唯識を学ぶスレッドat PSY
唯識を学ぶスレッド - 暇つぶし2ch607:鹿野園
20/11/28 22:04:26.75 CGjAOmcc.net
>>604
>感覚が無分別なら身受という言葉は不要じゃないか
受には感覚が含まれているからですよ。

608:鹿野園
20/11/28 22:05:33.10 CGjAOmcc.net
>>606
あなたの勝手な想像でしょうなぁwww

609:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:10:13.00 t3semzoD.net
裸でいる時に誰かが背後から線香の火を背中に押し付けたら意識が熱いと言葉にして感じる前に反射的に身を逸らすだろうよ
言葉がなければ分別はないというならば火を押し付けられた時点ではまだ熱い熱くないの分別はないわけだ
しかしそれはどうかと思う
業や煩悩は言語的分別による戯論から生じるというのは確かかもしれんが本能的なものは言語よりも先だろうと思う

610:鹿野園
20/11/28 22:12:22.23 CGjAOmcc.net
>>604
>前五識が無記なのは自性無記であるからという理由でありゆえに
www
前五識の活動は意識を通してしか知れませんから。

611:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:12:28.77 t3semzoD.net
>>607
その身体(前五識)の感覚が苦楽捨に分別されているという話をさっきからしているのだが

612:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:13:34.56 t3semzoD.net
>>610
だな
だからこそ自性無記ということだ

613:鹿野園
20/11/28 22:14:55.54 CGjAOmcc.net
>>609
その反射的って、つまり鏡って事ですよ。
現量って事です。

614:鹿野園
20/11/28 22:16:26.95 CGjAOmcc.net
>>611
だから、感情が倶起してるから知れる(分別される)んでしょ?

615:鹿野園
20/11/28 22:18:55.20 CGjAOmcc.net
>>609
>業や煩悩は言語的分別による戯論から生じるというのは確かかもしれんが本能的なものは言語よりも先だろうと思う
本能を意識レベルではなく、末那識や阿頼耶識レベルで見ればどうですか?

616:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:22:33.73 t3semzoD.net
>>613
熱い熱くないという言葉が出る前に苦受を感じて体を火から反射的に離すわけだ
言葉で言えば苦と言われる分別がちゃんとされている
言葉にする前に
つまり「分別とは言葉」はケースバイケースで本能的なものには当てはまらない
また当然だが言葉を知らない動物でも分別はする

617:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:28:04.19 t3semzoD.net
>>614
それはケースバイケース
但し身受という言葉はもちろん第六意識が名付けたもの

618:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:31:33.04 t3semzoD.net
>>615
その本能も阿頼耶識が生み出している幻影ということになりますかね
正確には阿頼耶識内の本能にカテゴライズされる種子が現行している、ということになるはず唯識ではw

619:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:33:54.82 t3semzoD.net
>>614
その理論でいうと阿頼耶識も感情が倶起しないと現量には分別されないということになるねもちろん

620:鹿野園
20/11/28 22:38:43.19 CGjAOmcc.net
>>616
>言葉で言えば苦と言われる分別がちゃんとされている言葉にする前に
仏教ではそれ(直接知覚、純粋体験)を分別とは言いませんので。

621:鹿野園
20/11/28 22:39:31.38 CGjAOmcc.net
>>617
唯識仏教ではそうされてますので。

622:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:41:45.14 hlv2CtnP.net
>>596
論点前提が、阿頼耶識は捨受だが
第三能変の六識(前五識と意識)が三受と言われるかは何故かだよ
で論点は
阿頼耶識は捨受だから、現量なのであれば
前五識は捨受+苦受と楽受を含む三受だから現量ではなくなるが?
というものです。
それに対して鹿野園さんは、
「前五識には常に意識が倶起して単独起動はあり得ない」ので
意識と共に三受とされていると推測されているが、
「前五識には常に意識が倶起して単独起動はあり得ない」なら
前五識は意識と共になぜ「現量」「比量」「非量」でないのだろうかという疑義となる。
まあそれはともかくとして、テキストを読みましょう

623:鹿野園
20/11/28 22:41:58.11 CGjAOmcc.net
>>618
>>619
…もう少し唯識を学んでから仰って頂いた方がいいですね。
話が噛み合いません。

624:鹿野園
20/11/28 22:43:54.91 CGjAOmcc.net
>>622
>阿頼耶識は捨受だから、現量なのであれば
>前五識は捨受+苦受と楽受を含む三受だから現量ではなくなるが?
>というものです。

感覚的(言語を介在しない)なものだからです。

625:鹿野園
20/11/28 22:50:45.32 CGjAOmcc.net
>>622
>前五識は意識と共になぜ「現量」「比量」「非量」でないのだろうかという疑義となる。
つまり、善・不善・無記ならば、現量・比量・非量なのではないのかと?
何度も言ってますが、常に意識は前五識に倶起し、前五識は感覚で意識は感情だからですよ。

626:神も仏も名無しさん
20/11/28 23:08:29.81 hlv2CtnP.net
第九偈
此心所遍行 別境善煩惱 隨煩惱不定 皆三受相應
此れが心所は遍行・別境・善・煩悩・隋煩悩・不定となり。
皆な、三つの受と相応す。
sarvatragair viniyataiH kusalais caitasair asau/
saMprayuktA tathA klesair upaklesais trivedanA//
aこれは遍行と別境と善と心所と相応する。同様に煩悩と随煩悩とも[相応するの]である。
 [しかもその識の変容には]三受がある。
bこれは普遍的な心理作用と限定された[心理作用]と善[なる心理作用]と結びついている。
 同様に煩悩と付随的な煩悩[という心理作用とも結びつき、しかもその識の変容には]
 三つの感受作用がある。
(以上、廣澤)
この第三の展開は、①遍(ひろ)くゆきわたる心作用と②特殊なものとして限定されている心作用と、
③善の心作用と④煩悩なる心作用と⑤副次的な煩悩なる心作用とに結びついて働く。
[快適と不快とどちらでもないものという]三種の感受作用もまた同様である。
(以上、中村)
それは、至るところに行き渡っている心的要因、特に定められているもの、
メリットのあるもの、苦悩/煩悩、および副次的苦悩/煩悩と結び付けられている。
それは3種類の感覚を有する。
(以上、湯田)

627:神も仏も名無しさん
20/11/28 23:12:09.94 hlv2CtnP.net
>>626
第九偈でも玄奘は、サンスクリット原文にない「不定」を
挿入している。
玄奘の訳は世親を正確に訳しているわけではないことは
一一を丁寧に読むと誰の目にも明らかである

628:神も仏も名無しさん
20/11/28 23:36:04.18 hlv2CtnP.net
『唯識三十頌』原文による限り、現量は説かれていない。
第三能変(六識)は、それぞれが、複数の心作用と結びついて働ているとされる
一つ目の遍行は、具体的には五つあって
・触sparśa…接触のこと
・作意 manaskāra…manas心+kāra動かす→思考すること
・受vedanā…人間の感受作用
・想saṃjñā…事物の形象を心の中に思い浮かべるイメージ化作用(表象作用)
・思cetanā…意思。目標に向かう方向性を持った意思
しかも受、阿頼耶識の捨受のみならず、苦受と楽受を含む三受であると言う。
直感的知覚でも無分別でも現量でもない。
花を見れば、単に見ているだけでは無く
見ようと意識し、集中してズームインし、心地良いか悪いか感受し、
花であるとイメージを浮かべ・・・。

629:鹿野園
20/11/28 23:39:28.73 CGjAOmcc.net
>>627
>第九偈でも玄奘は、サンスクリット原文にない「不定」を挿入している。
>玄奘の訳は世親を正確に訳しているわけではないことは一一を丁寧に読むと誰の目にも明らかである

www
三受ってあるじゃんw
第六識には不定心所があるしw
むしろ正確だよw

630:鹿野園
20/11/28 23:42:01.18 CGjAOmcc.net
>>628
いや、だから捨受のみってあるでしょw
つまり、ありのままに受け止めてる(現量)って事ですよw
まぁ、現量って術語自体は確立されてなかったにしてもね。

631:神も仏も名無しさん
20/11/28 23:58:26.02 t3semzoD.net
>>620
仏教では→アビダルマでは、唯識では、因明では、でしょ
>>623
君の望む通りの答えが返ってこないから残念がっているんだろうけど世の中そうそうは思うようにならないからというのは釈迦の説法w
でこちらの話を更に延長させてもらうと阿頼耶識が捨受だから現量という大山説は他に聞いたことがないが唯識学でいう阿頼耶識自体の全体の定義も結局は人の意識がつくりだしたもの(論師によって異なるが)
識は無常である 無常である者は苦である 苦であるものは我に非ず我がものに非ず我がアートマンに非ず その言葉を聞いたものは執着を離れる…
だから「阿頼耶識が捨受だから現量」という君の見解には固執しないことにしたわ
否定も肯定もこれからはしないよ

見よ、神々並びに世人は、『非我なるものを我』と思いなし、<名称と形態>(個体)に執著している。
「これこそ真実である」と考えている。
或るものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、そのものはそれとは異なったものとなる。
何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。
過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。
安らぎ(涅槃)は虚妄ならざるものである。
諸々の聖者はそれを真理であると知る。
かれらは実に真理をさとるが故に、快をむさぼることなく平安に帰しているのである。
(スッタニパータ 第三章 12、二種の観察)
とは言っても>>624の君のレスは傍から見てもズレてますけどねw
捨受関係ないレスになっているようでw
まあいいさw
これ以上は追及はしませんので

632:鹿野園
20/11/29 00:08:34.26 B2JCaidy.net
>>631
>仏教では→アビダルマでは、唯識では、因明では、でしょ
言語との絡みが特に云われ始めたのは龍樹(中観)からでしょ。
で、初期仏教でも支縁起で識・名色の問題として言語の絡みは言われてますけど。

633:鹿野園
20/11/29 00:19:55.98 B2JCaidy.net
>>631
>君の望む通りの答えが返ってこないから
流石にそれは最初から期待はしてませんし、それ以降の文章は意味が不明なのでコメントはしません。
で、ともあれ、私は
>常に意識は前五識に倶起し、前五識は感覚で意識は感情だから
で理解出来ましたし、唯識思想の中ではそんなに難しくない事だと思いますけどね。

634:鹿野園
20/11/29 01:07:23.59 B2JCaidy.net
しかしなんだなぁw
ハゲが玄奘三蔵の訳をdisればdisるほど、それに反比例してかの翻訳家としての非凡な才能が明らかになってくるんだけどw
一体ハゲって何者?
www

635:神も仏も名無しさん
20/11/29 07:36:45.87 +sfLDn4b.net
>>629
三受は遍行心所の受の苦楽捨の三種類の形態であり、善悪に関する不定心所とは違います
URLリンク(i.imgur.com)
この五位百法は世親の時代には完成してなかった
この五位百法の分類は成唯識論によりそれが法相宗にも取り入れられました
そして世親の唯識三十頌の9偈の原文には確かに不定はありません

636:神も仏も名無しさん
20/11/29 08:27:49.15 +sfLDn4b.net
>>632
>で、初期仏教でも支縁起で識・名色の問題として言語の絡みは言われてますけど。
ソースを提示できます?
ちなみに相応部では無明による身業(行為)・口業(言葉)・意業(思い)によって苦楽が生じるという説法はありますけどね

龍樹の心の境地が滅した時には心の対象もなくなるに不意に線香の火を後ろから背中に押し付けられた瞬間を当てはめていいものかは、さー分かりませんなあw

637:神も仏も名無しさん
20/11/29 08:32:28.55 pPm4hCa3.net
ネットをググると
「陳那の定義でいえば、
現量は概念作用を伴わず、対象そのものの個別相(自相)を認識するものである。
そのような、直接知覚によって得られた知識が正しいかどうかを判断する『規範』が
現量であり、仏のさとりはそこにあるから、もっとも重要であるとする。」
とされるが、またググると現量は差別されている
・・・・・
1.眼耳鼻舌身という5つの感官の認識によって生じる知覚(感官現量)
2.心とその認知対象(=法)によって生じる知覚(意現量)
3.(瞑想によって)集中した心の認識によって生じる知覚(瑜伽行現量)
4.第8識が諸境を認識する
・・・・
そもそも世親の『唯識三十頌』と別概念であり、これを前五識に適用することには
無理があるので、現量説を唯識派が取り入れた後、やはり差別して定義してのであろう。
バカである

638:鹿野園
20/11/29 08:46:11.81 B2JCaidy.net
>>635
心所は倶舎も法相も五位法では六つ(偏行、別境、善、煩悩、随煩悩、不定)でしょ?
不定という文字そのものは出ていないけど、原文はちゃんと六つに分けてあるでしょ?
玄奘三蔵が不定と書いて訳してなんか問題あるの?

639:鹿野園
20/11/29 08:48:53.64 B2JCaidy.net
>>636
名色の名って名称(言語)でしょ?

640:鹿野園
20/11/29 08:49:36.58 B2JCaidy.net
>>637
説明済。
しつこいよ。

641:神も仏も名無しさん
20/11/29 09:02:37.97 pPm4hCa3.net
>>626
sarvatraga遍行…すべての所に赴くこと(心理作用)なので、訳としては、
         遍(ひろ)くゆきわたる心作用(中村)
  至るところに行き渡っている心的要因(湯田)が正確である。
        湯田はウパニシャド哲学専門なので「心的要因」という訳はあれだが。
        しかし我々は別境との対比と重に法相唯識の影響から、「時間的」に
        「いつも絶えず働いている」と認識している。だが実は「場所的概念」なのである。
・触sparśa…接触のこと 対象(境)と感覚機能(根)と表象作用(識)との結びつきのこと
      「花という対象」と「目根という感覚機能」と「目識という表象作用」の結合が「触」。
・作意 manaskāra…manas心+kāra動かす→思考すること
          心が特定の一つの対象に向かうこと。心が対象に動くこと
          つまり「花という対象」に心が向かっていること
・受vedanā…人間の感受作用 本質的には対象への愛着のことであり、
       楽を感受すると心地良さがあり、感受した快を維持・再取得したいという願望を生じ
       苦を感受すると不快さから離れようとし、苦楽どちらでもないものがあるという。
・想saṃjñā…事物の形象を心の中に思い浮かべるイメージ化作用(表象作用)
       『成唯識論』では言葉による概念化と説明する。曰く
       「想とは境において像を取るを性と為し、種種の名言を施設するを業となす」
・思cetanā…意思。目標に向かう方向性を持った意思
      安慧は「心の業の形成作用である」。『成唯識論』は「思とは心をして
      造作せしむるを性と為す」

642:神も仏も名無しさん
20/11/29 09:06:00.78 pPm4hCa3.net
>>638
世親の原文は5つ。
玄奘が倶舎論から「不定」から追加したと推定されている。
>>640
反論できてないです。『唯識三十頌』に現量なんてない。
後代の後づけで、『唯識三十頌』の邪魔にしかならない

643:鹿野園
20/11/29 09:16:16.67 B2JCaidy.net
>>635
>三受は遍行心所の受の苦楽捨の三種類の形態であり、善悪に関する不定心所とは違います
知ってます。

644:神も仏も名無しさん
20/11/29 09:29:02.31 +sfLDn4b.net
>>638
唯識三十頌の原文では心所の大分類は5つですよ
14偈で玄奘三蔵訳では不定にカテゴライズされる眠や尋や伺は、原文では5番目の副次的な煩悩(随煩悩)にカテゴライズされています
世親が有部の五位七五法を忘れていたのかどうかは分かりません

>>639
>名色の名って名称(言語)でしょ?
そのような訳し方を鬼和尚がした時に十二支縁起を知らないのか名色とは心と体だと鬼和尚を侮蔑していたのは大山さんでしたね

645:神も仏も名無しさん
20/11/29 09:30:22.93 +sfLDn4b.net
>>643
知ってるなら
>>629
>三受ってあるじゃんw
ってどういう意味で入れたの?

646:鹿野園
20/11/29 09:37:17.80 c7NAhTB7.net
>>642
>世親の原文は5つ。
六つですけどw
>>642
>反論できてないです。『唯識三十頌』に現量なんてない。
>後代の後づけで、『唯識三十頌』の邪魔にしかならない
ですから、現量という術後は後の時代に確立されたにしても、直接知覚というのは既に云われてるのだし、阿頼耶識何現量であるのは当たり前でしょ?

647:鹿野園
20/11/29 09:41:17.42 B2JCaidy.net
>>644
六つありますけど?
それと馬鹿鬼の事とか知らないけどw

648:鹿野園
20/11/29 09:43:50.21 B2JCaidy.net
>>645
仏教は基本的にAか非Aかそのどちらでもないって分類をしてるでしょ?
であれば不定というものがなければおかしいと思った次第です。

649:神も仏も名無しさん
20/11/29 09:48:46.73 pPm4hCa3.net
>>647
子供みたいなことを言ってないで
sarvatragair viniyataiH kusalais caitasair asau/
saMprayuktA tathA klesair upaklesais trivedanA//
のどこに不定があるのかを
具体的に指摘しないと話になりません。

650:鹿野園
20/11/29 09:52:29.02 B2JCaidy.net
なんだか未だ燻ってる様だけど、阿頼耶識は現量でしょ?
違いますか?
直接知覚という概念は世親の頃にはおおよそ確立されており、その直接知覚概念が陳那によって因明(論理学)に応用されるにつき更に厳格化されたわけでしょ?

651:神も仏も名無しさん
20/11/29 09:55:35.86 pPm4hCa3.net
ちなみに
sarvatraga遍行とviniyata 別境とkusala善がセットになっているが
「A」か「非A」か「そのどちらでもない」という分類と違いますよ
またklesa煩悩とupaklesa随煩悩とは
「A」「非A」ではなくて「A」と「a」ですわ。
鹿野園さんは、先入観をまず捨てないと、本文を読解できないですよ

652:鹿野園
20/11/29 09:57:14.71 B2JCaidy.net
>>647

>>626
>aこれは遍行と別境と善と心所と相応する。同様に煩悩と随煩悩とも[相応するの]である。
1.偏行
2.別境
3.善
4.心所(に不定がある。)
5.煩悩
6.随煩悩

653:神も仏も名無しさん
20/11/29 09:58:18.09 pPm4hCa3.net
>>650
世親の『唯識三十頌』本文に現量という概念はありますか?
イエスかノーでどうぞ。
後代の法相唯識の解釈はまずどうでもいいんです。
『唯識』を正確に学びましょう。

654:鹿野園
20/11/29 09:59:30.12 B2JCaidy.net
>>651
???
善・不善・無記や楽受・苦受・捨受等の話ですけど?

655:鹿野園
20/11/29 10:01:05.11 B2JCaidy.net
>>653
あるでしょ。
直接知覚という概念ですから。

656:神も仏も名無しさん
20/11/29 10:01:13.91 pPm4hCa3.net
×aこれは遍行と別境と善と心所と相応する。同様に煩悩と随煩悩とも[相応するの]である。
〇aこれは遍行と別境と善との心所と相応する。同様に煩悩と随煩悩とも[相応するの]である。
誤コピーにより、誤解させたようですね。
「遍行と別境と善」との心所です。

657:神も仏も名無しさん
20/11/29 10:02:31.90 pPm4hCa3.net
>>655
いいえ、ありません。

658:鹿野園
20/11/29 10:05:25.18 B2JCaidy.net
訳のわからん方ですねぇ?
唯識には阿頼耶識が現量という概念はなくて、法相宗にはあるとでも言いたいのかなぁ?
直接知覚=現量なんですけど?

659:鹿野園
20/11/29 10:11:13.02 B2JCaidy.net
>>657
直接知覚ってありますけど?

660:鹿野園
20/11/29 10:15:18.13 B2JCaidy.net
考え方が変なんですよ。
"お釈迦様の時代には仏教なんて概念はなかった、だからお釈迦様の教えは仏教じゃない"って詭弁に等しいんです。

661:鹿野園
20/11/29 10:21:44.28 B2JCaidy.net
現量って直接知覚という概念も包括してるんでしょ?
で、阿頼耶識は直接知覚ですから現量概念に含まれる訳です。
当たり前なんですけど……

662:鹿野園
20/11/29 10:39:40.32 B2JCaidy.net
>>656
そういうのは極力勘弁して下さい。
昨日から出張中で、貴殿等が出された文章をそのまま信じて疑義に思った事をレスしてるんです。
前提となる文章が偽であれば……分かりますよね?
ちなみに、こうした訳もあり、ここでは六つになってます。
>それは、至るところに行き渡っている心的要因、特に定められているもの、メリットのあるもの、苦悩/煩悩および副次的苦悩/煩悩と結び付けられている。
>それは 3種類の感覚を有する。
>(URLリンク(human.kanagawa-u.ac.jp))

663:鹿野園
20/11/29 10:44:04.04 B2JCaidy.net
訂正
ちなみにこうした訳もあり、ここでは五つになってますが、
>それは、至るところに行き渡っている心的要因、特に定められているもの、メリットのあるもの、苦悩/煩悩および副次的苦悩/煩悩と結び付けられている。
>それは 3種類の感覚を有する。
>(URLリンク(human.kanagawa-u.ac.jp))

664:鹿野園
20/11/29 10:47:34.62 B2JCaidy.net
私は玄奘三蔵が不定を入れたのは然るべき理由があっての事と思慮します。
それについては後程。

665:神も仏も名無しさん
20/11/29 10:49:18.10 +sfLDn4b.net
>>647
0338 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/13 22:33:44
>>311 違うのじゃ。
 そんなものはないからなのじゃ。
 
 色があるからなのじゃ。
 名色のうち名より色の方が優勢なのじゃ。
 種子は何もしないのじゃ。
 阿頼耶識は清浄ではないのじゃ。
 そもそも種子を蔵しているからのう。
0387 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/08/14 08:20:32
>>350
普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、感覚器官は働かないでしょ。
0400 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/14 20:58:59
>>350 名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
 人の脳では言葉は映像として処理されているのじゃ。
 言葉ができるまえは全てイメージで思考していたのであるからのう。
 そのために色が名より優越しているのじゃ。
0403 鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/14 21:27:57
>>400
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

名色の前に識があるんだよwwww
十二支縁起も知らないのかwwww

~~~
思い出しましたか?

666:神も仏も名無しさん
20/11/29 10:50:19.10 +sfLDn4b.net
>>647
原文は五つです

667:神も仏も名無しさん
20/11/29 10:50:48.23 +sfLDn4b.net
>>648
不定は三受の一つではありません

668:神も仏も名無しさん
20/11/29 10:51:41.60 +sfLDn4b.net
>>655
あなたは現量という言葉は世親以降に生まれた熟語と言ってませんでしたか?

669:鹿野園
20/11/29 11:34:30.03 B2JCaidy.net
>>665
リンクと>>311出してくれw

670:鹿野園
20/11/29 11:35:14.52 B2JCaidy.net
>>666
引用には六つあったけど?

671:鹿野園
20/11/29 11:35:36.21 B2JCaidy.net
>>667
そんな話はしてないけど?

672:鹿野園
20/11/29 11:36:03.46 B2JCaidy.net
>>668
で?

673:鹿野園
20/11/29 11:38:45.65 B2JCaidy.net
コテをつけてくれないか?
誤植を信じて展開した議論の非難をされてはたまらんからなw

674:鹿野園
20/11/29 11:40:48.30 B2JCaidy.net
それから、同じ様な事を二回聞かれて二度と答えるの面倒だから、スレのレスは一瞥してくれ。

675:神も仏も名無しさん
20/11/29 11:42:02.87 +sfLDn4b.net
>>669
今から出掛けるので夜にリンク貼ります

676:鹿野園
20/11/29 11:58:04.44 B2JCaidy.net
>>675
上記みたいに都合の悪いとこは引用しないとか、そういう薄汚い真似はやめような。
>>311に対する見解のレスの応酬について、公平に漏らさずageるように。

677:鹿野園
20/11/29 12:00:18.08 B2JCaidy.net
引用自体が正しくされているのか?
いちいちそこから精査しなきゃならないとか、そんな暇ないんだけど?

678:神も仏も名無しさん
20/11/29 12:38:28.81 pPm4hCa3.net
普通は、どこから引用しているか明記している場合は
それぞれが裏を取るのが当たり前の作業です。
そういう習慣がないとしたら、文化を共有できてないということになります。
なぜなら、間違いは常にありうるからです。

679:神も仏も名無しさん
20/11/29 13:35:32.60 fBJJA1Y4.net
>>669
外出先から
リンク
スレリンク(psy板:64番)-n
0310から先を読むと良いですよ
そしてど忘れされてるご自分のレスを確認しるといいでしょう

680:鹿野園
20/11/29 13:48:20.07 Dqon0b83.net
>>678
お前はキチガイか?
持ってない本をどうやって確かめるんだよ?

681:鹿野園
20/11/29 13:52:14.42 Dqon0b83.net
お前さぁ?
間違った本人がどの面下げて上から目線で以下の様な事を言えるんだ?
先に謝るのが人としての最低の礼儀だろ?
お前は虫ケラか?
どういうつもりかハッキリ返事をしてもらおうか?

>>678
>普通は、どこから引用しているか明記している場合はそれぞれが裏を取るのが当たり前の作業です。
>そういう習慣がないとしたら、文化を共有できてないということになります。
>なぜなら、間違いは常にありうるからです。

682:鹿野園
20/11/29 13:52:56.46 Dqon0b83.net
>>679
何もおかしくないだろ?
あたま大丈夫か?

683:鹿野園
20/11/29 13:56:12.83 Dqon0b83.net
一体なんなんだよ、コイツらは?
白を黒と嘘吐き、黒を白と嘯き……
ある事を無いといい、無い事をあるといい……
誤植を誤りもしないで、確かめない方が悪いとか?
部分抜粋して都合の良い様に文章を組み替えたり。
まともな人間じゃないだろ?

684:鹿野園
20/11/29 14:03:52.84 Dqon0b83.net
一人はハゲで、もう一人はこれ、馬鹿鬼じゃねーか、多分。
過去に鬼和尚キャラを瞬殺され潰された事を未だに根に持って名無しでdisってくるんだろうな。
馬鹿鬼とか、もう宗教板で見る影もねーしw

685:神も仏も名無しさん
20/11/29 14:13:07.05 fBJJA1Y4.net
>>682
開き直りですか?

639 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF :2020/11/29(日) 08:48:53.64 ID:B2JCaidy
>>636
名色の名って名称(言語)でしょ?
0387 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/08/14 08:20:32
>>350
普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、感覚器官は働かないでしょ。
(この時に名を名称の意味で使ったのは鬼和尚の方)
~~~
改めて、名色の名って何ですか?
あと俺は鬼和尚ではないですよ

686:神も仏も名無しさん
20/11/29 14:45:26.64 YTqBmG+o.net
唯我独尊

687:神も仏も名無しさん
20/11/29 14:57:20.73 RRtFUdDT.net
なぜ唯識が出たのか?
それは空に不満があったからだろう。
空に満足出来なかったのだろう。
それで唯識が出来たが、ただの想像物語と言えなくもない。

688:神も仏も名無しさん
20/11/29 15:04:01.28 Zp+3RjdO.net
>>684
知識が糞つ詰まっていると、
目が曇ってくる。

689:鹿野園
20/11/29 15:14:24.21 Dqon0b83.net
>>685
開き直りか?
wwww

690:鹿野園
20/11/29 15:15:09.52 Dqon0b83.net
>>688
負け犬w

691:鹿野園
20/11/29 15:22:45.18 Dqon0b83.net
負け犬お得意の部分抜粋ねじ曲げwwww

692:鹿野園
20/11/29 15:28:57.58 Dqon0b83.net
>>685
wwwwwwwwwwwwwwww
部分抜粋しないでレスの流れの中で全体の流れを上げろよ😂
そんなんだったらいくらで事実を捻じ曲げられるじゃねーか🤣🤣🤣
どーした?
ほれほれ!
なにしてる?
ほれほれ!
早く上げろよ、誤魔化し小僧🤣🤣🤣

693:鹿野園
20/11/29 15:34:35.85 Dqon0b83.net
コロコロコロコロコロコロ🤣
IDをコロコロコロコロコロコロコロコロ変えて🤣
鼻息😤荒くしては
顔を真っ赤にして😡
必死になって😬レスをしても
いつも瞬殺じゃねーか🤣🤣🤣
仏教徒やめちまいな😁

694:鹿野園
20/11/29 15:37:06.09 Dqon0b83.net
やっぱり馬鹿鬼のアバターで決定だな。
まぁ、いくらアバターを使っても元が低知能だからすぐに瞬殺されて終わりw
果汁1%の飲み物を100万本注いでも果汁100%にはならないのだよ、おバカちゃんw

695:キチガイデブスホモポッタン3世
20/11/29 15:51:26.84 k3ii5TJD.net
馬鹿野園よ、我を崇拝せよ!
我はポッタン我が敵は
天地容れざる犬山ぞー!

696:鹿野園
20/11/29 16:59:47.60 Dqon0b83.net
さて、家に着いた。
>>627
>第九偈でも玄奘は、サンスクリット原文にない「不定」を挿入している。
>玄奘の訳は世親を正確に訳しているわけではないことは一一を丁寧に読むと誰の目にも明らかである

について検証してるけど第九偈の心所の数はやはり五つだね。
つまりハゲの転記ミス。
で、上記についてもどうやらハゲ誤解であることが判明しつつある。
その鍵は第十四偈にあった。
で、続きはシャワーを浴びてから。

697:鹿野園
20/11/29 17:00:27.97 Dqon0b83.net
訂正
さて、家に着いた。
>>627
>第九偈でも玄奘は、サンスクリット原文にない「不定」を挿入している。
>玄奘の訳は世親を正確に訳しているわけではないことは一一を丁寧に読むと誰の目にも明らかである

について検証してるけど第九偈の心所の数はやはり五つだね。
つまりハゲの転記ミス。
で、上記についてもどうやらハゲの誤解であることが判明しつつある。
その鍵は第十四偈にあった。
で、続きはシャワーを浴びてから。

698:鹿野園
20/11/29 17:05:01.39 Dqon0b83.net
つまり、一旦全体を俯瞰してから個別の偈を見ればなんて事はなく、玄奘三蔵の訳が実に気の利いた訳であったことが分かるという事です。
やっぱり、テキスト棒読み&直訳&コピペ(しかも転記ミス)では唯識三十頌は読めないのです。

699:鹿野園
20/11/29 17:08:07.31 Dqon0b83.net
ハゲのコピペは転記ミスがあるのでもう信用出来ません。
仕方ないので
>廣澤隆之 「『唯識三十頌』を読む」 TU選書
を注文しました。
後で請求書を発行しますので送付先をお知らせ下さい。

700:神も仏も名無しさん
20/11/29 18:55:53.20 H070IGXO.net
このスレ的にはこういう見解ってどうなの?
URLリンク(haruaki.shunjusha.co.jp)

701:神も仏も名無しさん
20/11/29 21:06:33.68 +sfLDn4b.net
>>693
>IDをコロコロコロコロコロコロコロコロ変えて🤣
>>694
>やっぱり馬鹿鬼のアバターで決定だな。
もちろん事実無根のことを大山さん書き殴ってるけど、それは誤魔化し?
結局!名色の色って何ですか?に答えられないのですかね?
まあ答えたくなければ答えなくても良いですが
答えない代わりにしていることが子供っぽいですな

702:鹿野園
20/11/29 21:54:04.68 Dqon0b83.net
>>701
回答済。
まるでポタ公並みの廃人だなw

703:鹿野園
20/11/29 21:59:56.77 Dqon0b83.net
で、玄奘三蔵の"不定"の件、あれ十四偈を受けての事だからやっぱり問題無いどころか逆にGJじゃねーかw
何度も言ってるけど、一度全体を読んでから個別に解題してないで、まさに、テキスト棒読み&直訳&コピペ(しかも転記ミス)だから、あんな変な事を言い出す始末になる訳だ。

704:鹿野園
20/11/29 22:07:11.20 Dqon0b83.net
外出先でハゲのレスを見ただけで直感的に"あれ、これ変だなぁ?"って思ったんだよ。
第二能変や心所の数や不定の件をね。
唯識の知識以前に論理的に矛盾しているし。
それ以前の偈にも結構変なのがあるんじゃないのか?

705:鹿野園
20/11/29 22:10:27.05 Dqon0b83.net
経論は読む人を選ぶんじゃないか?と思う時がある。
何年か経ってからまた紐解くとパーン!って分かったりとかね。
disり目的で唯識を解題するハゲに唯識は分からないと思う。

706:神も仏も名無しさん
20/11/29 23:37:31.22 +sfLDn4b.net
>>702
回答もしてないですし誤魔化してばかりですね

707:神も仏も名無しさん
20/11/29 23:38:40.81 +sfLDn4b.net
回答出来ないなら出来ないと男らしくはっきりと言いましょうよ

708:鹿野園
20/11/29 23:43:39.46 Dqon0b83.net
>>707
回答済み。
因縁をつけたいのなら勝手だけど、一連のレスの流れを整理してまとめてからにしてくれ。
面倒くさいからな。

709:鹿野園
20/11/29 23:46:42.66 Dqon0b83.net
もう今更、馬鹿鬼とか変な低知能の馬鹿統失キチガイキャラは終わったんだし、わざわざそんな見向きもされない雑魚かキャラを復活とかさせなくてもいいから。

710:神も仏も名無しさん
20/11/29 23:55:49.78 +sfLDn4b.net
ほうあくまで回答したと言い張るわけね
大山さんにはもう何も期待しないけど
大山さんという人物の正体はこのスレに新しく来る人がいるかもしれないので魚拓として大山さんのレスをコピペしておくわ
こういうその場その場で適当なことを言うのが大山氏なので彼のレスは話半分以下で読みましょう>All

639 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF :2020/11/29(日) 08:48:53.64 ID:B2JCaidy
>>636
名色の名って名称(言語)でしょ?
0387 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/08/14 08:20:32
>>350
普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、感覚器官は働かないでしょ。

711:流れ
20/11/30 00:02:22.60 9DXz8Tcu.net
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。
0311 神も仏も名無しさん 2020/08/12 23:25:05
潜在意識って末那識や阿頼耶識のことですかね?
仏陀はそのような潜在意識に一切言及しなかったのは何故なんでしょうかね?
あと龍樹は確か言語による概念思考によって分別が生まれるとしてましたが、根本識たる阿頼耶識による認識は言語化されないのに何故人は事物を分別してしまうのでしょう?
阿頼耶識に蔵されている種子が言語関係なく分別してしまうのでしょうか?
それとも阿頼耶識は清浄でも末那識や意識と認知が顕在化されるに従って阿頼耶識の知覚の清浄さは失われて事物を分別するようになってしまうのでしょうか?
0338 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/13 22:33:44
>>311 違うのじゃ。
 そんなものはないからなのじゃ。
 
 色があるからなのじゃ。
 名色のうち名より色の方が優勢なのじゃ。
 種子は何もしないのじゃ。
 阿頼耶識は清浄ではないのじゃ。
 そもそも種子を蔵しているからのう

0342 鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/13 22:45:22
>>338
>名色のうち名より色の方が優勢なのじゃ。
www
両者は相依性故に、どちらかが優勢とかはない。
 >仏教においては、ナーマとルーパは互いに依存関係にあり、切り離すことができないとする。
 >(wiki引用)
>阿頼耶識は清浄ではないのじゃ。
>そもそも種子を蔵しているからのう。
www
阿頼耶識は無覆無記なので ”清浄ではない” とか、そう簡単に言う事じゃない。
知ったかぶりしてタコ殴りされるのが嫌なら黙ってな、猿www
0350 神も仏も名無しさん 2020/08/14 00:47:42
Sn 872
名称Namancaと形態rupancaとに依って感官による接触が起る。
諸々の所有欲は欲求を縁として起る。
欲求がないときには、<我がもの>という我執も存在しない。
形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない。
URLリンク(plaza.rakute...i_blg_amp_diary_next)
一行目では名色が同列で語られているのに
四行目では色ルーパの消滅みで全て解決されるように語っているのは何故か?
0387 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/08/14 08:20:32
>>350
普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、感覚器官は働かないでしょ。
0400 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/14 20:58:59
>>350 名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
 人の脳では言葉は映像として処理されているのじゃ。
 言葉ができるまえは全てイメージで思考していたのであるからのう。
 そのために色が名より優越しているのじゃ。

712:流れ
20/11/30 00:09:21.02 9DXz8Tcu.net
鹿野園(大山氏)はここでは名を心と解釈
鬼和尚は名は名前とか日常用語の名称で解釈している
ようす
しかしこのレスでの鹿野園(大山氏)の名の解釈は
>>639 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF :2020/11/29(日) 08:48:53.64 ID:B2JCaidy
>>636
名色の名って名称(言語)でしょ?
と上のコピペの時とは変わってその時の鬼和尚と同じになっています

皆さんは大山さんはこういう人だということを覚えておくと良いでしょう

713:神も仏も名無しさん
20/11/30 00:55:14.55 jy9rLLk1.net
名色=名称と形態

714:鹿野園
20/11/30 04:00:57.49 51ZhYKun.net
>>710
質問に対して答えた流れの中でどのように名色を把握してたか、その箇所を端折って部分抜粋するなっていつてるだろ、知障くんw

715:鹿野園
20/11/30 04:29:08.60 51ZhYKun.net
>>712
それも部分抜粋じゃねーかw
此方からの>>311に対する肝心のレスが載ってないぞ?
また、十二縁起の名色の次は六処(眼耳鼻舌身意)だから、名色を心と身体と考えれば次の六処も、普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、次の六処である感覚器官は働かないでしょ、ってことだなぁ。

716:鹿野園
20/11/30 04:32:59.18 51ZhYKun.net
ちなみに名色はwikiでは
名色(みょうしき、nāma-rūpa)
物質現象(肉体)と精神現象(心)。
物質的現象世界。
名称と形態。
実際の形と、その名前。
ってなってるよ。

717:鹿野園
20/11/30 04:52:12.96 51ZhYKun.net
つまりだ、上記のwikiをまとめると
 色
  物質現象(肉体)、形態、実際の形
 名
  精神現象(心)、名称、その名前
ってなる。
で、大山が時にその"名"について"心"と言ったり"名称(言語)"と言った訳だが、何か問題があるのかね?
必ず返事をする様に。

718:鹿野園
20/11/30 04:54:53.36 51ZhYKun.net
>皆さんは大山さんはこういう人だということを覚えておくと良いでしょう
これについて上記の件を踏まえて、どういう事なのか詳しく説明してくれ。
絶対に逃げないで説明してくれ。
必ずな、必ず。

719:神も仏も名無しさん
20/11/30 05:07:03.58 nfa3j6qW.net
鹿野園は我聞狂だけだろ笑

720:鹿野園
20/11/30 05:07:42.09 51ZhYKun.net
あ、以下の件についてもどういう事なのか、キチンと説明してもらおうか?
逃げないでな、絶対に。

>>644
>そのような訳し方を鬼和尚がした時に十二支縁起を知らないのか名色とは心と体だと鬼和尚を侮蔑していたのは大山さんでしたね
>>701
>もちろん事実無根のことを大山さん書き殴ってるけど、それは誤魔化し?
>>707
>回答出来ないなら出来ないと男らしくはっきりと言いましょうよ
>>710
>大山さんにはもう何も期待しないけど
>大山さんという人物の正体はこのスレに新しく来る人がいるかもしれないので魚拓として大山さんのレスをコピペしておくわ
>こういうその場その場で適当なことを言うのが大山氏なので彼のレスは話半分以下で読みましょう>All

721:鹿野園
20/11/30 05:48:01.56 51ZhYKun.net
「大山が宗教板に現れて5年。今まで散々瞬殺されて来たが、今回こそは名色の件で追い詰められる?!」
口泡を飛ばしながらそう呟くと、彼は顔面を赤く硬直させ、鼻息を荒くキーボードを叩きつける様にレスを繰り返した。
ドヤ顔でニヤける彼は間違いなく勝利を確信した。
しかし……
>>717からの大山のレス見た彼は立ち所に顔面が蒼白となり、同時に血圧が急上昇したのか、目の前が真っ暗になった。
「えっ、なんで?!」
キーンという耳鳴りと軽い目眩。
気がつくと彼はキーボードの前に呆然と立ち尽くしていた。
「また大山に…瞬殺……」
その現実というリアルが彼を包み込んだ時、彼のこころの奥底から野獣の様な雄叫び声と共に、何かが崩れ去ってゆくのであった。


722:鹿野園
20/11/30 06:15:47.15 51ZhYKun.net
可哀想に。
そう思わないとやってられないんだろうね。


728 名前:福音伝道 :2020/11/30(月) 05:46:37.83 ID:0P7qDu4r
興奮気味の大山君だが、鬼和尚に過去に瞬殺されてしまって、
もはや相手にして貰えないだけだよ。
普通に質問すれば鬼和尚は返事される。確認済み。
水準以下のアホウをスルーされているだけ。
鬼和尚は大山君よりはるかに佛教知識を持たれている
大山君は無知なので、それをはかれんだけ。
『唯識三十頌』ですら、やっとまともな書籍を注文した程度。
読んだところで使いこなせないだろうが、一歩前進ではある。

723:神も仏も名無しさん
20/11/30 06:38:05.23 0P7qDu4r.net
>>626 修正して偈に戻りましょう
第九偈
此心所遍行 別境善煩惱 隨煩惱不定 皆三受相應
此れが心所は遍行・別境・善・煩悩・隋煩悩・不定となり。
皆な、三つの受と相応す。
sarvatragair viniyataiH kusalais caitasair asau/
saMprayuktA tathA klesair upaklesais trivedanA//
aこれは遍行と別境と善との心所と相応する。同様に煩悩と随煩悩とも[相応するの]である。
 [しかもその識の変容には]三受がある。
bこれは普遍的な心理作用と限定された[心理作用]と善[なる心理作用]と結びついている。
 同様に煩悩と付随的な煩悩[という心理作用とも結びつき、しかもその識の変容には]
 三つの感受作用がある。
(以上、廣澤)
この第三の展開は、①遍(ひろ)くゆきわたる心作用と②特殊なものとして限定されている心作用と、
③善の心作用と④煩悩なる心作用と⑤副次的な煩悩なる心作用とに結びついて働く。
[快適と不快とどちらでもないものという]三種の感受作用もまた同様である。
(以上、中村)
それは、至るところに行き渡っている心的要因、特に定められているもの、
メリットのあるもの、苦悩/煩悩、および副次的苦悩/煩悩と結び付けられている。
それは3種類の感覚を有する。
(以上、湯田)

724:神も仏も名無しさん
20/11/30 06:53:09.82 0P7qDu4r.net
>>641
さていつでも働いているとされる遍行sarvatragaは、
原語を確認すると、場所的な概念でした。
心理的解釈
荒牧…あらゆる(三層よりなる識のあらゆる対象)において働いている
   心理的諸存在(遍行心所)
時間的解釈
廣澤…普遍的な心理作用
場所的解釈
中村…遍(ひろ)くゆきわたる心作用
湯田…至るところに行き渡っている心的要因
荒牧訳の心的諸存在や湯田訳の心的要因というよりも
caitasikaは心理的作用の方が的確な感じがする。
まあ要素でもあり作用でもあるわけだが。
さて識とどこまでも共に動く心の働きが五つあると言い、
そのうち受は、阿頼耶識では捨受のみであったが
第三能変では、三受であるという。

725:神も仏も名無しさん
20/11/30 08:00:02.39 0P7qDu4r.net
>>723
viniyata別境…「制御された個別の対象」次の第十偈で五種の働きが紹介される
kusala善…阿頼耶識・末那識は善悪無記であったが、第三能変には善の働きがあると言う。
     廣澤氏は前五識は感覚のみだから、ここは第六識だけと解釈すべきというが、
     『成唯識論』の基はそう読んでないと言う第十一偈で善の心所が紹介される

726:神も仏も名無しさん
20/11/30 08:21:22.91 0P7qDu4r.net
>>723
klesa煩悩…六種が説かれ、第十二偈で紹介。
upaklesa随煩悩…煩悩に付随して生ずる煩悩で第12~14偈で説かれる
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
さて
「不定」…世親の原文にはないが、玄奘訳では第14偈で四つ説かれる。
世親の原文では、玄奘が不定とする「悔と眠と尋と伺」は、随煩悩と説明されている

727:神も仏も名無しさん
20/11/30 08:24:48.46 0P7qDu4r.net
唯識学会の「不定」の解釈
URLリンク(www.yuishiki.org)
2011年1月16日 投稿者: CHAIR
不定
i. <不定〔ふじょう〕>とは、「善悪どちらにも固定していない(善にも悪にも働く)」という意味。
ii. <悪作><睡眠><尋><伺>の四つに分類される。
iii. <悪作〔おさ〕>とは
1) よろずのことを悔しむ心、後悔すること。
2) <悪作=悔>が昇華すれば、懺悔につながる。
iv. <睡眠〔すいめん〕>とは
1) 眠くて意識の朦朧とした状態のこと。
v. <尋〔じん〕>、<伺〔し〕>とは
1) 両者とも、ものごとを推し量る推理力のこと。
2) 細かく分けると、浅い→<尋>、深い→<伺>。
3) 唯識では対象を知るのに、直感的な認識(現量)と、
 推理による認識(比量)の二つの方法がある。<尋><伺>は、後者である。

728:鹿野園
20/11/30 09:44:52.45 51ZhYKun.net
>>726
>「不定」…世親の原文にはないが、玄奘訳では第14偈で四つ説かれる。

つーか、そもそも引用は正しくされてるの?
十四偈では、玄奘三蔵訳でなくても、そう説かれてるんじゃないのかなぁ?

729:神も仏も名無しさん
20/11/30 09:45:51.51 ux97Ntw7.net
ここまでを整理しよう。
第一偈 まさに種々の我と法とを仮説することが行われるが、
    それらは識の転変においてであり、しかもその転変は三種である
第二偈 vipAko mananAkyas ca visayasya ca/
    tatrAlayAkhyaM vijNAnaM vipAkaH sarvabIjakam//
    異熟と思慮といわれるものと境の了別とである。
    そのうちで異熟とは阿頼耶といわれる識で、一切種子をもつものである。
第三偈 asaMviditakopAdisthAnavijNaptikaM ca tat /
    sadA sparsa manaskAravitsaMjNAcetanA nvitam//
    そしてそれは感受できない執受であり、処の了別を有し、
    常に触・作意・受・想・思とが伴う。
第四偈 upekSA vedanA tatrAnivRtAvyAkRtaM ca tat/
    tathA sparSAdayas tac ca vartate srotasaughavat//
    その場合に、それは捨受であり、無覆無記である。触などもまたその如くである。
    それはまた暴流のような流れである。
第五偈 tasya vyAvRtir arhatve tad Asritya pravartate/
    tadAiambaM manonAma vijNAnaM mananAtmakam//
    阿羅漢たることにおいてその[阿頼耶識の]断滅がある。
    それ[阿頼耶識]に依って、それ[阿頼耶識]を縁じて、思量を性とする末那識が転じる

730:神も仏も名無しさん
20/11/30 09:46:31.27 ux97Ntw7.net
第六偈 klesais caturbhiH sahitaM nivRtAvyAkRtaiH sadA/
    AtmadRSTyAtmamAnAtmasnehasaMjNitaiH//
    我見・我癡・我慢・我愛と名づけられた、有覆無記の四つの煩悩が常に俱なっている。
第七偈 yatrajas tanmayair anyaiH sparsAdyais cArhato na tat/
    na nirodhasamApattau mArge lokottare na ca//
    生まれる所でそれから成るものと[俱で]ある。また他の触等の[五遍行]とも[俱]である。
    それは阿羅漢にはない。滅尽定にも出世間道においても無い。
第八偈 dvitIyaH pariNAmo yaM tRtIyaH SaDvidhasya yA/
    viSayasyopalabdhiH sA kusalAkusalAdvayA//
    これが第二の能変である。第三は六種であり、境を了得するものである。
    それは善と不善と俱非である。
第九偈 sarvatragair viniyataiH kusalais caitasair asau/
    saMprayuktA tathA klesair upaklesais trivedanA//
    これは遍行と別境と善との心所と相応する。同様に煩悩と随煩悩とも[相応するの]である。
    [しかもその識の変容には]三受がある

731:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:05:22.18 9DXz8Tcu.net
>>715
>此方からの>>311に対する肝心のレスが載ってないぞ?
大山さんのその311に対する肝心のレスは今テーマになっている名色についてなにも語ってはなかったでしょう
名色以外の話に拡散するのを防ぐためにここでは載せなかっただけのことだよ

732:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:05:46.58 9DXz8Tcu.net
それともう一つ
0400 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/14 20:58:59
>>350 名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
 人の脳では言葉は映像として処理されているのじゃ。
 言葉ができるまえは全てイメージで思考していたのであるからのう。
 そのために色が名より優越しているのじゃ。
に対して大山さんは
403鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/14(金) 21:27:57.31ID:C1leG7IV
>>400
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
名色の前に識があるんだよwwww
十二支縁起も知らないのかwwww
とレスしている
また
342鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/13(木) 22:45:22.79ID:Bk4P2OHq
>>338
>名色のうち名より色の方が優勢なのじゃ。
www
両者は相依性故に、どちらかが優勢とかはない。
 >仏教においては、ナーマとルーパは互いに依存関係にあり、切り離すことができないとする。
 >(wiki引用)

大山さんの403や342のレスからも大山さんとって名色とは十二支縁起の名色のことを指すと読み取りました
んで普通は十二支縁起の名色とは心身のことをいい、名を名称(言語)とは解釈しません
その証拠に名色とは十二支縁起の名色のこととしているらしい大山さんも
0387 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/08/14 08:20:32
>>350
普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、感覚器官は働かないでしょ。
と語っています

733:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:09:00.44 9DXz8Tcu.net
また仮に大山さんの403の
名色の前に識があるんだよwwww
の名色が鬼和尚の名に対応した言葉のことを書いているのだとしたら
605鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/11/28(土) 22:02:48.04ID:CGjAOmcc
分別は意識と末那識で起きているんです。
そして分別とは言葉なんです。
また、存在とは言葉なんです。
は否定される
なぜなら大山さんによれば名(言葉)と色の前のある識の段階で分別がされているから
要するに大山さんは論破さえできればいいと思っているせいかその場その場で過去レスとの脈絡を無視あるいは軽視してレスしている結果、自分で自説を否定するレスを付けてしまっているということです

403鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/14(金) 21:27:57.31ID:C1leG7IV
>>400
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
名色の前に識があるんだよwwww
十二支縁起も知らないのかwwww

734:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:11:29.86 9DXz8Tcu.net
>>720
>>733までの間にこのスレで全て説明しました、以上
それでも何か尋ねたいことがありましたらどうぞ

735:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:14:03.98 ux97Ntw7.net
さて論点は
0.「我」と「法」との仮説である。
無我であるはずの「我」「法」を我々はさまざまに仮説するが、それは
識の転変によって行われると説かれる。
1.その識の転変が三つあると説かれる。
2.三つとは、善悪の業が熟するところの異熟と思慮と対象の識別と説かれる。
3.異熟とは、蔵といわれる一切種子識であり、自分では知ることができない内的なものであり、
4.対象の表象を有し、触・作意・捨受・想・思を伴うという。無覆無記とされ、
5.川の流れのように刹那滅で常に変化して動的である。
6.この蔵識を対象として、蔵識から末那識が転ずるが、常に煩悩を伴っている。
7.蔵識を自分だと誤解する四つの煩悩であ。五遍行を伴っている。
8.第三の対象識別は六種類ある。善でも不善でもどちらでもないものもある。
こうしてみると、
なぜか最初に、業が熟して成立する異熟が説かれる。
その業はいつのなにかは説明されていないが、結果であるはずの異熟が
阿頼耶識とし説かれ、そこから識の転変が説明される。
これは我々の認識からすると逆のような感があるが、心の根底から説明する
ということなのであろう

736:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:14:04.02 9DXz8Tcu.net
>>726
>世親の原文では、玄奘が不定とする「悔と眠と尋と伺」は、随煩悩と説明されている
ですよね

737:鹿野園
20/11/30 10:21:01.83 PGjtqSDh.net
>>734
そういうのは要らないから、早く説明してくれ。
で、どうなんだよ?

つまりだ、上記のwikiをまとめると
 色
  物質現象(肉体)、形態、実際の形
 名
  精神現象(心)、名称、その名前
ってなる。
で、大山が時にその"名"について"心"と言ったり"名称(言語)"と言った訳だが、何か問題があるのかね?
必ず返事をする様に。

738:鹿野園
20/11/30 10:23:22.98 PGjtqSDh.net
>>733
>は否定される
されません。
識⇆名色だから。

739:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:30:00.78 ux97Ntw7.net
>>735
もう少し整理すると
1.阿頼耶識…触・作意・捨受・想・思の心的作用を伴い無覆無記
2.末那識…蔵識を自分と妄想する四煩悩だが、触・作意・受・想・思を伴い有覆無記
3.前五識及び六識…触・作意・受・想・思を伴い、別境と善の心的作用も伴う。
         煩悩と随煩悩との心的作用も伴う。
末那識の四煩悩と、六つの識(解釈者は六識only)の煩悩と随煩悩は別概念、
末那識の四煩悩は、すべてわがものという煩悩。

740:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:35:17.94 ux97Ntw7.net
>>737
横から解説すると、
鬼和尚が「名」=「言葉」と解釈をしたのを、
大山君は「十二支縁起のNāmarūpa」に依拠して、個人の「心と身体」のことだと嗤った
のであるからして、
別の場所で、「名」=「言葉」と主張するのは整合性がないのでは?
と疑問視されているだけでしょ。
「名」=「言葉」でいいなら、鬼和尚に謝罪すべきでしょ。
あるいは、
鬼和尚のコンテキストでは「心」と解釈すべきで
今回のコンテキストでは「言葉」で解釈してよい
ということを論証すればよいだけです できないでしょうけど。

741:鹿野園
20/11/30 10:36:53.19 PGjtqSDh.net
>名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
仏教は唯物論ではない。

742:鹿野園
20/11/30 10:41:31.78 PGjtqSDh.net
>>740
>鬼和尚が「名」=「言葉」と解釈をしたのを、

該当箇所を出してくれるか?

743:鹿野園
20/11/30 10:48:46.91 PGjtqSDh.net
何を勘違いしてるんだか知らないが、名色の名が言葉であるとこは否定してないが?
>名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
これを否定はしてるけどな。

744:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:53:53.75 ux97Ntw7.net
>>400
Sn 872
名称Namancaと形態rupancaとに依って感官による接触が起る。
諸々の所有欲は欲求を縁として起る。
欲求がないときには、<我がもの>という我執も存在しない。
形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない。
URLリンク(plaza.rakuten.co.jp)
一行目では名色が同列で語られているのに
四行目では色ルーパの消滅みで全て解決されるように語っているのは何故か?

0400 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/14 20:58:59
>>350 名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
 人の脳では言葉は映像として処理されているのじゃ。
 言葉ができるまえは全てイメージで思考していたのであるからのう。
 そのために色が名より優越しているのじゃ。

745:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:58:01.41 ux97Ntw7.net
スッタニパータ 872 名称と形態
中村元
「名称と形態とに依って感官による接触が起る。諸々の所有欲は欲求を縁として起る。
欲求がないときには、<わかもの>という我執も存在しない。形態が消滅したときに
は<感官による接触>ははたらかない。」
正田大観
〔世尊は答えた〕「名前(名:妄想によって固定され概念化した言葉)と形態
(色:妄想によって固定され実体化した形相)と〔その二者〕を縁として、諸々の接
触(感覚・経験)は〔生起しました〕。諸々の欲求(潜在的な心の衝動)を縁として、
諸々の執持〔の対象〕(所有物)は〔生起しました〕。欲求が存在していないとき、
我執は存在しません。形態が実体〔というあり方〕を離れたとき、諸々の接触
(感官機能の対象)は、〔諸々の感官機能と〕接触しません」〔と〕。
宮坂宥勝
名称(=名)とものの存在(=色)とによって〔感官による〕もろものの接触がある。
もろもろの欲求に基づいて、もろもろの固執がある。欲がなければ我ものという執わ
れは存しない。もろもろの存在が消滅すれば、もろもろの接触は存在しない。

スッタニパータのNāmañca 名と rūpañca色と の論題を
大山君が十二支縁起のNāmarūpa名色と誤解している案件だね

746:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:59:14.24 ux97Ntw7.net
言うまでもないが、スッタニパータの方が
十二支縁起より古層である。

747:神も仏も名無しさん
20/11/30 11:02:03.19 ux97Ntw7.net
仏教は長い歴史があるので
同じ言葉であっても文脈や論題で、別の意味であったりするし
別の語で同じことが語られたりもする。ややこしいのである。
次の第十偈の別境も、違うサンスクリットが使われるのである。

748:神も仏も名無しさん
20/11/30 11:28:42.67 itjJETHb.net
まず、「名」という言葉は、「色」という存在から抽出した架空のもの
で、「色」も縁起において起こってるもので本来空のもの
「色」が空じられれば(滅せられれば)、当然に「名」も空じられると

749:神も仏も名無しさん
20/11/30 11:42:08.09 itjJETHb.net
上座部仏教の清浄道論に十六観智があり
その始めが名色分離智というそうです
瞑想修行者が一番最初に気付くのが、「名」(言葉、精神活動)と、「色」(物質的存在)が別のものであるってこと
「自分」という「名」と、存在そのものの活動としての「色」が別物であることに気付いて
無我であることに気付くとか

750:神も仏も名無しさん
20/11/30 11:44:44.88 itjJETHb.net
今まで生きてきて、「優れた自分(誰か)」「劣った自分(誰か)」とか
そういう「名」を、実在と思い込んで誰もが苦しんでる
その「名」が架空のものでしかないと気付く
だから、この最初の気付きで多くの人が非常に救われるとか

751:鹿野園
20/11/30 11:58:56.06 PGjtqSDh.net
>>747
だから、名色→六処の構図はスッタニパータも十二縁起も変わらんだろ?

形態(色=体)が消滅したときには感官による接触(≒六処、眼耳鼻舌身意)ははたらかない。

752:鹿野園
20/11/30 12:00:52.07 PGjtqSDh.net
>>748
名色は相依性って事だろ?

753:鹿野園
20/11/30 12:02:26.51 PGjtqSDh.net
識⇆(色⇆名色)

754:鹿野園
20/11/30 12:05:18.85 PGjtqSDh.net
>>745
>スッタニパータのNāmañca 名とrūpañca色との論題を大山君が十二支縁起のNāmarūpa名色と誤解している案件だね
名色→六処の構図は十二縁起もスッタニパータも同じ。

755:鹿野園
20/11/30 12:07:52.33 PGjtqSDh.net
>>748
>「色」が空じられれば(滅せられれば)、当然に「名」も空じられると
分かってはいらっしゃると思うけど、色→名の此縁性ではなく、色⇆名の相依性って事です。

756:神も仏も名無しさん
20/11/30 12:19:27.63 itjJETHb.net
>>755
順序としてはたいていは、
まず名→色の順で空じられるのでしょう
この辺りは三界の説明で分かるかと
・欲界(名で作られた対象に欲で執着する)
・色界(名で作られた対象の不実在に気付き、色そのものに気付く)
・無色界(存在そのものも空じられたありよう)
そして色も空じられきれば、名も色も一如の縁起のものとして気付かれると

757:神も仏も名無しさん
20/11/30 12:22:33.48 itjJETHb.net
此縁性は、此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す、で
「此」は煩悩、無明(対象を実在と認めること)
「彼」は苦(実在とみとめられた生老病死)
これは四諦とも相応していますね

758:神も仏も名無しさん
20/11/30 12:27:46.70 itjJETHb.net
一如の縁起のものだから、相依性ってことになるのかな

759:神も仏も名無しさん
20/11/30 12:38:41.75 itjJETHb.net
何をか無明と云ふ。善男子よ、一切衆生は無始よりこのかた種種に顛倒して、なほ迷人の四方処を易るがごとし。妄りに四大を認めて自身の相となし、六塵の縁影を自心の相となす。彼の山井者の目に空中の華、及び第二部の月を見るにたとふ。善男子よ、空には実に華なし、病者の妄執なり。
妄執によるが故に、唯、此の虚空の自性に惑ふのみにあらず、また彼の実に華の生じる処に迷へり。これによって妄りに生死に輪転するなり。故に無明と名く。

760:神も仏も名無しさん
20/11/30 12:45:41.31 itjJETHb.net
円覚経の、無明について語られた説明がこの場合分かりやすいです。
・対象として認める(六塵の縁影を自「心」の相と為す、「彼」の実に華の生じる処に迷う)
・認める主体(四大を認めて自「身」の相と為す、ただ「此」の虚空の自性に惑ふ)
「此」(主体)と「彼」(対象)
「身」と「心」

761:神も仏も名無しさん
20/11/30 13:02:47.55 0P7qDu4r.net
>>751
論点はそこではない。
名解釈において、あなたが鬼和尚を中傷したが、的外れであるということです
つまり、スッタニパータの名は「言葉としての名称」のことです。
鹿野園君の「こころ」ではありません
以下余談
URLリンク(suttanipata.com)
スッタニパータ
871 「世の中で感官による接触phassaは何にもとづいて起るのですか?
また所有欲は何から起るのですか?
何ものが存在しないときに、〈わがもの〉という我執が存在しないのですか?
何ものが消滅したときに、感官による接触phassaがはたらかないのですか?」
872 「名称と形態とに依って感官による接触phassaが起る。
諸々の所有欲は欲求を縁として起る。
欲求がないときには、〈わがもの〉という我執も存在しない。
形態が消滅したときには〈感官による接触phassa〉ははたらかない。」
phassaは、六処 ṣaḍāyatanaではなくて触sparśa。
十二支縁起だと、名色nāma-rūpa→六処 ṣaḍāyatana→触sparśa。
ここでは、名と色とNāmañca  rūpañca→接触phassa巴/sparśa梵
     色rūpañcaが消滅すると→接触phassaは働かない。

762:神も仏も名無しさん
20/11/30 13:15:23.72 0P7qDu4r.net
スレリンク(psy板)
『唯識三十頌』と直接関係の無い「名色」やその他は、上記スレッドを
利用するのはどうでしょう。
スレッド自体の話題は終了したそうですので。

763:鹿野園
20/11/30 13:22:31.45 PGjtqSDh.net
>>761
何を勘違いしてるんだか知らないが、名色の名が言葉であるとこは否定してないが?
>名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
これを否定はしてるけどな。
(再掲示)

764:鹿野園
20/11/30 13:24:50.46 PGjtqSDh.net
>>762
俺からは馬鹿鬼の事は言ってない。
また、要らぬ、しかも全く勘違いしてる横槍を入れたのはハゲだろw

765:神も仏も名無しさん
20/11/30 13:38:20.44 0P7qDu4r.net
第十偈
初遍行觸等 次別境謂欲 勝解念定慧 所縁事不同
初めの遍行とは觸等なり。 次の別境とは謂わく欲・
勝解・念と定・慧なり。 所縁の事は不同はなり。
AdyAH sparSAdayaS chandAdhimokSa-smRtayaH saha/
samAdhi-dhIbhyAM niyatAH SraddhAtha hriIr apatrapA//
a.初めのは触等である。別境とは欲・勝解・念と定と慧とを俱する。しかも信と慚と愧と
b.初めのは[感覚器官と対象と認識の三つの]接触など[の五遍行]である。
 [次の特定された対象に向かう]限定された[心理作用]は、意向・確信・記憶と
 専念と知恵を伴う。信と慚と愧と
(以上、廣澤訳)
①最初に示された[あらゆる場合にゆきわたる心作用は]接触など[の五つ]である。
②特殊なものとして限定されている心作用というのは、(1)欲求と、(2)[(これこれだ)と]
 確認することと、(3)思いつづけること、(4)精神統一と、(5)叡智とである。
③善なる心作用とは、(1)信と、(2)みずから恥じることと、(3)世間に対して恥じることと、
(11abcを続けて訳されているが略 以上中村訳)
最初のものは接触などである。
特に定められたものは、欲求、確信、記憶である、
『三昧/精神集中、英知と共に。
信頼すること、それから、恥じること、非難を恐れること、
(以上、湯田訳)

766:鹿野園
20/11/30 21:37:34.01 51ZhYKun.net
818 名前:神も仏も名無しさん :2020/11/30(月) 21:13:30.64 ID:9DXz8Tcu
唯識スレの
737鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/11/30(月) 10:21:01.83ID:PGjtqSDh>>740
つまりだ、上記のwikiをまとめると
 色
  物質現象(肉体)、形態、実際の形
 名
  精神現象(心)、名称、その名前
ってなる。
で、大山が時にその"名"について"心"と言ったり"名称(言語)"と言った訳だが、何か問題があるのかね?
必ず返事をする様に。
~~~
そりゃ問題あるでしょう
この前は名を心と言っていたのに今回いきなり名称(言語)と意味を変えてしまったら俺のように前回は心と言っていた人に混乱を引き起こすからね
二つの意味があるのを知っているのだったら「名色の名には心という意味の他に名称(言語)という意味がありますね」などと言う(書く)のが独りよがりではない、他を思いやった言い方になるということ
独りよがりでその時その時で意味を変えて使っていたら混乱を引き起こします
ですから「皆さんは大山さんの独りよがりの言葉の用い方に振り回されないようにしましょう」と伝えたということです
それと二つの意味があるのをわきまえていたら
0400 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/14 20:58:59
>>350名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
 人の脳では言葉は映像として処理されているのじゃ。
 言葉ができるまえは全てイメージで思考していたのであるからのう。
 そのために色が名より優越しているのじゃ。

403鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/14(金) 21:27:57.31ID:C1leG7IV
>>400
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
名色の前に識があるんだよwwww
十二支縁起も知らないのかwwww
こんなレスはしないでしょう
鬼和尚の名は名前のことで十二支縁起の名色のことを言っているのではないと気付くでしょう(普通はね)

767:鹿野園
20/11/30 21:38:01.17 51ZhYKun.net
819 名前:神も仏も名無しさん :2020/11/30(月) 21:27:41.54 ID:9DXz8Tcu
738鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/11/30(月) 10:23:22.98ID:PGjtqSDh
>>733
>は否定される
されません。
識⇆名色だから。
~~~
でしたら大山さんの
名色の前に識があるんだよwwww
は全くの不要でしたね
そんな書き方をしたら識と名色は相依性ではなく此縁性に解釈されるだけなので
ここでも名を心と名称(言葉)と二つの意味があるのを独りよがりでその場その場でどちらかの意味で使っているのと同じことをしているのです

768:鹿野園
20/11/30 21:38:23.80 51ZhYKun.net
820 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF [sage] :2020/11/30(月) 21:34:13.17 ID:51ZhYKun
>>818
>二つの意味があるのを知っているのだったら「名色の名には心という意味の他に名称(言語)という意味がありますね」などと言う(書く)のが独りよがりではない、他を思いやった言い方になるということ
www
その様な後付けの見苦しい言い訳は要りませんから。
単純な話、仏教では縁起によって識が物質(色)と精神(心や言語)に分析されるって事で、それ最初に学ぶ基本でしょ?
そうした基礎知識もないのに私を批判するとか本末転倒なんですよ。

769:鹿野園
20/11/30 21:38:39.57 51ZhYKun.net
821 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF :2020/11/30(月) 21:36:28.26 ID:51ZhYKun
>>819
いや、これ、仏教でも最初に学ぶ基礎知識ですからねぇ。
単純にあなたに基礎知識がないだけで、それを私にどうこういわれてもw

770:鹿野園
20/11/30 22:14:50.47 51ZhYKun.net
824 名前:神も仏も名無しさん :2020/11/30(月) 21:56:42.60 ID:9DXz8Tcu
>>820
>その様な後付けの見苦しい言い訳は要りませんから。
そのレスの方が「後付けの見苦しい言い訳」にこちらからは見えますけどね
>>821
はい、相応部経典の蘆束とか城邑とかに書いてあるということでしょう
大山さんが言う通り基礎知識でしかありませんね
で元レスにはその基礎知識もスルーしていきなり
名色の前に識があるんだよwwww
十二支縁起も知らないのかwwww
で完結させてますねえ
それを今更基礎知識だからとか「後付けの見苦しい言い訳」は要りませんからw

771:鹿野園
20/11/30 22:15:30.31 51ZhYKun.net
823 名前:神も仏も名無しさん :2020/11/30(月) 21:49:22.77 ID:9DXz8Tcu
ついでに十二支縁起の名色と識はお釈迦様によってしっかりと定義されていて
 比丘たちよ、では、名色(五蘊)とはなんであろうか。
 受(感覚)と想(表象)と思(思惟)と触(接触)と作意(意志)と、これを名というのである。
 また、四大種(地・水・火・風)およびそれによって成れるもの、これを色というのである。
 つまり、そのような名とそのような色とを、名色というのである。
 比丘たちよ、では、識(識別する作用)とはなんであろうか。
 比丘たちよ、それには六つの識がある。
 すなわち、眼識と耳識と鼻識と舌識と身識と意識とがそれである。
 比丘たちよ、これを識というのである。
 (相応部経典 一二、二)
「分別とは言葉である」などという定義はここでの名色と識の関係からは見えてきません
むしろ鬼和尚の
名(レス全体を読むとここでの名とは言葉のことと読み取れる)も実は色の一形態であるからなのじゃ。
人の脳では言葉は映像として処理されているのじゃ。
言葉ができるまえは全てイメージで思考していたのであるからのう。
そのために色が名より優越しているのじゃ。
の方が「相応部経典 一二、二」での釈迦の説法に合っているといえるでしょうね
言葉ができる前(赤ちゃんが言葉を覚える前、も同じだと俺は思う)は六識でイメージで思考し認識していたと言われても何も違和感を感じないしね
そして、その六識によって生まれたイメージに言葉を付けたというのがそもそもの言葉の起こりでしょう
言葉ができる前や言葉を覚える前から六識による分別はあるでしょう
故に「分別とは言葉である」とは言いきれないと思います

772:鹿野園
20/11/30 22:17:13.61 51ZhYKun.net
>>770
www
あなたの願望に興味ありませんのでw

773:鹿野園
20/11/30 22:19:56.39 51ZhYKun.net
>>771
部分抜粋はもういいからw
まぁ、名色についてwikiなり仏教辞典でもいいから包括的な視点から見てみなさい。

774:鹿野園
20/11/30 22:22:56.87 51ZhYKun.net
仏教辞典やwiki等に掲示されてる一般的な名色の解釈を無視して(相応部経典 一二、二)とか出してくるとかw

775:鹿野園
20/11/30 22:36:31.25 51ZhYKun.net
>>771
>言葉ができる前(赤ちゃんが言葉を覚える前、も同じだと俺は思う)は六識でイメージで思考し認識していたと言われても何も違和感を感じないしね
>そして、その六識によって生まれたイメージに言葉を付けたというのがそもそもの言葉の起こりでしょう
>言葉ができる前や言葉を覚える前から六識による分別はあるでしょう
>故に「分別とは言葉である」とは言いきれないと思います

wwwwwwwwwwww
単純だねぇ。
言いたい事は分かるけど、それ(六識のみ)では解決の付かない問題があるんですよ。
で、さすがにこれ↓はねーわw
識⇆名色って事の意味が全く分かってねーな。
>そして、その六識によって生まれたイメージに言葉を付けたというのがそもそもの言葉の起こりでしょう
意識(六処)が途絶えてリセットされても言語認識は途絶える事なく継続されてるって謎なw
それをいちいち説明するとかなりの時間が掛かるからやらないけどね。

776:神も仏も名無しさん
20/12/01 01:44:40.65 eRT+Efi1.net
>>331
>105鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 16:28:57.93ID:WQ7EggsI
>阿頼耶識 = 無覆無記 = 現量 って事も理解できない猿どもwww
無覆無記には、詳しくは次の4種がある。
1.異熟生。前世の善悪業によって生じたもの。
2.威儀路。行(歩く)・住(立つ)・坐(すわる)・臥(横になる)の4種の身体的動作をするときの心。
3.工巧処。技術・知識にもとづく仕事や営みをするときの心。
4.変化。 仏・菩薩が神通力を得て人びとを導き救済するために種々のありよう・種々のものを作りだすときの心。
 これら4種は心を付して異熟生心・威儀路心・工巧処心・変化心ともいう。
これら4つの無覆無記に、自性無記(それ自体が無記であるもの、すなわ内的な眼根・耳根・鼻根・舌根・身根と外的な香・味・触との8つ)を加えて、無記を5種に分類する。
URLリンク(www.wikidharma.org)
1の異熟生心は恐らくは阿頼耶識でしょう
4の変化心は仏や菩薩の心
これらは成唯識論辺りになると現量とされているかもしれません
少なくとも1.異熟生心が阿頼耶識なら現量とされています
しかし2と3の威儀路心と工巧処心まで現量となるのだろうか?
>阿頼耶識 = 無覆無記 = 現量 って事も理解できない猿どもwww
の論(仮説だが)から
威儀路心 = 無覆無記 = 現量
工巧処心 = 無覆無記 = 現量
が導き出せると思いますが
問題は基となる
阿頼耶識 = 無覆無記 = 現量
が正しいのかどうかですね

777:神も仏も名無しさん
20/12/01 01:53:25.08 eRT+Efi1.net
>>765
阿頼耶識は無覆無記ですが
無覆なのは阿頼耶識を覆う遍行のうちの受が唯捨受だからであって
もし阿頼耶識を覆う受が苦受や楽受の場合もあるならば無覆ではなくなるのでしょうか?

778:神も仏も名無しさん
20/12/01 05:09:01.80 0/gH4JLh.net
唯識って学ぶと何か良いことあるん( -_・)?何に役立つのかな?マジ分かんないんだが。

779:神も仏も名無しさん
20/12/01 07:40:34.79 z7N8W3sa.net
>>778
5chにおいてドヤ顔で唯識を語る鹿野園さんは、唯識を理解していません。
唯識が難解だからです。
また彼の唯識は江戸時代には没落した法相唯識の系統で、しかも
その中心となる『成唯識論』を直接読まず、その解説本を誤読されています。
そこで我々は、新唯識の『成唯識論』も竹村牧男 「『成唯識論』を読む」
春秋社7500円+税 (新・興福寺仏教文化講座7)で確認しながらも、主に
古唯識の世親の『唯識三十偈』を
廣澤隆之 「『唯識三十頌』を読む」 TU選書1900円+税より読みます。
漢訳玄奘訳の漢文を眺めつつ安慧釈のサンスクリット本文を読み解きます。
簡単な詩なので、意味を安慧釈と『成唯識論』とも時に参照しつつ読みます。
です。
つまり我々は、ここで、本来の世親の古唯識を読むことで、
唯識の基本を理解しようとしています。

780:神も仏も名無しさん
20/12/01 07:43:26.30 z7N8W3sa.net
鹿野園さんがなぜここを荒らすのかというと、
ここのテーマである『唯識三十頌』の一文づつを学ぶ能力がないからです。
可哀想な方なので、慈悲の心で接してあげてくだい。

781:神も仏も名無しさん
20/12/01 07:57:49.76 z7N8W3sa.net
>>765
■chandAdhimokSa-smRtayaH
・chanda欲…欲求・意向と訳される。廣澤氏は貪欲とは違い、佛の教えに触れて
       修行しようとする欲求と説明されている
・adhimokSa勝解…確信、確認と訳される。
・smRti念…記憶、思い続けることと訳される。
■samAdhi-dhIbhyAM
・samAdhi定…専念、精神統一、三昧/精神集中と訳される
・dhi(prajNA)慧…知恵、叡智、英知と訳される

782:鹿野園
20/12/01 09:44:11.56 ZoRRxJ1+.net
無覆か有覆かは、仏道成就の妨げになるか否かが準拠になるのだと思いますけどね。
末那識は意識に直接働き掛けずとも、阿頼耶識を通して間接的にその有する四煩悩が影響するから有覆だと思うんです。

783:鹿野園
20/12/01 09:52:07.21 ZoRRxJ1+.net
wwww
吹いたぞ、ハゲw
このスレで唯識三十頌の解題が正しい方向でされてるかどうか、なるべく口を出さない積もりではいるけど、これはちょっとおかしくないか?って事を指摘して確かにその通りだったよな?
そうした指摘に怯えてるから、聞かれもしない事に対して大山批判をしてるんだろ?
www

784:神も仏も名無しさん
20/12/01 10:10:52.12 iOZ1hrut.net
>>782
違います。
1.無覆なのは、「種」という可能性で、まだ発現してないからです。
 つまり仮定された潜在意識です。種は発現すると善になつたり悪になったりします
2.有覆なのは、変化し続ける阿頼耶識をわがものと妄想しているからです。
 つまり自我意識みたいなものです。これが蔵識と常に相互にやりとりしている
3.第三能変で、煩悩と随煩悩との心の働きが詳述されます。
 譬えると、潜在意識と自我意識の上に第三能変の六識が走っていて
 その六識には、常に稼働している遍行というwin10のようなOSと
 特定の時にだけ働く別境というアプリ、善や煩悩や随煩悩というアプリが
 あるという構成になっているのです。
 ここでの煩悩と随煩悩は、末那識の四煩悩と別レベルの煩悩です。
 末那識の四煩悩は「自我意識」に関係するものなのです

785:神も仏も名無しさん
20/12/01 11:42:06.91 iOZ1hrut.net
仏道成就の妨げになるか否かが準拠になるのではない。
anivRta無覆は、a否定+nivRta「隠された、覆われた、妨げられた」なので
原語的には「妨げにならない」ものだし、否定の接尾辞nis+nivRtaをつければ
nirvRta涅槃となる。
阿頼耶識がanivRta無覆なのは、善にも悪にも向かう可能性があり、それ自体では
確定していないからに過ぎない。
阿頼耶識は捨受を除く五遍行と結びついて、末那識や他の六識の五遍行に相互影響
されているそうである。

786:鹿野園
20/12/01 12:28:17.09 ZoRRxJ1+.net
>>784
別におかしくないよw
"仏道を歩まん"とするのは意識(第六識)の問題だから、その意識との関係性が無覆(阿頼耶識)か有覆(末那識)かって事でしょ。

> つまり仮定された潜在意識です。種は発現すると善になつたり悪になったりします
その両方でもないものにもなるけど?

787:鹿野園
20/12/01 12:32:11.31 ZoRRxJ1+.net
つまりだ、
>>785
>原語的には「妨げにならない」ものだし、否定の接尾辞nis+nivRtaをつければ
というその「妨げにならない」というのが"何の「妨げにならない」"のかってことだろ?
その"何の"にあてはまるのが"仏道の成就"でしょ。
www

788:鹿野園
20/12/01 12:40:30.83 ZoRRxJ1+.net
>>785
>阿頼耶識がanivRta無覆なのは、善にも悪にも向かう可能性があり、それ自体では確定していないからに過ぎない。
つまりだ、"善だの悪だのに向かう"云々の善悪の基準ってなんですか?
何の善悪ですか?
仏道の成就に資する善悪でしょ?
要するにだ、仏道の成就に向かう意識の「妨げにならない」から無覆であり、「(間接的な)妨げになる」から有覆なんです。

789:鹿野園
20/12/01 12:46:51.94 ZoRRxJ1+.net
うむw
いつものように日高屋で飯を頂きながら片手で即答出来る程度の簡単な問題だったわw

790:神も仏も名無しさん
20/12/01 13:32:00.65 z7N8W3sa.net
>>784
違います。無覆かつ善悪無記なんです。
無覆は、涅槃と違って、善でも悪でもないのです。どちらにも転ぶ可能性でしかない
有覆は自我意識で覆われているです
仏道の成就に向かうこともあれば、背くこともあるから無覆なんです。
唯識の緻密な設定を理解するには、繊細な感覚が大切なのです

791:神も仏も名無しさん
20/12/01 13:50:08.92 JATDRMBm.net
ここで確認
善悪について
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
多川さんによると仏教における善悪の定義は分かりやすくいえば
善……自他を仏の世界に押し上げる行為
悪……自他を仏の世界から遠ざける行為
ということだそうです

792:鹿野園
20/12/01 13:59:40.65 ZoRRxJ1+.net
何に対して無覆・有覆なのか。
答えは明白でしょ。

793:鹿野園
20/12/01 14:23:52.85 d/p/WOB3.net
阿頼耶識それ自体が可能性のみであるとか、末那識が四煩悩を有して阿頼耶識を相分としているとか、確かにその通りなのですが、仏道の成就を成さんとするのはあくまで意識ですから、無覆無記だの有覆無記だのは、やはり意識に於ける仏道成就を起点にたてられていると思いますし、そうでなければ宗教性が希薄になってしまうと思うんです。
阿頼耶識も末那識性質は無記でも、片方はその妨げにならないから無覆だし、片方は(間接的に)妨げとなるから有覆であるとね。
私はそう思いますよ。

794:鹿野園
20/12/01 14:26:12.52 d/p/WOB3.net
訂正
阿頼耶識それ自体が可能性のみであるとか、末那識が四煩悩を有して阿頼耶識を相分としているとか、確かにその通りなのですが、仏道の成就を成さんとするのはあくまで意識レベルですから、無覆無記だの有覆無記だのは、やはり意識に於ける仏道成就を起点にたてられていると思いますし、そうでなければ宗教性が希薄になってしまうと思うんです。
阿頼耶識も末那識も性質は無記でも、片方はその妨げにならないから無覆だし、片方は(間接的に)妨げとなるから有覆であるとね。
私はそう思いますよ。

795:鹿野園
20/12/01 14:29:05.95 d/p/WOB3.net
…カムイさんじゃないけど、レスを書くのに集中してたら、二駅飛んで目的駅に着いてたw

796:鹿野園
20/12/01 14:37:31.00 d/p/WOB3.net
唯識を学び始めた頃、末那識が四煩悩を有しながら有覆無記という事が俄かには理解し難かったのですけどね。
宗教として仏道の成就という意識のはたらきを視座に考えた時、合点がいったんです。
URLリンク(i.imgur.com)
(唯識三十頌を読む 多川俊映 から)

797:鹿野園
20/12/01 14:43:06.38 d/p/WOB3.net
有覆については成唯識論に
聖道をおおってさまたげ(覆障)、自心をおおってふさぐ(覆蔽)
とかってありますよね。

798:神も仏も名無しさん
20/12/01 17:47:16.32 eRT+Efi1.net
善というは謂く信と慚と愧と無貧等の三根と 勤と安と不放逸と行捨と及び不害となり。
(訳)
3つ目には世俗的な暮らしのなかの善なる感情で
迷いなき世界へと向かう精神作用(別境)を導く因となるものです。
穏やかで静かな状態になり(信)
みずからを省みて反省し(慚)
他者からの評判をおそれて罪過を恥じらい(愧)
金銭や名誉などに執着せず(無貪)
危害を加えてくるものにも慈しみを注ぎ(無瞋)
正しいことわりを受けとめ(無痴)
これら善なる感情のもとに向上心を抱き(勤)
身心が柔軟にはたらくようにたもち(安)
散漫にならず集中する(不放逸)とともに
とらわれを離れて静かな状態にいたり(行捨)
生きとし生けるものに慈愛をそそぐ(不殺生)
―これら十一種が善なる感情なのです。
URLリンク(ryuganji.jp)

799:神も仏も名無しさん
20/12/01 18:10:09.29 eJtoBOdy.net
犬山と真言肛門徒は、つるんで工作しとるね
てか、自演だよね

800:神も仏も名無しさん
20/12/01 18:11:23.11 eJtoBOdy.net
件の粘着忍者疹言臭の新通名が、真言肛門徒
に決定しました!!  これは施餓鬼供養であります
在日さんには高級すぎる呼び名ですが、5ちゃん粘着の誉を称えて授与します
よかったね在日さん!!


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