唯識を学ぶスレッドat PSY
唯識を学ぶスレッド - 暇つぶし2ch100:神も仏も名無しさん
20/11/11 10:45:33.39 Q7o/zE2o.net
もしそうなら ですが またあくまで言葉の解釈ですが
聖書の「はじめに言ありき」の言を、
縁起とか情報とか宇宙の根本原理とかと解釈し得るとするなら、キリスト教も
仏教や現代科学やインド哲学と同義といえなくもない
結論を書いて締めますが、キリストは兎も角として
弘法大師にとっての「文字」とは、まさにそうした
縁起とか情報とか宇宙の根本原理とかに直結し、全て包摂する真言だったと
考えられる。

101:神も仏も名無しさん
20/11/11 10:46:00.10 GGstmv3V.net
>>98
いずれにしても、犬山の議論は、
テキスト不忠実なテキストの概念を創作的に別のテキストの概念を混ぜ合わせて、奇妙な珍説なキメラな概念を主張しているのさ、
犬山は、テキストの体系、理論を平然と壊すからな、
美魔女は、そこまではできないが
脳内構造は、美魔女も犬山も同じ
笑。

102:神も仏も名無しさん
20/11/11 10:56:01.60 GGstmv3V.net
>>100
聖書は、人間側に予想つかないミラクルが本筋。
キリスト教神学で秩序があるが如くありますが、
イエス・キリストが十字架に付けられた時に、
隣に十字架に付けられた強盗が救われる、強盗み含めて弱者救済
という意味不明な解決は、真言にはありえません。
真言といえども、因果応報を知り、うまくこなしていくための真言ですからね。
空海の文字は、聖書の意味があるよりも、
仏の人格的智慧と作用を現したものです。
その智慧、すなわち真言をもって、迷いをなくし、仏の智慧を体現するものです。
鹿野園の創作学問は真に受けてはいけません。

103:神も仏も名無しさん
20/11/11 10:58:12.18 GGstmv3V.net
犬山の空海論は
修行と無関係で
ただの創作知識考察に過ぎません。

104:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:15:01.18 GGstmv3V.net
真言と聖書に共通的に見えるのは、
日本密教が、空海当人よりも、
人格仏視点、空海救済者論など、
空海後の救済仏へのシフトが、
そのように見えるのかもしれません。

105:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:26:39.43 WHVawVYo.net
聖書(ヨハネ1:3)
「万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に成ったものは、命であった。この命は人の光であった。」
空海(声字実相義)
「名の根本は法身を根源となす。彼より流出して稍く転じて世流布の言となるのみ。」
聖書は言によって万物が創造されたと説き
空海さんは、世間に流布している言は、法身より流出したものだと仰せですので
類似点がありますが、
空海さんは更に『声字実相義』真妄の段で
「九界の文字は虚妄であるが,仏界の文字は真実であり,
これを真言とも秘密語ともいうのである」と言ってますので
言に真妄の別を設けられています。

106:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:35:59.74 gvRdjAZ8.net
>>98
www
精神病院に行きなさい。

107:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:36:08.27 GGstmv3V.net
>>105
真言と聖書は、本来役割が違うからね。
空海死後の日本密教は、
キリスト教に近付いてきた面もある。
空海救済信仰は。高野山の学問僧ではなく。
勧進する、浄土信仰を持つ高野聖が広めた、と言っても過言ではない。

108:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:36:36.89 gvRdjAZ8.net
>>101
www
精神病院に行きなさい。

109:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:36:58.94 gvRdjAZ8.net
>>103
www
精神病院に行きなさい。

110:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:38:16.79 GGstmv3V.net
鹿野園ジャイアンかしとるのお笑

111:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:39:34.77 GGstmv3V.net
美魔女は、発達障害コール。
鹿野園は、精神病院、知育障害コール

笑。

112:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:40:19.12 Q7o/zE2o.net
はじめに言があった。
なんて、善意で解釈すると阿字本不生? しかし、
キリスト教のほうが密教より五百年以上早かったことになってますが、あの時代
の、それこそトレンドではなかったですかね?

113:神も仏も名無しさん
20/11/11 11:54:07.86 WHVawVYo.net
■阿頼耶識の変容を理解する前の前提となる伝統的用語
A.薫習(くんじゅう)vAsanA…
 阿頼耶識と阿頼耶識に染み込む業は不即不離の関係にあるのだが、阿頼耶識という
 心にさまざまな業の影響力が染み込むことを薫習という。
 箪笥に匂い袋を偲ばせると衣服に香りが沁みこむような感じである
B.種子(しゅうじ)bIja…
 阿頼耶識に蓄えられた業の影響力を種子と言う。種子は地中に隠れているが、
 光や水や適温などの環境という縁が熟すると、日常世界の業となって現れる。
C.現行(げんぎょう)samudAcAra…
 心の奥底から日常の行為・活動へと過去の業の影響力が現れ出ること。
 または現れ出ていること。
D.種子識…
 阿頼耶識は種子を蓄える心なので種子識とも言われる。
 日常世界で新たな業を生み出すと、それが影響力として阿頼耶識に薫する。
 新たな薫習を受けた阿頼耶識は、それ以前の阿頼耶識から、新たな阿頼耶識へと
 質的に変容している。
変容し続ける阿頼耶識なのです。

114:神も仏も名無しさん
20/11/11 12:11:17.28 WJWVEDMS.net
>>112
既存のキリスト教がイエス・キリストの十字架の弱者救い、すなわち救世主に関する考察が薄いから
神=宇宙原理と見ているのですね、
宇宙原理だとすると、救世主は無理でしょう。
空海は、ましてや救世主ではありません。
救世主というシステム自体が宇宙原理と、そもそも、そぐわない感じがあります。

115:神も仏も名無しさん
20/11/11 18:14:31.48 diTjR8vs.net
犬あげ

116:神も仏も名無しさん
20/11/11 20:37:44.96 Q7o/zE2o.net
一つ、声字義の深秘釈の相違釈だったかで疑問に感じたのは、
「いかなる相も虚妄」に抵触する部分があるとすれば、その点はどうなのか? という事
で、それはマントラや曼荼羅の三摩地で、仏界に関わる事だからで終わりなのか、やはり
初期仏教や般若経典とは全然別という事なのか?

117:神も仏も名無しさん
20/11/11 20:44:18.90 Q7o/zE2o.net
つまり「いかなる相も虚妄」とブッダや般若経典の論師から説かれておき
ながら、像法の時代以後(いつから?)ストゥーパや仏像を拝むようになった理由とか、
或いは大乗経典で3世紀以後仏像を作れと言い出した理由と絡む
話なのかも。。。

118:神も仏も名無しさん
20/11/11 21:11:18.95 BZzFqDcu.net
識の上にあらわれた「見るもの」と「見られるもの」という二つの相は本来ないという安慧(スティラマティ)の説に対して、
識は必ず「見るもの」と「見られるもの」との二部分をもつという説を難陀(ナンダ)が立て、
陳那(ディグナーガ)は両者と別に識自体があると主張し、
さらに、護法(ダルマパーラ)は識それ自体を自覚する要素も識の中にあるという見解をとった、
ということを、「安・難・陳・護、一・二・三・四」という句で暗記するわけです。
ところで、この煩瑣な法相宗の教理学というのは、現在われわれがサンスクリット原典から理解する唯識とはだいぶ性格が異なっています。
法相宗には、いま例にあげた認識論上の問題とか、識―つまり心に伴う心作用の分類・定義とか、『俱舎論』に似たアビダルマ学的な色彩が濃厚です。
それに反して、『中辺分別論』などに見られる唯識思想は、「空」の真理を心の上に、つまり主体の側から明らかにしていこうとする性格を強くもっているといえます。

119:神も仏も名無しさん
20/11/11 21:14:12.05 WJWVEDMS.net
>>116
大般若経典には、ア字で、悟りを現すとかあるので、それが、ルーツでしょう、理趣経も、
真言でない方の大般若の方の理趣経があります、禅門でよまれているらしいです。
ただし、密教の欲望肯定要素に関しては別物で
やはり如来蔵思想が出てこないと無理でしょうね。
>>117
玄奘三蔵の旅行記では、玄奘がみたらしい仏の幻が仏教の聖地で見たらしいので、
その頃に理論とか別に。

120:神も仏も名無しさん
20/11/11 21:19:42.71 WJWVEDMS.net
>>116
密教も、天台、華厳と同じ、
色んな仏教思想を統合の仕組みがあると見た方が分かりやすいのではないかとおもいます。
空海が十住心論を建てた意図は、
各仏教思想の総合化、密教を上位思想とする。
ということでしょうな。
ダライ・ラマのチベット密教にも、その総合化、思想があります。

121:神も仏も名無しさん
20/11/11 21:24:40.98 WJWVEDMS.net
>>116
密教、華厳、天台などの
総合化、上位思想のシステムを作り出した動機は、修行者の内面のみならず、外側の他者存在を導く利他として発達したと思います。
禅になると、理論は包摂しながら、理論言語化を捨てるという方向に行くのでしょうね。

122:神も仏も名無しさん
20/11/11 21:40:54.09 Q7o/zE2o.net
単純化し過ぎかもですが、華厳や密教の基本教理で 
諸法=毘盧遮那佛 と解釈し得る表現がされる事があると思うのですが、
そうした場合、諸法無我と抵触せず、毘盧遮那佛も無我で実体無しでしょうか? ただ
実在性を説くのが真言蜜という人もいます。

123:鹿野園
20/11/11 21:59:40.01 gvRdjAZ8.net
それは仏教が未完の宗教……というよりどこまでも完成を許さない性質を内包した宗教だからじゃないですか。

124:神も仏も名無しさん
20/11/11 22:13:56.59 Q7o/zE2o.net
仏教には色々な世界観があって、だから面白いということですね。
チベットでも大日経は伝授されてるようなので、そちらも調べてみようと思いま
す。中観派の影響が強いので、また解釈は別と思いますが、真言密教での
圧倒的実在性はユニークです。

125:神も仏も名無しさん
20/11/11 22:20:20.31 Q7o/zE2o.net
その実在感というか、
大師の六大無碍常瑜伽とか文字の話を米国の心理学説の言語観と混同すると
色々妄想も膨らんで逝くといったところ
でしょう。

126:神も仏も名無しさん
20/11/11 22:29:30.36 WJWVEDMS.net
>>122
>諸法無我と抵触せず、毘盧遮那佛も無我で実体無しでしょうか?
まず華厳となると、全てが無我という
華厳三昧になり、
次に、世界そのものが、真実の姿を現す、
という、海印三昧と
下層構造の三昧と上層構造の組み合わせとなっています。
次に真言密教になると、その華厳思想の延長線上で作られており、
海印三昧がベースとなっていると見てもいいでしょう。真言密教は、真言の文字に、
上位の欲望の肯定がありますが、
下位に、諸法無我を現す、真言の文字を当てはめているようです。
三昧体験上で、恐らく、真言密教の無我は、
南方仏教の瞬間に生滅する構成要素が復活してきているように感じます。
すなわち、真言密教の無我は、六大の構成要素込みの無我=大日如来
と見ている感じがします。

127:神も仏も名無しさん
20/11/11 22:31:57.15 WJWVEDMS.net
>>124
おそらく、真言密教よりも、ダライ・ラマの宗派ゲルク派の方が遥かに中観派の影響が強いですね。
ダライ・ラマの動画を見ていても、そういう感じがありますね。

128:神も仏も名無しさん
20/11/11 22:35:05.59 WJWVEDMS.net
鹿野園君は、こういう大乗仏教学の基本学習を放棄して、
西欧哲学概念とか、結びつけるからな笑。

129:日本鬼子@2ch覚者
20/11/11 22:49:29.85 kK+HqoC7.net
俺は実践に結び付くろころまではROM

130:鹿野園
20/11/11 23:11:13.77 gvRdjAZ8.net
www
でおーってデタラメも酷いなw

131:鹿野園
20/11/11 23:17:44.60 gvRdjAZ8.net
仏教徒なら、西洋哲学上の問題に対して仏教的な視座からから切り口を入れるのが醍醐味って事だろうにw
ウィトゲンシュタイン?
龍樹の方が先駆者だろ?
フロイト、ユング?
無著や世親はもっと深く考察してたぜ?
ソシュール?
陳那の方がおもしろいだろ?
ってなwwwwwww

132:神も仏も名無しさん
20/11/12 05:38:01.00 esrF/Ypa.net
犬山自己陶酔恥知らずあげ

133:神も仏も名無しさん
20/11/12 05:39:49.36 q6cperTV.net
世俗の言語とは、虚妄であり、人を錯覚させるものだと思います。
空海の十界に言語を具す、六塵悉く文字 でいう文字は、覚者にとっての法身仏の説法で
本不生の真言でありますから、世俗の概念を遥かに越えた佛の内証の意味そのもの
を導き出すトリガーでしょう。

134:神も仏も名無しさん
20/11/12 07:00:49.02 esrF/Ypa.net
>>133
そういうこっちゃね。
鹿野園君は虚妄な創作概念に走り
何をやりたいの?
ていう感じ。

135:神も仏も名無しさん
20/11/12 07:03:18.81 MFsXMjGF.net
>>113
■阿頼耶識と業の相互関係
①現れている業(現行)が、薫習し、阿頼耶識に種子を形成する
⇒現行薫種子
②阿頼耶識に蓄えられている種子が、あらたな業(現行)を生み出す
⇒種子生現行
③阿頼耶識=種子識に新たな種子が蓄えられると、新たな阿頼耶識=種子識が
 生み出される
 ⇒種子生種子
この三つの関係が瞬時に働き、瞬間ごとに変化し、種子が蓄えられ
阿頼耶識は変容し続ける。
一方で後に出る第四句で阿頼耶識は無覆無記と言われている。
業には善悪の業があるが、善悪を判断されるのは現行して日常生活に
行為が現れてからなので、種子としてある阿頼耶識自体は善悪に関して
無記であると考えられているようです

136:神も仏も名無しさん
20/11/12 09:18:12.37 esrF/Ypa.net
創作概念上げ

137:神も仏も名無しさん
20/11/12 17:17:31.78 5pYX1jb0.net
創作概念反対上げ

138:神も仏も名無しさん
20/11/12 19:49:01.13 A65l1pbL.net
創作概念反対上げ

139:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:00:59.21 5daVYV9d.net
阿頼耶識は限りなく法の作用みたいなもんだから価値観に関わる善悪には向記なのは納得だが、阿頼耶識の働き自体が業を少なくさせる、または質を善に変容してゆく作用はないのかしら

140:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:01:11.69 5daVYV9d.net
無記

141:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:03:42.63 MFsXMjGF.net
■阿陀那識(執持AdAna-vijNAna)…阿頼耶識の先駆概念
唯識の根本経典の『解深蜜経』ではじめて説かれる。
業が潜在的に心に沁みこんで、その潜在的な心が五蘊を形成し、
老死に向かって変化し続けている中、変化を維持している潜在的形成力が
阿陀那識と定義されたそうだ。

142:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:11:45.45 q6cperTV.net
真言密教の立場より見た識、乾栗陀耶識
>末那識は自我執着意識ですが、阿頼耶識はその悪念を経験として蓄積し、汚れる可能性があります。
ならば、悪念のない無垢な阿頼耶識、というものがありうるはず。天台宗や華厳宗では、それを阿摩羅識という第九識とします。
別名「仏性」と呼ばれるもので、
さらに真言宗では、個々人の仏性の奥にある真の根源として、第十識すなわち
乾栗陀耶識を立てます。

143:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:15:38.25 q6cperTV.net
ケンリツダヤ識。
どういう情報を知ってるか
挙げてみてください、少ない
でしょ

144:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:18:06.75 MFsXMjGF.net
第三偈 不可知執受 處了常與觸 作意受想思 相應唯捨受
asaMviditakopAdisthAnavijNaptikaM ca tat /
sadA sparsa manaskAravitsaMjNAcetanA nvitam//
a.そしてそれは感受できない執受であり、処の了別を有し、
 常に触・作意・受・想・思とが伴う。
b.そしてそれは日常の意識では窺い知れない[精神と肉体のさまざまな]
 執着的統合と環境世界の表象を有する。
 つねに認識成立の基盤(触)・対象化する思惟(作為)・感覚的対象受容(受)・
 対象の概念化(想)・対象の観念形成(思)とがともなっている。
まず執受と処の不可知が説かれる点が注目される
『成唯識論』は、「微細」だから認識できないとしている。

145:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:19:36.29 5daVYV9d.net
ほえー色々綺麗に整理されとるな

146:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:37:50.25 5daVYV9d.net
大乗起信論に阿頼耶識に関して「この識に二種の義ありて、よく一切の法を摂し、一切の法を生ず。いかんが二となす。一には覚の義、ニには不覚の義なり」と語っているらしい
つまり、阿頼耶識には不覚の迷いも含んでるみたいどすな

147:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:45:08.42 5daVYV9d.net
樗伽経では阿頼耶識と如来蔵の同一性を説いてるらしいが、誰かその理由について詳しい人はおらんかな

148:神も仏も名無しさん
20/11/12 22:58:36.41 5daVYV9d.net
参考になる情報をみつけた
入樗伽経の如来蔵説に ついて
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)

善 ・不善 の因 であり、 白性 清浄 であ る如来蔵 が現実態 としては無始以来 の戯論 の習気 に 薫習さ れて アー ラヤ識と名づけら れている という のであ り、
いま、 ここでは詳論する暇がないので要点 のみをあげれ ば、おおよそつぎのようになるであろう。
その所説からし て、まず、 この経典 の成立 した当時 にお いては、如来蔵 が空 を究寛したも のであると いう主張 はす でに確 立されおわり、
いいかえれば、善 ・不善、浬架 ・生死の所依たるdhatUとし ての基本的な意味 あ いにお いて如来蔵と いい、それが無 始以 来 の戯論 の習気 に蕪習されて相続し て行く面を アーラヤ識 と
つぎの段階 とし て、如来蔵 が 一種 の実在的なものとして、 イ ンド 一般ではアートマン・プラダーナ ・イーシュヴァラなど と同様 の性格をも つも のと理解 されるに いた つたのではな い かと考えられる。

149:神も仏も名無しさん
20/11/12 23:02:58.06 5daVYV9d.net
少し余談になるが、アートマンと如来蔵や真如の類似性とその差異についても上では触れているが、やはりどうもしっくりこない
少なくとも読む限りはアートマン「への執着」を危惧してそれとの差別化を図り、空を空のままに語る道のほうが安全で正しいと語ってるようにしか読めないんだよな

150:神も仏も名無しさん
20/11/12 23:03:59.37 5daVYV9d.net
仏教はこんな感じで悟り「への執着」にも競輪を鳴らし続けるが、同じ方便なのではないか、と思ってしまう

151:鹿野園
20/11/12 23:04:56.95 o8EMSqQe.net
乾栗陀耶識はいわゆる場(界)の問題でしょうね。
何かが作用する為には必ずその"場"が要求されますからね。
勿論、仏教ですから場があるって解釈はしないでしょうけど。

152:神も仏も名無しさん
20/11/12 23:12:39.81 5daVYV9d.net
ちなみに上で書いたことを統合すると、阿頼耶識はニ義を含んでいるが、その働きは一義、つまり如来蔵に向かって形成してゆく法の諸力と言い換えることができないか?と思いますた

153:鹿野園
20/11/12 23:55:26.72 o8EMSqQe.net
光がプリズムで分光されるようなもん。

154:神も仏も名無しさん
20/11/12 23:56:48.55 5daVYV9d.net
それはイデア論の原像とその展開みたいな側面しか説明してないでそ
俺が言ってるのは真如へのアフォーダンスについてだよ

155:神も仏も名無しさん
20/11/13 00:02:39.03 hmKoenAG.net
業は苦を生み、人は苦から逃れたい、つまり苦を不快と感じる生き物だから、そもそも業は克服されるように運命付けられてるんだよな
阿頼耶識は業の元なわけで、人は特定の業から離れようとする生き物だから、結果的に澄み渡って真如まで辿り着くわけだよな
これは阿頼耶識の真如までのアフォーダンスだ

156:鹿野園
20/11/13 00:07:24.14 JIWWVYYO.net
>>154
アフォーダンスって客体からのアフォード(提供)って事なんですけど。
つまり、真如へのではなく、真如からのですよ?
意味を真逆に捉えてますよ?

157:神も仏も名無しさん
20/11/13 00:10:41.27 hmKoenAG.net
>>156
アフォーダンスは何も客体からの、でもないんすよ
なぜなら、ドアノブのアフォーダンスは実は人間の身体の構造からも生まれているわけどす
主体が客体を生み、客体が主体を生むわけどす
その意味で阿頼耶識は意識の下の末那識の下の働きなわけでそ
その意味では客体とも言えるし、主体ともいる
少なくとも言いうるのは業が生む現象は主体なのか、客体なのか?と問われればどちらとも言える、ということなんどす

158:神も仏も名無しさん
20/11/13 00:13:39.40 hmKoenAG.net
まぁ、仏教的には空だから、主体も客体もないんですけどねw

159:鹿野園
20/11/13 00:14:11.66 JIWWVYYO.net
>>157
そんな定義はされてません。

160:神も仏も名無しさん
20/11/13 00:15:06.25 hmKoenAG.net
>>159
定義の中に、その意味が含まれとるんよ
この前、別スレで説明したでそ
相互補完的な関係性の中、つまり縁起の中にあるのがアフォーダンスよ

161:鹿野園
20/11/13 00:32:23.36 JIWWVYYO.net
>>160
>相互補完的な関係性の中、つまり縁起の中にあるのがアフォーダンスよ
縁起の中にあるのは当たり前にしても、相補的関係性にアフォーダンスを当て嵌める事について、それに対しては先に当該スレで紹介した河野さんがその著作で負のアフォーダンスの問題として否定されてますから。

162:神も仏も名無しさん
20/11/13 00:33:14.70 hmKoenAG.net
>>161
それって大山さんがアフォーダンスについてよく知らなくてそう信じてるだけなんじゃない?

163:鹿野園
20/11/13 00:45:50.61 JIWWVYYO.net
>>162
アフォードって提供するって意味でしょ?
相補って意味はありませんけど。

164:神も仏も名無しさん
20/11/13 00:46:24.98 hmKoenAG.net
うん、アフォードって単語はそうです
でもアフォーダンスはギブソンの造語なんです

165:鹿野園
20/11/13 01:10:01.78 JIWWVYYO.net
>>164
主体と客体の関係を仏教的な視座から相依性(或いは相補性)って紐解くのは分かりますけど、アフォーダンス理論は、従来の主体から客体への意味性や価値観の提供を逆転させ、客体から主体に対して意味性や価値観が提供されてるって説く理論でしょ?
意味性や価値観の流れは"→"であって"⇆"とは考えられないんですけど。

166:神も仏も名無しさん
20/11/13 01:12:26.40 hmKoenAG.net
>>165
椅子を作ったのは環境ですか?それとも生物は休息を必要とするって性ですか?
どちらでしょう

167:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 01:12:46.39 FBRTRJE1.net
>>165
今まで大山君が主張してきたことは、間違いということだね?

168:神も仏も名無しさん
20/11/13 01:16:09.86 hmKoenAG.net
環境のアフォーダンスとは、環境が動物に提供するもの、良いものであれ悪いものであれ、用意したり備えたりするものである。
(・・・)
この言葉は動物と環境の総補性を包含している。
(・・・)
水平、平坦、広がり、堅さ―は(・・・)その動物との県警で測定されなければならない。(・・・)アフォーダンスは物理学でものを測るようには測定することはできない。(・・・)水平で、平坦で、広がりがあり、堅くて知覚者に対して膝の高さにあるならば、(・・・)自己と関連づけてもしそう見られる時には、それらの特性は、座るものを構成し、意味を持つことになる。
(ギブソン 生態学的知覚論)

169:神も仏も名無しさん
20/11/13 01:20:14.70 hmKoenAG.net
アフォーダンスってのは外と内の断絶された世界で外からの一方通行の提供って話ではないんだな
外と内が特定の事柄において一になる地平で語れるもんだ

170:神も仏も名無しさん
20/11/13 01:22:48.75 hmKoenAG.net
別スレで語ってるけど唯識って人間に中心化されてる論なんだな
意識でも阿頼耶識でもいいが、そのどちらかに中心化されてて、その下(潜在意識)に在る識の構造を語る論だ
アフォーダンスってのは人間に中心化されてなくてええんよ
動物には末那識はないが、動物と環境のアフォーダンスを語れるところが、唯識ではなく縁起のほうが相性がいい所以だな

171:神も仏も名無しさん
20/11/13 01:26:56.24 hmKoenAG.net
唯識が一切を心の作用で語ろうとするのは、大乗が菩薩的な人類の救済を志向する、人類のための宗教だからだ
その意味でキリスト教とも類似性はあるが、仏教はそもそも法に関する宗教だから、その意味においてキリスト教とは違う

172:鹿野園
20/11/13 01:52:31.07 JIWWVYYO.net
仰ってる事が矛盾してますよ?
貴方は
>>154
>俺が言ってるのは真如へのアフォーダンスについてだよ
っていいましたよね?
つまり、主→客を言っており、私はアフォーダンス理論とは客→主でしょ?って疑義を呈したんです。
で、途中から相補とか言い出して…
相補なら真如とのアフォーダンスって表現になると思いますけどね?

173:神も仏も名無しさん
20/11/13 01:55:09.95 hmKoenAG.net
>>172
>>155

174:神も仏も名無しさん
20/11/13 01:56:32.63 hmKoenAG.net
種子は末那識以下の識が生み、その種子の業は末那識以下の識を変容される
双方向でしかないな

175:鹿野園
20/11/13 02:11:04.94 JIWWVYYO.net
>>170
>別スレで語ってるけど唯識って人間に中心化されてる論なんだな
謬見ですよ。
阿頼耶識は六道を認識すれば環境も認識しますから。

176:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:12:00.93 SfXbj6F5.net
>動物には末那識はない  ことないでしょ? 犬も猫もしっかり自我執着
意識持ってるでしょ? 縄張り意識とか、同じスピーシーズ間では凄いですよ
ただ家族はまた別で、また飼主には、人が雇い主やカルトの親玉に調教される
のと同様、なついたりはする

177:鹿野園
20/11/13 02:12:49.71 JIWWVYYO.net
人も環境も名言種子が現行したんですから、中心とかありませんけど。

178:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 02:15:25.43 FBRTRJE1.net
仮設を絶対視したら間違うわなw

179:鹿野園
20/11/13 02:23:11.28 JIWWVYYO.net
>>174
種子は現行と薫習を繰り返しますけど、それは循環で双方向ではありませんよ?
つまり、…現行→薫習→現行→薫習→現行…です。

180:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:27:55.81 hmKoenAG.net
>>175
意識の「下にあるのが」末那識で、末那識の「下にあるのが阿頼耶識」ですな
さて、何に中心化されてるのでせうか?

181:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:28:21.10 hmKoenAG.net
>>176
末那識と意識の違いって分かりますか?

182:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:29:07.93 hmKoenAG.net
>>179
循環と双方向はどう違うの?

183:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 02:32:58.99 FBRTRJE1.net
>>179
現行→薫習 と、するのは飛躍してるよ?

184:鹿野園
20/11/13 02:37:56.15 JIWWVYYO.net
>>173
つーか、日本語変です、
>>155
>これは阿頼耶識の真如までのアフォーダンスだ
真如への途を拓く阿頼耶識からのアフォーダンスっていうのなら分かりますけどね。

185:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:42:08.12 hmKoenAG.net
>>184
別に意味が同じならそれでもいいけど

186:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:48:36.88 SfXbj6F5.net
あとね70年代に死んだ米国の生態心理学者の説なんて
もう全然古くて時代遅れだよw
まだ最近流行りのヌーソロジーとかのほうがマシ。それもあんま好きや
ないけどね

187:鹿野園
20/11/13 02:51:57.91 JIWWVYYO.net
>>180
中心化してる人間も阿頼耶が転じた一部に過ぎません。

188:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:54:40.21 hmKoenAG.net
>>187
語り方が違うと思います
通常の意識の下に末那識があり、末那識の下に阿頼耶識があります
ほら、分かるでしょ?

189:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:55:11.47 SfXbj6F5.net
>>181
第7識は自我執着意識と捉えてます。我執の素。
で、動物もそれあるのは、しっかり飼ったことある人ならわかると思うよ。自己所有や
テリトリの意識しっかりある。無我じゃない

190:鹿野園
20/11/13 02:57:22.00 RLx7dOfa.net
>>182
双方向は行ったっきりもあるでしょ?

191:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:57:25.66 hmKoenAG.net
>>189
それは古典的条件反射で説明できますよ

192:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:58:03.55 SfXbj6F5.net
一つ言えるのは、人は他の動物と違い、環境に支配されきったロボット的客体ではない。
殊に諸行無常を説く仏教なれば、環境も固定したものとは見ず、
空なるを観じて有害な支配を拒み、また実際に人は環境を変え操作
してもいる。

193:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:58:50.68 hmKoenAG.net
>>190
双方向は送る側も受けて、受ける側も送ることが「かできる」みたいな意味合いやね
現実のケースではもちろん送ったっきり、とこはあるかもねw

194:鹿野園
20/11/13 02:58:53.96 RLx7dOfa.net
>>185
意味が違ってると思ったから一連の指摘をしてきたんですけどね。

195:神も仏も名無しさん
20/11/13 02:59:40.14 hmKoenAG.net
>>194
具体的にどう違うの?

196:鹿野園
20/11/13 03:00:00.76 RLx7dOfa.net
>>188
分かりません、なんの事でしょう?

197:鹿野園
20/11/13 03:01:16.10 RLx7dOfa.net
>>195
修正した通りです。

198:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:01:27.10 hmKoenAG.net
>>196
◯◯の下に▲▲がある、という時、その表現は◯◯に中心化されとるんよ
テーブルの下に猫がいる時、猫の上にテーブルがあるわけではないってことさ

199:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:01:50.00 hmKoenAG.net
>>197
同じ意味にしか読めないですね

200:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:03:41.66 hmKoenAG.net
そもそも大山さんは阿頼耶識と如来蔵のくだりを理解しとるんかいな
しかもその前に阿頼耶識はニ義あるってレスを理解しとるんかいな
しかも如来蔵と真如の関係性を理解しとるんかいな

201:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:07:26.14 SfXbj6F5.net
井筒俊彦 高野山での特別講演「言語哲学としての真言」 は確かにいい感じで要約できてる感もあるものですが、
聊か不要なおべんちゃらが混じってるようにも感じられ、それは文字とか言語の意味をある部分拡大解釈し過ぎ、
ある部分(ヴェーダやユダヤ・イスラムからの影響も)過小評価し過ぎている
風に思われます。

202:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:08:56.50 SfXbj6F5.net
米国の生態心理学者の説の受け売りは、
何ものかにマインドコントロールされたか
又は 洗脳しようと企む者による押し売り
っぽい感じがするな

203:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:10:13.71 SfXbj6F5.net
 言葉というのは人を誤解させるものでもあるのです。
たとえば、実際にしたら凄く気持ち悪いことなのに、表の表現上は それを恰も美しいこ
とのように変質させて伝えることも可能なもので、実際洗脳で良くやられています。
本来の仏の教えとは、そうした嘘に気付き、戒めるものではないですか?

204:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:10:42.22 hmKoenAG.net
動物に末那識あるいうなら仏教の論理から語ればええやん

205:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:13:54.79 SfXbj6F5.net
唯識は悪くはないけども、古臭いカビのはえた生態心理学とか
何か実体視しなくていいものを
わざわざ実体視させようとする錯視強制観察のように
感じられなくもない

206:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:16:58.46 hmKoenAG.net
そのおまいさんの感情的な感想と末那識が動物にはないって仏教的な見解とは何の関係もない

207:鹿野園
20/11/13 03:17:43.57 JIWWVYYO.net
>>198
成る程、確かに阿頼耶識は根本識と呼ばれてますけど、空性なんですが?
空性に中心があるとでも?

208:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:20:18.63 SfXbj6F5.net
犬や猫だって言語化されてないだけで
意識があるのはまちがいないです。だからヒトのような
言語的な知性はない。概念というのはないけれども前意識的、無意識的なものが強く。
おそらく遺伝的に具えている本能的行動ができてしまう

209:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:20:45.69 hmKoenAG.net
>>207
大山さんはそもそも唯識詳しくないだろ
空だったとしても、唯識は人を中心に説明してるんだよ
人を中心に、その識の下に末那識があり、その識の下に阿頼耶識があり、だから空だ、と説明するわけだろ?
それは結論でしかなく、唯識のモデル自体は人の意識を中心に説明しとる

210:鹿野園
20/11/13 03:20:53.31 JIWWVYYO.net
>>199
ないないw

211:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:21:09.76 hmKoenAG.net
>>208
だから意識と末那識は違うんだって。。。

212:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:21:28.76 hmKoenAG.net
>>210
具体的にどうぞ

213:鹿野園
20/11/13 03:22:27.68 JIWWVYYO.net
>>200
別件ですね、それ。

214:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:23:58.98 hmKoenAG.net
>>213
別件も何も、大山さんがちょっかい出してきたおれの対象のれすがそれを意図して書いとるんよ
俺が意図して書いたことに他人である大山さんが別件とか言っても意味不明です

215:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:24:50.14 SfXbj6F5.net
人間も本能はあったんだけれども、言語でそれは抑えられ、
別の言語的誘導因子や幻想というトリガーがないと
うまくリリースされなくなってるらしい。まあ
色んな人はいるだろがね

216:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 03:25:58.44 FBRTRJE1.net
>>207
過去に大山君は空の中を仮定してましたが、考え変わったの?

217:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:26:11.69 hmKoenAG.net
本能あったってなんで過去形なんだw
おまいには本能がないんか?w

218:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:27:55.24 hmKoenAG.net
明日も早いからもう寝るなー
おまいら、良い夢を…💤

219:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:29:41.73 SfXbj6F5.net
>>206
末那識が動物にはないって はっきり言った仏教屋って誰?
動物行動学や精神分析でも広く学んだ人なら、もう刺激反応とか、そんな時代じゃない
ってわかる筈だけど?

220:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:30:05.25 hmKoenAG.net
自分で調べろw

221:鹿野園
20/11/13 03:30:20.27 JIWWVYYO.net
>>209
>空だったとしても、唯識は人を中心に説明してるんだよ
そうじゃないでしょ?
人間を対象にしてるから、それが中心に説明されてるんでしょ?
餓鬼道であればそれを対象にして中心的に説明する事になるのですから。

222:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:31:01.69 hmKoenAG.net
だから同じ意味やん(呆)

223:鹿野園
20/11/13 03:35:33.29 JIWWVYYO.net
いい加減に総括しますけど?
アフォーダンス理論と仏教の関係について、仏教の縁起観を視座に捉える事は決して間違いではありませんよ。
しかし、それは相互の関係性の説明に留まり、環境(客体)それ自身に意味や価値が内包されている事の説明にはならないでしょ?

224:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:36:22.16 SfXbj6F5.net
あのねたとえば性にしても、人は
必ずしも異性の自然の性質や形態に性欲をリリースされるわけじゃないでしょ。たとえば
いつも下着もつけずヌードでいたら、ヌード写真とかも価値
なくなるでしょ?

225:神も仏も名無しさん
20/11/13 03:40:20.70 SfXbj6F5.net
七十年代以前米国の生態心理学者の古い説と仏教を結ぶつけるのは我見であり、
それに執着するのこそ我執。
まったくとるにたりない
駄論ww

226:鹿野園
20/11/13 04:18:59.62 JIWWVYYO.net
>>222
>>空だったとしても、唯識は人を中心に説明してるんだよ
中心……
読んで字の如くそれを求めるのであれば、それは阿頼耶識でしょ?
人間は阿頼耶識が転じたのですから。
唯識思想は(当たり前ですけど)人間を対象に阿頼耶識縁起を説いて、人間中心の考えから超越した思想じゃないんですか?

227:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 04:23:43.14 FBRTRJE1.net
>>226
空である阿頼耶識を中心に考えても詮無いだけでしょ。
中心は意識、実践は末那識です。
阿頼耶識を中心としてるのは大山君の趣味です。

228:鹿野園
20/11/13 04:28:52.00 JIWWVYYO.net
そもそも人間の中に阿頼耶識何あるのではなく、阿頼耶識の一部に人間があるんでしょ?
それのどこが人間中心なんでしょうか?

229:神も仏も名無しさん
20/11/13 04:36:08.15 SfXbj6F5.net
唯識は悪くはないけども、古臭いカビのはえた生態心理学とか
何か実体視しなくていいものを
わざわざ実体視させようとする錯視強制観察のように
感じられる

230:神も仏も名無しさん
20/11/13 04:55:40.44 SfXbj6F5.net
>>126
>真言密教の無我は、六大の構成要素込みの無我=大日如来
と見ている
はい。その通りだと思います。
というか、本来の仏教も
無我を観じることで智慧が生じる
このスレに即して言えば、六大の識→転識得智した法界体性智、
まさに大日如来であって、儀軌の通り。

231:鹿野園
20/11/13 05:17:15.68 JIWWVYYO.net
>>209
>それは結論でしかなく、唯識のモデル自体は人の意識を中心に説明しとる
そうでしょうか?
唯識思想の根本テクストである唯識三十頌では、意識は二十文字、阿頼耶識は五十文字、末那識は六十文字で説かれてますが?

232:神も仏も名無しさん
20/11/13 05:46:20.74 SfXbj6F5.net
アフォかって誰も言わんの?
1970年代に死んだ米国の生態心理学者のありふれた説を
今さら持ち出す必然性が全くナイもんねw 以後、
完全あぼ~んするよ。

233:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 05:52:39.11 FBRTRJE1.net
>>232
おはようございます。
気になるのでggるキーワード教えてもらえませんか?

234:神も仏も名無しさん
20/11/13 06:18:15.15 MOk9Rbvu.net
まず第一に、仏教の比丘たちの瑜伽行の人たちが瞑想して
人の心を分析し続けたんです。
それ以前のインドの思想で「人の中心」は「アートマン」だったのですが
それは仏教が否定していた。
そこで彼らは仏教の二空を受けて、人と法の二空を受け継ぎ
『唯識三十偈』第一偈の冒頭でatmadharmopacaroと言っているんです
「我」と「法」との言葉によって虚構された、と。
とはいえ、では一体何が、人の身体と心を統合する主体なんだとという観点から
先行する『解深蜜経』は阿陀那識(執持AdAna-vijNAna)を置いたのです。
『解深蜜経』は最初に『唯識』という言葉を産んだ唯識派の根本経典です。
この執持識が発展して、阿頼耶識となったんです。
で、阿頼耶識は言語的には「蔵識」であり、
第二偈で「異熟」「一切種」と言われています。
第三偈で不可知執受 處了常與觸 作意受想思 相應唯捨受←今ここ

235:神も仏も名無しさん
20/11/13 06:26:50.27 EPEtzDW+.net
犬山また、あほーダンスの戯論餓鬼しとるな、
恥を知れ!!

236:神も仏も名無しさん
20/11/13 08:06:55.82 SfXbj6F5.net
>>233
だから、ジェームズ・ギブソン でググってみれば、全然賢い学者でもないって
わかると思いますが、人によるかな? まあ構造主義とか、メルロ=ポンティ、
フーコー、デリダあたりでも読んだほうがずっとためになるし、必然性のない空論より、
ヌーソロジーとかの方が賢いね。

237:神も仏も名無しさん
20/11/13 08:16:45.67 SfXbj6F5.net
ヌーソロジーも大したことないかw ただ若干の閃きは感じられる。
暇なら以下の動画を視聴してみると何か気付くかも。元小学館の人だが別に関係はない。
ただ苫米地に影響されてるかも。。。
時空の外に出てみよう(はじめてのヌーソロジー)【Short】
URLリンク(www.youtube.com)
#054 ヌーソロジーの観察子をあえて一般語で解説してみる
URLリンク(www.youtube.com)
#055 二つの死(ヌーソロジー)
URLリンク(youtu.be)
ヌーソロジー解説 「ヌースとは?」 半田広宣
URLリンク(www.youtube.com)
#066 思形と感性(ヌーソロジー)
URLリンク(www.youtube.com)

238:神も仏も名無しさん
20/11/13 08:48:26.30 6BM4TiKK.net
俺的には、ソシュールで十分やった

239:鹿野園
20/11/13 09:02:00.31 JIWWVYYO.net
陳那とソシュールw

240:神も仏も名無しさん
20/11/13 09:29:57.82 SfXbj6F5.net
v2番目の動画の24:30以降の変性意識の話、興味深いね。
空海も、役行者も、変性意識に相手の意識をひっぱりこむ術に長けてたとも言え、
アサンガもそうだけど、それ瑜伽行の肝かも知らんね、合気道の達人や
集団催眠とどう違うか、同じか?

241:神も仏も名無しさん
20/11/13 09:31:15.88 vhoSYduu.net
>>228
阿頼耶識を浄化して大円鏡智に変えるのは誰?

242:神も仏も名無しさん
20/11/13 09:32:35.26 tikI2Wmq.net
どあほ、犬山笑。
犬山は、創作概念のラング笑。

243:神も仏も名無しさん
20/11/13 09:34:31.24 tikI2Wmq.net
どアホ一人ラング犬山笑。
アタマの悪い連中ぐらいにしか広まらないラング、
恥知らずのK1ラング


244:神も仏も名無しさん
20/11/13 09:38:10.84 tikI2Wmq.net
>>240
唯識、天台、華厳、真言、あたりが変性意識を当てはめるのは、多少は致し方ないかもしれんな。
物事の直視に関して、僅かなバイアスがあるからな、

245:鹿野園
20/11/13 09:38:40.10 JIWWVYYO.net
>>241
>>228
>阿頼耶識を浄化して大円鏡智に変えるのは誰?
www
唯識思想は三刧成仏を説きます。
つまり輪廻の中で甲さん乙さん丙さん……と、少しずつ有漏の種子から無漏の種子に変換を遂げる訳です。
誰?って言われてもねw

246:神も仏も名無しさん
20/11/13 09:50:41.25 vhoSYduu.net
>>245
有漏の種子から無漏の種子にどうやって変換を遂げるの?

247:神も仏も名無しさん
20/11/13 09:53:46.28 SfXbj6F5.net
自分が変性意識に入ると、近くにいる他人も同調して、変性意識に入りやすくなる。
相手の認知システムの中にある情報空間にアクセスして、影響を与えてしまう。
それ現代のカルトのマインドコントローラも薬物使ったキメセクで女の子を虜にして貢がせるヒモ役
のホストもしてる危ない操作だよ

248:鹿野園
20/11/13 10:01:05.58 JIWWVYYO.net
>>246
厳密にいうと転換ではないのですけど、聞思修と戒定慧によってでは?

249:神も仏も名無しさん
20/11/13 10:04:20.55 vhoSYduu.net
>>248
聞思修や戒定慧は誰の意志によるもの?

250:鹿野園
20/11/13 10:26:43.13 JIWWVYYO.net
>>249
仏教は六道を説きますから、まぁ、有情でしょうなぁw

251:神も仏も名無しさん
20/11/13 10:46:17.90 vhoSYduu.net
>>250
その有情は阿頼耶識が作り出した幻影ですか?

252:神も仏も名無しさん
20/11/13 11:01:29.97 4/2UrWll.net
>>144
さて阿頼耶識は不可知であると言う。
不可知なのは、『成唯識論』ではミクロであるからと解説する。
阿頼耶識の働きは富士山のように大きいというより、
電子顕微鏡でも見えないくらい極微小だそうである。
具体的に何がミクロなのか。
「執受」と「処の了」とが不可知だという。
■執受…1.種子…行動(業)によって生み出されたもので、次の行動を生む可能性となる
    2.有身根…五根という感覚器官
 簡単に言えば「わたし」という心と身体とを統合的に虚構する能力。
■処の了…1.処…自然界一般のこと
     2.了…知ることであるが、言葉によつて、他と区別して
        「限定」して認識するあり方なので「了別」と解釈されている
阿頼耶識は、自分の心の中では
行動することで種子を生み出し、生み出された種子に影響されて次の行動が為され、
また自分の心の外の世界に対しては
分別していくことで、事象を概念化された言葉というイメージによって
常に矮小化しているのだが、その働き全体が不可知なのだという。
つまり気づかないままにやつている ということみたいだ

253:神も仏も名無しさん
20/11/13 11:22:39.86 SfXbj6F5.net
それ、結局、習化とかカルマを実体視することだよね。
業自性というか、つまり、識のゴミを浄めるために、まず明るくして穢れを見ろと。
唯識に比べると現代の理論はパラダイムの狭いもの
でしょうね。

254:鹿野園
20/11/13 11:30:29.45 JIWWVYYO.net
>>251
幻影というか空性だろうね。

255:神も仏も名無しさん
20/11/13 11:50:02.38 SfXbj6F5.net
>>217  たとえばヒトの場合、オスが欲情して手鹿なメスとすぐ行為に及んだら、
逮捕される可能性もあるし、通常はやらない。それでもやるのもいるが。。。性に
限っても、行為に至るまでに言語的プロセスが介在する。またヒトは学習しないと
何もできない。

256:神も仏も名無しさん
20/11/13 11:52:00.15 AmsX+Vsu.net
犬山はサル山のボス幻影エブリデイ

257:神も仏も名無しさん
20/11/13 11:53:55.54 SfXbj6F5.net
ダンサーが複数名で同じ動きをしたり、アスリートがシンクロで
同じ動きができるのは、大変な訓練ふぁ必要だ。だが
動物の中にはあれに近いことを訓練されなくても
できたりするのがいる

258:神も仏も名無しさん
20/11/13 12:31:50.01 vhoSYduu.net
>>254
空性でもいいけど、その阿頼耶識によって作り出された空性の有情が作り主の阿頼耶識に不満があるから聞思修で阿頼耶識を大円鏡智に変えようとするの?

259:神も仏も名無しさん
20/11/13 12:42:22.22 Wq++VJDN.net
>>256
自己観察能力ゼロの鹿野園君に難しい質問はいけません笑。

260:鹿野園
20/11/13 12:44:43.69 JIWWVYYO.net
>>258
そう思考する有情もあるでしょうね。

261:神も仏も名無しさん
20/11/13 12:49:27.38 SfXbj6F5.net
生物の集団行動を説明する場合、過去の遺伝情報とかだけでは説明し難く、
現在の集合的無意識や共通感覚的能力を想定しないと、集団行動における同調性を説明できない場合がある。
複数の個体が集まって一つの個体のように行動するケースがある。

262:神も仏も名無しさん
20/11/13 12:50:43.47 vhoSYduu.net
>>260
その思考も阿頼耶識によって作られてるの?

263:神も仏も名無しさん
20/11/13 12:56:21.57 SfXbj6F5.net
アカシックレコードというと過去の集団的記憶ということになるだろうが、
それと伴に 現在の集団を綺麗にまとめる作用が、現在進行形で働く。
それは種のレヴェルでの識があるということで、言語は、それへのアクセスを妨げる
とも言える。

264:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 13:00:50.95 ft6ZcGBL.net
>>262
横ですいませんが、そういうことは無いです。
主に過去からの選択、反復なので。
まあ、お分かりだから突っ込んでるのでしょうけど。

265:鹿野園
20/11/13 13:01:22.35 JIWWVYYO.net
>>262
作るっていうのはどうかと思いますけど、阿頼耶識中の種子が縁起によって思考として現行してるんでしょうね。

266:神も仏も名無しさん
20/11/13 13:09:15.85 MOk9Rbvu.net
そもそも阿頼耶識は「不可知」であるという論点を理解しましょう

267:神も仏も名無しさん
20/11/13 13:10:15.37 vhoSYduu.net
>>265
その縁起も阿頼耶識によるものでしょ
阿頼耶識が生み出した種子の中に阿頼耶識を否定する種子が蔵されてそれが現行していると
そうすると阿頼耶識は本性として自己否定の性があるわけだw
一切唯識だとそうなるわな

268:神も仏も名無しさん
20/11/13 13:12:08.55 MOk9Rbvu.net
>>267
もうすぐ阿頼耶識縁起が出てきますので しばしお待ちください。

269:神も仏も名無しさん
20/11/13 13:14:59.03 MOk9Rbvu.net
阿頼耶識は不可知なので、
不可知な阿頼耶識について肯定にしろ否定にしろ
関与する種子はありえないのでは?

270:鹿野園
20/11/13 13:16:43.80 JIWWVYYO.net
>>267
阿頼耶識は種子の貯蔵庫でしょ?
その種子が展開(原稿)するのが他の七識な訳で。
>そうすると阿頼耶識は本性として自己否定の性があるわけだw
本性というか、そうした種子が蔵されてるだけでしょ。

271:神も仏も名無しさん
20/11/13 13:25:57.13 vhoSYduu.net
>>270
後付けの本有種子かいな?
まあ阿頼耶識自体が部派仏教の種子説の欠点を補うために生み出された後付けの概念なんだけどねw

272:鹿野園
20/11/13 13:26:13.29 JIWWVYYO.net
種子っていうのは行動可能性って事ですからね?
現行しない限りそれは可能性って事なんです。

273:鹿野園
20/11/13 13:26:45.93 JIWWVYYO.net
>>271
それがどうかしましたか?

274:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 13:27:22.93 ft6ZcGBL.net
>>270
唯識と空は完全には一致しませんw
唯識はあくまでも仮設ですw

275:神も仏も名無しさん
20/11/13 13:28:53.84 vhoSYduu.net
>>273
唯識は全て人の頭で考えられた理屈
基になるのは阿頼耶識ではなく人間

276:鹿野園
20/11/13 13:32:29.72 JIWWVYYO.net
>>275
www
まさに唯識じゃありませんか?
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

277:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 13:36:03.87 ft6ZcGBL.net
>>276
そのレスで考察すると、阿頼耶識が汚すぎるから。
実践できない仏教知識という点で、大山くんは失格してるんだよ。

278:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 13:36:49.73 ft6ZcGBL.net
>>276
君の行いは招魂。
日本人は鎮魂です。

279:鹿野園
20/11/13 13:43:52.97 JIWWVYYO.net
そもそも唯識思想は阿頼耶識を根本識として据える思想として成立したんでしょ?
何をどうすれは意識中心だの人間中心だのになるのかなぁ?
教えて、エロい人w

280:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 13:50:31.37 ft6ZcGBL.net
>>279
言語で(に)生きているからです。

281:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 13:51:18.79 ft6ZcGBL.net
>>279
訓戒に気を配りなさい。

282:神も仏も名無しさん
20/11/13 13:55:46.68 vhoSYduu.net
>>279
思想として成立
という言葉に答えは出てますね

283:鹿野園
20/11/13 14:25:14.67 /pTonZV7.net
>>282
であれば唯識思想は阿頼耶識を根本識として中心に据える思想としてなんの問題もないなぁ。

284:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 14:29:05.62 ft6ZcGBL.net
>>283
読解力無いなぁ…
思想で片付けるなら、本論とは外れてますよってこと。

285:鹿野園
20/11/13 14:40:19.42 /pTonZV7.net
唯識思想は頭の中で考えられた理屈?
そりゃそうでしょw

 >基になるのは阿頼耶識ではなく人間
も頭の中で考えられた理屈でしょ?
それとも別なかなぁw

286:鹿野園
20/11/13 14:46:28.00 /pTonZV7.net
人間っていうのもその思想の中でカテゴライズされた事じゃないのかなぁ?
なんの文献かは忘れたけど、ローマ時代の航海日記にオランウータンを人間としていた記事があったとか記憶してるけどなぁ?
人間ってなんですかぁ?
アポーハ論では言葉は他の否定、つまり人間とは人間以外の否定って事になるけど、それ、循環論法だよなぁ。
www

287:神も仏も名無しさん
20/11/13 16:44:00.68 sx9bhqzv.net
たとえば、今まで悪にいそしみ汚れた人生を楽しんでいたものがある時を境に清いことと行いを楽しむようになるという良い変化が生まれるのでしょうか。
すべてが新薫種子であるのみなら、汚れた心と生活からは清いものは出てこないはずです。
そこで本有種子というものがもともと阿頼耶識には備わっているのに違いないと考え出されました。
悲しい人間界の極悪非道にも救いがあるとしたのです。
それは本来的に、深層の阿頼耶識の中に良い種子も持っているとしたのです。
それがある心の段階に至ると汚れのない心や知恵を生み出すとされたのです。
玄奘三蔵が師とあおいだ護法(ごほう)法師は新薫種子と本有種子の両方を認めました。
もう一つ、宗教的素質は各人によってなぜ異なるのかという問いがあります。
これも法相宗(唯識宗)の立場からは、本有種子の中に能力を異にした種子があるからということになります。(五性(五姓)格別)
私達凡夫の心はすべて有漏(うろ)種子という汚れた心から生じた世界であると私の経験上からもよくわかります。
「唯識とは何か/法相二巻抄を読む」横山紘一、著、春秋社、2005年
URLリンク(ganda-ra602.cocolog-nifty.com)

288:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 18:27:43.02 FBRTRJE1.net
>>236
ありがとうございます。
読んでみますね。

289:神も仏も名無しさん
20/11/13 18:32:53.04 6BM4TiKK.net
犬山マーキング上げ

290:神も仏も名無しさん
20/11/13 18:50:11.74 /pTonZV7.net
ですから、何度も言ってますけど、でおーの様な知育障害は健常者と対等な議論は出来ないし、議論にハンディキャップは付けられないんです。
そうした方はバカムイの様に隔離スレを立ててそこでシコシコとオナニーしてて下さい。
出しゃばらない限りお仕置きはしませんから。
ここから出て行きなさい。

291:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 18:50:49.78 FBRTRJE1.net
>>236
URLリンク(www.google.com)
を、読んでみましたが、「唯識が伝えたいこと」とは違いますね。
唯識の実践は現行を逆算し、種子を知る・戒める ですから。
唯識が伝える「構造」と似てはいますが、それによって何がしたいか、何を行うべきか、については全然別物だと思います。
ちょっと今更感ありますね。

292:神も仏も名無しさん
20/11/13 19:02:28.89 vhoSYduu.net
>>285
人間の頭の中で考えられた理屈だから基になるのは人間ということです
それとも「人間の頭の中で考えられた理屈」という認識すらも阿頼耶識に蔵された種子の現行だとでも?w

293:神も仏も名無しさん
20/11/13 19:12:22.86 vhoSYduu.net
>>287
こちらも追加で
大乗成業論
説一切有部を始めとして、部派仏教では業を実体視して身・口の表業を色法(物質)とし、業を持続させている潜在的な働きとして物質的な無表業、もしくは不失壊法などの原理を立てる。
世親は、このような実在論的な考えを批判し、「思」が働くことによって薫習され、その力によって相続転変して業の果が生ずる、とする。
この主張は、経量部が色心の相互薫習の説によっており、未だ実在論的な傾向が残っている。
そこで、世親はさらに唯識説における異熟識(阿頼耶識)を説いて、経量部の説は唯識説に帰着することを論証している。
さらに、諸派の議論を批判して、最終的に業は阿頼耶識の薫習力の相続転変によって成立すると論証している。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
要するに阿頼耶識や末那識(大乗成業論の頃はは阿頼耶識と末那識は未だ分離されてなくて阿陀那識という名の根本識だったと思ったが)は禅定で見つけたのではなく
思考による理論であり概念であるということです

294:鹿野園
20/11/13 19:20:57.61 /pTonZV7.net
>>292
>人間の頭の中で考えられた理屈だから基になるのは人間ということです
だから、なんの基なの?

295:神も仏も名無しさん
20/11/13 19:25:34.71 Wq++VJDN.net
犬山の唯識は、犬山の創作であることは保証できる笑

296:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 19:27:08.50 FBRTRJE1.net
>>294
犬。
認証されなかったから、といって噛みつくな。

297:神も仏も名無しさん
20/11/13 19:29:41.29 vhoSYduu.net
>>294
理屈

298:神も仏も名無しさん
20/11/13 19:40:57.76 /pTonZV7.net
唯識思想は阿頼耶識を根本識として中心に据える思想としてなんの問題もないでしょ。

299:神も仏も名無しさん
20/11/13 19:41:39.31 /pTonZV7.net
ですから、何度も言ってますけど、でおーの様な知育障害は健常者と対等な議論は出来ないし、議論にハンディキャップは付けられないんです。
そうした方はバカムイの様に隔離スレを立ててそこでシコシコとオナニーしてて下さい。
出しゃばらない限りお仕置きはしませんから。
ここから出て行きなさい。

300:日本鬼子@2ch覚者
20/11/13 19:42:08.88 FBRTRJE1.net
>>298
犬。
コテ忘れとるで?

301:神も仏も名無しさん
20/11/13 20:00:01.63 SfXbj6F5.net
アフォなんとかのスレの心理学説は全然説得力を欠くが、もし少しでも騙される人がいるとすれば、それは多義の虚偽のせいであって、
「言語」という名辞の定義が曖昧だからである。

302:神も仏も名無しさん
20/11/13 20:23:47.78 SfXbj6F5.net
本来の言語の意味でないのははっきりしてきたね。
では何なのか?空海「声字義」などの「文字」か? 聖書の「言」か?
どうやら洗脳のための暗示らしいが、それ一体
何の為?

303:神も仏も名無しさん
20/11/13 20:36:26.10 SfXbj6F5.net
今日は13(金) だけども
ひょっとして、その「言語」が
示すものって、ミロク
=666?

304:神も仏も名無しさん
20/11/13 22:15:14.16 SfXbj6F5.net
もし人間が性教育をまったく受けなくてもセックスはできるのでしょうか? という質問
に対して、「本能があるからできる」と答えてた人が結構いましたが、それは
人から聞いたり情報を得るからであって、動物と同じ意味での生得的本能は壊れており、
それは言語に依存してるから。

305:神も仏も名無しさん
20/11/14 00:03:32.86 +uNDEbxj.net
精神病院に行きなさい。
www

306:神も仏も名無しさん
20/11/14 00:04:42.19 +uNDEbxj.net
**********************
      このスレは終了しました。
**********************

307:神も仏も名無しさん
20/11/14 00:05:54.84 +uNDEbxj.net

すみません、誤爆です。

308:神も仏も名無しさん
20/11/14 04:59:53.22 gaRi/a9i.net
人は教育されないと何もできない というのは本当だと思います。
むかし、新婚カップルが新婚旅行にいき、エッチができなくて帰国後成田空港で離婚に到ったケース等がよく発生し、
話題になっていたのを目にした記憶があります。宗教的問題と関わる事柄でもないので詳述しませんが、
しかし、動物たちが教えられなくても高度な集団行動ができるのに対し、
ヒトは学ばないと成熟した協調的行動ができないし、また知識を多く詰め込んだ人ほど
他人との協調性を欠く性質が強くなり、上手な集団行動ができなくなることもあるので、
識というものを考える上で、何か関係するような気もしてきています。
また『入社して2年目なのに、わからないことがあっても自分から聞いてこなくて「指示待ち」の後輩。いったいどう指導したらよいのか悩む』
投稿が話題になってたのを見ても、女性に対して「指示待ち」の新郎もいるかも と思いました。
自分がいた会社は大企業でしたが、製品開発上の技術的設計仕様をクライアントと打ち合わせする時、
わかってる筈だから細かいことは聞くな という態度の担当者に当たったことがあり、
苦労した経験のある者としては、驚くべき風潮に感じられます。

309:神も仏も名無しさん
20/11/14 06:10:19.63 xZyYB7K5.net
恥知らず犬山オモロイわ上げ

310:神も仏も名無しさん
20/11/14 06:46:24.12 gaRi/a9i.net
>如来蔵思想の根拠は
増支部の「比丘たちよ、この心は光り輝いている。
ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れている」にあるようです。
唯識で問題にされるのは、勿論今生での識の穢れで、それを浄めることが課題になるのですが、
それとともに、過去から引き継いだ根本原因も問題にされていたと思います。
一つの見解ですが、
人は転生すると(殆どの人は)一旦、記憶が全てクリアされます。
中には幼児までは前の記憶が残ってたという方もいますが、早期に消えてしまうと聞きます。
一旦初期化されるのに
自性清浄である筈の識に客塵がまた引き寄せられてしまう因は、習化とか因縁とか
言われるものでしょうが、、それを唯識では、阿頼耶識の種子などと呼んでいるのだと思います。
それら客塵煩悩まで浄めて、人生をより良いものに改善し、仏に近付いて行くのが瑜伽行と言えるでしょう。

311:神も仏も名無しさん
20/11/14 08:34:59.91 uOaJ9RKb.net
犬山発狂上げ

312:神も仏も名無しさん
20/11/14 09:35:27.18 gaRi/a9i.net
>>304
阿陀那識は無意識全体を指し、
末那識とは自己所有の妄想を起こす素になる無意識の領域と
仮定すれば、動物にもあると思われますし、それが縄張り争いの原因になると
思われます。
犬の散歩をしてる時、犬同士の大変な吠え合い、いがみ合いが発生して
飼主が大変な思いをすることがありますが、あれはおそらく
犬は同種の中でその場所は俺様の占有地であり領土なのだから他のものが侵害するのはあってはならない
とでもいった自己所有の念の表出ではないかなと想像します。

313:神も仏も名無しさん
20/11/14 09:40:30.85 gaRi/a9i.net
人間みたいな言語的な概念が充満する「意識」は
動物にはないであろう、というのは
言葉を持たず、意味を理解しないことから同意できますが、しかし彼らも、音声から
(自分が呼ばれてるとか)聞き分けることはします。

314:神も仏も名無しさん
20/11/14 12:21:30.15 Vf/mPhZL.net
犬山燃えろ上げ

315:神も仏も名無しさん
20/11/14 12:40:58.35 gaRi/a9i.net
本能が壊れ  だけでググっても、沢山でてきます。
今や常識なんですね。
無意識を知ろう
その第一番目は、本能ですが、
人間の本能は壊れている・・という話から
URLリンク(act.o.oo7.jp)
>彼らには、
もともと思考という意味での意識はなく、
すべてが無意識ですから、
彼らの『生』=『無意識的』=『本能的』
と云えるわけです。

316:神も仏も名無しさん
20/11/14 20:30:07.38 uOaJ9RKb.net
犬山蹴りまくってやる上げ

317:神も仏も名無しさん
20/11/15 00:52:00.89 dZWH0hvR.net
ヒトの場合、オスが挿入ポイントの構造とかわかんなくても
メスが経験あったり知識があればデキるから、それで予め知識がなくても
デキたという錯覚をもってる可能性もあるね。 先輩に誘われてとか、
初回がそういうのだったケースも多いんかな? それでわかんなくてもできる
と言ってるのがいるのか知らんけど、本能でデキたという事じゃない。
で問題なのは、ヒトの性的行動の場合、生殖が目的ではなく、現代ではただの快楽目的の遊戯とか
性欲を満足させることだけのためにされる場合があることで、またここで関連してくるのは、
言語的、文化的社会的要因によって、本来は性欲の対象にはなり得なかった相手を対象とするような
倒錯的行動に走るものが出て来たということ。

318:神も仏も名無しさん
20/11/15 00:58:39.20 dZWH0hvR.net
そうした倒錯的傾向として、マニアックな変態的傾向があるもの、同性愛、小児性愛などがある。
最近でもNhkのディレクターが児童ポルノ法違反で逮捕されたニュースを目にしたが、何かと話題に上る小児性愛を考える。
何年か前の田舎の小学生女児誘拐犯の供述によると、犯行の動機として
「アニメの世界を現実化したかった」的なことを犯人が言ったようである。その事件は殺人ではなく、結果的に被害女児も
保護された事件なので、その程度の言い訳ですまされたともとれるが、それが正直な自白であったとすれば、
犯人は、アニメという二次元の言語的虚構に基づく教唆に誘導され犯行に及んだと言えなくもない。
アニメというイメージは、元を正せば現実にない空想を素材に言語的に構築された虚構であり、
決して現実には存在しない妄想でしかない。
その妄想への執着を形有るもののように実体化させようとする邪念、情熱がそうした小児性愛行動を生むということであり、
元を正せば、オタク文化などの言語的活動が背景にあり、言語的イメージによって性欲が刺激され、また発現の仕方が歪められてもいる。
つまり、性的倒錯者には、実際の対象には無い、二次元の紙面上や画面上で展開されたイメージへの偏愛とか執着が
まず先にあり、(現実から遊離した)言語的に構築されたイメージを現実の対象に投影してるということなのだ。

319:神も仏も名無しさん
20/11/15 06:15:42.17 cShfdka2.net
犬山倒錯上げ

320:神も仏も名無しさん
20/11/15 06:57:57.65 pj8gRIcO.net
狂ってる。

321:神も仏も名無しさん
20/11/15 07:00:39.12 pj8gRIcO.net
頭がおかしい、

322:神も仏も名無しさん
20/11/15 08:58:25.94 xZCRZNuJ.net
反省

323:神も仏も名無しさん
20/11/15 09:39:55.05 g8nn3C4F.net
阿頼耶識思想の形成について
URLリンク(otani.repo.nii.ac.jp)

324:神も仏も名無しさん
20/11/15 11:32:58.23 3Rj5SeJ4.net
幼児性鹿野園上げ

325:神も仏も名無しさん
20/11/15 12:55:24.13 GzeQrVgh.net
ですから、何度も言ってますけど、でおーの様な知育障害は健常者と対等な議論は出来ないし、議論にハンディキャップは付けられないんです。
いるだけ無駄ですから。
そうした方はバカムイの様に隔離スレを立ててそこでシコシコとオナニーしてて下さい。
出しゃばらない限りお仕置きはしませんから。
ここから出てお行きなさい。

326:神も仏も名無しさん
20/11/15 13:37:44.91 v6LLiWWD.net
>>144
■阿頼耶識のあり方(行相AkAra)
→阿頼耶識が「執受」と「処」を対象として、識(心)にそれを権限させている。
そして「執受」と「処」とが『不可知』であると説かれる
A.『成唯識論』は、【微細】だから『不可知』と説き
B.安慧は、阿頼耶識内部で働く認識作用の一々を知ることができないから『不可知」と説く
「執受」upAdAna…普通は「取」と訳される。強い自己生存要求と自己保存の自我意識を
         持った執着が「取」。
         『成唯識論』は、これを「相と名と分別の習気」と解釈。
         言語化される対象が相で、名を付与することで、事物の認識である
         分別が生じる。それが更には阿頼耶識に種子として蓄えられる
「処」sthAna…場所や領域のこと。ここでは物質的な環境世界のこと

327:神も仏も名無しさん
20/11/15 14:14:24.92 i/m4J6GI.net
仮面外すと幼児性鹿野園丸出し上げ

328:神も仏も名無しさん
20/11/15 15:30:21.46 tkKgiBu+.net
アホーざんす

329:大山唯識講座
20/11/15 16:41:26.17 VWLm6lOf.net
102鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 14:54:05.65ID:WQ7EggsI
キチガイどもが煩いので、阿頼耶識が現量である事について考えてみよう。
勿論、猿には理解できない事は百も承知で書く。
取り敢えずスクラップ。

☆阿頼耶識の異熟性(善・不善業 → 無記化)
☆阿頼耶識(観心覚夢鈔、八門分別)
  釈名(由来)   ~ 能蔵、所蔵、執蔵
  所縁(対象)   ~ 種子、五根、器世間
  仮実(存在性) ~ 別種所生
  性類(判断)   ~ 無覆無記
  界?(所属)   ~ 欲界・色界・無色界
  所依(由来)   ~ 末那識
  三量(認識)   ~ 現量
  心所応相    ~ 五つ(触・作意・受・想・思)
☆現量
  直接知覚。現前にある対象の非言語的な認識。
  ”任運にして無分別なり”
  ”諸分別の行解を離れて任運の境の事相に敵う”
  ”境に任せて任せてこれを縁ずる”
 

 >八識のうちで前五識と第八阿頼耶識は常に現量である。
 >なぜなら前五識すなわち五感覚は言葉を起こすことは出来ず対象をあるがままにとらえるから、
 >また、阿頼耶識は深層の領域で任運に無分別にはたらく心であるからである。
 >(唯識とはなにか 法相二巻抄を読む 横山紘一)

330:大山唯識講座
20/11/15 16:41:52.33 VWLm6lOf.net
103鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 15:49:11.82ID:WQ7EggsI
触・作意・受・想・思 ~ 遍行の心所(八識がはたらくとき、常に作用してる心所)
捨受 ~ 苦楽の感受はない(=非苦・非楽の感受がある)
阿頼耶識の見分・相分(身体と環境(器界) = (それ自体は)無記)
阿頼耶識の種子は、阿頼耶識自体から生じる(阿頼耶識内の種子が現行する=相分として顕れる)
104鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 16:11:34.57ID:WQ7EggsI
見分 ~ 現量・比量・非量
自証分・証自証分 ~ 現量 (→観たものを確認するので)
境に似たる相は所量なり(成唯識論)
>初阿頼耶識 異熟一切種
>不可知執受 処了常与触 
>作意受想思 相応唯捨受
>是無覆無記 触等亦如是 
>恒転如暴流 阿羅漢位捨

331:大山唯識講座
20/11/15 16:42:28.04 VWLm6lOf.net
105鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 16:28:57.93ID:WQ7EggsI
阿頼耶識 = 無覆無記 = 現量 って事も理解できない猿どもwww
106鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/07/17(金) 16:42:59.38ID:WQ7EggsI
現前にある対象の認識が相分と呼ばれており、その認識に言語に依る分節が伴えば比量、或いは非量となり、伴わなければ現量となる。
ところで阿頼耶識の相分は、阿頼耶識自身の種子から生じた身体(有根身)と環境(器界)とされており、そこに言語に依る分節は介在しない。
当たり前だけどw
故に阿頼耶識は現量。
猿の分かる事ではない。

332:大山唯識講座
20/11/15 16:43:03.51 VWLm6lOf.net
107鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 19:57:37.68ID:WQ7EggsI
阿頼耶識や前五識は、任運にして無分別であって境の事相を得する。
つまり、性境であって種子から実際に現れたものである。
これに対して意識は独影境や帯質境。
阿頼耶識の相分は、種子、有根身、器世間であっていずれも阿頼耶識自身の種子から生じた相分。
108鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 20:17:19.37ID:WQ7EggsI
性境(相分)~見分とは別の種子から生じる
 阿頼耶識が縁ずる五根・器世間・種子
 五識の相分
 五具の意識の相分
 無分別智が縁ずる真如
独影境~見分と同じ種子から生じる、本質の無いもの(ex:兎の角・カメの毛)、遍計所執性
 第六識が無法を縁ずる時の相分
 第六識が仮法を縁ずる時の相分
 第八阿頼耶識に相応する心所の相分
 
帯質境~相境ではあるが第六識の意識の分別力が絡み錯覚したもの
 第七末那識が第八阿頼耶識の見分を縁ずる場合の相分
 第六識が非量するときの相分

333:大山唯識講座
20/11/15 16:43:39.28 VWLm6lOf.net
109鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 20:51:31.86ID:WQ7EggsI
無分別 自相を(直接知覚=現量によって)得する
分別 共相を(言語による分節=比量・非量によって)得する
110鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 20:56:49.83ID:WQ7EggsI
仮有に実法と仮法があり、実法(現量)は見分と相分が別種所生であり、仮法(比量・非量)は同種所生であり、それは意識の分別力によって作り出された影像である
111鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 21:32:47.35ID:WQ7EggsI
唯識の説によると、此の世の存在を構成する有根身(我、有根身、身体)と器界(法、外界、環境)は、阿頼耶識の種子から生じるとされているんです。
勿論、阿頼耶識という実体がある訳ではないので、此の世の存在は仮有であると言えるでしょう。
ところで、仮有には実法と仮法があって、実法(現量)は見分と相分が別種所生(性境)であり、仮法(比量・非量)は同種所生(独影境、帯質境)であり(末那識や意識の)分別力によって作り出された影像であるとされています。

334:大山唯識講座
20/11/15 16:44:22.12 VWLm6lOf.net
112鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 21:50:39.81ID:WQ7EggsI
で、阿頼耶識が現量でないと想像してみましょう…
余程の馬鹿でない限りそれがどういう事か分かりますよねwww
113鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 22:00:24.03ID:WQ7EggsI
境に任せてこれを縁ずる。
行動可能性としての種子を蔵する阿頼耶識の種子が、所縁に触れて(=任運)現行するんです。
阿頼耶識に何かしらの意思があって種子が現行するのではないんです。
それ故に ”任運にして無分別なり” なのです。

縁に触れて現行するのですから、そこにタイムラグはありません。
つまり、時間が介在する事がないといえるでしょう。
時間の介在なしに ”諸分別の行解(=言語による分節)” は当然に在りません。
ひいては、無分別って事であり、現行された相分が直接知覚されるって事です。
それ故に ”諸分別の行解を離れて任運の境の事相に敵う” という事なのです。

…馬鹿猿の理解する処ではありませんwww

335:大山唯識講座
20/11/15 16:45:14.13 VWLm6lOf.net
114鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 22:12:18.54ID:WQ7EggsI
補足しましょう。
所縁に触れて(=任運)、此の世の存在を構成する有根身(我、有根身、身体)と器界(法、外界、環境)という種子が現行するんです。
その現行されたものが見分(主観)と相分(客観)とその主客の認識(自証分、証自証分)によって ”認識” されるんです。
比量・非量は同種所生であって、見分と相分が分析されること無く(=種子が見分と相分の2個ではなく)、見分から相分を産み出す故に独影境であり、遍計所執性なのです。
115鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 22:14:49.74ID:WQ7EggsI
で、阿頼耶識が別種所生でないと想像してみましょう…
余程の馬鹿でない限りそれがどういう事か分かりますよねwww
116鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 22:19:32.63ID:WQ7EggsI
見分(主観)から相分(客観)を産み出す故に独影境であり、遍計所執性なのです。
要するに客観性がないって事です。

336:大山唯識講座
20/11/15 16:45:57.92 VWLm6lOf.net
117鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 22:21:04.98ID:WQ7EggsI
円成実性・・・・実有
依他起性・・・・仮有~実法、仮法
遍計所執性・・畢竟無~無法 

仮法~存在はしなくとも想像上存在するもの(ex:兎角亀毛)
無法~決して存在しないもの
118鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 22:21:42.02ID:WQ7EggsI
円成実性・・・・実有
勿論、空であり空性って事です。
119鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO 2020/07/17(金) 22:58:42.97ID:WQ7EggsI
阿頼耶識はいわゆるこの世の存在(我・法)を産み出してそれを同時に認識する。
その認識が現量でなければ…
余程の馬鹿でない限りそれがどういう事か分かりますよねwww
120鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/07/19(日) 17:59:54.40ID:q4n3a1WX
心によって造られているものが刹那生滅しているというよりも、その心が刹那生滅しているって事。

337:神も仏も名無しさん
20/11/15 17:20:25.75 ffudToJ7.net
>円成実性・・・・実有

実有?
あたま、おかしいぞ笑
俺なら、物事が明らかに見え判断できる四智の境地やろ

338:神も仏も名無しさん
20/11/15 17:23:01.97 ffudToJ7.net
鹿野園は、不用意な知識、言葉で意味不明と化しているな笑

339:鹿野園
20/11/15 17:53:55.03 guWdmgaV.net
wwwwwww
ハゲは唯識挫折して俺の解説をコピペか?
てを抜くなよw

340:神も仏も名無しさん
20/11/15 19:34:17.64 DJbKTnWq.net
スレ主は結局唯識が分からなくて途中で挫折して投げちゃつたみたいだね。
チャレンジ精神は認めるけど、やっぱり中卒には無理ですよ、唯識は。

341:鹿野園
20/11/15 19:36:12.69 guWdmgaV.net
wwwwwwww
毛は抜けても手は抜くな、ハゲw

342:神も仏も名無しさん
20/11/15 19:55:30.42 DZ+Tr5MH.net
天下唯我独尊

343:神も仏も名無しさん
20/11/15 21:55:45.46 v6LLiWWD.net
>>144
>>326
について言及できないのであれば、ゆっくり待ちなさい

344:日本鬼子@2ch覚者
20/11/16 00:46:04.28 EdbX9VwH.net
>>340
煽る必要性が解らん。

345:神も仏も名無しさん
20/11/16 06:18:29.14 gtApjX/v.net
>>144
不可知の執受と 処と了となり常に触と
作意と受と想と思と 相応す唯し捨受のみなり
阿頼耶識は、
第一に「執受」upAdAnaであると書かれている。これは「取」の異訳であり、煩悩のことだ。
第二に「処」sthAnaの「了」であると言われる。世界を認識することだ。
第三に常に触と作意と受と想と思という認識作用が伴うという
最後に捨受のみという。五受のうち他は苦楽とか憂喜などの感情を伴うが
   感情を伴わない「受」を「捨受」というらしい。

346:神も仏も名無しさん
20/11/16 06:22:27.55 gtApjX/v.net
阿頼耶識は、まずもって私という煩悩であり、
世界を自分以外のものとして対象化し分別して認識する。
但し、その認識に阿頼耶識の段階では感情を持たずピュアな認識である
というところか。

347:神も仏も名無しさん
20/11/16 06:51:45.01 gtApjX/v.net
第四偈 是無覆無記 觸等亦如是 恒轉如暴流 阿羅漢位捨
    是れ無覆無記なり 触等も亦是の如し
    恒に転ずること暴流の如し 阿羅漢の位に捨す
    upekSA vedanA tatrAnivRtAvyAkRtaM ca tat/
tathA sparSAdayas tac ca vartate srotasaughavat//
a.その場合に、それは捨受であり、無覆無記である。触などもまたその如くである。
 それはまた暴流のような流れである。
b.それ[阿頼耶識]における感覚的対象受容は[快不快を伴わない]中立的なものである。
 そして[阿頼耶識]は、それ[自体]は[煩悩に]覆われておらず、[倫理的には善・悪に対して]
 価値中立である。触など[の五つの心的作用]もまた同様である。そしてそれ[阿頼耶識]は
 暴流のような流れとなっている。
難解なのは、阿頼耶識を先の第三偈で第一に「執受」(取=煩悩)と押さえつつも
「捨受」(無感情)と付記し
第四偈で無覆無記。つまり煩悩に覆われていないと言いつつも
同時に「暴流」だと言う。「暴流(ぼる)」とは煩悩の激しさの事だ
upAdAna(取)を玄奘は「執受」と訳した。
世親のupAdAnaに意味の改変を見たのであろう。

348:神も仏も名無しさん
20/11/16 07:00:53.37 luJEuuR1.net
アホーざんす

349:鹿野園
20/11/16 08:53:14.58 Mz5QNFjq.net
識転しながら心相続する種子だからだろw
コピペばかりでなく頭をはたらかせろよw

350:神も仏も名無しさん
20/11/16 10:09:23.78 3gDt3Gxy.net
>>349
識転って、転識の言い間違いか?
それともなんか別の意味があるの?
心相続というのは、刹那滅しつつ連続しているという概念だが
その主体はプトガラだとある部派が建てて、さんざんに叩かれたが
唯識派は一般的に、心相続の背後で阿頼耶識が働いているという立場だが?
種子が姿を変えながら連続しているから、取を執受を訳したのかね?
意味不明だが。
あるいは以下のような『成唯識論』の立場から先取りして「種子」と
言い出しているのかね
『成唯識論』に「執受有ニ謂諸種子及有根身」とあることは>>252で紹介したが
「執受に入る種子は五纏種子といってよくその中で肉体として現行する色根を同時に
執受する。その種子より七転識を現行する。現行において第七識が全体としての
依止識であり、アラヤ識はこれを支持する。その識の中で、六転識が働き、色根が肉
体として明確になってくる」(真田英範『成唯識論における種子と根について、執受の考察を通して)
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)

351:鹿野園
20/11/16 13:00:58.45 Mz5QNFjq.net
>>350
またゴタゴタかよw
テキストの棒読みで中身カラッポなんだよw
>第四偈で無覆無記。つまり煩悩に覆われていないと言いつつも
当たり前だろ、種子なんだからw
>同時に「暴流」だと言う。「暴流(ぼる)」とは煩悩の激しさの事だ
当たり前だろ、途切れないで他の七識の様々な世界が次次と展開するのだから。

あなたのキリスト教の理解もそうだけど、棒読みなんだよw
突っ込んで読んでないの。
行間を読んでないの。
……アホなのw

352:鹿野園
20/11/16 14:10:49.79 YZSaS9ar.net
>>347
>同時に「暴流」だと言う。「暴流(ぼる)」とは煩悩の激しさの事だ

"煩悩の激しさ"では無い。
無限の過去から連綿と激しく識転している様を形容して言ってる。

353:神も仏も名無しさん
20/11/16 14:16:19.31 gtApjX/v.net
>>351
>種子なんだから
違います。「受」が「捨受」だからです
>途切れないで他の七識の様々な世界が次次と展開するのだから
いやいや刹那滅なの途切れる。途切れるが、常に変化しつつ連続しているので
aughavant(奔流のように)と世親が書き、暴流と玄奘が訳したそうだ。
煩悩ではなくて「流れ」だそうだ。

354:鹿野園
20/11/16 14:31:30.09 YZSaS9ar.net
>>353
>違います。「受」が「捨受」だからです
www
それが種子だろ、アホかw
>>353
>いやいや刹那滅なの途切れる。途切れるが、常に変化しつつ連続しているので
だから、相続って先に書いてるだろ?
アホw

355:鹿野園
20/11/16 14:34:16.97 YZSaS9ar.net
なんかダメだなぁ?
唯識三十頌について別スレを立てて、そこでちゃんと解説する他ないのかなぁ?
面倒だし時間ねーしw

356:神も仏も名無しさん
20/11/16 14:35:43.02 gtApjX/v.net
3) <受>は五つに分けられ、<五受>という。
(a) ①苦受、②楽受 …感覚的、身体的反応
(b) ③憂受、④喜受 …感情的、精神的反応
(c) ⑤捨受 …身心の反応を共通に含む(空)
URLリンク(www.yuishiki.org)
基本から頑張り

357:鹿野園
20/11/16 14:38:37.66 YZSaS9ar.net
まぁ、これが一番コスパがいい。
唯識とはなにか-唯識三十頌を読む
-角川ソフィア文庫
-多川俊映
キンドルで700円くらい。
分かり易い。
ハゲのゴタゴタは全然ダメだわw

358:鹿野園
20/11/16 14:39:35.02 YZSaS9ar.net
>>356
だから、それは単語の解説で疑義点の説明じゃないだろ?
アホw

359:鹿野園
20/11/16 15:24:00.93 YZSaS9ar.net
田舎道を歩きスマホしながらレスをしてる俺に瞬殺されてる自宅で本の山に囲まれながらレスをしてるハゲw
多少なりとも知識人が身に付いているというのは、こういう事な。

360:鹿野園
20/11/16 15:24:27.94 YZSaS9ar.net
訂正
田舎道を歩きスマホしながらレスをしてる俺に瞬殺されてる自宅で本の山に囲まれながらレスをしてるハゲw
多少なりとも知識が身に付いているというのは、こういう事な。

361:神も仏も名無しさん
20/11/16 15:45:08.22 Mc+fv6ko.net
鹿野園、スーパーでお菓子を買ってくれないママに絶叫反抗する幼児性状態ナウ


362:鹿野園
20/11/16 16:43:45.83 YZSaS9ar.net
それが知育障害の目一杯のルサンチマンなんだね?
www

363:神も仏も名無しさん
20/11/16 17:41:31.52 Q6BFX+QM.net
鹿野園の永久情けない大人の幼児性の反抗の穴蔵から今日もレスするのであった。

364:神も仏も名無しさん
20/11/16 17:58:52.13 gtApjX/v.net
『唯識とはなにか-唯識三十頌を読む』
-角川ソフィア文庫-多川俊映
大山君向きだね。頑張り。一般向けの現代語訳だものね。
ただ漢訳からの重訳で、多川さんは立命館の心理学卒で
仏教学の素養はゼロだが、法相宗は『成唯識論』の伝統がある。
法相の伝統と多川さんの解釈を味われて下さい。
我々は
廣澤隆之 「『唯識三十頌』を読む」 TU選書1900円+税を学びます。
サンスクリットも確認する仏教学者ならではですので。

365:神も仏も名無しさん
20/11/16 18:43:20.22 KMqkfu6y.net
>>357
その本には阿頼耶識は現量であるとしかと書いてあった?(笑)

366:神も仏も名無しさん
20/11/16 20:00:45.00 gtApjX/v.net
>>347
■anivRtAvyAkRta(無覆無記)
・anivRta(無覆)…接頭語a-(否定)
 +「ni(内へ、下へ)+動詞vR(覆う、隠す)」の過去分詞形nivRta(隠された、覆われた
 妨げられた、遮られた)
ややこしいが否定接頭語nir-+vRの過去分詞語尾ta=nirvRtaは涅槃を意味する。
nirvANaと同じ意味となる。
それでnivRtaは「心を覆うもの」=煩悩を意味する。
それが接頭語a-(否定)で否定されている。
阿頼耶識は、執受であるが捨受であるから、無覆無記であると説かれる。
とても重層的立体的だ。
つまり阿頼耶識は、
1.自分という意識を持つ煩悩なのであるが、
2.苦楽・喜憂に左右されず、善悪にも無記であるのでビュアな感受それ自体なので
3.煩悩に覆われていず、善悪中立的である
としているのである。
これは先行する『解深密経』で>>141
阿陀那識(執持AdAna-vijNAna)を根底に置いたに対応し、
阿頼耶識を(執受upAdAna)と押さえつつ、>>326
煩悩側面を末那識に移管し、その下に無垢識である阿頼耶識を置いたために
複雑になったのであろう。

367:鹿野園
20/11/16 20:26:47.94 YZSaS9ar.net
>>366
wwwwwwww
ワザとデタラメ言ってるんだろ?

368:福音伝道
20/11/16 20:34:41.06 gtApjX/v.net
ちなみに『成唯識論』では阿陀那識=阿頼耶識である
「第八識、雖諸有情皆悉成就、而随義別立種種名。
‥‥或名阿陀那。執持種子及諸色根、令不壊故。」〔『成唯識論』3,T31-13c〕

369:鹿野園
20/11/16 20:45:40.65 YZSaS9ar.net
なんだかこのスレ、ハゲがどの位唯識を理解したか採点するスレになったなぁw
それにしても出来の悪い生徒というか、アホだわ。

370:鹿野園
20/11/16 21:07:37.83 YZSaS9ar.net
"俺はこんな事も知ってるから間違ってないぞー、馬鹿じゃ無いんだぞー、正しいんだぞー"
これがハゲ。
問題に対する事実・見解を淡々と述べればいいのに、余計な事に触れて明後日の方向に逝ってるアホ、
これがハゲ。

371:神も仏も名無しさん
20/11/17 00:41:29.25 OuuheUt2.net
転識
 潜在的な根本心(阿頼耶識)から転じて生じた顕在的な7つの識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識)をいう。現行識ともいう。
 転識と阿頼耶識とは相互に因となる。すなわち阿頼耶識は転識を生じる因となり、転識は阿頼耶識のなかに種子を植えつける因となる。
URLリンク(www.wikidharma.org)
識変
 識転変ともいう。識が変化 すること。
 『成唯識論』や『述記』『三箇疏』などに多く見られる概念。もともとは、世親が『唯識三十頌』のなかで創唱した識転変(vijñāna-pariṇāma)すなわち「すべては阿頼耶識が転変したものである」という考えに由来する概念である。
 この考えから『成唯識論』においては識変という語が確立された。そして変が能変(変化せしめるもの)と所変(変化せしめられたもの)とに分けられ、二つの関係の上にさまざまな存在が仮に設定されるという考えが成立した。
 能変は異熟識(阿頼耶識)と思量識(末那識)と了別境識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識)の3つに、所変は相分と見分の二つに分けられる。
 変とは広くは阿頼耶識が変化することであるが、狭くは「変とは謂く、識体転じて二分に似る」と定義され、八識それぞれの本体(自体分・自証分)が客観(相分)と主観(見分)とに分かれて変化することを意味する。
 この相分と見分とは三性(遍計所執性・依他起性・円成実性)でいえば心である依他起性に属し、仮に存在するもの(仮有)であり、この相分と見分の関係の上に言葉と情念が働いて、実体として存在しない(都無)が心の外に実体としてあると考えられ執着されるさまざまなもの、すなわち遍計所執性が設定される。
URLリンク(www.wikidharma.org)
成唯識論の識変の考えはダルマパーラのいわるゆドグマ

372:神も仏も名無しさん
20/11/17 08:02:56.88 oD84ePPI.net
>>347 >>366
■anivRtAvyAkRta(無覆無記)
avyAkRta(無記)…A善でも不善でもないもの。B問に対して是非を答えないもの
        玄奘はAを「無記」と訳し、Bを「不可記事」と訳し分ける
■阿頼耶識の流れ
aughavat(奔流のような)…「暴流」と玄奘が訳すが、玄奘訳『解密深経』からのコピペである
『解密深経』曰く
AdAnAvijNAnagambhIrasUkSmo augho yathA vartati sarvabIjo/
(玄奘訳)阿陀那識甚深細…一切種子如暴流
甚深にして微細な阿陀那識は、奔流のように一切種子として転じる
阿陀那識は執受と同語源で、玄奘が執受という時は阿陀那識を意識しているわけだが
阿陀那識は一切種子識であり、「奔流のように」流れていると捉えているのである。
業→(結果)→一切種子が阿頼耶識に蓄えられる→種子が現実へと転化し業となる→
業→阿頼耶識に種子として蔵され→種子が現実化し業となる
ということが、奔流の様な「流れ」のイメージとして想定されている
瞬間瞬間に生じ変化しつつ、刹那滅しているのだが、変化しつづけるという
点では川の流れのように連続しているのてある。


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