唯識を学ぶスレッドat PSY
唯識を学ぶスレッド - 暇つぶし2ch542:鹿野園
20/11/26 18:36:17.10 aABYYQe0.net
770 名前:福音伝道 :2020/11/26(木) 18:21:32.19 ID:bzm8CZn2
>>766
あほや。
そもそも俺は訳しとらん。
プロの訳を紹介しているだけ。
その上で
頓珍漢大山は8bcを引用して8aの訳をテキスト棒読み&直訳と
中傷しているのである。超ド級の馬鹿である
指摘しても間違いに気づけん池沼地獄

543:鹿野園
20/11/26 18:52:10.66 aABYYQe0.net
>>542
>そもそも俺は訳しとらん。
www
だから、翻訳者はそれについて注記したんだし、私も文章がおかしいなと思って指摘したんですよ。
まさに私の指摘した通りだったじゃないですか。
まさにあなたが棒読み&コピペだからなんです。

544:鹿野園
20/11/26 18:55:25.80 aABYYQe0.net
.

  >そもそも俺は訳しとらん。

.

545:神も仏も名無しさん
20/11/26 18:58:01.04 bzm8CZn2.net
>>543
あなたの指摘は間違っています。
1.翻訳者は注記していません。
2.8aをちゃんと訳し
3.8bcの訳に、長い補訳を置いたのです。
4.8bcから、第三の能変への言及がはじまるからです
5.鹿野園さんは、それを8aの訳と誤認して頓珍漢を改められないのです
以下、この件に関しては無視します。
充分に解説しましたが、あなたは理解できないようなので。
基礎からやり直されてください。

546:鹿野園
20/11/26 19:12:19.91 aABYYQe0.net
>>545
だから、何度も言ってるだろ?
文章の整合性が取れてないから指摘したんだろ?
指摘した通りだったじゃないか?
見苦しいよ。

547:鹿野園
20/11/26 19:14:46.80 aABYYQe0.net
……まともにコピペも出来てないって言う事だよ。

548:神も仏も名無しさん
20/11/26 19:25:37.62 bzm8CZn2.net
>>524
第八偈 次第三能變 差別有六種 了境爲性相 善不善倶非
    次の第三の能変は、差別なること六種あり。
    境を了するをもって性とも相とも為す。善と不善と俱非となり。
dvitIyaH pariNAmo yaM tRtIyaH SaDvidhasya yA/
viSayasyopalabdhiH sA kusalAkusalAdvayA//
a.これが第二の能変である。第三は六種であり、境を了得するものである。
 それは善と不善と俱非である。
b.これが第二の能変である。第三は六種の[識の変容]である。[その識の変容は必ず]
 対象を認識把握し、善・不善・善悪いずれでもないもの[の三つ]である。
玄奘は、dvitIyaH pariNAmo yaM(これが第二の能変である)を訳していない。
第三の能変は「SaDvidha六種」と説かれる。
玄奘が増し加えた「差別」は原文にはない。
阿毘達磨では、「心citta」=「意manas」=「識vijNAna」だったが
唯識では『摂大乗論』あたりから体系化がはじまり『成唯識論』ともなると
屁理屈てんこ盛りとなつている。

549:神も仏も名無しさん
20/11/26 19:38:48.36 bzm8CZn2.net
第八偈のabについて
廣澤隆之 「『唯識三十頌』を読む」の訳
荒牧典俊「大乗仏典15 世親論集」所収 「唯識三十論」の訳
湯田豊「ヴァスバンドゥの現象学『唯識三十頌』の原典、翻訳、および解釈」の訳
より比較する

8a dvitIyaH pariNAmo yaM
廣澤訳「これが第二の能変である。」
荒牧訳「以上のごときが、第二の(層の)変化しつつ生成する(識)である。」
湯田訳「これが、第2の転変である。」
8b tRtIyaH SaDvidhasya yA/
廣澤訳「第三は六種であり、境を了得するものである。」
荒牧訳「第二の(層の)変化しつつ生成する(層)に続いては、第三の(層の)変化しつつ
 生成する(識)を説明しなくてはならない。したがって、つづいて(本論の詩頌に)
 論ずる。【第三の(層の変化しつつ生成する識)とは、六種類のいまここに
 ある対象を認識するはたらきである】」
湯田訳「第3〔の転変〕は6種類の〔感覚器官の〕対象の知覚(13)である。」
荒牧訳の8cd冒頭の
荒牧訳「第二の(層の)変化しつつ生成する(層)に続いては、第三の(層の)変化しつつ
 生成する(識)を説明しなくてはならない。したがって、つづいて(本論の詩頌に)
 論ずる。」は、本文の訳では無くて、読者の理解を促すための補訳です。

550:鹿野園
20/11/26 20:06:16.45 aABYYQe0.net
だから言ったじゃないのw
それを補訳というかどうかはともかく、そのままじゃおかしいって指摘した通りだろ?
棒読み&直訳&コピペ、しかも元々が分かってないからコピペもまともに出来てない。

551:神も仏も名無しさん
20/11/27 11:52:44.26 dJmBQ7Ht.net
>>550
なんど言ってもわからないようだが、
君は、
A.8bcの荒牧訳を8aの訳だと誤認して (無知)
B.8aの廣澤訳を
C.棒読み&直訳と誹謗した上で、(頓珍漢)
D.事実指摘されても、自分の非を認めることができず (我執)
E.中傷を繰り返している。

552:神も仏も名無しさん
20/11/27 12:08:05.51 dJmBQ7Ht.net
>>524
viSayasyopalabdhiH
viSaya境…廣澤訳⇒境(対象)、荒牧・湯田訳⇒対象
upalabdhi…玄奘訳「了」だが、今まで了=vijNnaptiだったがここでは別語である。
      原義は「取得すること」⇒意味拡張「理解すること」「知覚すること」
      廣澤訳「了得(認識)するもの」荒牧訳「認識する働き」
      湯田訳「知覚」
      安慧の解釈「把握grahaNa」「pratipatti知覚認識と言う取得」

553:鹿野園
20/11/27 12:12:03.53 kmEDorPK.net
>>551
また嘘を吐いてる。
まとめの句が次偈の冒頭に来てるからおかしいって指摘したんだろ?
で、案の定、中公には"これが第二の能変である"に併せて"第二の能変に続いては”って誤解を招かないように書いてあったしw
で、おそらく玄奘もそれを考慮してその句を訳さなかったのではないかと推測したんだよ。

お前、毛が三本足りねーわwww

554:鹿野園
20/11/27 12:15:45.24 kmEDorPK.net
まぁ、後最低11年は勉強してから唯識三十頌について書きなさい。
生きてるかどうか知らんけどw
 
唯識とか、貴方にはまだまだ無理だよ。

555:鹿野園
20/11/27 12:17:55.49 kmEDorPK.net
所詮は宗教板のNHK、知障の枢軸w

556:鹿野園
20/11/27 12:27:16.42 kmEDorPK.net
いい加減なテキスト棒読み&直訳&コピペなんだもんw
玄奘三蔵が何故そう訳したのか?とかそこまで踏み込んで読みもしてないくせに、知ったかぶりしてカッコ付けて玄奘三蔵の訳にケチを付けるとか、知ってる人が読めば一生に付されて終わるレベルだし、ハゲは恥を晒してる自覚も無いんだろうな。

557:鹿野園
20/11/27 12:28:39.95 kmEDorPK.net
多分、キリスト教の理解もこの程度なんだろうな。
それなりに神学を一瞥された方から見れば失笑もんなんだろうw

558:神も仏も名無しさん
20/11/27 12:28:51.32 dJmBQ7Ht.net
>>524
kusalAkusalAdvayA
kusala善…「成唯識論」では現世と来世に順益を為すこと
      安慧は「無貪」「無瞋」「無癡」つまり布施・慈悲・智慧の三善根
akusala不善…「成唯識論」では現世と来世に違損をなすこと
      安慧は「貪」「瞋」「癡」の三毒。
advaya俱非…普通は「不二」と訳される。否定+二種類 
       ここでは前を受けて両方ではない。

559:神も仏も名無しさん
20/11/27 12:38:02.14 dJmBQ7Ht.net
>>553
あなたは、玄奘訳を絶対視しているからそういう頓珍漢な誤解をするのです。
サンスクリット文と玄奘訳は、一貫してズレています。
過去ログを確認してごらんなさい。
八偈の特徴は、玄奘が8aを省略したことなのです。
「世親には8aがあるが、玄奘訳には8aがない」
これが絶対的な事実です。
その上で
つなぎがおかしいと特に感じなかったので玄奘は省略しましたが
荒牧さんは鹿野園さんのような人のために、8aを訳した後で
8cbに長い補訳を置かれたのです。なくてもよいのにです。
なくてもよい8cbの補訳を根拠に8aに対して難癖をつけるのは
いかがなものでしょうか。自分の不明を恥じなさい

560:神も仏も名無しさん
20/11/27 12:48:01.01 dJmBQ7Ht.net
鹿野園さん、あなたは客観的に言えば、
私に唾しているのではなくて
世親に対して唾を吐いているのです。
それを理解しなさい。
私は世親の原文を訳されている廣澤先生の訳をコピペして
ここで学んでいるだけです。
つまりあなたが非難する
「まとめの句が次偈の冒頭に来てるからおかしい」のは世親の原文です。
もう少し言えば、後代になって四句からなる30偈と理解して
整理したわけですが、世親は特に後代の分類に支配されていず
自由な立場で、唯識についての詩を書いたのです。
それを玄奘が四句ワンセット×30詩と整理した。
我々は現状の分類に従いつつ、世親の原文にもチャレンジしている
するとそこにはズレがあるのです。
ところがあなたは、頓珍漢だから、
「まとめの句が次偈の冒頭に来てるからおかしい」というような
転倒した中傷をされているのです。自分の不明を恥じなさい

561:鹿野園
20/11/27 13:05:05.81 kmEDorPK.net
だから、俺の指摘した通りだろw
無駄な長文を幾ら書いてもその事実はひっくり返らないからw

562:鹿野園
20/11/27 13:11:29.14 kmEDorPK.net
ハゲは知らんだろうが、漢文は韻を踏んだり起承転結があったりと作文に一定の制約があるんだよ。
そうした作文上の制約をクリアして尚且つ訳文として通用するものを漢訳者は為してきた訳だ。
そうした経緯なんかもハゲの眼中には無いんだろうなぁw
テキスト棒読み&直訳&コピペ。
ダメだこりゃw

563:神も仏も名無しさん
20/11/27 13:43:39.96 ImOaRzi7.net
555 名前:神も仏も名無しさん :2019/07/13(土) 11:43:18.81 ID:DO5CcJD0
※暇人さんのプロフィール
熊本県在住・元左翼活動家&エロチャッター
キリスト教聖霊派を自称するもノンクリスチャンで
浄土真宗(親鸞)に心酔する唯物論者
座右の銘は「死んだら無」

564:神も仏も名無しさん
20/11/27 13:45:22.18 dJmBQ7Ht.net
>>562
いいえ、あなたは基礎的な事柄がわかってないんです
あなたには唯識は無理です。頓珍漢だからです。
>>563
漢訳者の玄奘は8aを訳していません。
鹿野園さんは、8cbの荒牧氏の補訳「第二の(層の)変化しつつ生成する(層)に続いては、」を
「第二の能変に続いては」と合理化して、8aの訳とすべきである。
8aをそのままに訳するのは「テキスト棒読み&直訳&コピペ」であるという
頓珍漢を主張されているのです。
8a dvitIyaH pariNAmo yaM
廣澤訳「これが第二の能変である。」
荒牧訳「以上のごときが、第二の(層の)変化しつつ生成する(識)である。」
湯田訳「これが、第2の転変である。」
のすべてを冒涜されておられるです。
世親は8aまでが第二能変なのです。
玄奘は8aを訳さず省略して「次第三能變」と
第三能変から第八偈を始められたんです。

565:神も仏も名無しさん
20/11/27 14:26:19.20 ImOaRzi7.net
>>564
しつこいなぁ?
私の指摘そのままでしょ?
瞬殺は瞬殺、事実は事実!
現実を見なさい!
現実を受け入れなさい!
いい加減に見苦しいですよ?
いつまで執着するのですか?
死ぬまでやるのですか?
諦めなさい。

566:神も仏も名無しさん
20/11/27 14:31:14.13 ImOaRzi7.net
よせばいいのに通勤時間にダッシュでバスの降り口に一番で並んでから財布を探してる田舎者のDQNみたいな馬鹿だな、ハゲは。
なにをやってるんだ?
こいつは?

567:神も仏も名無しさん
20/11/27 14:40:34.70 dJmBQ7Ht.net
瞬殺どころか最初から自滅されておられるのが
一人合点の鹿野園さんです。
私は単に、あなたの頓珍漢を指摘しているだけでございます。

568:鹿野園
20/11/27 14:53:23.02 ImOaRzi7.net
そう自らを欺いて誤魔化し続けてないとやってられないんだろうなぁ。
そういうところはバカムイやバカキネコ、馬鹿鬼にそっくり、哀れな知障の末路って事だ。

569:神も仏も名無しさん
20/11/27 14:54:33.09 dJmBQ7Ht.net
誤魔化しているのは鹿野園君ですよ。
普通の人はわかります。哀れなのはあなたです。

570:神も仏も名無しさん
20/11/28 09:09:10.36 hlv2CtnP.net
中村元『現代語訳 大乗仏典7 論集・他』東京書籍
所有の「第二章 識から展開『唯識三十頌』」p69
【サンスクリット原文和訳】
8.以上[説明されたこと]が第二の展開である。第三の[識の]展開とは、六種の対象※を
 認識するはたらきである。それは善でもありうるし、悪でもありうるし、どちらで
 もないことでもありうる。
※六種の対象…「色かたちと音声と香りと味と触れられるべきものと思考の対象(ダルマ)
       とより成る対象」である。(スティラマティの注による)。

571:神も仏も名無しさん
20/11/28 09:12:57.70 hlv2CtnP.net
8a dvitIyaH pariNAmo yaM
廣澤訳「これが第二の能変である。」
荒牧訳「以上のごときが、第二の(層の)変化しつつ生成する(識)である。」
湯田訳「これが、第2の転変である。」
中村訳「以上[説明されたこと]が第二の展開である。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上を「テキスト棒読み&直訳&コピペ」と中傷し、繋ぎに配慮して↓と訳すべきと
頓珍漢を主張し、解説されても固執し続ける
鹿野園「第二の能変に続いては」

572:神も仏も名無しさん
20/11/28 09:32:21.14 t3semzoD.net
>>332
>107鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 19:57:37.68ID:WQ7EggsI
>阿頼耶識や前五識は、任運にして無分別であって境の事相を得する。
>つまり、性境であって種子から実際に現れたものである。
>これに対して意識は独影境や帯質境。
>>524
>b.これが第二の能変である。第三は六種の[識の変容]である。[その識の変容は必ず]
> 対象を認識把握し、善・不善・善悪いずれでもないもの[の三つ]である。
さて、前五識の対象の認識把握は「善・不善・善悪いずれでもないもの[の三つ]である」という。
善悪いずれでもないというのは無記という意味であろう。
しかし、前五識の認識把握は常に無記というわけではなく善や不善の時もある。
そうした三種類の認識把握がある前五識について、「任運にして無分別であって境の事相を得する」と一口で言ってしまっていいのだろうか?

573:鹿野園
20/11/28 10:28:51.58 CGjAOmcc.net
>>570
その本は見てないけど、やっぱり指摘した通りだねぇ。
漢字圏文化の者ならそう考えるのが普通なんですよ。

574:鹿野園
20/11/28 10:31:09.60 CGjAOmcc.net
>>572
>そうした三種類の認識把握がある前五識について、「任運にして無分別であって境の事相を得する」と一口で言ってしまっていいのだろうか?
当たり前でしょw
現量なんだからw

575:神も仏も名無しさん
20/11/28 11:05:07.01 t3semzoD.net
>>574
前五識は無分別なのになんで
境を了するを性とも相ともなす。善と不善と倶非となり。
と、善と不善と無記になるの?

576:鹿野園
20/11/28 11:19:23.54 CGjAOmcc.net
一切法を認識する意識(心所数51)が必ず前五識(心所数34)併起するからじゃないの?

577:鹿野園
20/11/28 11:21:42.53 CGjAOmcc.net
訂正
一切法を認識する意識(心所数51)が必ず前五識(心所数34)に倶起するからじゃないの?

578:神も仏も名無しさん
20/11/28 11:33:57.65 hlv2CtnP.net
>>573
頓珍漢が二つ。
1.私の引用は【中村さん先生のサンスクリットテキストを訳されている部分】であるので
 漢訳文化圏云々は間違いです。
2.あなたの指摘は中村元先生の訳と真逆です。
 中村先生・・・8aを第二能変のまとめであると正確に認識されて
        「以上[説明されたこと]が第二の展開である。」と訳されている
 鹿野園君・・・8aを第三能変の導入として訳すべきと主張して
        「第二の能変に続いては」
         と訳すべきだとし、正確な諸先生の訳を
         「テキスト棒読み&直訳&コピペ」と中傷されています。

579:鹿野園
20/11/28 13:14:21.20 CGjAOmcc.net
>>578
> 鹿野園君・・・8aを第三能変の導入として訳すべきと主張して
また嘘を吐いてる。
しかも真逆の事を。
私は(中村先生と同じで)まとめの句と言っている。

529鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/11/26(木) 08:33:09.91ID:TFC0dYZf
分かるかなぁ?
インドではまとめの句が次の偈に跨っている事はおかしくないのかも知れないけど、漢字圏ではおかしいとされるだろ?

580:鹿野園
20/11/28 13:17:54.12 CGjAOmcc.net
>中村先生・・・8aを第二能変のまとめであると正確に認識されて
>鹿野園君・・・8aを第三能変の導入として訳すべきと主張して
>529鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/11/26(木) 08:33:09.91ID:TFC0dYZf
>分かるかなぁ?
>インドではまとめの句が次の偈に跨っている事はおかしくないのかも知れないけど、漢字圏ではおかしいとされるだろ?

581:鹿野園
20/11/28 13:23:09.49 CGjAOmcc.net
何度も言ってるけど、8aが前偈の〆の句である事を説明しておかないと文章の流れとして文意がおかしくなるよ、って指摘してるんです。
だから、荒巻先生も中村先生も、おそらくは玄奘三蔵も、その意を踏まえて補足されたり訳しているんです。
貴方はテキスト棒読み&直訳&コピペだからそれを理解していないのです。

582:神も仏も名無しさん
20/11/28 13:47:28.58 t3semzoD.net
>>576
いや、その次の9偈では最初に
此の心所は遍行と 別境と善と煩悩と随煩悩と不定となり
と8偈での六種の差別について記した後で
皆三の受と相応す
と六識それぞれの受が苦楽捨の三受と相応すと記されている
了別境識の中の前五識の時点で既に無分別ではないということになるんじゃない

583:鹿野園
20/11/28 14:20:06.95 CGjAOmcc.net
>>582
>了別境識の中の前五識の時点で既に無分別ではないということになるんじゃない
重ねて言うけど、前五識には常に意識が倶起して単独起動はあり得ないのですから。
掛かる意味に於いて善悪無記としかいいようがない訳でしょ。

584:鹿野園
20/11/28 14:25:10.33 CGjAOmcc.net
前五識が"現量で善・悪・無記"というのはなかなか納得がいかないっていうのは分かりますけどね。
前五識のみを取り出せれば善も不善もないのでしょうけど。

585:鹿野園
20/11/28 14:37:40.92 CGjAOmcc.net
ここで善・不善の問題ですけど、私の考えでは仏道の成就に資するを善、妨げるを不善と受け止めてます。

586:神も仏も名無しさん
20/11/28 16:17:56.83 hlv2CtnP.net
>>581
8a dvitIyaH pariNAmo yaM
廣澤訳「これが第二の能変である。」
荒牧訳「以上のごときが、第二の(層の)変化しつつ生成する(識)である。」
湯田訳「これが、第2の転変である。」
中村訳「以上[説明されたこと]が第二の展開である。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上を「テキスト棒読み&直訳&コピペ」と中傷し、繋ぎに配慮して↓と訳すべきと
頓珍漢を主張し、解説されても固執し続ける
鹿野園「第二の能変に続いては」
・・・・・
bc補訳の「続いては、」というのは導入。
四人の訳はもともと〆の句である。
誤魔化しても無駄

587:鹿野園
20/11/28 16:46:01.73 CGjAOmcc.net
>>586
また嘘を吐いている。
貴方が一番最初に出したのは「これが第二の能変である。」で、私に指摘されてからその余の訳を次々に追加して出してたんでしょ?
あなた、自分の記憶を後付けで都合のいいように書き換えてますね?

588:神も仏も名無しさん
20/11/28 16:55:18.49 HXpDl5/O.net
>>585
それなら、
馬鹿野園は不善となる。
理屈で悟れるなら苦労しない。
本日も自覚無しwwwwwwww

589:神も仏も名無しさん
20/11/28 17:00:57.36 Vuy9E8p1.net
「弟子たちよ、『阿頼耶識』や『末那識』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、このようなものに立脚した教え、つまり、『阿頼耶識に種子が貯蔵されては現行する』とか、『我は、死後、阿頼耶識により再生し続けるであろう』というような教えは、まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」
「まったくその通りです、師よ。
まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」

590:鹿野園
20/11/28 17:40:39.81 CGjAOmcc.net
>>588 >589
www
精神病院に行きなさいw

591:日本鬼子@2ch覚者
20/11/28 18:55:36.59 OT+1ucMj.net
善と不善と無記って何だよw

592:神も仏も名無しさん
20/11/28 20:39:07.31 hlv2CtnP.net
>>587
君は↓と発言している。
1.第三能変の説明に入るのだから「続いて」と訳すべきと主張
2.第二能変のまとめに訳すと、第三能変に話題が変わっているのに
 誤解が生じると主張
3.しかし誰にも誤解は生じてはいない。君が頓珍漢なだけ
539鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/11/26(木) 11:53:09.40ID:TFC0dYZf
>>531
>”第二の能変に続いては”だと第三の能変のことになるが、そうは書いていない。
第二の能変に続いて第三の能変の説明に入るから、
"第二の能変に続いては”って訳してるんだろ?
それを
>a.これが第二の能変である。第三は六種であり、境を了得するものである。
って訳しては
偈が変わっているのに、要するに改行されている様なものなのに
誤解を生じるでしょ?って指摘なんですよ。

593:神も仏も名無しさん
20/11/28 20:45:03.37 t3semzoD.net
>>583
という割には前五識の受は身受として第六意識の心受とは分別されてて、かつ身受にもそれぞれ苦楽捨があるじゃない
大山理論によると「前五識は無分別なのだから身受は捨受だけでいい」となるんじゃないの?
しかし実際は違う
身受の苦受・楽受・捨受と心受の優受・喜受・捨受と受は身受と心受の両方においてそれぞれ分別されている
(もっともこの分別をしているのは成唯識論だけかもしれぬ)
現量である前五識の身受にも苦楽捨があるということは大山理論の「阿頼耶識は相應唯捨受だから現量」は、捨受が現量の条件ではない以上違うということになる
つまり唯識三十頌には阿頼耶識が現量であるとは直接的にはもちろん間接的にも書かれてはいないということになる

594:神も仏も名無しさん
20/11/28 20:55:02.42 t3semzoD.net
>>585
善の定義は唯識三十頌の11偈で
善とは謂わく信と慚と愧と 無貪等の三根と
勤と安と不放逸と 行捨と及び不害となり
としっかりと定義されてるね
それらの善心所をまとめれば「仏道の成就に資する働き」でも良いと思うけど

595:鹿野園
20/11/28 21:01:29.24 CGjAOmcc.net
>>592
あのよぉ?
何でそうやって立て続けに嘘を平気で吐くの?
お前の引用した俺のレスの何処に"訳すべき"ってかいてある?
どこにもそんな文字ないだろ?
お前には無い文字が見えるのか?
精神病院に行きなさい。

596:鹿野園
20/11/28 21:11:41.63 CGjAOmcc.net
>>593
あなた、分からないのなら無理して唯識をやる事ないんじゃないの?
なんか拘る意味あるの?
感覚(前五識)と感情(第六識)が別なのは分かるよね?
で、感覚そのものには善・不善はない。
しかし、感情として、第六識は常に前五識に倶起するから善・不善・無記があるんでしょ?
で阿頼耶識は捨受のみってあるでしょ?
つまり、苦でも楽でもない受け止めをするんでしょ?
現量じゃないですか。
何を言ってるのやら。

597:神も仏も名無しさん
20/11/28 21:18:13.00 t3semzoD.net
>>596
話を変えてきたね
前五識・感覚にも苦楽捨の感受がちゃんとある、つまり無分別なりではないということから話を進めているのに善・不善・無記にいきなり話を変えてる
次い前五識は苦受でも楽受でも捨受でも現量なのはどう説明するの?

598:神も仏も名無しさん
20/11/28 21:19:03.36 t3semzoD.net
次に前五識は苦受でも楽受でも捨受でもどんな場合でも現量なのはどう説明するの?

599:神も仏も名無しさん
20/11/28 21:30:17.10 t3semzoD.net
>>595
>>592
>偈が変わっているのに、要するに改行されている様なものなのに
>誤解を生じるでしょ?って指摘なんですよ。
その誤解を生じるから
>第二の能変に続いて第三の能変の説明に入るから、
>"第二の能変に続いては”って訳してるんだろ?
と大山さんは述べてるんでしょ
第二の能変に続いては という役をした方が「誤解が生じなくて良い」という立場
実質的には 訳すべき と主張している或いは提案しているに等しいと言われても仕方ないだろうね

600:鹿野園
20/11/28 21:39:15.88 CGjAOmcc.net
>>597
>前五識・感覚にも苦楽捨の感受がちゃんとある、つまり無分別なりではない
感覚は無分別でしょ?
何故なら言語化される前の認識ですから。

601:鹿野園
20/11/28 21:43:04.37 CGjAOmcc.net
>>599
あなたが勝手にそう思ってるだけでしょ?
私はおかしいと思って指摘したの。
そしたら案の定、中村先生や荒牧先生も(玄奘三蔵も)、そこには配慮してたって事です。

602:鹿野園
20/11/28 21:50:11.42 CGjAOmcc.net
例えば、禅宗でその無分別の話によく引き合いに出されるのか黄檗と臨済の話。
臨済が黄檗に仏教の大意を尋ねに行ったら三回とも叩かれたってやつ。
パンパンパン!
分かるやつはこれで分かる。
それを直接知覚というか純粋体験というか…
叩かれて(感覚)から、痛いだの気持ちいいだのと感情が起こる。

603:鹿野園
20/11/28 21:52:59.23 CGjAOmcc.net
それが分からん臨済は大愚の元で"そんなに親切に云々"云われてるやっと気付く。
なんだそんな事だったのか、って。

…勿論、それだけじゃないんだけどね。

604:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:00:35.27 t3semzoD.net
>>600
感覚が無分別なら身受という言葉は不要じゃないか
しかし実際には唯識には身受と心受という言葉がありそれぞれ苦受捨があるとは書いた通り>>593

前五識が無記なのは自性無記であるからという理由でありゆえに
次の第三能変は 差別しゃべつなること六種有り
境を了するを性とも相とも為す 善と不善と倶非となり
(8偈)
の「善と不善と倶非となり」は第六意識に限定された事というのは一応納得はしたけどね

605:鹿野園
20/11/28 22:02:48.04 CGjAOmcc.net
分別は意識と末那識で起きているんです。
そして分別とは言葉なんです。
また、存在とは言葉なんです。

606:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:03:33.60 t3semzoD.net
>>601
おかしいと思ったからこう訳した方がいい、訳すべきだ、中村先生達のように
と思ったんでしょう

607:鹿野園
20/11/28 22:04:26.75 CGjAOmcc.net
>>604
>感覚が無分別なら身受という言葉は不要じゃないか
受には感覚が含まれているからですよ。

608:鹿野園
20/11/28 22:05:33.10 CGjAOmcc.net
>>606
あなたの勝手な想像でしょうなぁwww

609:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:10:13.00 t3semzoD.net
裸でいる時に誰かが背後から線香の火を背中に押し付けたら意識が熱いと言葉にして感じる前に反射的に身を逸らすだろうよ
言葉がなければ分別はないというならば火を押し付けられた時点ではまだ熱い熱くないの分別はないわけだ
しかしそれはどうかと思う
業や煩悩は言語的分別による戯論から生じるというのは確かかもしれんが本能的なものは言語よりも先だろうと思う

610:鹿野園
20/11/28 22:12:22.23 CGjAOmcc.net
>>604
>前五識が無記なのは自性無記であるからという理由でありゆえに
www
前五識の活動は意識を通してしか知れませんから。

611:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:12:28.77 t3semzoD.net
>>607
その身体(前五識)の感覚が苦楽捨に分別されているという話をさっきからしているのだが

612:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:13:34.56 t3semzoD.net
>>610
だな
だからこそ自性無記ということだ

613:鹿野園
20/11/28 22:14:55.54 CGjAOmcc.net
>>609
その反射的って、つまり鏡って事ですよ。
現量って事です。

614:鹿野園
20/11/28 22:16:26.95 CGjAOmcc.net
>>611
だから、感情が倶起してるから知れる(分別される)んでしょ?

615:鹿野園
20/11/28 22:18:55.20 CGjAOmcc.net
>>609
>業や煩悩は言語的分別による戯論から生じるというのは確かかもしれんが本能的なものは言語よりも先だろうと思う
本能を意識レベルではなく、末那識や阿頼耶識レベルで見ればどうですか?

616:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:22:33.73 t3semzoD.net
>>613
熱い熱くないという言葉が出る前に苦受を感じて体を火から反射的に離すわけだ
言葉で言えば苦と言われる分別がちゃんとされている
言葉にする前に
つまり「分別とは言葉」はケースバイケースで本能的なものには当てはまらない
また当然だが言葉を知らない動物でも分別はする

617:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:28:04.19 t3semzoD.net
>>614
それはケースバイケース
但し身受という言葉はもちろん第六意識が名付けたもの

618:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:31:33.04 t3semzoD.net
>>615
その本能も阿頼耶識が生み出している幻影ということになりますかね
正確には阿頼耶識内の本能にカテゴライズされる種子が現行している、ということになるはず唯識ではw

619:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:33:54.82 t3semzoD.net
>>614
その理論でいうと阿頼耶識も感情が倶起しないと現量には分別されないということになるねもちろん

620:鹿野園
20/11/28 22:38:43.19 CGjAOmcc.net
>>616
>言葉で言えば苦と言われる分別がちゃんとされている言葉にする前に
仏教ではそれ(直接知覚、純粋体験)を分別とは言いませんので。

621:鹿野園
20/11/28 22:39:31.38 CGjAOmcc.net
>>617
唯識仏教ではそうされてますので。

622:神も仏も名無しさん
20/11/28 22:41:45.14 hlv2CtnP.net
>>596
論点前提が、阿頼耶識は捨受だが
第三能変の六識(前五識と意識)が三受と言われるかは何故かだよ
で論点は
阿頼耶識は捨受だから、現量なのであれば
前五識は捨受+苦受と楽受を含む三受だから現量ではなくなるが?
というものです。
それに対して鹿野園さんは、
「前五識には常に意識が倶起して単独起動はあり得ない」ので
意識と共に三受とされていると推測されているが、
「前五識には常に意識が倶起して単独起動はあり得ない」なら
前五識は意識と共になぜ「現量」「比量」「非量」でないのだろうかという疑義となる。
まあそれはともかくとして、テキストを読みましょう

623:鹿野園
20/11/28 22:41:58.11 CGjAOmcc.net
>>618
>>619
…もう少し唯識を学んでから仰って頂いた方がいいですね。
話が噛み合いません。

624:鹿野園
20/11/28 22:43:54.91 CGjAOmcc.net
>>622
>阿頼耶識は捨受だから、現量なのであれば
>前五識は捨受+苦受と楽受を含む三受だから現量ではなくなるが?
>というものです。

感覚的(言語を介在しない)なものだからです。

625:鹿野園
20/11/28 22:50:45.32 CGjAOmcc.net
>>622
>前五識は意識と共になぜ「現量」「比量」「非量」でないのだろうかという疑義となる。
つまり、善・不善・無記ならば、現量・比量・非量なのではないのかと?
何度も言ってますが、常に意識は前五識に倶起し、前五識は感覚で意識は感情だからですよ。

626:神も仏も名無しさん
20/11/28 23:08:29.81 hlv2CtnP.net
第九偈
此心所遍行 別境善煩惱 隨煩惱不定 皆三受相應
此れが心所は遍行・別境・善・煩悩・隋煩悩・不定となり。
皆な、三つの受と相応す。
sarvatragair viniyataiH kusalais caitasair asau/
saMprayuktA tathA klesair upaklesais trivedanA//
aこれは遍行と別境と善と心所と相応する。同様に煩悩と随煩悩とも[相応するの]である。
 [しかもその識の変容には]三受がある。
bこれは普遍的な心理作用と限定された[心理作用]と善[なる心理作用]と結びついている。
 同様に煩悩と付随的な煩悩[という心理作用とも結びつき、しかもその識の変容には]
 三つの感受作用がある。
(以上、廣澤)
この第三の展開は、①遍(ひろ)くゆきわたる心作用と②特殊なものとして限定されている心作用と、
③善の心作用と④煩悩なる心作用と⑤副次的な煩悩なる心作用とに結びついて働く。
[快適と不快とどちらでもないものという]三種の感受作用もまた同様である。
(以上、中村)
それは、至るところに行き渡っている心的要因、特に定められているもの、
メリットのあるもの、苦悩/煩悩、および副次的苦悩/煩悩と結び付けられている。
それは3種類の感覚を有する。
(以上、湯田)

627:神も仏も名無しさん
20/11/28 23:12:09.94 hlv2CtnP.net
>>626
第九偈でも玄奘は、サンスクリット原文にない「不定」を
挿入している。
玄奘の訳は世親を正確に訳しているわけではないことは
一一を丁寧に読むと誰の目にも明らかである

628:神も仏も名無しさん
20/11/28 23:36:04.18 hlv2CtnP.net
『唯識三十頌』原文による限り、現量は説かれていない。
第三能変(六識)は、それぞれが、複数の心作用と結びついて働ているとされる
一つ目の遍行は、具体的には五つあって
・触sparśa…接触のこと
・作意 manaskāra…manas心+kāra動かす→思考すること
・受vedanā…人間の感受作用
・想saṃjñā…事物の形象を心の中に思い浮かべるイメージ化作用(表象作用)
・思cetanā…意思。目標に向かう方向性を持った意思
しかも受、阿頼耶識の捨受のみならず、苦受と楽受を含む三受であると言う。
直感的知覚でも無分別でも現量でもない。
花を見れば、単に見ているだけでは無く
見ようと意識し、集中してズームインし、心地良いか悪いか感受し、
花であるとイメージを浮かべ・・・。

629:鹿野園
20/11/28 23:39:28.73 CGjAOmcc.net
>>627
>第九偈でも玄奘は、サンスクリット原文にない「不定」を挿入している。
>玄奘の訳は世親を正確に訳しているわけではないことは一一を丁寧に読むと誰の目にも明らかである

www
三受ってあるじゃんw
第六識には不定心所があるしw
むしろ正確だよw

630:鹿野園
20/11/28 23:42:01.18 CGjAOmcc.net
>>628
いや、だから捨受のみってあるでしょw
つまり、ありのままに受け止めてる(現量)って事ですよw
まぁ、現量って術語自体は確立されてなかったにしてもね。

631:神も仏も名無しさん
20/11/28 23:58:26.02 t3semzoD.net
>>620
仏教では→アビダルマでは、唯識では、因明では、でしょ
>>623
君の望む通りの答えが返ってこないから残念がっているんだろうけど世の中そうそうは思うようにならないからというのは釈迦の説法w
でこちらの話を更に延長させてもらうと阿頼耶識が捨受だから現量という大山説は他に聞いたことがないが唯識学でいう阿頼耶識自体の全体の定義も結局は人の意識がつくりだしたもの(論師によって異なるが)
識は無常である 無常である者は苦である 苦であるものは我に非ず我がものに非ず我がアートマンに非ず その言葉を聞いたものは執着を離れる…
だから「阿頼耶識が捨受だから現量」という君の見解には固執しないことにしたわ
否定も肯定もこれからはしないよ

見よ、神々並びに世人は、『非我なるものを我』と思いなし、<名称と形態>(個体)に執著している。
「これこそ真実である」と考えている。
或るものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、そのものはそれとは異なったものとなる。
何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。
過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。
安らぎ(涅槃)は虚妄ならざるものである。
諸々の聖者はそれを真理であると知る。
かれらは実に真理をさとるが故に、快をむさぼることなく平安に帰しているのである。
(スッタニパータ 第三章 12、二種の観察)
とは言っても>>624の君のレスは傍から見てもズレてますけどねw
捨受関係ないレスになっているようでw
まあいいさw
これ以上は追及はしませんので

632:鹿野園
20/11/29 00:08:34.26 B2JCaidy.net
>>631
>仏教では→アビダルマでは、唯識では、因明では、でしょ
言語との絡みが特に云われ始めたのは龍樹(中観)からでしょ。
で、初期仏教でも支縁起で識・名色の問題として言語の絡みは言われてますけど。

633:鹿野園
20/11/29 00:19:55.98 B2JCaidy.net
>>631
>君の望む通りの答えが返ってこないから
流石にそれは最初から期待はしてませんし、それ以降の文章は意味が不明なのでコメントはしません。
で、ともあれ、私は
>常に意識は前五識に倶起し、前五識は感覚で意識は感情だから
で理解出来ましたし、唯識思想の中ではそんなに難しくない事だと思いますけどね。

634:鹿野園
20/11/29 01:07:23.59 B2JCaidy.net
しかしなんだなぁw
ハゲが玄奘三蔵の訳をdisればdisるほど、それに反比例してかの翻訳家としての非凡な才能が明らかになってくるんだけどw
一体ハゲって何者?
www

635:神も仏も名無しさん
20/11/29 07:36:45.87 +sfLDn4b.net
>>629
三受は遍行心所の受の苦楽捨の三種類の形態であり、善悪に関する不定心所とは違います
URLリンク(i.imgur.com)
この五位百法は世親の時代には完成してなかった
この五位百法の分類は成唯識論によりそれが法相宗にも取り入れられました
そして世親の唯識三十頌の9偈の原文には確かに不定はありません

636:神も仏も名無しさん
20/11/29 08:27:49.15 +sfLDn4b.net
>>632
>で、初期仏教でも支縁起で識・名色の問題として言語の絡みは言われてますけど。
ソースを提示できます?
ちなみに相応部では無明による身業(行為)・口業(言葉)・意業(思い)によって苦楽が生じるという説法はありますけどね

龍樹の心の境地が滅した時には心の対象もなくなるに不意に線香の火を後ろから背中に押し付けられた瞬間を当てはめていいものかは、さー分かりませんなあw

637:神も仏も名無しさん
20/11/29 08:32:28.55 pPm4hCa3.net
ネットをググると
「陳那の定義でいえば、
現量は概念作用を伴わず、対象そのものの個別相(自相)を認識するものである。
そのような、直接知覚によって得られた知識が正しいかどうかを判断する『規範』が
現量であり、仏のさとりはそこにあるから、もっとも重要であるとする。」
とされるが、またググると現量は差別されている
・・・・・
1.眼耳鼻舌身という5つの感官の認識によって生じる知覚(感官現量)
2.心とその認知対象(=法)によって生じる知覚(意現量)
3.(瞑想によって)集中した心の認識によって生じる知覚(瑜伽行現量)
4.第8識が諸境を認識する
・・・・
そもそも世親の『唯識三十頌』と別概念であり、これを前五識に適用することには
無理があるので、現量説を唯識派が取り入れた後、やはり差別して定義してのであろう。
バカである

638:鹿野園
20/11/29 08:46:11.81 B2JCaidy.net
>>635
心所は倶舎も法相も五位法では六つ(偏行、別境、善、煩悩、随煩悩、不定)でしょ?
不定という文字そのものは出ていないけど、原文はちゃんと六つに分けてあるでしょ?
玄奘三蔵が不定と書いて訳してなんか問題あるの?

639:鹿野園
20/11/29 08:48:53.64 B2JCaidy.net
>>636
名色の名って名称(言語)でしょ?

640:鹿野園
20/11/29 08:49:36.58 B2JCaidy.net
>>637
説明済。
しつこいよ。

641:神も仏も名無しさん
20/11/29 09:02:37.97 pPm4hCa3.net
>>626
sarvatraga遍行…すべての所に赴くこと(心理作用)なので、訳としては、
         遍(ひろ)くゆきわたる心作用(中村)
  至るところに行き渡っている心的要因(湯田)が正確である。
        湯田はウパニシャド哲学専門なので「心的要因」という訳はあれだが。
        しかし我々は別境との対比と重に法相唯識の影響から、「時間的」に
        「いつも絶えず働いている」と認識している。だが実は「場所的概念」なのである。
・触sparśa…接触のこと 対象(境)と感覚機能(根)と表象作用(識)との結びつきのこと
      「花という対象」と「目根という感覚機能」と「目識という表象作用」の結合が「触」。
・作意 manaskāra…manas心+kāra動かす→思考すること
          心が特定の一つの対象に向かうこと。心が対象に動くこと
          つまり「花という対象」に心が向かっていること
・受vedanā…人間の感受作用 本質的には対象への愛着のことであり、
       楽を感受すると心地良さがあり、感受した快を維持・再取得したいという願望を生じ
       苦を感受すると不快さから離れようとし、苦楽どちらでもないものがあるという。
・想saṃjñā…事物の形象を心の中に思い浮かべるイメージ化作用(表象作用)
       『成唯識論』では言葉による概念化と説明する。曰く
       「想とは境において像を取るを性と為し、種種の名言を施設するを業となす」
・思cetanā…意思。目標に向かう方向性を持った意思
      安慧は「心の業の形成作用である」。『成唯識論』は「思とは心をして
      造作せしむるを性と為す」

642:神も仏も名無しさん
20/11/29 09:06:00.78 pPm4hCa3.net
>>638
世親の原文は5つ。
玄奘が倶舎論から「不定」から追加したと推定されている。
>>640
反論できてないです。『唯識三十頌』に現量なんてない。
後代の後づけで、『唯識三十頌』の邪魔にしかならない

643:鹿野園
20/11/29 09:16:16.67 B2JCaidy.net
>>635
>三受は遍行心所の受の苦楽捨の三種類の形態であり、善悪に関する不定心所とは違います
知ってます。

644:神も仏も名無しさん
20/11/29 09:29:02.31 +sfLDn4b.net
>>638
唯識三十頌の原文では心所の大分類は5つですよ
14偈で玄奘三蔵訳では不定にカテゴライズされる眠や尋や伺は、原文では5番目の副次的な煩悩(随煩悩)にカテゴライズされています
世親が有部の五位七五法を忘れていたのかどうかは分かりません

>>639
>名色の名って名称(言語)でしょ?
そのような訳し方を鬼和尚がした時に十二支縁起を知らないのか名色とは心と体だと鬼和尚を侮蔑していたのは大山さんでしたね

645:神も仏も名無しさん
20/11/29 09:30:22.93 +sfLDn4b.net
>>643
知ってるなら
>>629
>三受ってあるじゃんw
ってどういう意味で入れたの?

646:鹿野園
20/11/29 09:37:17.80 c7NAhTB7.net
>>642
>世親の原文は5つ。
六つですけどw
>>642
>反論できてないです。『唯識三十頌』に現量なんてない。
>後代の後づけで、『唯識三十頌』の邪魔にしかならない
ですから、現量という術後は後の時代に確立されたにしても、直接知覚というのは既に云われてるのだし、阿頼耶識何現量であるのは当たり前でしょ?

647:鹿野園
20/11/29 09:41:17.42 B2JCaidy.net
>>644
六つありますけど?
それと馬鹿鬼の事とか知らないけどw

648:鹿野園
20/11/29 09:43:50.21 B2JCaidy.net
>>645
仏教は基本的にAか非Aかそのどちらでもないって分類をしてるでしょ?
であれば不定というものがなければおかしいと思った次第です。

649:神も仏も名無しさん
20/11/29 09:48:46.73 pPm4hCa3.net
>>647
子供みたいなことを言ってないで
sarvatragair viniyataiH kusalais caitasair asau/
saMprayuktA tathA klesair upaklesais trivedanA//
のどこに不定があるのかを
具体的に指摘しないと話になりません。

650:鹿野園
20/11/29 09:52:29.02 B2JCaidy.net
なんだか未だ燻ってる様だけど、阿頼耶識は現量でしょ?
違いますか?
直接知覚という概念は世親の頃にはおおよそ確立されており、その直接知覚概念が陳那によって因明(論理学)に応用されるにつき更に厳格化されたわけでしょ?

651:神も仏も名無しさん
20/11/29 09:55:35.86 pPm4hCa3.net
ちなみに
sarvatraga遍行とviniyata 別境とkusala善がセットになっているが
「A」か「非A」か「そのどちらでもない」という分類と違いますよ
またklesa煩悩とupaklesa随煩悩とは
「A」「非A」ではなくて「A」と「a」ですわ。
鹿野園さんは、先入観をまず捨てないと、本文を読解できないですよ

652:鹿野園
20/11/29 09:57:14.71 B2JCaidy.net
>>647

>>626
>aこれは遍行と別境と善と心所と相応する。同様に煩悩と随煩悩とも[相応するの]である。
1.偏行
2.別境
3.善
4.心所(に不定がある。)
5.煩悩
6.随煩悩

653:神も仏も名無しさん
20/11/29 09:58:18.09 pPm4hCa3.net
>>650
世親の『唯識三十頌』本文に現量という概念はありますか?
イエスかノーでどうぞ。
後代の法相唯識の解釈はまずどうでもいいんです。
『唯識』を正確に学びましょう。

654:鹿野園
20/11/29 09:59:30.12 B2JCaidy.net
>>651
???
善・不善・無記や楽受・苦受・捨受等の話ですけど?

655:鹿野園
20/11/29 10:01:05.11 B2JCaidy.net
>>653
あるでしょ。
直接知覚という概念ですから。

656:神も仏も名無しさん
20/11/29 10:01:13.91 pPm4hCa3.net
×aこれは遍行と別境と善と心所と相応する。同様に煩悩と随煩悩とも[相応するの]である。
〇aこれは遍行と別境と善との心所と相応する。同様に煩悩と随煩悩とも[相応するの]である。
誤コピーにより、誤解させたようですね。
「遍行と別境と善」との心所です。

657:神も仏も名無しさん
20/11/29 10:02:31.90 pPm4hCa3.net
>>655
いいえ、ありません。

658:鹿野園
20/11/29 10:05:25.18 B2JCaidy.net
訳のわからん方ですねぇ?
唯識には阿頼耶識が現量という概念はなくて、法相宗にはあるとでも言いたいのかなぁ?
直接知覚=現量なんですけど?

659:鹿野園
20/11/29 10:11:13.02 B2JCaidy.net
>>657
直接知覚ってありますけど?

660:鹿野園
20/11/29 10:15:18.13 B2JCaidy.net
考え方が変なんですよ。
"お釈迦様の時代には仏教なんて概念はなかった、だからお釈迦様の教えは仏教じゃない"って詭弁に等しいんです。

661:鹿野園
20/11/29 10:21:44.28 B2JCaidy.net
現量って直接知覚という概念も包括してるんでしょ?
で、阿頼耶識は直接知覚ですから現量概念に含まれる訳です。
当たり前なんですけど……

662:鹿野園
20/11/29 10:39:40.32 B2JCaidy.net
>>656
そういうのは極力勘弁して下さい。
昨日から出張中で、貴殿等が出された文章をそのまま信じて疑義に思った事をレスしてるんです。
前提となる文章が偽であれば……分かりますよね?
ちなみに、こうした訳もあり、ここでは六つになってます。
>それは、至るところに行き渡っている心的要因、特に定められているもの、メリットのあるもの、苦悩/煩悩および副次的苦悩/煩悩と結び付けられている。
>それは 3種類の感覚を有する。
>(URLリンク(human.kanagawa-u.ac.jp))

663:鹿野園
20/11/29 10:44:04.04 B2JCaidy.net
訂正
ちなみにこうした訳もあり、ここでは五つになってますが、
>それは、至るところに行き渡っている心的要因、特に定められているもの、メリットのあるもの、苦悩/煩悩および副次的苦悩/煩悩と結び付けられている。
>それは 3種類の感覚を有する。
>(URLリンク(human.kanagawa-u.ac.jp))

664:鹿野園
20/11/29 10:47:34.62 B2JCaidy.net
私は玄奘三蔵が不定を入れたのは然るべき理由があっての事と思慮します。
それについては後程。

665:神も仏も名無しさん
20/11/29 10:49:18.10 +sfLDn4b.net
>>647
0338 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/13 22:33:44
>>311 違うのじゃ。
 そんなものはないからなのじゃ。
 
 色があるからなのじゃ。
 名色のうち名より色の方が優勢なのじゃ。
 種子は何もしないのじゃ。
 阿頼耶識は清浄ではないのじゃ。
 そもそも種子を蔵しているからのう。
0387 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/08/14 08:20:32
>>350
普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、感覚器官は働かないでしょ。
0400 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/14 20:58:59
>>350 名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
 人の脳では言葉は映像として処理されているのじゃ。
 言葉ができるまえは全てイメージで思考していたのであるからのう。
 そのために色が名より優越しているのじゃ。
0403 鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/14 21:27:57
>>400
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

名色の前に識があるんだよwwww
十二支縁起も知らないのかwwww

~~~
思い出しましたか?

666:神も仏も名無しさん
20/11/29 10:50:19.10 +sfLDn4b.net
>>647
原文は五つです

667:神も仏も名無しさん
20/11/29 10:50:48.23 +sfLDn4b.net
>>648
不定は三受の一つではありません

668:神も仏も名無しさん
20/11/29 10:51:41.60 +sfLDn4b.net
>>655
あなたは現量という言葉は世親以降に生まれた熟語と言ってませんでしたか?

669:鹿野園
20/11/29 11:34:30.03 B2JCaidy.net
>>665
リンクと>>311出してくれw

670:鹿野園
20/11/29 11:35:14.52 B2JCaidy.net
>>666
引用には六つあったけど?

671:鹿野園
20/11/29 11:35:36.21 B2JCaidy.net
>>667
そんな話はしてないけど?

672:鹿野園
20/11/29 11:36:03.46 B2JCaidy.net
>>668
で?

673:鹿野園
20/11/29 11:38:45.65 B2JCaidy.net
コテをつけてくれないか?
誤植を信じて展開した議論の非難をされてはたまらんからなw

674:鹿野園
20/11/29 11:40:48.30 B2JCaidy.net
それから、同じ様な事を二回聞かれて二度と答えるの面倒だから、スレのレスは一瞥してくれ。

675:神も仏も名無しさん
20/11/29 11:42:02.87 +sfLDn4b.net
>>669
今から出掛けるので夜にリンク貼ります

676:鹿野園
20/11/29 11:58:04.44 B2JCaidy.net
>>675
上記みたいに都合の悪いとこは引用しないとか、そういう薄汚い真似はやめような。
>>311に対する見解のレスの応酬について、公平に漏らさずageるように。

677:鹿野園
20/11/29 12:00:18.08 B2JCaidy.net
引用自体が正しくされているのか?
いちいちそこから精査しなきゃならないとか、そんな暇ないんだけど?

678:神も仏も名無しさん
20/11/29 12:38:28.81 pPm4hCa3.net
普通は、どこから引用しているか明記している場合は
それぞれが裏を取るのが当たり前の作業です。
そういう習慣がないとしたら、文化を共有できてないということになります。
なぜなら、間違いは常にありうるからです。

679:神も仏も名無しさん
20/11/29 13:35:32.60 fBJJA1Y4.net
>>669
外出先から
リンク
スレリンク(psy板:64番)-n
0310から先を読むと良いですよ
そしてど忘れされてるご自分のレスを確認しるといいでしょう

680:鹿野園
20/11/29 13:48:20.07 Dqon0b83.net
>>678
お前はキチガイか?
持ってない本をどうやって確かめるんだよ?

681:鹿野園
20/11/29 13:52:14.42 Dqon0b83.net
お前さぁ?
間違った本人がどの面下げて上から目線で以下の様な事を言えるんだ?
先に謝るのが人としての最低の礼儀だろ?
お前は虫ケラか?
どういうつもりかハッキリ返事をしてもらおうか?

>>678
>普通は、どこから引用しているか明記している場合はそれぞれが裏を取るのが当たり前の作業です。
>そういう習慣がないとしたら、文化を共有できてないということになります。
>なぜなら、間違いは常にありうるからです。

682:鹿野園
20/11/29 13:52:56.46 Dqon0b83.net
>>679
何もおかしくないだろ?
あたま大丈夫か?

683:鹿野園
20/11/29 13:56:12.83 Dqon0b83.net
一体なんなんだよ、コイツらは?
白を黒と嘘吐き、黒を白と嘯き……
ある事を無いといい、無い事をあるといい……
誤植を誤りもしないで、確かめない方が悪いとか?
部分抜粋して都合の良い様に文章を組み替えたり。
まともな人間じゃないだろ?

684:鹿野園
20/11/29 14:03:52.84 Dqon0b83.net
一人はハゲで、もう一人はこれ、馬鹿鬼じゃねーか、多分。
過去に鬼和尚キャラを瞬殺され潰された事を未だに根に持って名無しでdisってくるんだろうな。
馬鹿鬼とか、もう宗教板で見る影もねーしw

685:神も仏も名無しさん
20/11/29 14:13:07.05 fBJJA1Y4.net
>>682
開き直りですか?

639 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF :2020/11/29(日) 08:48:53.64 ID:B2JCaidy
>>636
名色の名って名称(言語)でしょ?
0387 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/08/14 08:20:32
>>350
普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、感覚器官は働かないでしょ。
(この時に名を名称の意味で使ったのは鬼和尚の方)
~~~
改めて、名色の名って何ですか?
あと俺は鬼和尚ではないですよ

686:神も仏も名無しさん
20/11/29 14:45:26.64 YTqBmG+o.net
唯我独尊

687:神も仏も名無しさん
20/11/29 14:57:20.73 RRtFUdDT.net
なぜ唯識が出たのか?
それは空に不満があったからだろう。
空に満足出来なかったのだろう。
それで唯識が出来たが、ただの想像物語と言えなくもない。

688:神も仏も名無しさん
20/11/29 15:04:01.28 Zp+3RjdO.net
>>684
知識が糞つ詰まっていると、
目が曇ってくる。

689:鹿野園
20/11/29 15:14:24.21 Dqon0b83.net
>>685
開き直りか?
wwww

690:鹿野園
20/11/29 15:15:09.52 Dqon0b83.net
>>688
負け犬w

691:鹿野園
20/11/29 15:22:45.18 Dqon0b83.net
負け犬お得意の部分抜粋ねじ曲げwwww

692:鹿野園
20/11/29 15:28:57.58 Dqon0b83.net
>>685
wwwwwwwwwwwwwwww
部分抜粋しないでレスの流れの中で全体の流れを上げろよ😂
そんなんだったらいくらで事実を捻じ曲げられるじゃねーか🤣🤣🤣
どーした?
ほれほれ!
なにしてる?
ほれほれ!
早く上げろよ、誤魔化し小僧🤣🤣🤣

693:鹿野園
20/11/29 15:34:35.85 Dqon0b83.net
コロコロコロコロコロコロ🤣
IDをコロコロコロコロコロコロコロコロ変えて🤣
鼻息😤荒くしては
顔を真っ赤にして😡
必死になって😬レスをしても
いつも瞬殺じゃねーか🤣🤣🤣
仏教徒やめちまいな😁

694:鹿野園
20/11/29 15:37:06.09 Dqon0b83.net
やっぱり馬鹿鬼のアバターで決定だな。
まぁ、いくらアバターを使っても元が低知能だからすぐに瞬殺されて終わりw
果汁1%の飲み物を100万本注いでも果汁100%にはならないのだよ、おバカちゃんw

695:キチガイデブスホモポッタン3世
20/11/29 15:51:26.84 k3ii5TJD.net
馬鹿野園よ、我を崇拝せよ!
我はポッタン我が敵は
天地容れざる犬山ぞー!

696:鹿野園
20/11/29 16:59:47.60 Dqon0b83.net
さて、家に着いた。
>>627
>第九偈でも玄奘は、サンスクリット原文にない「不定」を挿入している。
>玄奘の訳は世親を正確に訳しているわけではないことは一一を丁寧に読むと誰の目にも明らかである

について検証してるけど第九偈の心所の数はやはり五つだね。
つまりハゲの転記ミス。
で、上記についてもどうやらハゲ誤解であることが判明しつつある。
その鍵は第十四偈にあった。
で、続きはシャワーを浴びてから。

697:鹿野園
20/11/29 17:00:27.97 Dqon0b83.net
訂正
さて、家に着いた。
>>627
>第九偈でも玄奘は、サンスクリット原文にない「不定」を挿入している。
>玄奘の訳は世親を正確に訳しているわけではないことは一一を丁寧に読むと誰の目にも明らかである

について検証してるけど第九偈の心所の数はやはり五つだね。
つまりハゲの転記ミス。
で、上記についてもどうやらハゲの誤解であることが判明しつつある。
その鍵は第十四偈にあった。
で、続きはシャワーを浴びてから。

698:鹿野園
20/11/29 17:05:01.39 Dqon0b83.net
つまり、一旦全体を俯瞰してから個別の偈を見ればなんて事はなく、玄奘三蔵の訳が実に気の利いた訳であったことが分かるという事です。
やっぱり、テキスト棒読み&直訳&コピペ(しかも転記ミス)では唯識三十頌は読めないのです。

699:鹿野園
20/11/29 17:08:07.31 Dqon0b83.net
ハゲのコピペは転記ミスがあるのでもう信用出来ません。
仕方ないので
>廣澤隆之 「『唯識三十頌』を読む」 TU選書
を注文しました。
後で請求書を発行しますので送付先をお知らせ下さい。

700:神も仏も名無しさん
20/11/29 18:55:53.20 H070IGXO.net
このスレ的にはこういう見解ってどうなの?
URLリンク(haruaki.shunjusha.co.jp)

701:神も仏も名無しさん
20/11/29 21:06:33.68 +sfLDn4b.net
>>693
>IDをコロコロコロコロコロコロコロコロ変えて🤣
>>694
>やっぱり馬鹿鬼のアバターで決定だな。
もちろん事実無根のことを大山さん書き殴ってるけど、それは誤魔化し?
結局!名色の色って何ですか?に答えられないのですかね?
まあ答えたくなければ答えなくても良いですが
答えない代わりにしていることが子供っぽいですな

702:鹿野園
20/11/29 21:54:04.68 Dqon0b83.net
>>701
回答済。
まるでポタ公並みの廃人だなw

703:鹿野園
20/11/29 21:59:56.77 Dqon0b83.net
で、玄奘三蔵の"不定"の件、あれ十四偈を受けての事だからやっぱり問題無いどころか逆にGJじゃねーかw
何度も言ってるけど、一度全体を読んでから個別に解題してないで、まさに、テキスト棒読み&直訳&コピペ(しかも転記ミス)だから、あんな変な事を言い出す始末になる訳だ。

704:鹿野園
20/11/29 22:07:11.20 Dqon0b83.net
外出先でハゲのレスを見ただけで直感的に"あれ、これ変だなぁ?"って思ったんだよ。
第二能変や心所の数や不定の件をね。
唯識の知識以前に論理的に矛盾しているし。
それ以前の偈にも結構変なのがあるんじゃないのか?

705:鹿野園
20/11/29 22:10:27.05 Dqon0b83.net
経論は読む人を選ぶんじゃないか?と思う時がある。
何年か経ってからまた紐解くとパーン!って分かったりとかね。
disり目的で唯識を解題するハゲに唯識は分からないと思う。

706:神も仏も名無しさん
20/11/29 23:37:31.22 +sfLDn4b.net
>>702
回答もしてないですし誤魔化してばかりですね

707:神も仏も名無しさん
20/11/29 23:38:40.81 +sfLDn4b.net
回答出来ないなら出来ないと男らしくはっきりと言いましょうよ

708:鹿野園
20/11/29 23:43:39.46 Dqon0b83.net
>>707
回答済み。
因縁をつけたいのなら勝手だけど、一連のレスの流れを整理してまとめてからにしてくれ。
面倒くさいからな。

709:鹿野園
20/11/29 23:46:42.66 Dqon0b83.net
もう今更、馬鹿鬼とか変な低知能の馬鹿統失キチガイキャラは終わったんだし、わざわざそんな見向きもされない雑魚かキャラを復活とかさせなくてもいいから。

710:神も仏も名無しさん
20/11/29 23:55:49.78 +sfLDn4b.net
ほうあくまで回答したと言い張るわけね
大山さんにはもう何も期待しないけど
大山さんという人物の正体はこのスレに新しく来る人がいるかもしれないので魚拓として大山さんのレスをコピペしておくわ
こういうその場その場で適当なことを言うのが大山氏なので彼のレスは話半分以下で読みましょう>All

639 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF :2020/11/29(日) 08:48:53.64 ID:B2JCaidy
>>636
名色の名って名称(言語)でしょ?
0387 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/08/14 08:20:32
>>350
普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、感覚器官は働かないでしょ。

711:流れ
20/11/30 00:02:22.60 9DXz8Tcu.net
 人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
 潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。
0311 神も仏も名無しさん 2020/08/12 23:25:05
潜在意識って末那識や阿頼耶識のことですかね?
仏陀はそのような潜在意識に一切言及しなかったのは何故なんでしょうかね?
あと龍樹は確か言語による概念思考によって分別が生まれるとしてましたが、根本識たる阿頼耶識による認識は言語化されないのに何故人は事物を分別してしまうのでしょう?
阿頼耶識に蔵されている種子が言語関係なく分別してしまうのでしょうか?
それとも阿頼耶識は清浄でも末那識や意識と認知が顕在化されるに従って阿頼耶識の知覚の清浄さは失われて事物を分別するようになってしまうのでしょうか?
0338 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/13 22:33:44
>>311 違うのじゃ。
 そんなものはないからなのじゃ。
 
 色があるからなのじゃ。
 名色のうち名より色の方が優勢なのじゃ。
 種子は何もしないのじゃ。
 阿頼耶識は清浄ではないのじゃ。
 そもそも種子を蔵しているからのう

0342 鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/13 22:45:22
>>338
>名色のうち名より色の方が優勢なのじゃ。
www
両者は相依性故に、どちらかが優勢とかはない。
 >仏教においては、ナーマとルーパは互いに依存関係にあり、切り離すことができないとする。
 >(wiki引用)
>阿頼耶識は清浄ではないのじゃ。
>そもそも種子を蔵しているからのう。
www
阿頼耶識は無覆無記なので ”清浄ではない” とか、そう簡単に言う事じゃない。
知ったかぶりしてタコ殴りされるのが嫌なら黙ってな、猿www
0350 神も仏も名無しさん 2020/08/14 00:47:42
Sn 872
名称Namancaと形態rupancaとに依って感官による接触が起る。
諸々の所有欲は欲求を縁として起る。
欲求がないときには、<我がもの>という我執も存在しない。
形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない。
URLリンク(plaza.rakute...i_blg_amp_diary_next)
一行目では名色が同列で語られているのに
四行目では色ルーパの消滅みで全て解決されるように語っているのは何故か?
0387 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/08/14 08:20:32
>>350
普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、感覚器官は働かないでしょ。
0400 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/14 20:58:59
>>350 名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
 人の脳では言葉は映像として処理されているのじゃ。
 言葉ができるまえは全てイメージで思考していたのであるからのう。
 そのために色が名より優越しているのじゃ。

712:流れ
20/11/30 00:09:21.02 9DXz8Tcu.net
鹿野園(大山氏)はここでは名を心と解釈
鬼和尚は名は名前とか日常用語の名称で解釈している
ようす
しかしこのレスでの鹿野園(大山氏)の名の解釈は
>>639 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF :2020/11/29(日) 08:48:53.64 ID:B2JCaidy
>>636
名色の名って名称(言語)でしょ?
と上のコピペの時とは変わってその時の鬼和尚と同じになっています

皆さんは大山さんはこういう人だということを覚えておくと良いでしょう

713:神も仏も名無しさん
20/11/30 00:55:14.55 jy9rLLk1.net
名色=名称と形態

714:鹿野園
20/11/30 04:00:57.49 51ZhYKun.net
>>710
質問に対して答えた流れの中でどのように名色を把握してたか、その箇所を端折って部分抜粋するなっていつてるだろ、知障くんw

715:鹿野園
20/11/30 04:29:08.60 51ZhYKun.net
>>712
それも部分抜粋じゃねーかw
此方からの>>311に対する肝心のレスが載ってないぞ?
また、十二縁起の名色の次は六処(眼耳鼻舌身意)だから、名色を心と身体と考えれば次の六処も、普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、次の六処である感覚器官は働かないでしょ、ってことだなぁ。

716:鹿野園
20/11/30 04:32:59.18 51ZhYKun.net
ちなみに名色はwikiでは
名色(みょうしき、nāma-rūpa)
物質現象(肉体)と精神現象(心)。
物質的現象世界。
名称と形態。
実際の形と、その名前。
ってなってるよ。

717:鹿野園
20/11/30 04:52:12.96 51ZhYKun.net
つまりだ、上記のwikiをまとめると
 色
  物質現象(肉体)、形態、実際の形
 名
  精神現象(心)、名称、その名前
ってなる。
で、大山が時にその"名"について"心"と言ったり"名称(言語)"と言った訳だが、何か問題があるのかね?
必ず返事をする様に。

718:鹿野園
20/11/30 04:54:53.36 51ZhYKun.net
>皆さんは大山さんはこういう人だということを覚えておくと良いでしょう
これについて上記の件を踏まえて、どういう事なのか詳しく説明してくれ。
絶対に逃げないで説明してくれ。
必ずな、必ず。

719:神も仏も名無しさん
20/11/30 05:07:03.58 nfa3j6qW.net
鹿野園は我聞狂だけだろ笑

720:鹿野園
20/11/30 05:07:42.09 51ZhYKun.net
あ、以下の件についてもどういう事なのか、キチンと説明してもらおうか?
逃げないでな、絶対に。

>>644
>そのような訳し方を鬼和尚がした時に十二支縁起を知らないのか名色とは心と体だと鬼和尚を侮蔑していたのは大山さんでしたね
>>701
>もちろん事実無根のことを大山さん書き殴ってるけど、それは誤魔化し?
>>707
>回答出来ないなら出来ないと男らしくはっきりと言いましょうよ
>>710
>大山さんにはもう何も期待しないけど
>大山さんという人物の正体はこのスレに新しく来る人がいるかもしれないので魚拓として大山さんのレスをコピペしておくわ
>こういうその場その場で適当なことを言うのが大山氏なので彼のレスは話半分以下で読みましょう>All

721:鹿野園
20/11/30 05:48:01.56 51ZhYKun.net
「大山が宗教板に現れて5年。今まで散々瞬殺されて来たが、今回こそは名色の件で追い詰められる?!」
口泡を飛ばしながらそう呟くと、彼は顔面を赤く硬直させ、鼻息を荒くキーボードを叩きつける様にレスを繰り返した。
ドヤ顔でニヤける彼は間違いなく勝利を確信した。
しかし……
>>717からの大山のレス見た彼は立ち所に顔面が蒼白となり、同時に血圧が急上昇したのか、目の前が真っ暗になった。
「えっ、なんで?!」
キーンという耳鳴りと軽い目眩。
気がつくと彼はキーボードの前に呆然と立ち尽くしていた。
「また大山に…瞬殺……」
その現実というリアルが彼を包み込んだ時、彼のこころの奥底から野獣の様な雄叫び声と共に、何かが崩れ去ってゆくのであった。


722:鹿野園
20/11/30 06:15:47.15 51ZhYKun.net
可哀想に。
そう思わないとやってられないんだろうね。


728 名前:福音伝道 :2020/11/30(月) 05:46:37.83 ID:0P7qDu4r
興奮気味の大山君だが、鬼和尚に過去に瞬殺されてしまって、
もはや相手にして貰えないだけだよ。
普通に質問すれば鬼和尚は返事される。確認済み。
水準以下のアホウをスルーされているだけ。
鬼和尚は大山君よりはるかに佛教知識を持たれている
大山君は無知なので、それをはかれんだけ。
『唯識三十頌』ですら、やっとまともな書籍を注文した程度。
読んだところで使いこなせないだろうが、一歩前進ではある。

723:神も仏も名無しさん
20/11/30 06:38:05.23 0P7qDu4r.net
>>626 修正して偈に戻りましょう
第九偈
此心所遍行 別境善煩惱 隨煩惱不定 皆三受相應
此れが心所は遍行・別境・善・煩悩・隋煩悩・不定となり。
皆な、三つの受と相応す。
sarvatragair viniyataiH kusalais caitasair asau/
saMprayuktA tathA klesair upaklesais trivedanA//
aこれは遍行と別境と善との心所と相応する。同様に煩悩と随煩悩とも[相応するの]である。
 [しかもその識の変容には]三受がある。
bこれは普遍的な心理作用と限定された[心理作用]と善[なる心理作用]と結びついている。
 同様に煩悩と付随的な煩悩[という心理作用とも結びつき、しかもその識の変容には]
 三つの感受作用がある。
(以上、廣澤)
この第三の展開は、①遍(ひろ)くゆきわたる心作用と②特殊なものとして限定されている心作用と、
③善の心作用と④煩悩なる心作用と⑤副次的な煩悩なる心作用とに結びついて働く。
[快適と不快とどちらでもないものという]三種の感受作用もまた同様である。
(以上、中村)
それは、至るところに行き渡っている心的要因、特に定められているもの、
メリットのあるもの、苦悩/煩悩、および副次的苦悩/煩悩と結び付けられている。
それは3種類の感覚を有する。
(以上、湯田)

724:神も仏も名無しさん
20/11/30 06:53:09.82 0P7qDu4r.net
>>641
さていつでも働いているとされる遍行sarvatragaは、
原語を確認すると、場所的な概念でした。
心理的解釈
荒牧…あらゆる(三層よりなる識のあらゆる対象)において働いている
   心理的諸存在(遍行心所)
時間的解釈
廣澤…普遍的な心理作用
場所的解釈
中村…遍(ひろ)くゆきわたる心作用
湯田…至るところに行き渡っている心的要因
荒牧訳の心的諸存在や湯田訳の心的要因というよりも
caitasikaは心理的作用の方が的確な感じがする。
まあ要素でもあり作用でもあるわけだが。
さて識とどこまでも共に動く心の働きが五つあると言い、
そのうち受は、阿頼耶識では捨受のみであったが
第三能変では、三受であるという。

725:神も仏も名無しさん
20/11/30 08:00:02.39 0P7qDu4r.net
>>723
viniyata別境…「制御された個別の対象」次の第十偈で五種の働きが紹介される
kusala善…阿頼耶識・末那識は善悪無記であったが、第三能変には善の働きがあると言う。
     廣澤氏は前五識は感覚のみだから、ここは第六識だけと解釈すべきというが、
     『成唯識論』の基はそう読んでないと言う第十一偈で善の心所が紹介される

726:神も仏も名無しさん
20/11/30 08:21:22.91 0P7qDu4r.net
>>723
klesa煩悩…六種が説かれ、第十二偈で紹介。
upaklesa随煩悩…煩悩に付随して生ずる煩悩で第12~14偈で説かれる
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
さて
「不定」…世親の原文にはないが、玄奘訳では第14偈で四つ説かれる。
世親の原文では、玄奘が不定とする「悔と眠と尋と伺」は、随煩悩と説明されている

727:神も仏も名無しさん
20/11/30 08:24:48.46 0P7qDu4r.net
唯識学会の「不定」の解釈
URLリンク(www.yuishiki.org)
2011年1月16日 投稿者: CHAIR
不定
i. <不定〔ふじょう〕>とは、「善悪どちらにも固定していない(善にも悪にも働く)」という意味。
ii. <悪作><睡眠><尋><伺>の四つに分類される。
iii. <悪作〔おさ〕>とは
1) よろずのことを悔しむ心、後悔すること。
2) <悪作=悔>が昇華すれば、懺悔につながる。
iv. <睡眠〔すいめん〕>とは
1) 眠くて意識の朦朧とした状態のこと。
v. <尋〔じん〕>、<伺〔し〕>とは
1) 両者とも、ものごとを推し量る推理力のこと。
2) 細かく分けると、浅い→<尋>、深い→<伺>。
3) 唯識では対象を知るのに、直感的な認識(現量)と、
 推理による認識(比量)の二つの方法がある。<尋><伺>は、後者である。

728:鹿野園
20/11/30 09:44:52.45 51ZhYKun.net
>>726
>「不定」…世親の原文にはないが、玄奘訳では第14偈で四つ説かれる。

つーか、そもそも引用は正しくされてるの?
十四偈では、玄奘三蔵訳でなくても、そう説かれてるんじゃないのかなぁ?

729:神も仏も名無しさん
20/11/30 09:45:51.51 ux97Ntw7.net
ここまでを整理しよう。
第一偈 まさに種々の我と法とを仮説することが行われるが、
    それらは識の転変においてであり、しかもその転変は三種である
第二偈 vipAko mananAkyas ca visayasya ca/
    tatrAlayAkhyaM vijNAnaM vipAkaH sarvabIjakam//
    異熟と思慮といわれるものと境の了別とである。
    そのうちで異熟とは阿頼耶といわれる識で、一切種子をもつものである。
第三偈 asaMviditakopAdisthAnavijNaptikaM ca tat /
    sadA sparsa manaskAravitsaMjNAcetanA nvitam//
    そしてそれは感受できない執受であり、処の了別を有し、
    常に触・作意・受・想・思とが伴う。
第四偈 upekSA vedanA tatrAnivRtAvyAkRtaM ca tat/
    tathA sparSAdayas tac ca vartate srotasaughavat//
    その場合に、それは捨受であり、無覆無記である。触などもまたその如くである。
    それはまた暴流のような流れである。
第五偈 tasya vyAvRtir arhatve tad Asritya pravartate/
    tadAiambaM manonAma vijNAnaM mananAtmakam//
    阿羅漢たることにおいてその[阿頼耶識の]断滅がある。
    それ[阿頼耶識]に依って、それ[阿頼耶識]を縁じて、思量を性とする末那識が転じる

730:神も仏も名無しさん
20/11/30 09:46:31.27 ux97Ntw7.net
第六偈 klesais caturbhiH sahitaM nivRtAvyAkRtaiH sadA/
    AtmadRSTyAtmamAnAtmasnehasaMjNitaiH//
    我見・我癡・我慢・我愛と名づけられた、有覆無記の四つの煩悩が常に俱なっている。
第七偈 yatrajas tanmayair anyaiH sparsAdyais cArhato na tat/
    na nirodhasamApattau mArge lokottare na ca//
    生まれる所でそれから成るものと[俱で]ある。また他の触等の[五遍行]とも[俱]である。
    それは阿羅漢にはない。滅尽定にも出世間道においても無い。
第八偈 dvitIyaH pariNAmo yaM tRtIyaH SaDvidhasya yA/
    viSayasyopalabdhiH sA kusalAkusalAdvayA//
    これが第二の能変である。第三は六種であり、境を了得するものである。
    それは善と不善と俱非である。
第九偈 sarvatragair viniyataiH kusalais caitasair asau/
    saMprayuktA tathA klesair upaklesais trivedanA//
    これは遍行と別境と善との心所と相応する。同様に煩悩と随煩悩とも[相応するの]である。
    [しかもその識の変容には]三受がある

731:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:05:22.18 9DXz8Tcu.net
>>715
>此方からの>>311に対する肝心のレスが載ってないぞ?
大山さんのその311に対する肝心のレスは今テーマになっている名色についてなにも語ってはなかったでしょう
名色以外の話に拡散するのを防ぐためにここでは載せなかっただけのことだよ

732:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:05:46.58 9DXz8Tcu.net
それともう一つ
0400 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/14 20:58:59
>>350 名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
 人の脳では言葉は映像として処理されているのじゃ。
 言葉ができるまえは全てイメージで思考していたのであるからのう。
 そのために色が名より優越しているのじゃ。
に対して大山さんは
403鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/14(金) 21:27:57.31ID:C1leG7IV
>>400
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
名色の前に識があるんだよwwww
十二支縁起も知らないのかwwww
とレスしている
また
342鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/13(木) 22:45:22.79ID:Bk4P2OHq
>>338
>名色のうち名より色の方が優勢なのじゃ。
www
両者は相依性故に、どちらかが優勢とかはない。
 >仏教においては、ナーマとルーパは互いに依存関係にあり、切り離すことができないとする。
 >(wiki引用)

大山さんの403や342のレスからも大山さんとって名色とは十二支縁起の名色のことを指すと読み取りました
んで普通は十二支縁起の名色とは心身のことをいい、名を名称(言語)とは解釈しません
その証拠に名色とは十二支縁起の名色のこととしているらしい大山さんも
0387 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/08/14 08:20:32
>>350
普通に名色を心と身体って解釈すれば、感覚器官である身体が失われれば、感覚器官は働かないでしょ。
と語っています

733:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:09:00.44 9DXz8Tcu.net
また仮に大山さんの403の
名色の前に識があるんだよwwww
の名色が鬼和尚の名に対応した言葉のことを書いているのだとしたら
605鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/11/28(土) 22:02:48.04ID:CGjAOmcc
分別は意識と末那識で起きているんです。
そして分別とは言葉なんです。
また、存在とは言葉なんです。
は否定される
なぜなら大山さんによれば名(言葉)と色の前のある識の段階で分別がされているから
要するに大山さんは論破さえできればいいと思っているせいかその場その場で過去レスとの脈絡を無視あるいは軽視してレスしている結果、自分で自説を否定するレスを付けてしまっているということです

403鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/08/14(金) 21:27:57.31ID:C1leG7IV
>>400
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
名色の前に識があるんだよwwww
十二支縁起も知らないのかwwww

734:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:11:29.86 9DXz8Tcu.net
>>720
>>733までの間にこのスレで全て説明しました、以上
それでも何か尋ねたいことがありましたらどうぞ

735:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:14:03.98 ux97Ntw7.net
さて論点は
0.「我」と「法」との仮説である。
無我であるはずの「我」「法」を我々はさまざまに仮説するが、それは
識の転変によって行われると説かれる。
1.その識の転変が三つあると説かれる。
2.三つとは、善悪の業が熟するところの異熟と思慮と対象の識別と説かれる。
3.異熟とは、蔵といわれる一切種子識であり、自分では知ることができない内的なものであり、
4.対象の表象を有し、触・作意・捨受・想・思を伴うという。無覆無記とされ、
5.川の流れのように刹那滅で常に変化して動的である。
6.この蔵識を対象として、蔵識から末那識が転ずるが、常に煩悩を伴っている。
7.蔵識を自分だと誤解する四つの煩悩であ。五遍行を伴っている。
8.第三の対象識別は六種類ある。善でも不善でもどちらでもないものもある。
こうしてみると、
なぜか最初に、業が熟して成立する異熟が説かれる。
その業はいつのなにかは説明されていないが、結果であるはずの異熟が
阿頼耶識とし説かれ、そこから識の転変が説明される。
これは我々の認識からすると逆のような感があるが、心の根底から説明する
ということなのであろう

736:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:14:04.02 9DXz8Tcu.net
>>726
>世親の原文では、玄奘が不定とする「悔と眠と尋と伺」は、随煩悩と説明されている
ですよね

737:鹿野園
20/11/30 10:21:01.83 PGjtqSDh.net
>>734
そういうのは要らないから、早く説明してくれ。
で、どうなんだよ?

つまりだ、上記のwikiをまとめると
 色
  物質現象(肉体)、形態、実際の形
 名
  精神現象(心)、名称、その名前
ってなる。
で、大山が時にその"名"について"心"と言ったり"名称(言語)"と言った訳だが、何か問題があるのかね?
必ず返事をする様に。

738:鹿野園
20/11/30 10:23:22.98 PGjtqSDh.net
>>733
>は否定される
されません。
識⇆名色だから。

739:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:30:00.78 ux97Ntw7.net
>>735
もう少し整理すると
1.阿頼耶識…触・作意・捨受・想・思の心的作用を伴い無覆無記
2.末那識…蔵識を自分と妄想する四煩悩だが、触・作意・受・想・思を伴い有覆無記
3.前五識及び六識…触・作意・受・想・思を伴い、別境と善の心的作用も伴う。
         煩悩と随煩悩との心的作用も伴う。
末那識の四煩悩と、六つの識(解釈者は六識only)の煩悩と随煩悩は別概念、
末那識の四煩悩は、すべてわがものという煩悩。

740:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:35:17.94 ux97Ntw7.net
>>737
横から解説すると、
鬼和尚が「名」=「言葉」と解釈をしたのを、
大山君は「十二支縁起のNāmarūpa」に依拠して、個人の「心と身体」のことだと嗤った
のであるからして、
別の場所で、「名」=「言葉」と主張するのは整合性がないのでは?
と疑問視されているだけでしょ。
「名」=「言葉」でいいなら、鬼和尚に謝罪すべきでしょ。
あるいは、
鬼和尚のコンテキストでは「心」と解釈すべきで
今回のコンテキストでは「言葉」で解釈してよい
ということを論証すればよいだけです できないでしょうけど。

741:鹿野園
20/11/30 10:36:53.19 PGjtqSDh.net
>名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
仏教は唯物論ではない。

742:鹿野園
20/11/30 10:41:31.78 PGjtqSDh.net
>>740
>鬼和尚が「名」=「言葉」と解釈をしたのを、

該当箇所を出してくれるか?

743:鹿野園
20/11/30 10:48:46.91 PGjtqSDh.net
何を勘違いしてるんだか知らないが、名色の名が言葉であるとこは否定してないが?
>名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
これを否定はしてるけどな。

744:神も仏も名無しさん
20/11/30 10:53:53.75 ux97Ntw7.net
>>400
Sn 872
名称Namancaと形態rupancaとに依って感官による接触が起る。
諸々の所有欲は欲求を縁として起る。
欲求がないときには、<我がもの>という我執も存在しない。
形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない。
URLリンク(plaza.rakuten.co.jp)
一行目では名色が同列で語られているのに
四行目では色ルーパの消滅みで全て解決されるように語っているのは何故か?

0400 鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2020/08/14 20:58:59
>>350 名も実は色の一形態であるからなのじゃ。
 人の脳では言葉は映像として処理されているのじゃ。
 言葉ができるまえは全てイメージで思考していたのであるからのう。
 そのために色が名より優越しているのじゃ。


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