唯識を学ぶスレッドat PSY唯識を学ぶスレッド - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト1005:神も仏も名無しさん 20/12/21 01:26:22.36 8lZXqPhg.net 大山説の 捨受=無分別 は違うっぽい。 無分別である前五識にも苦受楽受捨受の三受がある。 捨受=無分別=現量は多分大山の早とちり。 https://blog.goo.ne.jp/seikannamo/e/e4a4d6c0a2a531eecb80c410050d35f4 三能変第九頌第四句に「皆三受相応」と立てられ、遍行の受の働きは、苦受か楽受が捨受かという、この三受の感受作用は六識すべてに当てはまります。 尚、第八識及び第七識は捨受でありますが、第八識は無覆無記であるのに対して、第七識は有覆無記である。 「五識は通じて色と心とのニ依に依る」と言われますように、五識は色法(物質的存在、空間的占有性のあるもの、即ち五官によってとらえられる対象。色は形あるもの。質礙(ぜつげー同時に同一箇所を占有できない性質)の意。)を依り所として存在する識です。 このことから色法を所依として存在する識の受ということになり、この前五識の三受は身受といわれるのです。 そして第六意識は心法を所依として存在する識でありますので、第六意識の三受は心受というのです。「意は唯心に依る」。 しかし五識も色法のみならず心法も所依として存在しています。此の事に関しては「五識は心に依るは不共依に非ず、色は是れ別の依なり」と説明されています。 前五識の不共依は五根なのです。前五識と相応する受を、前五識の所依である不共依である五根によって身受といわれるのです。これは前五識の独自性ですね。第六意識にはありません。 心法は前五識も第六意識にも共通の所依なのです。共依ですね。不共の識ということで、身受というのです。 『共依』 二識以上の共通の所依となるものを共依(ぐうえ)といい、一識のみの所依となるものを不共依という。 例えば阿頼耶識は諸識のよって起こる根本となる共依であり、眼識のみの所依となる眼根などは不共依である。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch