唯識を学ぶスレッドat PSY
唯識を学ぶスレッド - 暇つぶし2ch814:鹿野園
20/12/02 10:08:16.43 gYZhhnDK.net
>>813
>「自心」≠「末那識」ですよ。
???
自心を覆ってるんでしょ?
なら末那識以外に考えられませんけど?
>>813
>普通は、「聖道」=「仏道」です。
それでいいんですが?

815:神も仏も名無しさん
20/12/02 11:10:02.83 ceQgcYd2.net
>>814
違います。ここで言う「自心」は悟りのことです。
他宗で「如実知自心」という時の「自心」です。

816:鹿野園
20/12/02 11:37:58.35 gYZhhnDK.net
>>815
あなたの解釈っていつも変なんですけど?
自心も聖道も、私の解釈がおかしいとは思いませんが、どうしていつもそうした変な見方をされるのですか?
URLリンク(i.imgur.com)
(写メは 唯識三十頌を読む 多川俊映 から)

817:鹿野園
20/12/02 11:49:47.29 gYZhhnDK.net
うむ、末那識が有覆でありながら無記というのは、善悪或いは無記が(表層)意識の次元の問題だからなんだろうな。
つまり、表層下識の問題だから無記であると。
そして、意識の次元を基準にしているところがやはり唯識学が宗教たる所以なんだろう。

818:神も仏も名無しさん
20/12/02 14:15:42.28 pvDQl9xE.net
 そしてまた、阿頼耶識の性質が単に無記なのではなく、「無覆無記」だとあります。この無覆とは、仏道を歩む上で障害になるようなものとかかわりがないという意味です。
同じ無記でも、有覆無記(後述の第二能変の末那識がこれに当ります)は、仏道を障り、心を不浄にするものと関係がある。
そこで、有覆の性質は「染(染汚)」、無覆は「浄」だといわれます。
したがって、無覆無記は善でも悪でもなく、しかも、汚れがない─。そうした無覆無記を、無色透明に近いイメージで理解しようとする唯識学者がおられました。大いに参考にしたいと思います。  
 なお、阿頼耶識という識体(心王)が無覆無記ですから、それに相応してはたらく〈触〉〈作意〉〈受〉〈想〉〈思〉の五心所も、その性質が無覆無記だというのは当然でしょう(第四頌2)。

多川 俊映
唯識とはなにか 唯識三十頌を読む (角川ソフィア文庫)

819:神も仏も名無しさん
20/12/02 17:07:56.23 D9MQe2w2.net
>>816
多川俊映さんの言われる、本来染汚ではない末那識のスガタ(自心)は、
四煩悩で覆われている現実の末那識と違うのです。
転識得智された平等性智(覚り)のことです。
だけども多川さんも正確ではないです。
「本来染汚ではない末那識のスガタ」という表現が鹿野園さんを惑わしている
からです。「聖道」(無漏知)と「自心」(覚り)とをサラッと説いたほうが端的です

820:鹿野園
20/12/02 17:51:34.53 jZ7hbCzR.net
>>819
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
法相宗の前管長にご意見ですか?????
馬鹿鬼並みのキチガイですねーwwwwww

821:鹿野園
20/12/02 17:56:02.10 jZ7hbCzR.net
いやいや、この人やっぱり馬鹿鬼に並に感覚がぶっ飛んでますわw
辞書が間違ってる、学者が間違ってる、行者の体験が間違ってる……
わしが正しいのぢゃ。
何故ならわしは覚者なのじゃ。
覚者の言う事は正しいのぢゃ
だからわしは正しいのぢゃ、ってなw

822:神も仏も名無しさん
20/12/02 18:04:29.28 D9MQe2w2.net
多川俊映さんの、仏教の勉強は、落ちぶれた法相唯識の宗学オンリーでしょ。
その多川さんでも
我々の現実の末那識≠本来染汚ではない末那識のスガタ(自心)
とわかられているのです。
そんなのは論理性があれば、読み取れるのです

823:鹿野園
20/12/02 19:09:30.61 jZ7hbCzR.net
後付けでコロコロ言うことを変えるんだなw
俺が指摘しなかったら何にも分からなかった癖にw
既に四煩悩に覆われた自心が末那識だろ?
少しは頭を整理して考えなさい。

824:神も仏も名無しさん
20/12/02 20:12:32.60 gVXtF6/u.net
>>820
管長とか、大山は権威に弱いのうwwwwwwww
晃と同類だなあ。wwwwwwwww

825:神も仏も名無しさん
20/12/02 20:16:13.88 D9MQe2w2.net
>>823
いえいえ。一貫して同じことをご説明しています。
末那識≠自心であると
多川さんですら
「本来染汚ではない末那識のスガタ」を自心とされているのです。
四煩悩があるのが末那識です。
四煩悩が克服されると転識得智されて末那識は末那識ではなくなり
平等性智という四智となるというのが法相唯識のスタンスです。
「本来染汚ではない末那識のスガタ」は、もはや末那識ではなく自心と呼ばれる
悟りなのです
こういうことは論理的な知性があれば、多川さんですらわかる事柄です

826:鹿野園
20/12/02 22:11:29.32 a70G7xHV.net
>>825
コロコロ言うこと変えてるなぁw
>さて「自心」とは何かですが、『成唯識論』だから六位五十一の心所を指しているのでは?
我々凡夫のその自心は四煩悩に覆われてるんだよ。
だから末那識って呼ばれてるんだよ。

827:鹿野園
20/12/02 22:27:54.29 a70G7xHV.net
>「此の四ついい、常に起こりて内心を擾濁…」
>(成唯識論)
自分自身の末那識そのものを騒がせ濁らせる(竹村)って解釈何されてるしなぁ。

828:神も仏も名無しさん
20/12/03 00:41:37.83 4OMVxRZu.net
>>812
末那識と阿頼耶識には言語概念はないはずだから末那識を覆う四煩悩にも言語はないでしょう
でも大山さんは
>>775
>言いたい事は分かるけど、それ(六識のみ)では解決の付かない問題があるんですよ。
>意識(六処)が途絶えてリセットされても言語認識は途絶える事なく継続されてるって謎なw
>それをいちいち説明するとかなりの時間が掛かるからやらないけどね。
って書いてるんだし
せっかくだから末那識や阿頼耶識あるいは物心つく前の無意識下の言語認識についても面白そうなので解説して下さいよw
「阿頼耶識は唯捨受で無覆無記だから現量」
みたいな珍説が生まれるかもしれないですしね

829:神も仏も名無しさん
20/12/03 02:59:44.22 TNRfdNHX.net
>>827
大山よ、貴殿のここ数か月内の書き込みで宮元啓一名誉教授の過去の著作における見解
について、教授がその見解の表明を後悔し撤回したがっているだろう的な内容の文言を
この近辺に書いたものがあったとのことであるが、それ大問題だぞ。
くまなく探せば、すぐ判明するわけだが、その発言、撤回しないよな?

830:神も仏も名無しさん
20/12/03 06:58:50.09 ZTFfUQC6.net
>>765
■SraddhAtha hriIr apatrapA
SraddhA信…『成唯識論』曰く「実と徳と能を深く忍び、楽(ねが)い、欲する心が浄まることを
       性となし、不信を対治し善を楽(ねが)うを業と為す」
       実=仏陀の教えを信忍し、徳=三宝を信じて希望を起こし、能=能力を信じ
       心が澄浄prasAdaになること
hriI 慚…中村元訳では「みずから恥じること」
    『成唯識論』曰く「自と法との力によって、悪行を止息するを業と為す」
apatrapA愧…中村元訳では「世間に対して恥じること」
       『成唯識論』曰く「世間の力によって、悪行を止息するを業と為す」

831:神も仏も名無しさん
20/12/03 07:50:51.42 4OMVxRZu.net
>>828
>せっかくだから末那識や阿頼耶識あるいは物心つく前の無意識下の言語認識についても面白そうなので解説して下さいよw
せっかくだから末那識や阿頼耶識あるいは物心つく前の言語認識についても面白そうなので解説して下さいよw
に訂正します

832:鹿野園
20/12/03 10:19:52.26 iIeiPd9h.net
>>828
>末那識と阿頼耶識には言語概念はないはずだから末那識を覆う四煩悩にも言語はないでしょう
種子は名言種子でしょ?
それが我々の日常に使われてるそれそのものかどうかは分かりませんけど、言語(言葉)によって阿頼耶識に薫習されるのだから。

833:神も仏も名無しさん
20/12/03 10:28:43.80 2inY/lmH.net
第十一偈
善謂信慚愧 無貪等三根 勤安不放逸 行捨及不害
善とは謂く、信・慚・愧と 無貪等の三根と
勤・安・不放逸と、行捨及び不害なり
alobhAdi trayaM vIryaM praSrabdhiH sApramAdikA/
ahiMsA kuSalAH kleSA rAga-pratigha-mUDhayaH//
a.無貪などの三つと、精勤と軽安と不放逸とそれと俱にあるもの[行捨]と不害とが
 善である。煩悩は貪と瞋と癡と
b.無欲などの三つと、精進と軽快感と怠けない気持ちと、それと俱にあるもの(行捨)と
 不殺生とが善[なる心理作用]である。(根本)煩悩とは、貪欲と憎悪と無知であり、
(以上、廣澤訳)
貪欲のない状態から始まる3つ、エネルギー、静穏、用心深さ、
傷つけないこと/不殺生が、〔メリットのある心的要因である〕。
煩悩/煩悩は、貪欲、嫌悪、惑わし、
(以上、湯田訳)

834:鹿野園
20/12/03 10:31:42.12 iIeiPd9h.net
>>829
はて?
批判する時は伏せ字を使って名前を出す事はなかったと思うけど、本人の名前が出てるのなら、それは伏せ字に訂正させてもらうわ。
その上で、近代仏教思想史という俯瞰的な視座から鑑みるとそれは「"批判仏教"運動」の流れの中での出来事だと位置ずけてるよ、おれは。


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