20/11/21 23:44:23.27 pukeZr19.net
>>458
余は末那識の有覆の四煩悩と無覆の触などの遍行心所の他に末那識を覆う心所
遍行心所以外の心所の数は四煩悩の四つ以外は不明だが成唯識論では四煩悩を入れて13とする(末那識の心所の数は18)
それと唯識三十を読み直したら末那識が現量とされないのは捨受がどうたらよりも
「彼に依りて転じて彼を縁ず 思量するを性とも相とも為す」
と末那識の語源のマナ(思量)が現量の概念から既に外れているからだと思いましたよ
>>459
心所にとらわれると
前五識は34の心所と相応する。遍行の5と別境の5と善の11と貪・瞋・癡の3と随煩悩の無慚・無愧・不信・懈怠・放逸・惛沈・掉挙・失念・不正知と散乱
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
この34の心所が言語活動を伴わないわけではないのとになりますが(大山さんが書いている末那識の言語活動を伴う心所と前五識の心所で被ってるのありません?)
ところで阿頼耶識の自証分以外の見分と相分は現量なのでしょうか?
阿頼耶識の自性分が現量であるのは現量を定義したディグナーガが識の自証分は現量であると決めたんだから多分阿頼耶識も同じで自証分だと思いますがw
思いますがというのは承知と思いますがディグナーガは六識説で阿頼耶識を立てなかったため