23/08/28 13:56:18.04 .net
ウイルスは生物非生物と分類困難
物理としては差異であり否定関係では無い
宇宙非宇宙?
ワインバークは三十年ほど前に宇宙の始まりまであと僅かに迫っていると語ったが、今でもそのグループは達成していない
科学者は死がいつからと指示特定するのは困難だと語る
ブリゴジン学派の若き研究者の時間理解が面白いが、紹介したホーガンはやれやれと呆れていて否定的だった
宇宙非宇宙という規定はウイルス分類を思いだす
さて、此処からは存在するのだろうか?
そして此処までは?
認識とはを科学者は問うべき段階だとわたしは主張する
ビッグバン仮説は認識=自然という素朴認識論の系譜の一つではないかと
87:Nanashi_et_al.
23/08/28 20:41:26.74 .net
科学の基本から見直したいということ
目の前の自然は認識器官の在り方に結ぶ像でありそのままの自然では無いというのがわたしの理解
見たものがそのままの自然ではないことを科学は地動説を端緒に繰り返し示してきた
地動説は立場の相対化
光速度一定の原理、量子力学、観測問題、不確定性原理は認識の在り方の基本を示す
ビッグバン仮説は認識の在り方を示し続けた科学の歴史の否定
88:Nanashi_et_al.
23/08/29 08:31:13.86 .net
ビッグバン仮説は確実な証拠は皆無
わたしは自然は無矛盾で理解可能だと主張する
ビッグバン仮説 科学
前提 宇宙非宇宙 光速度 絶対座標無し 無矛盾
生滅 有 無
終始 有 光速度で終始否定
粒子 有 終始無し→無
次元 有 光速度→ 無
自然は運動するエネルギーの濃淡が親和反発して新たな物理状態を生成していく過程という理解
進化論はこの自然観が裏付ける
物理としては何も生まれない無くならない
宇宙は誕生しないし無くならない
ただ在るだけ
89:Nanashi_et_al.
23/08/30 09:13:03.88 .net
自然科学は対象が無矛盾であることをすでに証明しているというのが私の理解
静止、生死、無、終始は自然には実在しない
静止、生死、無、終始・・・すべて同じなんだけど w
90:Nanashi_et_al.
23/09/01 04:43:38.91 .net
三十万+三十万=三十万
三十万-三十万=三十万
絶対座標の実在は否定される
これで自然は無矛盾、つまり自然科学は成立することが証明される
理論は仮構の下で展開されるということ
これらが何を意味するかを科学者は考察すべきだろう
出発点、終始、無は実在しない
論理もまた
規定は否定、つまり対象には実在しない
地動説はそれを示した端緒
分類は人間の側であり自然には存在しない
ウイルスは生物非生物と分類困難
自然には関係がない
生死、終始は何処からと特定できない
自然には実在しないから
論理は自然の在り方からの抽象ではあるが論理は自然には存在しない
光速度一定の原理が語ることは極めて豊穣です
91:Nanashi_et_al.
23/09/01 05:10:42.57 .net
ブルトマンはわたしの信仰と学問は関係が無いとした
三浦つとむは共産主義を否定する基となった自分の論文から導いた
滝村隆一の結果を受け入れられなかった
ヒルベルトはゲーデルの結果をとにもかくにも受け入れた
結論を出したブルトマン、導いた三浦つとむ
思想と信仰と何処が変わりがないのかと
田川健三は神無きキリスト教徒と名乗った
物理学の結論は西洋の学者辺りは受け入れるかなと
イギリスの学者たちとかは読んでいると可能性がある気がする
・・・宗教関係、一神教は峻拒するだろうなあ
ルターの地動説への憎悪、キリスト教徒の進化論への嫌悪
イスラム教徒の日本、アメリカ、いや世界での行状
アメリカで著者を刺し、日本では翻訳者を殺害
第二のコペルニクスもまた死後に発表することをお薦めする
92:Nanashi_et_al.
23/09/01 06:08:41.73 .net
建三でした
校正がいい加減だからなあ
全集で欲しい人かな
滝村さんもかな
板倉さんは多いから選集で
三浦さんは選集がでていますが重要論文が無くて
ただ思想関係は微妙
言語学の冒頭はヘーゲルの理解が展開され、ああこりゃ俺には無理だと諦めさせてくれました
励みになったのは真理はとても単純だという指摘でした
素人にも卓見があり、学者は耳を傾けるべきものもあるからと注意を促していました
ファイアアーベントも似たことを述べていました
で、いろいろ考えてきたわけです
吉本さんのは最初のはともかく親鸞論辺りからついていけなくなり、反核異論あたりでは違和感ありまくりで
その後の全集は図書館で当たることもある程度です
いや時代の流れはいろいろ淘汰します
板倉さんは石の中にも宝石が有る著書もあると書いていました
ある人の指摘で啓蒙され原著を読んで・・・
いたって指摘した人の慧眼に感服したと書いたのは板倉さんだったかな
個人的にはいろいろ啓蒙してくれた学者さんでした
「新哲学入門」では論理の性格の指摘が参考になりました
スピノザの規定は否定の理解に繋がり有り難かった
大学者ではありますが、三浦さん同様相対化される、いや学者はたいていそうですね w
93:Nanashi_et_al.
23/09/01 06:11:24.37 .net
人の世は夢 ですか
なんか身に沁みます
歳なんですね
94:Nanashi_et_al.
23/09/01 06:11:24.63 .net
人の世は夢 ですか
なんか身に沁みます
歳なんですね
95:Nanashi_et_al.
23/09/01 06:14:13.75 .net
宇宙の始まりとしてのビッグバンはないですよ
誰だったかな、宇宙の片隅で起きたのがビッグバンかもと書いた人がいました
ボスロウだったかな
これじゃないかと
宇宙は無限です
96:Nanashi_et_al.
23/09/01 08:50:59.52 .net
共同幻想論は吉本氏の難解な書物でした
これに文化人類学の山口氏が噛みつきました
新約聖書学の田川さんがやはり理解出来なくて後年あることを前提としていると気が付き否定的な評を展開していました
読解力がある学者がわからなかったんだからと当時納得したものです
数学である概念が理解できず数学者も解決していないということを匂わせていました
それで物理学を読んでいたら重力が理解出来ず理系をドロップアウト
考えてみるとそこから右往左往したんですね
けっきょく、究極的には前提として受け容れるのが学問なのだと
有を無で規定するからということに気がついたのは少し前の事だったりします w
97:Nanashi_et_al.
23/09/01 21:23:04.98 .net
いろいろ科学の結論と認識とはズレがある
何も生まれない無くならない→生死という認識
運動は普遍→静止という認識
終始、無は存在しないが終始、無という認識
不確定性原理は有を無でということから
三十万+三十万
三十万-三十万
答は同じ
これで対象が無矛盾となる
これが何を語るのか
認識の相対化の終点かと
98:Nanashi_et_al.
23/09/01 21:29:18.23 .net
そして現代科学の事象理解も相対化されていくわけです
天動説の理解が相対化されたように
見た限りでは天動説は真実
それが太陽中心で規定し直される
最終的には規定そのものが相対化される
99:Nanashi_et_al.
23/09/02 05:47:25.51 .net
物理として終始は無い
ワインバークグループは未だ宇宙の始まりに到達できず、科学者は死の時点を特定できない
何故か
それは物理として終始が無いから
エネルギー保存則、絶対座標が存在しないことが何を意味するのかを現代科学は理解していない
物理として生滅は無い、終始は無いということを現代科学が理解するのはいつなんだろう
100:Nanashi_et_al.
23/09/03 05:44:53.48 .net
速度は相対値です
光速度一定の原理が示すことです
30+30=30
30-30=30
絶対座標の否定→自然が無矛盾であると証明される
静止が実在しないということは自然の存在形態が運動ということを導く
絶対座標、つまり始まりは実在しない、つまりビッグバンもまた
101:Nanashi_et_al.
23/09/09 11:51:00.17 .net
論理が相対化され、対象である自然が無矛盾、つまり理解可能だと示される
理解の相対化を絶対にしたのが光速度一定の原理なのかなと思い始めています
102:Nanashi_et_al.
23/09/09 11:52:38.44 .net
対象に宇宙非宇宙は実在しない
宇宙非宇宙で規定する
有を無で、の言い換えです
103:Nanashi_et_al.
23/09/09 12:03:05.67 .net
カントは偉大でしたがヘーゲルに相対化されました
それをマルクスが相対化して、また彼の思想も相対化された
三浦さんも板倉さんもまた
相対化するだけの価値が有ったということですか
人類が滅びればまた w
自然はただただ運動変化しているだけです
或る意味全ては幻、幻自体が現実ともいえるのかと
全ては幻説にも根拠はいちおう在りますね
賛同はしませんが
ああ、静止で認識するから静止は実在するとする理解と同じ係累なのかも
104:Nanashi_et_al.
23/09/09 12:07:02.36 .net
わたしは納得出来る自然理解から人間とはを考えたいだけです
納得できればなんでも
・・・まあ結論は人間には苛酷なそれになりますが
105:Nanashi_et_al.
23/09/09 12:09:44.58 .net
第二のコペルニクスもまた死後に発表することをお薦めします
とてもヤバいし大部分の人間には受け容れ難い結論になるでしょう
106:Nanashi_et_al.
23/09/09 12:21:45.33 .net
人間の感覚器官に結ぶ像の相対化の歴史が自然科学の一側面です
認識の相対化ということです
さてどう生きるべきだったのか
これからの人たちはどう生きるべきか
わたしはゼノンに拘ってしまいました
それでもそれなりの結論を得て満足しています
こういうことに拘り廃人みたいになった人がいると哲学スレで警告した人がいました
三浦つとむ、板倉、山川諸氏の学はわたしなりの理解にとても役に立ちました
これが無かったら自身も廃人と自覚して一生を終えていたでしょう
現代日本の学に感謝します
欧米に居たら自分なりの結論は得られなかったでしょう
先駆的なアルヴェーン、進化は万能であるの著者、タレブでも認識論では現代日本の学には及ばない