22/05/04 19:24:31 1/mgd5S1.net
まず貴方は夢で本を読めるのかどうか知りたいのだが?
夢の中の識字力を示した上で対話したら、もう少し建設的な意見交換ができるのではないか?
私もやっと短い文章というか、断片が日本語として認識でき、読めるようになっただけで偉そうなことは言えないが、
少なくとも「夢の中の識字力」は自我復元の進捗を測る有力な尺度だと考える
それを批判する人もいて良いが、貴方の論は根拠に乏しい
自分は夢の中で本を読めるが回復した手応えがない、とかなら聞く耳を持つが
私の感触ではイメージの描写が絶望的に苦手な人も一定数いて、そのタイプは無理して崩山氏の手法に固執する必要はないと思う
無論、中核部分は変えるべきではないが、周辺部分は別に聖域ではないだろう
復元が上手くいくことが大事なのであって、臨機応変に個々で創意工夫をすれば良い
少なくとも私は>>11の改善策で上手くいっている
進捗を測る尺度も示した
建設的な提言をしているのはどちらだろうか?
むしろ、なぜクーラーボックスを送ると呼び掛けで明示することで事態が改善されたのかを興味深く考察すべきだろう
そこに自我復元法をより深く理解するヒントがあるように思う
私見では自我提供の呼び掛けに応じる生死の狭間にいる人は、思ってる以上にぼんやりした意識状態にあるように思う
だからクーラーボックスを送ったから入れてくれと言うだけで素直にそうしてくれる可能性がある
またはイメージ上、直接会うと断りたくなる場合もあるが、町内放送的にアナウンスされると従いたくなる性質が生死の狭間の人にはあるのかもしれない
その場合、直接会うイメージをしない方が良い可能性さえあるが、私は会うイメージが苦手なので比較できない