20/11/30 10:35:17.94 ux97Ntw7.net
>>737
横から解説すると、
鬼和尚が「名」=「言葉」と解釈をしたのを、
大山君は「十二支縁起のNāmarūpa」に依拠して、個人の「心と身体」のことだと嗤った
のであるからして、
別の場所で、「名」=「言葉」と主張するのは整合性がないのでは?
と疑問視されているだけでしょ。
「名」=「言葉」でいいなら、鬼和尚に謝罪すべきでしょ。
あるいは、
鬼和尚のコンテキストでは「心」と解釈すべきで
今回のコンテキストでは「言葉」で解釈してよい
ということを論証すればよいだけです できないでしょうけど。