21/05/21 18:05:25.04 bz/MjSot.net
>>264 スリランカ島史と大史には、
アショカ王の息子のマヒンダがシンハラ語(スリランカ語)に仏典を翻訳して
スリランカに伝えたと伝承されている。
それを5世紀にブッダゴーサがパーリ語に再翻訳したわけだが、パーリ語は
伝承ではマガダ語とされているが、実証的研究では
各地のアショーカ王碑文との比較から
マガダ地方の東部方言というより、西部のギルナールの言語に最も近いそうだ。
ここは、スリランカに仏教を伝えた地点だ
第一結集は、仏教学というより、教科書的な極めて粗い世界史の話。
スリランカ島史 大史に書かれた伝承の説でしかない。
仏教学でわかっているのは
南伝パーリ経典は紀元前後にスリランカでシンハラ語訳され
5世紀頃(仏滅後九百年以上あと)、ブッダゴーサによってパーリ語に書き換えられたが散逸し
東南アジアから、12世紀前後に再輸入されたということ。
現在の我々が使うPTSは、19世紀に英国がまとめたパーリである
パーリは古くて仏説に近いといった共同幻想を
ばら撒いて多くの人に感染させようと謀る輩がいる