24/11/11 15:08:58.73 FbrovhOW.net
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確かに、坐禅を実践すれば心は安らぎ癒される。これは経験的事実である。
坐禅によって【下層脳が活性化】し、心が安らぎ癒されるためだと考えられる。
≪無分別智≫は後世の大乗仏教では
≪般若智≫となる。
これが禅宗に受け継がれて行ったと考えれば分かり易い。
≪無分別智や般若智≫は、ブッダの智慧とされている。
その起源を上述のように考えると、仏教の本質は、脳科学に直結する合理的なものだと言えるだろう。
ブッダは【縁起のプロセス】を、正しく観察し、怠らず、修行に専心してつとめ励むことを重視している。
これは坐禅修行で≪無分別智≫を開発するとともに
合理的な≪分別智(上層脳、理知)≫を働かせること(正見)を意味している。
ブッダは無分別智とともに分別智から生まれる「正見」を重視したと言えるだろう。
これを次の図4.5に示す。
● 図4.5 識別作用(識)の止滅から般若智への流れ
この図4.5から分かるように
≪無分別智≫とは
下層脳の活性化と合理的な≪分別智≫(正見)から成ると考えられる。
禅定に入ることによって【識別作用(識)】が寂滅すると、活性化された下層脳だけになる。
しかし、下層脳は≪分別智≫(理性や知性のもと)と違って無意識脳だから、それから【智慧】が生まれるはずはない。
上層脳の合理的な【分別智】(正見)によって下層脳を補助することで真の智慧になると思われる。
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パ註釈
分別智において、見えた、理路を、無分別智において、捉え直す
これが【慧】ではないのでしょうか?
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