06/07/02 11:28:40 GkjKhxFU.net
>>219
1999年に白夜書房から発売された「マグマ大使パーフェクトブック」という本によれば、
「2クール目の終り頃に脚本家の補強をすることになって、日活の新人ライターの中から、
8人位を東急エージェンシーに集めて面接したが、田原氏の顔は今でもよく覚えている」
と、鷺巣富雄社長は述べています。
でも、その時に採用された石堂淑朗は、松竹の脚本家だったと思うのですが…?
多少の記憶違いはあるにしても、この件に東急エージェンシーが深く関わっていたのは、間違い無いと思われます。
フリーの構成作家だった頃なら、そういう方面との繋りがあっても不思議ではないですし。
他にも、この本には鷺巣社長と土屋啓之助カントクの対談が載っていて「山浦弘靖は、国際放映の人でしたね」という、
土屋氏の発言にも興味深いものがあります。
ひょっとすると新東宝出身の土屋氏が、国際放映の脚本家であった山浦氏を『マグマ大使』に誘ったのでしょうか?