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1996年5月上旬、大阪市内の書店に森上逍遥(山口修源)著作を置くなとクレームをつけた客に対して、維摩会(ニュータイプスユニバース) の見解。
「卑劣漢に鉄槌を このような卑劣漢は、草の根分けても捜し出し、鉄槌を下す必要がある。真理を貫くために何事も辞さない覚悟である。卑劣漢、断じて許すまじ。(事務局)」維摩会の会報誌1996年6月号P39
森上逍遥(山口修源)維摩会教祖
仏陀出現のメカニズム(国書刊行会)
270ページ「殺人は罪ではない」章
274ページから、そのまま引用します。
少し話は飛躍するが、あえていえば、聖人は人を殺しても良いが、凡人は人を殺してはならない。
なぜなら凡人の殺人は執着をもって行われているため一層の因縁を生じさせていくが、聖人のそれは無欲にして天意に添うものであるから、「罪」(sin)とはならないのである。
「以前、テレビで田原総一朗氏や麻原彰晃氏などが〇〇差別について討論していた。麻原氏が「〇〇に生まれるということも業である」と言うと、「それは差別だ!」と田原氏がくってかかって、もう大変だった。
しかし、あれは麻原氏が正しい。当然のことながらも、〇〇民も業に因るのである。因果応報なのである。因果応報によって〇〇民になり、差別を受けるようになるのだ。」
教団会報紙99号1994年10月1日