仏教について得た情報を共有して下さい。at PSY
仏教について得た情報を共有して下さい。 - 暇つぶし2ch2:神も仏も名無しさん
25/09/25 20:32:44.72 TpOTKDvM3
ウィキペディア 仏教
URLリンク(ja.wikipedia.org)
81%AE%E4%B8%BB%E5%BC%B5Scan me!
からコピペさせてもらいました。_(._.)_

世界観
→「インド哲学」および「インド発祥の宗教」も参照
dukkh? j?ti punappuna?.
繰り返し行われる 生(ジャーティ)は
苦である[15]

仏教の世界観は必然的に、仏教誕生の地であるインドの世界観である輪廻と解脱の考えに基づいている。生老病死、
人の一生は苦であり、永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる。その苦しみから抜け出すことが解脱であり、修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的とされていた。

輪廻転生・六道・仏教と神
仏教においては、迷いの世界から解脱しない限り、無限に存在する前世と、生前の業、および臨終の心の状態
などによって次の転生先へと輪廻するとされている。部派では「天・人・餓鬼・畜生・地獄」の五道、大乗仏教では
これに修羅を加えた六道の転生先に生まれ変わるとされる。生前に良い行いを続け功徳を積めば次の輪廻では良き
境遇(善趣)に生まれ変わり、悪業を積めば苦しい境遇(悪趣)に生まれ変わる。

また、神(天)とは、仏教においては天道の生物であり、生命(有情)の一種と位置づけられている。そのため神々は人間からの信仰の対象ではあっても厳密には仏では無く仏陀には及ばない存在である。

因果論

3:神も仏も名無しさん
25/09/25 20:34:45.02 TpOTKDvM3
ウィキペディア 仏教
URLリンク(ja.wikipedia.org) me!
からコピペさせてもらいました。_(._.)_

因果論
ドミノ倒し。仏教では「AによってBが生ずる」と因果性を説く(縁起)[10]
仏教は、物事の成立には原因と結果があるという因果論を基本的考え方に据えている[16]。一切の現象(サンスカーラ)は原因によって現れ、「偶然による事物の発生」「(原因なく)事物が突然、生じること」「神による創造」などは否定される[17]。

生命の行為・行動(体、言葉、心でなす三つの行為)にはその結果である果報が生じる業論があり、果報の内容如何により人の行為を善行と悪行に分け(善因善果・悪因悪果)、人々に悪行をなさずに善行を積むことを勧める。

また、個々の生に対しては業の積み重ねによる果報である次の生・輪廻転生を論じ、世間の生き方を脱して涅槃を証さない(悟りを開かない)限り、あらゆる生命は無限にこの輪廻を続けると云われる。

輪廻・転生および解脱の思想はインド由来の宗教や哲学での普遍的な要素だが、生まれ変わりや解脱を因果論に基づいて再編したことが仏教の特徴となっている。

生きることは苦であり、人の世は苦に満ち溢れている[18]。そして、あらゆる物事は原因と結果から基づいているので、人々の苦にも原因が存在する。したがって苦の原因を取り除けば、人は苦から抜け出すことが出来る。これが仏教における解脱論である[16]。

また、仏教においては、輪廻の主体となる永遠不滅の魂(アートマン)の存在は「空」の概念によって否定され、輪廻は生命の生存中にも起こるプロセスであると説明されることがある点でも、仏教以前の思想・哲学における輪廻概念とは大きく異なっている。

輪廻の主体を立てず、心を構成する認識機能が生前と別の場所に発生し、物理的距離に関係なく、この生前と転生後の意識が因果関係を保ち連続しているとし、この心の連続体(心相続、?????????? citta-sa?t?na)によって、断滅でもなく、常住でもない中道の輪廻転生を説く。

4:神も仏も名無しさん
25/09/25 20:51:42.15 TpOTKDvM3
ウィキペディア 仏教 URLリンク(ja.wikipedia.org)からコピペさせてもらいました。_(._.)_

縁起
→詳細は「縁起」を参照
以下因果に基づき苦のメカニズムを整理された十二縁起を示す。

無明(四諦、十二縁起に対する無知[19])
行(潜在的形成力)
識(識別作用)
名色(心身)
六入(六感覚器官)
触(接触)
受(感受作用)
愛(渇愛)
取(執着)
有(存在)
生(出生)
老死(老いと死)
これはなぜ「生老病死」という苦のもとで生きているのかの由来を示すと同時に、「無明」という条件を破壊することにより「生老病死」がなくなるという涅槃に至る因果を示している。


→詳細は「空 (仏教)」を参照
あらゆるものは、それ自体として実体を持っているわけではないという考え。

5:神も仏も名無しさん
25/09/25 20:53:42.05 TpOTKDvM3
ウィキペディア 仏教 URLリンク(ja.wikipedia.org)からコピペさせていただきました。_(._.)_
苦、その原因と解決法
「 プンナよ、「喜悦の滅尽により苦の滅尽がある」と私は説く。 」
— プンナ教誡経

→「初転法輪」も参照
仏教では、生きることの苦から脱するには真理の正しい理解や洞察が必要であり、そのことによって苦から脱する(=悟りを開く)ことが可能である(四諦)とする。そしてそれを目的とした出家と修行、また出家はできなくとも善行の実践を奨励する(八正道)。

このように仏教では、救いは超越的存在(例えば神)の力によるものではなく、個々人の実践によるものと説く。すなわち、釈迦の実体験を最大の根拠に、現実世界で達成・確認できる形で教えが示され、それを実践することを勧める。

四諦
→詳細は「四諦」を参照
釈迦が悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた苦集滅道の4つ。

苦諦:苦という真理
集諦:苦の原因という真理
滅諦:苦の滅という真理
道諦:苦の滅を実現する道という真理(→八正道)
中道
→詳細は「中道」を参照
2つのものの対立を離れていること[20]。断・常の二見、あるいは有・無の二辺を離れた不偏にして中正なる道のこと[20]。仏教の各宗はその教理の核心を中道の語で表しているとされる[20][21]。

6:神も仏も名無しさん
25/09/25 20:59:39.30 TpOTKDvM3
ウィキペディア 仏教 URLリンク(ja.wikipedia.org)からコピペさせていただきました。_(._.)_
三法印
→詳細は「三法印」を参照
仏教における3つの根本思想。三法印の思想は古層仏典の法句経ですでに現れ、「諸行無常・諸法無我・一切行苦」が
原型と考えられる。 大乗では「一切行苦」の代わりに涅槃寂静をこれに数えることが一般的である。これに再度
「一切行苦」を加えることによって四法印とする場合もある。

諸行無常 - 一切の形成されたものは無常であり、縁起による存在としてのみある
諸法無我 - 一切の存在には形成されたものでないもの、アートマンのような実体はない
涅槃寂静 - 苦を生んでいた煩悩の炎が消え去り、一切の苦から解放された境地(涅槃)が目標である
一切行苦 - 一切の形成されたもの(サンカーラ)は、苦である

7:神も仏も名無しさん
25/09/25 21:02:36.91 TpOTKDvM3
ウィキペディア 仏教 URLリンク(ja.wikipedia.org)からコピペさせていただきました。_(._.)_
仏教の存在論
→詳細は「無常」、「無我」、「五蘊」、「名色」、「業」、および「縁起」を参照
仏教そのものが存在を説明するものとなっている。変化しない実体を一切認めない、とされる。また、仏教は無我論
および無常論である[注釈 1]とする人もおり、そういう人は、仏教はすべての生命について魂や神といった本体を
認めないとする。そうではなくて釈迦が説いたのは「無我」ではなくて「非我」である(真実の我ではない、
と説いたのだ)とする人もいる。衆生(生命・生きとし生けるもの)と生命でない物質との境は、ある存在が
識(認識する働き)を持つか否かで区別される。また物質にも不変の実体を認めず、物理現象も無常、すなわち変化の
連続であるとの認識に立つ(サンカーラ)[17]。物質にも精神にも普遍の実体および本体がないことについて、
「行為はあるが行為者はいない」などと説明されている。一切の現象は原因によって現れる、すなわち「偶然」
「突然」「神による創造」などは否定される[17]。

全ての生命要素を五蘊(色・受・想・行・識)に分ける[12]。これは身体と4種類の心理機能のことで、精神と物質の
二つで名色とも言う。

なお、日本の仏教各宗派には魂の存在を肯定する宗派もあれば、肯定も否定もしない宗派もあれば、否定的な宗派も
あるが[注釈 2]、本来、釈迦は我、アートマン (??????、?tman) を説くことはせず、逆に、諸法無我(すべてのもの
ごとは我ならざるもの (????????、an?tman) である)として、いかなる場合にも「我」すなわち「霊魂」を認めること
はなかった[注釈 3]。

仏教では、根本教義において一切魂について説かず、「我が存在するか?」という質問については一切答えず(無記)
[22]、直接的に「我は存在しない」とのべず、「無我(我ならざるもの)」について説くことによって間接的に
我の不在を説くだけだった。やがて後代になると「我ならざるもの」でもなく、「我は存在しない」と積極的に
主張する学派も出てきた。

8:神も仏も名無しさん
25/09/25 21:04:49.60 TpOTKDvM3
>>1 を改めて貼りました。
上座部 - 八正道
ship's wheel with eight spokes represents the Noble Eightfold Path
法輪は八正道を表している
→詳細は「八正道」を参照
仏教の実践の重要な指導原則は中道である。これは釈迦の初転法輪の中で述べられており、そこで釈迦は極端な苦行および快楽主義の両方を避ける「中道」として、八正道を提示した[24][25]。

この八正道は四諦の4番目で示されており、苦の停止の筋道を示している[26][27]。八正道は渇望、執着、カルマの蓄積を止めることを教え、これにより無限の再生と苦のサイクルを終止させる[28][29][30]。

八正道は以下のように三つに分類することができる(三学)[31][32][33]。

分類 八正道 サンスクリット, パーリ 内容

(梵: prajñ?,
巴: paññ?) 1. 正見 samyag d???i,
samm? di??hi 来世は存在し、死ですべてがなくなりはしないと考え、釈迦が教える涅槃への道に従うこと[31]。
2. 正思惟 samyak sa?kalpa,
samm? sa?kappa 出家し、道に沿って宗教的な托鉢生活に入る[31]。
戒[32]
(梵: ??la, 巴: s?la) 3. 正語 samyag v?c,
samm? v?c? 嘘をつかず、失礼な話をせず、他人が言っていた話を本人にしせず、救済につながる話をする[31]。
4. 正業 samyak karman,
samm? kammanta 殺傷や加害をせず、与えられていない物を取らない。比丘については性的行為をしない[31]。
5. 正命 samyag ?j?vana,
samm? ?j?va 比丘については、命を維持するために不可欠なものだけを手に入れて摂取する[34]。在家者について経典では、正しい生計を立て間違った生計を避けるとし、たとえば衆生をだましたり害したり殺したりすることを避けると説明している[35][36]。
定 [32]
(梵, 巴: sam?dhi) 6. 正精進 samyag vy?y?ma,
samm? v?y?ma 正しい努力。Harveyは、貪・瞋・痴という不健全な精神的状態を防ぎ、健全な精神的状態を増進させることだとしている[37]。
7. 正念 samyak sm?ti,
samm? sati ぼんやりすることなく、自分が今何をしているのか意識を向ける(マインドフルネス)。
8. 正定 samyak sam?dhi,
samm? sam?dhi 正しい瞑想または集中(dhy?na)。4つの禅那(四禅)として説明されている[31][38]。

9:神も仏も名無しさん
25/09/25 21:11:06.59 TpOTKDvM3
琴割っても断る!という表示が出て書き込めなかった。

10:神も仏も名無しさん
25/09/25 21:17:21.91 TpOTKDvM3
>>1>>8 までコピペしておいてなんですが、まだ全部読めていません。

11:神も仏も名無しさん
25/09/26 19:43:33.90 zeyABNp6k
ウィキペディア 仏教URLリンク(ja.wikipedia.org)よりコピペさせていただきました。_(._.)_
大乗仏教では、菩薩(ボーディ・サットヴァ)への道を理論的中心とする[39]。菩薩とは仏になろうと決意して
修行する人のこと[40]。

実践
法を聞いて学ぶ
沙門果経やキーターギリ経で説かれるように、釈迦が説いた悟りへの道の最初のステップは、釈迦の説いた法
(ダルマ)を聞いて学ぶことである(正法聴聞)。これが仏の教えに対する自信や信(saddh?)の獲得につながると
言われている[41]。

→七つの段階については「七聖者」を参照
三宝への帰依
→「三宝」および「帰依」を参照
伝統的に多くの宗派においては、教義実践の第一歩として三宝(triratna, tiratana)への帰依が求められる[42]。
三宝とは[11]、

ブッダ (仏)。歴史的なガウタマ・シッダールタ。真理に目覚めた者。
ダルマ(法)。仏の教え。戒、止観、四諦、八正道、縁起。
サンガ(僧伽)。出家し戒律を守るブッダの弟子たちのコミュニティ。狭義には預流向から阿羅漢果に至る四双八輩の
者たちを指す。
パーリ経典ではヒンドゥー教における三宝のモチーフを採用しており、それはリグ・ヴェーダ 9.97.47 6.46.9、および
チャーンドーギヤ・ウパニシャッド 2.22.3–4で確認される[43]。チベット仏教では時折ラマを加えて四宝とされる。
 三宝は仏教徒にとって敬意を払うべきものと信じられている[42]。

仏教では、三宝に帰依することは逃避ではなく、浄化、高揚、強化であるとみなされている[11]。

12:神も仏も名無しさん
25/09/26 19:46:03.82 zeyABNp6k
URLリンク(ja.wikipedia.org)ウィキペディア 仏教 からコピペさせていただきました。_(._.)_
戒定慧(三学)
→詳細は「三学」を参照
戒定慧(かいじょうえ)とは、戒律によって心を惑わす悪行為から離れ、禅那により心をコントロールし鎮め、智慧を
定めることこの世の真理を見極めることで、三毒の消滅を目指す[44]。3つ併せて三学という。


戒(かい、梵: ??la, 巴: s?la)とは、道徳的美徳といった概念であり、八正道では二つ目に位置づけられる不可欠なもの
である[45]。それは正語、正業、正命で構成される[45]。戒は、位階者および一般信者の両者における倫理的規範を
定めている。これには、在家信者のための5つの教訓、修道僧のための8または10の教訓、および僧院生活のための
ルール(律および波羅提木叉)がある[46][47]。

13:神も仏も名無しさん
25/09/26 19:47:56.57 zeyABNp6k
URLリンク(ja.wikipedia.org)ウィキペディア 仏教 からコピペさせていただきました。_(._.)_
五戒
五戒の刻まれた銘版(ネパール,ルンビニ)
→詳細は「五戒」を参照
仏典においては、仏教徒の最低限の倫理基準として五戒(pañcas?la; pañca??la)を定めている[48]。五戒は仏教において、
波羅提木叉と共に最も重要な倫理規定である[49]。

五戒は男性信者および女性信者の両者に適用され、内容は以下である[46][50]。

(人、動物を)殺さない
盗みをしない
不道徳な性行為をしない
嘘をつかない
酒、薬物など酔わせる、酩酊させるものを避ける
五戒とは禁止事項ではなく、これを破ったことで制裁を受けるものではないが、これを破ることで生じる力はカルマ
として、死後の世界への影響をおよぼすというのが仏教の信念である。仏教においては殺傷を行うと、死後は地獄界
における再生をまねき、さらにその対象が僧であった場合には、その来世はより厳しい環境でより長い年月となると
されている。同様に、姦通はその相手が未婚か既婚かによって、娼婦や地獄界で次は再生することとなる[51]。
これらの倫理的教訓は、仏教文化におけるカルマと再生という信念を通じて、自発的かつ自主的に守られてきた[52]。仏教教義においては、戒は菩提への道を推し進め、心と人格を発達させることを意図している [53]。

14:神も仏も名無しさん
25/09/26 19:50:49.91 zeyABNp6k
URLリンク(ja.wikipedia.org)ウィキペディア 仏教 からコピペさせていただきました。_(._.)_
五戒
抑制と離欲
屋根のない木の下に住む、禁欲生活(dhutanga)
釈迦の教えの一つに、感覚の抑制(indriyasamvara)がある。様々な修行ステップにおいて示され、
五蓋(瞑想の妨げ)からの煩悩を弱めることによって瞑想を守ることである[54]。比丘アラヨナは「感覚的な印象が
欲望や不満につながるのを防ぐために、感覚の扉を守ること」と表現している[54]。これは感覚情報を回避すること
ではなく、感覚に対して注意を払う(マインドフルネス)によって行われる(nimitta)[55]。

関連する実践に、出離、離欲(nekkhamma; ネッカンマ)がある[56] 。一般的にネッカンマとは、官能や世俗的な
ものへの欲望など、不健全と見なされる行動や欲望を放棄することである[57]。ネッカンマは様々な方法で育てる
ことができ、たとえば寄付(布施)はネッカンマを育む一つの形である。もう一つは、在家生活を放棄して比丘に
なることである[58]。

マインドフルネス
マインドフルネス(サティ; 念 ; sati)と呼ばれる訓練は仏教の中心である。比丘アナラヨによれば、マインドフルネス
とは、現在の瞬間を完全に認識することであり、記憶を増大強化させる[59]。無著はマインドフルネスを「経験した
対象に関して、心が忘れないこと。その働きは不忘である」と定義している[60]。ルパート・ゲシン教授によれば、
サティとは「物事と物事との関係性、すなわちそれらの相対的な価値を認識すること」としている[61]。

初期仏教経典では四念処(Satipa??h?nas)や安那般那念(?n?p?nasati)として、マインドフルネスを修習するため
のさまざな修行が記載されている。この能力は、自分の心の中では何をしているのか、何が起こっているのか、
そしてそれが不健全な状態もしくは健全な状態によって影響を受けているかどうかを理解する能力である[62]。

15:神も仏も名無しさん
25/09/26 19:54:45.83 zeyABNp6k
又、琴割っても断る!と表示されて書き込みできなかった。

16:神も仏も名無しさん
25/09/26 21:47:50.31 zeyABNp6k
URLリンク(ja.wikipedia.org)ウィキペディア 仏教 からコピペさせていただきました。_(._.)_
瞑想
→「定」、「サマタ瞑想」、および「ヴィパッサナー瞑想」も参照

座禅(座ってのジャーナ)する澤木興道
仏教の伝統ではさまざまな瞑想法が発展しているが、主要なものは定(サマーディ; Samadhi)の達成と、禅那
(ジャーナ;jh?na)の実践である。サマーディとは、穏やかで気が散らず、統一され集中された意識の状態である。
無著はサマーディを「探究すべき対象への一点集中の心。その働きは、知識に土台を与えてることである」と定義して
いる[60]。ジャーナは「完全な平静心と覚醒状態 ( upekkh?-sati-parisuddhi )」であり、集中した精神修養によって到達
される[63]。

ジャーナの訓練は、穏やかな心を維持し、心を乱す思考や感情に注意を払って心に留めることによって、この穏やかな
心が乱れされることを避けるのに役立つ[64]。


律(りつ、Vinaya)とは、僧伽(サンガ)に属する比丘および比丘尼らの行動規範である。これには波羅提木叉が
含まれ、上座部仏教においては227の禁止事項、75の儀礼規範、違反に対する罰則などで構成される[65]。

17:神も仏も名無しさん
25/09/26 21:50:52.36 zeyABNp6k
URLリンク(ja.wikipedia.org)ウィキペディア 仏教 からコピペさせていただきました。_(._.)_
初期仏教(原始仏教)
仏教は、諸説あるがだいたい2500年ほど前(紀元前5世紀頃)に、インド北部ガンジス川中流域で、釈迦が提唱し成立
したと考えられている(初期仏教)。当時のインドでは祭事を司る支配階級バラモンとは別に、サマナ(沙門)といわれ
る出身、出自を問わない自由な立場の思想家、宗教家、修行者らがおり、仏教はこの文化を出発点としている。

釈迦が死亡(仏滅)して後、直ぐに出家者集団(僧伽、サンガ)は個人個人が聞いた釈迦の言葉(仏典)を集める作業
(結集)を行った[67]。これは「仏典結集」と呼ばれ、マハーカッサパ(摩訶迦葉尊者)が中心になって開かれた[67]。
仏典はこの時には口誦によって伝承され、後に文字化される。釈迦の説いた法話を経・律・論と三つに大きく分類し、
それぞれ心に印しているものを持ち寄り、仏教聖典の編纂会議を行った。これが第一回の仏典結集である[67]。

最も古い仏教経典集である阿含経は、初期仏教の姿が色濃く反映されている。初期仏教は、人が苦しみから脱却する
方法として、あくまで自力による出家と修行を必要とするものであったが、より広く救いを求める切実な願いが原動力
となって形成されていった仏教の派(の総称)が大乗仏教である。ただ、そのような大乗仏教も、初期仏教における
世界観・救済観を乗り越える形で、業や空などの内実を変容・発展させていったという経過があるため、前提となって
いる阿含経を知ることは、大乗仏教を深く知る上でも有益と考えられている[68]。

18:「肉」の語源は「人」が2つ入っており「人肉」
25/10/08 05:53:08.37
「クライシスアクター」「宮本晴代」「豊島保養所」「ケムトレイル」「マグナBSP」「アドレノクロム」←画像検索&拡散!!
「ムサシ 不正選挙」←要検索!!!ちなみにアメリカは「ドミニオン」な

インドの対日レアアース輸出禁止・インドの航空機事故・インドの新幹線導入はリンクしています。
爬虫類(レプティリアン/DS)金融ヤクザ天〇財閥・tsmc浙江財閥等の中華系爬虫類組織をぶっ潰しましょう。

イラン国内のモサド工作員 ≒ イラン在住のレプ
レプ(DS)の地下施設に突撃!!!!

www.youtube.com/watch?v=UzEhzJw69KM www.youtube.com/watch?v=fsG76Mo5ZTs
www.youtube.com/watch?v=V1SXb3tIk8U www.youtube.com/watch?v=fa8ZfKL7TZ4
www.youtube.com/watch?v=EuQWR0cl7es www.youtube.com/watch?v=daApYtbhUbQ
www.youtube.com/watch?v=83ZMb2vK_dI www.youtube.com/watch?v=DlIqow9MnxQ
www.youtube.com/watch?v=ETlSW0OiB5U www.youtube.com/watch?v=xfW4ha_Bfrs
www.youtube.com/watch?v=HBL5oidtCpw www.youtube.com/watch?v=R6FLwGhZ4xY

あなたの周りにも存在し、自分たちの種族に敵対的な存在に対して集団ストーカー等を仕掛ける痛い下等種族です。

ユダヤ系住民がタムラへの攻撃を喜び、「村が燃えますように」と叫ぶ様子
↑人間同士の対立を煽るこいつがレプやで~~~~~~~~~!!!!!

19:主です。
25/10/09 02:07:07.77 /H7V9hMyu
 このあとの第三週目、、ブッダはムチャリンダ樹のもとへまいります。ブッダが樹のもとで瞑想し
ていると、ときならぬ大雲が起こって大雨となり、寒風が吹いてきました。このとき、ムチャリン
ダ龍王が自分の身体でとぐろを巻いてブッダを風雨から守ったと『ウダーナ』は伝えています。こ
のときブッダは、童子に変身したムチャリンダ龍王に詩をもって語りかけております。
   満足して、教えを聞き、真理を見るならば、孤独は楽しい。人々に対して害心なく、
   生きとし生けるものに対して自制するのは、楽しい。世間に対する貪欲を去り、もろも
   ろの欲望を超越することは楽しい。〈おれがいるのだ〉という慢心を制することは、じ
   つに最上の楽しみである。                 ーーーー『ウダーナ』
 冒頭、「教えをきき」とは、ダンマが聞こえてきたのでしょう。仮構された自己を打ち砕けば、
ダンマの世界と素通しになります。ダンマが聞こえ、真理が見えてくるのは当然です。ブッダはひ
とりダンマを聞き、真理をみて、法悦にひたっていたのです。そして、そのあと、生きとし生ける
ものに対する害心なく、慈しみの心をもつ故に、貪りやさまざまな欲望は超越されてしまいます。
さらに、「おれがいるのだ」という自己意識の慢心を制して、最高の充足感を味わっているという
のです。自己などというものは、我執が仮構したものであるかぎり、幻想であり、虚構であります。
その「おれがいるのだ」を打ち砕けば、仮構された世界も壊滅し、ダンマの世界の真只中、天上
天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)ではないでしょうか。この我はダンマの我であります。この一見平凡にみえる一節は、
ブッダの悟りの内容を表白しているのです。
「ブッダの人と思想 中村元(はじめ)・田辺祥二/大村次郎(写真) NHKブックス」
54ページと55ページより抜粋させて頂きました。_(._.)_

20:神も仏も名無しさん
25/10/09 03:49:28.03 Yl2hXsehF
正義アッラー神イスラム仏キリスト警察様ライ麦畑!宗教を世界中に撒こう!深呼吸ストレッチで健康に成ろう!遺伝子は鮮度が重要!政治と宗教を一致させよう!

21:神も仏も名無しさん
25/10/09 21:26:30.42 947EUVgeT
クリ。。、
ントたぶん、、は、あくぎょうだめ、

やじお
やじうまきょ。うは、まったくない、、そんざいしない。

やしお隠語仏教らんげないいみ、
cpy. ラー1. 24 a b >>>>>> うんぴく
うぐ、わたなべ、いわく、禁欲な
cpy. ラー1. 24 a b1 . 0 >>>>>> うんぴく

22:神も仏も名無しさん
25/10/09 21:28:27.85 947EUVgeT
クリ。。、
ントたぶん、、は、あくぎょうだめ、

やじお
やじうまきょ。うは、まったくない、、そんざいしない。

やしお隠語仏教らんげないいみ、
cpy. ラー1. 24 a b >>>>>> うんぴく
うぐ、わたなべ、いわく、禁欲な
cpy. ラー1. 24 a b1 . 2a b >>>>>> うんぴく
とりす、あくぎょう、だめ、、、、、、、

23:主です。
25/10/10 02:10:36.86 cOosni9Hl
>>18>>20>>21
書き込みをどうも有り難うございます。_(._.)_
早寝早起きしたいです。早めにネットを切り上げたいです

24:主です。
25/10/10 02:11:27.94 cOosni9Hl
>>22さんも書き込みをどうも有り難うございます。

25:主です。
25/10/10 19:40:31.01 Qh3pr73Me
  ブッダ「修行僧たちよ。たとえば弓術に巧みな練達の弓術師が四人、東西南北の四方
  に立っていたとしよう。そこへ一人の男がやってきて『四人がそれぞれ四方の方向へ向
  かって矢を射てください。そうすればわたしがそれぞれの矢が大地に落ちる前にすべて
  つかまえてごらんに入れましょう』といったとする。君たちはどう思うか、この人はた
  いへん敏捷な人といわねばならないだろう」
   修行僧「世尊よ、ひとりの弓術師の射た矢さえ大地に落ちる前につかまえたとしても、
  大変なはやさなのに、それも四人となればもはやその速さは申すまでもございません」
   ブッダ「修行僧たちよ、その男よりもっと速いのが日月の運行である。そしてその日
  月が天を走るよりさらに速いのが、人の寿命の消滅する速さである。このように考えて、
  我等は努め励まなければならない」
 これは、不放逸の教えであり、無常迅速の教えであります。ブッダの無常の教えは客観的な他人
ごとをいっているのではありません。自分もまた無常な存在であることに気づいたとき、不放逸な
らざるを得ないのでありましょう。
   つとめ励むのを楽しめ。おのれの心をまもれ。自己を難処から救い出せ。ーーー泥沼に落
   ちこんだ象のように。                ーーーー『ダンマパダ』三二七
   愚かに迷い、心の乱れている人が百年生きるよりは、つねに明らかな智慧あり思い静か
   な人が一日生きるほうがすぐれている。
   不死の境地を見ないで、百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きるほうがすぐれ
   ている。                          ----『ウダーナ』
「ブッダの人と思想 中村 元・田辺祥二/大村次郷(写真) NHKブックス」の
139ページと140ページから抜粋させて頂きました。_(._.)_
※敏捷は“びんしょう”と読みます。読めなかったので検索しました。

26:主です。
25/10/10 19:46:25.79 Qh3pr73Me
>>25ですが、経典の名前を入力し忘れたので貼り直しました。_(._.)_
ブッダ「修行僧たちよ。たとえば弓術に巧みな練達の弓術師が四人、東西南北の四方
  に立っていたとしよう。そこへ一人の男がやってきて『四人がそれぞれ四方の方向へ向
  かって矢を射てください。そうすればわたしがそれぞれの矢が大地に落ちる前にすべて
  つかまえてごらんに入れましょう』といったとする。君たちはどう思うか、この人はた
  いへん敏捷な人といわねばならないだろう」
   修行僧「世尊よ、ひとりの弓術師の射た矢さえ大地に落ちる前につかまえたとしても、
  大変なはやさなのに、それも四人となればもはやその速さは申すまでもございません」
   ブッダ「修行僧たちよ、その男よりもっと速いのが日月の運行である。そしてその日
  月が天を走るよりさらに速いのが、人の寿命の消滅する速さである。このように考えて、
  我等は努め励まなければならない」        ーーーー『相応部経典』譬喩相応
 これは、不放逸の教えであり、無常迅速の教えであります。ブッダの無常の教えは客観的な他人
ごとをいっているのではありません。自分もまた無常な存在であることに気づいたとき、不放逸な
らざるを得ないのでありましょう。
   つとめ励むのを楽しめ。おのれの心をまもれ。自己を難処から救い出せ。ーーー泥沼に落
   ちこんだ象のように。                ーーーー『ダンマパダ』三二七
   愚かに迷い、心の乱れている人が百年生きるよりは、つねに明らかな智慧あり思い静か
   な人が一日生きるほうがすぐれている。
   不死の境地を見ないで、百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きるほうがすぐれ
   ている。                          ----『ウダーナ』
「ブッダの人と思想 中村 元・田辺祥二/大村次郷(写真) NHKブックス」の
139ページと140ページから抜粋させて頂きました。_(._.)_

※敏捷は“びんしょう”と読みます。読めなかったので検索しました。
譬喩相応の読みは“ひゆそうおう”です。

27:主です。
25/10/11 00:15:50.39 PqZzonMno
  「一切の形成されたものは無常である。」(諸行無常)(しょぎょうむじょう)と明らかな智慧をもって観るとき
   に、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
  「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)(いっさいかいく)と明らかな智慧をもって観るとき
   に、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
  「一切の事物は我ならざるものである。」(諸法非我)(しょほうひが)と明らかな智慧をもって観るとき
   に、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
                                    ーーーー『ダンマパダ』二七三~二七九
「無常」「苦」「非我(無我)」に更に「涅槃(ねはん)」を加えて四法印(しほういん)といっています。これらが「清浄
行(しょうじょうぎょう)の実践の根拠であるといっています。これらは後ほど一つひとつ詳述しなければなりませんが、
「一切の 形成されたものは無常であり苦である。一切の事物は我ならざるものである」と受け取っ
て生きることが、清浄な生き方であるとするのはどういうことでしょうか。それは、すべて一つの
ことを指しているからであります。つまり、「執着をはなれろ」ということです。もう一度まとめ
てみましょう。
 諸行無常(しょぎょうむじょう)
 諸法無我(しょほうむが)((非我)(ひが))
 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
 一切皆苦(いっさいかいく)
 >>27に続く

28:主です。
25/10/11 00:17:01.80 PqZzonMno
>>26の続きです。
 すべての方向は「無執着」を指しております。これがブッダの教えの根本なのです。古来、「七
仏通誡偈」(しちぶつつうかいげ)と言われる詩句があります。これは仏教における実践とはどういうものかを具体的に述
べたもので、「清浄行」の内容といってもよいでありましょう。
 諸悪莫作(しょあくまくさ)  もろもろの悪をなすなかれ
 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) もろもろの善を奉行せよ
 自浄其意(じじょうごい)   自らその意を浄めよ
 是諸仏教(ぜしょぶっきょう)  それが諸仏の教えなり  (七仏通誡偈)
  すべての悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めることーーーこれが諸の
  仏の教えである。                      『ダンマパダ』一八三
 ※ーーー以下中略ーーーー※
(「ブッダの人と思想 中村 元(はじめ)・田辺祥二/大村次郷(写真) NHKブックス」の
17ページと18ページから抜粋させて頂きました。_(._.)_)

29:主です。
25/10/11 00:18:55.23 PqZzonMno
>>27>>28の訂正です。(^-^;「>>28に続く」と「>>27の続きです」の間違いでした。

30:主です。
25/10/11 20:43:48.71 lqJ/uAMLW
 心の制禦
 ブッダは自らの経験から自己浄化の道(清浄行)は決してやさしいものとは思っておりませんで
した。「自らその意を浄めよ」といっても、その意(心)の制禦が問題となりましょう。
  心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを直(なお)くする。ーーー弓
  師が矢の弦を直くするように。
  水の中の住居(すみか)から引き出されて陸(おか)の上に投げすてられた魚のように、この心は、悪魔の
  支配から逃れようとしてもがきまわる。
  心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは
  善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす。
                                  ーーーー『ダンマパダ』三三~三五
 どう心をおさめるか、これはブッダの時代からの大問題でありました。人は気をゆるめるならば、
どのようなことも条件次第ではやりかねない存在であります。人間の根本的な善悪の基準はあるの
でしょうか。たとえ善いことであっても、必ずしも人は進んでやろうとは思わない生きものではな
いでしょうか。その点についてブッダはどう考えていたのでしょうか。この答えはやはりブッダの
説く「清浄行」に帰ってくるのです。この行とは、とらわれ、妄執(渇愛)の克服であります。過
剰な欲望の克服です。それは一度に克服することはできませんが、常に挫(くじ)きつづけることによって
解脱へと近づく、これが自己浄化の道であります。この実践から自ずからに善悪の基準は生まれま
す。人を傷つけたり、あとで悔いるようなことを為(な)して自己をおとしめたりする行為は決して解脱
の道に寄与しません。
※ーーー以下 略しました。ーーー※
「ブッダの人と思想 中村 元(はじめ)・田辺祥二/大村次郷(写真)NHKブックス」の
21ページと22ページから抜粋させて頂きました。_(._.)_

31:主です。
25/10/12 00:28:29.70 ABH8TepDM
  この世で一切の罪悪を離れ、地獄の責苦を超えてつとめ励む者、精励する賢者、ーーーーそ
  のような人が〈つとめ励む者〉と呼ばれるのである。 ーーーー『スッタニパータ』五三一
  心は奮い立ち、思いつつましく、行いは清く、気をつけて行動し、みずから制し、法(のり)に
  従って生き、つとめ励む人は、名声が高まる。         ーーーー『ダンマパダ』二四
  思慮ある人は、奮い立ち、つとめ励み、自制・克己によって、激流もおし流すことので
  きない島をつくれ。                      ーーーー同、二五
  智慧乏しき愚かな人々は放逸(ほういつ)にふける。しかし心ある人は、最上の財宝をまもるように、
  つとめ励むのをまもる。                          ーーーー同、二六
 修行僧の一日の生活は、朝早く起き、瞑想し、午前中に托鉢に出て食事をすまし、午後は雑用と
座禅につとめ、夕方になると、瞑想から立って法堂(はっとう)に集まり法談や説法を聞き、夜は座禅ののち就
寝するという単純で素朴な生活であったと想像されます。食事は午前中に一回のみで、夜食は禁止
されていました。最初期の教団では、林住が主ですから、三三五五、林の中に散ってそれぞれに瞑
想に努めたことでしょう。中インドの気候ですから、こうしたアウトドアの生活が可能であったわ
けで、仏教が北回りで伝わった地方では、寺院なしには生活はできません。インドにおいても、ブ
ッダ在世中に、寺院(精舎)を寄進する人びとが現われました。
「ブッダの人と思想 中村 元(はじめ)・田辺祥二/大村次郷(写真) NHKブックス」の、
135ページと136ページから抜粋させて頂きました。_(._.)_
私は、今まで、放逸にふけってきたのですが、これからは行いを改めたいと思っています。

32:主です。
25/10/12 00:49:21.52 ABH8TepDM
 さらに経典は、ウダヤという修行者が、無明を破ること、正しい理解による解脱とはどういうこ
とかと質問していることに対してーーー
  ウダヤよ。愛欲と憂(うれ)いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨(かいこん)をやめ
  ること、平静な心がまえと念(おも)いの清らかさ、ーーーそれらは真理に関する思索にもとづい
  て起こるものであるが、ーーーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、である
  と、わたくしは説く。        ーーーー『スッタニパータ』一一〇六、一一〇七
 結局解脱の内容とは、言葉で表現するかぎり、平静な心構えと、念(おも)いの清らかさにゆき着いてし
まいます。
「ブッダの人と思想 中村 元(はじめ)・田辺祥二/大村次郷(写真) NHKブックス」の、
180ページと、181ページより抜粋させて頂きました。_(._.)_

33:神も仏も名無しさん
25/10/15 00:41:03.33 Z/6Vsfo7e
 空とは一見、思索された思想上の言葉として受け取りがちですが、本来空は実践の上に顕れるも
ので、思索の対象ではありません。むしろ、そうした方法で把握されない故に、空というのです。
例えば、あなたが一所懸命になって書類や本に熱中して仕事をしています。すっかり仕事三昧に入
っています。そこには仕事をしているという意識はありません。書類も本もありません。ただ“はた
らき”があるのみであります。時間をすっかり忘れています。まわりの世界も気にすることはありませ
ん。こうした三昧の状態、“はたらき”そのものになっている状態を「空」といいます。後世の禅者は
「空手(くうしゅ)に鋤頭(じょとう)をとる」などと表現しています。畑や田圃(たんぼ)を一所懸命に耕している人には、手に鋤(すき)や
鍬(くわ)はもっていません。持っていることを忘れてただ耕しています。耕すという“はたらき”あるのみで
す。こうした三昧(さんまい)の状態を空というのです。空とはただ無心の“はたらき”に顕わになるのであって、
思想上存在したり、思索された対象として存在するものではありません。よくそうした無心に生き
る人を形容して「空飛ぶ鳥に迹なし」といいます。こうした人は閻魔大王もその影すら見ることは
できません。
 財を蓄えることなく、食物についてその本性を知り、その人々の解脱の境地は空にして
 無相であるならば、かれの行く路(=足跡)は知りがたい。ーーー空飛ぶ鳥の迹(あと)の知り
 がたいように。
 その人の汚れは消え失せ、食物をむさぼらず、その人の解脱の境地は空にして無相であ
 るならば、かれの足跡は知りがたい。ーーー空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。
                        ーーーー『ダンマパダ』九二、九三
 後世の人はこれを詩的に表現して「歩々(ほほ)清風(せいふう)起(おこ)る」といっています。一所懸命に歩いている人に
脚などありません。脚を忘れて歩いています。無心に修行にはげむ人の歩みは、「歩々清風起る」
であります。ちょうど空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。
「ブッダの人と思想 中村 元(はじめ)・田辺祥二/大村次郷(写真) NHKブックス」の、
142ページと143ページから抜粋させて頂きました。_(._.)_

34:神も仏も名無しさん
25/10/15 01:11:41.37 Z/6Vsfo7e
>>19を貼り直しました。
 この世で依(たよ)れるものは、まさに自分が悟った法(ダンマ)ではないか、そうだ、この法(ダンマ)に依って生きてゆこ
う。このブッダの信念はこのときから一生を貫いて持続しています。最晩年の「自帰依(じきえ)、法帰依(ほうきえ)」
の説法はよく知られていますが、この遺言ともいわれる言葉は、すでに悟ったときからのブッダの
信念であったことがわかります。
 このあとの第三週目、ブッダはムチャリンダ樹のもとへまいります。ブッダが樹のもとで瞑想し
ていると、ときならぬ大雲が起こって大雨となり、寒風が吹いてきました。このとき、ムチャリン
ダ龍王が自分の身体でとぐろを巻いてブッダを風雨から守ったと『ウダーナ』は伝えています。こ
のときブッダは、童子に変身したムチャリンダ龍王に詩をもって語りかけております。
   満足して、教えを聞き、真理を見るならば、孤独は楽しい。人々に対して害心なく、
   生きとし生けるものに対して自制するのは、楽しい。世間に対する貪欲を去り、もろも
   ろの欲望を超越することは楽しい。〈おれがいるのだ〉という慢心を制することは、じ
   つに最上の楽しみである。                 ーーーー『ウダーナ』

35:神も仏も名無しさん
25/10/15 01:12:33.49 Z/6Vsfo7e
>>34の続きです。
 冒頭、「教えをきき」とは、ダンマが聞こえてきたのでしょう。仮構された自己を打ち砕けば、
ダンマの世界と素通しになります。ダンマが聞こえ、真理が見えてくるのは当然です。ブッダはひ
とりダンマを聞き、真理をみて、法悦にひたっていたのです。そして、そのあと、生きとし生ける
ものに対する害心なく、慈しみの心をもつ故に、貪りやさまざまな欲望は超越されてしまいます。
さらに、「おれがいるのだ」という自己意識の慢心を制して、最高の充足感を味わっているという
のです。自己などというものは、我執が仮構したものであるかぎり、幻想であり、虚構であります。
その「おれがいるのだ」を打ち砕けば、仮構された世界も壊滅し、ダンマの世界の真只中、天上
天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)ではないでしょうか。この我はダンマの我であります。この一見平凡にみえる一節は、
ブッダの悟りの内容を表白しているのです。
「ブッダの人と思想 中村元(はじめ)・田辺祥二/大村次郎(写真) NHKブックス」の、
54ページと55ページより抜粋させて頂きました。_(._.)_

36:神も仏も名無しさん
25/10/15 21:35:36.18 SIeKt1uHn
 死克服への道
※ー中略ー※
  つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるは死の境涯である。つとめ励む人々は
  死ぬことがない。怠りなまける人々は、死者のごとくである。
                           ーーーー『ダンマパダ』二一
 右のブッダの言葉には、空住の持続は不死の実現であるという意味が込められています。不死と
は努め励むという三昧の実現のことであることがわかります。しからばどうすれば不死は実現する
のでしょうか。モーガラーシャという修行者がブッダに、どうしたら死を超えられるかと聞いてい
ます。それに対するブッダの答え、ーーー
  つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そう
  すれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、〈死の王〉
  は見ることがない。              ーーーー『スッタニパータ』一一一九
 「自我に固執する見解をうち破れ」ということは、とりもなおさず、我執を挫けということです。
そうすると空住が実現する。故に死の王はそうした飛ぶ鳥の迹なきような無相の人を見つけること
はできないと説いています。この無相の人となるための実践の方法はどのようなものか、これがブ
ッダの八正道(中道)ということになります。八正道については前に述べましたが、一言でいえば
我執克服の道、清浄行ということになりましょう。※ー中略ー※
「ブッダの人と思想 中村 元(はじめ)・田辺祥二/大村次郷(写真) NHKブックス」の、
144ページから146ページより抜粋させて頂きました。_(._.)_

37:神も仏も名無しさん
25/10/16 21:42:17.44 epCTpTJNC
 第二章
悪魔との対話
 内省の人
※ー中略ー※
 結論から先に述べますと、悟ったらすべておしまいというものではないということです。つまり
前章で述べました「清浄行」に深くかかわっているのです。悪魔は当然ブッダの内心の汚れであり、
心のネガティブ(消極的)な一面を表しているのではないでしょうか。ブッダは伝道者でありまし
たが、また一面、修行者でありました。一生自己浄化につとめ、向上の一路を歩んだ人であります。
悪魔は、向上一路に現れるブッダの迷いであり、煩悩といってもよいものです。それを浄化しつつ
一生を歩まれたと考えてよいでしょう。またブッダの伝道は、高い処(ところ)から法を説くというより、修
行者の仲間と共に歩むという考え方でありました。ブッダの教団に入るものは、弟子というより仲
間であり、友でありました。共に慈しみ、反省しあい、助け合って仲間と共に真理の道を歩む「清
浄行」でありました。ブッダの悪魔は、もとより我われ凡人の煩悩とは質的に異なり、むしろ自己
反省のきっかけであったと考えられます。ー※中略※ー
「ブッダの人と思想 中村 元(はじめ)・田辺祥二/大村次郷(写真) NHKブックス」の、
25ページと26ページより抜粋させて頂きました。_(._.)_

38:神も仏も名無しさん
25/10/16 23:19:23.12 IpccK6408
>>1

スレリンク(kyoto板:866番)
> 仏敵に成った時には自ら命を断つと言う誓いをたてられたんですか?

掟として、自ら立てた誓いを全うするかどうかが問題かな
騙されたのであれば、騙した相手が責任を取るべきだと思います

39:神も仏も名無しさん
25/10/17 01:25:11.23 76saBHE6T
>>38 書き込みどうも有り難うございます。_(._.)_
それとも、誤爆ですか
リンクを見せて頂きました。千原兄弟のお兄さんは人懐こくて
いい人そうなイメージですが、深くは知りません。

40:神も仏も名無しさん
25/10/17 23:13:55.41 RkA84Kx6h
 四つの真理
 中道についで古来鹿の園で説かれたのは四つの真理、四聖諦(ししょうたい)(略して四諦)であるといわれてい
ます。この説法は仏教の中で最も重要な説法で、煩悩、渇愛を根底とした苦の人間観と縁起の道理
を一体化した根本教理といってよいものであります。
   修行僧らよ、真理の体現者のさとった中道とは‥‥‥それはじつに〈聖なる八支よりな
  る道〉である。すなわち、正しい見解、正しい思惟、正しいことば、正しい行ない、正
  しい生活、正しい努力、正しい念(おも)い、正しい瞑想である。‥‥‥
   じつに〈苦しみ〉という聖なる真理は次のごとくである。生まれも苦しみであり、老
  いも苦しみであり、病いも苦しみであり、死も苦しみであり、‥‥‥。
   じつに〈苦しみの生起の原因〉という聖なる真理は次のごとくである。それはすなわち、
  再生をもたらし、喜びと貪りをともない、ここかしこに歓喜を求めるこの妄執(もうしゅう)である。
  ‥‥‥
   じつに〈苦しみの止滅〉という聖なる真理は次のごとくである。それはすなわち、そ
  の妄執の完全に離れ去った止滅であり、‥‥‥。
   じつに〈苦しみの止滅にいたる道〉という聖なる真理は次のごとくである。これはじ
  つに聖なる八支よりなる道である。すなわち、正しい見解、正しい思惟、正しいことば、
  正しい行ない、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい瞑想である。
                          ーーーー『サンユッタ・ニカーヤ』
「ブッダの人と思想 中村 元(はじめ)・田辺祥二/大村次郷(写真) NHK ブックス」の、
65ページと66ページから抜粋させて頂きました。_(._.)_

41:神も仏も名無しさん
25/10/17 23:20:57.76 RkA84Kx6h
>>40の続きです。
 いわゆる「苦(く)、集(じゅう)、滅(めつ)、道(どう)」であります。この教説は実に巧みに構成されております。まず第一
命題が苦しみ「苦諦(くたい)」であります。第二命題は苦しみの原因「集諦(じったい)」であります。なぜ苦しみが起
こるかといえば、それは妄執(渇愛)があるからだというのです。しからば苦しみを除くのにはど
うしたらよいか、それは妄執を滅ぼせばよいということになります。これが第三命題の「滅諦(めったい)」にな
るのです。そして、妄執を滅し、苦を消滅するための実践、これが「道諦(どうたい)」になります。
 まずこの教説の第一命題である「苦」とは何かであります。苦とは申すまでもなく「生老病
死(しょうろうびょうし)」であります。さらに四つの苦を加えて四苦八苦といいます。すなわち、憎いものに会わねばな
らない苦しみ、「怨憎会苦(おんぞうえく)」、愛するものと別れなければならない苦しみ、「愛別離苦(あいべつりく)」、求めるも得
ることのできない苦しみ、「求不得苦(ぐふとくく)」。苦しみの要素をあつめた人間存在としての苦しみ、「五陰
盛苦(ごおんじょうく)(五取蘊苦)(ごしゅうんく)」。
「ブッダの人と思想 中村 元(はじめ)・田辺祥二/大村次郷(写真) NHK ブックス」の、
66ページから抜粋させて頂きました。_(._.)_

42:神も仏も名無しさん
25/10/17 23:26:56.26 RkA84Kx6h
>>41の続きです。
 この四苦八苦は教理的分類であって、苦とはもっと微妙で複雑で、八つあげたものが錯綜してい
るものでありましょう。人生はすべて楽しいと信じている人にとっては、仏教は無縁であります。
しかし、どんな人間でも、苦から無縁であることはできません。というのは苦とは、もともと「思
い通りにならないこと」を意味しているからです。人生はすべて思い通りになることはありません。
人生は決定的に苦と結びつけられています。この世に思い通りに生まれた人はいませんし、老いや
病いや死から自由となって思い通りにコントロールするわけにはいきません。死別の苦しみは思い
通りにならない第一のものですし、気に入らない人、あるいは気に入らない事に出会うこともどう
にもなりません。また望んで手に入らないものばかりであります。これが人間存在の現実なら人生
は苦であります。この苦の自覚がブッダの理法に入る第一歩なのです。この根本苦というべきもの
は、人間のはからいで何とかなるものではありません。日常的な不足や不安といったものは努力す
るとか、改善するとかして超えることはできますが、存在自体の苦しみは避けたり捨てたりできま
せん。苦の原因は妄執とか渇愛(かつあい)とかいわれます。渇愛とはのどが渇いたとき水を求めるあのやむに
やまれぬ欲求を比喩的にいっている言葉です。これは人間の根源的な生存に対する深く重い執着の
ことではないでしょうか。この自覚と反省の中から、第四命題の実践である「道諦」が説き出され
ております。
「ブッダの人と思想 中村 元(はじめ)・田辺祥二/大村次郷(写真) NHK ブックス」の、
66ページと67ぺージから抜粋させて頂きました。_(._.)_

43:神も仏も名無しさん
25/10/17 23:28:44.65 RkA84Kx6h
>>42の続きです。
 一、正しい見解(正見)、真理に対してありのままに見る。
 二、正しい思惟(正思)、煩悩を離れること、瞋(いか)りの心をおこさないこと、傷つけないことなど
   常に心がける。
 三、正しいことば(正語)うそいつわり、そしり、荒々しい言葉を止(や)める。
 四、正しい行い(正業)殺生、盗み、不倫、などよこしまなことをしない。
 五、正しい生活(正命)、衣食住について貪らず、適正な生活。
 六、正しい努力(正精進)、善悪に対して正しい判断をして対処する努力。
 七、正しい念い(正念)、一瞬一刻に常に注意を払い、油断せず心を保つ。
 八、正しい瞑想(正定)、欲望を制禦して精神統一につとめる。
 ブッダは、常人にできないアクロバットな修行、不可思議な霊力をめざるオカルト的修行、身心
を極端に苛む苦行を奨励してはおりません。八正道は今ひとつ具体的ではありませんが、この中の
すべてを実行するというより、生活を過剰な欲望によって汚さず、正常に保ち、正念と正定を実践
するということであれば、決して普通人である我われにもできないことではありません。ブッダの
ように六年間の難行苦行ののちに、一撃に悟るなどということは望むべくもありませんが、時間を
かけて努めつづけるなかに、しだいに、ダンマの生活が実現してくるのではないでしょうか。
「ブッダの人と思想 中村 元(はじめ)・田辺祥二/大村次郷(写真) NHK ブックス」の、
67ページと68ぺージから抜粋させて頂きました。_(._.)_

44:神も仏も名無しさん
25/10/18 23:22:05.10 5aTzPc0h0
四〔尊師いわく、ーー〕
    「怒りをやめて、安らかに臥す。怒りをなくして、悩まない。〈毒の根で
    あり、その頂(いただ)きが甘いものである怒り〉を滅ぼすことを、聖者たちは称
    讃する。ヴァトラブーよ。それを滅ぼしたならば、悩むことがないのである。」
「岩波文庫 ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤ Ⅰ 中村元(はじめ)訳」の109ページより
抜粋させて頂きました。_(._.)_ ※臥すは“ふす”と読みます。

45:神も仏も名無しさん
25/11/21 22:18:13.57 0UP213kZW
>>38
> 仏敵に成った時には自ら命を断つと言う誓いをたてられたんですか?

「仏敵に成った時は自ら命を断つと言う覚悟で
みんな命がけで出家していますから、日本の仏教だけは大丈夫ですよ。
みんな命がけで出家していますから安心してください。」
ってお坊さん達は昔言っていたんだよと祖母が言ってた

46:神も仏も名無しさん
25/12/01 22:34:58.77 3oK4/KF9a
>>5
> 釈迦が悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた苦集滅道の4つ。

般若心経には「無苦集滅道」とあり、「苦集滅道」は「無い」と読めます。
そうすると悟りに至る方法論は無いと言うことになり、
釈迦の教えと矛盾することになるのですが何故でしょうか?

47:神も仏も名無しさん
25/12/06 00:10:39.50 CI+i5md6S
>>45>>46 書き込みをどうも有り難うございます。_(._.)_
久しぶりに来ました。(母親のノート型パソコンなので返していたので)
今日はもう遅いので、レスは又明日させて頂きます。お休みなさい☆彡

48:神も仏も名無しさん
25/12/06 16:13:23.46 Esiaomb9J
>>45 仏敵とは具体的にはどういうことなんですかね・・?
なんとなくは分かるんですが 私は自殺する勇気ないんです。
何度も死にたいと思ってきたし今も生きている資格がないと思っているけど
(去年大罪を犯してしまいました。)

天台宗は命がけで出家するんですね

49:神も仏も名無しさん
25/12/06 16:35:03.81 Esiaomb9J
>>46 「般若心経 無苦集滅道」で検索したんですが、 このページURLリンク(heart-c.org)に、
“心理から見た「般若心経」苦集滅道
般若心経の第13回目は「無苦集滅道」についてです。

苦集滅道とは何か。

苦諦、集諦、滅諦、道諦を四聖諦と言うのですが、その一番目の苦諦というのは「この世は一切が苦(因果の果)」ということです。

そして集諦は「苦の原因(因果の因 執着 欲求)」、滅諦は「苦を無くす」、道諦は「無くす方法」となります。

ということは、無苦集滅道とは「苦しみもその原因も、それをなくすことも、そして、その方法もない」ということになるわけですね。

「な~んにも無い」ということなのです。”
と、書いてありました。それを読んでも良く分かりませんでした。すいません。
ちなみに浄土真宗でも、親鸞聖人は自力聖道門の教え(八正道などだと思います。)ではなく
他力の教えを説かれました。

50:神も仏も名無しさん
25/12/06 16:36:23.41 Esiaomb9J
>>49のリンクが上手く貼れていませんでした。
URLリンク(heart-c.org)

51:主です。
25/12/18 13:07:49.03 e5pDonqC3
下に貼ったのは、メンタルヘルス板に12月5日(金)に私が立てたスレです。
こちらでもブッダの教えを紹介させてもらっています。

スレリンク(utu板)
ブッダの教えをご紹介して回復を目指すスレ

52:神も仏も名無しさん
25/12/22 23:54:27.99
>>48
> 天台宗は命がけで出家するんですね

比叡山は「日本仏教の母山」と呼ばれているそうですから
天台宗から派生した宗派では、皆さん「命がけで出家」されているんでしょうね

スレリンク(kyoto板:2番)-8

53:神も仏も名無しさん
26/01/15 15:15:40.37 X3pbQq0Uu
>>52 貼っていただいたリンクにまだ目を通せていませんが、
時間に余裕のある時に読ませて頂きたいです。どうもです。
>>45 命がけで出家しているから大丈夫とはどういうことですか?
何が大丈夫ということなんですかね

54:神も仏も名無しさん
26/01/15 15:16:37.46 X3pbQq0Uu
また、仏敵になるとはどういうことですか

55:神も仏も名無しさん
26/01/15 15:19:43.17 X3pbQq0Uu
物分かりが悪いのですいません。あと、>>48でも自分を責める書き込みをしましたし、
ずっとその事故(大罪と書きましたが)のことで自分を責め続けていましたが、
ブッダの教えではそれは違うということを何度も繰り返しCopilotに教えて頂き
今日からは罪悪感を減らすことができそうです。

56:神も仏も名無しさん
26/01/15 15:20:42.43 X3pbQq0Uu
過去は変えられないがこれからの行いは変えられると思えました

57:神も仏も名無しさん
26/01/15 22:33:57.63 X3pbQq0Uu
>>2 の内容に疑問を持ったので Copilot に確認したところ、
以下のように教えていただきました。
「初期仏教・部派仏教・大乗仏教の違いが整理されていないため、
一般的な説明としては正しいものの、厳密には不十分な点がある」
とのことでした。

58:神も仏も名無しさん
26/01/15 22:42:52.60 X3pbQq0Uu
>>57の続きです。
具体的には、
「・時代や宗派によって輪廻観や六道の扱いが異なるため、本来は区別が必要であること
・六道は、実在の世界として理解される場合と、心の状態の象徴として解釈される場合があること
・神(天)の説明は概ね正しいが、日本仏教では神道との習合により位置づけが複雑になること  」
以上の点が補足として必要だと教えていただきました。

59:神も仏も名無しさん
26/01/15 22:55:48.87 X3pbQq0Uu
>>2の内容についてCopilotに確認して、上記に加えて、以下のようにも教えてもらいました。
①「仏教はインドの輪廻観を前提にしている」
→ 一般的には正しい。ただし、釈迦自身は輪廻の仕組みよりも
「苦の原因とその止滅」を重視していた点が補足として必要。
②「初期仏教の目的は解脱である」
→ これも正しい。ただし、大乗仏教では目的が
「衆生救済」へと拡張される歴史的変化がある。
③「輪廻転生・六道の説明」
→ 概ね正しいが、厳密には注意が必要。
 初期仏教は五道、大乗仏教は六道という違いがある。
 また、六道を“実在の世界”と見るか“心の状態の象徴”と見るかは
 時代や宗派で大きく異なるため、説明としては補足が必要。
④「神(天)は仏より下位の存在」
→ 仏教的には正しい。ただし、日本仏教では神道との習合が進んだため、
 天部や神々の位置づけがインド仏教より複雑になっている点が抜けている。
以上の理由から、ウィキペディアの説明は
「大まかには正しいが、初期仏教・大乗仏教・日本仏教の違いが整理されていないため、
厳密には不十分な部分がある」とのことでした。

60:主
26/01/16 08:10:15.89 GMV2EamRF
>>31
私は、今まで、放逸にふけってきたのですが、これからは行いを改めたいと
思っています。
と書いたけど、全然できてない

61:神も仏も名無しさん
26/01/18 16:11:12.56 yVYOVkJNz
>>21>>22さんへ
私も誤解していたのですが、仏教は禁欲主義ではないそうです。
以下は、AIのCopilotに今教えて頂いたことです。そのまま貼っています。
“1. 仏教は禁欲主義ではない
お釈迦さま自身が苦行や禁欲を否定し、
「中道(ほどよさ)」を説いたこと。

2. 出家者の戒律は“心を静めるための生活スタイル”
我慢や罰ではなく、
瞑想に集中しやすくするための環境づくりであること。

3. 在家の人には在家の道がある
五戒だけで十分で、
午後不食や性的禁欲は求められないこと。

この3つを知るだけで、
仏教のイメージがガラッと変わる人は多いです。”

62:神も仏も名無しさん
26/01/23 18:55:44.06 mQnB5/3AL
別のスレで「女性は三つの悪い癖があるから地獄に落ちる」「女性は道を歩むのが難しい」といった記述が
仏教聖典にあると紹介してしまったのですが、実際にその記述はあるのですが、
Copilotに聞いたところ、あれは正確ではありませんでした。

あのような表現は、後世の社会的価値観や文化的背景が反映された部分で、釈迦本人の教え(初期仏教)とは
区別して考える必要があると分かりました。
原始仏教には、女性を本質的に劣った存在とする教えは確認されていません。

誤った紹介をしてしまったので、こちらで訂正させていただきます。

63:神も仏も名無しさん
26/01/23 21:42:36.46 mQnB5/3AL
>>62の補足です。「女性は三つの悪い癖があるから地獄に落ちる原因を作る」
というような話は佛教婦人聖典の中にある話です。
昭和二十四年発行の小さな勤行の本の最後のほうに聖訓として入っている話です。(132ページ)

64:神も仏も名無しさん
26/01/24 17:10:10.92 FKEnlSc46
>>25>>26の補足です。Copilotに私が質問して教えてもらったことです。
🌿 原典のニュアンスは「強制」ではなく「目覚めの方向づけ」
パーリ語の ?t?pi sampaj?no satim? や appam?da(不放逸)は、
「頑張れ」「努力しろ」という命令ではありません。
むしろ、
**“気づいていよう”
“眠らないでいよう”
“心を見失わないように”**
という、静かで柔らかい呼びかけです。
「努め励む」という訳語が強く聞こえるだけで、
原語には“追い立てる圧力”はありません。
🌼 ブッダは“できない人”を責めたことが一度もない
ブッダが叱ったのは、
他人を傷つける人
欲望に溺れて他者を利用する人
真実を知ろうとせず、慢心する人
であって、
「努力できない人」や「弱い人」を責めたことは一度もありません。
むしろ、
心が乱れること
迷うこと
落ち込むこと
できないと感じること
これらはすべて「人間として当然」と受け止めています。

65:神も仏も名無しさん
26/01/24 17:21:24.86 FKEnlSc46
>>64の補足です。(Copilotに質問して答えてもらったことです。)
🌙 「眠らないでいよう」=心がぼんやりしないように
パーリ語の appam?da(不放逸) や
?t?pi sampaj?no satim? に含まれる「眠らない」は、

心がぼんやりしている状態

気づきが途切れている状態

惰性で流されている状態

を「眠り」と呼んでいるだけです。

身体の睡眠は、むしろ修行にとって必要なものです。
ブッダは弟子たちに十分な休息をとるように指導しています。

66:主です。
26/02/05 11:28:45.12 ZF3d16ak7
 ニルヴァーナの先には何もない
 しばしば、こう質問される。ニルヴァーナの先には何があるのか?この質問はあ
りえない。というのはニルヴァーナは究極真理だから。究極である以上、その先には
何もない。もしニルヴァーナの先に何かがあるとすれば、ニルヴァーナは究極真理で
はない。ラーダという弟子が、別なかたちでブッダに質問した。ニルヴァーナは何
のためのものですか?」。この質問は、ニルヴァーナの目的を問題にしている以上、
ニルヴァーナの先に何かがあることを前提にしている。それゆえにブッダはこう答え
た。「ラーダよ、この質問は的外れである。人は聖なる生を、ニルヴァーナを最終ゴ
ール、目標、究極終着点として生きる」(第4章 第三聖諦 ドゥッカの消滅)
「岩波文庫 ブッダが説いたこと ワールポラ・ラーフラ著
 今枝由郎訳 岩波書店」の、 101、102ページより抜粋させて頂きました。_(._.)_

67:主です。
26/02/05 11:34:16.80 ZF3d16ak7
>>43を改めて貼らせて頂きました。自分の心の苦しみを無くすために大事だと思ったので。。
特に私は怒りが強い時は言葉遣いがとても汚くなるので、正語を気をつけたいです。あと、正思。

 一、正しい見解(正見)、真理に対してありのままに見る。
 二、正しい思惟(正思)、煩悩を離れること、瞋(いか)りの心をおこさないこと、傷つけないことなど
   常に心がける。
 三、正しいことば(正語)うそいつわり、そしり、荒々しい言葉を止(や)める。
 四、正しい行い(正業)殺生、盗み、不倫、などよこしまなことをしない。
 五、正しい生活(正命)、衣食住について貪らず、適正な生活。
 六、正しい努力(正精進)、善悪に対して正しい判断をして対処する努力。
 七、正しい念い(正念)、一瞬一刻に常に注意を払い、油断せず心を保つ。
 八、正しい瞑想(正定)、欲望を制禦して精神統一につとめる。
 ブッダは、常人にできないアクロバットな修行、不可思議な霊力をめざるオカルト的修行、身心
を極端に苛む苦行を奨励してはおりません。八正道は今ひとつ具体的ではありませんが、この中の
すべてを実行するというより、生活を過剰な欲望によって汚さず、正常に保ち、正念と正定を実践
するということであれば、決して普通人である我われにもできないことではありません。ブッダの
ように六年間の難行苦行ののちに、一撃に悟るなどということは望むべくもありませんが、時間を
かけて努めつづけるなかに、しだいに、ダンマの生活が実現してくるのではないでしょうか。
「ブッダの人と思想 中村 元(はじめ)・田辺祥二/大村次郷(写真) NHK ブックス」の、
67ページと68ぺージから抜粋させて頂きました。_(._.)_

68:主です。
26/02/05 11:39:47.81 ZF3d16ak7
>>44も大切な教えだと思うので改めて貼らせて頂きました。_(._.)_
四〔尊師いわく、ーー〕
    「怒りをやめて、安らかに臥す。怒りをなくして、悩まない。〈毒の根で
    あり、その頂(いただ)きが甘いものである怒り〉を滅ぼすことを、聖者たちは称
    讃する。ヴァトラブーよ。それを滅ぼしたならば、悩むことがないのである。」
「岩波文庫 ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤ Ⅰ 中村元(はじめ)訳」
の109ページより抜粋させて頂きました。_(._.)_ ※臥すは“ふす”と読みます。

私は怒りを無くすのが課題です。

69:主です。
26/02/21 15:27:04.47 qfSu9RR17
>>66でご紹介した「人は聖なる生をニルヴァーナを最終ゴールとして生きる」という言葉について、
誤解が生じないように補足をさせてください。以下に貼った補足説明は、私がCopilotというAIに確認して
まとめてもらった内容です。原始仏教の教えの背景を整理したものなので、参考になれば幸いです。
※ワールポラ・ラーフラの著書にある「人は聖なる生をニルヴァーナを最終ゴールとして生きる」
という言葉は、原始仏教における出家者(比丘・比丘尼)の修行の道を説明したものです。
原始仏教では、出家者と在家者の生き方は明確に区別されています。
● 出家者の道(ブラフマチャリヤ)
出家者は家庭や財産を離れ、戒律と瞑想に専念し、
ニルヴァーナを直接の目標として生きることが求められます。
ラーフラの言葉は、この「出家者の理想的な修行」を述べたものです。
● 在家者の道
一方、在家者は家庭や仕事を持ち、社会の中で生活します。
原始仏教では、在家者に対して
欲望を完全に断つこと
出家者のように聖なる生を生きること
ニルヴァーナを直接の目標にすること
を求めていません。
在家者に勧められるのは、もっと現実的で穏やかな生き方です。
他者を傷つけない
善い行いを積む
執着を少しずつ弱める
苦しみを増やさない
心を少しずつ穏やかにする
こうした日々の実践が、在家者にとって十分な仏道とされています。
● 補足として伝えたいこと
ラーフラの言葉は「出家者の理想的な修行」を説明したものであり、
在家者にそのまま当てはめる必要はありません。
在家者には在家者の道があり、
原始仏教はその生き方を尊重しています。

70:主
26/02/21 22:08:01.44 qfSu9RR17
('ω')ノ

↑この顔文字可愛いのでふと貼ってみたくなりました。

71:主
26/02/21 23:27:31.03 qfSu9RR17
以前私がAIのCopilotに質問をして、それに対してCopilotが答えてくれたことをそのまま貼りますね。
(私がメモ帳に保存していたものです)
① 戒律を守ると「長寿・健康・名声」などが得られると説く場面
たとえば『善生経(シーガーラ経)』などでは、
親を敬う
嘘をつかない
酒に溺れない
浪費しない
といった生活倫理を守ることで、
信頼される
財産が守られる
家庭が安定する
といった“現世的な利益”が自然に生まれる、と説かれます。
これは「祈れば叶う」ではなく、
因果の結果として現実的な利益が生じるという意味です。
② 慈悲の瞑想をすると「眠りが良くなる」「悪夢が減る」などの効果
『慈経(メッタ・スッタ)』では、
よく眠れる
目覚めが良い
悪夢を見ない
人に好かれる
といった“現世的なメリット”が挙げられます。
これも「神仏にお願いする」ではなく、
心の状態が整うことで自然に起こる効果です。
※次のレスに続きます。

72:主
26/02/21 23:28:53.66 qfSu9RR17
>>71の続きです。
③ 布施をすると「豊かさが返ってくる」と説く場面
布施(ダーナ)についても、
心が柔らかくなる
執着が減る
人間関係が良くなる
という心理的・社会的な利益が語られます。
これも「ご利益」ではなく、
行為の因果としての自然な結果です。

※補足です。
これは「信じれば叶う」という話ではなく、
原始仏教の経典に書かれている“因果の説明”です。
宗教的な勧誘ではありませんので、気軽に読んでいただければと思います。

※この内容はさきほど他の掲示板にも貼った内容です。BLUEしゃべり場です。
URLリンク(jbbs.shitaraba.net)

73:神も仏も名無しさん
26/03/08 18:08:06.95 xJaOP42RY
原始仏教で「雑談(サンパッパラーパ)」が禁止されているのは、
出家修行者(比丘)に対する戒律(ヴィナヤ)です。

●出家者
 → 一生を修行に捧げるため、心を乱す無益な話を避ける規律がある
 → その一つが「雑談をしない」という戒律

●在家者
 → 家族・仕事・社会生活の中で生きるため、雑談や交流は自然な行為
 → ブッダは在家者に雑談を禁じていない

つまり、
「雑談禁止」は出家者の修行規律であり、
在家者が雑談することは仏教的に問題ありません。

※以上の情報は、私がCopilot(AI)に質問して教えてもらった内容です。

以前、他のスレッドで
「雑談は師の禁じられたことであるというのに。」
という仏弟子の言葉を紹介してしまったのですが、
これは出家者に向けられた言葉でした。

私は、それがすべての人に当てはまることだと誤解していました。訂正します。

(この文章は、AIのCopilotに手伝ってもらいながら書きました。)

74:主
26/03/08 18:54:11.31 xJaOP42RY
怒りの中にある者は、教えを受け取れない —— 原始仏教の視点
原始仏教では、怒りに支配されている心を
「閉じた心(パティガ)」 と呼びます。
この状態の心には、
どんなに正しい教えであっても届きません。

■ 1. 怒りの心は“閉じている”
ブッダはこう説明します。

怒りの最中は、理解力が働かない
注意や助言を「攻撃」と受け取る
正しい言葉(正語)を求められると、さらに怒りが強くなる

つまり、
怒りの中では、教えを受け取る準備が整っていない。

■ 2. 暴言は“攻撃”ではなく“防御”
原始仏教では、暴言は
心が自分を守ろうとしているサイン とされます。

だから、

正しい言葉を求める
道徳を説く
八正道を提示する

こうした行為は、
相手に「防御を奪われた」と感じさせ、
怒りをさらに強めてしまう。

※以上は、Copilot(AI)に質問して教えてもらったことです。

75:主
26/03/08 18:58:04.20 xJaOP42RY
>>74の続きです。
■ 3. ブッダが重視したのは“タイミング”
ブッダは弟子たちにこう教えています。
「言葉は、相手の心が受け取れるときにのみ語れ。」
怒りの最中は、
そのタイミングではありません。
だから、
説得
正しさの提示
教えの説明
これらはすべて逆効果になります。

■ 4. 怒りの人に必要なのは“正しさ”ではなく“安全”
怒りの心は、
否定
指摘
正しさの押しつけ
に非常に敏感です。
必要なのは、「あなたを攻撃しない」という安全の感覚。
教えは、心が落ち着いてからでないと届きません。

🌙■ まとめ
怒りに支配されている人に対しては、
教えは届かない
正語を求めると逆効果
説得や助言は“攻撃”と受け取られる
必要なのは正しさではなく、安全
教えは、心が静まったときに初めて届く
これは、人間の心の仕組みに基づいた原始仏教の原則です。
※以上は、Copilotに私が質問して答えてもらったことです。

76:神も仏も名無しさん
26/03/11 16:38:13.22 xqYeSdaL9
>>61の訂正です。すみません。
五戒は、もともと在家者に向けて示されたものです。
ただし「戒律」ではなく、パーリ語では sikkh?pada(学処)と呼ばれます。
意味は「学ぶための項目」「練習すること」で、在家者の義務ではありません。
自分の意思で引き受けるもので、守れなくても罪ではなく、強制もありません。

※ AI(Copilot)が説明した際に、
   原始仏教ではなく、後代の仏教で一般的になった解釈が一部混ざってしまい、
   「五戒が在家者の義務である」かのような誤解を生む表現がありました。
   原始仏教では、五戒はあくまで“自由意志で学ぶ倫理(学処)”です。

※以上はCopilotと相談しながら作ってもらった訂正文です。

77:神も仏も名無しさん
26/04/01 12:54:57.94 188wHhkGT
>>46 >>49
> 「般若心経 無苦集滅道」について

2つ考えられるよね

A : 仏教を知らない者が「苦しみを集めて滅する道は無い」と書いた
   → 仏教を知らない者が「般若心経」を書いた
   → 「般若心経」は仏教の経典ではない
B : 仏教を知っている者が「四聖諦は無い」と書いて仏教を否定した
   → 仏敵が「般若心経」を書いた
   → 「般若心経」は仏教の経典ではない

結論:「般若心経」は仏教の経典ではない

このあたりに落ち着くのかな?

78:主です。
26/04/09 07:21:19.27 kU4drRotL
>>77 レスをどうもありがとうございます。
>>46は私のレスではないのですが、>>49は私のレスです。

私の家の宗教は浄土真宗なのですが、最近私は浄土真宗の教えに疑問を持っています。
浄土真宗の教えも仏教の経典ではないと言えるように思えます。

原始仏教を最近は信じるようになっています。
大乗仏教は後代に生まれた教えだからです。
般若心経についてはよく分からないのですが、(というか全く知らないのですが)
今、Copilotに聞いたら大乗仏教だということでした。

79:主です。
26/04/09 07:36:49.03 kU4drRotL
>>77
因みに私は今精神科の薬を4か月ちょっと断薬中で、
しかも、昨夜は徹夜してしまったので頭がぼーっとしていて、
文章が今頭に入りにくい状態なので適切な返しが出来てないと思います。
ごめんなさい。


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch