24/10/26 01:55:28.48 K3ojayyQ.net
今回はネタバレ含みます。注意⚠
まず、ラストシーンの前に、そもそも大日本人は何をテーマとしている映画なのかについて考察したいと思います。
その前の大前提として、映画にテーマが必要なのかどうかと言う話もありますが、松本自体が、菅の映画祭に大変興味を持っていたところから、察するに、テーマ性は問われると考えられます。
35:小日本人
24/10/26 01:59:20.19 K3ojayyQ.net
今回はネタバレ含みます。注意⚠
前回はネタバレ含みますと、書きながらネタバレとは全く関係ないところで終わってしまいまして失礼しました。
今回こそ、ネタバレ含みます!
映画のテーマについてなのですが、大日本人を見た限り言えるテーマとして
最も大きなものは
◯日本の文化の継承とその現代社会による軽視
になります。
もう一つは、
◯日本の外敵に対する防衛に関する意識
かと思われます。
2つ目のテーマに関しては、正直あまり強調されていないため、むしろぐだぐだラストシーンでテーマにしたかったのかなあとこちらから察して書いておきます。
36:小日本人
24/10/26 02:02:19.05 K3ojayyQ.net
今回はネタバレ含みます。注意⚠
すいません。映画に関するテーマもう一つありました。
◯政治のエンターテイメント化
です。
この3つ目のテーマに関しては、SNSがまだ発展していないのに、ある種先見の目があったと驚いています。Amazon Prime大ヒットドラマのTHE BOYZを先取りしてますね。
37:小日本人
24/10/26 02:04:17.74 K3ojayyQ.net
それでは、次回は、ラストシーンがなぜ、ひどいと言えるのか、本来はどうすべきだったのかについて述べていきたいと思います。
こうご期待!
38:この子の名無しのお祝いに
24/10/26 02:09:15.86 K3ojayyQ.net
>>34
修正
菅の映画祭
→カンヌ映画祭
39:小日本人
24/10/26 02:17:32.01 K3ojayyQ.net
>>32
宇多丸のラップがひどいのと、彼の映画賞を読む必要がないと考えるのと、どういう関連性があるのか?
それは、あんなひどいラップで、自分がラッパーとしてやっていこうと、自己認識している時点で、とてもではないが、批評や批判をできる脳でははないと考えるからです。
いくら相棒のmummy-Dが非常にラップがうまいからといって素人平均以下のラップスキルと声質、リズム感では埒があきません
40:この子の名無しのお祝いに
24/10/26 02:18:32.26 K3ojayyQ.net
>>39
修正
彼の映画賞を読む必要がない
→彼の映画評を読む必要がない
41:小日本人
24/10/27 21:06:15.42 ZAl2KiAW.net
ネタバレ注意⚠
大日本人のテーマについて振り返ります
以下の3点
◯日本の文化の継承とその現代社会による軽視
◯日本の外敵に対する防衛に関する意識
◯政治のエンターテイメント化
であった
ラストシーンはもちろん、それに関連し観る人を納得させる必要がある。
さて、実際のラストシーンはどうだったか?
振り返りましょう
ネタバレ要注意!!
それは、大日本人が戦う怪獣がこれまで全て日本のものだったが、はじめて「外来種」で強く、大日本人が敵わないという展開に、アメリカから来たウルトラマンの見た目の家族が助けに来て、あっさりとても強いはずの外来種怪獣をボコボコにヤクザのように一方的に殴る蹴るして倒してしまうのです。その後、大日本人と手を握り、空に飛んでいく(飛べない大日本人を抱えて)のです。
42:小日本人
24/10/27 21:11:22.23 ZAl2KiAW.net
さて、松本人志に仮にラストシーンに意味があるのなら、
「日本の防衛は、アメリカに圧倒的に叶わないし助けてもらう対象である」
ということになるのだろうが
これは全くメッセージになってない!!
メッセージとは、作り手の考えであり主張であるからだ
それが、ここには全くないのである
43:小日本人
24/10/27 21:11:22.93 ZAl2KiAW.net
さて、松本人志に仮にラストシーンに意味があるのなら、
「日本の防衛は、アメリカに圧倒的に叶わないし助けてもらう対象である」
ということになるのだろうが
これは全くメッセージになってない!!
メッセージとは、作り手の考えであり主張であるからだ
それが、ここには全くないのである
44:小日本人
24/10/27 21:13:41.25 ZAl2KiAW.net
失礼しました!
興奮して二回書き込みました!
批判ばかりしていては無責任な映画評論家になってしまいますので、次回は、それなら松本人志はラストシーンをどうすべきだったのかについて述べていきたいと思います。
45:この子の名無しのお祝いに
24/10/28 11:33:36.64 kVd7RTc9.net
うーん、大日本人にはそういういかにも映画通が解釈しそうな政治的風刺的なメッセージはあるように見せかけて実は無いと思うんだけどな
松本人志の考えるネタはそれまで大体、不謹慎、失礼、不遜、ヘタレな事を笑いに昇華してきたものだと思うので
それで俺は>>23と解釈した
46:この子の名無しのお祝いに
24/10/28 18:01:44.13 ApY2uXRF.net
>>45
さん
書き込みありがとうございます
大日本人の監督、松本の真意は正直私には図りかねます
ただ、松本人志の代表作 トカゲのおっさん は、
◯トカゲ男の一般社会での生きづらさ
◯トカゲ男に接する人間の醜さと美しさ
と言う、松本が意図したかどうかは分かりませんが、明確なテーマを感じました
また、映画 というものを考えた際に、
テーマ性はどうしても不可欠なものではないかと思います
まぁ物理的には動画であれば全て映画になり得る事はなり得るのでしょうけど
47:小日本人
24/10/28 23:26:47.77 ApY2uXRF.net
ラストシーンを撮るに当たって、松本人志は共同脚本の高須ともっとディスカッションすべきだった
高須が、このスレで上記に書いたことを松本に言うべきだった
すなわち、松本は何を主張したいのかを聞き、それを繰り返し繰り返し松本に伝えるべきだっただっ。
作品を作るときに、慣れてない人は、自分のテーマと離れたことをちょいちょいちょいちょいやってしまう
だから、そばにいる人は、そのテーマを何度も何度も当事者に思い出させる必要があるのだ
48:小日本人
24/10/28 23:32:49.56 ApY2uXRF.net
ネタバレ注意⚠
大日本人のテーマが、以下の3点であればそれぞれを想起させるラストシーンを作る必要があります。
◯日本の文化の継承とその現代社会による軽視
◯日本の外敵に対する防衛に関する意識
◯政治のエンターテイメント化
例えば、1番上
◯日本の文化の継承とその現代社会による軽視
を問題視していると言う主張ならば、
戦闘能力は低かろうと、あるいは戦闘がまずかろうととにかく格好をつける形にすべきでしょう
例えば、アメリカ軍(それがウルトラマンである必然性があるのかの議論は一旦置いておく)に、裏でコソコソ自分を引き立てるように振る舞ってくれとお願いすると言う話にする
これならば、天皇の戦争責任も想起できるだろう
49:小日本人
24/10/29 12:22:16.24 onN0g0a+.net
上の補足です
ネタバレ注意⚠
>>48
の、ストーリー例は
◯日本の文化の継承とその現代社会による軽視
を肯定的に捉えた場合
すなわち、◎日本の文化継承の弊害 をテーマにした場合です
こちらの場合は、上のように裏でアメリカに引き立ててもらうと言うような展開
か
大日本人にあえて最後まで戦わせて、日本が壊滅的なダメージを負うような展開
が良いでしょう
つまり、非近代的であることの愚かさ
象徴を奉ることを最優先し、民を軽んじることの愚かさ
を
観客に伝えることが望まれます
50:大日本人
24/10/29 12:28:34.91 onN0g0a+.net
上の補足です
そして、そのシーンの間、大日本人である松本人志の感情、特に感情の変化を描くことが必要になるでしょう
これはいわゆる文学性と呼ばれるものを産む最も重要な要素で皆さんが学生時代、現代国語の試験問題の1番最後に必ず、物語の主人公の心情の変化はどうなりましたか?と問われたことからもお分かりでしょう(残念ながら、文科省の指導要領が悪くて、現場の先生方にそれが圧倒的に1番大事だという意識が非常に希薄ですが)
大日本人のラストシーンを見る限り、感情の変化を描くと言う描写はありません
「あれ?自分はこれでいいのかな?」と大日本人の松本人志は戸惑いの表情をしてはいますが、あれをもうちょっとはっきりと打ち出す必要があります
51:大日本人
24/10/29 23:18:15.34 onN0g0a+.net
今回は、先に述べました文学性と絡めての松本人志論とコント論を述べたいと思います。
文学性に最も必要なものは、登場人物の心情とその変化です。
例えば、松本人志の代表作、トカゲのおっさんを例に挙げましょう。
トカゲのおっさんを彼の心情面から考えた場合、彼はいつも、
「人間には、気づかれていない自我があるが、その自我を殺して、人間から与えられるレッテル通りに行動することで楽に生きようとする自分へのとまどい」
が、あります。
松本のトカゲのおっさんが絶賛されたのは、コントのキャラクターに、上記「」内のような、かなり突っ込んだ心情描写をさせたからです。
当時のコントキャラクターには、基本的に心理描写はありませんでした。高校生が出てくれば、いかにも高校生、お母さんが出てくれば、いかにもお母さん。
ダウンタウンのコントは、トカゲのおっさん以外も、お母さんでも、実はお母さんらしくない男に関心のあるお母さんで後ろめたさがあるとか、先に書いたようなトカゲのおっさん的なアプローチをしております。
これはその当時は非常に画期的なことでした。
ただ、トカゲのおっさんに関してもそうなのですが、心情の変化と言う変化の部分への描写がなかったのです。
つまり、松本人志が、文学性と言うものを理解していなかったのです。
同じ今年であった又吉が火花と言う小説を書きましたが、その小説内では、登場人物の心情の変化がクライマックスとしてしっかり出てきます。
私は読んだ際、又吉は本当に純文学勉強してるんだなぁと思った記憶があります。
52:この子の名無しのお祝いに
24/10/29 23:19:53.00 onN0g0a+.net
>>51
訂正
同じ今年→同じコント師
53:23
24/10/30 05:46:21.77 cA2MN1WF.net
トカゲのおっさんのコント自体や心情の変化を描いたら面白いのかどうかは置いといて、その文学性という観点でこの映画の評論を語ってる人が僕の調べた限り他に誰もいなくて面白かったです
大体、この映画を語る人は北朝鮮がどうたらアメリカがどうたら誰でも思い付くような事ばかり語って解ったような雰囲気出してうんざりしていたので
54:
25/01/01 07:13:51.47 K6SoOwU6.net
>>2
アルファラジュのおっさん(笑)は単純労働には結局使えないし その上テクノロジーの利用にも
追いついて行けない人が多いのに増える一方で社会の重石でしかないwwwwwwwww
それでも生活を楽にしろと弱者男性と一緒に叫び続けるものだけど
楽にするには治安は犠牲にしてでも外国人労働者を広く受け入れて
かなりの労働を担ってもらうしかない
が そんなことをするくらいなら国が滅んでもいいと言うのもこの層で
結局自分に都合が良くなくてイヤイヤと駄々をこねる爺こど婆こど=アルファラジュのおっさん(笑)
なんだよね♥wwwwwwwwww