにならってか、
人着のスチール写真で素晴らしく美しいものだった。ガメラはきれいな緑色に
塗られ、バルゴンは青空のブルーのもとで虹光線を出していた。しかも映画
(ガメラ対バルゴン)の美しい人着スチールはがきが入っていた。
マルサンのモーターライズに対抗してか、こちらは強力ゼンマイ。当時のゼン
マイはかなり大きく、ねじを巻くのにも力がいった。価格的にはモーター版
よりも安価なためけっこう多くの友人が買っていた。金持ちッ子のマルサンに
対して庶民ッ子の日東という感じだった。怪獣同士対決できるようにするため、
部品の中にさすまたのような形のコントロール棒が入っており、これで怪獣の
尻尾を動かして戦わした。ゼンマイ怪獣同士の戦いは、ぶつかってどっちかが
ひっくりこけるか、先にゼンマイが切れて止まった方の負け。相撲のような土俵
を描いて戦わせたこともあった。立ち怪獣同士はうまく組めるのだが、ワニゴン
のような四足歩行の怪獣は戦わせるのが至難の業だった。シリーズはその後、
ギャオスやジャイガー、オリヂナル怪獣でワニゴンやガマロン、ゴーゴンなど
が発売、日活のガッパもこのシリーズから出た。

163:どこの誰かは知らないけれど
15/06/10 12:40:20.85 TwoTPezD.net
日東怪獣プラモは安かったのれ、めげてもまた買えたが、マルサンの電動のは
高価なので扱いも慎重だった。といっても、わが家のマルサンゴジラは最後は
お風呂につけて遊ぶ水ゴジラになってしまったが。
友人がマルサンのトドラを買っていたが、置いてあったら妹にめがれたとこぼし
ていた。兄弟姉妹のいる家は自分のものもいつ持って行かれたり壊されたりする
か分からない。昔は熾烈な争いが繰り広げられていたのだ。

164:どこの誰かは知らないけれど
15/06/10 17:52:46.22 TwoTPezD.net
ゼンマイプラモは組み立てが簡単だったので当時の僕らにも作ることがでけた。
ただしたまにはゼンマイの不良品があり、小生が買ったガマロンのゼンマイは
いきなりガチャガチャガチャとテープの早回しのように動いてしまうものだった。
修理しようもなく、あわれガマロンはごみ箱行きに。(以来ガマロンは買ってない)
昔のプラモはこのようにゼンマイが不良品だったりモーターが接触不良で動かな
かったり、防水が不完全で潜水艦が沈みまくったりしていた。それでも、当時の
僕らは文句も言わず楽しくプラモを作っていた。あの当時、物は少なくて出来は
イマイチであったけれど、それでも夢はあふれていた。

165:どこの誰かは知らないけれど
15/06/11 04:42:17.98 sjrE742i.net
1966年(昭和41年)映画ゴジラシリーズの生みの親である円谷英二が設立した
「円谷特技プロダクション」がTBSで「ウルトラQ」を放映開始。
それまでは映画でしか見られなかった怪獣たちが、これを皮切りに毎週テレビに
登場することとなる。続く「マグマ大使」(フジテレビ)「ウルトラマン」
(TBS)の放映によって子供たちの間に「怪獣ブーム」と呼ばれる爆発的な
社会現象となったもので、当時はマスコミによって単に「怪獣ブーム」と
呼称されていた。後年、1971年頃から始まる怪獣ブーム(変身ブーム)と
区別するため、先の怪獣ブームを「第一次怪獣ブーム」と呼ぶ。
その当時作られた特撮作品はどれも高視聴率を獲得し大いにブームを過熱
させた。しかし当時は商品化ビジネスが確立しておらず特撮を用いた番組
製作に必要な莫大な製作費は制作プロダクションに高負担を強くこととなり
ほとんどの作品は人気を得ながらも放映期間は長くはなかった。
このブームに「怪獣」という用語は子供たちだけでなく大人たちもこぞって
使う言葉となった。教育評論家の阿部進氏はブーム以降、自らを怪獣化して
「カバゴン」と名乗っていた。少年サンデーの「カバゴンのなやみ相談」は
Hな相談が多くよく読んでいた。子供の教育に熱心な教育ママは「ママゴン」
という怪獣に。子供たちの遊びは忍者ごっこから「怪獣ごっこ」にとって代わ
られていった。こんだけ多くの怪獣が出現した国は日本だけだったことだろう。

166:どこの誰かは知らないけれど
15/06/11 05:04:58.69 sjrE742i.net
昭和40年頃の思い出だが、この頃テレビでは「宇宙人ピピ」や「とんま天狗」
「スパイキャッチャーJ3」などの特撮作品が放送され、映画では「大怪獣
ガメラ」が公開された。ガメラの原題は「火喰い亀 東京襲撃」であった。
この題名にならず本当によかった。(笑) 同じ年、東宝ではゴジラの
「怪獣大戦争」、「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」が公開。
ゴジラがシェーをするのが話題になり、恐怖の対象であったゴジラの姿は
影をひそめた。シェーの原点は「おそ松くん」のイヤミ。
この年は日本中が熱くなった東京オリンピックの翌年であり、市川崑監督の
「東京オリンピック」という映画が公開された。学校行事でこの映画を観る
ことになり、学校から映画館のある駅前までぞろぞろとみんなで歩いていった
のを覚えている。映画は特撮作品ではなかったが、スローモーションで外人
選手の顔を大写しにしたりぎょろっとした眼をアップにしたり、けっこう怖い
作品であった。マラソンのアベベが有名になり、学校で色黒で顔の長い生徒は
あだ名が「アベベ」と呼ばれた。
翌年から始まる「ウルトラQ」や「ウルトラマン」のことはまだ知らなかったが、
この頃の日本はオリンピックで「世界の日本」の仲間入りをし、世の中全体が
活気にあふれ希望に燃えていたように思う。明るい未来への展望があった。

167:どこの誰かは知らないけれど
15/06/11 05:38:22.25 ItBU7TKg.net
>>147
腸捻転解消と云えばライダーとアップダウンクイズだったな
当時名古屋在住だったのでその2つがいきなり大人の事情wで名古屋テレビからCBCに変わって
子供心に「え?」って戸惑った記憶
>>148
小泉博さんは
テレビだと「クイズグランプリ」 「金メダルへのターン」のイメージがある
放送当時も特撮ファン以外の視聴者には人気クイズ番組司会者としての知名度の方が高かったかも
金メダル~はフジテレビと東宝制作だったから終了後そのまま同局のクイズ~司会者にスライドした印象もある

168:どこの誰かは知らないけれど
15/06/11 15:24:17.96 bX8o2HxE.net
>>143
当時は8時だヨ全員集合が裏番組だった。
(荒井注がいた頃で加藤茶がちょっとだけよをやってた)

169:どこの誰かは知らないけれど
15/06/11 16:39:23.98 99wyjVVM.net
>>167
その腸捻転の際だったか、私の地域ではアップダウンクイズが新番組として始まったのですが、いきなり第600回と謳っていてビックリしたのを覚えています。
番組開始は昭和38年なんですね。

170:どこの誰かは知らないけれど
15/06/12 12:46:52.42 W/C4xnJ6.net
>>167
 「金メダルへのターン」ありましたね。たしかオリンピックを目指しての
水泳ものでしたっけ。1970年の放送。飛び魚ターンとかいう空中をジャンプ
して相手を追い越すという荒唐無稽な、柔道一直線ばりの必殺技が登場して
ました。ゆえに特撮ヂャンルにも入れられてる作品。小泉さんはレギュラー
なんですね。主題歌「プールに賭ける青春」が最初別の人で、途中から
アニソンの女王堀江美都子に変わった。この歌はよくカラオケで歌う歌です。
この当時はスコポンものが流行った時代かな。

171:どこの誰かは知らないけれど
15/06/13 09:58:30.58 049y3nCZ.net
1970年。昭和45年だね。この年は大阪で万国博覧会が開催された。今思えば、
この頃が戦後日本の絶頂期だった。万博は修学旅行で観に行った。岡本太郎
(パイラ星人デザインの芸術家ね)制作の太陽の塔が中央にそびえてた。
会場内はもう夢の世界。未来感覚あふれる展示が多かった。人気のアメリカ館
の月の石は見ることができず。すごい多くの人が来てたな~
この年に公開された映画は「ガメラ対大魔獣ジャイガー」「トラ・トラ・トラ!」
など。ジャイガーは観に行ったが、なかなか面白い作品であった。途中でガメラ
が血を吸われてピンチになるところがハラハラ。映画の中に万博の会場が登場し、
もう少しでジャイガーに壊されそうになるのらが破壊はされなかった。ホッ。
テレビでは「柔道一直線」、アニメでは「あしたのジョー」「キックの鬼」など
スポーツものが多かった。柔道一直線では二段投げ、地獄車などどうやったら
あんな技ができるんだというようなスーパー必殺技を特撮で見事に描いた。出演
の吉沢京子ちゃんは可愛かった。外国作品では「謎の円盤UFO」が放送。登場
メカがカッコよく、とくにスカイダイバーは好きでプラモも買った。
東京オリンピックから万博までは、本当に世の中が活気にあふれ明るい未来の
展望が描かれていた日本であった。

172:どこの誰かは知らないけれど
15/06/14 01:02:16.52 JCu+3pyE.net
ちょっと訂正。「柔道一直線」は1969年6月から1971年4月までの放送。
2年近く放送された人気作品。大ブームとなったスポ根ドラマの端緒と
なったドラマであり、アクションシーンの特殊効果は後に一部の同じ
スタッフで制作される「仮面ライダー」のアクションにつながることと
なる。直也の戦う時のポーズはライダーに同様のポーズがよく出てくる。
近藤正臣がピアノの鍵盤の上に跳びあがって足で「ねこふんじゃった」を
演奏した場面は有名であった。
原作版とTV版でイメーヂが違ってるのは車周作。TVでは高松英郎さんが
演じ、えらくごっつい感じになっている。この作品を観て柔道の道を選んだ
柔道家はけっこう多いと聞く。個人的には最初の方で腹面をかぶった外人
柔道家が「ニッポンジュウドウ、ヨワ~イ! サア、カカッテコ~イ!
ライナーナゲヲ ウケテミロ~」というヘンな抑揚のセリフが印象深い。

173:どこの誰かは知らないけれど
15/06/14 12:27:10.31 JCu+3pyE.net
昭和41年公開の特撮映画で、東映制作のものがあった。
12月公開の「怪竜大決戦」と「黄金バット」である。怪竜大決戦は、当時の
怪獣ブームに乗じて東映が制作した怪獣が出てくる映画であるが、時代劇で
あった。当時、小生は怪獣大決戦と題名を間違えて観に行った。
若き日の松方弘樹氏が主人公児雷也を、そして敵役の大蛇丸には東映時代劇の
大御所、大友柳太朗さん。この大友さんが実に憎たらしい演技で凄みがあった。
最高の悪役。ヒロインの小川知子さんが美しい。
ラストで児雷也は大蟇に、大蛇丸は怪竜に変化して城の横で戦うのだが、この
場面の特撮が実に素晴らしい。瓦の1枚1枚まで丁寧に作られ、壊れ方が実に
リアル。主君の仇を討つラストは感動的な場面。主題歌も実にいい。
この大蟇は、翌年の仮面の忍者赤影に流用された。
もう一本の「黄金バット」はアニメではなく実写。実写のバットはちとコワイ。
主題歌や音楽は翌年のアニメ版と同じ。バットを呼び出す美少女は高見エミリー
さん。可愛かった。ふくろう男のようなナゾーがちょっと笑える。ナゾータワー
はアニメ版のデザインとは違ってトゲトゲがいっぱい付いた灯台みたいな形。
なかなかマニヤックな2本立てであったが、実に面白い作品であった。
この年東映は海外との合作で「海底大戦争」という作品も公開しているが、こっち
は未見である。

174:どこの誰かは知らないけれど
15/06/14 20:05:52.31 8MazFGCE.net
その3作品とも大好き。
当時、「東宝作品以外は二流」という偏見が子供心にあって、半分バカにして観てた。
ところが、面白かったんだなこれが!
「快竜大決戦」は東映お得意の時代劇ファンタジー、大友柳太朗もよかったが、
個人的には天津 敏さんの演じる結城大乗のばか殿様が大好きです。
片手に杯もう片方に女の子を抱いて「飲めや!唄え!」と、
絵に書いたような成金のキャバレー豪遊的な表現がおかしかったし、
最期の両手を合わせて命乞いポーズの情けなさも妙に魅力的でした。
こんな愛すべき悪役は今はいないなあ。
「黄金バット」モノクロだったけど、ケレンミたっぷりで、やたらかっこよかった。
後にテレビでカラーアニメ化されたけど、こちらはがっかりだった。
昭和初期か大正ロマンのカツドウヤの心意気みたいなものを感じさせる作品。
「海底大戦争」これは…まだ子供だった私にとって、
(女性の改造シーンで)エロチシズムを生まれて初めて感じさせる映画でした。
その後の東宝の「緯度0大作戦」に似たシーンがあったが、こちらは真面目人間の
本多監督だったので、エロはあまり感じなかった…


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