暇つぶし2chat PSY
- 暇つぶし2ch157:種類の教えを、各各為人悉檀という。 対治悉檀とは何か。その時に必要なことを教えるが、他の時には正しいとは限らないような教えである。たとえば、重く、熱く、脂っぽく、酸っぱく、塩辛い薬草や食事は、風の病には薬であるが、他の病には薬ではない。軽く、冷たく、甘く、苦く、渋い薬草や食事は、熱病には薬であるが、他の病には薬ではない。軽く、辛く、苦く、渋く、熱い薬草や食事は、冷病には薬であるが、他の病には薬ではない。 仏法において、心の病を治すのもこれと同じである。一、不浄観(腐乱死体や白骨を思い浮かべる瞑想)は、貪欲の病にとっては良い治療法であるが、怒りの病にはふさわしくない。何故だろうか。自身の過失を見ることを不浄観という。怒りを持つ人が過失を見れば、怒りの火が大きくなるだけである。 二、慈しみの心を持つことが、怒りの病にとっては良い治療法である。しかし、これは貪欲の病にとっては良い治療法ではない。なぜなら、慈しみの心は人々の中に美点を見つけるが、貪欲の人が美点を見つけてしまうと貪欲が強くなってしまうからである。 三、因縁(物事の原因)の教えを観察することは、愚かさの病にとっては良い治療法であるが、貪欲と怒りの病にはふさわしくない。なぜなら、正しいものの見方が出来ないために、愚かさが生じるからである。
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