20/08/22 17:55:48 p9FZYugM.net
===== キチガイマンとのアートマンを巡る見解の総括(その3) =====
ところで、形而上学とは、
>感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性(延いてはロゴス)的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学の一分野である
>(wiki引用)
だそうですね。
掛かる意味においてお釈迦様はアートマンについての形而上学上の判断はしないで、感覚ないし経験上の問題として
>五種の構成要素を、仏教では五蘊(五陰)といいます。
>この五蘊によって個人の存在が構成され、人々はこの一つひとつに執著をもっているのです。
>一般には、主観としての私(アートマン)がなにかのものを見て感覚し、感受し、表象し、認識する。
>ところが原始仏教では、ただ見て、感覚し、感受し、表象し、認識する作用がはたらいているだけだといい、実体としてのアートマンを想定していません。
>否定も肯定もせず、沈黙しているのです。
と、五蘊非我説を説かれたのでした。