【 戦場のメリークリスマス 】  大島渚監督作品総合  【 愛のコリーダ 】at RMOVIE
【 戦場のメリークリスマス 】  大島渚監督作品総合  【 愛のコリーダ 】 - 暇つぶし2ch112:この子の名無しのお祝いに
23/04/11 16:26:09.20 Yl/eYB34.net
前に懐かし邦画板にあった大島渚スレッドでも書いた記憶があるけど、それを繰り返す。
『戦メリ』では、大島の「視点」がどこにあるのか不明なのが不満だった。
『儀式』や『白昼の通り魔』を見てもわかるように、大島は、戦後民主主義の理想を信じながらもそれが実現不可能な幻影に過ぎない事に焦りを抱いていたし、
そして、「焦りを抱かずにいる能天気な馬鹿」に怒る一方で、
戦後民主主義を明確に否定する者(=三島由紀夫)のストレートな姿勢に憧れを抱くという矛盾の中で生きてきた。
『儀式』の主人公(河原崎健三)の終始煮え切らない態度は、大島自身が抱えていたそういう矛盾の投影だ。
そして主人公は、テルミチこそがその矛盾を解決してくれるかもしれないという期待を持っていた。
だから、テルミチ死すの電報にあれほど慌てたんだ。
ところが、『戦メリ』では、ヨノイの死に誰も慌てない。
ただ悲しむだけだ。
ヨノイの死がどういう意味を持っているのかを、誰も考えようとしない。
(観客に考えさせようとしているようにも見えない)
何故誰も考えようとしないのかと言ったら、「あの映画の中に大島自身が存在しない」からだ。
ヨノイはもちろん大島ではない。ハラでもない。
唯一「大島らしかった」のはジョニー大倉が演じた朝鮮人軍属だけど、彼は脇役に過ぎない。
大島の「視点」は、どこにあったんだ?


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