自己言及としての自然科学 ~自然過程説の展開~at RIKEI
自己言及としての自然科学 ~自然過程説の展開~ - 暇つぶし2ch50:Nanashi_et_al.
23/07/22 21:17:48.91 .net
物理として生滅はありません
自然科学は自然認識であり自己言及です
有を無で規定します
規定は否定ということです

51:偽パルメニデス ◆/Pbzx9FKd2
23/07/23 08:50:07.68.net
四次元は一である自然を多で規定するから必要なんですね
基本を忘れるんですよねえ・・・
反省しきりです

52:Nanashi_et_al.
23/07/25 20:07:26.68.net
光速度一定の原理で全てを導けますね
自然、認識の在り方・・・

53:Nanashi_et_al.
23/07/25 20:07:46.95.net
光速度一定の原理で全てを導けますね
自然、認識の在り方・・・

54:偽パルメニデス ◆/Pbzx9FKd2
23/07/28 06:01:30.47.net
構成に苦労しています
科学と認識
認識もまた相対化しなければならない
観たものがそのままの自然なら科学は要らない
これは本質なんですね
諸生物の諸感覚器官に結ぶ像は物理条件に生成されて差異がある
自然に無いものが認識器官に像を結ぶ
在るものが像を結ばない
認識の在り方は考えられなければならないということかと

55:Nanashi_et_al.
23/07/29 21:53:47.45.net
光速度一定の原理が基礎ですね
直接間接、すべて導けます
ただすっきりとは展開できない
悩んでいます

56:Nanashi_et_al.
23/07/30 05:25:30.65 .net
パルメニデスに還るべきですね
一をその否定の多で規定するということです

飛ぶ矢の逆説は大きさの無い点が実在したら運動は不可能だと理解します
岩波文庫でのパルメニデス哲学の解説が合点がいかない

それはともかく自然は一です
それを多で規定するから次元が必要なのです

無限は有限で規定され、その有限は無限で規定されます

57:Nanashi_et_al.
23/07/30 05:39:58.01 .net
ワインバークは宇宙の始まりまであと僅かにまで迫っていると1990年代のムック本だったかにありました
物理として生死は存在しません
宇宙もまた
宇宙に終始はありません
無限は有限で規定しますから
静止で運動を規定します

終始は存在しません
このことはいろいろ参考になるかと

58:Nanashi_et_al.
23/07/30 05:52:52.44 .net
理数系はすこしでも認識論を考察すべきです
科学は認識の相対化の歴史でもあります

59:Nanashi_et_al.
23/08/04 23:49:10.38 .net
パルメニデス的に言えば四次元もまた一を多で、ということです

60:Nanashi_et_al.
23/08/08 04:30:25.48 .net
結論だけ書いておきます
自然は運動するエネルギーの濃淡で、その親和反撥の過程として総てがあります
わたしたちもまたそのような存在です
自然は無限であり〈一〉です
力も最小単位もありません
次元も在りません

認識器官は物理状態であり、その在り方に自然は像を結びます
ですからその在り方を理解する必要があります
光速度一定の原理は静止で運動を規定し、静止は存在しないことを示します
規定は否定です
有は無で規定されます
決定不能の所以です
不確定性原理の所以です
0に限りなく近いが0ではないという定義の所以です
一は多でということです

規定は存在しないことをもって無矛盾だと示される
規定することが様々なアポリアとなるわけです

自然に理論はありません
自然はただ在るだけです

人間も地球も、目の前のものと変わりはありません
運藤変化の過程で生成され、運動変化の過程で違うぶつり状態に生成されていくだけです

宇宙は運動変化の過程として在るだけです
無限は有限で規定されますが、有限は認識器官に現象する像です

極めて単純、極めて豊穣、ということです

61:Nanashi_et_al.
23/08/08 04:40:19.67 .net
生きることは一期一会ということでしょうか
それを空しいとするか、だから良いものにしようとするのかはその人の考え次第ということかも知れません

人間は何処から来て何処に行くのか
此処に居て此処に、ということでしょう

人間喜劇、あるいは悲劇

わたしはというと、ますむらひろしの漫画に〈傍観者〉というのが出てきますが、そんな感じでしょうか

いえ、いろいろな条件が重なり主人公にはたりえませんでしたが
それでも自分なりの自然観、学問観、人間観を獲得できて満足です
わたしにはそれしか出来なかったんですが、また出来たことに驚いています
或る意味不幸を呪いますが、或る意味そうでないとここまでできなかったのですから

62:Nanashi_et_al.
23/08/08 06:31:28.08 .net
わたし自身は学問としてのマルクスは基本的に正しいのではないかと考えています
しかし思想としては結論は出ていると理解しています
「コンドルは飛んでいく」という歌の中で人は大地に縛られるとあります
「イマジン」はその束縛から逃れたいという願望でしょうか
残念ながら楽園は実現しないでしょう

マルクスは進化論が意味することを当時の学の状況では仕方ないことですが、本質としては理解しなかったということでしょう
何故この物理条件にこの物理はこうなるのかは究極としては解らない

マドレーの学問は基本としてボトムアップでトップダウンではないのだという指摘は大切です
計画経済は本質として成立しないということです

63:Nanashi_et_al.
23/08/11 05:32:55.26 .net
一を多で、規定は否定

64:Nanashi_et_al.
23/08/13 19:10:51.38 .net
ぃろいろ書いています

スレリンク(galileo板)

65:偽パルメニデス ◆/Pbzx9FKd2
23/08/15 05:54:21.33 .net
地動説で一番重要なことは観たものがそのままの自然ではないということではないかと
周りが膨張していることは宇宙も膨張しているという理解は天動説的ではないかと
静止、生死、無は認識には在りますが、自然には在りません

66:Nanashi_et_al.
23/08/19 05:28:55.33 .net
十九世紀の思想家が、静止は運動の一形態だと指摘している
これはわたしには衝撃だった

いろいろ考えてきたが、認識器官に結ぶ多としての自然は一なのだということと結論した

つまり一としては在るが濃淡である自然は認識器官の在り方から多として像を結ぶということ

地動説の語るかなり重要なことは見たものがそのままの自然では無いということではないか

わたしには自然科学の本質は認識の相対化に映る

67:Nanashi_et_al.
23/08/19 05:42:17.07 .net
一は多となり、多は一となり、は古代中国だったかな
ググったが出てこなかった

やはり古代ギリシャかな

それはともかくこの言葉はいろいろ面白く、検討に値するかと

68:Nanashi_et_al.
23/08/19 06:07:16.01 .net
現代科学の在り方は絶対ですか?
完成形ですか?
観測対象の理解は未来永劫変わらないですか?

現代科学の在り方もまた相対化される可能性はありませんか?

天動説を主張する天文学者の観測結果は地動説で読み替えられました

日本の学徒たちに現代は科学革命を切り拓くこれ以上無いチャンスなのではと思えます

いや、科学革命を日本人にやって欲しいのです

宗教、数学はドイツ人がケリをつけました
共産主義は日本人がケリをつき、そして次は科学を日本人がケリをと願うものです

69:Nanashi_et_al.
23/08/19 06:42:41.09 .net
半世紀以上に及ぶ格闘は自身の寿命で終わりを告げそうです

満足しなきゃいけませんが、やはり若干不満は残ります
でも出来過ぎとも言えますからやはり満足しなきゃいけませんね

ゼノンから出発して数学、物理は???となりました w
現代の学問の在り方を相対化できていればペンディングして、取り合えずという形で学べたのかな

いろいろ問題が浮き彫りになりますが

因みに母は後二、三年かなと語りましたが、生きる糧が生じ結局十八年後に亡くなりました
わたしは多分・・・

70:Nanashi_et_al.
23/08/19 06:43:02.35 .net
半世紀以上に及ぶ格闘は自身の寿命で終わりを告げそうです

満足しなきゃいけませんが、やはり若干不満は残ります
でも出来過ぎとも言えますからやはり満足しなきゃいけませんね

ゼノンから出発して数学、物理は???となりました w
現代の学問の在り方を相対化できていればペンディングして、取り合えずという形で学べたのかな

いろいろ問題が浮き彫りになりますが

因みに母は後二、三年かなと語りましたが、生きる糧が生じ結局十八年後に亡くなりました
わたしは多分・・・

71:Nanashi_et_al.
23/08/19 06:53:06.05 .net
うまく纏められないなあ

でも科学革命があることは疑っていません

72:Nanashi_et_al.
23/08/19 07:09:27.95 .net
座標原点という基準を設定して規定します
個別理論は終始の相対性を理解しなければなりません
始まりは無いのです、終わりはないのです

座標原点は無い、規定自身を否定して無矛盾ということに
生物非生物という分類も相対化されます

認識を理解することは必須だと

73:Nanashi_et_al.
23/08/19 12:48:02.78 .net
ビッグバン仮説は観たものがそのままの自然という天動説だろう
静止、生死、無があるというのは科学の否定

認識に必要だが自然には存在しない
自己言及は自己を他、つまり否定で規定するということ
科学は自己言及であり対象である自然にその否定は存在しない
対象の否定が対象に存在したら否定ではなくなるし
自然を非自然で規定する

認識器官に結ぶ像は一をその在り方から多として結ぶということ
此処からが存在しないということは此処までも存在しない
終始は存在しないが終始で規定する
つまり一を多で規定する

自然科学は自然認識
認識の在り方を絞殺する必要がある

74:偽パルメニデス ◆/Pbzx9FKd2
23/08/19 23:48:11.30 .net
自然は一であり、それを多で、つまり否定で規定する
次元は多で一を規定するということ
現在しか無い
運動を静止で規定する
有を無で
0に限りなく近いが0ではないというのはそういうこと
現に在る運動は静止、無で規定される
だから四次元という多で規定する
一を多で規定する
否定は規定
運動は直接理解できないので多、運動量にしなければならない

時間は一である自然を多で規定するからであり、自然には存在しない

75:Nanashi_et_al.
23/08/20 05:25:08.70 .net
ヘーゲルは何処かで、今、此処と指示すると、今、此処は飛び去ると書いている
太宰治も「女生徒」で、今、此処は面白いと主人公に言わせている
ヘーゲルの影響下にあったのかもしれない
または偶々?

いずれにしても対象と認識の関係を如実に表していて面白い指摘だと思う

今、此処とは座標原点
板倉氏は「新哲学入門」では論理は静的だと指摘している
というか運動を静止で規定しているということ
スピノザは規定は否定とした

多分エッカーマンだと思うが、君はスピノザしか読まないのかとゲーテに言っている
いろいろ読んでなるほどスピノザは読むに値するのかもと思い始めている
チラッと読んだだけだが w

76:Nanashi_et_al.
23/08/20 05:43:16.75 .net
武谷三男氏は「嘘をついてはいけないか」とかいうエッセイで嘘をついてはいけないと教育すると他人は嘘をつかないと思う様になると書いている
ここから板倉氏は仮説実験授業を展開する

わたしも嘘をついてはいけないという教育の毒を浴びた一人
教科書には真理しか書いていないと思い込んだ

歴史を振り返れば、そんなことはないことは一目瞭然
科学者というか学者はそんなことを金科玉条にしたら知は停滞するわけで

地動説がそうであったように、科学は分岐点に差し掛かっているのだと思う

因みに金科玉条は略したらいかんと先輩に言われてぽかんとした思い出

77:偽パルメニデス ◆/Pbzx9FKd2
23/08/20 05:58:46.79 .net
わたしはあなたではないし、植物でも金属でも無いと否定で規定する
物理としては差異
ウイルス分類の困難性は物理としての差異を否定で規定するから
わたしは産まれてから現在に至るまで大きく変化しているが同一のわたしで規定している
というか同一であることは無いわけで

それは全てそう
宇宙は同一であることは無いが同一の宇宙と規定する

ミス・マープルは変われば変わるほどますます変わる
変われば変わるほどますます変わらない
両方とも真実だと語る

認識の性格を言い当てているかと

いずれにしても、認識器官に結ぶ像から出発しているわけです

78:Nanashi_et_al.
23/08/20 06:03:51.78 .net
訂正
ミス・マープルは変われば変わるほどますます変わる

→ミス・マープルは変われば変わるほどますます変わらない

79:Nanashi_et_al.
23/08/20 06:10:37.51 .net
なんどでも言いたい

自然科学は自然認識
その歴史の一面は認識の在り方の相対化

無矛盾であることは規定は自然に存在しないことで証明される

80:Nanashi_et_al.
23/08/20 08:36:04.84 .net
わたしは現代科学の理解は天動説的だと考えている

地動説の顰に倣い古代ギリシャのパルメニデスの自然観から考えなおしたい

前にも書いたが、岩波文庫のパルメニデス理解の紹介は飛ぶ矢の逆説と折り合いがつくのかなとは思うんだが、専門家ではないので

いずれにしても理系の学徒たちに、野心が有れば認識論を齧ることをお薦めします

最小単位、粒子から成るのではない、粒子に成るのだとわたしは理解します
粒子は認識器官の在り方に結ぶ波の渦の状態の像です

81:Nanashi_et_al.
23/08/22 21:59:37.82 .net
現代科学の理解をそのまま信じられないということ
対象は無矛盾
エネルギー保存則
光速度一定の原理が示す絶対座標の否定
つまり運動は自然の存在形態、終始の否定、つまり無限ということ
粒子の否定、静止で運動、否定で規定ということ
不確定性原理

この原理は自然と規定の自己言及
否定で規定→決定不能、クレタ人の逆説、矛盾

不完全性定理
規定を否定することで無矛盾は証明される
規定自身が矛盾で、その規定が存在しないことで無矛盾ということ

極めて単純、極めて豊穣

82:偽パルメニデス ◆/Pbzx9FKd2
23/08/25 07:30:41.24 .net
〈一〉である自然を〈多〉でということ

対象は〈一〉
それは以下の理由で〈多〉として像を結ぶ
濃淡の差異である物理状態に結ぶ像
認識器官そのものの特性、そして諸生物の認識器官の差異

83:Nanashi_et_al.
23/08/26 04:41:32.89 .net
新たに書き直しています

わたしの主張の概要です

地動説は見たものがそのままの自然ではないことを明らかにします
静止、生死、無は認識器官には存在しますが自然には物理として存在しません
目の前の自然は自身も含めて認識器官の在り方に結ぶ像です
認識器官に結ぶ像がそのままの自然ならば、諸生物の認識器官の数だけ自然が存在することになります
いわば自然という食材が様々な料理法により形を変えるようなものです
この物理条件、つまり認識器官には、この自然の状態はこのような像を結ぶということであり、どれが正しいということではないのです

ですからそれぞれの認識器官に結ぶ像を手掛かりに自然を理解していくのが自然科学ということになります

認識器官に結ぶ像は差異がありますが、対象である自然は同一です
認識器官に結ぶ像を相対化してきたのが自然科学だとわたしは理解します

84:Nanashi_et_al.
23/08/26 05:05:27.25 .net
自然科学は否定として規定してきたことが差異であることを示し続けてきました
地球と諸天体、人間と諸生物、金属などは物理状態の差異です
ウイルスは生物非生物と分類困難ですが、生物非生物は物理としては差異であり否定関係ではありません

規定とは否定です
わたしはあなたでも植物でも金属でも無いと規定しますが、物理としては差異であり否定関係ではありません
わたしと規定しますが、生まれてから現在に至るまで、いやこの今も運動変化して同一であることはありませんが、同一のわたしを規定します

運動は座標原点、つまり静止で規定します
生死は物理状態の遷移であり物理としては否定関係ではありません
座標原点を設定、つまり始まりを設定しますが始まりは存在しません
始まりと終わりは物理としてはありませんが終始で規定します

否定は規定です

85:Nanashi_et_al.
23/08/27 10:20:10.95 .net
地動説は自己の立場の自己言及
光速度一定の原理は認識そのものの在り方の自己言及

対他ー対自という感じかな
まだ深まるかなと

86:Nanashi_et_al.
23/08/28 13:56:18.04 .net
ウイルスは生物非生物と分類困難
物理としては差異であり否定関係では無い

宇宙非宇宙?
ワインバークは三十年ほど前に宇宙の始まりまであと僅かに迫っていると語ったが、今でもそのグループは達成していない
科学者は死がいつからと指示特定するのは困難だと語る
ブリゴジン学派の若き研究者の時間理解が面白いが、紹介したホーガンはやれやれと呆れていて否定的だった

宇宙非宇宙という規定はウイルス分類を思いだす
さて、此処からは存在するのだろうか?
そして此処までは?

認識とはを科学者は問うべき段階だとわたしは主張する

ビッグバン仮説は認識=自然という素朴認識論の系譜の一つではないかと

87:Nanashi_et_al.
23/08/28 20:41:26.74 .net
科学の基本から見直したいということ
目の前の自然は認識器官の在り方に結ぶ像でありそのままの自然では無いというのがわたしの理解
見たものがそのままの自然ではないことを科学は地動説を端緒に繰り返し示してきた

地動説は立場の相対化
光速度一定の原理、量子力学、観測問題、不確定性原理は認識の在り方の基本を示す

ビッグバン仮説は認識の在り方を示し続けた科学の歴史の否定

88:Nanashi_et_al.
23/08/29 08:31:13.86 .net
ビッグバン仮説は確実な証拠は皆無
わたしは自然は無矛盾で理解可能だと主張する

        ビッグバン仮説          科学
前提   宇宙非宇宙          光速度 絶対座標無し 無矛盾
生滅   有                無
終始   有                光速度で終始否定
粒子   有                終始無し→無
次元   有                光速度→ 無 

自然は運動するエネルギーの濃淡が親和反発して新たな物理状態を生成していく過程という理解
進化論はこの自然観が裏付ける

物理としては何も生まれない無くならない
宇宙は誕生しないし無くならない
ただ在るだけ                                                                         

89:Nanashi_et_al.
23/08/30 09:13:03.88 .net
自然科学は対象が無矛盾であることをすでに証明しているというのが私の理解
静止、生死、無、終始は自然には実在しない
静止、生死、無、終始・・・すべて同じなんだけど w

90:Nanashi_et_al.
23/09/01 04:43:38.91 .net
三十万+三十万=三十万
三十万-三十万=三十万
絶対座標の実在は否定される
これで自然は無矛盾、つまり自然科学は成立することが証明される

理論は仮構の下で展開されるということ
これらが何を意味するかを科学者は考察すべきだろう

出発点、終始、無は実在しない
論理もまた

規定は否定、つまり対象には実在しない
地動説はそれを示した端緒
分類は人間の側であり自然には存在しない
ウイルスは生物非生物と分類困難
自然には関係がない
生死、終始は何処からと特定できない
自然には実在しないから

論理は自然の在り方からの抽象ではあるが論理は自然には存在しない

光速度一定の原理が語ることは極めて豊穣です

91:Nanashi_et_al.
23/09/01 05:10:42.57 .net
ブルトマンはわたしの信仰と学問は関係が無いとした
三浦つとむは共産主義を否定する基となった自分の論文から導いた
滝村隆一の結果を受け入れられなかった
ヒルベルトはゲーデルの結果をとにもかくにも受け入れた

結論を出したブルトマン、導いた三浦つとむ
思想と信仰と何処が変わりがないのかと

田川健三は神無きキリスト教徒と名乗った

物理学の結論は西洋の学者辺りは受け入れるかなと
イギリスの学者たちとかは読んでいると可能性がある気がする

・・・宗教関係、一神教は峻拒するだろうなあ
ルターの地動説への憎悪、キリスト教徒の進化論への嫌悪
イスラム教徒の日本、アメリカ、いや世界での行状
アメリカで著者を刺し、日本では翻訳者を殺害

第二のコペルニクスもまた死後に発表することをお薦めする

92:Nanashi_et_al.
23/09/01 06:08:41.73 .net
建三でした
校正がいい加減だからなあ 
全集で欲しい人かな
滝村さんもかな
板倉さんは多いから選集で
三浦さんは選集がでていますが重要論文が無くて
ただ思想関係は微妙
言語学の冒頭はヘーゲルの理解が展開され、ああこりゃ俺には無理だと諦めさせてくれました

励みになったのは真理はとても単純だという指摘でした
素人にも卓見があり、学者は耳を傾けるべきものもあるからと注意を促していました
ファイアアーベントも似たことを述べていました

で、いろいろ考えてきたわけです

吉本さんのは最初のはともかく親鸞論辺りからついていけなくなり、反核異論あたりでは違和感ありまくりで 
その後の全集は図書館で当たることもある程度です

いや時代の流れはいろいろ淘汰します
板倉さんは石の中にも宝石が有る著書もあると書いていました
ある人の指摘で啓蒙され原著を読んで・・・
いたって指摘した人の慧眼に感服したと書いたのは板倉さんだったかな
個人的にはいろいろ啓蒙してくれた学者さんでした
「新哲学入門」では論理の性格の指摘が参考になりました
スピノザの規定は否定の理解に繋がり有り難かった
大学者ではありますが、三浦さん同様相対化される、いや学者はたいていそうですね w

93:Nanashi_et_al.
23/09/01 06:11:24.37 .net
人の世は夢 ですか
なんか身に沁みます

歳なんですね

94:Nanashi_et_al.
23/09/01 06:11:24.63 .net
人の世は夢 ですか
なんか身に沁みます

歳なんですね

95:Nanashi_et_al.
23/09/01 06:14:13.75 .net
宇宙の始まりとしてのビッグバンはないですよ
誰だったかな、宇宙の片隅で起きたのがビッグバンかもと書いた人がいました
ボスロウだったかな

これじゃないかと

宇宙は無限です

96:Nanashi_et_al.
23/09/01 08:50:59.52 .net
共同幻想論は吉本氏の難解な書物でした
これに文化人類学の山口氏が噛みつきました
新約聖書学の田川さんがやはり理解出来なくて後年あることを前提としていると気が付き否定的な評を展開していました
読解力がある学者がわからなかったんだからと当時納得したものです

数学である概念が理解できず数学者も解決していないということを匂わせていました
それで物理学を読んでいたら重力が理解出来ず理系をドロップアウト
考えてみるとそこから右往左往したんですね
けっきょく、究極的には前提として受け容れるのが学問なのだと
有を無で規定するからということに気がついたのは少し前の事だったりします w

97:Nanashi_et_al.
23/09/01 21:23:04.98 .net
いろいろ科学の結論と認識とはズレがある
何も生まれない無くならない→生死という認識
運動は普遍→静止という認識
終始、無は存在しないが終始、無という認識

不確定性原理は有を無でということから

三十万+三十万
三十万-三十万
答は同じ
これで対象が無矛盾となる

これが何を語るのか
認識の相対化の終点かと

98:Nanashi_et_al.
23/09/01 21:29:18.23 .net
そして現代科学の事象理解も相対化されていくわけです
天動説の理解が相対化されたように
見た限りでは天動説は真実
それが太陽中心で規定し直される
最終的には規定そのものが相対化される

99:Nanashi_et_al.
23/09/02 05:47:25.51 .net
物理として終始は無い
ワインバークグループは未だ宇宙の始まりに到達できず、科学者は死の時点を特定できない

何故か
それは物理として終始が無いから

エネルギー保存則、絶対座標が存在しないことが何を意味するのかを現代科学は理解していない
物理として生滅は無い、終始は無いということを現代科学が理解するのはいつなんだろう

100:Nanashi_et_al.
23/09/03 05:44:53.48 .net
速度は相対値です
光速度一定の原理が示すことです

30+30=30
30-30=30
絶対座標の否定→自然が無矛盾であると証明される
静止が実在しないということは自然の存在形態が運動ということを導く

絶対座標、つまり始まりは実在しない、つまりビッグバンもまた

101:Nanashi_et_al.
23/09/09 11:51:00.17 .net
論理が相対化され、対象である自然が無矛盾、つまり理解可能だと示される
理解の相対化を絶対にしたのが光速度一定の原理なのかなと思い始めています

102:Nanashi_et_al.
23/09/09 11:52:38.44 .net
対象に宇宙非宇宙は実在しない
宇宙非宇宙で規定する

有を無で、の言い換えです

103:Nanashi_et_al.
23/09/09 12:03:05.67 .net
カントは偉大でしたがヘーゲルに相対化されました
それをマルクスが相対化して、また彼の思想も相対化された
三浦さんも板倉さんもまた

相対化するだけの価値が有ったということですか

人類が滅びればまた w

自然はただただ運動変化しているだけです

或る意味全ては幻、幻自体が現実ともいえるのかと

全ては幻説にも根拠はいちおう在りますね
賛同はしませんが

ああ、静止で認識するから静止は実在するとする理解と同じ係累なのかも

104:Nanashi_et_al.
23/09/09 12:07:02.36 .net
わたしは納得出来る自然理解から人間とはを考えたいだけです
納得できればなんでも

・・・まあ結論は人間には苛酷なそれになりますが

105:Nanashi_et_al.
23/09/09 12:09:44.58 .net
第二のコペルニクスもまた死後に発表することをお薦めします
とてもヤバいし大部分の人間には受け容れ難い結論になるでしょう

106:Nanashi_et_al.
23/09/09 12:21:45.33 .net
人間の感覚器官に結ぶ像の相対化の歴史が自然科学の一側面です
認識の相対化ということです

さてどう生きるべきだったのか
これからの人たちはどう生きるべきか

わたしはゼノンに拘ってしまいました
それでもそれなりの結論を得て満足しています
こういうことに拘り廃人みたいになった人がいると哲学スレで警告した人がいました
三浦つとむ、板倉、山川諸氏の学はわたしなりの理解にとても役に立ちました
これが無かったら自身も廃人と自覚して一生を終えていたでしょう

現代日本の学に感謝します
欧米に居たら自分なりの結論は得られなかったでしょう
先駆的なアルヴェーン、進化は万能であるの著者、タレブでも認識論では現代日本の学には及ばない


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