20/11/29 15:37:06.09 Dqon0b83.net
やっぱり馬鹿鬼のアバターで決定だな。
まぁ、いくらアバターを使っても元が低知能だからすぐに瞬殺されて終わりw
果汁1%の飲み物を100万本注いでも果汁100%にはならないのだよ、おバカちゃんw
695:キチガイデブスホモポッタン3世
20/11/29 15:51:26.84 k3ii5TJD.net
馬鹿野園よ、我を崇拝せよ!
我はポッタン我が敵は
天地容れざる犬山ぞー!
696:鹿野園
20/11/29 16:59:47.60 Dqon0b83.net
さて、家に着いた。
>>627
>第九偈でも玄奘は、サンスクリット原文にない「不定」を挿入している。
>玄奘の訳は世親を正確に訳しているわけではないことは一一を丁寧に読むと誰の目にも明らかである
について検証してるけど第九偈の心所の数はやはり五つだね。
つまりハゲの転記ミス。
で、上記についてもどうやらハゲ誤解であることが判明しつつある。
その鍵は第十四偈にあった。
で、続きはシャワーを浴びてから。
697:鹿野園
20/11/29 17:00:27.97 Dqon0b83.net
訂正
さて、家に着いた。
>>627
>第九偈でも玄奘は、サンスクリット原文にない「不定」を挿入している。
>玄奘の訳は世親を正確に訳しているわけではないことは一一を丁寧に読むと誰の目にも明らかである
について検証してるけど第九偈の心所の数はやはり五つだね。
つまりハゲの転記ミス。
で、上記についてもどうやらハゲの誤解であることが判明しつつある。
その鍵は第十四偈にあった。
で、続きはシャワーを浴びてから。
698:鹿野園
20/11/29 17:05:01.39 Dqon0b83.net
つまり、一旦全体を俯瞰してから個別の偈を見ればなんて事はなく、玄奘三蔵の訳が実に気の利いた訳であったことが分かるという事です。
やっぱり、テキスト棒読み&直訳&コピペ(しかも転記ミス)では唯識三十頌は読めないのです。
699:鹿野園
20/11/29 17:08:07.31 Dqon0b83.net
ハゲのコピペは転記ミスがあるのでもう信用出来ません。
仕方ないので
>廣澤隆之 「『唯識三十頌』を読む」 TU選書
を注文しました。
後で請求書を発行しますので送付先をお知らせ下さい。
700:神も仏も名無しさん
20/11/29 18:55:53.20 H070IGXO.net
このスレ的にはこういう見解ってどうなの?
URLリンク(haruaki.shunjusha.co.jp)
701:神も仏も名無しさん
20/11/29 21:06:33.68 +sfLDn4b.net
>>693
>IDをコロコロコロコロコロコロコロコロ変えて🤣
>>694
>やっぱり馬鹿鬼のアバターで決定だな。
もちろん事実無根のことを大山さん書き殴ってるけど、それは誤魔化し?
結局!名色の色って何ですか?に答えられないのですかね?
まあ答えたくなければ答えなくても良いですが
答えない代わりにしていることが子供っぽいですな
702:鹿野園
20/11/29 21:54:04.68 Dqon0b83.net
>>701
回答済。
まるでポタ公並みの廃人だなw
703:鹿野園
20/11/29 21:59:56.77 Dqon0b83.net
で、玄奘三蔵の"不定"の件、あれ十四偈を受けての事だからやっぱり問題無いどころか逆にGJじゃねーかw
何度も言ってるけど、一度全体を読んでから個別に解題してないで、まさに、テキスト棒読み&直訳&コピペ(しかも転記ミス)だから、あんな変な事を言い出す始末になる訳だ。
704:鹿野園
20/11/29 22:07:11.20 Dqon0b83.net
外出先でハゲのレスを見ただけで直感的に"あれ、これ変だなぁ?"って思ったんだよ。
第二能変や心所の数や不定の件をね。
唯識の知識以前に論理的に矛盾しているし。
それ以前の偈にも結構変なのがあるんじゃないのか?
705:鹿野園
20/11/29 22:10:27.05 Dqon0b83.net
経論は読む人を選ぶんじゃないか?と思う時がある。
何年か経ってからまた紐解くとパーン!って分かったりとかね。
disり目的で唯識を解題するハゲに唯識は分からないと思う。
706:神も仏も名無しさん
20/11/29 23:37:31.22 +sfLDn4b.net
>>702
回答もしてないですし誤魔化してばかりですね
707:神も仏も名無しさん
20/11/29 23:38:40.81 +sfLDn4b.net
回答出来ないなら出来ないと男らしくはっきりと言いましょうよ
708:鹿野園
20/11/29 23:43:39.46 Dqon0b83.net
>>707
回答済み。
因縁をつけたいのなら勝手だけど、一連のレスの流れを整理してまとめてからにしてくれ。
面倒くさいからな。
709:鹿野園
20/11/29 23:46:42.66 Dqon0b83.net
もう今更、馬鹿鬼とか変な低知能の馬鹿統失キチガイキャラは終わったんだし、わざわざそんな見向きもされない雑魚かキャラを復活とかさせなくてもいいから。
710:神も仏も名無しさん
20/11/29 23:55:49.78 +sfLDn4b.net
ほうあくまで回答したと言い張るわけね
大山さんにはもう何も期待しないけど
大山さんという人物の正体はこのスレに新しく来る人がいるかもしれないので魚拓として大山さんのレスをコピペしておくわ
こういうその場その場で適当なことを言うのが大山氏なので彼のレスは話半分以下で読みましょう>All
639 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF :2020/11/29(日) 08:48:53.64 ID:B2JCaidy
>>636
名色の名って名称(言語)でしょ?
0387 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/08/14 08:20:32
>>350
普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、感覚器官は働かないでしょ。
711:流れ
20/11/30 00:02:22.60 9DXz8Tcu.net
人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。
0311 神も仏も名無しさん 2020/08/12 23:25:05
潜在意識って末那識や阿頼耶識のことですかね?
仏陀はそのような潜在意識に一切言及しなかったのは何故なんでしょうかね?
あと龍樹は確か言語による概念思考によって分別が生まれるとしてましたが、根本識たる阿頼耶識による認識は言語化されないのに何故人は事物を分別してしまうのでしょう?
阿頼耶識に蔵されている種子が言語関係なく分別してしまうのでしょうか?
それとも阿頼耶識は清浄でも末那識や意識と認知が顕在化されるに従って阿頼耶識の知覚の清浄さは失われて事物を分別するようになってしまうのでしょうか?
0338 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/13 22:33:44
>>311 違うのじゃ。
そんなものはないからなのじゃ。
色があるからなのじゃ。
名色のうち名より色の方が優勢なのじゃ。
種子は何もしないのじゃ。
阿頼耶識は清浄ではないのじゃ。
そもそも種子を蔵しているからのう
0342 鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/13 22:45:22
>>338
>名色のうち名より色の方が優勢なのじゃ。
www
両者は相依性故に、どちらかが優勢とかはない。
>仏教においては、ナーマとルーパは互いに依存関係にあり、切り離すことができないとする。
>(wiki引用)
>阿頼耶識は清浄ではないのじゃ。
>そもそも種子を蔵しているからのう。
www
阿頼耶識は無覆無記なので ”清浄ではない” とか、そう簡単に言う事じゃない。
知ったかぶりしてタコ殴りされるのが嫌なら黙ってな、猿www
0350 神も仏も名無しさん 2020/08/14 00:47:42
Sn 872
名称Namancaと形態rupancaとに依って感官による接触が起る。
諸々の所有欲は欲求を縁として起る。
欲求がないときには、<我がもの>という我執も存在しない。
形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない。
URLリンク(plaza.rakute...i_blg_amp_diary_next)
一行目では名色が同列で語られているのに
四行目では色ルーパの消滅みで全て解決されるように語っているのは何故か?
0387 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/08/14 08:20:32
>>350
普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、感覚器官は働かないでしょ。
0400 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/14 20:58:59
>>350 名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
人の脳では言葉は映像として処理されているのじゃ。
言葉ができるまえは全てイメージで思考していたのであるからのう。
そのために色が名より優越しているのじゃ。
712:流れ
20/11/30 00:09:21.02 9DXz8Tcu.net
鹿野園(大山氏)はここでは名を心と解釈
鬼和尚は名は名前とか日常用語の名称で解釈している
ようす
しかしこのレスでの鹿野園(大山氏)の名の解釈は
>>639 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF :2020/11/29(日) 08:48:53.64 ID:B2JCaidy
>>636
名色の名って名称(言語)でしょ?
と上のコピペの時とは変わってその時の鬼和尚と同じになっています
皆さんは大山さんはこういう人だということを覚えておくと良いでしょう
713:神も仏も名無しさん
20/11/30 00:55:14.55 jy9rLLk1.net
名色=名称と形態
714:鹿野園
20/11/30 04:00:57.49 51ZhYKun.net
>>710
質問に対して答えた流れの中でどのように名色を把握してたか、その箇所を端折って部分抜粋するなっていつてるだろ、知障くんw
715:鹿野園
20/11/30 04:29:08.60 51ZhYKun.net
>>712
それも部分抜粋じゃねーかw
此方からの>>311に対する肝心のレスが載ってないぞ?
また、十二縁起の名色の次は六処(眼耳鼻舌身意)だから、名色を心と身体と考えれば次の六処も、普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、次の六処である感覚器官は働かないでしょ、ってことだなぁ。
716:鹿野園
20/11/30 04:32:59.18 51ZhYKun.net
ちなみに名色はwikiでは
名色(みょうしき、nāma-rūpa)
物質現象(肉体)と精神現象(心)。
物質的現象世界。
名称と形態。
実際の形と、その名前。
ってなってるよ。
717:鹿野園
20/11/30 04:52:12.96 51ZhYKun.net
つまりだ、上記のwikiをまとめると
色
物質現象(肉体)、形態、実際の形
名
精神現象(心)、名称、その名前
ってなる。
で、大山が時にその"名"について"心"と言ったり"名称(言語)"と言った訳だが、何か問題があるのかね?
必ず返事をする様に。
718:鹿野園
20/11/30 04:54:53.36 51ZhYKun.net
>皆さんは大山さんはこういう人だということを覚えておくと良いでしょう
これについて上記の件を踏まえて、どういう事なのか詳しく説明してくれ。
絶対に逃げないで説明してくれ。
必ずな、必ず。
719:神も仏も名無しさん
20/11/30 05:07:03.58 nfa3j6qW.net
鹿野園は我聞狂だけだろ笑
720:鹿野園
20/11/30 05:07:42.09 51ZhYKun.net
あ、以下の件についてもどういう事なのか、キチンと説明してもらおうか?
逃げないでな、絶対に。
↓
>>644
>そのような訳し方を鬼和尚がした時に十二支縁起を知らないのか名色とは心と体だと鬼和尚を侮蔑していたのは大山さんでしたね
>>701
>もちろん事実無根のことを大山さん書き殴ってるけど、それは誤魔化し?
>>707
>回答出来ないなら出来ないと男らしくはっきりと言いましょうよ
>>710
>大山さんにはもう何も期待しないけど
>大山さんという人物の正体はこのスレに新しく来る人がいるかもしれないので魚拓として大山さんのレスをコピペしておくわ
>こういうその場その場で適当なことを言うのが大山氏なので彼のレスは話半分以下で読みましょう>All
721:鹿野園
20/11/30 05:48:01.56 51ZhYKun.net
「大山が宗教板に現れて5年。今まで散々瞬殺されて来たが、今回こそは名色の件で追い詰められる?!」
口泡を飛ばしながらそう呟くと、彼は顔面を赤く硬直させ、鼻息を荒くキーボードを叩きつける様にレスを繰り返した。
ドヤ顔でニヤける彼は間違いなく勝利を確信した。
しかし……
>>717からの大山のレス見た彼は立ち所に顔面が蒼白となり、同時に血圧が急上昇したのか、目の前が真っ暗になった。
「えっ、なんで?!」
キーンという耳鳴りと軽い目眩。
気がつくと彼はキーボードの前に呆然と立ち尽くしていた。
「また大山に…瞬殺……」
その現実というリアルが彼を包み込んだ時、彼のこころの奥底から野獣の様な雄叫び声と共に、何かが崩れ去ってゆくのであった。
完
722:鹿野園
20/11/30 06:15:47.15 51ZhYKun.net
可哀想に。
そう思わないとやってられないんだろうね。
↓
728 名前:福音伝道 :2020/11/30(月) 05:46:37.83 ID:0P7qDu4r
興奮気味の大山君だが、鬼和尚に過去に瞬殺されてしまって、
もはや相手にして貰えないだけだよ。
普通に質問すれば鬼和尚は返事される。確認済み。
水準以下のアホウをスルーされているだけ。
鬼和尚は大山君よりはるかに佛教知識を持たれている
大山君は無知なので、それをはかれんだけ。
『唯識三十頌』ですら、やっとまともな書籍を注文した程度。
読んだところで使いこなせないだろうが、一歩前進ではある。
723:神も仏も名無しさん
20/11/30 06:38:05.23 0P7qDu4r.net
>>626 修正して偈に戻りましょう
第九偈
此心所遍行 別境善煩惱 隨煩惱不定 皆三受相應
此れが心所は遍行・別境・善・煩悩・隋煩悩・不定となり。
皆な、三つの受と相応す。
sarvatragair viniyataiH kusalais caitasair asau/
saMprayuktA tathA klesair upaklesais trivedanA//
aこれは遍行と別境と善との心所と相応する。同様に煩悩と随煩悩とも[相応するの]である。
[しかもその識の変容には]三受がある。
bこれは普遍的な心理作用と限定された[心理作用]と善[なる心理作用]と結びついている。
同様に煩悩と付随的な煩悩[という心理作用とも結びつき、しかもその識の変容には]
三つの感受作用がある。
(以上、廣澤)
この第三の展開は、①遍(ひろ)くゆきわたる心作用と②特殊なものとして限定されている心作用と、
③善の心作用と④煩悩なる心作用と⑤副次的な煩悩なる心作用とに結びついて働く。
[快適と不快とどちらでもないものという]三種の感受作用もまた同様である。
(以上、中村)
それは、至るところに行き渡っている心的要因、特に定められているもの、
メリットのあるもの、苦悩/煩悩、および副次的苦悩/煩悩と結び付けられている。
それは3種類の感覚を有する。
(以上、湯田)
724:神も仏も名無しさん
20/11/30 06:53:09.82 0P7qDu4r.net
>>641
さていつでも働いているとされる遍行sarvatragaは、
原語を確認すると、場所的な概念でした。
心理的解釈
荒牧…あらゆる(三層よりなる識のあらゆる対象)において働いている
心理的諸存在(遍行心所)
時間的解釈
廣澤…普遍的な心理作用
場所的解釈
中村…遍(ひろ)くゆきわたる心作用
湯田…至るところに行き渡っている心的要因
荒牧訳の心的諸存在や湯田訳の心的要因というよりも
caitasikaは心理的作用の方が的確な感じがする。
まあ要素でもあり作用でもあるわけだが。
さて識とどこまでも共に動く心の働きが五つあると言い、
そのうち受は、阿頼耶識では捨受のみであったが
第三能変では、三受であるという。
725:神も仏も名無しさん
20/11/30 08:00:02.39 0P7qDu4r.net
>>723
viniyata別境…「制御された個別の対象」次の第十偈で五種の働きが紹介される
kusala善…阿頼耶識・末那識は善悪無記であったが、第三能変には善の働きがあると言う。
廣澤氏は前五識は感覚のみだから、ここは第六識だけと解釈すべきというが、
『成唯識論』の基はそう読んでないと言う第十一偈で善の心所が紹介される
726:神も仏も名無しさん
20/11/30 08:21:22.91 0P7qDu4r.net
>>723
klesa煩悩…六種が説かれ、第十二偈で紹介。
upaklesa随煩悩…煩悩に付随して生ずる煩悩で第12~14偈で説かれる
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
さて
「不定」…世親の原文にはないが、玄奘訳では第14偈で四つ説かれる。
世親の原文では、玄奘が不定とする「悔と眠と尋と伺」は、随煩悩と説明されている
727:神も仏も名無しさん
20/11/30 08:24:48.46 0P7qDu4r.net
唯識学会の「不定」の解釈
URLリンク(www.yuishiki.org)
2011年1月16日 投稿者: CHAIR
不定
i. <不定〔ふじょう〕>とは、「善悪どちらにも固定していない(善にも悪にも働く)」という意味。
ii. <悪作><睡眠><尋><伺>の四つに分類される。
iii. <悪作〔おさ〕>とは
1) よろずのことを悔しむ心、後悔すること。
2) <悪作=悔>が昇華すれば、懺悔につながる。
iv. <睡眠〔すいめん〕>とは
1) 眠くて意識の朦朧とした状態のこと。
v. <尋〔じん〕>、<伺〔し〕>とは
1) 両者とも、ものごとを推し量る推理力のこと。
2) 細かく分けると、浅い→<尋>、深い→<伺>。
3) 唯識では対象を知るのに、直感的な認識(現量)と、
推理による認識(比量)の二つの方法がある。<尋><伺>は、後者である。
728:鹿野園
20/11/30 09:44:52.45 51ZhYKun.net
>>726
>「不定」…世親の原文にはないが、玄奘訳では第14偈で四つ説かれる。
つーか、そもそも引用は正しくされてるの?
十四偈では、玄奘三蔵訳でなくても、そう説かれてるんじゃないのかなぁ?
729:神も仏も名無しさん
20/11/30 09:45:51.51 ux97Ntw7.net
ここまでを整理しよう。
第一偈 まさに種々の我と法とを仮説することが行われるが、
それらは識の転変においてであり、しかもその転変は三種である
第二偈 vipAko mananAkyas ca visayasya ca/
tatrAlayAkhyaM vijNAnaM vipAkaH sarvabIjakam//
異熟と思慮といわれるものと境の了別とである。
そのうちで異熟とは阿頼耶といわれる識で、一切種子をもつものである。
第三偈 asaMviditakopAdisthAnavijNaptikaM ca tat /
sadA sparsa manaskAravitsaMjNAcetanA nvitam//
そしてそれは感受できない執受であり、処の了別を有し、
常に触・作意・受・想・思とが伴う。
第四偈 upekSA vedanA tatrAnivRtAvyAkRtaM ca tat/
tathA sparSAdayas tac ca vartate srotasaughavat//
その場合に、それは捨受であり、無覆無記である。触などもまたその如くである。
それはまた暴流のような流れである。
第五偈 tasya vyAvRtir arhatve tad Asritya pravartate/
tadAiambaM manonAma vijNAnaM mananAtmakam//
阿羅漢たることにおいてその[阿頼耶識の]断滅がある。
それ[阿頼耶識]に依って、それ[阿頼耶識]を縁じて、思量を性とする末那識が転じる
730:神も仏も名無しさん
20/11/30 09:46:31.27 ux97Ntw7.net
第六偈 klesais caturbhiH sahitaM nivRtAvyAkRtaiH sadA/
AtmadRSTyAtmamAnAtmasnehasaMjNitaiH//
我見・我癡・我慢・我愛と名づけられた、有覆無記の四つの煩悩が常に俱なっている。
第七偈 yatrajas tanmayair anyaiH sparsAdyais cArhato na tat/
na nirodhasamApattau mArge lokottare na ca//
生まれる所でそれから成るものと[俱で]ある。また他の触等の[五遍行]とも[俱]である。
それは阿羅漢にはない。滅尽定にも出世間道においても無い。
第八偈 dvitIyaH pariNAmo yaM tRtIyaH SaDvidhasya yA/
viSayasyopalabdhiH sA kusalAkusalAdvayA//
これが第二の能変である。第三は六種であり、境を了得するものである。
それは善と不善と俱非である。
第九偈 sarvatragair viniyataiH kusalais caitasair asau/
saMprayuktA tathA klesair upaklesais trivedanA//
これは遍行と別境と善との心所と相応する。同様に煩悩と随煩悩とも[相応するの]である。
[しかもその識の変容には]三受がある
731:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:05:22.18 9DXz8Tcu.net
>>715
>此方からの>>311に対する肝心のレスが載ってないぞ?
大山さんのその311に対する肝心のレスは今テーマになっている名色についてなにも語ってはなかったでしょう
名色以外の話に拡散するのを防ぐためにここでは載せなかっただけのことだよ
732:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:05:46.58 9DXz8Tcu.net
それともう一つ
0400 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/14 20:58:59
>>350 名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
人の脳では言葉は映像として処理されているのじゃ。
言葉ができるまえは全てイメージで思考していたのであるからのう。
そのために色が名より優越しているのじゃ。
に対して大山さんは
403鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/14(金) 21:27:57.31ID:C1leG7IV
>>400
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
名色の前に識があるんだよwwww
十二支縁起も知らないのかwwww
とレスしている
また
342鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/13(木) 22:45:22.79ID:Bk4P2OHq
>>338
>名色のうち名より色の方が優勢なのじゃ。
www
両者は相依性故に、どちらかが優勢とかはない。
>仏教においては、ナーマとルーパは互いに依存関係にあり、切り離すことができないとする。
>(wiki引用)
大山さんの403や342のレスからも大山さんとって名色とは十二支縁起の名色のことを指すと読み取りました
んで普通は十二支縁起の名色とは心身のことをいい、名を名称(言語)とは解釈しません
その証拠に名色とは十二支縁起の名色のこととしているらしい大山さんも
0387 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/08/14 08:20:32
>>350
普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、感覚器官は働かないでしょ。
と語っています
733:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:09:00.44 9DXz8Tcu.net
また仮に大山さんの403の
名色の前に識があるんだよwwww
の名色が鬼和尚の名に対応した言葉のことを書いているのだとしたら
605鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/11/28(土) 22:02:48.04ID:CGjAOmcc
分別は意識と末那識で起きているんです。
そして分別とは言葉なんです。
また、存在とは言葉なんです。
は否定される
なぜなら大山さんによれば名(言葉)と色の前のある識の段階で分別がされているから
要するに大山さんは論破さえできればいいと思っているせいかその場その場で過去レスとの脈絡を無視あるいは軽視してレスしている結果、自分で自説を否定するレスを付けてしまっているということです
403鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/14(金) 21:27:57.31ID:C1leG7IV
>>400
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
名色の前に識があるんだよwwww
十二支縁起も知らないのかwwww
734:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:11:29.86 9DXz8Tcu.net
>>720
>>733までの間にこのスレで全て説明しました、以上
それでも何か尋ねたいことがありましたらどうぞ
735:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:14:03.98 ux97Ntw7.net
さて論点は
0.「我」と「法」との仮説である。
無我であるはずの「我」「法」を我々はさまざまに仮説するが、それは
識の転変によって行われると説かれる。
1.その識の転変が三つあると説かれる。
2.三つとは、善悪の業が熟するところの異熟と思慮と対象の識別と説かれる。
3.異熟とは、蔵といわれる一切種子識であり、自分では知ることができない内的なものであり、
4.対象の表象を有し、触・作意・捨受・想・思を伴うという。無覆無記とされ、
5.川の流れのように刹那滅で常に変化して動的である。
6.この蔵識を対象として、蔵識から末那識が転ずるが、常に煩悩を伴っている。
7.蔵識を自分だと誤解する四つの煩悩であ。五遍行を伴っている。
8.第三の対象識別は六種類ある。善でも不善でもどちらでもないものもある。
こうしてみると、
なぜか最初に、業が熟して成立する異熟が説かれる。
その業はいつのなにかは説明されていないが、結果であるはずの異熟が
阿頼耶識とし説かれ、そこから識の転変が説明される。
これは我々の認識からすると逆のような感があるが、心の根底から説明する
ということなのであろう
736:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:14:04.02 9DXz8Tcu.net
>>726
>世親の原文では、玄奘が不定とする「悔と眠と尋と伺」は、随煩悩と説明されている
ですよね
737:鹿野園
20/11/30 10:21:01.83 PGjtqSDh.net
>>734
そういうのは要らないから、早く説明してくれ。
で、どうなんだよ?
↓
つまりだ、上記のwikiをまとめると
色
物質現象(肉体)、形態、実際の形
名
精神現象(心)、名称、その名前
ってなる。
で、大山が時にその"名"について"心"と言ったり"名称(言語)"と言った訳だが、何か問題があるのかね?
必ず返事をする様に。
738:鹿野園
20/11/30 10:23:22.98 PGjtqSDh.net
>>733
>は否定される
されません。
識⇆名色だから。
739:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:30:00.78 ux97Ntw7.net
>>735
もう少し整理すると
1.阿頼耶識…触・作意・捨受・想・思の心的作用を伴い無覆無記
2.末那識…蔵識を自分と妄想する四煩悩だが、触・作意・受・想・思を伴い有覆無記
3.前五識及び六識…触・作意・受・想・思を伴い、別境と善の心的作用も伴う。
煩悩と随煩悩との心的作用も伴う。
末那識の四煩悩と、六つの識(解釈者は六識only)の煩悩と随煩悩は別概念、
末那識の四煩悩は、すべてわがものという煩悩。
740:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:35:17.94 ux97Ntw7.net
>>737
横から解説すると、
鬼和尚が「名」=「言葉」と解釈をしたのを、
大山君は「十二支縁起のNāmarūpa」に依拠して、個人の「心と身体」のことだと嗤った
のであるからして、
別の場所で、「名」=「言葉」と主張するのは整合性がないのでは?
と疑問視されているだけでしょ。
「名」=「言葉」でいいなら、鬼和尚に謝罪すべきでしょ。
あるいは、
鬼和尚のコンテキストでは「心」と解釈すべきで
今回のコンテキストでは「言葉」で解釈してよい
ということを論証すればよいだけです できないでしょうけど。
741:鹿野園
20/11/30 10:36:53.19 PGjtqSDh.net
>名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
仏教は唯物論ではない。
742:鹿野園
20/11/30 10:41:31.78 PGjtqSDh.net
>>740
>鬼和尚が「名」=「言葉」と解釈をしたのを、
該当箇所を出してくれるか?
743:鹿野園
20/11/30 10:48:46.91 PGjtqSDh.net
何を勘違いしてるんだか知らないが、名色の名が言葉であるとこは否定してないが?
>名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
これを否定はしてるけどな。
744:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:53:53.75 ux97Ntw7.net
>>400
Sn 872
名称Namancaと形態rupancaとに依って感官による接触が起る。
諸々の所有欲は欲求を縁として起る。
欲求がないときには、<我がもの>という我執も存在しない。
形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない。
URLリンク(plaza.rakuten.co.jp)
一行目では名色が同列で語られているのに
四行目では色ルーパの消滅みで全て解決されるように語っているのは何故か?
↑
0400 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/14 20:58:59
>>350 名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
人の脳では言葉は映像として処理されているのじゃ。
言葉ができるまえは全てイメージで思考していたのであるからのう。
そのために色が名より優越しているのじゃ。
745:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:58:01.41 ux97Ntw7.net
スッタニパータ 872 名称と形態
中村元
「名称と形態とに依って感官による接触が起る。諸々の所有欲は欲求を縁として起る。
欲求がないときには、<わかもの>という我執も存在しない。形態が消滅したときに
は<感官による接触>ははたらかない。」
正田大観
〔世尊は答えた〕「名前(名:妄想によって固定され概念化した言葉)と形態
(色:妄想によって固定され実体化した形相)と〔その二者〕を縁として、諸々の接
触(感覚・経験)は〔生起しました〕。諸々の欲求(潜在的な心の衝動)を縁として、
諸々の執持〔の対象〕(所有物)は〔生起しました〕。欲求が存在していないとき、
我執は存在しません。形態が実体〔というあり方〕を離れたとき、諸々の接触
(感官機能の対象)は、〔諸々の感官機能と〕接触しません」〔と〕。
宮坂宥勝
名称(=名)とものの存在(=色)とによって〔感官による〕もろものの接触がある。
もろもろの欲求に基づいて、もろもろの固執がある。欲がなければ我ものという執わ
れは存しない。もろもろの存在が消滅すれば、もろもろの接触は存在しない。
↑
スッタニパータのNāmañca 名と rūpañca色と の論題を
大山君が十二支縁起のNāmarūpa名色と誤解している案件だね
746:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:59:14.24 ux97Ntw7.net
言うまでもないが、スッタニパータの方が
十二支縁起より古層である。
747:神も仏も名無しさん
20/11/30 11:02:03.19 ux97Ntw7.net
仏教は長い歴史があるので
同じ言葉であっても文脈や論題で、別の意味であったりするし
別の語で同じことが語られたりもする。ややこしいのである。
次の第十偈の別境も、違うサンスクリットが使われるのである。
748:神も仏も名無しさん
20/11/30 11:28:42.67 itjJETHb.net
まず、「名」という言葉は、「色」という存在から抽出した架空のもの
で、「色」も縁起において起こってるもので本来空のもの
「色」が空じられれば(滅せられれば)、当然に「名」も空じられると
749:神も仏も名無しさん
20/11/30 11:42:08.09 itjJETHb.net
上座部仏教の清浄道論に十六観智があり
その始めが名色分離智というそうです
瞑想修行者が一番最初に気付くのが、「名」(言葉、精神活動)と、「色」(物質的存在)が別のものであるってこと
「自分」という「名」と、存在そのものの活動としての「色」が別物であることに気付いて
無我であることに気付くとか
750:神も仏も名無しさん
20/11/30 11:44:44.88 itjJETHb.net
今まで生きてきて、「優れた自分(誰か)」「劣った自分(誰か)」とか
そういう「名」を、実在と思い込んで誰もが苦しんでる
その「名」が架空のものでしかないと気付く
だから、この最初の気付きで多くの人が非常に救われるとか
751:鹿野園
20/11/30 11:58:56.06 PGjtqSDh.net
>>747
だから、名色→六処の構図はスッタニパータも十二縁起も変わらんだろ?
↓
形態(色=体)が消滅したときには感官による接触(≒六処、眼耳鼻舌身意)ははたらかない。
752:鹿野園
20/11/30 12:00:52.07 PGjtqSDh.net
>>748
名色は相依性って事だろ?
753:鹿野園
20/11/30 12:02:26.51 PGjtqSDh.net
識⇆(色⇆名色)
754:鹿野園
20/11/30 12:05:18.85 PGjtqSDh.net
>>745
>スッタニパータのNāmañca 名とrūpañca色との論題を大山君が十二支縁起のNāmarūpa名色と誤解している案件だね
名色→六処の構図は十二縁起もスッタニパータも同じ。
755:鹿野園
20/11/30 12:07:52.33 PGjtqSDh.net
>>748
>「色」が空じられれば(滅せられれば)、当然に「名」も空じられると
分かってはいらっしゃると思うけど、色→名の此縁性ではなく、色⇆名の相依性って事です。
756:神も仏も名無しさん
20/11/30 12:19:27.63 itjJETHb.net
>>755
順序としてはたいていは、
まず名→色の順で空じられるのでしょう
この辺りは三界の説明で分かるかと
・欲界(名で作られた対象に欲で執着する)
・色界(名で作られた対象の不実在に気付き、色そのものに気付く)
・無色界(存在そのものも空じられたありよう)
そして色も空じられきれば、名も色も一如の縁起のものとして気付かれると
757:神も仏も名無しさん
20/11/30 12:22:33.48 itjJETHb.net
此縁性は、此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す、で
「此」は煩悩、無明(対象を実在と認めること)
「彼」は苦(実在とみとめられた生老病死)
これは四諦とも相応していますね
758:神も仏も名無しさん
20/11/30 12:27:46.70 itjJETHb.net
一如の縁起のものだから、相依性ってことになるのかな
759:神も仏も名無しさん
20/11/30 12:38:41.75 itjJETHb.net
何をか無明と云ふ。善男子よ、一切衆生は無始よりこのかた種種に顛倒して、なほ迷人の四方処を易るがごとし。妄りに四大を認めて自身の相となし、六塵の縁影を自心の相となす。彼の山井者の目に空中の華、及び第二部の月を見るにたとふ。善男子よ、空には実に華なし、病者の妄執なり。
妄執によるが故に、唯、此の虚空の自性に惑ふのみにあらず、また彼の実に華の生じる処に迷へり。これによって妄りに生死に輪転するなり。故に無明と名く。
760:神も仏も名無しさん
20/11/30 12:45:41.31 itjJETHb.net
円覚経の、無明について語られた説明がこの場合分かりやすいです。
・対象として認める(六塵の縁影を自「心」の相と為す、「彼」の実に華の生じる処に迷う)
・認める主体(四大を認めて自「身」の相と為す、ただ「此」の虚空の自性に惑ふ)
「此」(主体)と「彼」(対象)
「身」と「心」
761:神も仏も名無しさん
20/11/30 13:02:47.55 0P7qDu4r.net
>>751
論点はそこではない。
名解釈において、あなたが鬼和尚を中傷したが、的外れであるということです
つまり、スッタニパータの名は「言葉としての名称」のことです。
鹿野園君の「こころ」ではありません
以下余談
URLリンク(suttanipata.com)
スッタニパータ
871 「世の中で感官による接触phassaは何にもとづいて起るのですか?
また所有欲は何から起るのですか?
何ものが存在しないときに、〈わがもの〉という我執が存在しないのですか?
何ものが消滅したときに、感官による接触phassaがはたらかないのですか?」
872 「名称と形態とに依って感官による接触phassaが起る。
諸々の所有欲は欲求を縁として起る。
欲求がないときには、〈わがもの〉という我執も存在しない。
形態が消滅したときには〈感官による接触phassa〉ははたらかない。」
phassaは、六処 ṣaḍāyatanaではなくて触sparśa。
十二支縁起だと、名色nāma-rūpa→六処 ṣaḍāyatana→触sparśa。
ここでは、名と色とNāmañca rūpañca→接触phassa巴/sparśa梵
色rūpañcaが消滅すると→接触phassaは働かない。
762:神も仏も名無しさん
20/11/30 13:15:23.72 0P7qDu4r.net
スレリンク(psy板)
『唯識三十頌』と直接関係の無い「名色」やその他は、上記スレッドを
利用するのはどうでしょう。
スレッド自体の話題は終了したそうですので。
763:鹿野園
20/11/30 13:22:31.45 PGjtqSDh.net
>>761
何を勘違いしてるんだか知らないが、名色の名が言葉であるとこは否定してないが?
>名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
これを否定はしてるけどな。
(再掲示)
764:鹿野園
20/11/30 13:24:50.46 PGjtqSDh.net
>>762
俺からは馬鹿鬼の事は言ってない。
また、要らぬ、しかも全く勘違いしてる横槍を入れたのはハゲだろw
765:神も仏も名無しさん
20/11/30 13:38:20.44 0P7qDu4r.net
第十偈
初遍行觸等 次別境謂欲 勝解念定慧 所縁事不同
初めの遍行とは觸等なり。 次の別境とは謂わく欲・
勝解・念と定・慧なり。 所縁の事は不同はなり。
AdyAH sparSAdayaS chandAdhimokSa-smRtayaH saha/
samAdhi-dhIbhyAM niyatAH SraddhAtha hriIr apatrapA//
a.初めのは触等である。別境とは欲・勝解・念と定と慧とを俱する。しかも信と慚と愧と
b.初めのは[感覚器官と対象と認識の三つの]接触など[の五遍行]である。
[次の特定された対象に向かう]限定された[心理作用]は、意向・確信・記憶と
専念と知恵を伴う。信と慚と愧と
(以上、廣澤訳)
①最初に示された[あらゆる場合にゆきわたる心作用は]接触など[の五つ]である。
②特殊なものとして限定されている心作用というのは、(1)欲求と、(2)[(これこれだ)と]
確認することと、(3)思いつづけること、(4)精神統一と、(5)叡智とである。
③善なる心作用とは、(1)信と、(2)みずから恥じることと、(3)世間に対して恥じることと、
(11abcを続けて訳されているが略 以上中村訳)
最初のものは接触などである。
特に定められたものは、欲求、確信、記憶である、
『三昧/精神集中、英知と共に。
信頼すること、それから、恥じること、非難を恐れること、
(以上、湯田訳)
766:鹿野園
20/11/30 21:37:34.01 51ZhYKun.net
818 名前:神も仏も名無しさん :2020/11/30(月) 21:13:30.64 ID:9DXz8Tcu
唯識スレの
737鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/11/30(月) 10:21:01.83ID:PGjtqSDh>>740
つまりだ、上記のwikiをまとめると
色
物質現象(肉体)、形態、実際の形
名
精神現象(心)、名称、その名前
ってなる。
で、大山が時にその"名"について"心"と言ったり"名称(言語)"と言った訳だが、何か問題があるのかね?
必ず返事をする様に。
~~~
そりゃ問題あるでしょう
この前は名を心と言っていたのに今回いきなり名称(言語)と意味を変えてしまったら俺のように前回は心と言っていた人に混乱を引き起こすからね
二つの意味があるのを知っているのだったら「名色の名には心という意味の他に名称(言語)という意味がありますね」などと言う(書く)のが独りよがりではない、他を思いやった言い方になるということ
独りよがりでその時その時で意味を変えて使っていたら混乱を引き起こします
ですから「皆さんは大山さんの独りよがりの言葉の用い方に振り回されないようにしましょう」と伝えたということです
それと二つの意味があるのをわきまえていたら
0400 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/14 20:58:59
>>350名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
人の脳では言葉は映像として処理されているのじゃ。
言葉ができるまえは全てイメージで思考していたのであるからのう。
そのために色が名より優越しているのじゃ。
403鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/14(金) 21:27:57.31ID:C1leG7IV
>>400
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
名色の前に識があるんだよwwww
十二支縁起も知らないのかwwww
こんなレスはしないでしょう
鬼和尚の名は名前のことで十二支縁起の名色のことを言っているのではないと気付くでしょう(普通はね)
767:鹿野園
20/11/30 21:38:01.17 51ZhYKun.net
819 名前:神も仏も名無しさん :2020/11/30(月) 21:27:41.54 ID:9DXz8Tcu
738鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/11/30(月) 10:23:22.98ID:PGjtqSDh
>>733
>は否定される
されません。
識⇆名色だから。
~~~
でしたら大山さんの
名色の前に識があるんだよwwww
は全くの不要でしたね
そんな書き方をしたら識と名色は相依性ではなく此縁性に解釈されるだけなので
ここでも名を心と名称(言葉)と二つの意味があるのを独りよがりでその場その場でどちらかの意味で使っているのと同じことをしているのです
768:鹿野園
20/11/30 21:38:23.80 51ZhYKun.net
820 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF [sage] :2020/11/30(月) 21:34:13.17 ID:51ZhYKun
>>818
>二つの意味があるのを知っているのだったら「名色の名には心という意味の他に名称(言語)という意味がありますね」などと言う(書く)のが独りよがりではない、他を思いやった言い方になるということ
www
その様な後付けの見苦しい言い訳は要りませんから。
単純な話、仏教では縁起によって識が物質(色)と精神(心や言語)に分析されるって事で、それ最初に学ぶ基本でしょ?
そうした基礎知識もないのに私を批判するとか本末転倒なんですよ。
769:鹿野園
20/11/30 21:38:39.57 51ZhYKun.net
821 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF :2020/11/30(月) 21:36:28.26 ID:51ZhYKun
>>819
いや、これ、仏教でも最初に学ぶ基礎知識ですからねぇ。
単純にあなたに基礎知識がないだけで、それを私にどうこういわれてもw
770:鹿野園
20/11/30 22:14:50.47 51ZhYKun.net
824 名前:神も仏も名無しさん :2020/11/30(月) 21:56:42.60 ID:9DXz8Tcu
>>820
>その様な後付けの見苦しい言い訳は要りませんから。
そのレスの方が「後付けの見苦しい言い訳」にこちらからは見えますけどね
>>821
はい、相応部経典の蘆束とか城邑とかに書いてあるということでしょう
大山さんが言う通り基礎知識でしかありませんね
で元レスにはその基礎知識もスルーしていきなり
名色の前に識があるんだよwwww
十二支縁起も知らないのかwwww
で完結させてますねえ
それを今更基礎知識だからとか「後付けの見苦しい言い訳」は要りませんからw
771:鹿野園
20/11/30 22:15:30.31 51ZhYKun.net
823 名前:神も仏も名無しさん :2020/11/30(月) 21:49:22.77 ID:9DXz8Tcu
ついでに十二支縁起の名色と識はお釈迦様によってしっかりと定義されていて
比丘たちよ、では、名色(五蘊)とはなんであろうか。
受(感覚)と想(表象)と思(思惟)と触(接触)と作意(意志)と、これを名というのである。
また、四大種(地・水・火・風)およびそれによって成れるもの、これを色というのである。
つまり、そのような名とそのような色とを、名色というのである。
比丘たちよ、では、識(識別する作用)とはなんであろうか。
比丘たちよ、それには六つの識がある。
すなわち、眼識と耳識と鼻識と舌識と身識と意識とがそれである。
比丘たちよ、これを識というのである。
(相応部経典 一二、二)
「分別とは言葉である」などという定義はここでの名色と識の関係からは見えてきません
むしろ鬼和尚の
名(レス全体を読むとここでの名とは言葉のことと読み取れる)も実は色の一形態であるからなのじゃ。
人の脳では言葉は映像として処理されているのじゃ。
言葉ができるまえは全てイメージで思考していたのであるからのう。
そのために色が名より優越しているのじゃ。
の方が「相応部経典 一二、二」での釈迦の説法に合っているといえるでしょうね
言葉ができる前(赤ちゃんが言葉を覚える前、も同じだと俺は思う)は六識でイメージで思考し認識していたと言われても何も違和感を感じないしね
そして、その六識によって生まれたイメージに言葉を付けたというのがそもそもの言葉の起こりでしょう
言葉ができる前や言葉を覚える前から六識による分別はあるでしょう
故に「分別とは言葉である」とは言いきれないと思います
772:鹿野園
20/11/30 22:17:13.61 51ZhYKun.net
>>770
www
あなたの願望に興味ありませんのでw
773:鹿野園
20/11/30 22:19:56.39 51ZhYKun.net
>>771
部分抜粋はもういいからw
まぁ、名色についてwikiなり仏教辞典でもいいから包括的な視点から見てみなさい。
774:鹿野園
20/11/30 22:22:56.87 51ZhYKun.net
仏教辞典やwiki等に掲示されてる一般的な名色の解釈を無視して(相応部経典 一二、二)とか出してくるとかw
775:鹿野園
20/11/30 22:36:31.25 51ZhYKun.net
>>771
>言葉ができる前(赤ちゃんが言葉を覚える前、も同じだと俺は思う)は六識でイメージで思考し認識していたと言われても何も違和感を感じないしね
>そして、その六識によって生まれたイメージに言葉を付けたというのがそもそもの言葉の起こりでしょう
>言葉ができる前や言葉を覚える前から六識による分別はあるでしょう
>故に「分別とは言葉である」とは言いきれないと思います
wwwwwwwwwwww
単純だねぇ。
言いたい事は分かるけど、それ(六識のみ)では解決の付かない問題があるんですよ。
で、さすがにこれ↓はねーわw
識⇆名色って事の意味が全く分かってねーな。
>そして、その六識によって生まれたイメージに言葉を付けたというのがそもそもの言葉の起こりでしょう
意識(六処)が途絶えてリセットされても言語認識は途絶える事なく継続されてるって謎なw
それをいちいち説明するとかなりの時間が掛かるからやらないけどね。
776:神も仏も名無しさん
20/12/01 01:44:40.65 eRT+Efi1.net
>>331
>105鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 16:28:57.93ID:WQ7EggsI
>阿頼耶識 = 無覆無記 = 現量 って事も理解できない猿どもwww
無覆無記には、詳しくは次の4種がある。
1.異熟生。前世の善悪業によって生じたもの。
2.威儀路。行(歩く)・住(立つ)・坐(すわる)・臥(横になる)の4種の身体的動作をするときの心。
3.工巧処。技術・知識にもとづく仕事や営みをするときの心。
4.変化。 仏・菩薩が神通力を得て人びとを導き救済するために種々のありよう・種々のものを作りだすときの心。
これら4種は心を付して異熟生心・威儀路心・工巧処心・変化心ともいう。
これら4つの無覆無記に、自性無記(それ自体が無記であるもの、すなわ内的な眼根・耳根・鼻根・舌根・身根と外的な香・味・触との8つ)を加えて、無記を5種に分類する。
URLリンク(www.wikidharma.org)
1の異熟生心は恐らくは阿頼耶識でしょう
4の変化心は仏や菩薩の心
これらは成唯識論辺りになると現量とされているかもしれません
少なくとも1.異熟生心が阿頼耶識なら現量とされています
しかし2と3の威儀路心と工巧処心まで現量となるのだろうか?
>阿頼耶識 = 無覆無記 = 現量 って事も理解できない猿どもwww
の論(仮説だが)から
威儀路心 = 無覆無記 = 現量
工巧処心 = 無覆無記 = 現量
が導き出せると思いますが
問題は基となる
阿頼耶識 = 無覆無記 = 現量
が正しいのかどうかですね
777:神も仏も名無しさん
20/12/01 01:53:25.08 eRT+Efi1.net
>>765
阿頼耶識は無覆無記ですが
無覆なのは阿頼耶識を覆う遍行のうちの受が唯捨受だからであって
もし阿頼耶識を覆う受が苦受や楽受の場合もあるならば無覆ではなくなるのでしょうか?
778:神も仏も名無しさん
20/12/01 05:09:01.80 0/gH4JLh.net
唯識って学ぶと何か良いことあるん( -_・)?何に役立つのかな?マジ分かんないんだが。
779:神も仏も名無しさん
20/12/01 07:40:34.79 z7N8W3sa.net
>>778
5chにおいてドヤ顔で唯識を語る鹿野園さんは、唯識を理解していません。
唯識が難解だからです。
また彼の唯識は江戸時代には没落した法相唯識の系統で、しかも
その中心となる『成唯識論』を直接読まず、その解説本を誤読されています。
そこで我々は、新唯識の『成唯識論』も竹村牧男 「『成唯識論』を読む」
春秋社7500円+税 (新・興福寺仏教文化講座7)で確認しながらも、主に
古唯識の世親の『唯識三十偈』を
廣澤隆之 「『唯識三十頌』を読む」 TU選書1900円+税より読みます。
漢訳玄奘訳の漢文を眺めつつ安慧釈のサンスクリット本文を読み解きます。
簡単な詩なので、意味を安慧釈と『成唯識論』とも時に参照しつつ読みます。
です。
つまり我々は、ここで、本来の世親の古唯識を読むことで、
唯識の基本を理解しようとしています。
780:神も仏も名無しさん
20/12/01 07:43:26.30 z7N8W3sa.net
鹿野園さんがなぜここを荒らすのかというと、
ここのテーマである『唯識三十頌』の一文づつを学ぶ能力がないからです。
可哀想な方なので、慈悲の心で接してあげてくだい。
781:神も仏も名無しさん
20/12/01 07:57:49.76 z7N8W3sa.net
>>765
■chandAdhimokSa-smRtayaH
・chanda欲…欲求・意向と訳される。廣澤氏は貪欲とは違い、佛の教えに触れて
修行しようとする欲求と説明されている
・adhimokSa勝解…確信、確認と訳される。
・smRti念…記憶、思い続けることと訳される。
■samAdhi-dhIbhyAM
・samAdhi定…専念、精神統一、三昧/精神集中と訳される
・dhi(prajNA)慧…知恵、叡智、英知と訳される
782:鹿野園
20/12/01 09:44:11.56 ZoRRxJ1+.net
無覆か有覆かは、仏道成就の妨げになるか否かが準拠になるのだと思いますけどね。
末那識は意識に直接働き掛けずとも、阿頼耶識を通して間接的にその有する四煩悩が影響するから有覆だと思うんです。
783:鹿野園
20/12/01 09:52:07.21 ZoRRxJ1+.net
wwww
吹いたぞ、ハゲw
このスレで唯識三十頌の解題が正しい方向でされてるかどうか、なるべく口を出さない積もりではいるけど、これはちょっとおかしくないか?って事を指摘して確かにその通りだったよな?
そうした指摘に怯えてるから、聞かれもしない事に対して大山批判をしてるんだろ?
www
784:神も仏も名無しさん
20/12/01 10:10:52.12 iOZ1hrut.net
>>782
違います。
1.無覆なのは、「種」という可能性で、まだ発現してないからです。
つまり仮定された潜在意識です。種は発現すると善になつたり悪になったりします
2.有覆なのは、変化し続ける阿頼耶識をわがものと妄想しているからです。
つまり自我意識みたいなものです。これが蔵識と常に相互にやりとりしている
3.第三能変で、煩悩と随煩悩との心の働きが詳述されます。
譬えると、潜在意識と自我意識の上に第三能変の六識が走っていて
その六識には、常に稼働している遍行というwin10のようなOSと
特定の時にだけ働く別境というアプリ、善や煩悩や随煩悩というアプリが
あるという構成になっているのです。
ここでの煩悩と随煩悩は、末那識の四煩悩と別レベルの煩悩です。
末那識の四煩悩は「自我意識」に関係するものなのです
785:神も仏も名無しさん
20/12/01 11:42:06.91 iOZ1hrut.net
仏道成就の妨げになるか否かが準拠になるのではない。
anivRta無覆は、a否定+nivRta「隠された、覆われた、妨げられた」なので
原語的には「妨げにならない」ものだし、否定の接尾辞nis+nivRtaをつければ
nirvRta涅槃となる。
阿頼耶識がanivRta無覆なのは、善にも悪にも向かう可能性があり、それ自体では
確定していないからに過ぎない。
阿頼耶識は捨受を除く五遍行と結びついて、末那識や他の六識の五遍行に相互影響
されているそうである。
786:鹿野園
20/12/01 12:28:17.09 ZoRRxJ1+.net
>>784
別におかしくないよw
"仏道を歩まん"とするのは意識(第六識)の問題だから、その意識との関係性が無覆(阿頼耶識)か有覆(末那識)かって事でしょ。
> つまり仮定された潜在意識です。種は発現すると善になつたり悪になったりします
その両方でもないものにもなるけど?
787:鹿野園
20/12/01 12:32:11.31 ZoRRxJ1+.net
つまりだ、
>>785
>原語的には「妨げにならない」ものだし、否定の接尾辞nis+nivRtaをつければ
というその「妨げにならない」というのが"何の「妨げにならない」"のかってことだろ?
その"何の"にあてはまるのが"仏道の成就"でしょ。
www
788:鹿野園
20/12/01 12:40:30.83 ZoRRxJ1+.net
>>785
>阿頼耶識がanivRta無覆なのは、善にも悪にも向かう可能性があり、それ自体では確定していないからに過ぎない。
つまりだ、"善だの悪だのに向かう"云々の善悪の基準ってなんですか?
何の善悪ですか?
仏道の成就に資する善悪でしょ?
要するにだ、仏道の成就に向かう意識の「妨げにならない」から無覆であり、「(間接的な)妨げになる」から有覆なんです。
789:鹿野園
20/12/01 12:46:51.94 ZoRRxJ1+.net
うむw
いつものように日高屋で飯を頂きながら片手で即答出来る程度の簡単な問題だったわw
790:神も仏も名無しさん
20/12/01 13:32:00.65 z7N8W3sa.net
>>784
違います。無覆かつ善悪無記なんです。
無覆は、涅槃と違って、善でも悪でもないのです。どちらにも転ぶ可能性でしかない
有覆は自我意識で覆われているです
仏道の成就に向かうこともあれば、背くこともあるから無覆なんです。
唯識の緻密な設定を理解するには、繊細な感覚が大切なのです
791:神も仏も名無しさん
20/12/01 13:50:08.92 JATDRMBm.net
ここで確認
善悪について
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
多川さんによると仏教における善悪の定義は分かりやすくいえば
善……自他を仏の世界に押し上げる行為
悪……自他を仏の世界から遠ざける行為
ということだそうです
792:鹿野園
20/12/01 13:59:40.65 ZoRRxJ1+.net
何に対して無覆・有覆なのか。
答えは明白でしょ。
793:鹿野園
20/12/01 14:23:52.85 d/p/WOB3.net
阿頼耶識それ自体が可能性のみであるとか、末那識が四煩悩を有して阿頼耶識を相分としているとか、確かにその通りなのですが、仏道の成就を成さんとするのはあくまで意識ですから、無覆無記だの有覆無記だのは、やはり意識に於ける仏道成就を起点にたてられていると思いますし、そうでなければ宗教性が希薄になってしまうと思うんです。
阿頼耶識も末那識性質は無記でも、片方はその妨げにならないから無覆だし、片方は(間接的に)妨げとなるから有覆であるとね。
私はそう思いますよ。
794:鹿野園
20/12/01 14:26:12.52 d/p/WOB3.net
訂正
阿頼耶識それ自体が可能性のみであるとか、末那識が四煩悩を有して阿頼耶識を相分としているとか、確かにその通りなのですが、仏道の成就を成さんとするのはあくまで意識レベルですから、無覆無記だの有覆無記だのは、やはり意識に於ける仏道成就を起点にたてられていると思いますし、そうでなければ宗教性が希薄になってしまうと思うんです。
阿頼耶識も末那識も性質は無記でも、片方はその妨げにならないから無覆だし、片方は(間接的に)妨げとなるから有覆であるとね。
私はそう思いますよ。
795:鹿野園
20/12/01 14:29:05.95 d/p/WOB3.net
…カムイさんじゃないけど、レスを書くのに集中してたら、二駅飛んで目的駅に着いてたw
796:鹿野園
20/12/01 14:37:31.00 d/p/WOB3.net
唯識を学び始めた頃、末那識が四煩悩を有しながら有覆無記という事が俄かには理解し難かったのですけどね。
宗教として仏道の成就という意識のはたらきを視座に考えた時、合点がいったんです。
URLリンク(i.imgur.com)
(唯識三十頌を読む 多川俊映 から)
797:鹿野園
20/12/01 14:43:06.38 d/p/WOB3.net
有覆については成唯識論に
聖道をおおってさまたげ(覆障)、自心をおおってふさぐ(覆蔽)
とかってありますよね。
798:神も仏も名無しさん
20/12/01 17:47:16.32 eRT+Efi1.net
善というは謂く信と慚と愧と無貧等の三根と 勤と安と不放逸と行捨と及び不害となり。
(訳)
3つ目には世俗的な暮らしのなかの善なる感情で
迷いなき世界へと向かう精神作用(別境)を導く因となるものです。
穏やかで静かな状態になり(信)
みずからを省みて反省し(慚)
他者からの評判をおそれて罪過を恥じらい(愧)
金銭や名誉などに執着せず(無貪)
危害を加えてくるものにも慈しみを注ぎ(無瞋)
正しいことわりを受けとめ(無痴)
これら善なる感情のもとに向上心を抱き(勤)
身心が柔軟にはたらくようにたもち(安)
散漫にならず集中する(不放逸)とともに
とらわれを離れて静かな状態にいたり(行捨)
生きとし生けるものに慈愛をそそぐ(不殺生)
―これら十一種が善なる感情なのです。
URLリンク(ryuganji.jp)
799:神も仏も名無しさん
20/12/01 18:10:09.29 eJtoBOdy.net
犬山と真言肛門徒は、つるんで工作しとるね
てか、自演だよね
800:神も仏も名無しさん
20/12/01 18:11:23.11 eJtoBOdy.net
件の粘着忍者疹言臭の新通名が、真言肛門徒
に決定しました!! これは施餓鬼供養であります
在日さんには高級すぎる呼び名ですが、5ちゃん粘着の誉を称えて授与します
よかったね在日さん!!
801:神も仏も名無しさん
20/12/01 18:49:43.30 z7N8W3sa.net
『成唯識論』巻三に曰く
故此唯是無覆無記。覆謂染法。障聖道故。
又能蔽心令不淨故。此識非染。故名無覆。
「覆と云うは、謂く染法ぞ。聖道を障へるが故に」
巻五に曰く
有覆無記 所攝。非餘。此意相應四煩惱等是染法故。
障礙聖道隱蔽自心。説名有覆。非善不善 故名無記。
有覆の染法とは四煩惱のことで、
聖道を障礙し、自心を隱蔽するので有覆と説かれるが
善でも不善でもないので、無記と名付けられる。
802:神も仏も名無しさん
20/12/01 20:28:52.47 z7N8W3sa.net
■覆について
竹村牧男 「『成唯識論』を読む」春秋社7500円+税
(新・興福寺仏教文化講座7)p72
「ところが阿頼耶識には煩悩は相応しませんから、覆障・覆蔽のはたらきはありえず、
「無覆無記」となります。かといって無漏(煩悩の漏泄がない)、覚りの智慧そのもの
というわけでもありません。要するにまったくニュートラルにのです」
廣澤隆之 「『唯識三十頌』を読む」 TU選書1900円+税 p79
「阿頼耶識は善に向かおうとする心の根拠でもあるし、悪に向かおうとする心の
根拠でもあるから、それ自体は悪へと向かう心の働きである煩悩がないことになる」
803:神も仏も名無しさん
20/12/01 20:46:48.15 z7N8W3sa.net
>>782
>仏道成就の妨げになるか否かが準拠
阿頼耶識はむしろ無宿透明で、それ自体では妨げにもプラスにもならない。
で、仏道修行しようとする意欲は別境の「欲」
804:鹿野園
20/12/01 21:32:45.23 d/p/WOB3.net
>>803
???
妨げになれば有覆だし、妨げにならなければ無覆でしょ?
私は仏道の成就に資すれば善とはいいましたが、無覆とは言ってませんけど?
混同してませんか?
805:神も仏も名無しさん
20/12/02 03:18:14.14 NDw14rt7.net
犬山=栄進=シンゴンはグルです。一味です。
気付いた人々の力を結集して
犬どもの陰謀をうち破るのです。
たたき潰すのです
806:神も仏も名無しさん
20/12/02 03:26:38.79 NDw14rt7.net
連中の脳に詰まっているのはゴミ知識だけです。
決して影響されてはなりません。
807:神も仏も名無しさん
20/12/02 06:32:55.52 D9MQe2w2.net
>>804
>仏道成就の妨げになるか否かが準拠
>妨げになれば有覆だし、妨げにならなければ無覆でしょ?
1.仏道成就というか聖道(無漏智)と自心を四煩悩で覆うから有覆
2.四煩悩で覆われてないから無覆だけども、それ自体としてはニュートラル
ニュートラルだけども実際は有覆の末那識とも常にやりとりをして、その種子を蔵しているのです
3.で、我々の阿頼耶識を『成唯識論』は巻二で「有漏の識」と言って手ます。
唯識は、多層構造になっていて複雑なので繊細に読みましょう
808:鹿野園
20/12/02 07:42:55.65 gYZhhnDK.net
>>807
???
別におかしな事は言ってないだろw
聖道≒仏道だし。
809:鹿野園
20/12/02 07:58:08.33 gYZhhnDK.net
自心とは末那識だろうし、無記のみというのは表層識より下だというのもあるのだろうな。
また、無覆というのは現量と親近性があるのだろう。
810:神も仏も名無しさん
20/12/02 08:29:45.58 g8e+kfTd.net
>>809
>>776
811:鹿野園
20/12/02 09:01:07.48 gYZhhnDK.net
善悪(或いは無記)は、表層化した時に決定付けされるのだろう。表層下では無記だと。
812:鹿野園
20/12/02 09:08:14.89 gYZhhnDK.net
有覆というとやはり言語化の問題が出てくるなぁ。
スレタイから外れけど、起信論辺りにここら辺について言及されてるのかもしれない。
813:神も仏も名無しさん
20/12/02 09:34:22.22 ceQgcYd2.net
障礙聖道隱蔽自心とあるので、
「聖道」と「自心」は障礙・隱蔽される側なので
「自心」≠「末那識」ですよ。
末那識の四煩悩が「聖道(無漏智)」と「自心」とを覆っていると『成唯識論』が
解釈しているのです。
普通は、「聖道」=「仏道」です。でもここは心の分析なので
「聖道」=「無漏智」と『成唯識論』は定義しています。
さて「自心」とは何かですが、『成唯識論』だから
六位五十一の心所を指しているのでは?
具体的には遍行や別境や善の心所(心の働き)を覆う。
さて、8つの大随煩悩には末那識は働きかけると法相唯識が説くので、
緻密精緻な分類ではどうなっているかまでは不明
814:鹿野園
20/12/02 10:08:16.43 gYZhhnDK.net
>>813
>「自心」≠「末那識」ですよ。
???
自心を覆ってるんでしょ?
なら末那識以外に考えられませんけど?
>>813
>普通は、「聖道」=「仏道」です。
それでいいんですが?
815:神も仏も名無しさん
20/12/02 11:10:02.83 ceQgcYd2.net
>>814
違います。ここで言う「自心」は悟りのことです。
他宗で「如実知自心」という時の「自心」です。
816:鹿野園
20/12/02 11:37:58.35 gYZhhnDK.net
>>815
あなたの解釈っていつも変なんですけど?
自心も聖道も、私の解釈がおかしいとは思いませんが、どうしていつもそうした変な見方をされるのですか?
URLリンク(i.imgur.com)
(写メは 唯識三十頌を読む 多川俊映 から)
817:鹿野園
20/12/02 11:49:47.29 gYZhhnDK.net
うむ、末那識が有覆でありながら無記というのは、善悪或いは無記が(表層)意識の次元の問題だからなんだろうな。
つまり、表層下識の問題だから無記であると。
そして、意識の次元を基準にしているところがやはり唯識学が宗教たる所以なんだろう。
818:神も仏も名無しさん
20/12/02 14:15:42.28 pvDQl9xE.net
そしてまた、阿頼耶識の性質が単に無記なのではなく、「無覆無記」だとあります。この無覆とは、仏道を歩む上で障害になるようなものとかかわりがないという意味です。
同じ無記でも、有覆無記(後述の第二能変の末那識がこれに当ります)は、仏道を障り、心を不浄にするものと関係がある。
そこで、有覆の性質は「染(染汚)」、無覆は「浄」だといわれます。
したがって、無覆無記は善でも悪でもなく、しかも、汚れがない─。そうした無覆無記を、無色透明に近いイメージで理解しようとする唯識学者がおられました。大いに参考にしたいと思います。
なお、阿頼耶識という識体(心王)が無覆無記ですから、それに相応してはたらく〈触〉〈作意〉〈受〉〈想〉〈思〉の五心所も、その性質が無覆無記だというのは当然でしょう(第四頌2)。
多川 俊映
唯識とはなにか 唯識三十頌を読む (角川ソフィア文庫)
819:神も仏も名無しさん
20/12/02 17:07:56.23 D9MQe2w2.net
>>816
多川俊映さんの言われる、本来染汚ではない末那識のスガタ(自心)は、
四煩悩で覆われている現実の末那識と違うのです。
転識得智された平等性智(覚り)のことです。
だけども多川さんも正確ではないです。
「本来染汚ではない末那識のスガタ」という表現が鹿野園さんを惑わしている
からです。「聖道」(無漏知)と「自心」(覚り)とをサラッと説いたほうが端的です
820:鹿野園
20/12/02 17:51:34.53 jZ7hbCzR.net
>>819
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
法相宗の前管長にご意見ですか?????
馬鹿鬼並みのキチガイですねーwwwwww
821:鹿野園
20/12/02 17:56:02.10 jZ7hbCzR.net
いやいや、この人やっぱり馬鹿鬼に並に感覚がぶっ飛んでますわw
辞書が間違ってる、学者が間違ってる、行者の体験が間違ってる……
わしが正しいのぢゃ。
何故ならわしは覚者なのじゃ。
覚者の言う事は正しいのぢゃ
だからわしは正しいのぢゃ、ってなw
822:神も仏も名無しさん
20/12/02 18:04:29.28 D9MQe2w2.net
多川俊映さんの、仏教の勉強は、落ちぶれた法相唯識の宗学オンリーでしょ。
その多川さんでも
我々の現実の末那識≠本来染汚ではない末那識のスガタ(自心)
とわかられているのです。
そんなのは論理性があれば、読み取れるのです
823:鹿野園
20/12/02 19:09:30.61 jZ7hbCzR.net
後付けでコロコロ言うことを変えるんだなw
俺が指摘しなかったら何にも分からなかった癖にw
既に四煩悩に覆われた自心が末那識だろ?
少しは頭を整理して考えなさい。
824:神も仏も名無しさん
20/12/02 20:12:32.60 gVXtF6/u.net
>>820
管長とか、大山は権威に弱いのうwwwwwwww
晃と同類だなあ。wwwwwwwww
825:神も仏も名無しさん
20/12/02 20:16:13.88 D9MQe2w2.net
>>823
いえいえ。一貫して同じことをご説明しています。
末那識≠自心であると
多川さんですら
「本来染汚ではない末那識のスガタ」を自心とされているのです。
四煩悩があるのが末那識です。
四煩悩が克服されると転識得智されて末那識は末那識ではなくなり
平等性智という四智となるというのが法相唯識のスタンスです。
「本来染汚ではない末那識のスガタ」は、もはや末那識ではなく自心と呼ばれる
悟りなのです
こういうことは論理的な知性があれば、多川さんですらわかる事柄です
826:鹿野園
20/12/02 22:11:29.32 a70G7xHV.net
>>825
コロコロ言うこと変えてるなぁw
>さて「自心」とは何かですが、『成唯識論』だから六位五十一の心所を指しているのでは?
我々凡夫のその自心は四煩悩に覆われてるんだよ。
だから末那識って呼ばれてるんだよ。
827:鹿野園
20/12/02 22:27:54.29 a70G7xHV.net
>「此の四ついい、常に起こりて内心を擾濁…」
>(成唯識論)
自分自身の末那識そのものを騒がせ濁らせる(竹村)って解釈何されてるしなぁ。
828:神も仏も名無しさん
20/12/03 00:41:37.83 4OMVxRZu.net
>>812
末那識と阿頼耶識には言語概念はないはずだから末那識を覆う四煩悩にも言語はないでしょう
でも大山さんは
>>775
>言いたい事は分かるけど、それ(六識のみ)では解決の付かない問題があるんですよ。
>意識(六処)が途絶えてリセットされても言語認識は途絶える事なく継続されてるって謎なw
>それをいちいち説明するとかなりの時間が掛かるからやらないけどね。
って書いてるんだし
せっかくだから末那識や阿頼耶識あるいは物心つく前の無意識下の言語認識についても面白そうなので解説して下さいよw
「阿頼耶識は唯捨受で無覆無記だから現量」
みたいな珍説が生まれるかもしれないですしね
829:神も仏も名無しさん
20/12/03 02:59:44.22 TNRfdNHX.net
>>827
大山よ、貴殿のここ数か月内の書き込みで宮元啓一名誉教授の過去の著作における見解
について、教授がその見解の表明を後悔し撤回したがっているだろう的な内容の文言を
この近辺に書いたものがあったとのことであるが、それ大問題だぞ。
くまなく探せば、すぐ判明するわけだが、その発言、撤回しないよな?
830:神も仏も名無しさん
20/12/03 06:58:50.09 ZTFfUQC6.net
>>765
■SraddhAtha hriIr apatrapA
SraddhA信…『成唯識論』曰く「実と徳と能を深く忍び、楽(ねが)い、欲する心が浄まることを
性となし、不信を対治し善を楽(ねが)うを業と為す」
実=仏陀の教えを信忍し、徳=三宝を信じて希望を起こし、能=能力を信じ
心が澄浄prasAdaになること
hriI 慚…中村元訳では「みずから恥じること」
『成唯識論』曰く「自と法との力によって、悪行を止息するを業と為す」
apatrapA愧…中村元訳では「世間に対して恥じること」
『成唯識論』曰く「世間の力によって、悪行を止息するを業と為す」
831:神も仏も名無しさん
20/12/03 07:50:51.42 4OMVxRZu.net
>>828
>せっかくだから末那識や阿頼耶識あるいは物心つく前の無意識下の言語認識についても面白そうなので解説して下さいよw
せっかくだから末那識や阿頼耶識あるいは物心つく前の言語認識についても面白そうなので解説して下さいよw
に訂正します
832:鹿野園
20/12/03 10:19:52.26 iIeiPd9h.net
>>828
>末那識と阿頼耶識には言語概念はないはずだから末那識を覆う四煩悩にも言語はないでしょう
種子は名言種子でしょ?
それが我々の日常に使われてるそれそのものかどうかは分かりませんけど、言語(言葉)によって阿頼耶識に薫習されるのだから。
833:神も仏も名無しさん
20/12/03 10:28:43.80 2inY/lmH.net
第十一偈
善謂信慚愧 無貪等三根 勤安不放逸 行捨及不害
善とは謂く、信・慚・愧と 無貪等の三根と
勤・安・不放逸と、行捨及び不害なり
alobhAdi trayaM vIryaM praSrabdhiH sApramAdikA/
ahiMsA kuSalAH kleSA rAga-pratigha-mUDhayaH//
a.無貪などの三つと、精勤と軽安と不放逸とそれと俱にあるもの[行捨]と不害とが
善である。煩悩は貪と瞋と癡と
b.無欲などの三つと、精進と軽快感と怠けない気持ちと、それと俱にあるもの(行捨)と
不殺生とが善[なる心理作用]である。(根本)煩悩とは、貪欲と憎悪と無知であり、
(以上、廣澤訳)
貪欲のない状態から始まる3つ、エネルギー、静穏、用心深さ、
傷つけないこと/不殺生が、〔メリットのある心的要因である〕。
煩悩/煩悩は、貪欲、嫌悪、惑わし、
(以上、湯田訳)
834:鹿野園
20/12/03 10:31:42.12 iIeiPd9h.net
>>829
はて?
批判する時は伏せ字を使って名前を出す事はなかったと思うけど、本人の名前が出てるのなら、それは伏せ字に訂正させてもらうわ。
その上で、近代仏教思想史という俯瞰的な視座から鑑みるとそれは「"批判仏教"運動」の流れの中での出来事だと位置ずけてるよ、おれは。