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初めに人間があり、人間の生活がある。
そして終わりも亦人間と暮らす人間の生活とである。
これが人間史の全部である。
人間生活の人間生活のあるところ、そこにありとしある生活資料の生産がある。
注意せよ。生産方式在って生活在るのではない。
生活在って而して生産方式があるのである。
従って生産の方法と態様とは人間のものなのであって、決つしてその逆ではないのだ。
然るに岡谷に於いては、それが全く逆転しているのだ。
人間史が、人間生活が、理論的にも現実的にも転倒してゐるのだ。
それこそ製糸の街岡谷の、製糸家の、人間としての欠陥である。
二旬に亘る女工達の悪戦苦闘、それは何の為の苦しみ、何の為の闘ひであったか。
いふまでもなく、それは生産方式による一手段、即ち生産用具たるの地位から、本然の人間に立ち戻らんとする彼等の努力の表現に外ならなかった。
女工達は繭よりも、操糸枠よりも、そして彼等の手から繰り出される美しい糸よりも、自分達の方がはるかに尊い存在であることを識ったのだ。
彼等は人間生活の道を、製糸家よりも一歩先に踏み出した。先んずるものよりも道の険しきが故に、山一林組の女工達は、製糸家との悪戦苦闘の後、ひとまず破れた
とはいへ、人間の道はほぼ燦然たる輝きを失ふものではない。
歴史がその足を止めない限り、そして人間生活への途がその燦然たる光を失はない限り、退いた女工達は、永久に眠ることをしないだろう。
山一林組争議
昭和二年九月十八日 信濃毎日新聞 社説 労働争議の教訓 引用
引用元 小学館 日本の歴史 第29巻 労働者と農民 著者 中村政則 1976年7月10日初版