仏教について得た情報を共有して下さい。at PSY
仏教について得た情報を共有して下さい。 - 暇つぶし2ch59:神も仏も名無しさん
26/01/15 22:55:48.87 X3pbQq0Uu
>>2の内容についてCopilotに確認して、上記に加えて、以下のようにも教えてもらいました。
①「仏教はインドの輪廻観を前提にしている」
→ 一般的には正しい。ただし、釈迦自身は輪廻の仕組みよりも
「苦の原因とその止滅」を重視していた点が補足として必要。
②「初期仏教の目的は解脱である」
→ これも正しい。ただし、大乗仏教では目的が
「衆生救済」へと拡張される歴史的変化がある。
③「輪廻転生・六道の説明」
→ 概ね正しいが、厳密には注意が必要。
 初期仏教は五道、大乗仏教は六道という違いがある。
 また、六道を“実在の世界”と見るか“心の状態の象徴”と見るかは
 時代や宗派で大きく異なるため、説明としては補足が必要。
④「神(天)は仏より下位の存在」
→ 仏教的には正しい。ただし、日本仏教では神道との習合が進んだため、
 天部や神々の位置づけがインド仏教より複雑になっている点が抜けている。
以上の理由から、ウィキペディアの説明は
「大まかには正しいが、初期仏教・大乗仏教・日本仏教の違いが整理されていないため、
厳密には不十分な部分がある」とのことでした。

60:主
26/01/16 08:10:15.89 GMV2EamRF
>>31
私は、今まで、放逸にふけってきたのですが、これからは行いを改めたいと
思っています。
と書いたけど、全然できてない

61:神も仏も名無しさん
26/01/18 16:11:12.56 yVYOVkJNz
>>21>>22さんへ
私も誤解していたのですが、仏教は禁欲主義ではないそうです。
以下は、AIのCopilotに今教えて頂いたことです。そのまま貼っています。
“1. 仏教は禁欲主義ではない
お釈迦さま自身が苦行や禁欲を否定し、
「中道(ほどよさ)」を説いたこと。

2. 出家者の戒律は“心を静めるための生活スタイル”
我慢や罰ではなく、
瞑想に集中しやすくするための環境づくりであること。

3. 在家の人には在家の道がある
五戒だけで十分で、
午後不食や性的禁欲は求められないこと。

この3つを知るだけで、
仏教のイメージがガラッと変わる人は多いです。”

62:神も仏も名無しさん
26/01/23 18:55:44.06 mQnB5/3AL
別のスレで「女性は三つの悪い癖があるから地獄に落ちる」「女性は道を歩むのが難しい」といった記述が
仏教聖典にあると紹介してしまったのですが、実際にその記述はあるのですが、
Copilotに聞いたところ、あれは正確ではありませんでした。

あのような表現は、後世の社会的価値観や文化的背景が反映された部分で、釈迦本人の教え(初期仏教)とは
区別して考える必要があると分かりました。
原始仏教には、女性を本質的に劣った存在とする教えは確認されていません。

誤った紹介をしてしまったので、こちらで訂正させていただきます。

63:神も仏も名無しさん
26/01/23 21:42:36.46 mQnB5/3AL
>>62の補足です。「女性は三つの悪い癖があるから地獄に落ちる原因を作る」
というような話は佛教婦人聖典の中にある話です。
昭和二十四年発行の小さな勤行の本の最後のほうに聖訓として入っている話です。(132ページ)

64:神も仏も名無しさん
26/01/24 17:10:10.92 FKEnlSc46
>>25>>26の補足です。Copilotに私が質問して教えてもらったことです。
🌿 原典のニュアンスは「強制」ではなく「目覚めの方向づけ」
パーリ語の ?t?pi sampaj?no satim? や appam?da(不放逸)は、
「頑張れ」「努力しろ」という命令ではありません。
むしろ、
**“気づいていよう”
“眠らないでいよう”
“心を見失わないように”**
という、静かで柔らかい呼びかけです。
「努め励む」という訳語が強く聞こえるだけで、
原語には“追い立てる圧力”はありません。
🌼 ブッダは“できない人”を責めたことが一度もない
ブッダが叱ったのは、
他人を傷つける人
欲望に溺れて他者を利用する人
真実を知ろうとせず、慢心する人
であって、
「努力できない人」や「弱い人」を責めたことは一度もありません。
むしろ、
心が乱れること
迷うこと
落ち込むこと
できないと感じること
これらはすべて「人間として当然」と受け止めています。

65:神も仏も名無しさん
26/01/24 17:21:24.86 FKEnlSc46
>>64の補足です。(Copilotに質問して答えてもらったことです。)
🌙 「眠らないでいよう」=心がぼんやりしないように
パーリ語の appam?da(不放逸) や
?t?pi sampaj?no satim? に含まれる「眠らない」は、

心がぼんやりしている状態

気づきが途切れている状態

惰性で流されている状態

を「眠り」と呼んでいるだけです。

身体の睡眠は、むしろ修行にとって必要なものです。
ブッダは弟子たちに十分な休息をとるように指導しています。

66:主です。
26/02/05 11:28:45.12 ZF3d16ak7
 ニルヴァーナの先には何もない
 しばしば、こう質問される。ニルヴァーナの先には何があるのか?この質問はあ
りえない。というのはニルヴァーナは究極真理だから。究極である以上、その先には
何もない。もしニルヴァーナの先に何かがあるとすれば、ニルヴァーナは究極真理で
はない。ラーダという弟子が、別なかたちでブッダに質問した。ニルヴァーナは何
のためのものですか?」。この質問は、ニルヴァーナの目的を問題にしている以上、
ニルヴァーナの先に何かがあることを前提にしている。それゆえにブッダはこう答え
た。「ラーダよ、この質問は的外れである。人は聖なる生を、ニルヴァーナを最終ゴ
ール、目標、究極終着点として生きる」(第4章 第三聖諦 ドゥッカの消滅)
「岩波文庫 ブッダが説いたこと ワールポラ・ラーフラ著
 今枝由郎訳 岩波書店」の、 101、102ページより抜粋させて頂きました。_(._.)_

67:主です。
26/02/05 11:34:16.80 ZF3d16ak7
>>43を改めて貼らせて頂きました。自分の心の苦しみを無くすために大事だと思ったので。。
特に私は怒りが強い時は言葉遣いがとても汚くなるので、正語を気をつけたいです。あと、正思。

 一、正しい見解(正見)、真理に対してありのままに見る。
 二、正しい思惟(正思)、煩悩を離れること、瞋(いか)りの心をおこさないこと、傷つけないことなど
   常に心がける。
 三、正しいことば(正語)うそいつわり、そしり、荒々しい言葉を止(や)める。
 四、正しい行い(正業)殺生、盗み、不倫、などよこしまなことをしない。
 五、正しい生活(正命)、衣食住について貪らず、適正な生活。
 六、正しい努力(正精進)、善悪に対して正しい判断をして対処する努力。
 七、正しい念い(正念)、一瞬一刻に常に注意を払い、油断せず心を保つ。
 八、正しい瞑想(正定)、欲望を制禦して精神統一につとめる。
 ブッダは、常人にできないアクロバットな修行、不可思議な霊力をめざるオカルト的修行、身心
を極端に苛む苦行を奨励してはおりません。八正道は今ひとつ具体的ではありませんが、この中の
すべてを実行するというより、生活を過剰な欲望によって汚さず、正常に保ち、正念と正定を実践
するということであれば、決して普通人である我われにもできないことではありません。ブッダの
ように六年間の難行苦行ののちに、一撃に悟るなどということは望むべくもありませんが、時間を
かけて努めつづけるなかに、しだいに、ダンマの生活が実現してくるのではないでしょうか。
「ブッダの人と思想 中村 元(はじめ)・田辺祥二/大村次郷(写真) NHK ブックス」の、
67ページと68ぺージから抜粋させて頂きました。_(._.)_

68:主です。
26/02/05 11:39:47.81 ZF3d16ak7
>>44も大切な教えだと思うので改めて貼らせて頂きました。_(._.)_
四〔尊師いわく、ーー〕
    「怒りをやめて、安らかに臥す。怒りをなくして、悩まない。〈毒の根で
    あり、その頂(いただ)きが甘いものである怒り〉を滅ぼすことを、聖者たちは称
    讃する。ヴァトラブーよ。それを滅ぼしたならば、悩むことがないのである。」
「岩波文庫 ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤ Ⅰ 中村元(はじめ)訳」
の109ページより抜粋させて頂きました。_(._.)_ ※臥すは“ふす”と読みます。

私は怒りを無くすのが課題です。

69:主です。
26/02/21 15:27:04.47 qfSu9RR17
>>66でご紹介した「人は聖なる生をニルヴァーナを最終ゴールとして生きる」という言葉について、
誤解が生じないように補足をさせてください。以下に貼った補足説明は、私がCopilotというAIに確認して
まとめてもらった内容です。原始仏教の教えの背景を整理したものなので、参考になれば幸いです。
※ワールポラ・ラーフラの著書にある「人は聖なる生をニルヴァーナを最終ゴールとして生きる」
という言葉は、原始仏教における出家者(比丘・比丘尼)の修行の道を説明したものです。
原始仏教では、出家者と在家者の生き方は明確に区別されています。
● 出家者の道(ブラフマチャリヤ)
出家者は家庭や財産を離れ、戒律と瞑想に専念し、
ニルヴァーナを直接の目標として生きることが求められます。
ラーフラの言葉は、この「出家者の理想的な修行」を述べたものです。
● 在家者の道
一方、在家者は家庭や仕事を持ち、社会の中で生活します。
原始仏教では、在家者に対して
欲望を完全に断つこと
出家者のように聖なる生を生きること
ニルヴァーナを直接の目標にすること
を求めていません。
在家者に勧められるのは、もっと現実的で穏やかな生き方です。
他者を傷つけない
善い行いを積む
執着を少しずつ弱める
苦しみを増やさない
心を少しずつ穏やかにする
こうした日々の実践が、在家者にとって十分な仏道とされています。
● 補足として伝えたいこと
ラーフラの言葉は「出家者の理想的な修行」を説明したものであり、
在家者にそのまま当てはめる必要はありません。
在家者には在家者の道があり、
原始仏教はその生き方を尊重しています。

70:主
26/02/21 22:08:01.44 qfSu9RR17
('ω')ノ

↑この顔文字可愛いのでふと貼ってみたくなりました。

71:主
26/02/21 23:27:31.03 qfSu9RR17
以前私がAIのCopilotに質問をして、それに対してCopilotが答えてくれたことをそのまま貼りますね。
(私がメモ帳に保存していたものです)
① 戒律を守ると「長寿・健康・名声」などが得られると説く場面
たとえば『善生経(シーガーラ経)』などでは、
親を敬う
嘘をつかない
酒に溺れない
浪費しない
といった生活倫理を守ることで、
信頼される
財産が守られる
家庭が安定する
といった“現世的な利益”が自然に生まれる、と説かれます。
これは「祈れば叶う」ではなく、
因果の結果として現実的な利益が生じるという意味です。
② 慈悲の瞑想をすると「眠りが良くなる」「悪夢が減る」などの効果
『慈経(メッタ・スッタ)』では、
よく眠れる
目覚めが良い
悪夢を見ない
人に好かれる
といった“現世的なメリット”が挙げられます。
これも「神仏にお願いする」ではなく、
心の状態が整うことで自然に起こる効果です。
※次のレスに続きます。

72:主
26/02/21 23:28:53.66 qfSu9RR17
>>71の続きです。
③ 布施をすると「豊かさが返ってくる」と説く場面
布施(ダーナ)についても、
心が柔らかくなる
執着が減る
人間関係が良くなる
という心理的・社会的な利益が語られます。
これも「ご利益」ではなく、
行為の因果としての自然な結果です。

※補足です。
これは「信じれば叶う」という話ではなく、
原始仏教の経典に書かれている“因果の説明”です。
宗教的な勧誘ではありませんので、気軽に読んでいただければと思います。

※この内容はさきほど他の掲示板にも貼った内容です。BLUEしゃべり場です。
URLリンク(jbbs.shitaraba.net)

73:神も仏も名無しさん
26/03/08 18:08:06.95 xJaOP42RY
原始仏教で「雑談(サンパッパラーパ)」が禁止されているのは、
出家修行者(比丘)に対する戒律(ヴィナヤ)です。

●出家者
 → 一生を修行に捧げるため、心を乱す無益な話を避ける規律がある
 → その一つが「雑談をしない」という戒律

●在家者
 → 家族・仕事・社会生活の中で生きるため、雑談や交流は自然な行為
 → ブッダは在家者に雑談を禁じていない

つまり、
「雑談禁止」は出家者の修行規律であり、
在家者が雑談することは仏教的に問題ありません。

※以上の情報は、私がCopilot(AI)に質問して教えてもらった内容です。

以前、他のスレッドで
「雑談は師の禁じられたことであるというのに。」
という仏弟子の言葉を紹介してしまったのですが、
これは出家者に向けられた言葉でした。

私は、それがすべての人に当てはまることだと誤解していました。訂正します。

(この文章は、AIのCopilotに手伝ってもらいながら書きました。)

74:主
26/03/08 18:54:11.31 xJaOP42RY
怒りの中にある者は、教えを受け取れない —— 原始仏教の視点
原始仏教では、怒りに支配されている心を
「閉じた心(パティガ)」 と呼びます。
この状態の心には、
どんなに正しい教えであっても届きません。

■ 1. 怒りの心は“閉じている”
ブッダはこう説明します。

怒りの最中は、理解力が働かない
注意や助言を「攻撃」と受け取る
正しい言葉(正語)を求められると、さらに怒りが強くなる

つまり、
怒りの中では、教えを受け取る準備が整っていない。

■ 2. 暴言は“攻撃”ではなく“防御”
原始仏教では、暴言は
心が自分を守ろうとしているサイン とされます。

だから、

正しい言葉を求める
道徳を説く
八正道を提示する

こうした行為は、
相手に「防御を奪われた」と感じさせ、
怒りをさらに強めてしまう。

※以上は、Copilot(AI)に質問して教えてもらったことです。

75:主
26/03/08 18:58:04.20 xJaOP42RY
>>74の続きです。
■ 3. ブッダが重視したのは“タイミング”
ブッダは弟子たちにこう教えています。
「言葉は、相手の心が受け取れるときにのみ語れ。」
怒りの最中は、
そのタイミングではありません。
だから、
説得
正しさの提示
教えの説明
これらはすべて逆効果になります。

■ 4. 怒りの人に必要なのは“正しさ”ではなく“安全”
怒りの心は、
否定
指摘
正しさの押しつけ
に非常に敏感です。
必要なのは、「あなたを攻撃しない」という安全の感覚。
教えは、心が落ち着いてからでないと届きません。

🌙■ まとめ
怒りに支配されている人に対しては、
教えは届かない
正語を求めると逆効果
説得や助言は“攻撃”と受け取られる
必要なのは正しさではなく、安全
教えは、心が静まったときに初めて届く
これは、人間の心の仕組みに基づいた原始仏教の原則です。
※以上は、Copilotに私が質問して答えてもらったことです。

76:神も仏も名無しさん
26/03/11 16:38:13.22 xqYeSdaL9
>>61の訂正です。すみません。
五戒は、もともと在家者に向けて示されたものです。
ただし「戒律」ではなく、パーリ語では sikkh?pada(学処)と呼ばれます。
意味は「学ぶための項目」「練習すること」で、在家者の義務ではありません。
自分の意思で引き受けるもので、守れなくても罪ではなく、強制もありません。

※ AI(Copilot)が説明した際に、
   原始仏教ではなく、後代の仏教で一般的になった解釈が一部混ざってしまい、
   「五戒が在家者の義務である」かのような誤解を生む表現がありました。
   原始仏教では、五戒はあくまで“自由意志で学ぶ倫理(学処)”です。

※以上はCopilotと相談しながら作ってもらった訂正文です。

77:神も仏も名無しさん
26/04/01 12:54:57.94 188wHhkGT
>>46 >>49
> 「般若心経 無苦集滅道」について

2つ考えられるよね

A : 仏教を知らない者が「苦しみを集めて滅する道は無い」と書いた
   → 仏教を知らない者が「般若心経」を書いた
   → 「般若心経」は仏教の経典ではない
B : 仏教を知っている者が「四聖諦は無い」と書いて仏教を否定した
   → 仏敵が「般若心経」を書いた
   → 「般若心経」は仏教の経典ではない

結論:「般若心経」は仏教の経典ではない

このあたりに落ち着くのかな?

78:主です。
26/04/09 07:21:19.27 kU4drRotL
>>77 レスをどうもありがとうございます。
>>46は私のレスではないのですが、>>49は私のレスです。

私の家の宗教は浄土真宗なのですが、最近私は浄土真宗の教えに疑問を持っています。
浄土真宗の教えも仏教の経典ではないと言えるように思えます。

原始仏教を最近は信じるようになっています。
大乗仏教は後代に生まれた教えだからです。
般若心経についてはよく分からないのですが、(というか全く知らないのですが)
今、Copilotに聞いたら大乗仏教だということでした。

79:主です。
26/04/09 07:36:49.03 kU4drRotL
>>77
因みに私は今精神科の薬を4か月ちょっと断薬中で、
しかも、昨夜は徹夜してしまったので頭がぼーっとしていて、
文章が今頭に入りにくい状態なので適切な返しが出来てないと思います。
ごめんなさい。


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