20/11/11 08:16:41.74 GUX3XcS5.net
空海さんは『声字実相義』で
1.「如来の説法は必ず文字」に依っている
2.その文字という体には実相を備えている
と考えるわけですが
世親は真逆です。
倶舎論でupacāraと言っている
upacāraとは、「仮説」と訳されるが、非有なのに有と遍計すること
と規定されている。
第一偈は
我々が、「我」と「法」とを、自分のものではないのに
自分のものであるかのように考えているという意味ではないでしょうか?
それは心の働きによって色んな種類がある。大きくわけると三つだと
言われているように思いのます