唯識を学ぶスレッドat PSY
唯識を学ぶスレッド - 暇つぶし2ch267:神も仏も名無しさん
20/11/13 13:10:15.37 vhoSYduu.net
>>265
その縁起も阿頼耶識によるものでしょ
阿頼耶識が生み出した種子の中に阿頼耶識を否定する種子が蔵されてそれが現行していると
そうすると阿頼耶識は本性として自己否定の性があるわけだw
一切唯識だとそうなるわな

268:神も仏も名無しさん
20/11/13 13:12:08.55 MOk9Rbvu.net
>>267
もうすぐ阿頼耶識縁起が出てきますので しばしお待ちください。

269:神も仏も名無しさん
20/11/13 13:14:59.03 MOk9Rbvu.net
阿頼耶識は不可知なので、
不可知な阿頼耶識について肯定にしろ否定にしろ
関与する種子はありえないのでは?

270:鹿野園
20/11/13 13:16:43.80 JIWWVYYO.net
>>267
阿頼耶識は種子の貯蔵庫でしょ?
その種子が展開(原稿)するのが他の七識な訳で。
>そうすると阿頼耶識は本性として自己否定の性があるわけだw
本性というか、そうした種子が蔵されてるだけでしょ。

271:神も仏も名無しさん
20/11/13 13:25:57.13 vhoSYduu.net
>>270
後付けの本有種子かいな?
まあ阿頼耶識自体が部派仏教の種子説の欠点を補うために生み出された後付けの概念なんだけどねw

272:鹿野園
20/11/13 13:26:13.29 JIWWVYYO.net
種子っていうのは行動可能性って事ですからね?
現行しない限りそれは可能性って事なんです。

273:鹿野園
20/11/13 13:26:45.93 JIWWVYYO.net
>>271
それがどうかしましたか?

274:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 13:27:22.93 ft6ZcGBL.net
>>270
唯識と空は完全には一致しませんw
唯識はあくまでも仮設ですw

275:神も仏も名無しさん
20/11/13 13:28:53.84 vhoSYduu.net
>>273
唯識は全て人の頭で考えられた理屈
基になるのは阿頼耶識ではなく人間

276:鹿野園
20/11/13 13:32:29.72 JIWWVYYO.net
>>275
www
まさに唯識じゃありませんか?
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

277:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 13:36:03.87 ft6ZcGBL.net
>>276
そのレスで考察すると、阿頼耶識が汚すぎるから。
実践できない仏教知識という点で、大山くんは失格してるんだよ。

278:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 13:36:49.73 ft6ZcGBL.net
>>276
君の行いは招魂。
日本人は鎮魂です。

279:鹿野園
20/11/13 13:43:52.97 JIWWVYYO.net
そもそも唯識思想は阿頼耶識を根本識として据える思想として成立したんでしょ?
何をどうすれは意識中心だの人間中心だのになるのかなぁ?
教えて、エロい人w

280:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 13:50:31.37 ft6ZcGBL.net
>>279
言語で(に)生きているからです。

281:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 13:51:18.79 ft6ZcGBL.net
>>279
訓戒に気を配りなさい。

282:神も仏も名無しさん
20/11/13 13:55:46.68 vhoSYduu.net
>>279
思想として成立
という言葉に答えは出てますね

283:鹿野園
20/11/13 14:25:14.67 /pTonZV7.net
>>282
であれば唯識思想は阿頼耶識を根本識として中心に据える思想としてなんの問題もないなぁ。

284:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 14:29:05.62 ft6ZcGBL.net
>>283
読解力無いなぁ…
思想で片付けるなら、本論とは外れてますよってこと。

285:鹿野園
20/11/13 14:40:19.42 /pTonZV7.net
唯識思想は頭の中で考えられた理屈?
そりゃそうでしょw

 >基になるのは阿頼耶識ではなく人間
も頭の中で考えられた理屈でしょ?
それとも別なかなぁw

286:鹿野園
20/11/13 14:46:28.00 /pTonZV7.net
人間っていうのもその思想の中でカテゴライズされた事じゃないのかなぁ?
なんの文献かは忘れたけど、ローマ時代の航海日記にオランウータンを人間としていた記事があったとか記憶してるけどなぁ?
人間ってなんですかぁ?
アポーハ論では言葉は他の否定、つまり人間とは人間以外の否定って事になるけど、それ、循環論法だよなぁ。
www

287:神も仏も名無しさん
20/11/13 16:44:00.68 sx9bhqzv.net
たとえば、今まで悪にいそしみ汚れた人生を楽しんでいたものがある時を境に清いことと行いを楽しむようになるという良い変化が生まれるのでしょうか。
すべてが新薫種子であるのみなら、汚れた心と生活からは清いものは出てこないはずです。
そこで本有種子というものがもともと阿頼耶識には備わっているのに違いないと考え出されました。
悲しい人間界の極悪非道にも救いがあるとしたのです。
それは本来的に、深層の阿頼耶識の中に良い種子も持っているとしたのです。
それがある心の段階に至ると汚れのない心や知恵を生み出すとされたのです。
玄奘三蔵が師とあおいだ護法(ごほう)法師は新薫種子と本有種子の両方を認めました。
もう一つ、宗教的素質は各人によってなぜ異なるのかという問いがあります。
これも法相宗(唯識宗)の立場からは、本有種子の中に能力を異にした種子があるからということになります。(五性(五姓)格別)
私達凡夫の心はすべて有漏(うろ)種子という汚れた心から生じた世界であると私の経験上からもよくわかります。
「唯識とは何か/法相二巻抄を読む」横山紘一、著、春秋社、2005年
URLリンク(ganda-ra602.cocolog-nifty.com)

288:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 18:27:43.02 FBRTRJE1.net
>>236
ありがとうございます。
読んでみますね。

289:神も仏も名無しさん
20/11/13 18:32:53.04 6BM4TiKK.net
犬山マーキング上げ

290:神も仏も名無しさん
20/11/13 18:50:11.74 /pTonZV7.net
ですから、何度も言ってますけど、でおーの様な知育障害は健常者と対等な議論は出来ないし、議論にハンディキャップは付けられないんです。
そうした方はバカムイの様に隔離スレを立ててそこでシコシコとオナニーしてて下さい。
出しゃばらない限りお仕置きはしませんから。
ここから出て行きなさい。

291:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 18:50:49.78 FBRTRJE1.net
>>236
URLリンク(www.google.com)
を、読んでみましたが、「唯識が伝えたいこと」とは違いますね。
唯識の実践は現行を逆算し、種子を知る・戒める ですから。
唯識が伝える「構造」と似てはいますが、それによって何がしたいか、何を行うべきか、については全然別物だと思います。
ちょっと今更感ありますね。

292:神も仏も名無しさん
20/11/13 19:02:28.89 vhoSYduu.net
>>285
人間の頭の中で考えられた理屈だから基になるのは人間ということです
それとも「人間の頭の中で考えられた理屈」という認識すらも阿頼耶識に蔵された種子の現行だとでも?w

293:神も仏も名無しさん
20/11/13 19:12:22.86 vhoSYduu.net
>>287
こちらも追加で
大乗成業論
説一切有部を始めとして、部派仏教では業を実体視して身・口の表業を色法(物質)とし、業を持続させている潜在的な働きとして物質的な無表業、もしくは不失壊法などの原理を立てる。
世親は、このような実在論的な考えを批判し、「思」が働くことによって薫習され、その力によって相続転変して業の果が生ずる、とする。
この主張は、経量部が色心の相互薫習の説によっており、未だ実在論的な傾向が残っている。
そこで、世親はさらに唯識説における異熟識(阿頼耶識)を説いて、経量部の説は唯識説に帰着することを論証している。
さらに、諸派の議論を批判して、最終的に業は阿頼耶識の薫習力の相続転変によって成立すると論証している。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
要するに阿頼耶識や末那識(大乗成業論の頃はは阿頼耶識と末那識は未だ分離されてなくて阿陀那識という名の根本識だったと思ったが)は禅定で見つけたのではなく
思考による理論であり概念であるということです

294:鹿野園
20/11/13 19:20:57.61 /pTonZV7.net
>>292
>人間の頭の中で考えられた理屈だから基になるのは人間ということです
だから、なんの基なの?

295:神も仏も名無しさん
20/11/13 19:25:34.71 Wq++VJDN.net
犬山の唯識は、犬山の創作であることは保証できる笑

296:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 19:27:08.50 FBRTRJE1.net
>>294
犬。
認証されなかったから、といって噛みつくな。

297:神も仏も名無しさん
20/11/13 19:29:41.29 vhoSYduu.net
>>294
理屈

298:神も仏も名無しさん
20/11/13 19:40:57.76 /pTonZV7.net
唯識思想は阿頼耶識を根本識として中心に据える思想としてなんの問題もないでしょ。

299:神も仏も名無しさん
20/11/13 19:41:39.31 /pTonZV7.net
ですから、何度も言ってますけど、でおーの様な知育障害は健常者と対等な議論は出来ないし、議論にハンディキャップは付けられないんです。
そうした方はバカムイの様に隔離スレを立ててそこでシコシコとオナニーしてて下さい。
出しゃばらない限りお仕置きはしませんから。
ここから出て行きなさい。

300:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 19:42:08.88 FBRTRJE1.net
>>298
犬。
コテ忘れとるで?

301:神も仏も名無しさん
20/11/13 20:00:01.63 SfXbj6F5.net
アフォなんとかのスレの心理学説は全然説得力を欠くが、もし少しでも騙される人がいるとすれば、それは多義の虚偽のせいであって、
「言語」という名辞の定義が曖昧だからである。

302:神も仏も名無しさん
20/11/13 20:23:47.78 SfXbj6F5.net
本来の言語の意味でないのははっきりしてきたね。
では何なのか?空海「声字義」などの「文字」か? 聖書の「言」か?
どうやら洗脳のための暗示らしいが、それ一体
何の為?

303:神も仏も名無しさん
20/11/13 20:36:26.10 SfXbj6F5.net
今日は13(金) だけども
ひょっとして、その「言語」が
示すものって、ミロク
=666?

304:神も仏も名無しさん
20/11/13 22:15:14.16 SfXbj6F5.net
もし人間が性教育をまったく受けなくてもセックスはできるのでしょうか? という質問
に対して、「本能があるからできる」と答えてた人が結構いましたが、それは
人から聞いたり情報を得るからであって、動物と同じ意味での生得的本能は壊れており、
それは言語に依存してるから。

305:神も仏も名無しさん
20/11/14 00:03:32.86 +uNDEbxj.net
精神病院に行きなさい。
www

306:神も仏も名無しさん
20/11/14 00:04:42.19 +uNDEbxj.net
**********************
      このスレは終了しました。
**********************

307:神も仏も名無しさん
20/11/14 00:05:54.84 +uNDEbxj.net

すみません、誤爆です。

308:神も仏も名無しさん
20/11/14 04:59:53.22 gaRi/a9i.net
人は教育されないと何もできない というのは本当だと思います。
むかし、新婚カップルが新婚旅行にいき、エッチができなくて帰国後成田空港で離婚に到ったケース等がよく発生し、
話題になっていたのを目にした記憶があります。宗教的問題と関わる事柄でもないので詳述しませんが、
しかし、動物たちが教えられなくても高度な集団行動ができるのに対し、
ヒトは学ばないと成熟した協調的行動ができないし、また知識を多く詰め込んだ人ほど
他人との協調性を欠く性質が強くなり、上手な集団行動ができなくなることもあるので、
識というものを考える上で、何か関係するような気もしてきています。
また『入社して2年目なのに、わからないことがあっても自分から聞いてこなくて「指示待ち」の後輩。いったいどう指導したらよいのか悩む』
投稿が話題になってたのを見ても、女性に対して「指示待ち」の新郎もいるかも と思いました。
自分がいた会社は大企業でしたが、製品開発上の技術的設計仕様をクライアントと打ち合わせする時、
わかってる筈だから細かいことは聞くな という態度の担当者に当たったことがあり、
苦労した経験のある者としては、驚くべき風潮に感じられます。

309:神も仏も名無しさん
20/11/14 06:10:19.63 xZyYB7K5.net
恥知らず犬山オモロイわ上げ

310:神も仏も名無しさん
20/11/14 06:46:24.12 gaRi/a9i.net
>如来蔵思想の根拠は
増支部の「比丘たちよ、この心は光り輝いている。
ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れている」にあるようです。
唯識で問題にされるのは、勿論今生での識の穢れで、それを浄めることが課題になるのですが、
それとともに、過去から引き継いだ根本原因も問題にされていたと思います。
一つの見解ですが、
人は転生すると(殆どの人は)一旦、記憶が全てクリアされます。
中には幼児までは前の記憶が残ってたという方もいますが、早期に消えてしまうと聞きます。
一旦初期化されるのに
自性清浄である筈の識に客塵がまた引き寄せられてしまう因は、習化とか因縁とか
言われるものでしょうが、、それを唯識では、阿頼耶識の種子などと呼んでいるのだと思います。
それら客塵煩悩まで浄めて、人生をより良いものに改善し、仏に近付いて行くのが瑜伽行と言えるでしょう。

311:神も仏も名無しさん
20/11/14 08:34:59.91 uOaJ9RKb.net
犬山発狂上げ

312:神も仏も名無しさん
20/11/14 09:35:27.18 gaRi/a9i.net
>>304
阿陀那識は無意識全体を指し、
末那識とは自己所有の妄想を起こす素になる無意識の領域と
仮定すれば、動物にもあると思われますし、それが縄張り争いの原因になると
思われます。
犬の散歩をしてる時、犬同士の大変な吠え合い、いがみ合いが発生して
飼主が大変な思いをすることがありますが、あれはおそらく
犬は同種の中でその場所は俺様の占有地であり領土なのだから他のものが侵害するのはあってはならない
とでもいった自己所有の念の表出ではないかなと想像します。

313:神も仏も名無しさん
20/11/14 09:40:30.85 gaRi/a9i.net
人間みたいな言語的な概念が充満する「意識」は
動物にはないであろう、というのは
言葉を持たず、意味を理解しないことから同意できますが、しかし彼らも、音声から
(自分が呼ばれてるとか)聞き分けることはします。

314:神も仏も名無しさん
20/11/14 12:21:30.15 Vf/mPhZL.net
犬山燃えろ上げ

315:神も仏も名無しさん
20/11/14 12:40:58.35 gaRi/a9i.net
本能が壊れ  だけでググっても、沢山でてきます。
今や常識なんですね。
無意識を知ろう
その第一番目は、本能ですが、
人間の本能は壊れている・・という話から
URLリンク(act.o.oo7.jp)
>彼らには、
もともと思考という意味での意識はなく、
すべてが無意識ですから、
彼らの『生』=『無意識的』=『本能的』
と云えるわけです。

316:神も仏も名無しさん
20/11/14 20:30:07.38 uOaJ9RKb.net
犬山蹴りまくってやる上げ

317:神も仏も名無しさん
20/11/15 00:52:00.89 dZWH0hvR.net
ヒトの場合、オスが挿入ポイントの構造とかわかんなくても
メスが経験あったり知識があればデキるから、それで予め知識がなくても
デキたという錯覚をもってる可能性もあるね。 先輩に誘われてとか、
初回がそういうのだったケースも多いんかな? それでわかんなくてもできる
と言ってるのがいるのか知らんけど、本能でデキたという事じゃない。
で問題なのは、ヒトの性的行動の場合、生殖が目的ではなく、現代ではただの快楽目的の遊戯とか
性欲を満足させることだけのためにされる場合があることで、またここで関連してくるのは、
言語的、文化的社会的要因によって、本来は性欲の対象にはなり得なかった相手を対象とするような
倒錯的行動に走るものが出て来たということ。

318:神も仏も名無しさん
20/11/15 00:58:39.20 dZWH0hvR.net
そうした倒錯的傾向として、マニアックな変態的傾向があるもの、同性愛、小児性愛などがある。
最近でもNhkのディレクターが児童ポルノ法違反で逮捕されたニュースを目にしたが、何かと話題に上る小児性愛を考える。
何年か前の田舎の小学生女児誘拐犯の供述によると、犯行の動機として
「アニメの世界を現実化したかった」的なことを犯人が言ったようである。その事件は殺人ではなく、結果的に被害女児も
保護された事件なので、その程度の言い訳ですまされたともとれるが、それが正直な自白であったとすれば、
犯人は、アニメという二次元の言語的虚構に基づく教唆に誘導され犯行に及んだと言えなくもない。
アニメというイメージは、元を正せば現実にない空想を素材に言語的に構築された虚構であり、
決して現実には存在しない妄想でしかない。
その妄想への執着を形有るもののように実体化させようとする邪念、情熱がそうした小児性愛行動を生むということであり、
元を正せば、オタク文化などの言語的活動が背景にあり、言語的イメージによって性欲が刺激され、また発現の仕方が歪められてもいる。
つまり、性的倒錯者には、実際の対象には無い、二次元の紙面上や画面上で展開されたイメージへの偏愛とか執着が
まず先にあり、(現実から遊離した)言語的に構築されたイメージを現実の対象に投影してるということなのだ。

319:神も仏も名無しさん
20/11/15 06:15:42.17 cShfdka2.net
犬山倒錯上げ

320:神も仏も名無しさん
20/11/15 06:57:57.65 pj8gRIcO.net
狂ってる。

321:神も仏も名無しさん
20/11/15 07:00:39.12 pj8gRIcO.net
頭がおかしい、

322:神も仏も名無しさん
20/11/15 08:58:25.94 xZCRZNuJ.net
反省

323:神も仏も名無しさん
20/11/15 09:39:55.05 g8nn3C4F.net
阿頼耶識思想の形成について
URLリンク(otani.repo.nii.ac.jp)

324:神も仏も名無しさん
20/11/15 11:32:58.23 3Rj5SeJ4.net
幼児性鹿野園上げ

325:神も仏も名無しさん
20/11/15 12:55:24.13 GzeQrVgh.net
ですから、何度も言ってますけど、でおーの様な知育障害は健常者と対等な議論は出来ないし、議論にハンディキャップは付けられないんです。
いるだけ無駄ですから。
そうした方はバカムイの様に隔離スレを立ててそこでシコシコとオナニーしてて下さい。
出しゃばらない限りお仕置きはしませんから。
ここから出てお行きなさい。

326:神も仏も名無しさん
20/11/15 13:37:44.91 v6LLiWWD.net
>>144
■阿頼耶識のあり方(行相AkAra)
→阿頼耶識が「執受」と「処」を対象として、識(心)にそれを権限させている。
そして「執受」と「処」とが『不可知』であると説かれる
A.『成唯識論』は、【微細】だから『不可知』と説き
B.安慧は、阿頼耶識内部で働く認識作用の一々を知ることができないから『不可知」と説く
「執受」upAdAna…普通は「取」と訳される。強い自己生存要求と自己保存の自我意識を
         持った執着が「取」。
         『成唯識論』は、これを「相と名と分別の習気」と解釈。
         言語化される対象が相で、名を付与することで、事物の認識である
         分別が生じる。それが更には阿頼耶識に種子として蓄えられる
「処」sthAna…場所や領域のこと。ここでは物質的な環境世界のこと

327:神も仏も名無しさん
20/11/15 14:14:24.92 i/m4J6GI.net
仮面外すと幼児性鹿野園丸出し上げ

328:神も仏も名無しさん
20/11/15 15:30:21.46 tkKgiBu+.net
アホーざんす

329:大山唯識講座
20/11/15 16:41:26.17 VWLm6lOf.net
102鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 14:54:05.65ID:WQ7EggsI
キチガイどもが煩いので、阿頼耶識が現量である事について考えてみよう。
勿論、猿には理解できない事は百も承知で書く。
取り敢えずスクラップ。

☆阿頼耶識の異熟性(善・不善業 → 無記化)
☆阿頼耶識(観心覚夢鈔、八門分別)
  釈名(由来)   ~ 能蔵、所蔵、執蔵
  所縁(対象)   ~ 種子、五根、器世間
  仮実(存在性) ~ 別種所生
  性類(判断)   ~ 無覆無記
  界?(所属)   ~ 欲界・色界・無色界
  所依(由来)   ~ 末那識
  三量(認識)   ~ 現量
  心所応相    ~ 五つ(触・作意・受・想・思)
☆現量
  直接知覚。現前にある対象の非言語的な認識。
  ”任運にして無分別なり”
  ”諸分別の行解を離れて任運の境の事相に敵う”
  ”境に任せて任せてこれを縁ずる”
 

 >八識のうちで前五識と第八阿頼耶識は常に現量である。
 >なぜなら前五識すなわち五感覚は言葉を起こすことは出来ず対象をあるがままにとらえるから、
 >また、阿頼耶識は深層の領域で任運に無分別にはたらく心であるからである。
 >(唯識とはなにか 法相二巻抄を読む 横山紘一)

330:大山唯識講座
20/11/15 16:41:52.33 VWLm6lOf.net
103鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 15:49:11.82ID:WQ7EggsI
触・作意・受・想・思 ~ 遍行の心所(八識がはたらくとき、常に作用してる心所)
捨受 ~ 苦楽の感受はない(=非苦・非楽の感受がある)
阿頼耶識の見分・相分(身体と環境(器界) = (それ自体は)無記)
阿頼耶識の種子は、阿頼耶識自体から生じる(阿頼耶識内の種子が現行する=相分として顕れる)
104鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 16:11:34.57ID:WQ7EggsI
見分 ~ 現量・比量・非量
自証分・証自証分 ~ 現量 (→観たものを確認するので)
境に似たる相は所量なり(成唯識論)
>初阿頼耶識 異熟一切種
>不可知執受 処了常与触 
>作意受想思 相応唯捨受
>是無覆無記 触等亦如是 
>恒転如暴流 阿羅漢位捨

331:大山唯識講座
20/11/15 16:42:28.04 VWLm6lOf.net
105鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 16:28:57.93ID:WQ7EggsI
阿頼耶識 = 無覆無記 = 現量 って事も理解できない猿どもwww
106鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/07/17(金) 16:42:59.38ID:WQ7EggsI
現前にある対象の認識が相分と呼ばれており、その認識に言語に依る分節が伴えば比量、或いは非量となり、伴わなければ現量となる。
ところで阿頼耶識の相分は、阿頼耶識自身の種子から生じた身体(有根身)と環境(器界)とされており、そこに言語に依る分節は介在しない。
当たり前だけどw
故に阿頼耶識は現量。
猿の分かる事ではない。

332:大山唯識講座
20/11/15 16:43:03.51 VWLm6lOf.net
107鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 19:57:37.68ID:WQ7EggsI
阿頼耶識や前五識は、任運にして無分別であって境の事相を得する。
つまり、性境であって種子から実際に現れたものである。
これに対して意識は独影境や帯質境。
阿頼耶識の相分は、種子、有根身、器世間であっていずれも阿頼耶識自身の種子から生じた相分。
108鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 20:17:19.37ID:WQ7EggsI
性境(相分)~見分とは別の種子から生じる
 阿頼耶識が縁ずる五根・器世間・種子
 五識の相分
 五具の意識の相分
 無分別智が縁ずる真如
独影境~見分と同じ種子から生じる、本質の無いもの(ex:兎の角・カメの毛)、遍計所執性
 第六識が無法を縁ずる時の相分
 第六識が仮法を縁ずる時の相分
 第八阿頼耶識に相応する心所の相分
 
帯質境~相境ではあるが第六識の意識の分別力が絡み錯覚したもの
 第七末那識が第八阿頼耶識の見分を縁ずる場合の相分
 第六識が非量するときの相分

333:大山唯識講座
20/11/15 16:43:39.28 VWLm6lOf.net
109鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 20:51:31.86ID:WQ7EggsI
無分別 自相を(直接知覚=現量によって)得する
分別 共相を(言語による分節=比量・非量によって)得する
110鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 20:56:49.83ID:WQ7EggsI
仮有に実法と仮法があり、実法(現量)は見分と相分が別種所生であり、仮法(比量・非量)は同種所生であり、それは意識の分別力によって作り出された影像である
111鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 21:32:47.35ID:WQ7EggsI
唯識の説によると、此の世の存在を構成する有根身(我、有根身、身体)と器界(法、外界、環境)は、阿頼耶識の種子から生じるとされているんです。
勿論、阿頼耶識という実体がある訳ではないので、此の世の存在は仮有であると言えるでしょう。
ところで、仮有には実法と仮法があって、実法(現量)は見分と相分が別種所生(性境)であり、仮法(比量・非量)は同種所生(独影境、帯質境)であり(末那識や意識の)分別力によって作り出された影像であるとされています。

334:大山唯識講座
20/11/15 16:44:22.12 VWLm6lOf.net
112鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 21:50:39.81ID:WQ7EggsI
で、阿頼耶識が現量でないと想像してみましょう…
余程の馬鹿でない限りそれがどういう事か分かりますよねwww
113鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 22:00:24.03ID:WQ7EggsI
境に任せてこれを縁ずる。
行動可能性としての種子を蔵する阿頼耶識の種子が、所縁に触れて(=任運)現行するんです。
阿頼耶識に何かしらの意思があって種子が現行するのではないんです。
それ故に ”任運にして無分別なり” なのです。

縁に触れて現行するのですから、そこにタイムラグはありません。
つまり、時間が介在する事がないといえるでしょう。
時間の介在なしに ”諸分別の行解(=言語による分節)” は当然に在りません。
ひいては、無分別って事であり、現行された相分が直接知覚されるって事です。
それ故に ”諸分別の行解を離れて任運の境の事相に敵う” という事なのです。

…馬鹿猿の理解する処ではありませんwww

335:大山唯識講座
20/11/15 16:45:14.13 VWLm6lOf.net
114鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 22:12:18.54ID:WQ7EggsI
補足しましょう。
所縁に触れて(=任運)、此の世の存在を構成する有根身(我、有根身、身体)と器界(法、外界、環境)という種子が現行するんです。
その現行されたものが見分(主観)と相分(客観)とその主客の認識(自証分、証自証分)によって ”認識” されるんです。
比量・非量は同種所生であって、見分と相分が分析されること無く(=種子が見分と相分の2個ではなく)、見分から相分を産み出す故に独影境であり、遍計所執性なのです。
115鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 22:14:49.74ID:WQ7EggsI
で、阿頼耶識が別種所生でないと想像してみましょう…
余程の馬鹿でない限りそれがどういう事か分かりますよねwww
116鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 22:19:32.63ID:WQ7EggsI
見分(主観)から相分(客観)を産み出す故に独影境であり、遍計所執性なのです。
要するに客観性がないって事です。

336:大山唯識講座
20/11/15 16:45:57.92 VWLm6lOf.net
117鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 22:21:04.98ID:WQ7EggsI
円成実性・・・・実有
依他起性・・・・仮有~実法、仮法
遍計所執性・・畢竟無~無法 

仮法~存在はしなくとも想像上存在するもの(ex:兎角亀毛)
無法~決して存在しないもの
118鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 22:21:42.02ID:WQ7EggsI
円成実性・・・・実有
勿論、空であり空性って事です。
119鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 22:58:42.97ID:WQ7EggsI
阿頼耶識はいわゆるこの世の存在(我・法)を産み出してそれを同時に認識する。
その認識が現量でなければ…
余程の馬鹿でない限りそれがどういう事か分かりますよねwww
120鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/07/19(日) 17:59:54.40ID:q4n3a1WX
心によって造られているものが刹那生滅しているというよりも、その心が刹那生滅しているって事。

337:神も仏も名無しさん
20/11/15 17:20:25.75 ffudToJ7.net
>円成実性・・・・実有

実有?
あたま、おかしいぞ笑
俺なら、物事が明らかに見え判断できる四智の境地やろ

338:神も仏も名無しさん
20/11/15 17:23:01.97 ffudToJ7.net
鹿野園は、不用意な知識、言葉で意味不明と化しているな笑

339:鹿野園
20/11/15 17:53:55.03 guWdmgaV.net
wwwwwww
ハゲは唯識挫折して俺の解説をコピペか?
てを抜くなよw

340:神も仏も名無しさん
20/11/15 19:34:17.64 DJbKTnWq.net
スレ主は結局唯識が分からなくて途中で挫折して投げちゃつたみたいだね。
チャレンジ精神は認めるけど、やっぱり中卒には無理ですよ、唯識は。

341:鹿野園
20/11/15 19:36:12.69 guWdmgaV.net
wwwwwwww
毛は抜けても手は抜くな、ハゲw

342:神も仏も名無しさん
20/11/15 19:55:30.42 DZ+Tr5MH.net
天下唯我独尊

343:神も仏も名無しさん
20/11/15 21:55:45.46 v6LLiWWD.net
>>144
>>326
について言及できないのであれば、ゆっくり待ちなさい

344:日本鬼子@2ch覚者
20/11/16 00:46:04.28 EdbX9VwH.net
>>340
煽る必要性が解らん。

345:神も仏も名無しさん
20/11/16 06:18:29.14 gtApjX/v.net
>>144
不可知の執受と 処と了となり常に触と
作意と受と想と思と 相応す唯し捨受のみなり
阿頼耶識は、
第一に「執受」upAdAnaであると書かれている。これは「取」の異訳であり、煩悩のことだ。
第二に「処」sthAnaの「了」であると言われる。世界を認識することだ。
第三に常に触と作意と受と想と思という認識作用が伴うという
最後に捨受のみという。五受のうち他は苦楽とか憂喜などの感情を伴うが
   感情を伴わない「受」を「捨受」というらしい。

346:神も仏も名無しさん
20/11/16 06:22:27.55 gtApjX/v.net
阿頼耶識は、まずもって私という煩悩であり、
世界を自分以外のものとして対象化し分別して認識する。
但し、その認識に阿頼耶識の段階では感情を持たずピュアな認識である
というところか。

347:神も仏も名無しさん
20/11/16 06:51:45.01 gtApjX/v.net
第四偈 是無覆無記 觸等亦如是 恒轉如暴流 阿羅漢位捨
    是れ無覆無記なり 触等も亦是の如し
    恒に転ずること暴流の如し 阿羅漢の位に捨す
    upekSA vedanA tatrAnivRtAvyAkRtaM ca tat/
tathA sparSAdayas tac ca vartate srotasaughavat//
a.その場合に、それは捨受であり、無覆無記である。触などもまたその如くである。
 それはまた暴流のような流れである。
b.それ[阿頼耶識]における感覚的対象受容は[快不快を伴わない]中立的なものである。
 そして[阿頼耶識]は、それ[自体]は[煩悩に]覆われておらず、[倫理的には善・悪に対して]
 価値中立である。触など[の五つの心的作用]もまた同様である。そしてそれ[阿頼耶識]は
 暴流のような流れとなっている。
難解なのは、阿頼耶識を先の第三偈で第一に「執受」(取=煩悩)と押さえつつも
「捨受」(無感情)と付記し
第四偈で無覆無記。つまり煩悩に覆われていないと言いつつも
同時に「暴流」だと言う。「暴流(ぼる)」とは煩悩の激しさの事だ
upAdAna(取)を玄奘は「執受」と訳した。
世親のupAdAnaに意味の改変を見たのであろう。

348:神も仏も名無しさん
20/11/16 07:00:53.37 luJEuuR1.net
アホーざんす

349:鹿野園
20/11/16 08:53:14.58 Mz5QNFjq.net
識転しながら心相続する種子だからだろw
コピペばかりでなく頭をはたらかせろよw

350:神も仏も名無しさん
20/11/16 10:09:23.78 3gDt3Gxy.net
>>349
識転って、転識の言い間違いか?
それともなんか別の意味があるの?
心相続というのは、刹那滅しつつ連続しているという概念だが
その主体はプトガラだとある部派が建てて、さんざんに叩かれたが
唯識派は一般的に、心相続の背後で阿頼耶識が働いているという立場だが?
種子が姿を変えながら連続しているから、取を執受を訳したのかね?
意味不明だが。
あるいは以下のような『成唯識論』の立場から先取りして「種子」と
言い出しているのかね
『成唯識論』に「執受有ニ謂諸種子及有根身」とあることは>>252で紹介したが
「執受に入る種子は五纏種子といってよくその中で肉体として現行する色根を同時に
執受する。その種子より七転識を現行する。現行において第七識が全体としての
依止識であり、アラヤ識はこれを支持する。その識の中で、六転識が働き、色根が肉
体として明確になってくる」(真田英範『成唯識論における種子と根について、執受の考察を通して)
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)

351:鹿野園
20/11/16 13:00:58.45 Mz5QNFjq.net
>>350
またゴタゴタかよw
テキストの棒読みで中身カラッポなんだよw
>第四偈で無覆無記。つまり煩悩に覆われていないと言いつつも
当たり前だろ、種子なんだからw
>同時に「暴流」だと言う。「暴流(ぼる)」とは煩悩の激しさの事だ
当たり前だろ、途切れないで他の七識の様々な世界が次次と展開するのだから。

あなたのキリスト教の理解もそうだけど、棒読みなんだよw
突っ込んで読んでないの。
行間を読んでないの。
……アホなのw

352:鹿野園
20/11/16 14:10:49.79 YZSaS9ar.net
>>347
>同時に「暴流」だと言う。「暴流(ぼる)」とは煩悩の激しさの事だ

"煩悩の激しさ"では無い。
無限の過去から連綿と激しく識転している様を形容して言ってる。

353:神も仏も名無しさん
20/11/16 14:16:19.31 gtApjX/v.net
>>351
>種子なんだから
違います。「受」が「捨受」だからです
>途切れないで他の七識の様々な世界が次次と展開するのだから
いやいや刹那滅なの途切れる。途切れるが、常に変化しつつ連続しているので
aughavant(奔流のように)と世親が書き、暴流と玄奘が訳したそうだ。
煩悩ではなくて「流れ」だそうだ。

354:鹿野園
20/11/16 14:31:30.09 YZSaS9ar.net
>>353
>違います。「受」が「捨受」だからです
www
それが種子だろ、アホかw
>>353
>いやいや刹那滅なの途切れる。途切れるが、常に変化しつつ連続しているので
だから、相続って先に書いてるだろ?
アホw

355:鹿野園
20/11/16 14:34:16.97 YZSaS9ar.net
なんかダメだなぁ?
唯識三十頌について別スレを立てて、そこでちゃんと解説する他ないのかなぁ?
面倒だし時間ねーしw

356:神も仏も名無しさん
20/11/16 14:35:43.02 gtApjX/v.net
3) <受>は五つに分けられ、<五受>という。
(a) ①苦受、②楽受 …感覚的、身体的反応
(b) ③憂受、④喜受 …感情的、精神的反応
(c) ⑤捨受 …身心の反応を共通に含む(空)
URLリンク(www.yuishiki.org)
基本から頑張り

357:鹿野園
20/11/16 14:38:37.66 YZSaS9ar.net
まぁ、これが一番コスパがいい。
唯識とはなにか-唯識三十頌を読む
-角川ソフィア文庫
-多川俊映
キンドルで700円くらい。
分かり易い。
ハゲのゴタゴタは全然ダメだわw

358:鹿野園
20/11/16 14:39:35.02 YZSaS9ar.net
>>356
だから、それは単語の解説で疑義点の説明じゃないだろ?
アホw

359:鹿野園
20/11/16 15:24:00.93 YZSaS9ar.net
田舎道を歩きスマホしながらレスをしてる俺に瞬殺されてる自宅で本の山に囲まれながらレスをしてるハゲw
多少なりとも知識人が身に付いているというのは、こういう事な。

360:鹿野園
20/11/16 15:24:27.94 YZSaS9ar.net
訂正
田舎道を歩きスマホしながらレスをしてる俺に瞬殺されてる自宅で本の山に囲まれながらレスをしてるハゲw
多少なりとも知識が身に付いているというのは、こういう事な。

361:神も仏も名無しさん
20/11/16 15:45:08.22 Mc+fv6ko.net
鹿野園、スーパーでお菓子を買ってくれないママに絶叫反抗する幼児性状態ナウ


362:鹿野園
20/11/16 16:43:45.83 YZSaS9ar.net
それが知育障害の目一杯のルサンチマンなんだね?
www

363:神も仏も名無しさん
20/11/16 17:41:31.52 Q6BFX+QM.net
鹿野園の永久情けない大人の幼児性の反抗の穴蔵から今日もレスするのであった。

364:神も仏も名無しさん
20/11/16 17:58:52.13 gtApjX/v.net
『唯識とはなにか-唯識三十頌を読む』
-角川ソフィア文庫-多川俊映
大山君向きだね。頑張り。一般向けの現代語訳だものね。
ただ漢訳からの重訳で、多川さんは立命館の心理学卒で
仏教学の素養はゼロだが、法相宗は『成唯識論』の伝統がある。
法相の伝統と多川さんの解釈を味われて下さい。
我々は
廣澤隆之 「『唯識三十頌』を読む」 TU選書1900円+税を学びます。
サンスクリットも確認する仏教学者ならではですので。

365:神も仏も名無しさん
20/11/16 18:43:20.22 KMqkfu6y.net
>>357
その本には阿頼耶識は現量であるとしかと書いてあった?(笑)

366:神も仏も名無しさん
20/11/16 20:00:45.00 gtApjX/v.net
>>347
■anivRtAvyAkRta(無覆無記)
・anivRta(無覆)…接頭語a-(否定)
 +「ni(内へ、下へ)+動詞vR(覆う、隠す)」の過去分詞形nivRta(隠された、覆われた
 妨げられた、遮られた)
ややこしいが否定接頭語nir-+vRの過去分詞語尾ta=nirvRtaは涅槃を意味する。
nirvANaと同じ意味となる。
それでnivRtaは「心を覆うもの」=煩悩を意味する。
それが接頭語a-(否定)で否定されている。
阿頼耶識は、執受であるが捨受であるから、無覆無記であると説かれる。
とても重層的立体的だ。
つまり阿頼耶識は、
1.自分という意識を持つ煩悩なのであるが、
2.苦楽・喜憂に左右されず、善悪にも無記であるのでビュアな感受それ自体なので
3.煩悩に覆われていず、善悪中立的である
としているのである。
これは先行する『解深密経』で>>141
阿陀那識(執持AdAna-vijNAna)を根底に置いたに対応し、
阿頼耶識を(執受upAdAna)と押さえつつ、>>326
煩悩側面を末那識に移管し、その下に無垢識である阿頼耶識を置いたために
複雑になったのであろう。

367:鹿野園
20/11/16 20:26:47.94 YZSaS9ar.net
>>366
wwwwwwww
ワザとデタラメ言ってるんだろ?

368:福音伝道
20/11/16 20:34:41.06 gtApjX/v.net
ちなみに『成唯識論』では阿陀那識=阿頼耶識である
「第八識、雖諸有情皆悉成就、而随義別立種種名。
‥‥或名阿陀那。執持種子及諸色根、令不壊故。」〔『成唯識論』3,T31-13c〕

369:鹿野園
20/11/16 20:45:40.65 YZSaS9ar.net
なんだかこのスレ、ハゲがどの位唯識を理解したか採点するスレになったなぁw
それにしても出来の悪い生徒というか、アホだわ。

370:鹿野園
20/11/16 21:07:37.83 YZSaS9ar.net
"俺はこんな事も知ってるから間違ってないぞー、馬鹿じゃ無いんだぞー、正しいんだぞー"
これがハゲ。
問題に対する事実・見解を淡々と述べればいいのに、余計な事に触れて明後日の方向に逝ってるアホ、
これがハゲ。

371:神も仏も名無しさん
20/11/17 00:41:29.25 OuuheUt2.net
転識
 潜在的な根本心(阿頼耶識)から転じて生じた顕在的な7つの識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識)をいう。現行識ともいう。
 転識と阿頼耶識とは相互に因となる。すなわち阿頼耶識は転識を生じる因となり、転識は阿頼耶識のなかに種子を植えつける因となる。
URLリンク(www.wikidharma.org)
識変
 識転変ともいう。識が変化 すること。
 『成唯識論』や『述記』『三箇疏』などに多く見られる概念。もともとは、世親が『唯識三十頌』のなかで創唱した識転変(vijñāna-pariṇāma)すなわち「すべては阿頼耶識が転変したものである」という考えに由来する概念である。
 この考えから『成唯識論』においては識変という語が確立された。そして変が能変(変化せしめるもの)と所変(変化せしめられたもの)とに分けられ、二つの関係の上にさまざまな存在が仮に設定されるという考えが成立した。
 能変は異熟識(阿頼耶識)と思量識(末那識)と了別境識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識)の3つに、所変は相分と見分の二つに分けられる。
 変とは広くは阿頼耶識が変化することであるが、狭くは「変とは謂く、識体転じて二分に似る」と定義され、八識それぞれの本体(自体分・自証分)が客観(相分)と主観(見分)とに分かれて変化することを意味する。
 この相分と見分とは三性(遍計所執性・依他起性・円成実性)でいえば心である依他起性に属し、仮に存在するもの(仮有)であり、この相分と見分の関係の上に言葉と情念が働いて、実体として存在しない(都無)が心の外に実体としてあると考えられ執着されるさまざまなもの、すなわち遍計所執性が設定される。
URLリンク(www.wikidharma.org)
成唯識論の識変の考えはダルマパーラのいわるゆドグマ

372:神も仏も名無しさん
20/11/17 08:02:56.88 oD84ePPI.net
>>347 >>366
■anivRtAvyAkRta(無覆無記)
avyAkRta(無記)…A善でも不善でもないもの。B問に対して是非を答えないもの
        玄奘はAを「無記」と訳し、Bを「不可記事」と訳し分ける
■阿頼耶識の流れ
aughavat(奔流のような)…「暴流」と玄奘が訳すが、玄奘訳『解密深経』からのコピペである
『解密深経』曰く
AdAnAvijNAnagambhIrasUkSmo augho yathA vartati sarvabIjo/
(玄奘訳)阿陀那識甚深細…一切種子如暴流
甚深にして微細な阿陀那識は、奔流のように一切種子として転じる
阿陀那識は執受と同語源で、玄奘が執受という時は阿陀那識を意識しているわけだが
阿陀那識は一切種子識であり、「奔流のように」流れていると捉えているのである。
業→(結果)→一切種子が阿頼耶識に蓄えられる→種子が現実へと転化し業となる→
業→阿頼耶識に種子として蔵され→種子が現実化し業となる
ということが、奔流の様な「流れ」のイメージとして想定されている
瞬間瞬間に生じ変化しつつ、刹那滅しているのだが、変化しつづけるという
点では川の流れのように連続しているのてある。

373:神も仏も名無しさん
20/11/17 11:16:35.97 lQ6NKYEG.net
>>354
>>違います。「受」が「捨受」だからです
>www
>それが種子だろ、アホかw
種子は捨受じゃなくて執受の方じゃね
不可知執受 處了常與觸
作意受想思 相應唯捨受

374:鹿野園
20/11/17 11:19:26.29 pt8FkBFm.net
一類相続w

375:鹿野園
20/11/17 11:23:52.20 pt8FkBFm.net
ハゲは余計にややこしくしてるだけで、要点をぜんぜん掴んで無いなぁw
単語じゃなくて周辺知識を含めた文脈で論書は読まないとダメなんだよw
Fラン大の聴講生風情が唯識とか、あんた、それ無理だよw

376:神も仏も名無しさん
20/11/17 11:29:39.31 oD84ePPI.net
一類相続というのは、
業(ある行為)が種子になり、その種子が業へと現実化する際に
善の業は、善の種子となり、善の現行となるという意味やで
善行したのに悪の種子にならんという話やで。
概念をごっちゃにせずにしっかり学ぼう

377:神も仏も名無しさん
20/11/17 11:32:38.84 oD84ePPI.net
大山君は、『成唯識論』の一般向けの概説書が正解という立場なのでしょうが
そういう本は素人向けにわかりやすくポイントを整理してますが
我々はここでやろうとしているのは、
原文の意味をこつこつと確かめながら読み解くという作業です。
ありきたりの答えは、「疑問対象」「批判対象」なのです
それが「読む」という行為です。眺めているだけでは駄目なのです

378:鹿野園
20/11/17 11:37:26.16 pt8FkBFm.net
>>376
それがどうかしたのか?

379:鹿野園
20/11/17 11:39:23.36 pt8FkBFm.net
>>377
wwwwwwww
だから、健常者がそれをやるのとお前みたいなFラン大の聴講生風情がやるのとはわけが違うって事だよw
勘違いしたするなよ。
君は低知能なの、馬鹿なの。

380:鹿野園
20/11/17 11:49:35.87 pt8FkBFm.net
ハゲは必死になってドヤ顔で唯識三十頌のupしてるんだろうけど、私から見れば"だから何?""それがどうかしたの?"って話で、特殊学級の児童が良い子の昆虫図鑑をコピペして発表してる程度のレベルでしかないんですよ。
児童なら認めて褒めてあげるけどねw
勘違いしないように、ねw

381:鹿野園
20/11/17 11:51:46.63 pt8FkBFm.net
クリスレの頭のネジが外れた連中相手ならそうしたハッタリも効くんだろうけど、仏教スレには普通の人がいるからw

382:神も仏も名無しさん
20/11/17 11:52:15.99 IkgIsZm8.net
大山さんは違うと思うなら具体的にどこがどういう理由で違うのか説明すればええだけなのに草をはやして挑発罵倒に終始しがち
仏教的にその行動はどうなのだよう
また、唯識的にその行動は何の識が生んでいるのだろう

383:日本鬼子@2ch覚者
20/11/17 11:54:45.06 tnIG6Xld.net
>>382
大山くん(犬)は唯識を取り入れてない、という証左です。

384:鹿野園
20/11/17 12:04:36.29 pt8FkBFm.net
>>382
簡単に説明したろw

385:神も仏も名無しさん
20/11/17 13:32:40.80 IkgIsZm8.net
唯識を「学ぶ」スレなんだから書籍やサイトからの引用は皆のためになるんじゃないかしら
それとは別でその「解釈」が違うと思うなら、どう違うか説明すればいいだけだし、説明が面倒だったらスルーすればいいんじゃまい?

386:鹿野園
20/11/17 14:06:49.10 N24lNX4R.net
知育障害はこういうスレを立てるなよ?

387:日本鬼子@2ch覚者
20/11/17 14:08:31.67 qpE3sZTm.net
>>386
ほんそれ。
アフォーダンス理論と仏教の一考察
スレリンク(psy板)

388:神も仏も名無しさん
20/11/17 15:12:44.35 IkgIsZm8.net
ワロタ😂

389:神も仏も名無しさん
20/11/17 15:14:22.30 IkgIsZm8.net
スレの乱立まで自作しとるよう…
(つのだ⭐︎ひろみたく星が大事だったのかしら…😂)
アフォーダンス理論と仏教の一考察★
スレリンク(psy板)

390:鹿野園
20/11/17 15:18:31.47 N24lNX4R.net
共生社会の実現に知育障害のサポートはしなければならないでしょうが、こうした議論事にハンディキャップはつけられないでしょ?
知育障害はそもそもそのスタート地点にさえ立ってないんですよ?
そのくらいは分かりますよね?
でおー、バカムイ、鬼子、ハゲ…
なんですか、これらの連中は?
馴れ合い談話ならともかく、議論でしょ?
なんでこっちみるんですか?
いい加減にしてくれませんか?
迷惑なんですよ。

391:神も仏も名無しさん
20/11/17 15:20:01.24 IkgIsZm8.net
大山さんは言い訳とか人格批判とかで多弁になるタイプよね
もったいないなー、そういうのやめたらいいのになー

392:鹿野園
20/11/17 15:20:21.57 N24lNX4R.net
>>389
閉じたスレはageないでくれますか?
どうせ知育障害しか寄り付かないのだし。

393:鹿野園
20/11/17 15:21:02.34 N24lNX4R.net
>>391
仕事は?

394:sage
20/11/17 15:22:27.41 IkgIsZm8.net
>>392
すまんかった
>>393
今日は在宅よ
最近、力抜いてサボり気味なのさ

395:神も仏も名無しさん
20/11/17 15:26:09.39 IkgIsZm8.net
bb2cの仕様が変わったのかsageのuiが表示されなくなったテスト

396:神も仏も名無しさん
20/11/17 15:26:46.27 IkgIsZm8.net
出来たが、毎回メール欄にsageいれないといけないとか改悪やん…

397:sage
20/11/17 16:12:30.37 gT+UglTy.net
私はこちらの記事で覚醒をしました
URLリンク(jin625.com)

398:日本鬼子@2ch覚者
20/11/17 16:20:38.50 qpE3sZTm.net
>>397
何の覚醒かは知らないけどスレチおつ。

399:神も仏も名無しさん
20/11/17 16:57:22.28 Dzo4TvRl.net
アホーざんす

400:神も仏も名無しさん
20/11/17 23:48:06.07 oD84ePPI.net
>>372
第四偈後半 恒轉如暴流 阿羅漢位捨 をサンスクリット本の安慧釈の現代語訳の
『大乗経典15世親論集』所収の「唯識三十論」p74で以下と訳している
「そうして、その(阿頼耶識)は、生々流転しつつ存在する。
 あたかも河川(暴流)のごとくである」[4cd]
■aughavat(奔流のような)を玄奘訳の「暴流」としつつも【河川】と訳されている。
大山君は、一般向けの概説書を読み、単層的・平面的に理解をして納得しおられるが
世親の理解は複合的・重層的で立体的かつダイナミックである。
大山君の理解のように「無覆無記」「一類相続」というビュア性と連続性を有しつつ
刹那滅という断絶と変化・変容性も持ち、執受という煩悩性もある。
そしてその連続性というのは、絶えず変化しつつ生々流転するというダイナミックな
連続性なのである。なので「暴流」と言われるように「河川」に譬えられている。
水は流れて絶えず入れ替わっているのだが、河川として連続性がある
ダイナミックに生々流転しているのが阿頼耶識なのである。

401:鹿野園
20/11/18 00:06:46.04 WhGFB8yj.net
>>400
相変わらず知能が低いし想像力も欠如してるなぁw
いいか、例えば河な?
お前は直訳しかイメージしないが、俺は日本の河川のイメージを払拭して、インドや中国の人達が認識してる現地の河川を想像してその語に対するイメージを膨らまして観てる。
 >善く国を治める者は、必ずまず水を治める
 >(管仲)
成る程、国を自己置き換えて、水を治めるは精神作用の流れを修めるという事に置き換え出来ないか?
ところで、インドや中国は水に対してどのような思想をもつてるのかなぁ……ってな。
勿論、膨らますだけではなくエビデンスも検証して物申してる訳だ。
これがお前ら知育障害と健常者の思考の壁w

402:日本鬼子@2ch覚者
20/11/18 00:08:09.78 Z1LrDgMT.net
>>401
>お前は直訳しかイメージしないが、俺は日本の河川のイメージを払拭して、インドや中国の人達が認識してる現地の河川を想像してその語に対するイメージを膨らまして観てる。
ワロタw
イメージの使い方が違うw
鹿野園には無理だよw

403:鹿野園
20/11/18 00:11:03.71 WhGFB8yj.net
共生社会の実現に知育障害のサポートはしなければならないでしょうが、こうした議論事にハンディキャップはつけられないでしょ?
知育障害はそもそもそのスタート地点にさえ立ってないんですよ?
そのくらいは分かりますよね?
でおー、バカムイ、鬼子、ハゲ…
なんですか、これらの連中は?
馴れ合い談話ならともかく、議論でしょ?
なんでこっちみるんですか?
いい加減にしてくれませんか?
迷惑なんですよ。

404:鹿野園
20/11/18 00:11:35.70 WhGFB8yj.net
これだなw

405:日本鬼子@2ch覚者
20/11/18 00:17:53.90 Z1LrDgMT.net
>>403
鹿野園君の場合、縁起を極めた方が良いと思うよ?

406:日本鬼子@2ch覚者
20/11/18 00:20:57.72 Z1LrDgMT.net
>>400
意識(言語)からは(直接)観れないって事もありますしね。
河川よりは暴流でしょう。
大陸の河はゆったり流れますから。

407:神も仏も名無しさん
20/11/18 05:54:09.74 hzI7a7gv.net




鹿野園君、議論より、君の幼児性が目立つと思うのは、
私だけなのかな?

408:鹿野園
20/11/18 06:06:07.62 WhGFB8yj.net
でおーもよく考えなさい。
健常者のスポーツ大会に運動機能障害の方がわざわざ参加して内容にクレームをつけたらおかしいでしょ?
此処での議論も同じですよ。
健常者の議論の中に君の様な知育障害が入って話について来れないからって非難や中傷をするとか、本末転倒でしょ?
違いますか?
よく考えてくれませんか?
迷惑なんですよ?
やめてくれませんか?

409:日本鬼子@2ch覚者
20/11/18 06:07:37.91 Z1LrDgMT.net
>>408
無職決定w

410:日本鬼子@2ch覚者
20/11/18 06:09:22.52 Z1LrDgMT.net
>>408
論破されたら中傷で返す。
議論する資格無しw

411:鹿野園
20/11/18 06:15:09.38 WhGFB8yj.net
リアル社会で弾かれている知育障害が、その鬱憤から悟り妄想を膨らませて"俺は健常者より上なんだ"ってラリってるだけでしょ?
キチガイなんですよ、あなた達は。
迷惑なんです、いい加減にしてくれませんか?

412:鹿野園
20/11/18 09:27:21.43 WhGFB8yj.net
哲学板を覗いたのですが、完全に荒廃してますね。
現実世界ではそもそも議論の対手にされない知育障害が、ニッチを埋める蛆虫の様にネット掲示板の言論の世界に侵食してるの感があります。
勿論、宗教板も例外ではなく、酷い状況にあります。

413:鹿野園
20/11/18 09:27:47.36 WhGFB8yj.net
現実世界で言論の世界から除かれてる知育障害が、ネット掲示板をいい事に憧れの甘い果実を味わって何を勘違いしてるのか、健常者と対等になってると錯覚してるんです。

414:鹿野園
20/11/18 09:28:08.30 WhGFB8yj.net
しかし、いくら知育障害が脳内妄想してもそもそも健常者と対等に議論なんか出来ないんです。
で、結果、糞くだらないコピペの連投かオナニーレスの列挙なってスレが劣化するんです。
何をどうひっくり返ろうが、リアル世界の馬鹿がネットで健常者になる訳はないんですからw

415:鹿野園
20/11/18 09:28:30.46 WhGFB8yj.net
運動機能に障害をお待ちの方が健常者と対等にスポーツが出来ない様に、知育障害が議論なんて出来ないんですよ。
勘違いしないでくれますか?
迷惑なんですよ?
やめてくれませんか?

416:鹿野園
20/11/18 09:28:55.08 WhGFB8yj.net
考えてみて下さい。
健常者のスポーツ大会に運動機能障害の方が参加してクレームをつけたらおかしいでしょ?
議論も同じですよ。
健常者の議論の中に知育障害が入って話について来れないからって非難や中傷をするとか、本末転倒でしょ?
違いますか?
よく考えてくれませんか?
迷惑なんですよ?
やめてくれませんか?

417:ポッタン師
20/11/18 09:30:30.85 V8Y2MRoN.net
悟っていない馬鹿野園が言うバカである。
大爆笑である。

418:神も仏も名無しさん
20/11/18 10:02:59.54 rrl35Ju5.net
大山さん、おちつけwww

419:神も仏も名無しさん
20/11/18 10:16:10.56 R0vypP/W.net
大山さん、悔しいのはわかります。が、可能であればですが
反論があれば具体的に論じられてください。

420:鹿野園
20/11/18 10:51:02.16 WhGFB8yj.net
論破済み。
くどいw

421:ポッタン師3世(ザサード)ヒンドゥスクワット麦
20/11/18 11:04:41.26 sosUhZz5.net
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ波平阿頼耶識の講義まだぁ
皇帝ダリアが咲いていたwww

422:神も仏も名無しさん
20/11/18 13:07:40.40 ngCcgQwu.net
どの選挙区も判で押したように舛添の獲得票の率が一定で、明らかに偶然の結果
ではなかったと分析されている。また通常では、組合なら組合の推す候補へ、
創価信者なら公明党へと票が流れ、それらに対する浮動票が勝敗を決める。が、浮動票を入れる側の人々は、演説で閑古鳥啼く
候補者には入れないのである。
メディアによる洗脳といえば、昔のアポロの中継時に、月面上で飛行士がコーラ
の瓶を蹴るシーンが多くの視聴者に目撃され、新聞に投書されたのに、
主流メディアに封殺され、事実が広まらなかった。これも情報遮断による洗脳
の一例である。

423:神も仏も名無しさん
20/11/18 14:52:41.26 R0vypP/W.net
第四章 第二能変 末那識の変容(第五偈~第七偈)
次第二能變 是識名末那 依彼轉縁彼 思量爲性相
tasya vyAvRtir arhatve tad Asritya pravartate/
tadAiambaM manonAma vijNAnaM mananAtmakam//
a.阿羅漢たることにおいてその[阿頼耶識の]断滅がある。
 それ[阿頼耶識]に依って、それ[阿頼耶識]を縁じて、
 思量を性とする末那識が転じる
b.アルハットという[最高の聖者の位]において、それ[アーラヤ識]の断滅がある。
それ[アーラヤ識]を根拠として、またそれ[アーラヤ識]を対象化して、
[自己認知する]思考を本質とする末那識(意と名づけられる識)が現象する。
玄奘訳では、第四偈阿頼耶識の最後に「阿羅漢位捨」があるが>>347
サンスクリットテキストでは、第五偈の冒頭にある。

424:神も仏も名無しさん
20/11/18 15:26:50.68 R0vypP/W.net
>>423
tasya vyAvRtir arhatve
阿羅漢位捨
tasya …指示代名詞属格 それの その 具体的には阿頼耶識を指す
vyAvRti(捨)…離れること、別れること、脱すること、方向を転ずること
arhat(阿羅漢)…供養を受けるのに相応しい者
「阿羅漢になると、その(阿頼耶識の)、方向転換がある」
というのが正しい訳である。
玄奘は「捨」と訳したが、『成唯識論』では、「捨」を解説して
「煩悩の麁重(dauSThulya 束縛され柔軟な適応性を欠くこと)を永に遠離する」とし
「離れる、脱する」としている。そして、この麁重は阿頼耶識に種子として存在し、
その種子を遠離することが阿頼耶識を「捨」することだと解釈している。
つまり阿頼耶識位に「捨」ス、とあるが、阿頼耶識を捨てるのでなくて
「種子」を遠離するのだと解釈変更を加えている。
反対に安慧は、素直に「麁重」は「阿頼耶識」に依存しているのだから
阿頼耶識を断ち切り、阿頼耶識という流れ離脱し、質的に方向転換すること
と解釈していて、世親の原意を踏まえたものとなっている。

425:日本鬼子@2ch覚者
20/11/18 15:39:42.16 gXyaC9DQ.net
>>424
なるほどね。
阿頼耶識を捨てたらシステム的に歩けなくなるんだけど、疑問に思ってた。

426:ポッタン師3世(ザサード)ヒンドゥスクワット麦
20/11/18 15:59:48.38 sosUhZz5.net
>>424
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ認知症との違いは?

427:神も仏も名無しさん
20/11/18 18:24:32.88 ngCcgQwu.net
選挙演説で閑古鳥啼くような候補者があれだけの票を集めて
トップ当選するのは不自然だという声があがっても
メディアで大きく取り上げられなかった点こそが洗脳であり、マインドコントロ
ールなのである。

428:神も仏も名無しさん
20/11/18 23:05:33.49 q9z9riqu.net
スティラマティとダルマパーラのあいだには、唯識説の解釈に相違点がある。
前者はアーラヤ識が究極的には否定されて、最高実在が個体において現成し、見るものと見られるものとが分かたれない絶対知が得られると説くが、後者はアーラヤ識を実有の識体とみなし、それが変化して見るものと見られるものとが生ずるという説をたてる。
後者の説に従えば、絶対知を得てもアーラヤ識そのものが否定されるのではなく、その中にある煩悩の潜勢力が根絶されるのみであるから、絶対知においても見るものと見られるものはあることになるのである。

429:神も仏も名無しさん
20/11/18 23:09:31.65 fEjYVyIR.net
URLリンク(www.dalailamajapanese.com)
>「15年から20年ほど前に出席した会議で、インドの物理学者ラジャ・ラマンナ氏が私にこのような話をしてくれました。ナーガールジュナの著作を読んでいて、自分の量子物理学の知識と通じるところが非常に多いことに驚いた、というのです。さらに、1年前にコルカタのプレジデンシー大学を訪問した際には、副学長のバッタチャリヤ教授が、量子物理学では、それ自体で成立している物質は存在しないと述べておられました。私はこれにも大変驚きました。唯識派と中観派の見解、特に、一切の現象は他の条件に依存することによってのみ存在するというナーガールジュナの主張と合致していたからです」
>「また、ここで、この会議の開催を実現するためにご尽力いただいた皆さんに心よりお礼を申し上げておきたいと思います」
~中略~
>会議の第一部はN・ムクンダ教授が司会を務め、フランス人研究者ミシェル・ビットボル教授が「量子物理学:相互依存とその見解を持たない立場」と題する科学の哲学についての論文を発表した。論文は、これまで提示されている形而上学的見解と本質主義という最も顕著に異なる二つを比較し、量子物理学のひとつの特徴である「量子もつれ」または「分離不可能性」は、仏教の相互依存の概念にきわめて類似していると述べた。また、古代の書物にも、空の概念は予備知識のない者には理解しがたいと書かれているように、量子論に驚かない人は、量子論を理解していないのだと、デンマークの理論物理学者ニールス・ボーアを引用して述べた。
>発表の途中で法王は、一切の現象はそれ自体の力で独立して存在しているように見えるばかりか、私たちはそれらが実体を持って固有に存在していると捉えてしまう傾向にあると補足して説明された。
>ムクンダ教授はさまざまな見解を述べたが、その中で、イギリスの理論物理学者ポール・ディラックが哲学的な議論を拒んだことを述べて、アメリカの物理学者リチャード・ファイマンの、鳥類学が鳥類に有益なように哲学は科学に有益であるという言葉を引用した。
>聴衆からの質問内容は、量子物理学の「単一性」や「分離不可能性」、「量子もつれ」などの概念に及んだ。

430:鹿野園
20/11/19 11:09:31.90 Fxlsd3Ny.net
>>428
角川の仏教の思想、位置No.399からの引用って書いておきましょうね。

431:日本鬼子@2ch覚者
20/11/19 12:32:35.33 xiSLO9nm.net
>>430
何故自分が攻撃的なのか?が、解らないようなら、縁起も唯識も解らないって事になるね。

432:神も仏も名無しさん
20/11/19 15:01:23.35 lo9GsgEj.net
大山君の阿頼耶識には煩悩の有漏種子がたくさん蔵されていてそれが宗教板などに来ると現行してしまうのでしょう
そして現行の時に煩悩心所や随煩悩心所が遍行して攻撃的になってしまうのでしょう

433:日本鬼子@2ch覚者
20/11/19 15:19:18.53 xiSLO9nm.net
>>432
僕は""無漏無記"が無漏"悪"なんだと思います。
仏教から離れ、悪に気づかないまま、もしかしたら、自分が正しいと錯覚してますよね。
鹿野園は仏教を学んでいません。

434:鹿野園
20/11/19 15:27:50.35 Fxlsd3Ny.net
>>432
という君の種子の現行だなw

435:神も仏も名無しさん
20/11/19 16:47:29.03 KkJGcEPh.net
>>423
■末那識manonAma vijNAna(マナスと名づける識)
manonAma …manas(意)+nAma(~と名づける) マナス(意)と名づける
vijNAna…識
ちなみに意識はmanovijNAna(意の識)
■mananAtmakam(思惟を本質的な特徴とする)
manana…動詞man(考える)から派生した語(思惟、思考)
Atmaka…~と言う性質、本質を備える
■意識と何が違うのか。
『成唯識論』曰く
・阿頼耶識の主体的側面みを対象とする…蔵識の見分のみを縁ずる
・阿頼耶識を我とみなす…阿頼耶識は一類相続して常・一に似る故に
            此は彼を執して自の内我となす
阿頼耶識を「我」と誤解しているのがマナスと名づける識である末那識であるという

436:鹿野園
20/11/19 20:00:56.78 Fxlsd3Ny.net
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>435
おいおいおい?
他スレにこんなレスがあったぞ?!
>それは世親を誤訳した法護系統の玄奘の『成唯識論』の解釈。
末那識と意識の違いについてあなたは『成唯識論』を引用してるけど、そのスレでは誤訳したものって低評価なんだが?
そんな事を言わせておいていいのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

437:日本鬼子@2ch覚者
20/11/19 20:04:24.18 kn7e3hw6.net
>>436
煽るのが正しいと思ってるのか?

438:神も仏も名無しさん
20/11/19 23:23:27.87 ovZNtJZu.net
URLリンク(kaken.nii.ac.jp)

439:神も仏も名無しさん
20/11/20 00:30:39.77 FFmiVavD.net
>>438
安慧についていろいろ議論されていると聞いている。
新たな梵本が発見されているそうだ。論文の指摘を留意する必要はある。
だが残念ながらリンクは概略のレビューであり具体論はない。
また論者の立場を見ると「唯識院仏教心理学研究所」の方で
基本理念を読むと
「玄奘三蔵が中国に持ち帰り、中国唯識教学や日本法相教学などのように体系と
して整合性の高い理論として作り上げた理論を教義理論と表現し、このプロジェ
クトでは唯識理論に歴史的な推移を見据えて理解することにしています。」
とあり、アンチ安慧の立場であることにも留意したい

440:日本鬼子@2ch覚者
20/11/20 05:14:59.89 PkHy5Z6N.net
唯識は理論じゃなくて仮設であり喩えだよ。

441:日本鬼子@2ch覚者
20/11/20 05:18:40.29 PkHy5Z6N.net
つまりは偉い学者さんでも、根本で間違うようなら当てには出来ないでしょう。

442:日本鬼子@2ch覚者
20/11/20 05:20:17.06 PkHy5Z6N.net
かといって、貴方達のトライを否定してる訳でもない。

443:神も仏も名無しさん
20/11/20 10:35:41.75 QTUMKOVD.net
>>438
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
印度學佛敎學硏究第 67 巻第 2 号 平成 31 年 3 月
佐久間秀範「ヴァラビーの堅慧」
こちらの論文が成果ね

444:神も仏も名無しさん
20/11/20 12:11:58.01 xDkl1KXV.net
具体例に即した質問です。
たとえばエーシンの書き込みを見た時の印象が
阿頼耶識に種子として残り、後でそれが何かの縁によって発芽することも
あるのでしょうか?

445:神も仏も名無しさん
20/11/20 12:20:02.45 QTUMKOVD.net
誰かの書き込みを見て、学んだり、喜んだり、腹を立てたりすると
それが種子となって阿頼耶識に種子として蔵されて、
縁ずれば、その種子が発芽して、種子の種別に応じて
善い行動や悪い行動になるらしいですよ

446:神も仏も名無しさん
20/11/20 13:29:44.73 xDkl1KXV.net
ありがとうございます。やはり 変な書き込みは
あぼ~んしたほうがよいということですね。あの方が
「公明党へ一票お願いします」等と書いてたのも、そこまで計算に入れて
のことだったのでしょうかね

447:神も仏も名無しさん
20/11/20 13:43:25.92 G5M0VJKR.net
【仏教】悟りを開いた人のスレ563【天空寺】
スレリンク(psy板)
のレス964のリンク先
URLリンク(2ch.vet)
に書き込まれてあった大山さんのレスで気になったこと
>345 鹿野園
>2020/07/07(火) 00:54:06.99 ID:PZqBFeH50
>文書を読んでパッと分からないもんかねぇ?
>”触・作意・受・想・思という心所はあるものの唯捨受のみ”って意味自体が分からないんだろうなぁ。
>それって普通に認識はあっても思慮分別作用がない(=現量)って事じゃんw
>馬鹿だからこういう文書が出て来ても読み替えや主旨を把握することが出来ないんだろうなぁ。
>いや、そもそも現量の意味も分かってないんじゃないのwww

>馬鹿じゃんwww
要するに大山さんは「安慧や真諦は馬鹿じゃん」と言ってるわけですね

448:鹿野園
20/11/20 14:27:11.82 DRHj3237.net
>>447
精神病院に行きなさい。

449:神も仏も名無しさん
20/11/20 16:06:20.68 G5M0VJKR.net
三十頌釈を著した安慧は
「三十頌の阿頼耶識の説明箇所に相應唯捨受と書かれてあるから阿頼耶識は思慮分別作用がない(=現量)」
というようなことは説いていませんよね
なんで安慧(真諦も)は唯捨受と書かれてある文書を読んでパッと分からなかったのかねえ?
阿頼耶識は「認識はあっても思慮分別作用がない(=現量)」ってことが

450:神も仏も名無しさん
20/11/20 16:20:16.17 G5M0VJKR.net
参考までに
URLリンク(junsoyo.on.coocan.jp)

9詩
此心所遍行 別境善煩悩
随煩悩不定 皆三受相応
此の心所は遍行と,別境と善と煩悩と,
随煩悩と不定となり。皆,三の受と相応す。
の解説ページ
URLリンク(junsoyo.on.coocan.jp)
では
前五識・第六意識の心所は,遍行と,別境と善と煩悩と,随煩悩と不定である。
前五識・第六意識は,苦受・楽受・捨受と相応する。
と現代語訳されており
◆前五識・第六意識:現代的に言えば,五感覚と意識。意識は五感覚とともに作用して感覚をより明瞭にし,かつ言葉を用いて概念的・分別的なはたらきをする。
◆皆三受相応:前五識・第六意識は,苦受・楽受・捨受と相応する。末那識・阿頼耶識は,常に捨受とのみ相応するが,前五識・第六意識が三つと相応するということは,心の用いようによっては,苦から楽に,楽から苦に変化することができることを物語っている。
常に現量とされる前五識は捨受のみならず苦受・楽受とも相応するそうですよ
また末那識は捨受ですよ
さて捨受と現量は果たして大山さんの言う通りイコールで結べるような関係なのでしょうか?

451:鹿野園
20/11/20 18:18:58.38 cvLNwa0L.net
まぁ、勉強して下さい。
すればいつかは分かるかもしれませんから。

452:鹿野園
20/11/20 18:35:51.59 cvLNwa0L.net
苦受・楽受は身体(前五識)のそれ(感覚、苦楽)と精神(意識)のそれ(感情、憂喜)があるでしょ?

453:神も仏も名無しさん
20/11/20 20:23:40.27 G5M0VJKR.net
大山さんこそ「阿頼耶識は捨受だから現量である」ということを証明できるまで頑張ってくださいな
私が知る限りそんな珍説を打ち出しているのは大山さんだけなのですから

454:鹿野園
20/11/20 20:45:00.31 cvLNwa0L.net
安慧は唯識三十論で捨受を平静(感情)っていってるよ。
捨受の意味をよく考察しなさい。
言語活動が伴わない感覚(直接知覚、現量)と伴う感情(比量・非量)の違いを視座にね。

455:神も仏も名無しさん
20/11/20 21:10:17.83 G5M0VJKR.net
前五識は捨受のみならず苦受、楽受の場合でも常に現量です
捨受だから現量ではないということです

456:鹿野園
20/11/20 21:39:14.80 cvLNwa0L.net
>>455
???
捨受のみって(ロゴス的な)言語による認識活動がないって事でしょ?
それが現量でしょ?

457:神も仏も名無しさん
20/11/20 23:11:30.90 G5M0VJKR.net
皆三受相応:前五識・第六意識は,苦受・楽受・捨受と相応する。末那識・阿頼耶識は,常に捨受とのみ相応するが,前五識・第六意識が三つと相応するということは,心の用いようによっては,苦から楽に,楽から苦に変化することができることを物語っている。
URLリンク(junsoyo.on.coocan.jp)
阿頼耶識だけではなく末那識も常に捨受とのみ相応する
でも末那識は現量ではありません
また前五識は苦受・楽受・捨受の三つと相応しますが現量です
つまり捨受は現量の条件ではないということです

ちなみに
なぜ阿頼耶識は,"捨受"のみと相応するか?(『述記』)
URLリンク(junsoyo.on.coocan.jp)
ここでは言語による認識がどうたらは取り上げられていません

458:鹿野園
20/11/20 23:51:43.04 i4cHoSuA.net
>>457
はい。
1.唯識三十頌の6-4"及び余と触等と倶なり"の中の"余"の字を貴殿はどう観られますか?
2.阿頼耶識の心所が捨受のみされる遍行心所(5)のみなのに対して、末那識の遍行心所(5)も同じく捨受されますが、それだけではなくて他の心所が13もあります。これについはどう考えますか?

459:鹿野園
20/11/21 00:16:55.54 EwdhVIDi.net
>>457
>ここでは言語による認識がどうたらは取り上げられていません
現量とは『諸分別の行解を離れて任運に境の自相に称う』と(法相二巻抄では)されています。
即ち、"言語による分別が無い>偏行心所の捨受のみ"と私は読み取りました。
阿頼耶識は偏行心所の捨受のみですから言語活動は伴わない。
末那識は偏行心所は捨受のみですが、他の心所が言語活動を伴うから現量から除外。
意識は言語活動が伴う三受なので同じく除外。
前五識は言語活動が伴わない三受なので該当という見解です。
つまり、現量は偏行心所が捨受のみである事が最低限の条件であるという認識です。

460:鹿野園
20/11/21 00:35:27.84 EwdhVIDi.net
>>459
>つまり、現量は偏行心所が捨受のみである事が最低限の条件であるという認識です。
偏行心所が捨受のみ=感情(感覚では無い)を伴ってない。
感情=意識の介在する言語による認識。
言語=分別。

461:神も仏も名無しさん
20/11/21 03:58:13.48 nfiTK+XM.net
その阿頼耶識の種子というものは、
習化みたいなもので、輪廻前の生から輪廻後の生まで保存されて
引き継がれるものなんですか? カルマとアートマン思想と慣性の法則をミックスした
感じの説になるかもですけど

462:神も仏も名無しさん
20/11/21 08:13:34.18 t38BChh5.net
>>447
>”触・作意・受・想・思という心所はあるものの唯捨受のみ”って意味自体が分からないんだろうなぁ。
>それって普通に認識はあっても思慮分別作用がない(=現量)って事じゃんw
■基本概念の解説
・触sparśa…接触のこと
・作意 manaskāra…manas心+kāra動かす→思考すること
・受vedanā…人間の感受作用
・想saṃjñā…事物の形象を心の中に思い浮かべるイメージ化作用(表象作用)
・思cetanā…意思。目標に向かう方向性を持った意思
・捨受…苦楽憂喜などを感じない感覚な感受作用のみ
阿頼耶識には常に五遍行(触・作意・受・想・思)という心の働きと共にあると
説かれているのであるから、「思慮分別作用がない(=現量)」ではない。
ただ受のみが捨受と説かれるのは、煩悩がない価値中立を意味して
次の無覆無記につながっているのである。
さて『成唯識論』は阿頼耶識を現量と説くが、それはまた別の話である。
『唯識三十頌』では、現量と説かれていない。
捨受とは、価値中立の受であるということなのです。
なので無覆なのです。

463:神も仏も名無しさん
20/11/21 08:41:06.45 t38BChh5.net
>>454
安慧ではないですよ
訳者の荒牧典俊が「捨」を「苦でも楽でない」と解説した上で「平静」と解釈して
訳しただけです。
区別しましょう。荒牧さんの独特な訳ですので。

464:神も仏も名無しさん
20/11/21 09:21:12.14 k6v6EOPH.net
唯識について参考までにmixiよりコピペ
2008年10月29日 18:48
こんにちは。
今日初めて知ったのですが、インドとチベットに於いては唯識派はどうも、スミレさんの仰るとおり、説一切有部、経量部などの心的物質的法を単に還元しただけの学派と捉えられているようです(心識のみ実存する云々)。
世親の著作も、唯識二十論はよく挙げられますけど、三十頌、特に個人的に最も重要な三性三無性についてはほぼ全く聞きません。そりゃあ二十論とダルマキールティだけ読んでたら空性とかよりも阿毘達磨的思想を説く学派(一切法=心法)にしか見えません。
今日聞いた話によると、ツォンカパは唯識を世俗諦と真諦、共に識の自性有りと説くとしたようです。
これは、世俗諦では識の自性有り、真諦では空也とした瑜伽行中観派(シャーンタラクシタ等)の見解と区別する為だったんじゃないかと思います(もしくは本気でそう思ってたか)。
中国及び日本では、唯識は無着、世親、陳那、護法、玄奘、基と伝えられたとされますが、インドとチベットでは、護法や安慧などいわゆる成唯識論に挙げられる人達はほぼ知られていないようです。
もしくは陳那から法称路線に行ったようです。
一応比較的最近安慧の唯識三十頌注釈が発見、翻訳されましたが、成唯識論で言われるように、一分説などについて特に言及していないので、成唯識論に対する興味が更に低くなってしまったのかもしれません。
そういうチベットあげあげ、漢字?(笑)みたいな人達としゃべってたら自分でもよく分からなくなってきました。
唯識も最終的には「空」の教えなんですよね?だから哲学的な意味でも「大乗」なんですよね(実践的な意味では菩薩道)?
(ところで成唯識論は護法造とされますが、玄奘、更には基の見解も入ってしまっている可能性があるらしいです。
一応護法、安慧を含む十大論師の唯識三十頌に対する諸説のまとめとされています。)
今日初めて知ったのですが、インドとチベットに於いては唯識派はどうも、スミレさんの仰るとおり、説一切有部、経量部などの心的物質的法を単に還元しただけの学派と捉えられているようです(心識のみ実存する云々)。
世親の著作も、唯識二十論はよく挙げられますけど、三十頌、特に個人的に最も重要な三性三無性についてはほぼ全く聞きません。
そりゃあ二十論とダルマキールティだけ読んでたら空性とかよりも阿毘達磨的思想を説く学派(一切法=心法)にしか見えません。

465:神も仏も名無しさん
20/11/21 09:21:49.70 k6v6EOPH.net
>>464 続き
今日聞いた話によると、ツォンカパは唯識を世俗諦と真諦、共に識の自性有りと説くとしたようです。
これは、世俗諦では識の自性有り、真諦では空也とした瑜伽行中観派(シャーンタラクシタ等)の見解と区別する為だったんじゃないかと思います(もしくは本気でそう思ってたか)。
中国及び日本では、唯識は無着、世親、陳那、護法、玄奘、基と伝えられたとされますが、インドとチベットでは、護法や安慧などいわゆる成唯識論に挙げられる人達はほぼ知られていないようです。もしくは陳那から法称路線に行ったようです。
一応比較的最近安慧の唯識三十頌注釈が発見、翻訳されましたが、成唯識論で言われるように、一分説などについて特に言及していないので、成唯識論に対する興味が更に低くなってしまったのかもしれません。
そういうチベットあげあげ、漢字?(笑)みたいな人達としゃべってたら自分でもよく分からなくなってきました。
唯識も最終的には「空」の教えなんですよね?だから哲学的な意味でも「大乗」なんですよね(実践的な意味では菩薩道)?
(ところで成唯識論は護法造とされますが、玄奘、更には基の見解も入ってしまっている可能性があるらしいです。
一応護法、安慧を含む十大論師の唯識三十頌に対する諸説のまとめとされています。)

466:神も仏も名無しさん
20/11/21 09:24:24.42 k6v6EOPH.net
>>465 続き
2009年04月22日 21:51
成唯識論によると、阿頼耶識そのものが執着の根本とするのは安慧の説であるといわれています。
これに反して、護法では阿頼耶識は無覆無記であって、有覆(=有執着)は転識にあるとされています。
ここでいう転識とは、我執の心であるマナ識、法執の心である意識(manovijnana)です。
これらの転識に依る限り阿頼耶識は無覆無記でありながら世俗界に縛られるということになります(第八前七相依起)。
あ、78910さんが既に仰ってましたね。
真諦派の人達は阿頼耶識自体を執着の本として、第九識(アマラ識)を立てます。
無著も世親も「アマラ識」という言葉は出さないのですが、無著は「摂大乗論」で、根本識そのものが執着の根である、といった内容の事を言っています。
その故、真諦派の人達は「摂論派」とも言われます。
ところで八識唯識に於いての阿頼耶識ですが、これは菩薩道十地の七番目だか八番目(最後地だったかも)で、大円鏡智へと「転依」します。
この転依説ですね、大田久紀さんはこの「迷いの世界がそのまま清浄の世界になる」というアイデアが好きだそうです。
URLリンク(mixi.jp)

467:鹿野園
20/11/21 12:24:11.62 5wOiTMxy.net
>>462
>・作意 manaskāra…manas心+kāra動かす→思考すること
???
何これ?
作意は心の起動でしょ?
まぁ、トリガーみたいなもので思考する事じゃないから。

468:鹿野園
20/11/21 12:36:29.13 5wOiTMxy.net
>>463
安慧の原典を見ての指摘ですか?
私は原典を見てないので荒巻先生の"平静(感情)"をそのまま引用しましたが?

469:鹿野園
20/11/21 12:38:05.55 5wOiTMxy.net
>>466
ありがとうございます。
存じております。

470:鹿野園
20/11/21 12:42:02.87 5wOiTMxy.net
>>462
>さて『成唯識論』は阿頼耶識を現量と説くが、それはまた別の話である。
>『唯識三十頌』では、現量と説かれていない。

現量と書かれてないだけ。
現量とされる概念は説かれている。

471:神も仏も名無しさん
20/11/21 12:52:07.00 t38BChh5.net
>>467
『成唯識論』曰く「作意、引心令趣自境。此若無者、心応無故」
心を始動せしめて対象に向けしめる心作用とトリガーのように解釈しているが
作意 manaskāraは、思考のことだよ。
加えてトリガーであるということは
「対象に注意を向けている。集中しているという精神作用である」ので
対象と非対象を分別しているから、無分別な現量とは言えない

472:鹿野園
20/11/21 13:09:54.05 5wOiTMxy.net
>>471
五位法を調べてな。
あくまでもトリガーの範疇だから。
作意
>さい(梵: manaskāra、マナスカーラ) - 対象に注意を向けること気をつけるはたらき。
>(wikiの五位から)
>遍行の心所(細かい心作用)の一つ。心を始動せしめて対象に向けしめる心作用。
>(wikidharma から)

473:鹿野園
20/11/21 13:14:44.44 5wOiTMxy.net
感覚的なものは現量で、感情的なものは比量(非量)なんですよ。
触・作意(宗派によっては作意・触)は、あくまでも感覚的な段階なんです。
感情的なものに発展する前段階のトリガーって事です。

474:神も仏も名無しさん
20/11/21 14:00:51.95 1jNOB+4y.net
で、具体的にどんな修行をすればいいの?
ってところがさっぱりわからない
いくら理屈をこねまわしても、実際に瑜伽行しなきゃ意味ない、みたいな話もあるのに
じゃあまず何から? とかさっぱりわからない

475:鹿野園
20/11/21 14:06:30.89 EwdhVIDi.net
>>474
誰しも試行錯誤しながら歩んでるわけで、私はあなたじゃないからw
坐禅なりお念仏なりお題目なり、道は開かれてるんだし、歩めば良いんじゃないんですか?

476:神も仏も名無しさん
20/11/21 14:08:57.98 1jNOB+4y.net
>>475
つまり、唯識の経典自体にはまずここからね、という入り口すら書いてないの?
だったらいくら意識がどうの、と理屈考えても、所詮は理屈の為の理屈で意味がない…

477:日本鬼子@2ch覚者
20/11/21 14:15:40.37 gLB4tbXp.net
>>476
話題の主論が末那識に移ってから、だね。
今は「空の中の阿頼耶識という仮設」で争ってるだけに過ぎないから、実践には結び付かないよ?

478:鹿野園
20/11/21 14:26:09.30 EwdhVIDi.net
>>476
ありますけどw

479:鹿野園
20/11/21 14:38:20.13 EwdhVIDi.net
>>476
仏教の基本は聞思修と戒定慧ですよね。
坐禅もあれば聞法もあるんです。
聞薫習、即ち正しい法を聞(訊)く事によってそれが種子として阿頼耶識に薫習され、実生活でそれ現行するって考えもあるんです。
掛かる意味で、こうした議論も無駄ではないんですよ。

480:神も仏も名無しさん
20/11/21 14:41:35.50 t38BChh5.net
>>476
修行については最後にでてきます。
『唯識三十頌』の第26~30偈です。
今はまだ第5偈ですので、お待ちください。

481:神も仏も名無しさん
20/11/21 15:04:16.18 iKByrp7S.net
阿頼耶識は想像の産物であるので阿頼耶識を考案しそれを定義した無著や世親の思想をベースにあとは、それぞれの論師の解釈が支離滅裂でなければなんとでも後付けで定義を加えることができる。
阿頼耶識というものが本当にあってかくかくしかじかの機能を果たしているというのを誰も確認できてないからだ。
早い話が阿頼耶識を信じるというのは神を信じるのに等しい。

482:日本鬼子@2ch覚者
20/11/21 15:06:20.38 gLB4tbXp.net
>>481
最後の喩えが余計だね。

483:鹿野園
20/11/21 15:45:07.03 EwdhVIDi.net
>>481
>早い話が阿頼耶識を信じるというのは神を信じるのに等しい。
仮説(説)ですからね。

484:鹿野園
20/11/21 15:45:32.72 EwdhVIDi.net
訂正
>>481
>早い話が阿頼耶識を信じるというのは神を信じるのに等しい。
仮説(設)ですからね。

485:神も仏も名無しさん
20/11/21 16:19:47.78 dh8ZygOJ.net
>>476
喩伽行唯識派の喩伽とはヨガの事ですから 仏教としてのヨガを追求されては如何ですか?

486:神も仏も名無しさん
20/11/21 23:18:58.14 t38BChh5.net
>>481
阿頼耶識は、想像の産物というより、瑜伽行者らが数百年かけて何百人もの
瞑想修行の中から思索されて深められてきた教えです。
もともと佛教は、五感と意識に分けて心を理解していたのですが、
それを踏まえた上で、無我でありつつも自分という意識が我々にはあるが
それはどういう構造になっているのかを言い表した時に
我々に認識できない心の働きとしての「自分」があり、
この「自分」は、刹那に滅しつつも一類相続している「変化しつづけるわたし」
であるのですが、これを「常なる私」と錯覚する意識である末那識があると
考えたのです。

487:神も仏も名無しさん
20/11/21 23:44:23.27 pukeZr19.net
>>458
余は末那識の有覆の四煩悩と無覆の触などの遍行心所の他に末那識を覆う心所
遍行心所以外の心所の数は四煩悩の四つ以外は不明だが成唯識論では四煩悩を入れて13とする(末那識の心所の数は18)
それと唯識三十を読み直したら末那識が現量とされないのは捨受がどうたらよりも
「彼に依りて転じて彼を縁ず 思量するを性とも相とも為す」
と末那識の語源のマナ(思量)が現量の概念から既に外れているからだと思いましたよ
>>459
心所にとらわれると
前五識は34の心所と相応する。遍行の5と別境の5と善の11と貪・瞋・癡の3と随煩悩の無慚・無愧・不信・懈怠・放逸・惛沈・掉挙・失念・不正知と散乱
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
この34の心所が言語活動を伴わないわけではないのとになりますが(大山さんが書いている末那識の言語活動を伴う心所と前五識の心所で被ってるのありません?)

ところで阿頼耶識の自証分以外の見分と相分は現量なのでしょうか?
阿頼耶識の自性分が現量であるのは現量を定義したディグナーガが識の自証分は現量であると決めたんだから多分阿頼耶識も同じで自証分だと思いますがw
思いますがというのは承知と思いますがディグナーガは六識説で阿頼耶識を立てなかったため

488:神も仏も名無しさん
20/11/21 23:47:19.68 pukeZr19.net

この34の心所が言語活動を伴わないわけではないのとになりますが(大山さんが書いている末那識の言語活動を伴う心所と前五識の心所で被ってるのありません?)


この34の心所が言語活動を伴わないわけではないということになりますが(大山さんが書いている末那識の言語活動を伴う心所と前五識の心所で被ってるのありません?)

489:鹿野園
20/11/22 04:40:54.27 g2jfeqGN.net
>>487
>ところで阿頼耶識の自証分以外の見分と相分は現量なのでしょうか?
阿頼耶識の相分は執(種子)受(有根身(肉体))処(器世間(外界))ですが、その見分は現量です。

490:神も仏も名無しさん
20/11/22 10:10:45.84 je/A107o.net
仏陀が自ら説いた、原始仏教の教えの一つに有名な
「毒矢のたとえ」
があるが
自称大乗仏教って、間違いなくコレに嵌ってる感がある
実在を証明できない~識とかの論をこねくりまわして
肝心の毒矢への対処がまったくできてない、という

491:神も仏も名無しさん
20/11/22 10:21:47.70 0cUEil44.net
>>489
ありがとうございます
末那識は見分だけが非量であとは現量とされてるようですね

492:神も仏も名無しさん
20/11/22 10:35:23.90 1rpPJd9w.net
>490
いくらそう言っても、
捏ね繰り回し自体が楽しい頭でっかちいるんだなあ。

493:鹿野園
20/11/22 11:43:31.71 g2jfeqGN.net
>>491
まぁ、自証分や証自証分は絶対に現量でないとおかしな事になりますからね。

494:神も仏も名無しさん
20/11/22 17:24:45.86 G8IkMjNl.net
第六偈 四煩惱常倶 謂我癡我見 并我慢我愛 及餘觸等倶
    四の煩惱と常に倶なり。 謂く我癡と我見と 
    並びに我慢と我愛となり。 及び餘の觸等と倶なり。
klesais caturbhiH sahitaM nivRtAvyAkRtaiH sadA/
AtmadRSTyAtmamAnAtmasnehasaMjNitaiH//
a.我見・我癡・我慢・我愛と名づけられた、有覆無記の四つの煩悩が常に俱なっている。
b.自己があると固執する見解(我見)と、自己に対する無知(我癡)と、
 自己執着の高慢(我慢)と、自己への愛着(我愛)と名づけられた[煩悩によって菩提に
 近づくことを遮りしかもそれ自体は善悪と]規定できない(有覆無記)四つの煩悩が常に伴っている。

495:神も仏も名無しさん
20/11/22 17:46:52.80 G8IkMjNl.net
>>494
klesais caturbhiH sahitaM nivRtAvyAkRtaiH sadA/
× AtmadRSTyAtmamAnAtmasnehasaMjNitaiH//
〇 AtmadRSTyAtmamohAtmamAnAtmasnehasaMjNitaiH//
・AtmadRSTyi我見…我でないものを我とみなす見解
・Atmamoha我癡…『成唯識論』は無明。安慧はmohaをajNAna無知 我に対する無知
・AtmamAna我慢…mAna高慢。自己を過大評価し奢り高ぶる様
・Atmasneha…我への執着のこと。安慧は我への偏愛。
末那識が阿頼耶識を我と錯覚し、深く執着していることが説かれている。

496:神も仏も名無しさん
20/11/23 06:32:48.91 tgcFiNmY.net
デカルト曰く
cogito, ergo sum
cogito cogit-are一人称単数直説法現在 私は考える
ergo 接続詞 それ故
sum sum-esse 一人称単数直説法現在 私はある
「私は考える。それゆえに私は存在する」
意識があるので、私はあるとデカルトは考えたが
仏教は「変化しない私(我)」はない(無我)であると考えたので
その延長線で、では私の中の何を私は永続する私と考えているのかを思索した。
そこで根底に阿頼耶識を置いた。
「変化しつつ(刹那滅)」かつ「連続(一類相続)」しているわたしがあり、
それが川のように連続しているため、アートマンだと誤解(我見)し、
アートマンの無知(我癡)から、自分を誇り(我慢)、自分に執着する(我愛)する
末那識があると考えたようだ。
説得力のある素晴らしい自己分析だと私は思うが。

497:神も仏も名無しさん
20/11/23 07:24:59.18 tgcFiNmY.net
第七偈 有覆無記攝 隨所生所繋 阿羅漢滅定 出世道無有
    有覆無記に攝められる 生ずる所に隨いて繋せらる
    阿羅漢と滅定と 出世道とは有ること無し。
yatrajas tanmayair anyaiH sparsAdyais cArhato na tat/
na nirodhasamApattau mArge lokottare na ca//
a.生まれる所でそれから成るものと[俱で]ある。また他の触等の[五遍行]とも[俱]である。
 それは阿羅漢にはない。滅尽定にも出世間道においても無い。
b.[末那識は]いかなる所で生まれても[その状況に]属する[四つの煩悩を伴っている]。
また[四つの煩悩とは]とは異なる触など[の五遍行]とも[結びついているので]ある。
それは阿羅漢[の位]にはない。また[心と心の動き]滅し尽くす精神統一においても、
[煩悩から離れた]出世間の道にもない。

498:神も仏も名無しさん
20/11/23 08:28:46.68 OQ7MqRF4.net
ジャンキーvs.でおー&鬼っ子
末那識編
URLリンク(2ch.pet)

499:神も仏も名無しさん
20/11/23 08:41:14.25 fKdz3+dp.net
唯識は 自分の潜在意識や無意識を 自分の意思で変える事出来るのですか ?
もし 出来ないと言えば ただの戯論。
出来ると言えば じゃあ人間でなくて別な生き物になってみろと言う。

500:神も仏も名無しさん
20/11/23 08:43:33.46 fKdz3+dp.net
出来ると言えば 乞食から長者に、池尻から天才に 糖質をたった今治して 働けと言う。
おかまには 正真の女になって 子供を産めと言う。

501:神も仏も名無しさん
20/11/23 08:45:04.97 fKdz3+dp.net
すべて物質的基礎から抜け出せるものではない。
抜け出せると思うのは錯覚であって、
それは単に理念としての自由でしかないであろう。
それは、現実的自由とは、まったく異なったものなのである。
          荒 正人 大日本百科事典 「自由」

502:神も仏も名無しさん
20/11/23 08:47:11.45 fKdz3+dp.net
だから 何のための唯識か あるいは、何によっての唯識かだろ ?
ちがうの ?

503:神も仏も名無しさん
20/11/23 08:49:09.23 fKdz3+dp.net
何のための唯識か、何によっての唯識か、主客転倒。

504:神も仏も名無しさん
20/11/23 08:51:37.71 fKdz3+dp.net
何のためのプラトンなのか あるいは 何によつてのプラトンなのか。
ただプラトンの思想を論じるだけでは 主客転倒。

505:神も仏も名無しさん
20/11/23 08:53:06.93 fKdz3+dp.net
自由とは、拘束されない状態をいう。

506:神も仏も名無しさん
20/11/23 08:54:14.23 fKdz3+dp.net
すべて物質的基礎から抜け出せるものではない。
抜け出せると思うのは錯覚であって、
それは単に理念としての自由でしかないであろう。


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