26/04/02 23:33:30.83 SICf0eSa.net
「聖書には、先ず始めに言葉ありき」と教えられています。
デジタル大辞泉の解説によれば、
始(はじ)めに言葉ありき
《新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章から》創世は神の言葉(ロゴス)からはじまった。
言葉はすなわち神であり、この世界の根源として神が存在するという意。
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この事の意味ですが、「言葉≡ロゴス」なのですが、ロゴスはミュトスと対比される言葉、対句というようなもののようです。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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『ミュトスに対して、ロゴスはある。
「空想」に対して「理性」があり、「物語る言葉」に対して「論証する言葉」があるのである。』
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つまり、聖書冒頭の「先ず始めに神ありき」と言う言葉は、「先ず始めにロゴスありき」という言葉であり、
「理」があるという、意味になる。
ヨハネ伝の聖書の文言そのものが「先ず理ありき」と約されても、意味として正しく、そして、イエス様は、天にては、父なる神の右手に、いぬいの方向に位置していると言うことも、イエス様そのものから、語られている。
まさに、先ず始めに「ロゴス」あり。となる。
「神は理である、理は神である。」
「あると信じて願う誠に、見えてくる利益が神の姿である。」
それは「理」を信じると言うことであり、「理」が見えない世界とは、まさに、心の闇の世界。
おやさまが存命でおられるということは、「理」が理として、常にそこにあると言う意味をなす。