唯識を学ぶスレッドat PSY
唯識を学ぶスレッド - 暇つぶし2ch2:神も仏も名無しさん
20/11/09 09:43:42.68 daSbkZH1.net
『唯識三十頌』内容と解説
序章
第1章 帰敬偈
第2章 総論(第一偈)
第3章 初能変―阿頼耶識の変容(第二偈〜第四偈)
第4章 第二能変―末那識の変容(第五偈〜第七偈)
第5章 第三能変―感覚・知覚の変容(第八偈〜第十六偈)
第6章 正辨唯識―唯識ということ(第十七偈)
第7章 心法生起―心の働きの起こり(第十八偈)
第8章 有情相続―生死と心のつながり(第十九偈)
第9章 三性―心に見える三種の存在形態(第二十偈〜第二十二偈)
第10章 三無性―空性である三種の存在形態(第二十三偈〜第二十五偈)
第11章 唯識位―修行の階梯と仏陀の境界(第二十六偈〜第三十偈)
第12章 廻向文
『唯識三十頌』を読んで
あとがき
テキスト・翻訳・参考文献
『唯識三十頌』梵蔵漢対照テキストと和訳
という構成 お得だ。

3:神も仏も名無しさん
20/11/09 10:05:50.86 daSbkZH1.net
『唯識三十頌』内容と解説 へ入る前の序で廣澤曰く
1.中観派と瑜伽行唯識派がインド仏教の二大潮流で大乗はこの二つを根拠にしている
2.玄奘は、瑜伽行唯識派を学ぶためにインドに行った。
3.中国に戻った玄奘が唯識を伝え、慈恩大師が筆頭弟子として法相宗を開いた
4.法相宗は緻密精緻で厳格な語義定義をしたので
5.江戸時代に法相宗自体が衰えても他派が法相宗の教理学を学んだ
6.法相宗は、世親の『唯識三十頌』の解説書である『成唯識論』の教理体系に基づく宗である。
7.近代文献学は、これに対して『唯識三十頌』の安慧のサンスクリットテキストを発見した。
8.更に安慧の注に対する更なる解説の複注(調伏天)がチベット訳で発見された。
9.廣澤は、故に 漢訳・サンスクリット本・チベット訳を駆使して解説してくれらしい

4:神も仏も名無しさん
20/11/09 10:48:28.06 daSbkZH1.net
序で注目すべきポイントは、
1.仏教教理学の基礎として仏教術語を丹念に調べ知ること
2.唯識思想の教理体系を把握すること
3.そして唯識思想に対して『批判的』※に思索すること
※批判的とはむやみに悪口を言うことではなくて、
自らが正当と確信している宗教的立場に規準をおいて、
その立場から唯識思想の正当性を吟味することで、
同時に自らが正当と確信している宗教的立場への盲信があったかもしれない
という自己批判を内在させなければならないとのこと。
ちなみに
安慧のサンスクリットテキストの邦訳は
『大乗仏典〈15〉世親論集 (中公文庫)』2200円
で読めます。

5:神も仏も名無しさん
20/11/09 11:34:14.97 daSbkZH1.net
序章、曰く
『成唯識論』を参照しつつ、
解釈の違う安慧の注釈も参照するとのこと。
『成唯識論』寄りなのであろうか。。。

6:神も仏も名無しさん
20/11/09 11:44:05.16 daSbkZH1.net
第1章 帰敬偈
「唯識性において満に分に清浄なる者を稽首す
我れ今彼の説を釈し諸の有情を利楽せん」
この句は、世親の『唯識三十頌』の本文にはないが、伝統的に冒頭に付与された
らしい。中国の法相宗時代に入れらたらしい。
「満に分に清浄なる者」は、
「満に清浄なる者」=佛 「分に清浄なる者」=菩薩とのこと どうでもよいが。
佛は釈尊で、菩薩とは世親菩薩だと推定されている。こじつけのように思うが
とりたてて反論する論拠はない。
「諸の有情を利楽せん」とは利他行である。
これが唯識仏教の目的であるとのこと。なんとも御大層な解釈だ。

7:神も仏も名無しさん
20/11/09 11:55:03.69 daSbkZH1.net
第2章 総論(第一偈)
wikiでは
「仮に由りて我法と説く 種種の相転すること有り
彼れは識所変に依る 此れが能変は唯三のみなり」
廣澤さん
「我と法とを仮説するに由りて 種種の相を転ずること有り
彼は識の所変に依る。此の能変は唯だ三つのみなり。」
梵本テキスト省略
a和訳
「まさに種々の我と法とを仮説することが行われるが、
それらは識の転変においてであり、しかもその転変は三種である」
b意訳省略

8:神も仏も名無しさん
20/11/09 13:06:37.06 PlFFvQf1.net
第1章 帰敬偈
「唯識性において満に分に清浄なる者を稽首す
我れ今彼の説を釈し諸の有情を利楽せん」

なるほどね、
ああいう感じかもな笑。

9:神も仏も名無しさん
20/11/09 13:10:54.99 PlFFvQf1.net
三宝帰依によりて
唯識性に、おいて、清浄なるをもって、
有情に体現して、顕し、利他を行う、
ていう感じかな。

10:神も仏も名無しさん
20/11/09 13:13:55.50 PlFFvQf1.net
「仮に由りて我法と説く 種種の相転すること有り
彼れは識所変に依る 此れが能変は唯三のみなり」

人間の持つ認識構造のことで、
その現れは、3つあり、
か、三性か。

11:神も仏も名無しさん
20/11/09 14:03:17.69 i2IA/yUq.net
>>10
第一能変(阿頼耶識)、第二能変(末那識)、第三能変(眼耳鼻舌身意の各識)の事だろ。
馬鹿じゃねーの (^◇^)

12:神も仏も名無しさん
20/11/09 14:06:56.62 i2IA/yUq.net
でおーが来ると即、良スレが糞スレになる。
この馬鹿なんのかならんのか?

13:神も仏も名無しさん
20/11/09 14:38:27.71 PlFFvQf1.net
犬山説、正解のようだ、笑。
テキトーだったわ、
犬山もまともな時あるんやね笑

14:神も仏も名無しさん
20/11/09 14:42:54.88 PlFFvQf1.net
ホントだ、犬山がまともな知識があるときがあるんだ


15:鹿野園
20/11/09 15:28:30.11 1V6UjD/T.net
正確に学ぼうというスレの主旨に応じただけだろ。

16:日本鬼子@2ch覚者
20/11/09 15:39:04.06 AsNTUTTY.net
>>15
じゃあ自主的に退場しなさいよw

17:神も仏も名無しさん
20/11/09 16:05:39.05 PlFFvQf1.net
>>16
11.12は犬山レスだが、
福音伝道のレスと、悟りスレで虚言垂れ流しとる笑。
呆れた奴や、
ジャイアン犬山、ジャイアン権威を守る為に手段を選ばない最低センスが愛らしぞ笑。

18:神も仏も名無しさん
20/11/09 16:10:48.68 PlFFvQf1.net
>>16
悟りスレの523の犬山の自演、おもろいぞ、
なす君を巻き込む算段で自演した、
犬山にしては、賢い方の自演笑

19:日本鬼子@2ch覚者
20/11/09 16:25:12.70 AsNTUTTY.net
>>18
大山くんは良いとして、ここハゲが建てたってホント?

20:神も仏も名無しさん
20/11/09 17:28:58.69 PlFFvQf1.net
>>19
わからん、
キリスト教スレのIDが同じなら、
そうかもな。

21:神も仏も名無しさん
20/11/09 17:37:03.44 PlFFvQf1.net
かされることはない。
ID:eY+uNro8

これがスシローID

22:神も仏も名無しさん
20/11/09 17:37:42.84 PlFFvQf1.net
ちがうな

23:神も仏も名無しさん
20/11/09 18:23:47.26 FUKR+KYd.net
>>19
犬山の返答能力の低さと、
創作唯識は酷いものだな

24:日本鬼子@2ch覚者
20/11/09 18:24:07.84 +oUjDYVG.net
>>20
それならそれで確認したいことが無いわけでは無い(どっちやねんw)

25:日本鬼子@2ch覚者
20/11/09 18:25:08.59 +oUjDYVG.net
>>23
阿頼耶識カッケー(苦笑い)
だと思うよ?

26:鹿野園
20/11/09 18:27:00.52 1V6UjD/T.net
スレに関係のない事は慎むのがスレに対する最低限のマナー。
守りましょうね。

27:神も仏も名無しさん
20/11/09 21:12:06.01 PTOwaHQx.net
>>5
唯識三十頌の解釈では護法の成唯識論よりも安慧の方が、特に識の変異(転変)において正統であるようです。
玄奘三蔵に始まる法相宗では、成唯識論を法相宗経典として正統としていますが。

 これらの2つの解釈の中では護法の解釈よりも安慧の見解が『梵文三十頌』と一致する。識体から相分や見分が変現することを説き、「変とは謂わく識体転じて二分に似るなり」という『成唯識論』の思想はまったく護法の独創であって、安慧や世親の知らない思想である。
 この転変の思想を基本として唯識説が構成されているので、『成唯識論』の説は観念論となっている。しかし安慧や世親には「識体から相分(心内の境)が変現する」という思想はなく、したがって観念論ではない。
URLリンク(www.wikidharma.org)

28:神も仏も名無しさん
20/11/09 21:21:19.82 PlFFvQf1.net
>『成唯識論』の説は観念論となっている。
乱暴だと思うぞ、
後の中国、チベット密教ゲルク派のような、
仏教各宗派の修行の総合理論とみるべきやろ。
世親は、当然、小乗仏教の修行論との統合は考えておらず、
玄奘や、成唯識論は、小乗仏教の修行論との統合は考えたものとみるべきだ、
事実、玄奘三蔵は、その時代の小乗仏教の教学に詳しかった。

29:神も仏も名無しさん
20/11/09 21:30:45.84 PlFFvQf1.net
世親と護法の違いとなると、
世親の方が中観派に近いかもしれんという気がする。
護法の
識が智に転じるとかいうのは、天台や、華厳に近いのかもしれん。

30:神も仏も名無しさん
20/11/09 21:34:47.21 eY+uNro8.net
>>7
由假説我法 有種種相轉
彼依識所變 此能變唯三
第一偈に対する『大乗仏典〈15〉世親論集 (中公文庫)』2200円の荒牧典俊さんの訳は
「ところで、人間存在についても、諸存在についても、さまざまな(言語表現にもとづく)
仮構存在(仮説、仮施設)が存在している。[一ab]
これらは(そのときそのときに)変化しつつ生成する識(識転変)において
(根拠づけられている) [一c]
そして、かの変化しつつ生成する識は、三重の層よりなる(構造をもつのである) [一d]
b,省略した廣澤隆之さんの哲学概念を考慮した意訳
「まさに自己という実体としての存在(我)と、その存在の軌範(法)に関しての
言語によるさまざまな虚構が行われるが、
それらは識が変容する場合においてであり、
しかもその識の変容は三種である。」

31:鹿野園
20/11/09 21:43:22.18 1V6UjD/T.net
>>27
> この転変の思想を基本として唯識説が構成されているので、『成唯識論』の説は観念論となっている。しかし安慧や世親には「識体から相分(心内の境)が変現する」という思想はなく、したがって観念論ではない。
まぁ、分類するのであれば当然にそうなりますね。

32:神も仏も名無しさん
20/11/09 22:15:28.02 PTOwaHQx.net
>>28
世親も説一切有部一番の学者とされた人物、更に経量部を経て(ここは異説あり)兄無着に説得されて大乗唯識派に転向した人物なので小乗経には詳しく、というか専門でしたよ。
だいたいにして『阿毘達磨倶舎論』の著者ですし。
さて、その修行論ですが、現在の薬師寺や興福寺では成唯識論の修行法に沿っているのでしょうか?
「薬師寺とか興福寺とか清水寺とかヨーガやらないんですかね。瑜伽行派の伝統なんじゃないの?」 URLリンク(togetter.com)
まあ薬師寺や興福寺でも見道まではほとんどの僧侶は進んでいると思いたいですが。

33:神も仏も名無しさん
20/11/09 22:17:13.98 eY+uNro8.net
>>10
廣澤さんの序論によるとの『唯識三十頌』には二つの側面があるそうです
1.日常の心の動きを三層構造(阿頼耶識・末那識・六識)として把握
2.この心の分析から引き続いて、迷いから悟りへの転換の理論を
 三性、三無性説として提示している。
>>27
>識の変異(転変)
「変容pariNAma」は第二章の中心的なテーマですが、
第一に経量部の影響がある概念だそうです。
またサーンキャ哲学が「変容pariNAma」を中核に据え、
世界の根本となる存在が次第に外世界や他の力と触れ合う事で自己変容し
世界が拡大していくと考えたそうです。
サーンキャ哲学は「実体原理prakRti」を根本的存在と考えたそうですが
これに対して唯識派は、日常意識では気づかない内奥に秘められた心が
変容する。その変容を三種の心の変容と考えたそうです。

34:神も仏も名無しさん
20/11/09 22:24:42.17 PTOwaHQx.net
>>29
識が智に転じるのは護法を待たずとも唯識の基本では

35:神も仏も名無しさん
20/11/09 22:25:04.88 eY+uNro8.net
>>32
序章p17に曰く
『阿毘達磨倶舎論』と『成唯識論』は、とともに仏教の基本的概念を体系的に
知るためには格好の書物として日本での仏教研究の基本テキストとして、各宗派の
枠を超えて重視された。

36:神も仏も名無しさん
20/11/09 22:31:05.29 PTOwaHQx.net
>>35
日本ではそうでしょうね。
あと唯識関係では中国の唯識も真諦の時はそれほどでもなかったようで、玄奘三蔵以降本格的な隆盛を迎えますから玄奘が中心に据えた成唯識論でしょう。
っていうか中国が成唯識論の法相宗だから日本でもそうだったということになりますか。

37:鹿野園
20/11/10 00:03:14.98 UiveuQGl.net
>>32
基本的に沿った修行はされてる様です。

38:鹿野園
20/11/10 00:06:40.37 UiveuQGl.net
観念論は、つまり安難陳護一二三四って事ですw
分かる人には分かりますよねw

39:日本鬼子@2ch覚者
20/11/10 00:57:23.30 jdT2SQCy.net
>>38
恥ずかしいやつだw

40:神も仏も名無しさん
20/11/10 05:17:00.54 +b5xU1N+.net
>>34
護法の
という意味とは、四智。
五智は、密教。
>>32
修行の
総合化、ていう意味の回答を理解していないようで、
ある論文によると、玄奘は、禅門のやり方を取り入れていたらしい、とある。
現在日本の法相では、やってないようだ。
比叡山ですろ、戦後まで常坐三昧をやってなく、禅門の指導で復活したらしいので、
鎌倉時代で、天台が本覚論化しはじめ、すでに、中国法相と異なっていたかもしれない

41:神も仏も名無しさん
20/11/10 07:00:06.02 svNXy5Al.net
栄進の空解釈、つまりゼロというのは、結局、emptyのことなんだよね。それつまり、いぬや魔のヴっ教理解は空だという
のをモロに言い表していて、連中の書き込みには中身が無いというのを如実に説明している。
また、いぬや魔という現象を説明するのに、次の大乗経典といわれる書の件は有効と思える。
>その悪魔は、猟師が身に袈裟を着したようなもので、内に邪悪の心を秘めつつ
如来の正法を壊乱しようとする・・・
また、まともな会社が佼成会や真如苑などカルト絡みイベントと関わることはなく、
その2団体と関係するのは、公益財団法人 新日本宗教団体連合会などで
カルト絡み印刷製本業者でもなければ、新宗連の下請け的業務請負屋の下級事務あたりではなかろうか

42:神も仏も名無しさん
20/11/10 09:27:07.80 gwUWy/RH.net
上げます

43:神も仏も名無しさん
20/11/10 09:43:40.91 /cWBW5+B.net
>>7
第2章 総論(第一偈)
>>30
小見出し
【私とは何か】…デカルトは「我思う、故に我あり」と「考えている自分」を
        疑いもなく確実にあるとしたが、唯識はこの「考えている自分」を
        既に「考えられた自分」になっているので確実ではないと考える立場とのこと
【虚構としての私】…疑いもなく自分だけで存在すると思い込んでいるもの(我)は、
          「言語による虚構(仮説)」としてあるにすぎない。
          
【虚構としての世界】…自分が関係している世界、自分が認識している世界も虚構である
【識の変容】…世親は自己と世界の虚構を「我法仮説」として提示した。
       そしてそのようなとばによる虚構は心がさまざまに変容するから
       であると考えた。

44:神も仏も名無しさん
20/11/10 11:20:39.61 /cWBW5+B.net
廣澤「『唯識三十頌』を読む」の序章より、唯識の歴史を概説しておく
A.インド
A-0 草創期…西北インドでアビダルマ信奉する修行者にヨーガの瞑想方法が盛んに。
A-1 ヨーガの修行者(瑜伽師)と大乗の交流から大乗の瑜伽師が登場。
A-2 『般若経』を真理を置いたが、竜樹とは異なりアビダルマを全否定せず
   新しい解釈を生み出した。これが唯識。
A-3 『般若経』に基づき瑜伽行を実践し、解釈の方法としてアビダルマを採り入れつつ
   教理学を樹立。
A-4 具体的には、『瑜伽地師論』として結実。
A-5 この学派は経典も編纂。『解深密経』、『大乗阿毘達磨経』(失訳,『摂大乗論』らに断片が引用)
A-6 彼らの唯識は瑜伽行の瞑想体験において、瞑想対象のイメージ(影像)と修行している
  自分の心の関係を内省的に捉えようとし、瞑想体験において捉えている対象は心が
  生み出したものにすぎないと考えた。(『瑜伽地師論』『解深密経』)
B-1弥勒…伝説上の人物か実在の人物か不明。
B-2弥勒を宗祖とする学派が、瑜伽行唯識派(唯識瑜伽行派)⇒無著⇒世親と次第する
C-1無著…5C西北部ガンダーラ地方プルシヤプラ(=パキスタンのペシャワール)で活動。
     説一切有部で出家、大乗に転向し弥勒に教えを受ける。
     『摂大乗論』で阿頼耶識が輪廻の主体になっていることを理論化。
     心の三層構造を三性説として提示。
D-1世親…無著の5~10歳下の弟。説一切有部→経量部→無著に共感して大乗に転向と言われている
D-2 世親に帰せられている膨大な著作すべてが世親一人とは考えられないので
  世親二人説や複数説がある。
D-3 『浄土論』と『唯識三十頌』が同一の世親作とは考えにくい
D-4『阿毘達磨倶舎論』…経量部から説一切有部を批判しつつ阿毘達磨を体系化
D-5 『大乗五蘊論』…『倶舎論』から『唯識』への過渡期
D-6唯識思想…『唯識三十頌』『大乗荘厳経論』『辨中辺論』『法法性分別論』
       『摂大乗論釈』『唯識二十論』『釈規論』

45:神も仏も名無しさん
20/11/10 11:43:02.32 /cWBW5+B.net
2.世親以後の『唯識三十頌』の注釈
E-1安慧スティラマティ…サンスクリット本は安慧注によって知られる
E-2調伏天…安慧注を更に注釈(複注) チベット本がある
F-1論理学の陳那(ディークナーガ)→無性→護法(ダルマパーラ)と次第
F-2護法の弟子の戒賢から玄奘は唯識教理を教わる。
F-3玄奘は、真諦訳の唯識論書を不正確な訳として退け、唯識関係から広く経典までを訳す。
F-4玄奘は『唯識三十頌』の注釈するにあたって当初、唯識十大論師たちの注釈を入手して
  持ち帰り、担当を決めて訳させようとしたが、弟子の慈恩大師が、難解な注釈をたくさん
  翻訳するより、テーマごとに論師の注釈を整理しチョイスして決定版を出そうと提案。
  それが『成唯識論』であると伝説されているらしい

46:神も仏も名無しさん
20/11/10 14:14:03.70 /cWBW5+B.net
仮説を専門家の二人は「言語による虚構」と解釈されているのだが、
それは性格なのであろうか。
我と法が仮に説かれている。とあるわけだが
説く=言語に拠っているとは言えるわけだが、説くは「説明されている」
仮には「一時的」ともいえるのではないかと思う。
わたしと世界とを虚構であると唯識は主張しているのでろあうか。
わたしと世界は一時的現象しているにすぎないと主張しているのであうか

47:神も仏も名無しさん
20/11/10 15:53:39.86 QzLfQ6gm.net
>>45
お疲れ様でした
出来ればその後の中観派と唯識派の論争と融和についてもまとめて下さい

48:神も仏も名無しさん
20/11/10 17:17:36.98 YNVADQ0x.net
>>47
案外、その融和は、中国、天台、華厳、真言かもよ。

49:鹿野園
20/11/10 18:03:15.81 cPF2SVq8.net
>>46
>仮説を専門家の二人は「言語による虚構」と解釈されているのだが、それは性格なのであろうか。
仮説とは仮設であって、存在とは言語であると私は考えています。
掛かる視座から紐解かれてると思うんです。

50:神も仏も名無しさん
20/11/10 21:14:28.04 zxjscPnb.net
>>7
第一偈
atmadharmopacaro hi vividho yah pravartate/
vijnanapariname'sau parinamah sa ca tridha/
atmadharmopacaro は、atmadharm 我と法という並列複合語に
更にupacāra(言説or仮説)という語が追加されている。
倶舎論の用法だと、非有であるのに宥の相を持つという意味のようである。
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)

51:神も仏も名無しさん
20/11/10 23:05:48.74 svNXy5Al.net
昔の(今でも)中央省庁の役人とかボケ老人は
カタカナ英語を使えば日本人を洗脳できると調教されてて、
官庁の文書もバカみたいな和製英語が並んでたものだが、あのアフォな
スレ名もまさにそれだな

52:ポッタン師3世(ザサード)ヒンドゥスクワット麦
20/11/11 06:02:51.50 WGoVb2UE.net
>>49
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ
>仮説とは仮設であって、存在とは言語であると私は考えています。
唯識塾 横山紘一 唯識入門より
URLリンク(www.kouitsu.org)
有為転変、諸行無常といわれるように、たしかに現象的存在(有為・諸行)は変化し無常なるものです。
だから、何事に対しても、実体化しやすい「名詞」ではなくて「動詞」で捉えてみてはどうでしょうか。
でも、名詞にしても動詞にしても、いずれも言葉です。
言葉で捉えられ、分別された「もの」は、言葉によって、いわば、加工された「もの」であって、
もとの生(なま)の「もの」すなわち「それそのもの」ではありません。
たとえば、「そこにコップが有る」といいますが、「そこ」「コップ」「有る」という言葉によって、「それそのもの」と雲泥に違ったものとして捉えられてしまったのです。
コップの存在はそれほど問題ではありません。
問題は「自分はいま、ここに生きて有る」と言葉で語り判断することが最大の問題です。このように「自分」「いま」「ここ」「有る」という言葉で語った判断は正しいのでしょうか。
結論からいうと、間違った判断です。
そこを<唯識>は「識」(六識と末那識・阿頼耶識を含めて八識すべて)は「虚妄分別」であると、識の働きを間違った虚妄なるものであるのだと、声高に主張します。
識は原語からして、「二つに分けて知る」ことでした。二つに分けられた言葉としては、「有」と「無」、「自」と「他」、この四つが根本の言葉です。この四つの言葉を心の中に浮かべて、これらの言葉が指し示す「もの」は一体なにか、静かに観察し思惟してみましょう。
すると、「言葉で認識するが如くには存在は存在しない」という事実をはっきりと理解できるようになります。その上で、言葉をはなれて、まず、「五識の働き」(それによって感覚のデータが得られる)と「感覚を鮮明にする意識の働き」との二つの働きを心の中に起こし、
生(なま)の存在に直に触れてみましょう。
そして、そこで、「言葉を発する意識の働き」を起こし直に触れ、経験したことを言葉に表してみましょう。
そうすると、言葉の嵐が吹きすさぶ心が、少しは静かにおさまってくるかもしれません。
>「言葉で認識するが如くには存在は存在しない」
って事ですね

53:神も仏も名無しさん
20/11/11 06:22:59.83 GGstmv3V.net
>仮説とは仮設であって、存在とは言語であると私は考えています。

ブブッ!!!
ソシュールを理解できてない、
ハッタリ、ソシュールだったのね笑。
麦も、よくもまあ、こんなジャンクを信用できるわ笑

54:神も仏も名無しさん
20/11/11 06:50:41.44 Q7o/zE2o.net
>存在とは言語
?確かに、言語によってつくられた存在もあり、言語によらず、つくられたのではないものも存在する。
言語=縁起と解釈するなら、その言い様は正しいとも呼べるが、しかしそれでは「言語」を拡大解釈し過ぎだな。
しかし例えば人のファッションや作為的環境は言語としても問題はない。

55:神も仏も名無しさん
20/11/11 07:13:36.01 Q7o/zE2o.net
  
>弟子たちよ、生じないもの、成らないもの、創造されないもの、
構成力から発生したのではないもの、が存在する。
もし、この生じないもの、成らないもの、創造されないもの、
発生しないものが存在しなかったとすれば、生じたもの、成ったもの、創造されたもの、
構成力から発生したものを認識することができないであろう

56:神も仏も名無しさん
20/11/11 07:33:39.71 GGstmv3V.net
>>54
なんちゃって知識人、鹿野園君のご指導よろ〜〜。

57:神も仏も名無しさん
20/11/11 07:47:49.39 Q7o/zE2o.net
言語や思考を越えた絶対否定の理
というのが理解できてないから
言語に執着してしまう とも言えますね。
或いは、聖書の解釈の誤り とか
キリスト教的洗脳を
引きずってるとか

58:鹿野園
20/11/11 07:50:55.30 gvRdjAZ8.net
www
ソシュールというよりも、ハイデッカーだなぁw
で、ソシュールよりも先にディグナーガがアポーハ論を出してるし。

59:鹿野園
20/11/11 07:53:08.92 gvRdjAZ8.net
今度はこのスレが伸びるのかなw
存在とは言語である。

60:鹿野園
20/11/11 07:54:03.90 gvRdjAZ8.net
(声字実相義)
五大にみな響あり、十界に言語を具す、
六塵ことごとく文字なり、法身はこれ実相なり。
(現代語訳)
地水火風空の五大に皆それぞれ響きがあります。また、下は地獄から上は仏界までのあらゆる世界にそれぞれ言語があって意志を伝え合い表現し合っています。そして眼耳鼻舌身意という六根が対象とするいわゆる色声香味触法の六境(六塵)も広く理解すればすべて文字(メッセージ)だといえます。そう考えますとこうした声字の当体としての法身が実在するということになります。

61:鹿野園
20/11/11 07:55:07.05 gvRdjAZ8.net
(声字実相義)
内外の風気わずかに発すれば必ず響くを名づけて声という。響は必ず声による。声はすなわち響の本なり。声発して虚からず、必ず物の名を表するを号して字という。名は必ず体を招く。これを実相と名づく。
(現代語訳)
身体の内であれ外界であれ、空気が少しでも動きますとそこに必ず響きを生じますがこれが声です。響きは必ず声から生じますから声は響の本になっているのです。声が起こりますとそのままではすまないで必ず物の名を表わすことになり、これを字といいます。名が出れば必ずそこに本体があらわれます。これを実相といいます

62:鹿野園
20/11/11 07:56:08.65 gvRdjAZ8.net
何か個物があってそれに何かしらの命名(名前)がされるというのが一般的な常識で、また名前は名前でそれそのものではないという見解にも一理あるでしょうが、表層意識下の意識を説く大乗仏教では、その考察に留まらず、全く逆の視座からその実在を分析する一派もあります。
即ち、阿頼耶識に在する名言種子の薫習と現行の問題です。

63:鹿野園
20/11/11 07:57:00.54 gvRdjAZ8.net
人がアと発声する、まだ特定の意味は全然考えていない。
しかし、自分の口から出たこのア音を聞くと同時に、そこに意識が起こり、それとともに存在性の広大無辺な可能的地平が拓けていくのであります。
ア音の発声を機として、自己分節もはたらきを起こした大日如来のコトバは、アからハに至る梵語アルファベットの発散するエクリチュール(書き言葉)的なエネルギーの波に乗って、次第に自己分節を重ねていきます。
そして、それとともに、シニフィエ(音声の意味、すなわち概念)に伴われたシニフィアン(音声)が数限りなく出現し、それらがあらゆる方向に拡散しつつ、至るところにひびきを呼び、名を呼び、物を生み、天地万物を生み出していきます。"五大にひびきあり"といわれるように、それは地水火風空の五大ことごとくをあげての全宇宙的言語活動であり、"六塵ことごとく文字なり"というように、いわゆる外的世界、内的世界にわれわれが認識する一切の認識対象のことごとくが、文字なのであります。
(井筒俊彦 高野山での特別講演「言語哲学としての真言」より)

64:鹿野園
20/11/11 07:57:30.33 gvRdjAZ8.net
全存在世界をコトバの世界とし、文字と声とひびきによって世界の本質が開示し、存在するという教え、すなわち神のみが真実のコトバを発し、そのコトバによって世界が創造され、その世界の住人となった人間にもともとの神のコトバが流布していったという教えは、イスラームの文字神秘主義や、ユダヤ教のカッパーラー(6世紀の神秘思想のこと)でも説かれている。(空海も『声字実相義』の「言語論の典拠」の章で、「インドの最高神、梵天自らがコトバを創造し、一つの語の中に多くの意味を含ませた」と説いている)
 このように"存在は言葉である"という命題の絶対性において、真言密教の教え、すなわち空海の言語哲学の教えは東洋思想の歴史的展開の中で、決して孤立無援の思想ではなかったのであります
上記の要旨だとか。
URLリンク(www.mikkyo21f.gr.jp)

65:鹿野園
20/11/11 07:58:44.00 gvRdjAZ8.net
はい、お前らに問題提起したぞw
勿論、個人の所管だから。

66:鹿野園
20/11/11 08:03:31.17 gvRdjAZ8.net
(訂正)
存在とは言葉である。
言語だとちと無理があったので🤗

67:神も仏も名無しさん
20/11/11 08:16:41.74 GUX3XcS5.net
空海さんは『声字実相義』で
1.「如来の説法は必ず文字」に依っている
2.その文字という体には実相を備えている
と考えるわけですが
世親は真逆です。
倶舎論でupacāraと言っている
upacāraとは、「仮説」と訳されるが、非有なのに有と遍計すること
と規定されている。
第一偈は
我々が、「我」と「法」とを、自分のものではないのに
自分のものであるかのように考えているという意味ではないでしょうか?
それは心の働きによって色んな種類がある。大きくわけると三つだと
言われているように思いのます

68:鹿野園
20/11/11 08:17:03.57 gvRdjAZ8.net
>>57
>言語や思考を越えた絶対否定の理というのが理解できてないから言語に執着してしまう とも言えますね。
>或いは、聖書の解釈の誤り とかキリスト教的洗脳を引きずってるとか

ふーん、空海さんや井筒さんがそうなんだ。

69:神も仏も名無しさん
20/11/11 08:22:19.24 Q7o/zE2o.net
60 などの現代語訳というのが
聊か稚拙であって幼稚、浅い真言理解というか誤解による訳
と思われる。お大師さまも、そこまでキリスト教徒並のアフォじゃなかっただろうと思う。でなければ、弘法も筆の誤りだな

70:鹿野園
20/11/11 08:26:27.63 gvRdjAZ8.net
>>67
逆?
大乗では空仮中が実相でしょ?
>upacāraとは、「仮説」と訳されるが、非有なのに有と遍計すること
実体視って事でしょ。

71:鹿野園
20/11/11 08:33:15.13 gvRdjAZ8.net
>>69
訂正
はい、お前らに問題提起したぞw
勿論、個人の所感だから。

72:神も仏も名無しさん
20/11/11 08:36:40.14 Q7o/zE2o.net
どうも
お大師さまも折角、中観を通りながら
また実在視に戻ったと錯覚してるのか、中といいながら深の解釈が「浅」なん
だよそれ

73:神も仏も名無しさん
20/11/11 08:37:48.44 GGstmv3V.net
皆様も、薄々気づきつつあると思いますが
鹿野園君は、創作概念接合しているだけなのです。
しかの

74:神も仏も名無しさん
20/11/11 08:40:59.61 GGstmv3V.net
鹿野園の問題提起自体が空論なので、
空海の思想すら、認知エラー状態で
問題提起自体がエラー、前提かエラーなので
空論に議論するという
鹿野園の脳内お花畑にイエスと言え、
ぐらいしかありません笑。

75:鹿野園
20/11/11 08:41:36.97 gvRdjAZ8.net
>>72
六大縁起はそんなものじゃないですよw

76:鹿野園
20/11/11 08:42:28.07 gvRdjAZ8.net
>>73
www
精神病院に行きなさい。

77:鹿野園
20/11/11 08:42:46.20 gvRdjAZ8.net
>>74
www
精神病院に行きなさい。

78:神も仏も名無しさん
20/11/11 08:44:21.17 GGstmv3V.net
鹿野園の文書は、基礎知識のない者からすると、
一見、まともに見えるかも知れませんが、
内容は、オリジンぼったんと大差ないという
状態ですな。

79:神も仏も名無しさん
20/11/11 08:44:33.78 GUX3XcS5.net
空海さんが言う実相とは
「ありのままの真実」という意味です。
空仮中が実相というのは、天台教学です。
でprajñāpti の訳です。
upacāra(言説or仮説)と同類の概念ですが別語です

80:神も仏も名無しさん
20/11/11 08:45:07.11 Q7o/zE2o.net
自分はガチガチの真言フリークとかじゃないです。しかし、
お大師さまが言う「言語」は
世俗の言ではなくて、手垢に塗れたマントラでもなく、
勝義の「真言」なんだと観察します。

81:鹿野園
20/11/11 08:46:16.27 gvRdjAZ8.net
ザックリいうと、仏教は基体説に立たず基体と属性の別を説かないインド的唯名論っていわれてます(空の思想 立川武蔵)。

82:鹿野園
20/11/11 08:51:52.08 gvRdjAZ8.net
>>79
三諦(空仮中)説を特に強調したのが天台ってだけでしょ?
空海さんは「御遺告」で、わが亡きあと、三論と法相を密教とともに兼学することを遺言されてますよ。

83:神も仏も名無しさん
20/11/11 08:52:04.16 GGstmv3V.net
>>66
是正しても、鹿野園、
概念の創作接合であることは、かわりない、
鹿野園は、テキストに、忠実にやる気がない、
自己愛性人格障害のナルシズムが前に出てくるのかも知れんが
別々のテキストの概念を平然と創作的に接合する。
最初の臨済宗禅からにして、そうだ。
オリジンぼったんと、いい勝負、ジャンクさにかけては、

84:鹿野園
20/11/11 08:53:31.43 gvRdjAZ8.net
>>83
www
精神病院に行きなさい。

85:鹿野園
20/11/11 08:54:36.55 gvRdjAZ8.net
仏教は言語哲学でもあるんです。

86:神も仏も名無しさん
20/11/11 08:59:04.63 Q7o/zE2o.net
>存在とは言語   とかいう言が、たとえば声字義の深秘釈の誤解に基づくものだと
すれば、弘法大師の世界観は聖書から来てたともいえませんか? 宇宙万有が
言語と言い切るか、真言だけは諸法を包み超えた理というかで全然
違って来る訳だけど

87:神も仏も名無しさん
20/11/11 08:59:33.02 GGstmv3V.net
>>79
空海は、人格仏である大日如来が存在の構成要素と考えております、その延長線上の実相です。
>>80
>勝義の「真言」なんだと観察します。
勝義、という表現が中論の意味なら違います、
華厳を事事無碍法界といいますが、
事とは、世俗諦のことなので、
空海の仏教ランキングは、華厳の上にしんこを設定しています。
ま、あほーざんすっ鹿野園には、こういうマジレスは無駄なのでやらないが笑。
鹿野園には、ハッタリこくな!で終わり


88:神も仏も名無しさん
20/11/11 09:06:04.80 GGstmv3V.net
>>86.
般若思想に、その萌芽があります、
大般若経典に。

聖書は、イスラエルの民の選びですから、
無条件です。
空海は仏教なので無条件ではありません。
空即是色の
色、すなわち、事、世俗諦、の扱いを
真言を用いて成立させようとするもので、
鹿野園君のような中途半端な西欧哲学かぶれのようなものではありません。

89:神も仏も名無しさん
20/11/11 09:06:28.35 Q7o/zE2o.net
たとえばブッダの苦、無常・非我・不浄を
そのまま仏の世界とは呼べません。そんなのは哀れなる凡夫の
癲倒夢想と言えます。「言語」の用い方がキリスト狂犬の戯論に過ぎず、
勝義のしれではない。

90:神も仏も名無しさん
20/11/11 09:07:24.56 GGstmv3V.net
空海の仏教ランキングは、華厳の上に真言を設定しています。

に修正。

91:神も仏も名無しさん
20/11/11 09:13:34.75 GGstmv3V.net
>>89
俺様の三昧体験上からの見地からすると、
密教は、
現在南方仏教から言うと、生滅智、
物事が刹那に、生滅するのをとらえる智慧、
これは、大乗仏教と異なる点ですが、
この生滅智である、光の感覚と快楽を
滅せずに、三昧として活用して、肯定の認識システムを空海はやっていたのでしようね。
全肯定の無分別なんでしような。

92:ポッタン師3世(ザサード)ヒンドゥスクワット麦
20/11/11 09:17:43.84 WGoVb2UE.net
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ真言は分かりませんけど
赤ちゃんの泣き声をお母さんがお腹がすいたなとかお尻が汚れたな具合が悪いと聞き分けるみたいな
言語の概念ではなくて阿吽の呼吸とか以心伝心的な一体感かなぁと思いました

93:神も仏も名無しさん
20/11/11 09:34:37.69 diTjR8vs.net
>>92
犬山より遥かに正解に近い

94:神も仏も名無しさん
20/11/11 09:37:05.88 WHVawVYo.net
>>7
第2章 総論(第一偈)
atmadharmopacaro hi vividho yah pravartate/
vijnanapariname'sau parinamah sa ca tridha/
廣澤さん 読み下し
「我と法とを仮説するに由りて 種種の相を転ずること有り
彼は識の所変に依る。此の能変は唯だ三つのみなり。」
a和訳
「まさに種々の我と法とを仮説することが行われるが、
それらは識の転変においてであり、しかもその転変は三種である」
b,哲学概念を考慮した意訳
「まさに自己という実体としての存在(我)と、その存在の軌範(法)に関しての
言語によるさまざまな虚構が行われるが、
それらは識が変容する場合においてであり、
しかもその識の変容は三種である。」
0-a 仏陀の悟りはjNAna(智慧)であり、統合的な智慧の働きである。主客未分。
0-b しかし我々のvijNAna(識)は、接頭語vi-(分離)+jNAna(智慧)から推測されるように
  ものごとをほかのモノから分離し定義して理解する心の働きである。
1.我々の認識はまず、「わたし」(我)と「世界」(法)とを分離した。
2.この分離は世界を種々の相へと概念化し続けているのだが
3.これは我々の認識の変容によってもたらされるのである
4.我々の認識の変容には大きく三つの変容があります。

95:神も仏も名無しさん
20/11/11 09:43:00.60 WHVawVYo.net
能変…心の主体的な変容の相。能は能動。
所変…心の変容によって構成される自己と世界 所は受動。
伝統的な教理学では識の能変の三様を
1.初能変…阿頼耶識の変容
2.第二能変…末那識の変容
3.第三能変…前六識(①眼識~⑥意識)
と称するそうです。

96:神も仏も名無しさん
20/11/11 09:55:47.47 WHVawVYo.net
第三章 初能変-阿頼耶識の変容(第二偈~第四偈)
第二偈 謂異熟思量 及了別境識 初阿頼耶識 異熟一切種
    vipAko mananAkyas ca visayasya ca
tatrAlayAkhyaM vijNAnaM vipAkaH sarvabIjakam
謂わく、異熟と思量 及び了別境との識なり。
初めのは、阿頼耶識なり。 異熟なり。一切種なり。
a.異熟と思慮といわれるものと境の了別とである。
 そのうちで異熟とは阿頼耶といわれる識で、一切種子をもつものである。
b.(過去世の業が)成熟した果報と、(自己認知する)思考と称されるものと、
 (対象を顕現させる)表象とである。
 そのうちで、成熟した果報とはアーラヤといわれる識であり、すべての
 (錯誤した認識の)可能態(種子)を含み持つ。

97:神も仏も名無しさん
20/11/11 10:20:14.85 WHVawVYo.net
Alayaアーラヤという単語は、ヒマラヤにも使われているそうだ。
himAlayaヒマーラヤはhima(雪・氷)+Alaya(蔵) 「雪を蔵するもの」という
意味だそうです。常に「雪をたくわえたところ」なのでヒマーラヤ。
アーラヤも心の蓄える場所という意味で「蔵」識と訳される場合もありますが
普通は音写されて阿頼耶識。
次に「異熟」(vipAka)。
vipAkaの語源はvipacという動詞。これを分解すると
vi-(分離)+pac(熱を加えて料理する、成熟させる)
なので、玄奘の「異熟」という訳は原語に正確なのですが
一つ問題があります。
vipAkaは伝統的に「果報」と訳されてきた語であるからです。
つまり「異熟」とは因果関係における結果のことなのです。

98:神も仏も名無しさん
20/11/11 10:22:11.42 JM3imcuK.net
大山は
>>49
でやらかしたことの照れ隠しで必死になってるのなw
分かりやすいわw
それにしても
>>65
個人の所管
なんて日本語があるのか?
まあ大山のことだから所管はウケ狙いとか後出しで言いそうだがw

99:神も仏も名無しさん
20/11/11 10:38:39.76 WHVawVYo.net
>>98
>仮説とは仮設であって、存在とは言語であると私は考えています
という大山さんの所感は正しいかもです。
upacAraは、説一切有部の『婆沙論』にもあり、
玄奘は「言説(ごんせつ)」と訳しています。
第一偈 atmadharmopacaro hi vividho yah pravartate…を直訳すれば
(atma我と-dharma人との-upacAra言説が)実にさまざまに、生起する。
されどそれは識の転変においである
です。
upacAraは仮設と訳されていますが、「言説」が直訳です。

100:神も仏も名無しさん
20/11/11 10:45:33.39 Q7o/zE2o.net
もしそうなら ですが またあくまで言葉の解釈ですが
聖書の「はじめに言ありき」の言を、
縁起とか情報とか宇宙の根本原理とかと解釈し得るとするなら、キリスト教も
仏教や現代科学やインド哲学と同義といえなくもない
結論を書いて締めますが、キリストは兎も角として
弘法大師にとっての「文字」とは、まさにそうした
縁起とか情報とか宇宙の根本原理とかに直結し、全て包摂する真言だったと
考えられる。

101:神も仏も名無しさん
20/11/11 10:46:00.10 GGstmv3V.net
>>98
いずれにしても、犬山の議論は、
テキスト不忠実なテキストの概念を創作的に別のテキストの概念を混ぜ合わせて、奇妙な珍説なキメラな概念を主張しているのさ、
犬山は、テキストの体系、理論を平然と壊すからな、
美魔女は、そこまではできないが
脳内構造は、美魔女も犬山も同じ
笑。

102:神も仏も名無しさん
20/11/11 10:56:01.60 GGstmv3V.net
>>100
聖書は、人間側に予想つかないミラクルが本筋。
キリスト教神学で秩序があるが如くありますが、
イエス・キリストが十字架に付けられた時に、
隣に十字架に付けられた強盗が救われる、強盗み含めて弱者救済
という意味不明な解決は、真言にはありえません。
真言といえども、因果応報を知り、うまくこなしていくための真言ですからね。
空海の文字は、聖書の意味があるよりも、
仏の人格的智慧と作用を現したものです。
その智慧、すなわち真言をもって、迷いをなくし、仏の智慧を体現するものです。
鹿野園の創作学問は真に受けてはいけません。

103:神も仏も名無しさん
20/11/11 10:58:12.18 GGstmv3V.net
犬山の空海論は
修行と無関係で
ただの創作知識考察に過ぎません。

104:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:15:01.18 GGstmv3V.net
真言と聖書に共通的に見えるのは、
日本密教が、空海当人よりも、
人格仏視点、空海救済者論など、
空海後の救済仏へのシフトが、
そのように見えるのかもしれません。

105:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:26:39.43 WHVawVYo.net
聖書(ヨハネ1:3)
「万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に成ったものは、命であった。この命は人の光であった。」
空海(声字実相義)
「名の根本は法身を根源となす。彼より流出して稍く転じて世流布の言となるのみ。」
聖書は言によって万物が創造されたと説き
空海さんは、世間に流布している言は、法身より流出したものだと仰せですので
類似点がありますが、
空海さんは更に『声字実相義』真妄の段で
「九界の文字は虚妄であるが,仏界の文字は真実であり,
これを真言とも秘密語ともいうのである」と言ってますので
言に真妄の別を設けられています。

106:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:35:59.74 gvRdjAZ8.net
>>98
www
精神病院に行きなさい。

107:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:36:08.27 GGstmv3V.net
>>105
真言と聖書は、本来役割が違うからね。
空海死後の日本密教は、
キリスト教に近付いてきた面もある。
空海救済信仰は。高野山の学問僧ではなく。
勧進する、浄土信仰を持つ高野聖が広めた、と言っても過言ではない。

108:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:36:36.89 gvRdjAZ8.net
>>101
www
精神病院に行きなさい。

109:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:36:58.94 gvRdjAZ8.net
>>103
www
精神病院に行きなさい。

110:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:38:16.79 GGstmv3V.net
鹿野園ジャイアンかしとるのお笑

111:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:39:34.77 GGstmv3V.net
美魔女は、発達障害コール。
鹿野園は、精神病院、知育障害コール

笑。

112:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:40:19.12 Q7o/zE2o.net
はじめに言があった。
なんて、善意で解釈すると阿字本不生? しかし、
キリスト教のほうが密教より五百年以上早かったことになってますが、あの時代
の、それこそトレンドではなかったですかね?

113:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:54:07.86 WHVawVYo.net
■阿頼耶識の変容を理解する前の前提となる伝統的用語
A.薫習(くんじゅう)vAsanA…
 阿頼耶識と阿頼耶識に染み込む業は不即不離の関係にあるのだが、阿頼耶識という
 心にさまざまな業の影響力が染み込むことを薫習という。
 箪笥に匂い袋を偲ばせると衣服に香りが沁みこむような感じである
B.種子(しゅうじ)bIja…
 阿頼耶識に蓄えられた業の影響力を種子と言う。種子は地中に隠れているが、
 光や水や適温などの環境という縁が熟すると、日常世界の業となって現れる。
C.現行(げんぎょう)samudAcAra…
 心の奥底から日常の行為・活動へと過去の業の影響力が現れ出ること。
 または現れ出ていること。
D.種子識…
 阿頼耶識は種子を蓄える心なので種子識とも言われる。
 日常世界で新たな業を生み出すと、それが影響力として阿頼耶識に薫する。
 新たな薫習を受けた阿頼耶識は、それ以前の阿頼耶識から、新たな阿頼耶識へと
 質的に変容している。
変容し続ける阿頼耶識なのです。

114:神も仏も名無しさん
20/11/11 12:11:17.28 WJWVEDMS.net
>>112
既存のキリスト教がイエス・キリストの十字架の弱者救い、すなわち救世主に関する考察が薄いから
神=宇宙原理と見ているのですね、
宇宙原理だとすると、救世主は無理でしょう。
空海は、ましてや救世主ではありません。
救世主というシステム自体が宇宙原理と、そもそも、そぐわない感じがあります。

115:神も仏も名無しさん
20/11/11 18:14:31.48 diTjR8vs.net
犬あげ

116:神も仏も名無しさん
20/11/11 20:37:44.96 Q7o/zE2o.net
一つ、声字義の深秘釈の相違釈だったかで疑問に感じたのは、
「いかなる相も虚妄」に抵触する部分があるとすれば、その点はどうなのか? という事
で、それはマントラや曼荼羅の三摩地で、仏界に関わる事だからで終わりなのか、やはり
初期仏教や般若経典とは全然別という事なのか?

117:神も仏も名無しさん
20/11/11 20:44:18.90 Q7o/zE2o.net
つまり「いかなる相も虚妄」とブッダや般若経典の論師から説かれておき
ながら、像法の時代以後(いつから?)ストゥーパや仏像を拝むようになった理由とか、
或いは大乗経典で3世紀以後仏像を作れと言い出した理由と絡む
話なのかも。。。

118:神も仏も名無しさん
20/11/11 21:11:18.95 BZzFqDcu.net
識の上にあらわれた「見るもの」と「見られるもの」という二つの相は本来ないという安慧(スティラマティ)の説に対して、
識は必ず「見るもの」と「見られるもの」との二部分をもつという説を難陀(ナンダ)が立て、
陳那(ディグナーガ)は両者と別に識自体があると主張し、
さらに、護法(ダルマパーラ)は識それ自体を自覚する要素も識の中にあるという見解をとった、
ということを、「安・難・陳・護、一・二・三・四」という句で暗記するわけです。
ところで、この煩瑣な法相宗の教理学というのは、現在われわれがサンスクリット原典から理解する唯識とはだいぶ性格が異なっています。
法相宗には、いま例にあげた認識論上の問題とか、識―つまり心に伴う心作用の分類・定義とか、『俱舎論』に似たアビダルマ学的な色彩が濃厚です。
それに反して、『中辺分別論』などに見られる唯識思想は、「空」の真理を心の上に、つまり主体の側から明らかにしていこうとする性格を強くもっているといえます。

119:神も仏も名無しさん
20/11/11 21:14:12.05 WJWVEDMS.net
>>116
大般若経典には、ア字で、悟りを現すとかあるので、それが、ルーツでしょう、理趣経も、
真言でない方の大般若の方の理趣経があります、禅門でよまれているらしいです。
ただし、密教の欲望肯定要素に関しては別物で
やはり如来蔵思想が出てこないと無理でしょうね。
>>117
玄奘三蔵の旅行記では、玄奘がみたらしい仏の幻が仏教の聖地で見たらしいので、
その頃に理論とか別に。

120:神も仏も名無しさん
20/11/11 21:19:42.71 WJWVEDMS.net
>>116
密教も、天台、華厳と同じ、
色んな仏教思想を統合の仕組みがあると見た方が分かりやすいのではないかとおもいます。
空海が十住心論を建てた意図は、
各仏教思想の総合化、密教を上位思想とする。
ということでしょうな。
ダライ・ラマのチベット密教にも、その総合化、思想があります。

121:神も仏も名無しさん
20/11/11 21:24:40.98 WJWVEDMS.net
>>116
密教、華厳、天台などの
総合化、上位思想のシステムを作り出した動機は、修行者の内面のみならず、外側の他者存在を導く利他として発達したと思います。
禅になると、理論は包摂しながら、理論言語化を捨てるという方向に行くのでしょうね。

122:神も仏も名無しさん
20/11/11 21:40:54.09 Q7o/zE2o.net
単純化し過ぎかもですが、華厳や密教の基本教理で 
諸法=毘盧遮那佛 と解釈し得る表現がされる事があると思うのですが、
そうした場合、諸法無我と抵触せず、毘盧遮那佛も無我で実体無しでしょうか? ただ
実在性を説くのが真言蜜という人もいます。

123:鹿野園
20/11/11 21:59:40.01 gvRdjAZ8.net
それは仏教が未完の宗教……というよりどこまでも完成を許さない性質を内包した宗教だからじゃないですか。

124:神も仏も名無しさん
20/11/11 22:13:56.59 Q7o/zE2o.net
仏教には色々な世界観があって、だから面白いということですね。
チベットでも大日経は伝授されてるようなので、そちらも調べてみようと思いま
す。中観派の影響が強いので、また解釈は別と思いますが、真言密教での
圧倒的実在性はユニークです。

125:神も仏も名無しさん
20/11/11 22:20:20.31 Q7o/zE2o.net
その実在感というか、
大師の六大無碍常瑜伽とか文字の話を米国の心理学説の言語観と混同すると
色々妄想も膨らんで逝くといったところ
でしょう。

126:神も仏も名無しさん
20/11/11 22:29:30.36 WJWVEDMS.net
>>122
>諸法無我と抵触せず、毘盧遮那佛も無我で実体無しでしょうか?
まず華厳となると、全てが無我という
華厳三昧になり、
次に、世界そのものが、真実の姿を現す、
という、海印三昧と
下層構造の三昧と上層構造の組み合わせとなっています。
次に真言密教になると、その華厳思想の延長線上で作られており、
海印三昧がベースとなっていると見てもいいでしょう。真言密教は、真言の文字に、
上位の欲望の肯定がありますが、
下位に、諸法無我を現す、真言の文字を当てはめているようです。
三昧体験上で、恐らく、真言密教の無我は、
南方仏教の瞬間に生滅する構成要素が復活してきているように感じます。
すなわち、真言密教の無我は、六大の構成要素込みの無我=大日如来
と見ている感じがします。

127:神も仏も名無しさん
20/11/11 22:31:57.15 WJWVEDMS.net
>>124
おそらく、真言密教よりも、ダライ・ラマの宗派ゲルク派の方が遥かに中観派の影響が強いですね。
ダライ・ラマの動画を見ていても、そういう感じがありますね。

128:神も仏も名無しさん
20/11/11 22:35:05.59 WJWVEDMS.net
鹿野園君は、こういう大乗仏教学の基本学習を放棄して、
西欧哲学概念とか、結びつけるからな笑。

129:日本鬼子@2ch覚者
20/11/11 22:49:29.85 kK+HqoC7.net
俺は実践に結び付くろころまではROM

130:鹿野園
20/11/11 23:11:13.77 gvRdjAZ8.net
www
でおーってデタラメも酷いなw

131:鹿野園
20/11/11 23:17:44.60 gvRdjAZ8.net
仏教徒なら、西洋哲学上の問題に対して仏教的な視座からから切り口を入れるのが醍醐味って事だろうにw
ウィトゲンシュタイン?
龍樹の方が先駆者だろ?
フロイト、ユング?
無著や世親はもっと深く考察してたぜ?
ソシュール?
陳那の方がおもしろいだろ?
ってなwwwwwww

132:神も仏も名無しさん
20/11/12 05:38:01.00 esrF/Ypa.net
犬山自己陶酔恥知らずあげ

133:神も仏も名無しさん
20/11/12 05:39:49.36 q6cperTV.net
世俗の言語とは、虚妄であり、人を錯覚させるものだと思います。
空海の十界に言語を具す、六塵悉く文字 でいう文字は、覚者にとっての法身仏の説法で
本不生の真言でありますから、世俗の概念を遥かに越えた佛の内証の意味そのもの
を導き出すトリガーでしょう。

134:神も仏も名無しさん
20/11/12 07:00:49.02 esrF/Ypa.net
>>133
そういうこっちゃね。
鹿野園君は虚妄な創作概念に走り
何をやりたいの?
ていう感じ。

135:神も仏も名無しさん
20/11/12 07:03:18.81 MFsXMjGF.net
>>113
■阿頼耶識と業の相互関係
①現れている業(現行)が、薫習し、阿頼耶識に種子を形成する
⇒現行薫種子
②阿頼耶識に蓄えられている種子が、あらたな業(現行)を生み出す
⇒種子生現行
③阿頼耶識=種子識に新たな種子が蓄えられると、新たな阿頼耶識=種子識が
 生み出される
 ⇒種子生種子
この三つの関係が瞬時に働き、瞬間ごとに変化し、種子が蓄えられ
阿頼耶識は変容し続ける。
一方で後に出る第四句で阿頼耶識は無覆無記と言われている。
業には善悪の業があるが、善悪を判断されるのは現行して日常生活に
行為が現れてからなので、種子としてある阿頼耶識自体は善悪に関して
無記であると考えられているようです

136:神も仏も名無しさん
20/11/12 09:18:12.37 esrF/Ypa.net
創作概念上げ

137:神も仏も名無しさん
20/11/12 17:17:31.78 5pYX1jb0.net
創作概念反対上げ

138:神も仏も名無しさん
20/11/12 19:49:01.13 A65l1pbL.net
創作概念反対上げ

139:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:00:59.21 5daVYV9d.net
阿頼耶識は限りなく法の作用みたいなもんだから価値観に関わる善悪には向記なのは納得だが、阿頼耶識の働き自体が業を少なくさせる、または質を善に変容してゆく作用はないのかしら

140:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:01:11.69 5daVYV9d.net
無記

141:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:03:42.63 MFsXMjGF.net
■阿陀那識(執持AdAna-vijNAna)…阿頼耶識の先駆概念
唯識の根本経典の『解深蜜経』ではじめて説かれる。
業が潜在的に心に沁みこんで、その潜在的な心が五蘊を形成し、
老死に向かって変化し続けている中、変化を維持している潜在的形成力が
阿陀那識と定義されたそうだ。

142:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:11:45.45 q6cperTV.net
真言密教の立場より見た識、乾栗陀耶識
>末那識は自我執着意識ですが、阿頼耶識はその悪念を経験として蓄積し、汚れる可能性があります。
ならば、悪念のない無垢な阿頼耶識、というものがありうるはず。天台宗や華厳宗では、それを阿摩羅識という第九識とします。
別名「仏性」と呼ばれるもので、
さらに真言宗では、個々人の仏性の奥にある真の根源として、第十識すなわち
乾栗陀耶識を立てます。

143:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:15:38.25 q6cperTV.net
ケンリツダヤ識。
どういう情報を知ってるか
挙げてみてください、少ない
でしょ

144:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:18:06.75 MFsXMjGF.net
第三偈 不可知執受 處了常與觸 作意受想思 相應唯捨受
asaMviditakopAdisthAnavijNaptikaM ca tat /
sadA sparsa manaskAravitsaMjNAcetanA nvitam//
a.そしてそれは感受できない執受であり、処の了別を有し、
 常に触・作意・受・想・思とが伴う。
b.そしてそれは日常の意識では窺い知れない[精神と肉体のさまざまな]
 執着的統合と環境世界の表象を有する。
 つねに認識成立の基盤(触)・対象化する思惟(作為)・感覚的対象受容(受)・
 対象の概念化(想)・対象の観念形成(思)とがともなっている。
まず執受と処の不可知が説かれる点が注目される
『成唯識論』は、「微細」だから認識できないとしている。

145:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:19:36.29 5daVYV9d.net
ほえー色々綺麗に整理されとるな

146:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:37:50.25 5daVYV9d.net
大乗起信論に阿頼耶識に関して「この識に二種の義ありて、よく一切の法を摂し、一切の法を生ず。いかんが二となす。一には覚の義、ニには不覚の義なり」と語っているらしい
つまり、阿頼耶識には不覚の迷いも含んでるみたいどすな

147:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:45:08.42 5daVYV9d.net
樗伽経では阿頼耶識と如来蔵の同一性を説いてるらしいが、誰かその理由について詳しい人はおらんかな

148:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:58:36.41 5daVYV9d.net
参考になる情報をみつけた
入樗伽経の如来蔵説に ついて
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)

善 ・不善 の因 であり、 白性 清浄 であ る如来蔵 が現実態 としては無始以来 の戯論 の習気 に 薫習さ れて アー ラヤ識と名づけら れている という のであ り、
いま、 ここでは詳論する暇がないので要点 のみをあげれ ば、おおよそつぎのようになるであろう。
その所説からし て、まず、 この経典 の成立 した当時 にお いては、如来蔵 が空 を究寛したも のであると いう主張 はす でに確 立されおわり、
いいかえれば、善 ・不善、浬架 ・生死の所依たるdhatUとし ての基本的な意味 あ いにお いて如来蔵と いい、それが無 始以 来 の戯論 の習気 に蕪習されて相続し て行く面を アーラヤ識 と
つぎの段階 とし て、如来蔵 が 一種 の実在的なものとして、 イ ンド 一般ではアートマン・プラダーナ ・イーシュヴァラなど と同様 の性格をも つも のと理解 されるに いた つたのではな い かと考えられる。

149:神も仏も名無しさん
20/11/12 23:02:58.06 5daVYV9d.net
少し余談になるが、アートマンと如来蔵や真如の類似性とその差異についても上では触れているが、やはりどうもしっくりこない
少なくとも読む限りはアートマン「への執着」を危惧してそれとの差別化を図り、空を空のままに語る道のほうが安全で正しいと語ってるようにしか読めないんだよな

150:神も仏も名無しさん
20/11/12 23:03:59.37 5daVYV9d.net
仏教はこんな感じで悟り「への執着」にも競輪を鳴らし続けるが、同じ方便なのではないか、と思ってしまう

151:鹿野園
20/11/12 23:04:56.95 o8EMSqQe.net
乾栗陀耶識はいわゆる場(界)の問題でしょうね。
何かが作用する為には必ずその"場"が要求されますからね。
勿論、仏教ですから場があるって解釈はしないでしょうけど。

152:神も仏も名無しさん
20/11/12 23:12:39.81 5daVYV9d.net
ちなみに上で書いたことを統合すると、阿頼耶識はニ義を含んでいるが、その働きは一義、つまり如来蔵に向かって形成してゆく法の諸力と言い換えることができないか?と思いますた

153:鹿野園
20/11/12 23:55:26.72 o8EMSqQe.net
光がプリズムで分光されるようなもん。

154:神も仏も名無しさん
20/11/12 23:56:48.55 5daVYV9d.net
それはイデア論の原像とその展開みたいな側面しか説明してないでそ
俺が言ってるのは真如へのアフォーダンスについてだよ

155:神も仏も名無しさん
20/11/13 00:02:39.03 hmKoenAG.net
業は苦を生み、人は苦から逃れたい、つまり苦を不快と感じる生き物だから、そもそも業は克服されるように運命付けられてるんだよな
阿頼耶識は業の元なわけで、人は特定の業から離れようとする生き物だから、結果的に澄み渡って真如まで辿り着くわけだよな
これは阿頼耶識の真如までのアフォーダンスだ

156:鹿野園
20/11/13 00:07:24.14 JIWWVYYO.net
>>154
アフォーダンスって客体からのアフォード(提供)って事なんですけど。
つまり、真如へのではなく、真如からのですよ?
意味を真逆に捉えてますよ?

157:神も仏も名無しさん
20/11/13 00:10:41.27 hmKoenAG.net
>>156
アフォーダンスは何も客体からの、でもないんすよ
なぜなら、ドアノブのアフォーダンスは実は人間の身体の構造からも生まれているわけどす
主体が客体を生み、客体が主体を生むわけどす
その意味で阿頼耶識は意識の下の末那識の下の働きなわけでそ
その意味では客体とも言えるし、主体ともいる
少なくとも言いうるのは業が生む現象は主体なのか、客体なのか?と問われればどちらとも言える、ということなんどす

158:神も仏も名無しさん
20/11/13 00:13:39.40 hmKoenAG.net
まぁ、仏教的には空だから、主体も客体もないんですけどねw

159:鹿野園
20/11/13 00:14:11.66 JIWWVYYO.net
>>157
そんな定義はされてません。

160:神も仏も名無しさん
20/11/13 00:15:06.25 hmKoenAG.net
>>159
定義の中に、その意味が含まれとるんよ
この前、別スレで説明したでそ
相互補完的な関係性の中、つまり縁起の中にあるのがアフォーダンスよ

161:鹿野園
20/11/13 00:32:23.36 JIWWVYYO.net
>>160
>相互補完的な関係性の中、つまり縁起の中にあるのがアフォーダンスよ
縁起の中にあるのは当たり前にしても、相補的関係性にアフォーダンスを当て嵌める事について、それに対しては先に当該スレで紹介した河野さんがその著作で負のアフォーダンスの問題として否定されてますから。

162:神も仏も名無しさん
20/11/13 00:33:14.70 hmKoenAG.net
>>161
それって大山さんがアフォーダンスについてよく知らなくてそう信じてるだけなんじゃない?

163:鹿野園
20/11/13 00:45:50.61 JIWWVYYO.net
>>162
アフォードって提供するって意味でしょ?
相補って意味はありませんけど。

164:神も仏も名無しさん
20/11/13 00:46:24.98 hmKoenAG.net
うん、アフォードって単語はそうです
でもアフォーダンスはギブソンの造語なんです

165:鹿野園
20/11/13 01:10:01.78 JIWWVYYO.net
>>164
主体と客体の関係を仏教的な視座から相依性(或いは相補性)って紐解くのは分かりますけど、アフォーダンス理論は、従来の主体から客体への意味性や価値観の提供を逆転させ、客体から主体に対して意味性や価値観が提供されてるって説く理論でしょ?
意味性や価値観の流れは"→"であって"⇆"とは考えられないんですけど。

166:神も仏も名無しさん
20/11/13 01:12:26.40 hmKoenAG.net
>>165
椅子を作ったのは環境ですか?それとも生物は休息を必要とするって性ですか?
どちらでしょう

167:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 01:12:46.39 FBRTRJE1.net
>>165
今まで大山君が主張してきたことは、間違いということだね?

168:神も仏も名無しさん
20/11/13 01:16:09.86 hmKoenAG.net
環境のアフォーダンスとは、環境が動物に提供するもの、良いものであれ悪いものであれ、用意したり備えたりするものである。
(・・・)
この言葉は動物と環境の総補性を包含している。
(・・・)
水平、平坦、広がり、堅さ―は(・・・)その動物との県警で測定されなければならない。(・・・)アフォーダンスは物理学でものを測るようには測定することはできない。(・・・)水平で、平坦で、広がりがあり、堅くて知覚者に対して膝の高さにあるならば、(・・・)自己と関連づけてもしそう見られる時には、それらの特性は、座るものを構成し、意味を持つことになる。
(ギブソン 生態学的知覚論)

169:神も仏も名無しさん
20/11/13 01:20:14.70 hmKoenAG.net
アフォーダンスってのは外と内の断絶された世界で外からの一方通行の提供って話ではないんだな
外と内が特定の事柄において一になる地平で語れるもんだ

170:神も仏も名無しさん
20/11/13 01:22:48.75 hmKoenAG.net
別スレで語ってるけど唯識って人間に中心化されてる論なんだな
意識でも阿頼耶識でもいいが、そのどちらかに中心化されてて、その下(潜在意識)に在る識の構造を語る論だ
アフォーダンスってのは人間に中心化されてなくてええんよ
動物には末那識はないが、動物と環境のアフォーダンスを語れるところが、唯識ではなく縁起のほうが相性がいい所以だな

171:神も仏も名無しさん
20/11/13 01:26:56.24 hmKoenAG.net
唯識が一切を心の作用で語ろうとするのは、大乗が菩薩的な人類の救済を志向する、人類のための宗教だからだ
その意味でキリスト教とも類似性はあるが、仏教はそもそも法に関する宗教だから、その意味においてキリスト教とは違う

172:鹿野園
20/11/13 01:52:31.07 JIWWVYYO.net
仰ってる事が矛盾してますよ?
貴方は
>>154
>俺が言ってるのは真如へのアフォーダンスについてだよ
っていいましたよね?
つまり、主→客を言っており、私はアフォーダンス理論とは客→主でしょ?って疑義を呈したんです。
で、途中から相補とか言い出して…
相補なら真如とのアフォーダンスって表現になると思いますけどね?

173:神も仏も名無しさん
20/11/13 01:55:09.95 hmKoenAG.net
>>172
>>155

174:神も仏も名無しさん
20/11/13 01:56:32.63 hmKoenAG.net
種子は末那識以下の識が生み、その種子の業は末那識以下の識を変容される
双方向でしかないな

175:鹿野園
20/11/13 02:11:04.94 JIWWVYYO.net
>>170
>別スレで語ってるけど唯識って人間に中心化されてる論なんだな
謬見ですよ。
阿頼耶識は六道を認識すれば環境も認識しますから。

176:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:12:00.93 SfXbj6F5.net
>動物には末那識はない  ことないでしょ? 犬も猫もしっかり自我執着
意識持ってるでしょ? 縄張り意識とか、同じスピーシーズ間では凄いですよ
ただ家族はまた別で、また飼主には、人が雇い主やカルトの親玉に調教される
のと同様、なついたりはする

177:鹿野園
20/11/13 02:12:49.71 JIWWVYYO.net
人も環境も名言種子が現行したんですから、中心とかありませんけど。

178:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 02:15:25.43 FBRTRJE1.net
仮設を絶対視したら間違うわなw

179:鹿野園
20/11/13 02:23:11.28 JIWWVYYO.net
>>174
種子は現行と薫習を繰り返しますけど、それは循環で双方向ではありませんよ?
つまり、…現行→薫習→現行→薫習→現行…です。

180:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:27:55.81 hmKoenAG.net
>>175
意識の「下にあるのが」末那識で、末那識の「下にあるのが阿頼耶識」ですな
さて、何に中心化されてるのでせうか?

181:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:28:21.10 hmKoenAG.net
>>176
末那識と意識の違いって分かりますか?

182:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:29:07.93 hmKoenAG.net
>>179
循環と双方向はどう違うの?

183:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 02:32:58.99 FBRTRJE1.net
>>179
現行→薫習 と、するのは飛躍してるよ?

184:鹿野園
20/11/13 02:37:56.15 JIWWVYYO.net
>>173
つーか、日本語変です、
>>155
>これは阿頼耶識の真如までのアフォーダンスだ
真如への途を拓く阿頼耶識からのアフォーダンスっていうのなら分かりますけどね。

185:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:42:08.12 hmKoenAG.net
>>184
別に意味が同じならそれでもいいけど

186:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:48:36.88 SfXbj6F5.net
あとね70年代に死んだ米国の生態心理学者の説なんて
もう全然古くて時代遅れだよw
まだ最近流行りのヌーソロジーとかのほうがマシ。それもあんま好きや
ないけどね

187:鹿野園
20/11/13 02:51:57.91 JIWWVYYO.net
>>180
中心化してる人間も阿頼耶が転じた一部に過ぎません。

188:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:54:40.21 hmKoenAG.net
>>187
語り方が違うと思います
通常の意識の下に末那識があり、末那識の下に阿頼耶識があります
ほら、分かるでしょ?

189:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:55:11.47 SfXbj6F5.net
>>181
第7識は自我執着意識と捉えてます。我執の素。
で、動物もそれあるのは、しっかり飼ったことある人ならわかると思うよ。自己所有や
テリトリの意識しっかりある。無我じゃない

190:鹿野園
20/11/13 02:57:22.00 RLx7dOfa.net
>>182
双方向は行ったっきりもあるでしょ?

191:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:57:25.66 hmKoenAG.net
>>189
それは古典的条件反射で説明できますよ

192:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:58:03.55 SfXbj6F5.net
一つ言えるのは、人は他の動物と違い、環境に支配されきったロボット的客体ではない。
殊に諸行無常を説く仏教なれば、環境も固定したものとは見ず、
空なるを観じて有害な支配を拒み、また実際に人は環境を変え操作
してもいる。

193:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:58:50.68 hmKoenAG.net
>>190
双方向は送る側も受けて、受ける側も送ることが「かできる」みたいな意味合いやね
現実のケースではもちろん送ったっきり、とこはあるかもねw

194:鹿野園
20/11/13 02:58:53.96 RLx7dOfa.net
>>185
意味が違ってると思ったから一連の指摘をしてきたんですけどね。

195:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:59:40.14 hmKoenAG.net
>>194
具体的にどう違うの?

196:鹿野園
20/11/13 03:00:00.76 RLx7dOfa.net
>>188
分かりません、なんの事でしょう?

197:鹿野園
20/11/13 03:01:16.10 RLx7dOfa.net
>>195
修正した通りです。

198:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:01:27.10 hmKoenAG.net
>>196
◯◯の下に▲▲がある、という時、その表現は◯◯に中心化されとるんよ
テーブルの下に猫がいる時、猫の上にテーブルがあるわけではないってことさ

199:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:01:50.00 hmKoenAG.net
>>197
同じ意味にしか読めないですね

200:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:03:41.66 hmKoenAG.net
そもそも大山さんは阿頼耶識と如来蔵のくだりを理解しとるんかいな
しかもその前に阿頼耶識はニ義あるってレスを理解しとるんかいな
しかも如来蔵と真如の関係性を理解しとるんかいな

201:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:07:26.14 SfXbj6F5.net
井筒俊彦 高野山での特別講演「言語哲学としての真言」 は確かにいい感じで要約できてる感もあるものですが、
聊か不要なおべんちゃらが混じってるようにも感じられ、それは文字とか言語の意味をある部分拡大解釈し過ぎ、
ある部分(ヴェーダやユダヤ・イスラムからの影響も)過小評価し過ぎている
風に思われます。

202:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:08:56.50 SfXbj6F5.net
米国の生態心理学者の説の受け売りは、
何ものかにマインドコントロールされたか
又は 洗脳しようと企む者による押し売り
っぽい感じがするな

203:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:10:13.71 SfXbj6F5.net
 言葉というのは人を誤解させるものでもあるのです。
たとえば、実際にしたら凄く気持ち悪いことなのに、表の表現上は それを恰も美しいこ
とのように変質させて伝えることも可能なもので、実際洗脳で良くやられています。
本来の仏の教えとは、そうした嘘に気付き、戒めるものではないですか?

204:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:10:42.22 hmKoenAG.net
動物に末那識あるいうなら仏教の論理から語ればええやん

205:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:13:54.79 SfXbj6F5.net
唯識は悪くはないけども、古臭いカビのはえた生態心理学とか
何か実体視しなくていいものを
わざわざ実体視させようとする錯視強制観察のように
感じられなくもない

206:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:16:58.46 hmKoenAG.net
そのおまいさんの感情的な感想と末那識が動物にはないって仏教的な見解とは何の関係もない

207:鹿野園
20/11/13 03:17:43.57 JIWWVYYO.net
>>198
成る程、確かに阿頼耶識は根本識と呼ばれてますけど、空性なんですが?
空性に中心があるとでも?

208:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:20:18.63 SfXbj6F5.net
犬や猫だって言語化されてないだけで
意識があるのはまちがいないです。だからヒトのような
言語的な知性はない。概念というのはないけれども前意識的、無意識的なものが強く。
おそらく遺伝的に具えている本能的行動ができてしまう

209:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:20:45.69 hmKoenAG.net
>>207
大山さんはそもそも唯識詳しくないだろ
空だったとしても、唯識は人を中心に説明してるんだよ
人を中心に、その識の下に末那識があり、その識の下に阿頼耶識があり、だから空だ、と説明するわけだろ?
それは結論でしかなく、唯識のモデル自体は人の意識を中心に説明しとる

210:鹿野園
20/11/13 03:20:53.31 JIWWVYYO.net
>>199
ないないw

211:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:21:09.76 hmKoenAG.net
>>208
だから意識と末那識は違うんだって。。。

212:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:21:28.76 hmKoenAG.net
>>210
具体的にどうぞ

213:鹿野園
20/11/13 03:22:27.68 JIWWVYYO.net
>>200
別件ですね、それ。

214:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:23:58.98 hmKoenAG.net
>>213
別件も何も、大山さんがちょっかい出してきたおれの対象のれすがそれを意図して書いとるんよ
俺が意図して書いたことに他人である大山さんが別件とか言っても意味不明です

215:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:24:50.14 SfXbj6F5.net
人間も本能はあったんだけれども、言語でそれは抑えられ、
別の言語的誘導因子や幻想というトリガーがないと
うまくリリースされなくなってるらしい。まあ
色んな人はいるだろがね

216:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 03:25:58.44 FBRTRJE1.net
>>207
過去に大山君は空の中を仮定してましたが、考え変わったの?

217:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:26:11.69 hmKoenAG.net
本能あったってなんで過去形なんだw
おまいには本能がないんか?w

218:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:27:55.24 hmKoenAG.net
明日も早いからもう寝るなー
おまいら、良い夢を…💤

219:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:29:41.73 SfXbj6F5.net
>>206
末那識が動物にはないって はっきり言った仏教屋って誰?
動物行動学や精神分析でも広く学んだ人なら、もう刺激反応とか、そんな時代じゃない
ってわかる筈だけど?

220:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:30:05.25 hmKoenAG.net
自分で調べろw

221:鹿野園
20/11/13 03:30:20.27 JIWWVYYO.net
>>209
>空だったとしても、唯識は人を中心に説明してるんだよ
そうじゃないでしょ?
人間を対象にしてるから、それが中心に説明されてるんでしょ?
餓鬼道であればそれを対象にして中心的に説明する事になるのですから。

222:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:31:01.69 hmKoenAG.net
だから同じ意味やん(呆)

223:鹿野園
20/11/13 03:35:33.29 JIWWVYYO.net
いい加減に総括しますけど?
アフォーダンス理論と仏教の関係について、仏教の縁起観を視座に捉える事は決して間違いではありませんよ。
しかし、それは相互の関係性の説明に留まり、環境(客体)それ自身に意味や価値が内包されている事の説明にはならないでしょ?

224:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:36:22.16 SfXbj6F5.net
あのねたとえば性にしても、人は
必ずしも異性の自然の性質や形態に性欲をリリースされるわけじゃないでしょ。たとえば
いつも下着もつけずヌードでいたら、ヌード写真とかも価値
なくなるでしょ?

225:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:40:20.70 SfXbj6F5.net
七十年代以前米国の生態心理学者の古い説と仏教を結ぶつけるのは我見であり、
それに執着するのこそ我執。
まったくとるにたりない
駄論ww

226:鹿野園
20/11/13 04:18:59.62 JIWWVYYO.net
>>222
>>空だったとしても、唯識は人を中心に説明してるんだよ
中心……
読んで字の如くそれを求めるのであれば、それは阿頼耶識でしょ?
人間は阿頼耶識が転じたのですから。
唯識思想は(当たり前ですけど)人間を対象に阿頼耶識縁起を説いて、人間中心の考えから超越した思想じゃないんですか?

227:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 04:23:43.14 FBRTRJE1.net
>>226
空である阿頼耶識を中心に考えても詮無いだけでしょ。
中心は意識、実践は末那識です。
阿頼耶識を中心としてるのは大山君の趣味です。

228:鹿野園
20/11/13 04:28:52.00 JIWWVYYO.net
そもそも人間の中に阿頼耶識何あるのではなく、阿頼耶識の一部に人間があるんでしょ?
それのどこが人間中心なんでしょうか?

229:神も仏も名無しさん
20/11/13 04:36:08.15 SfXbj6F5.net
唯識は悪くはないけども、古臭いカビのはえた生態心理学とか
何か実体視しなくていいものを
わざわざ実体視させようとする錯視強制観察のように
感じられる

230:神も仏も名無しさん
20/11/13 04:55:40.44 SfXbj6F5.net
>>126
>真言密教の無我は、六大の構成要素込みの無我=大日如来
と見ている
はい。その通りだと思います。
というか、本来の仏教も
無我を観じることで智慧が生じる
このスレに即して言えば、六大の識→転識得智した法界体性智、
まさに大日如来であって、儀軌の通り。

231:鹿野園
20/11/13 05:17:15.68 JIWWVYYO.net
>>209
>それは結論でしかなく、唯識のモデル自体は人の意識を中心に説明しとる
そうでしょうか?
唯識思想の根本テクストである唯識三十頌では、意識は二十文字、阿頼耶識は五十文字、末那識は六十文字で説かれてますが?

232:神も仏も名無しさん
20/11/13 05:46:20.74 SfXbj6F5.net
アフォかって誰も言わんの?
1970年代に死んだ米国の生態心理学者のありふれた説を
今さら持ち出す必然性が全くナイもんねw 以後、
完全あぼ~んするよ。

233:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 05:52:39.11 FBRTRJE1.net
>>232
おはようございます。
気になるのでggるキーワード教えてもらえませんか?

234:神も仏も名無しさん
20/11/13 06:18:15.15 MOk9Rbvu.net
まず第一に、仏教の比丘たちの瑜伽行の人たちが瞑想して
人の心を分析し続けたんです。
それ以前のインドの思想で「人の中心」は「アートマン」だったのですが
それは仏教が否定していた。
そこで彼らは仏教の二空を受けて、人と法の二空を受け継ぎ
『唯識三十偈』第一偈の冒頭でatmadharmopacaroと言っているんです
「我」と「法」との言葉によって虚構された、と。
とはいえ、では一体何が、人の身体と心を統合する主体なんだとという観点から
先行する『解深蜜経』は阿陀那識(執持AdAna-vijNAna)を置いたのです。
『解深蜜経』は最初に『唯識』という言葉を産んだ唯識派の根本経典です。
この執持識が発展して、阿頼耶識となったんです。
で、阿頼耶識は言語的には「蔵識」であり、
第二偈で「異熟」「一切種」と言われています。
第三偈で不可知執受 處了常與觸 作意受想思 相應唯捨受←今ここ

235:神も仏も名無しさん
20/11/13 06:26:50.27 EPEtzDW+.net
犬山また、あほーダンスの戯論餓鬼しとるな、
恥を知れ!!

236:神も仏も名無しさん
20/11/13 08:06:55.82 SfXbj6F5.net
>>233
だから、ジェームズ・ギブソン でググってみれば、全然賢い学者でもないって
わかると思いますが、人によるかな? まあ構造主義とか、メルロ=ポンティ、
フーコー、デリダあたりでも読んだほうがずっとためになるし、必然性のない空論より、
ヌーソロジーとかの方が賢いね。

237:神も仏も名無しさん
20/11/13 08:16:45.67 SfXbj6F5.net
ヌーソロジーも大したことないかw ただ若干の閃きは感じられる。
暇なら以下の動画を視聴してみると何か気付くかも。元小学館の人だが別に関係はない。
ただ苫米地に影響されてるかも。。。
時空の外に出てみよう(はじめてのヌーソロジー)【Short】
URLリンク(www.youtube.com)
#054 ヌーソロジーの観察子をあえて一般語で解説してみる
URLリンク(www.youtube.com)
#055 二つの死(ヌーソロジー)
URLリンク(youtu.be)
ヌーソロジー解説 「ヌースとは?」 半田広宣
URLリンク(www.youtube.com)
#066 思形と感性(ヌーソロジー)
URLリンク(www.youtube.com)

238:神も仏も名無しさん
20/11/13 08:48:26.30 6BM4TiKK.net
俺的には、ソシュールで十分やった

239:鹿野園
20/11/13 09:02:00.31 JIWWVYYO.net
陳那とソシュールw

240:神も仏も名無しさん
20/11/13 09:29:57.82 SfXbj6F5.net
v2番目の動画の24:30以降の変性意識の話、興味深いね。
空海も、役行者も、変性意識に相手の意識をひっぱりこむ術に長けてたとも言え、
アサンガもそうだけど、それ瑜伽行の肝かも知らんね、合気道の達人や
集団催眠とどう違うか、同じか?

241:神も仏も名無しさん
20/11/13 09:31:15.88 vhoSYduu.net
>>228
阿頼耶識を浄化して大円鏡智に変えるのは誰?

242:神も仏も名無しさん
20/11/13 09:32:35.26 tikI2Wmq.net
どあほ、犬山笑。
犬山は、創作概念のラング笑。

243:神も仏も名無しさん
20/11/13 09:34:31.24 tikI2Wmq.net
どアホ一人ラング犬山笑。
アタマの悪い連中ぐらいにしか広まらないラング、
恥知らずのK1ラング


244:神も仏も名無しさん
20/11/13 09:38:10.84 tikI2Wmq.net
>>240
唯識、天台、華厳、真言、あたりが変性意識を当てはめるのは、多少は致し方ないかもしれんな。
物事の直視に関して、僅かなバイアスがあるからな、

245:鹿野園
20/11/13 09:38:40.10 JIWWVYYO.net
>>241
>>228
>阿頼耶識を浄化して大円鏡智に変えるのは誰?
www
唯識思想は三刧成仏を説きます。
つまり輪廻の中で甲さん乙さん丙さん……と、少しずつ有漏の種子から無漏の種子に変換を遂げる訳です。
誰?って言われてもねw

246:神も仏も名無しさん
20/11/13 09:50:41.25 vhoSYduu.net
>>245
有漏の種子から無漏の種子にどうやって変換を遂げるの?

247:神も仏も名無しさん
20/11/13 09:53:46.28 SfXbj6F5.net
自分が変性意識に入ると、近くにいる他人も同調して、変性意識に入りやすくなる。
相手の認知システムの中にある情報空間にアクセスして、影響を与えてしまう。
それ現代のカルトのマインドコントローラも薬物使ったキメセクで女の子を虜にして貢がせるヒモ役
のホストもしてる危ない操作だよ

248:鹿野園
20/11/13 10:01:05.58 JIWWVYYO.net
>>246
厳密にいうと転換ではないのですけど、聞思修と戒定慧によってでは?

249:神も仏も名無しさん
20/11/13 10:04:20.55 vhoSYduu.net
>>248
聞思修や戒定慧は誰の意志によるもの?

250:鹿野園
20/11/13 10:26:43.13 JIWWVYYO.net
>>249
仏教は六道を説きますから、まぁ、有情でしょうなぁw

251:神も仏も名無しさん
20/11/13 10:46:17.90 vhoSYduu.net
>>250
その有情は阿頼耶識が作り出した幻影ですか?

252:神も仏も名無しさん
20/11/13 11:01:29.97 4/2UrWll.net
>>144
さて阿頼耶識は不可知であると言う。
不可知なのは、『成唯識論』ではミクロであるからと解説する。
阿頼耶識の働きは富士山のように大きいというより、
電子顕微鏡でも見えないくらい極微小だそうである。
具体的に何がミクロなのか。
「執受」と「処の了」とが不可知だという。
■執受…1.種子…行動(業)によって生み出されたもので、次の行動を生む可能性となる
    2.有身根…五根という感覚器官
 簡単に言えば「わたし」という心と身体とを統合的に虚構する能力。
■処の了…1.処…自然界一般のこと
     2.了…知ることであるが、言葉によつて、他と区別して
        「限定」して認識するあり方なので「了別」と解釈されている
阿頼耶識は、自分の心の中では
行動することで種子を生み出し、生み出された種子に影響されて次の行動が為され、
また自分の心の外の世界に対しては
分別していくことで、事象を概念化された言葉というイメージによって
常に矮小化しているのだが、その働き全体が不可知なのだという。
つまり気づかないままにやつている ということみたいだ

253:神も仏も名無しさん
20/11/13 11:22:39.86 SfXbj6F5.net
それ、結局、習化とかカルマを実体視することだよね。
業自性というか、つまり、識のゴミを浄めるために、まず明るくして穢れを見ろと。
唯識に比べると現代の理論はパラダイムの狭いもの
でしょうね。

254:鹿野園
20/11/13 11:30:29.45 JIWWVYYO.net
>>251
幻影というか空性だろうね。

255:神も仏も名無しさん
20/11/13 11:50:02.38 SfXbj6F5.net
>>217  たとえばヒトの場合、オスが欲情して手鹿なメスとすぐ行為に及んだら、
逮捕される可能性もあるし、通常はやらない。それでもやるのもいるが。。。性に
限っても、行為に至るまでに言語的プロセスが介在する。またヒトは学習しないと
何もできない。

256:神も仏も名無しさん
20/11/13 11:52:00.15 AmsX+Vsu.net
犬山はサル山のボス幻影エブリデイ

257:神も仏も名無しさん
20/11/13 11:53:55.54 SfXbj6F5.net
ダンサーが複数名で同じ動きをしたり、アスリートがシンクロで
同じ動きができるのは、大変な訓練ふぁ必要だ。だが
動物の中にはあれに近いことを訓練されなくても
できたりするのがいる

258:神も仏も名無しさん
20/11/13 12:31:50.01 vhoSYduu.net
>>254
空性でもいいけど、その阿頼耶識によって作り出された空性の有情が作り主の阿頼耶識に不満があるから聞思修で阿頼耶識を大円鏡智に変えようとするの?

259:神も仏も名無しさん
20/11/13 12:42:22.22 Wq++VJDN.net
>>256
自己観察能力ゼロの鹿野園君に難しい質問はいけません笑。

260:鹿野園
20/11/13 12:44:43.69 JIWWVYYO.net
>>258
そう思考する有情もあるでしょうね。

261:神も仏も名無しさん
20/11/13 12:49:27.38 SfXbj6F5.net
生物の集団行動を説明する場合、過去の遺伝情報とかだけでは説明し難く、
現在の集合的無意識や共通感覚的能力を想定しないと、集団行動における同調性を説明できない場合がある。
複数の個体が集まって一つの個体のように行動するケースがある。

262:神も仏も名無しさん
20/11/13 12:50:43.47 vhoSYduu.net
>>260
その思考も阿頼耶識によって作られてるの?

263:神も仏も名無しさん
20/11/13 12:56:21.57 SfXbj6F5.net
アカシックレコードというと過去の集団的記憶ということになるだろうが、
それと伴に 現在の集団を綺麗にまとめる作用が、現在進行形で働く。
それは種のレヴェルでの識があるということで、言語は、それへのアクセスを妨げる
とも言える。

264:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 13:00:50.95 ft6ZcGBL.net
>>262
横ですいませんが、そういうことは無いです。
主に過去からの選択、反復なので。
まあ、お分かりだから突っ込んでるのでしょうけど。

265:鹿野園
20/11/13 13:01:22.35 JIWWVYYO.net
>>262
作るっていうのはどうかと思いますけど、阿頼耶識中の種子が縁起によって思考として現行してるんでしょうね。

266:神も仏も名無しさん
20/11/13 13:09:15.85 MOk9Rbvu.net
そもそも阿頼耶識は「不可知」であるという論点を理解しましょう

267:神も仏も名無しさん
20/11/13 13:10:15.37 vhoSYduu.net
>>265
その縁起も阿頼耶識によるものでしょ
阿頼耶識が生み出した種子の中に阿頼耶識を否定する種子が蔵されてそれが現行していると
そうすると阿頼耶識は本性として自己否定の性があるわけだw
一切唯識だとそうなるわな


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