坐禅と公案133章 中道是空(ちゅうどうは これ くうなりat PSY
坐禅と公案133章 中道是空(ちゅうどうは これ くうなり - 暇つぶし2ch66:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/14 02:41:40.86 zwMp1FzW.net
碧巌録(へきがんろく) 第15則  雲門倒一説(うんもん とう いっせつ)
本則
修行僧、雲門に問う、「これ目前の機にあらず、また目前の事にあらざるとき如何(いかん)?」
雲門云く、「倒一説」。
本則
ある僧が雲門に聞いた、 「目前に説法する相手がいないし、説法する課題もない場合にはどうしますか?」
雲門は言った、「引っくり返して説きなさい」。

雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864~949)。雲門宗の祖。 法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→ 徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃
若くして出家し、刻苦精励して大悟されたが、更に境涯の円熟を期して幾多の名僧に歴参された。
「雲門天子」と称された高邁な宗風をもつ雲門宗の開祖であり、その「日々是好日」の句は一般にも良く知られている。
雲門文偃禅師は唐末から五代(864 ? 949)にかけて活躍された名僧である。
その伝記は、何といってもその言行録である『雲門広録』(とりわけ、その末尾の「雲門山光泰禅院匡真大師行録」)が基本となる。
雲門禅師は諱(いみな)が文偃といい、俗姓を張という。浙江省・嘉興の出身であった。幼時から俗世間を厭(いと)い、17歳の時、遂に嘉興の空王寺の志澄律師の弟子となって出家した。
禅師は生まれながら賢く聡明で、経典を読んでも一度で理解して再見を要しないほどであったので、律師も大層その器量を称(たた)えたという。
20歳にして江蘇省・毘陵(びりょう)の戒壇で具足戒を受け、再び志澄律師のもとに戻って、戒律を集大成した四分律(しぶんりつ)を学んだ。
これ目前の機にあらず、また目前の事にあらざるとき如何?: 目前に説法の相手もおらず、また説法する課題もない時どうしますか?
倒一説:一つずつ反転する。一切の定言を価値転換する。
問う、「説法の相手もいないし、テーマもない場合どうしますか?」
答える、「一説など蹴っ飛ばせ! 」

禅は何を伝えるのか。
主人公である、平等である。平等であり、主人公である。この事である。
これは、わたしが、と言うだけではない、全存在が、全宇宙が、主人公である。それぞれは違うが、違っていて同じ、平等である。

67:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/14 16:27:36.72 zwMp1FzW.net
学ぶと言う、 理解と記憶である。
誰であれ、下から↑に見上げるな。
肩を並べた、と言うな。
追いつき追い越せ、それをJesus、という 止揚する、と、言う。

68:ポッタン
20/10/14 16:45:26.66 gwlfYq/U.net
ポッタン師一世の公案に参ぜよ。

69:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/14 19:25:55.06 zwMp1FzW.net
碧巌録(へきがんろく) 第16則  鏡清(きょうせいおしょう)裏裏(そうり)の漢(かん)
本則
僧、鏡清に問う、「学人ソッす。請う師、啄せよ」。
清云く、 「還って活を得るや、也た無なや。」
 
僧云く、「もし活せずんば人に怪笑せられん」。
清云く、「也たこれ草裏の漢」。
本則
挙す、僧鏡清に問う、學人?(そつ)す、請(こ)う師啄(たく)せよ。
清いわく、還って活を得るやまた無しや。
僧いわく、若し活せずんば、人に怪笑(けしょう)せられん。
清いわく、また是れ草裏の漢。
本則
一人の僧が鏡清禅師の処にやって来て聞いた、「私は禅の修行を積んできたため、今や開悟の機が熟しています。老師、どうか1つ悟りを覆う殻をつつき破って悟りを開かせて下さい」。
鏡清は言った、「そうか、つついてやってもいいが、お前さんの命は大丈夫かな。」
 
僧は言った、「もし私が悟りを開くことができなければ、老師がかえって世間の笑いものになりますよ」。
鏡清は言った、「このたわけ者め!」。

鏡清:鏡清道フ(きょうしょうどうふ、868~937)。雪峰義存の弟子で浙江省紹興府の鏡清寺に居住した。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 鏡清道フ
草裏の漢:妄想の草の中に埋まっているたわけ者。落ちこぼれ野郎。たわけ者
?啄同時(そったくどうじ)
ある僧が、鏡清和尚に【學人?す、請う師啄せよ】と問うた。
この鏡清和尚は日ごろから『行脚(あんぎょ)の人は、須らく?啄同時の眼を具し、?啄同時の用ありてまさに衲僧(のうそう)と称すべし』と弟子に教えていた。
だからその僧は「私は、内部からツツイテいます、どうぞ外からツツイテ下さい」と言ったのである。
鏡清和尚いわく【還って活を得るやまた無しや】ところで、その雛は生きているのか、死んでいるのか?と聞いたのである。
そこで僧は、生きておりますとも、死んだ雛が殻の中からものを言ったとしたら人から怪しまれ、物笑いの種になりましょうぞと答えたのである。
そこで鏡清和尚は、真に生きているのなら何のために外からツツイテ下さいなどと云う必要があるか『生きていると言っても、どうやら草葉の陰で生きているらしいぞ』と冷やかしたのである。【草裏の漢】である。

70:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/14 20:40:51.13 zwMp1FzW.net
>>69
この公案も悟後(ごご)の公案である。

71:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/15 23:52:12.01 s5a/vITy.net
碧巌録(へきがんろく) 第17則  香林坐久成労(きょうりん ざきゅう じょうろう)
本則
擧。僧問香林。如何是祖師西來意。林云。坐久成勞。
挙こす、僧そう、香林きょうりんに問とう、「如何いかなるか是これ祖師そし西来せいらい意い・」。林りん云いわく、「坐久ざきゅう成労じょうろう」。
本則:
僧、香林(きょうりん)に問う、 「如何なるかこれ祖師西来意?」。 林云く、 「坐久成労」。
香林のところにある僧がやって来て聞いた、 「禅の究極の本質とはどのようなものでしょうか?」。 香林は言った、 「長く坐っていてくたびれたなー」。

香林(きょうりん):香林(きょうりん)澄遠(ちょうおん)禅師(908~987)。 雲門文偃の法嗣。四川省成都の香林寺の住職。 雲門四哲の1人。常日頃雲門の言葉を記録していて、 それが後に「雲門録」になったと伝えられる。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→ 龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃→香林澄遠
雲門四哲:雲門門下の四人の優れた法嗣。洞山守初(910~990)、智門師寛(生没年不明)、
徳山縁密(生没年不明)、香林澄遠。
祖師西来意(そしせいらいい):元々は達磨大師が中国にやって来た意味だが 禅宗では禅の究極の所や本質をさす。
坐久成労:長く坐っていてくたびれたな。

72:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/15 23:53:29.75 s5a/vITy.net
>>71
→ テレビで、もう10年以上も前になると思うが、現代の中国南方での禅宗寺院で、僧侶たちが銘々の城跡でもあるのだろうか、築山の岩の上や、庭の隅っこにある風通しの良い大きな木の下で、ゆったり座っている姿を見たことがある。
    南方地域なので、手に棕櫚の葉で作った団扇を持っていて、あおいでいる。
    日本の禅僧の腰を固めて背筋を伸ばして、眼は半眼で、手は親指を軽く触れた姿ではなかった。
    むしろ暑いので静かに坐って休んでいる、と言える。
    頭がばちん、と音をたてた。
    と言うのも、わたしは股関節を傷めて以来の椅子禅である、からである。
   いすに坐って頭のてっぺんを引っ張り上げられる、という思いで坐る。
   また、これは、黄檗宗の僧侶の話しだが、和尚は足が悪く、檀家まわりの時は、正座が出来る補助具を携帯して使っていた。
   死んだとき、坐禅の姿勢が出来るよう足の骨を折って坐棺に収まった。
   生涯の念願だった、坐禅の姿だった。
   こうあるべき、
   ほとけのおすがた、
   内外の統一、
   そんな事だったのではないか。
   わたしの椅子禅も2年以上が過ぎた。
   それは、木陰で棕櫚の葉の団扇をゆったり使う中国南部の禅僧のように坐る。
   疲れは無い、長く坐っての疲れない。
   18年の侍者としての修行、同行二人(どうあんふたり)のもう一人の真人、を看たか!?
   香林(きょうりん)澄遠(ちょうおん)禅師
   師家は遠侍者、と、と呼び、はい!と18年間、答え続けた、と言う。
   そして、大悟した。
   真理(さとり)とは!?と尋ねられて、必ず、あなたもさとるよ、わたしがさとったのだから、と優しい。

73:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/15 23:56:23.48 s5a/vITy.net
訂正
 わたしの椅子禅も2年以上が過ぎた。

 股関節を傷めて以来のわたしの椅子禅も20年以上が過ぎた。

74:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/16 00:12:23.49 YI8J46og.net
碧巌録(へきがんろく) 第17則  香林坐久成労(きょうりん ざきゅう じょうろう)
本則
擧。僧問香林。如何是祖師西來意。林云。坐久成勞。
挙こす、僧そう、香林きょうりんに問とう、「如何いかなるか是これ祖師そし西来せいらい意い・」。林りん云いわく、「坐久ざきゅう成労じょうろう」。
僧、香林(きょうりん)に問う、 「如何なるかこれ祖師西来意?」。 林云く、 「坐久成労」。
香林のところにある僧がやって来て聞いた、 「禅の究極の本質とはどのようなものでしょうか?」。 香林は言った、 「長く坐っていてくたびれたなー」。
祖師西来意(そしせいらいい):元々は達磨大師が中国にやって来た意味だが 禅宗では禅の究極の所や本質をさす。坐久成労:長く坐っていてくたびれたな。
→ テレビで、現代の中国南方での禅宗僧侶たちが銘々、岩の上や、庭の風通しの良い大きな木の下で、ゆったり座っている姿を見た。
    南方地域なので、手に棕櫚の葉で作った団扇を持ち、あおいでいる。
    日本の禅僧の腰を固めて背筋を伸ばして、眼は半眼で、手は親指を軽く触れた姿ではなかった。
    むしろ暑いので静かに坐って休んでいる、と言える。
    わたしは股関節を傷めて以来の椅子禅である。
   いすに坐って頭のてっぺんを引っ張り上げられる、という思いで坐る。
    また、これは、黄檗宗の僧侶の話しだが、和尚は足が悪く、檀家まわりの時は、正座が出来る補助具を携帯して使っていた。
   死んだとき、坐禅の姿勢が出来るよう足の骨を折って坐棺に収まった。
   生涯の念願だった、坐禅の姿だった。
   こうあるべき、ほとけのおすがた、内外の統一、   そんな事だったのではないか。
   股関節を傷めて以来のわたしの椅子禅も20年以上が過ぎた。
   それは、木陰で棕櫚の葉の団扇をゆったり使う中国南部の禅僧のように坐る。疲れは無い、長く坐っての疲れない。
    18年の侍者としての修行、同行二人(どうあんふたり)のもう一人の真人、を看たか!?
   香林(きょうりん)澄遠(ちょうおん)禅師に 師家は遠侍者、と、と呼び、はい!と18年間、答え続けた、と言う。そして、大悟した。
   真理(さとり)とは!?と尋ねられて、必ず、あなたもさとるよ、わたしがさとったのだから、と優しい。

75:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/17 03:34:46.60 MOX1BjYJ.net
碧巌録(へきがんろく)  第18則  忠国師無縫塔 (むほうとうみることかえってかたし)
本則
粛宗皇帝、忠国師に問う、「百年の後所須何ものぞ」。
国師云く、「老僧のために箇の無縫塔を作れ」。
帝云く、「請う師、塔様」。
国師良久して云く、「会すや」。
帝云く、「不会」。
国師云く、「吾れに付法の弟子耽源というものあり、却ってこの事を諳(そら)んず。請う詔して之れに問え」。
 
国師遷化の後、帝耽源を詔してこの意如何と問う。
源云く、「湘の南、潭の北」。
 
雪竇著語して云く、「独掌みだりに鳴らず。中に黄金あり一国に充つ」。
雪竇著語して云く、「山形(さんぎょう)のシュ杖子(しゅじょうす)。無影(むよう)樹下の合同船」。
雪竇著語して云く、 「海晏河清。瑠璃殿上に知識無し」。
雪竇著語して云く、 「拈了也」。
本則
粛宗皇帝が慧忠国師に聞いた、「国師の死後、こうして欲しいというものが何かありますか?」。
国師は言った、「そうじゃな、老僧のためにひとつ縫い目に無い塔を作って下さい」。
 
帝は言った、「国師よ、その塔は五輪の塔ですか、それとも卵塔でしょうか?」 具体的に塔の様子を図面などで示して下さい」。
国師はしばらく沈黙した後言った、 「分かりましたか?」。
 
帝は言った、 「いえ、分かりません」。
国師は言った、 「私の嗣法の弟子に耽源(たんげん)という者がおります。彼はこの事を良く分かっています」。 彼を詔して聞いて下さい」。
 
国師が遷化した後、帝は耽源を詔して、この事について聞いた。
耽源は言った、 「湘の南、潭の北」。
 
雪竇は著語して言った、「片手だけでは音も出ない。中に黄金があって一国に充ちている」。
雪竇は著語して言った、「山形(さんぎょう)のシュ杖子(しゅじょうす)。無影樹下の合同船」。
 
雪竇は著語して言った、「海は安らかで河は清らかである(天下泰平)」。 この極楽世界の瑠璃殿上(悟りの世界)にはあなたの知り合いは誰もいない」。
雪竇は著語して言った、 「話はこれでおしまい」。
→ 問う、真理(さとり) とは!? 答える、縫い目のないお墓だ。死期を目前にして問われた問いと答えである。色即是空。悟前(ごぜん) 未悟(みご)の人に問う。

76:神も仏も名無しさん
20/10/17 04:31:45.77 vL0YfNyT.net
寂しいシコシコさるだ!!

77:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/17 19:40:28.90 MOX1BjYJ.net
碧巌録(へきがんろく)  第19則  倶胝(ぐてい)只(た)だ一指(いっし)を(た)堅つ  
本則
倶胝和尚、凡(およ)そ所問あれば、只だ一指を堅つ。
本則
倶胝和尚はいつも何を尋ねられても、一本の指をさっと立てて答えた。

倶胝和尚:馬祖下の大梅法常(752~839)の法嗣 天竜禅師(生没年不明)の法を嗣いだ人。馬祖の孫弟子に当たる。
はじめ浙江省の金華山にいたが後に福建省の倶胝寺に移ったと伝えられる。
いつも「七倶胝仏母所説准提陀羅尼経」を誦したので倶胝和尚と呼ばれた。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道→大梅法常→天龍→倶抵
倶胝和尚は臨終を迎えた時、門下の修行僧達を集めて「わしは天竜和尚の処で「一指頭の禅」を得たが、一生かかってもそれを使い切ることができなかった」 と言ってすぐに息を引き取ったと伝えられる。
この公案の主題は倶胝和尚が天竜和尚の処で得た 「一指頭の禅」とは何かということである。
倶胝和尚の「一指頭の禅」 はなかなか理解されなかったようであるが「心境一如」の状態をさすと考えれば良い。
禅者は真の自己を「仏性」、「如来蔵」、漆桶(しっつう)(5則)、 眉毛(8則)「無縫塔」(18則)、「シュ杖子(しゅじょうす)」(18則)、 「蓮花」(21則)、 「説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう)
(説似すれども一物として中(あた)らず、何かと言えばもう的を外れているという意味)」(南嶽懐譲)、 「無一物」(六祖慧能)、無字(無門慧開、「無門関」第一則)、 「般若の体」(90則 )など種々に表現する。
→ この公案は、庭前柏樹子(ていぜんのはくじゅし)、と言う公案の後に続いて透った。
  もちろん言うまでもないが、わたしは師独悟(むしどくご) 独覚(どっかく)である。
  問う、如何なるか是れ祖師西来意!? 答える、庭前柏樹子(ていぜんのはくじゅし)

78:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/17 21:42:05.73 MOX1BjYJ.net
以前 わたしは二人のイスラエル人と知り合うことがあった。
一人は空手家で、もう一人は柔道家であった。
空手は日本人の妻をめとりイスラエルで盆栽家となる。
柔道家は、指圧師で、帰国後、開業した。
そのイスラエル人が、言う。
Jesusと言う人物はかって存在しなかった。
存在していた、という証拠がない、と言う。
死後、5年後から、12年後の書かれた数冊の本があるだけである。
ヨーロッパの科学、文化芸術は全てイエスの存在証明であり、200年間続く宗教哲学がある。
そfれはいまだに、解 を得ていない。
永遠の証明問題である。
曰く、無いものの証明は出来ない、それは悪魔の証明、と言う。
また、Jesus自身はユダヤ教徒である。

79:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/17 21:57:16.34 MOX1BjYJ.net
>>78
以前 わたしは 二人のイスラエル人と知り合うことがあった。
一人は空手家で、もう一人は柔道家であった。
空手は日本人の妻をめとりイスラエルで盆栽家となる。
柔道家は、指圧師で、帰国後、開業した。
そのイスラエル人が、言う。
Jesusと言う人物はかって存在しなかった。
存在していた、という証拠がない、と言う。
死後、50年後から、140年後の書かれた数冊の本があるだけである。
ヨーロッパの科学、文化芸術は全てイエスの存在証明であり、2000年間続く宗教哲学がある。
そfれはいまだに、解(かい) を得ていない。
永遠の証明問題である。
曰く、無いものの証明は出来ない、それは悪魔の証明、と言う。
また、Jesus自身はユダヤ人であり、ユダヤ教徒である。

80:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/18 01:09:31.31 2s4VfBvU.net
>>61
ミックスリスト - クラシック人気曲メドレー (48曲)
URLリンク(www.youtube.com)
ミックスリスト - 最も有名なクラシック音楽50選
URLリンク(www.youtube.com)
ミックスリスト - Most Iconic Classical Music
URLリンク(www.youtube.com)
ミックスリスト - 100 Most Famous Classical Pieces
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81:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/18 01:34:53.45 2s4VfBvU.net
>>80
「精進おでん」 - 3.00
URLリンク(www.youtube.com)
精進料理 日記「冬のご馳走」 - 1.00.00
URLリンク(www.youtube.com)
趣味Do楽「いただきます お寺のごはん」01【粥】 - 24.25
URLリンク(www.youtube.com)
精進料理 日記「霜月 あれこれ漬け」 - 30.01
URLリンク(www.youtube.com)

82:神も仏も名無しさん
20/10/18 05:00:02.83 rh5q5qK0.net
寂しいシコシコサル日記だ。

83:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/19 21:53:31.94 CyADJVqz.net
碧巌録(へきがんろく) 第20則?   龍牙西来意(りゅうげ せいらいい) 龍牙が翠微(すいび)と臨済(りんざい)に祖師西来意を問う
本則
龍牙が翠微に聞いた、 「禅の本質とはどのようなものでしょうか?」。 翠微は言った、「私にそこの禅版取ってくれんか」。
龍牙は禅版を取って渡した。 翠微は、禅版を受け取ったとたんに龍牙の横っつらをぶんなぐった。 龍牙は言った、「なぐるのはあなたの勝手です。しかし、そこには禅の本質はありませんね」。
その後龍牙は河北の臨済を訪ね臨済に同じことを聞いた、「禅の本質とはどのようなものでしょうか?」。 臨済は言った、「私にそこの坐蒲(蒲団)を取ってくれんか」。
龍牙は坐蒲を取って臨済に渡した。 臨済は坐蒲を受け取ったとたんに龍牙の横っつらをぶんなぐった。 龍牙は言った、「なぐるのはあなたの勝手です。 しかし、そこには禅の本質はありませんね」。
禅版:木板の一端があごを乗せて休むように丸くくりぬいてある。 長時間の坐禅で疲れて来た時坐睡するため使う木板。
蒲団:坐禅の時に尻に敷く坐蒲。 要且つ:結局。
→ 修行僧、龍牙(りゅうげ)が翠微(すいび)禅師(ぜんじ)に真理(さとり)とは何ですか、と問う。そこに在る禅板(ぜんばんを取ってくれ、と答えた。
   龍牙(りゅうげ)は言われたまま禅板(ぜんばんを取って手渡した。翠微(すいび)は間髪を入れず龍牙(りゅうげ)の横っ面を毛加減せずひっぱたいた。
   殴られましたが、真理(さとり)は受け取っていません、と言う。  
   納得のいかない龍牙(りゅうげ)は次いで臨済(りんざい)に同じことを問う。臨在は。そこに在る蒲団(坐禅の時に尻に敷く坐蒲)を取ってくれ、と答えた。
   龍牙(りゅうげ)は言われたまま坐蒲を取って手渡した。翠微(すいび)は間髪を入れず龍牙(りゅうげ)の横っ面を毛加減せずひっぱたいた。
   殴られましたが、真理(さとり)は受け取っていません、と言う。 
悟前(ごぜん) 未悟(みご)の修行僧、龍牙(りゅうげ)が二度にわたって二人の禅師に同じ問いをしたのである。
答えは、おまえはどこに目を向けて問うているのだ、お前の中の仏性を見よ、叱咤激励すると言う懇切丁寧さである。
   

84:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/21 01:09:35.22 sCzD5iY5.net
碧巌録(へきがんろく)  第21則  智門蓮花荷葉(ちもん れんげ かよう)
本則
修行僧、智門に問う、「蓮華、未(いま)だ水を出(い)でざる時 如何(いか)ん?」。
智門云く、「蓮華」。
修行僧云く、「水を出でて後 如何ん」。
門云く、「荷葉(かよう、ハスの葉)」。

智門:智門光祚。雪竇重顕(980~1052)の師。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→・・・雪峰義存→雲門文偃→香林澄遠→智門光祚→雪竇重顕
水を出でざる時:成仏前の俗人の時。
蓮華:仏の比喩表現。
荷葉(かよう):成仏前の俗人の比喩表現。
水を出でて後:見性成仏した後。
本則
智門光祚禅師に僧が聞いた、「蓮華が未だ水の上に出て咲いていない時は一体何と呼んだら良いのでしょうか?」。
智門は言った、「蓮の華だ」。
僧は聞いた、「では、水の上に出た後は一体何と呼んだら良いのでしょうか?」。
智門は言った、「蓮の葉だよ」。
→ 色即是空は、空即是色へと還(かえ)る。である。
   聖体長養三十年。である。

85:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/21 19:10:13.10 sCzD5iY5.net
碧巌録(へきがんろく)  第22則  雪峰鼈鼻蛇(せっぽう べつびじゃ)
本則
雪峰義存禅師、衆(しゅ、修行僧たち)に示して云く、「南山に一条の鼈鼻蛇(べつびだ)あり。汝等諸人、切に須(すべか)らくよく看るべし。」
長慶云く、「今日堂中、大(たしか)に人の喪身失命(そうしん しつみょう)するあり」。
僧、玄沙に挙似(こじ)す。
玄沙云く、「須らくこれ稜兄(長慶慧稜)にして始めて得べし。然もかくの如くなりと雖(いえど)も、我は即ち不恁麼」(ふいんも)。
僧云く、「和尚そもさん」。
玄沙云く、「南山を用いて何かせん」。
雲門柱杖をもって雪峰の面前に付き付けて怕(おそ)るる勢いをなす。

雪峰:雪峰義存(822~908)法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峰義存
南山:雪峰山
鼈鼻蛇(べつびだ):鼻のひしゃげた毒蛇(コブラか?)。「真の自己」を毒蛇に譬えている。
長慶:長慶慧稜(854~932)。
玄沙:玄沙師備(835~908)。出家前は釣りを好んだことで知られる。
雲門:雲門文偃(864~949)。
長慶慧稜、玄沙師備、雲門文偃は雪峰義存の法嗣である。
本則は雪峰義存と3名の弟子の問答になっている。
本則
雪峰義存禅師がある時、大衆に示して言った、「この雪峰山には一匹の毒蛇がおるぞ。お前さん達、その毒蛇に呑み込まれないよう気を付けるが良い。」
すると長慶が進み出て言った、「いや、たしかに堂中の雲水達はその毒に当てられて一人も生きていませんよ」。
ところがその時側にいた僧にはこの問答の意味が分からず、玄沙師備禅師にその話をした。
玄沙師備はそれを聞くと言った、「なるほど、さすがに長慶慧稜兄だ。彼だからそういう答えができた。しかし、わしだったらそうは言わんな」。
僧は言った、「和尚だったらどう言われるのですか?」。
玄沙師備は言った、「その蛇は何も南山(雪峰山)だけにいるわけじゃない」。
雪峰義存禅師と長慶慧稜が交わしていた問答を聞いていた雲門文偃はいきなり柱杖を雪峰の面前に投げ出し、「そりゃ、出たぞ!」 とぶるぶる震えて恐ろしいといった様子をした。
この公案は禅の中心課題は「真の自己を明らかにすること(己事究明)」にあると言っている。
〇 分別しない。

86:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
20/10/22 23:51:30.18 lUXx1oYM.net
碧巌録(へきがんろく)  第23則  保福長慶遊山(ほふくちょうけい ゆさん)
雪峰義存(せっぽう ぎそん)0歳の頃
その弟子達三名・・長慶慧稜(ちょうけい けいりょう38才頃) 鏡清道?(きょうせいどうふ24才頃) 保福従展(ほふく じゅうてん22才頃)の、雪峰山、禅院での遊山問答
本則
保福従展、長慶慧稜、遊山する次(つい)で、福、手をもって指して云く、「只8tada)這裏(しゃり) すなわちこれ妙峰頂(みょうほうちょう)」。
慶云く、「是なることは即ち是なるも、可惜許(かしゃくこ)」。
雪竇(せっちょう)著語(じゃくご)して云く、「今日この漢とともに遊山して、箇(こ)のなにをか図る」。
また云く、「百千年後無しとはいわず、ただこれ少なし」。後 鏡清道フに挙示(こじ)す。
清云く、「もしこれ孫公(長慶慧稜の俗姓)にあらずんば、すなわち髑髏(どくろ)、野にあまねきことを見ん」。
本則
ある日の薬石(夕食)後のこと、保福と長慶の2人が、連れ立って近くの山に散歩に出かけた。
太陽が西の山々を照らしながら沈んで行く頃で夕日が暮なずむ山々の稜線を照らしこの世のものとは思えない絶景が展開していた。
保福はこれを見て指さしながら云った、「ああ、何と素晴らしい景色だ!まるで天上界のようだ。華厳経に説く徳雲比丘が住む妙峰頂とはこのような処だろうか」。保福はこう言って「自分の悟りの境地」を匂わせた。
長慶は言った、「そりゃそうだな。しかし、悟りくさくて鼻もちならん。ちょっと違うのが惜しいな。」。
後に雪竇はこれに著語して言った、「今日この二人はせっかく遊山したというのに、悟り臭いこと言っていったい何をしにいったのか」。
雪竇はこれでは言い足りなかったのかこれに付け加えて言った、「しかし、そうは言うものの、「這裏これ妙峰頂」と言えるような者は百千年後といえども少ないだろうな」。
後にこの話を聞いた鏡清は言った、「もしこれが孫公(長慶)がいなかったならば、そのまま悟りの死人禅で、地球は埋まってしまっただろう」。


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